京都庭常homepage |
他人(ひと)に支配されない |
他人(ひと)に拘束されない |
他人(ひと)に私の軌道を侵されない |
他人(ひと)と妥協できない |
他人(ひと)と協調出来ない |
ご玉青苑
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自分は他人(ひと)と全てが違うのだと 支配 拘束 妥協 協調など無意識のうちに避けている
これらが自然にできる人を私はエライと思う 社会で生きていくための少なからずルールかも知れないし知らず知らずのうちに生活の知恵として培われたことでしょうが 大概の人が同じであり私には出来ない事だ 私はこれも無意識のうちに独自の世界 環境を築こうとしている庭職人です |
幼少の頃から他人と遊ばなかった 幼児〜1年生までで1人 小学時代で1人 中学時代で2人 高校時代で無し 社会人になって無しといった具合に親しく付き合えた友達は現在に至って4人 その内1人は消息が途絶えた ほか3人は[癌 クモマッカ 自殺}で亡くなった 私は私の創る庭の「一石一木」について述べている訳で 一石の持つ意味 一木の価値 それらに付いて詳細に説明している文書に 彼はレポートの意味も理解しないまま聞き慣れない言葉に即反応して「一木一草」と口走った 「庭心」とは庭創りしているときの心の動き flash(閃き)集中力 無心 素材とのdialogue(対話)構成の楽しさなど全て自分が切り拓いていく手作りの世界である 「庭心」については語り尽くせない深いもの 私特有の遊び エロス 趣向の他人と共有できないものがあるから独りぼっちの寂しい世界と見られるが 私は逆に大勢の中にいるより充実する 他人(ひと)から見れば場当たり的な庭創り 場当たり的な生き方と非難を浴びるだろうが それが隠しもしない私の現在の姿だろう が私の感性 感情 閃きプラス ノウハウが即庭創りに繋がっていて現在に至っている 生きた芸術作品それが日本庭園 庭園と向き合っていると自然っていいなアと気持ちの拘束から解き放たれた感じがする 狭い空間の息苦しい圧迫感から解放される そして庭の方から清々しい優しい言葉を掛けてくれるような雰囲気さえ与えてくれる 組まれた石の空間から覗く表情 柔らかく包み込む樹木(きぎ)backmusicを奏でる滝の落ち水 水琴屈 蹲踞の筧 小鳥の囀り 雨の音 風のざわめき等々が日替わりの顔を魅せてくれる 「庭心」は天候と深く繋がり瞬間々々に天候と比例して違った表情をつくる 手を |