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037 江戸っ子から聞く昭和史 2003/05/28

じいちゃんのじいちゃんは本郷あたりで農家をしていたらしい。
じいちゃんの父ちゃんは長男ではなかったので9歳のとき[キセル]を入れの金具を作る職人のところに丁稚奉公に出される。
その後独立し飾り職人を始める。神田の紺屋町にじいちゃんが3男として生まれる。

幼少の頃、東(?)紺屋町のガキ大将に。
西(?)紺屋町のガキ大将は関口 宏のお父さんの映画俳優 佐野周二 (祖父より2歳年上だそうだ) (じいちゃんはショウちゃんと言っていた…江戸っ子はシが言えない。)
「じゃぁ喧嘩でもするか!」と、いうイキのイイガキだったらしい。

9歳ぐらいの時(1920年当時)には昭和道りを1〜2円ぐらいで買ったローラースケートで快走。
まだ自転車も登場する前の時代に後ろ向きに滑れたと自慢げ。 (自転車より先にローラースケートがあったのかと私は愕然) (ちなみに昔からローラスケートはローラスケートと言うらしい。)
ローラスケートで爆走しすぎて補導される。
近くにオタマガ池という池があり、千葉周作なる剣豪の道場があったらしい。
(それに憧れて?)朝早く起きローラースケートにのり池の縁に行って剣術の稽古をしてたそうだ。

子供用の自転車を買ってもらう。
下り坂から勢いをつけて次の上り坂を登ろうと勢いをつけきった坂の下で、 「突然」あらわれた「汲み取り」の牛車を避けるべくハンドルを切り、 溝に落ちて気絶。病院に運ばれる。自転車は大破。

エアガンを購入、交番前をわざとウロウロしてたら案の定補導される。
1m離れたところからベニヤ板を打ちぬかない威力であったので保釈される。

まもなくして関東大震災。あたり一面廃墟と化す。
関東一園瓦解。

ちなみにじぃちゃんは「水の入ったヤカン」を持って逃げた。
関東大震災後、誰かの屋敷の裏に生えていた大きな大きな松があって、 黒焦げになった幹のてっぺんに佐野周二が登ったのを今でも覚えているそうだ。

高等小学校を卒業した13歳で飾り職人に。
そぉ言えば若い頃、昭和天皇にブローチ造ってやった事もあったな。とちょっと自慢げ。
じいちゃんは勉強をしたかったらしいのだが、じいちゃんの父ちゃんが学校が嫌いだったそうで、 学校の先生が来るたびに追い返していたそうだ。
ショウちゃんなんか、職人っちの息子なのに大学までいかさせてもらって…と羨ましがっておりました。
19歳の時、厳しい職人生活が嫌になり、貯金を持って家を飛び出す。
誕生日の1月6日、横浜まで電車で行き、雨の中、密航してやろうと港をウロウロしていたら私服刑事につかまる。
刑事の家につれていかれ尋問され神田の実家に強制送還。往復の電車賃で貯金がなくなる。
当時の職人生活は本当に厳しかったらしく、 近所の鍛冶屋の息子などは腕っ節は強かったんだが自殺してしまったとか、 その他近所にも何人か若い人が自殺をしたりしたらしい。
ハモニカが得意な隣のなんとかちゃんとかは服毒自殺をしたが助かったとか。
自殺が流行った時代だったのかな…。

銀座にお店があり、じいちゃんも毎日のように往復。
途中、兜町を通るので、株屋などに抵抗感はなく、どこぞの銀行(?)の債権を購入。
10円で買った債権が別の買取所でその日の内に12円で売れる。
50人ぐらい並んでいるので一日2往復が限界だが、4円の稼ぎは当時の日当より全然多いそうだ。
そこで味をしめた祖父は金を貯め一株100円のお目当ての株を買おうとし、100円が溜まったころで株屋へ。
売買は100株単位だと言われ断念。
換わりに親より3000円を借り入れて債権を購入。

世間には戦争の匂いが漂いはじめ、 どこぞの大学の夜学講義で聴きつけたアメリカの現状を聞き、 神田なんかは間違いなく攻撃されると思った祖父は一足早く三鷹(村)へ地所と家を買う。
親兄弟にも別に家を持つように進める。当時片田舎だった新宿や高円寺に兄弟も移り住む。
そうこうしているうちに戦争が始まり株・債権の取引が禁止される。3000円の債権が紙くずとなる。

