終わり、そして始まり
・・・・・・痛い、胸が削り取られるように痛い・・・・・・
「・・・俺を殺してよ・・・」
これははっきりと夢だと判っている。でも、この抱きしめた両手に
伝わる温もりは紛れもなく耕一さんのものだった。
さっき結ばれたばかりだったこの人を、私は殺さなければならない。
父さん、叔父さま、そして耕一さん・・・・・
みんな、私の前からいなくなってしまうのね。
私だけを残して・・・
「・・・早く・・・千鶴さん・・・」
耕一さんが震えてるのが 伝わってくる。本当はものすごく恐いのに、
死ぬ間際まで私の事を気遣ってくれるなんて・・・
視界がみるみる熱いもので歪んできた。
このまま、耕一さんを抱きしめたまま、耕一さんといっしょに逝って
しまえたら、どんなに楽なことかしら・・・・・・
でも、私は、私は・・・、妹たちを護っていかなければならない。
それが、父さんとの、叔父さまとの約束だから・・・
「耕一さんっ・・・」
私は、耕一さんの背中に廻していた手をほどき、爪を立てて、その無
防備なところに振り下ろした。
「・・・・・・っ!」
耕一さんの体が一瞬跳ね、そして力を失っていった。
「千鶴さん・・・泣かないで・・・」
そう言って、私の涙を指ですくった直後、崩れ落ちるように私の体に
倒れかかってきた。
「耕一さん、耕一さん、耕一さんっっっっ・・・・・!」
溢れ出る真っ赤な血で全身を濡らしながら、私は力一杯、耕一さんを
ずっと抱きしめていた。
・・・・・耕一さんは、微笑みを浮かべていた・・・・・
・・・・・・耕一さんっ!・・・・・・
はっとして飛び起きる。それと同時に目覚ましのベルが鳴り始めた。
薄いカーテン越しに、うっすらと朝日が静かに差し込んで、部屋を
映し出していた。
「・・・また・・・あの夢ね・・・」
ずっと夢を見ながら泣いていたらしく、両目はまだ濡れていたし、
頬まで流れ落ちていた痕まで残っていた。
ものすごいだるさを感じながらも、私は上半身だけをベッドから起こ
した。
布団がずり落ちてきて下に見えた白いネグリジェも、うっすらと汗を
吸って重くなっていた。
「あれから・・・3日ね・・・・・・・」
ほつれた前髪を押しのけて、額に右手を当てる。
耕一さんを、私の手で・・・殺してしまった日の晩から3日。あれから
毎日、あの時の光景が夢で蘇ってくる。
そして、それは今回の本当の事件の犯人を倒した日。
耕一さんが、私の腕の中で崩れていこうとしたときに、奴は私に襲い
かかってきた。
完全に不意を突かれた私は、奴の体当たりをまともに受けて、耕一さん
もろとも、湖に転落してしまった。
単純な「鬼」としての力は、奴のほうがずっと上だった。けれど、耕一
さんを失った怒りと悔しさが、私を奴に勝たせてくれた。
奴にとどめを刺した後、あわてて耕一さんを捜しに湖の中に飛び込んだ
けれど、結局、あの人は見つからなかった。かなり広い上に、堆積物等が
多いため、一度見失うと再度発見するのは困難だった。
「・・・耕一さん、耕一さぁぁぁん!・・・・・うぅっ・・・」
やがて朝が白み始める頃、私は水門に突っ伏して泣き崩れた。
”私が・・・私が・・・耕一さんを殺してしまった・・・・”
ただ、何かの拍子で意識を共有していた為に、犯人と同じキズを付けて
しまい、それを証拠として・・・私は・・・
・・・耕一さんは・・・自分を殺そうとした私に対しても、本当は
凄く恐いはずなのに、私のことを気遣って、微笑んでいた。
「・・・千鶴さんを苦しめたくないから・・・」
そういって、私を優しく抱きしめてくれた。
あのとき、両手に廻された腕の暖かさ、流れ落ちる私の涙を掬って
くれた指の柔らかさ・・・
全てはリアルな現実だった。幻なんかじゃ無かった。
けれど、あれからは毎日、夢として記憶が蘇る。
・・・・・それは、私が罪を犯したから・・・?
