!!!!!!!!祝・横浜ベイスターズ優勝!!!!!!!!


本当のトップへ

一度に一日ずつ人生を生き、その一日一日は、
数十年おきにめぐってくるのだ。

1998年10月8日

万歳!万歳!万歳!
1998年10月8日8時56分、横浜ベイスターズが、ついにリーグ優勝した。もう何の言葉も無い。

そう、今日は大変だったのだ。明日締めの仕事が大量にあることがわかったのが、16時過ぎ。18時、甲子園で対阪神27回戦が開始したときには、今日はそう簡単には帰れないという覚悟ができていたほどだった。
仕事は遅々として進まない。19時をまわってはじめて覗いたIFCで、2位中日が大量リードし、横浜が1点ビハインドだと知ったときは、優勝が明日になってくれるかと喜んでいたりした。しかし、20時20分だっただろうか、再びIFCを覗くと、なんと横浜が逆転している!
さあ、大変なのである。よりにもよって8回表で逆転してしまったということは、裏からは佐々木が登板してしまうのだ。読売や、ヤクルトならともかく、完全に勝利へのモチベーションを失っている阪神相手では、佐々木がどんなに低調だったとしても逆転されるとは思えないのである。今日、優勝してしまう。
とりあえず、とっとと会社を出る。何といっても時間が半端だ。中野から西葛西まで帰っていては確実にゲームは終ってしまう。さて、どうすれば胴上げのシーンを拝むことができるのか。飯屋に入ればテレビがあるかもしれないが、中継をやっているとは限らないし、そうなると今度は出るのが難しい。
とりあえず、ラジオだ!9時前にラジオを流している場所は思いつかないが、コンビニに行けばラジオそのものも売っているかもしれない。中野駅前を通り過ぎる間にそこまで考えをまとめ、コンビニを探しに行くことにする。行けども行けどもコンビニが見つからないことに焦りながら南に進む。やっと見つけたファミリーマートに飛び込んで、ラジオを…無い。まあ、そりゃないか、と気持ちを切り替え、とりあえず中野駅に戻りながらラジオを売っている店を探す。
古本屋だのなんだのというどうでもいい店は幾つか見つけたが肝心のラジオが見つからない。暗澹たる思いで中野駅に着きかけたとき、ふと入った横道でパチンコ屋の前に人だかりがあるのに気づいた。これは!と思い近づくと、道路に面したテレビが横浜の試合を映している!!!ありがとう、名前も知らないパチンコ屋!
画面に映っているのは抑えの切り札、佐々木主浩。回は9回裏、阪神最後の攻撃だ。得点は4対3、横浜わずかに1点リード。バッターボックスに立ったのは3番濱中。クリーンアップに続く場面だ。
佐々木が振りかぶって濱中に投げ込む。フォークが完璧に決まり2ストライク。続いて投げ込た第3球…、濱中はセンター前に打ち返し出塁した。フォークが高めに浮いている。さしもの佐々木もあがっているのか?続くバッターは大豊。何でも斎藤隆から逆転のツーランを放っているらしい。一打逆転の場面である。
一塁を一瞬気にした佐々木。向き直って大豊に向かって投げた。ストライク。大豊のバットは次々と空を切る。三振だ。球場のテンションが一気に高まる。中野のパチンコ屋の街頭テレビ前にも静かなどよめきが走る。いつのまにか30数人の人々が集まっている。なかなか異様な雰囲気だ。
続く和田も三振、ツーアウトだ。あと一人。迎えるバッターは新庄。3アウトか、サヨナラホームランの終ったも同然の場面となる。最後のバッター新庄に向かって佐々木が投げる。ワンバウンド!谷繁が主審にアピールするが、塁審のジェスチャーはセーフ。ワンボールだ。これに焦ったか、続く投球も低めに外れる。ノーツー。場の雰囲気がやや弛緩する。新庄は四球か? 第三球。ボール。高めに外れた。ノースリー。セントラル最大級の安全牌の5番に四球となると、今日の優勝はないのか?
ここで佐々木は開き直った。第四球、新庄のバットは空を切る。ストライク!ワンスリーだ。続く投球も新庄が完璧な空振りをし、ツースリー。ついにここまで漕ぎつけた。マジック1、9回裏ツーアウト、ツースリー、最後の1球。佐々木が谷繁のサインに肯き、第6球、最後のボールを投げた。

落ちた。フォークだ。

新庄のバットがこれ以上無いというような泳ぎかたで空を切る。三者連続三振。佐々木がこぶしを突き上げた。その瞬間、横浜ベイスターズ6年目にして初の、横浜フランチャイズ球団21年目の、そして大洋ホエールズ・大洋松竹ロビンス・横浜大洋ホエールズ・横浜ベイスターズ38年ぶり2回目の優勝が決定した。
選手たちがグランドに走りよる。権藤監督が静かに、やがて小走りにその輪の中に近づいてゆく。胴上げだ。権藤の長身が甲子園の夜空に舞う。街頭テレビの前から人々が立ち去る中、一人その場に佇み優勝の味をかみしめ続けた。

ホエールズを応援しはじめたのは、いつだっただろう。常勝赤ヘルの立役者、古葉監督が就任したと聞いたのが興味を持つきっかけだったと思う。豊・博一・屋鋪のスーパーカートリオ、斉藤明夫の気迫のピッチング、パチョレックの勝負強さ、レイノルズの無意味な速さ。それなりに好きというだけだったチームを本格的に応援しはじめた年は今も鮮やかにおぼえている。1992年だ。この年のホエールズは変なチームだった。先発はボロボロで先取点を取られるのが当たり前。野手はやる気無く、凡退を繰り返す。しかし、中継ぎが奇跡的にゲームの形を作り、7回盛田にバトンを渡すとゲームが急に動き出すのだ。レイノルズの逆転タイムリー、シーツの逆転ホームラン、8回の裏驚異的な集中打で逆転をすると、9回、昨年から抑えの切り札的存在となった佐々木がマウンドに。この逆転のダイナミズムこそがホエールズ野球の醍醐味だった。この年、盛田はなんと中継ぎでありながら、規定投球回数に達し、最優秀防御率のタイトルを手にした。挙げた勝利も14勝。92年の盛田ほどセットアッパーの名にふさわしかった投手もいない。

あれから、もう6年がたつ。93年チームは横浜ベイスターズと名を変え、大きく選手を入れ替えた。現在の主力のほとんどは横浜ベイスターズとなってからレギュラーの座を勝ち取ってきた選手だ。そして、今年、盛田がチームを去った。僕の愛した横浜大洋の選手は今では数少ない。

しかし、今年のチームは強かった。チーム打率は12球団トップ、チーム防御率は12球団2位、優勝しなければおかしいほどの戦力だ。そして、権藤の采配は強力な戦力を無駄なく勝利に結び付けた。

開幕カード、対阪神3連勝を皮切りに、斎藤隆の復活劇、7月の対読売連続サヨナラ、北海道の対中日奇蹟の大追撃、そして対中日7連勝。
今年の勝利は十分に堪能した。のこり5試合は80勝をめざし、無理の無いように戦って欲しい。そして今月後半の西武との日本シリーズを楽しんで戦ってきて欲しい。ありがとう横浜ベイスターズ。2036年の次の優勝まで、これで生きていけるよ。

本当のトップへ