戦時中は工場で軍事用の無線をつくる。
腕がよかった祖父は20円の給料貰っていたそうなのだが、 親への借金の返済の為毎月10円をヒーヒ言いながら返済し生活してたそうです。
そんな時期にばぁちゃんが栃木から嫁にくる。結婚式は目黒雅叙園。
親の力で豪勢な結婚式を挙げたが、あまりの赤貧生活に 「考えが甘かった…」とばぁちゃんがボヤイテおりました。
そんなご時世なのに結婚式では鯛などが並んでいたそうで…。
ばーちゃんが、じいちゃんから最初に言われた言葉、
「家帰っても食べるものないから、それ食っとけ。」

その頃、神田に住んでいたじいちゃんの仲間連中は、 威勢の良さを買われて最前線に送られたそうだ。
まさに無鉄砲な戦いっぷり。
玉が切れても兎に角走って突っ込むような戦い方をしていたらしい。
当然すぐ負傷者になり、ベットで
「すぐ突っ込んじゃうんだもん、@@ちゃんには敵わねぇやっ」
そんな談笑をしていたらしい。
お祭り感覚だったんだろうな…。確かに最前線向きだ…。

戦争真っ只中、父が生まれる。
お金はあっても食べ物が無い時代、 新居には物もないので農家と物々交換をすることも出来ず配給だけが頼りに。
生まれたばかりの父ちゃんは餓死寸前。

「配給を頼りに子供を育てようとしたら殺してしまうぞ!」

医者に言われ、ばあちゃん田舎に帰郷。食べ物を隠し持っては戻る生活。
その頃、じいちゃんは灯火規制が引かれている中、 近所の人と明かりをつけて将棋を打って居た事がバレ警察に呼び出し。

東京大空襲。

神田の実家を爆弾が直撃。すり鉢になる。
隣近所は防空壕に隠れていたが防空壕の中にて死亡。
親は上野の方に非難していたので無事。
但し焼夷弾で上野の家も焼ける。
兄弟の新宿の家も焼ける。
兄弟の高円寺の家も焼ける。
その他、嘘だか本当だか判らないが100件以上所有していたという借家も焼ける。
三鷹は無事。
外に出てみると、夜なのに東の空が真っ赤に燃え上がって明るかったそうだ。

遂にじいちゃんにも赤紙。

と思ったら戦争終結。

贅沢禁止!ということで生業(金細工職人)がご法度になる。
営業していないか確認する為にGHQが土足でガサ入れ。
たまたまその日が定休日だった為、難を逃れる。
が、他の一族は逮捕される……。

保証も無く職を失った祖父は、家族を食わせる為に、 千葉の方へ魚を仕入れて帰ってきて売る魚屋やったり、 ピーナツ屋やったり、芋屋をやったり、飴屋をやったり、 10以上の商売を転々とする。
ダンボールに書いた「時計修理します。」から、時計屋へ。

今じゃ夫婦そろって七福神のような福徳とした表情。

禍福は撚える縄の如し。
人間万事塞翁が馬。

で、何が言いたいかというと、 上手くいかなくなってきたから壊しちゃぇというのは、 食うことに本当に困った事のない戦後生まれのぼっちゃん的発想。
邱永漢氏は、 「日本経済は底をうったのでは無く底が抜けたのだ」と、非常に巧い表現をしていた。
そんな昨今、ついに日経平均がついに「まさか!」の8000円を割り込んだ。
西暦2003年、年初の予測によると7000円(うる覚え)台まで行くと資本不足から、 大半の銀行が潰れるというレポートがあった気がする。案の定、りそな銀行が国有化された。
郵政事業が公社化される。それはつまり郵便貯金の不良債権が表面化するという事でもある。
預金封鎖が起こるのではないか?財政が破綻するんじゃねぇか?あーじゃねぇこーじゃねぇと、 金融不安が起こりうることも容易に想像できる。
何もしない事がリスクになる時代になってきたなと感じ入るところがあった。
どうせ地震一発で無一文になる国。火山一発で滅ぶ文明。
せっかくだから俺もダンボール一枚から商売を始めることにした。

通貨が紙になってもくいっぱぐれねぇぞと。
それが俺が受け継いだ江戸っ子魂。

「宵越しの金は持たねぇ!」これは「宵越しには資産が無くなっている」というのとは道義ではない。
酔っ払うような時は使いきれる額だけ持っとけっ。ってぇ一流のリスク管理なんじゃねぇだろうか。

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