耕一さんを、何の罪もなかった耕一さんを殺してしまったから・・・?
ジリリリリィ・・・・
目覚ましが鳴り続けていた。5時30分。梓もそろそろ起き出す時間
だった。
「また、仮面を被らなければいけないのね・・・」
ぽつりと呟く。
あの事件の翌朝、耕一さんは急用が出来たから深夜のうちに帰った、と
妹たちには話して有った。もうみんな寝てしまってたので、私だけが見送り
した、と。
・・・・・本当の事なんて、言えるわけ・・・ない・・・・
本当に、隠し通せるのか、私にも全然自信は無かった。
とても重い荷物を心に残したまま、また1日を過ごす・・・
いつ解放されるか、全く判らないまま・・・
いや、もしかしたら自分自身で良く判っているのかも知れない。
「永遠」に、この重い物を胸にしまったままこれからは生きて
いかなければならないという事を。
そして、解放されるのは、そう、この世から消え去るまで・・・
「向こうの世界」で、耕一さんに会えるその時まで・・・・・・・
「おはよう・・・」
洗面所で顔を洗い、身支度を整えてから、台所に顔を出す。
「お〜〜っす、千鶴姉ぇ」
「おはよう、お姉ちゃん」
振り返りもしないで朝食と学校に持っていく弁当の準備をしている梓と、
それを手伝っていた初音が制服姿で元気に動きまわっていた。
「あ、初音、醤油取って」
「は〜い」
梓があれこれと指示を出し、それに素早く的確に対応する初音。
こうして見ていると、実にいいコンビである。
つい笑みがこぼれてくる。この瞬間だけは、ただの普通の家庭の姉妹に、
何も重い運命なんて知らない家族に戻れる気がする。
「私も何か手伝う?」
そう私が腕捲くりをしながら台所ののれんを分けて入ろうとすると、
「よせぇ〜〜〜〜〜っ!」
「大丈夫だよぉ〜〜っ!」
言葉は違うが、見事にハモった返事が戻ってきた。
「これ以上食器壊されてたまるかぁ〜〜っ!」
これは梓。ずいぶんと遠慮無く言ってくれるのね。
まぁ、不器用なのは判っているけれど、こうキッパリ言われるとちょっと
憤慨してしまう。
「失礼ね、そんなに壊してないわよ!」
「普通は壊さないんだよ!、月に一回、食器セットを買ってくる家庭って
のはウチくらいなんだぞ!」
「・・・・・・・・・・・」
「あ、千鶴おねぇちゃん、ここは大丈夫だから、楓おねぇちゃんを
起こしてきてよ・・・」
お皿を並べながらの初音。この娘の微笑みで言われると何故か気持ちが
落ちついてくる。
「じゃ、楓を起こしてくるから・・・・・」
賑やかな台所を後にする。
・・・・・あの娘達は、耕一さんが「またいつか戻ってくる」と思って
いる・・・・
それまで、ちょっとの間、また会えなくなるだけだ、と。
もし、本当のことを知ったら・・・どうなるだろう・・・?
私のこと・・・許してくれる・・・わけ・・・ないはずよね、きっと。
また、胸がキュッと締め付けられる。
そのまま、階段をあがり、楓の部屋まで歩く。
コン、コン
そして、入り口に「かえで」って書かれてぶらさがっている木のプレートの
あるドアをノックする。
「楓、起きてるんでしょ? 朝御飯出来たわよ?」
そう言いながらドアを開た。
すると楓は、すでに制服に着替え終わっていて、机の上にあった鞄に
荷物を詰めていたところだった。
「おはよう、楓。」
そう声をかけると、楓は静かにこちらを振り向いた。
「おはよう・・・、姉さん」
(・・・・・・・、何かいつもと雰囲気が違うのかしら・・・?)
いつもとかわらないはずの妹。しかし、どこか、何かがいつもと違うのでは
ないかという感覚が、頭の奥で囁いている。
数秒間、お互いにじっとしたままの時間が過ぎた。
「あ、か、楓。もう、みんな居間にいるから・・・」
私は、この雰囲気に耐えられなくなって部屋を出た。
そして、そのまま小走りに自分の部屋に入った。
(一体、どうしちゃったの? 私が?それとも楓が?)
