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039 試験管ベィビィ 2004/02/08

体外受精卵の染色体異常や性別などを調べて選別する「着床前診断」がされていたという
ニュースがあった。

またその少し前には
プロレスラーの高田延彦さんと向井亜紀さん夫妻と米国の代理母により儲けられた子供について、
卵子提供者である向井亜紀さんを実母として出生届が日本にて提出され、
法務省の判断を仰ぐべく保留とされている事例がある。

かねてからの懸念とおり科学技術の進歩による出生の選択肢の多様性に、
倫理、法律が後手にまわって現状をうまく捕らえきれていないというのが現状のように感じる。
これら人類の根幹にかかわる種の保存については充分に議論がつくされるべきで、
個人のコラムで切って捨てるべきではないが、
あまりに世間の無頓着具合に相変わらず熱くなってしまうのである。

日本において、緩やかに子供の出生率が低下している。
出生率とは1人の女性が一生のうちに何人の子供を生むかを示す数字で、
男女比がだいたいイコールであることを考えると、
2人から生まれる子供の数が2.0より少ないと言う事は人口が減るという事を意味しており、
出生率が1.2を割り込むとその民族は絶滅するとまで言われている。

もっか絶滅危惧種化しつつある日本民族であるが、
女性の社会進出による共働きの増加、子育てにともなう経済的負担の増加等、
様々な理由が考えられるがやはり一番の理由は時間によるものなのではないだろうか。

一人の子供を育てるには少なからず時間が必要となる。
しかし兎角現代人はセカセカと効率を要求され忙しい。
子供を産むことに対して、女性であれば
すくなくとも妊娠期間によるキャリアの中断が発生するものと考えられる。
キャリアを中断した人に対して再受け入れ態勢などが
まだ整っているとは言いがたい日本の雇用環境。
それらのリスクをできるだけ抑えようとすると、
子供を産まない事が最大のリスクヘッジになってしまっているのではないだろうか。

子孫を残すという行為自体をリスクにしてしまったご時世はなんとも言いがたいものがあるが、
ここでさらに問題になってくるのが経済的な手法によるリスクヘッジである。

日本では比較的少ないが、儒教思想を持った韓国などの国では男子を産みたいという嗜好がある。
また、生涯に生む子供の数がすくないということは、
先天的な病気や遺伝子由来の病気の子供はできるだけ避けたいと思う気持ちも強くなる。
そこで取りざたされるのが中絶による産み分けであったり、着床前診断である。
個人的な感想を言えば、私は遺伝子を操作することなどが神の領域などとは思わないし、
受精卵をスクリーニングすることに倫理的な問題があるとも思わない。

ただ、問題だ!と強く思うのは、
経済的な問題により、
それらの治療行為や選択行為を受けられる人と受けられない人がいることだ。
植物にしても動物にしても人工交配や品種改良で守られたサラブレットと、
野生雑種が存在するように、人間にもそのような括りができてしまう。
おそらく遺伝子的に見ても2〜30%の違いがでてくるだろうし、
例えばIQが生まれた時から倍も離れた人間が明確に存在しだした場合、
共存できるだろうか?
代理母を依頼する経済力を持ち合わせた女性が、
中断することなくキャリアをつくりあげた場合、
収入格差はさらに開くのではないだろうか?

なまぬるい平等主義をかかげる気はないが、
経済的な格差が偏見差別以上のほんものの差別化が生み出されることを強く懸念する。
人間の寿命は80年もある。
毎年違うバージョンの最新型人間が量産された場合、
windows3.1のパソコンとwindowsXPのパソコンが会話するより
もっとシビアな時代になるに違いない。
その時我々はwindows3.1以外のなにものでもないのだ。
貧富の格差が一定以上広がれば文明が滅ぶことは歴史により証明されている。
さて、産業革命以降の文明はいつまでつづくやら。

国が将来的な戦略・政策をもって取り組まないと、
個人でバラバラにやらせてたらそれこそ年金問題どころじゃないぞ。
年金どころか次世代人類から姥捨て山だ。
			
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