[入門から63年]庭匠平岡次雄
庭創りに励んでいる 「石組は人には任せられない」
コンセプトはもっぱらおもうが儘に石組を・・・・・
入門から10年 入門から10年経てば一区切りで、私も小さい庭作りぐらいさせて貰えるだろうと思っていた、しかし、どっこいそうは問屋が卸さない。 その頃も、うるさい先輩達、二つ年上の兄が居て、当然では有るが、職場では兄は私より2年先輩であった だから優先権を握っている。兄は又、この仕事に適性が有るのか、要領がいいのか、叱られる事も少なく、先輩達に調子を合わせるからか先輩達にも大事にされ、受け入れられていた、親方(親父)の指揮取る庭作りに口出しても、それを参考にされていた。 私がその暗いトンネルから抜け出すには、森田療法と言う治療を、と言うより森田療法をマスターせねば成らなかった。森田療法とは哲学的、心理学的な療法で、=有るがままに=と言う療法である。【それは入院から3日間は臥辱期間と言って食事、用足し以外はズーと寝てなければいけない。そしてその間は人と一切口を利いてはいけない。4日目から毎日日記をつけ、先生のチエックを受ける。例えば、先生から「有るがままに居て、1日の経過を書きなさい」と言われ、私は、『今日の昼頃、胸が締め付けられるようで、気持ちが落ち込み、淋しい気分に成った、だから有るがままに居る様に努力しました。』と書くと、先生が赤ペンで「努力しなくてよい」とその部分のチエックがある。と言った具合にところどころ印が付いて日記が帰ってくる。その他食後に精神安定剤の支給、個々の症状に応じて軽い作業療法等がある。私にはこの=有るがままに=を会得するには相当時間が掛かった。 (ト)設計図1 |
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1992年 苑」を1991〜1992にかけて作庭 この寺は黄檗山万福寺塔頭・瑞光院・住職:岡田亘令 住職から「ハス池」の依頼があった 丁度その折り瑞光院の襖絵を画いた南画家直原玉青先生がこの作庭に参与した 住職:岡田亘令・南画家直原玉青先生・庭匠 平岡嗣雄の3人の会談の中で私は二者択一の提案をした それはbusiness(ビジネス)としてか庭匠 平岡嗣雄の作品としてかであった植植栽栽 植栽
2012-10記述 幼少の頃から他人(ひと)と遊ばなかった 庭心 幼少の頃から他人(ひと)と遊ばなかった 「58年度エッセイから」 石の
[[2012エッセイより] 石組-1 私にとって「石組」は私の言葉で有り 文章で有り また絵画や彫刻でもある 背景 庭の背景は庭創りに於いて最も重要な課題です 庭を生かすも殺すも背景次第であります この部分が整理されて整うことによって すかっとした庭になり石組も冴え冴えと表現できます といっても庭スペースの一番奥の仕切りまでは思い通りに手を掛けることが出来ますが借景については弄(いじ)ることは出来ません 隣接するご近所さんに耐えがたい風景が時たま有ります
私の作庭手法
「技」は盗め!!2012128筆
以上の総合したものを兼ね備えた上でも幾ら名人でもこの「10」だけは本人が持つ感性だから「教える術がない」
庭は生き物だから庭の完成は不可能と言って過言でない
赤松は和風の庭よりむしろ洋風の庭によく調和する特に此の図面はオブジェを設置することで 洋風的なイメージが強く成る
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方丈記(鴨長明)ゆく河
行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて,久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。
たましきの都のうちに棟を並べ、甍(いらか)を争える高き賤(いや)しき人の住(すま)まいは世々を経て尽きせぬものなれど,これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家は希なり。
或いは去年焼けて,今年作れり.或いは大家ほろびて小家となる。
住む人もこれに同じ・所も変わらず、人も多かれど、いにしえ見し人は、二三十人が中にわずかにひとりふたりなり。
朝に死に夕に生まるるならいひ,ただ水の泡にぞ似たりける。
知らず、生まれ死ぬるいづれかたより来りて、いづかたえか去る。
また知らず、仮の宿り、誰がためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。
その主(あるじ)と栖(すみか)と無情を争ふさま、いはばあさがほの露に異ならず。或は露落ちて、花の残れり。
残るといえども、朝日に枯れぬ。
或いは花しぼみて、露なほ消えず。
消えずといえども、夕べを待つ事なし。
滝組 此の滝は3段滝、作庭時は2段滝だったがその後1段加えた。滝組はこの庭を代表する顔であり,滝組を主にこの庭は展開している。蹲踞 布泉形鉢前(私の好みの設計)黄檗瑞光院の門を入った左手に構えている。バックにはてっぽう垣、その垣を見越して奥に本庭が展開している。
八つ橋 八つ橋は迂回路として配置、そして鑑賞者が池の中に位置できるように配慮した。
鉢前 廊下から使える手水鉢(棗形)この鉢前にも水琴屈を仕込んであり、三角袖垣は私のオリジナル、
−庭設計の解説−
この庭は、「真、行、草」の心を持つ、主に石組み(石の数約150石)に依って構成されている。本座敷からの眺めが「真」の姿、第二の座敷からの眺めが「行」の姿、門入った処からの眺めが「草」の姿。
「真」【真の石組】は、これは混じり気のない、ものの核心を捕らえた格調の高いもの。
「行」【行の石組】は、真の様に堅苦しいものではなく、自然調のもの。
「草」【草の石組】は、遊び心を充分に、流動的なもの。 (真、行、草は、書道、華道、俳階等でこの語はよく使われる)
そもそもこの庭は、この寺の住職が蓮池を作ろうとの考えから相談、依頼を受け、その談合の中に南画の先生がおられ、三者会合となり話はとんとんと進み2年の歳月を掛けて完成した。寺は禅宗であるから禅宗に因んだ庭は?と考えた結果、庭の中心に座禅石(【意】静座して精神を集中し,無心無言のうちに悟りを求める修行。)を据えるところから始まり、石組を進めていった。
真、行、草の「真」は、お釈迦様の教えを意味し、人に、或時は厳しく、或時は優しく慈悲深く、或時は無心の境地に導かれ、個々に持つ仏心を悟され、この庭を見る人に煩悩を離れた安らぎを与えようとしている。
真、行、草の「行」は、仏に仕える僧侶達を表現、お釈迦様の厳しい教えを受けた僧侶達は、あらゆるものの心を、この庭を見る人に、優しく伝えようとしている。
真、行、草の「草」は、人の持つ煩悩を表し、(貧、瞋、癡)(1)貧欲(むさぶること)、(2)瞋恚(にくみいかること)、(3)愚痴(迷いまどうこと)の三毒を意味するが、この庭の場合は、そんなに厳しく考えないで楽しい「欲望の世界」ぐらいの軽い考えでいい。従ってこの庭は、門を潜って奥に行くにつれ、厳しい世界に入っていく仏教界を抽象しているが、しかしそんな意味とか、庭に託した心は作者の自己満足の領域であって、この庭は見る人の、見たまま感じたままでいい、それが個々に与えるこの庭の持つ味かも知れない。作者 平 岡 嗣 雄