頭の中で、さっきの光景が蘇る。私を見つめている、あの楓の瞳。あれは
なにか何処までも見通しそうな、見通そうとしている様な感じだった。
ふと、池に落ちていく耕一さんの光景が頭をよぎった。
「一体、どうして・・・・・・ま、まさか・・・・・・」
全身の血が一気に引いた様な気がした。
(まさか、まさか、楓は知って・・・・・・?)
ドキドキドキドキ、と心臓が早鐘のように打ち出し、全身から冷たい汗が
吹き出てきた。息苦しい。
(でも、あの事は誰も知らないはずなのに)
自分が、耕一さんを殺してしまった罰はどの様に受けてもいい。
私は、決して許されない過ちを犯してしまったのだから。
ただ、妹たちが「愛して」いた耕一さんが、もう、この世にいないことを
知ったらどうなるか。父はかすかに記憶の残る昔に。つい先日、叔父が。そしてまた
耕一さんまで・・・・・。
正直、耐えられるのだろうか?
そのことを考えると、とても言えなかった。しかし、楓がもし、真実を
知っているのなら・・・・・・?
(私は、どうすればいいの?)
ベッドの隅に飾った写真立てをみる。そこには、私と二人で並んで微笑んでいる
耕一さんの姿があった。
(耕一さん・・・・・)
「千鶴姉ぇぇぇぇぇぇっっっ!」
1階からの梓の叫び声に、ふと我に返った。
(まだ判らない・・・けど、もしかしたら・・・)
胸にさらに重い荷物を作って、私は部屋を出た。
(確証はないんだから、まだ様子を見ないと)
まだ夏の名残が強く残っている朝の、少し温かい土と緑の匂いを乗せ
た風が、網戸から流れ込んでくる。
今日も、また、暑くなりそうな一日。
耕一さんが居なくなっても、同じように時間だけはまた動き始める。
心に重い荷物を背負ったままの一日の始まり。
忙しく食事の後片づけや学校の支度をしている梓に怒鳴られながらも、
初音にも不思議そうな表情で見られながらも、私は、楓の事で頭が一杯
だった。
・・・・・結局、その日は楓は朝食を取らずに学校に行ってしまった為、
居間で顔を合わすことはなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして、その日の昼下がり、妹たちはみんな学校に行って誰も居なくなった
柏木家の玄関を私は入ってきた。
「どうしても気分がすぐれないんで・・・」
そう言って、社長室から帰ってきた。実際、今日の私は書類の決裁で度々
ミスをしてしまって、秘書に迷惑をかけまくってしまってたので、誰も怪しく
思ったりはしなかった。
靴を脱ぎ、そのまま階段を上がって自分の部屋に向かう。
「ふぅ・・・・・・」
むっとくる熱のこもった部屋の窓を開け、厚手のカーテンを広げて薄暗くした。
そして服を床に脱ぎ捨て、下着姿のままベットに倒れ込む。
ふぁさっ、と柔らかくベットは私を受けとめてくれた。
「耕一さん・・・・・・・・・私、私は、どうすればいいの?」
私は、ここ数カ月、いや、数年間ずっと抱えている気持ちを声に出した。
妹たちの前では決して見せない弱気。見せたのは、そう、あのときの耕一さんに
だけ。お父様や叔父様を失ってから、ずっと張りつめていた気持ちをほどいて
くれたのが・・・耕一さんだった。
水門で、耕一さん自身に流れる「鬼」の血について、そして、その血ゆえに
悲惨な最期を遂げていった叔父様の話。あのひとはまっすぐにその事実を受け入れ、
そして、本当はものすごく恐いはずなのに自ら私の体を抱き寄せた。
視界に広がっていた天井がどんどん滲んでくる。
自分自身の鬼の力がすごく憎かった。もし、私がこんな戦闘力が無ければ、
自ら戦うことなんて無かったのに・・・・・。
手をまっすぐ上に伸ばす。目の前にある自分の手。周りからは「白い綺麗な手」
なんて言われているけれど、そんなのは嘘。
どれだけ人の血で真っ赤に汚れているか、どれほどみすぼらしいか、私が一番
