(庭匠 平岡嗣雄の戸籍名)

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    庭師の二代目として

初代(親父「平岡常朝」)は石組が得意で 

それに魅せられて庭師入門した

石を組むと言うことは言葉で言い尽くせない

突然別世界に誘導された感じ

石組の立体的な空間に心を奪われ

この歳(72才)まで来てしまった

私の進路は庭師でなかった

石組の引力に負けて

自分本来のやりたいこと

やれず仕舞いで石組に明け暮れた

石組に対して特別センスがある訳じゃなく

愚直の一念の人生だったな!

しかしここに来てやっと

強引に私を

この道に連れてこられた意味が

分かった

親父は凄い!

将来を見通して私が「よかった」・・・と思うことをよみ

私は

これからが本番

まだまだ組みまっせ石を・・・・・

石組と共に生きてきた半世紀

石組って何だろう? 

初めは石組の意味が分からなかった

親父(親方)はくどくど御託を並べないが 

親父(親方)の組む石組には何ものにも比較出来ない魅力

と言うか観る人に訴える何かがあった

 その石組は生きもののように私に何か語り掛けて来るような風に感じた

 なので私も何か話さないと悪いような感覚に陥った 

で思わず「すごい!」と言った

 石組に出逢って最初に発した言葉でした 

その瞬間から石組は私の人生を釘付けにした 

それ以来石組と私は喜怒哀楽を共にして来た 

しかし石との関係にも相性があって 

初対面で好きになれない石

逆に惚れ込む石

好きな石と云ってもいろいろあって

人が人と出会うように石との出会いも又然り 

石の方も私を好きになってくれないと私の云うことを聞いてくれない 

又石同士も相性があり

「彼奴と組むのは嫌だ!」など我が儘を云う 

そんな石達を宥めながら

私と石は

戯れるように遊び気分で石を組む 

調子がついてくると1日にかなり仕事は進むが

一寸つまずくと1日に一個も据わらない

いつの間にか石に私が操られている


石組の心を組む

石組には希望を託したり 縁起を担いだり ものの抽象象徴表現 風景の写実縮小表現

等したその空間構成は日本庭園には不可欠な作庭者から鑑賞者への 

特に庭匠平岡次雄から鑑賞者へ見せたい媒体であります 

私自身此の魅力に捕らわれ 又拘り

入門以来58年間この道を歩き続け今日に至りました

現在では石の顔さえ観れば何時でも何処でも即興で石組が出来ます