他人の目

「もし、犬の目にはどの犬も人間に見え、どの人間も犬に見えるとしたら? もし、犬がぼくを見て、ぼくを犬だと思い、自分を人間だと思うとしたら?」
その後に、一度こんな破壊的な考えがうかんだこともある−
「そして、もしその犬が正しいとしたら?」

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ご覧の通りの書評…、というかレビューなんですけど、なんか「MILK SOFT」の文体そのままになってますね。うーむ。

最新のお題

きみの血を

著者:シオドア・スタージョン
原題:"Some of Your Blood"
訳者:山本光伸
出版社:早川書房 ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックス
ISBN4-15-001147-8
おそらく版元品切(98.4.8現在)
評価:+1(-3〜+3の7段階)
魅力的な発端、簡潔な構成、渋滞の無い文体、あっさりとした結末。実に気持ちよく読み終わることができた。

謎めいた言葉に誘われるまま覗き込んだドクター・フィリップ・アウターブリッジのファイル。これはフィクションだからという言葉に安心して読みはじめた物語は、発表された60年代初頭にはかなり衝撃的だったであろう代物だ。

軍の精神科医の元に送られた一人の兵士、一見正常にみえる彼の心の奥に秘められた狂気の正体とは何か。精神科医は、彼に物語を書かせることでない面を探ろうと試みる。そこに描かれた自伝的物語には、虐待を繰り返される少年の姿があった。少年の心は、暴力と孤独の前に深く静かに病んでいく…。

兵士/少年の狂気の正体は、病んだ現代の目には平凡なものと映るが、見るべきはそんなところではない。物語の底に流れる狂おしいまでの孤独だ。

スタージョンの主人公たちは孤独だ。「めぐりあい」のぼく、『夢みる宝石』のホーティ、「孤独の円盤」の女。誰もが、自分には何の責任も無い、圧倒的な孤独の中で生きている。その彼らと比較してすら、『きみの血を』の兵士の孤独は一段と深い。そして、その孤独は、狂気は、美しい。

主人公の狂気とはなどというミステリの要素は些末なこと。
味わうべきはスタージョンの美しき孤独、そして静かなる狂気だ。

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大ハード。

未来放浪ガルディーン外伝2
著者:火浦功
出版社:角川書店 角川スニーカー文庫
備考:作品集
ISBN4-04-162709-5
評価:+1(-3〜+3の7段階)
あの伝説の超遅筆作家、火浦功の本当に久々の新刊だ。ガルディーンの1巻が86年、2巻が87年、「3巻が出ないね」と対談で語るイメージアルバムが88年、この後、火浦はとんでもない大スランプに陥り2年に1冊も新刊が出ない状態に陥る。外伝の1巻がやっとでたのが94年、この本収録の作品、「シェルブールの三度笠」が同じく94年で、「大ハード。」が94年秋、95年春、6月、そして97年8月(!)である。シリーズものの新刊が4年ぶりに出るというのも人をなめた話だが、中篇連載の最終回が2年ぶりに載るというのも無謀な話だ。マニア読者しかいない、純文誌やSF誌ならともかく、掲載されたスニーカーはヤングアダルト誌なのだから。

まあ、でた以上は文句は言うまい。主人公たちは作者も飽きたのか、どうでもいいという雰囲気が濃厚に漂っているが、ジョージ<無謀王>ヴァルマーの青年期を描いた「大ハード。」は『ファントム・レディ』などの作者得意のコメディタッチを加えたライト・ハードボイルドに仕上がっており、会話の魔術師・火浦功が健在であることをうかがわせてくれた。

もう、いまさら彼に多くを期待する気はない。今回のように突然驚かせてくれればそれで良い。今回の文章レベルさえ保っていてくれるのなら。

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すごい科学で守ります!

特撮SF解釈講座
著者:長谷川裕一
出版社:NHK出版
ISBN4-14-080364-9
評価:+1(-3〜+3の7段階)
正直、最初に手に取ったときはまったく期待していなかった。『ウルトラマン研究序説』の、あるいは『空想科学読本』のn番煎じとしか思えなかったのだ。表紙に長谷川裕一の名が無ければ手に取ることも無かっただろう。
『ウルトラマン…』の発想は素晴らしかった。なにより、同人レベルでしか流通してなかったこの手のマニア研究本が商業レベルで通用することを見せた功績は大きい。しかし、いかんせん空想の骨組みとなるはずの部分が、現実に引きずられ足枷となることが多かったため、あと一歩のることができなかった。
『空想科学読本』も良い本ではあった。空想を語る際には足枷となる科学を逆手にとり、どんな荒唐無稽な設定も現代科学技術で評価するその姿勢は一種清々しささえ覚えるものだった。しかし、反面空想の魅力を十分に捕らえているとはいいづらい。
この本は、そのような失敗から見事に逃れている。前書きにあるように、「科学」考証ではなく、「SF」考証を目指したことが勝因だろう。その甲斐あって、「荒唐無稽を論理の鎖で結び付ける」センス・オブ・ワンダー(笑)あふれる作品になっている。

おっと、まだ中身にふれていなかった。これは最後のSF少年マンガの書き手ともいわれる(いわれてないって)長谷川裕一が、96年のDAINA☆CON、97年のあきこんで行った「東映スーパー戦隊のSF考証」に関する講演をベースにまとめたものである。基本的には、敵側の設定をもとに味方ロボットの設計の理由付けをすることで地球側の防衛体制を明らかにするという形になっている。「バトルフィーバーロボの電光剣は刀鍛冶・電光が鍛えた全長30メートルの本物の日本刀だ」などという、やや安易なくすぐりもあるが、商業主義まる見えな、2号、3号ロボの存在や、金型の使いまわしが原因であろうデザインの類似をあくまで論理で説明する姿は、作品と、なにより架空論理に対する愛情が伺えてたいへん微笑ましい。圧巻は大星団ゴズマの来襲をキーワードに初期戦隊(具体的にはチェンジマンまで)のすべてのロボットが非常に論理的に説明されるあたりで、ここらへんには僕のSF魂を大変刺激させられた。後半の、ファンタジー戦隊以降はやや諦めが目立つ点も否めないが、ライブマンまでの世界を「S.U.P.(Scientific Universal Protection)」に支援された人々「SUPer戦隊」の活躍として総括するあたりには非のうちどころが無い。戦隊物を一度でも愛したことがある人ならこの面白さはきっとわかっていただけると思う。

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