玉青苑関係者 黄檗瑞光院住職・岡田亘令、庭匠・平岡嗣雄、南画画伯・直原玉青
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滝組 此の滝は3段滝、作庭時は2段滝だったがその後1段加えた。滝組はこの庭を代表する顔であり,滝組を主にこの庭は展開している。蹲踞 布泉形鉢前(私の好みの設計)黄檗瑞光院の門を入った左手に構えている。バックにはてっぽう垣、その垣を見越して奥に本庭が展開している。

八つ橋 八つ橋は迂回路として配置、そして鑑賞者が池の中に位置できるように配慮した。

鉢前 廊下から使える手水鉢(棗形)この鉢前にも水琴屈を仕込んであり、三角袖垣は私のオリジナル、

−庭設計の解説−

この庭は、「真、行、草」の心を持つ、主に石組み(石の数約150石)に依って構成されている。本座敷からの眺めが真」の姿、第二の座敷からの眺めが行」の姿、門入った処からの眺めが草」の姿。

真」【真の石組】は、これは混じり気のない、ものの核心を捕らえた格調の高いもの。

行」【行の石組】は、真の様に堅苦しいものではなく、自然調のもの。 

草」【草の石組】は、遊び心を充分に、流動的なもの。 (真、行、草は、書道、華道、俳階等でこの語はよく使われる) 

そもそもこの庭は、この寺の住職が蓮池を作ろうとの考えから相談、依頼を受け、その談合の中に南画の先生がおられ、三者会合となり話はとんとんと進み2年の歳月を掛けて完成した。寺は禅宗であるから禅宗に因んだ庭は?と考えた結果、庭の中心に座禅石(【意】静座して精神を集中し,無心無言のうちに悟りを求める修行。)を据えるところから始まり、石組を進めていった。

真、行、草の真」は、お釈迦様の教えを意味し、人に、或時は厳しく、或時は優しく慈悲深く、或時は無心の境地に導かれ、個々に持つ仏心を悟され、この庭を見る人に煩悩を離れた安らぎを与えようとしている。 

真、行、草の行」は、仏に仕える僧侶達を表現、お釈迦様の厳しい教えを受けた僧侶達は、あらゆるものの心を、この庭を見る人に、優しく伝えようとしている。 

真、行、草の草」は、人の持つ煩悩を表し、(貧、瞋、癡)(1)貧欲(むさぶること)、(2)瞋恚(にくみいかること)、(3)愚痴(迷いまどうこと)の三毒を意味するが、この庭の場合は、そんなに厳しく考えないで楽しい「欲望の世界」ぐらいの軽い考えでいい。従ってこの庭は、門を潜って奥に行くにつれ、厳しい世界に入っていく仏教界を抽象しているが、しかしそんな意味とか、庭に託した心は作者の自己満足の領域であって、この庭は見る人の、見たまま感じたままでいい、それが個々に与えるこの庭の持つ味かも知れない。作者 平 岡 嗣 雄