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026 ユビキタス 2001/12/08

ユビキタス・コンピューティングという言葉が一人歩きをし始めた。 (詳しくは ココ とか ココ)
ユビキタス(ubiquitous)とは至る所にある、遍在するという意味を持つラテン語だ。

インターネット上での通信はIPという住所のようなもので、接続先が一意に特定されることにより成り立っている。 インターネットのアドレスhttp://www.xxx.xx.jp/と言うのは、 DNS(ドメインネームサーバ)が、数値と文字列を1対1に割り当てたものに過ぎず、 内部的にはIPアドレスと言う255.255.255.255というような数字で処理されておるのであります。 で、このIP、番地として一意に扱われる為、重複が許されない。 最近は家電などもインターネットに繋げよう〜と騒ぎだした為、 255の4乗(約43億)しか(!?)確保できないと、IP不足が騒がれだしたのであります。

先日機会があり、慶応の中島洋教授の『日本型情報経営の行方』なんちゅう、 おじさま型向けの公演にて、そば耳を立ててきました。 この公演自体の主題はあくまでブロードバンドとその将来性、 コストパフォーマンスに終始していたのですが、 ブロードバンドが成り立つ為の前提条件として、 これから採用されるIPv6についても取り上げられたので〜あります。

かなりぶっちゃけ公演内容を要約すると、
ブロードバンドが発展し、日本のインフラ整備が終了すれば、 行政・企業・個人・機械これらが全てIPを通して再構築され、 家電や、それに使用されている部品にまでIPを割り当て、 全ての部品をオンライン上で監視管理を行える!
すると製造後の保守を格段に安い金額で提供でき、格段に効率的な世の中がくるに違いない!
どぉだオヤジども! 少しはお先が見えたか! そこのオヤジ寝るな! いびきが五月蝿い!
で、これを経営にこれらの流れをどぉ生かしていくかっだ!!
ってな感じなのだ。(※中島先生はこんなしゃべり方ではありません・・・。

で、ここから先は自分の見解になるのだけど、 偏在性が強まれば強まるほど物事の重要性が均一化してくるのではないかと。 例えばつまり、携帯電話の部品と人間そのものの個人情報が同列のIPによって割り振られれば、 それぞれの重要性を判断するのは判断側のみに委ねられてしまい、 格段とフラットな世の中になるのではないか。
インターネットが、メジャー・マイナーを区別するのが難しいように、 人々の集客・統制はより困難になるのではないだろうか。
なんて事を思ってみたりするのであります。

ユビキタス、その偏在性という意味から転じて、 何処にでも居る(抽象表現として)神という意味もあるそうですが、 はたして・・・、IPv6はやおろずの神になれるでしょうか?興味深いところです。
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