よく知っている。
「こんなに血で汚れた私には、幸せなんて・・・来るはずない、かしら・・?」
自虐的につぶやく。
「せっかく掴みかけた幸せも、自分で壊してきたんですものね、耕一さん。
あなたは天国で待っているでしょうけれど、私は、多分・・・・・・」
自分の手を見続けるのが辛くなってしまい、顔を逸らした。すると、机の上に
なにか見知らぬ白い紙が置いて有るのが目に留まった。
「・・・・・・・・何かしら?」
気怠さを振り払おうと努力しつつ、ベッドから起きあがる。
そして、そのメモらしい紙を見た瞬間、全身が硬直した。そのメモは楓のだった。
「千鶴姉さんへ
夕方、水門で待っています 楓」
朝、私を見ていた楓の表情が頭に浮かぶ。
間違いなく、全てを知っている・・・・・。
私の心に積まれた石が、また重みを増した。
夕方、水門。もう季節も夏から秋へと差し掛かっているのが実感できるかの
ように、あたりは池も空もフィルターに覆われたかの様に金色に染まっている。
ただ、蝉の鳴き声と共にじっとりとくる暑さはまだ残っていた。
その暑さのなか、水門へと続く道を私はゆっくりと歩いていた。部屋で楓の
書き置きを見てからの数時間、何て楓に話していいかを考え、そしてなにも
浮かばないまま時間が来てしまった。
心に積まれた石の重みの分だけ、足取りが重い。
(楓は、一体私に何を言いたいのかしら?)
心の中を幾つもの疑問と不安が複雑に絡み合っている。そしてゴールのない
迷路の中を自分はさまよっていた。
ふわっと、しっとりと暑さを含んだ風が顔を撫でた。
そこで、ずっと先で立っている人影に気付いた。
「楓・・・」
楓が、水門の上に金色に照らされて立っていた。
白いはずの制服が、夕焼けで赤く染まっている。そして、まっすぐに私を見ていた。
どこまでも静かな、けれど何の感情も映さない瞳。先月、叔父様が亡くなってから
ほとんど笑うことも無くなった。耕一さんが来て、変わることを期待したのだけれど、
それは、逆に真実を耕一さんに知られまいとして余計に頑なになってしまった。
楓の2,3メートル手前で歩みを止めた。そして、静かに見つめあう。
「楓、私に話したい事って何? 家じゃ話せないこと?」
できるだけ優しく話しかけた。
「・・・・・・・・・・耕一さんは、どこ?」
抑揚を無くした声で、けれどはっきりとした口調で質問してきた。
私にも、何を訊かれるか位は十分すぎるほど判っていた。
「何を言ってるの、楓?
耕一さんは急用が出来たからってこの間東京に戻ったじゃないの。」
すこし微笑みながら答える。
しかし、楓は何一つ表情を変えることはなかった。
「・・・・・・何処で、どの辺りで耕一さんを殺したの・・・・・・?」
「!!」
私は、動揺を顔に出すまいと慌てて表情を取り繕ったけど、おそらく間に
合わなかった。ドキドキと鼓動が急激に早くなる。
「な、何莫迦なこと言ってるのよ。私が耕一さんを殺すだなんて、そんな事
あり得るわけ無いでしょう?」
そこで初めて、楓は悲しい表情を浮かべた。そして、目を逸らし、水面を見つめる。
「私は・・・すべて知っています。父や、叔父様の事を。そして、あの晩の事も。」
氷水を全身にかけられた感覚に襲われた。
「ど、どうして? 楓、あなたがどうして知っているの・・・・?」
もう隠しようがなかった。父や叔父様、そして耕一さんの事は、柏木家でも今や
私一人しか知らない筈なのに。それをどうして楓が知っているのか・・・・。
楓は、相変わらず視線を水面に伏せたまま、ゆっくりと話し始めた。
「私はときどき、不思議な夢を見ます。そのなかでは、私は居る筈のない場所や
時代を見ています。そして、それが・・・・・・」
そこで少し間が空いたが、私は黙って続きを待った。
「苦しそうにしている父や、叔父様。そして、それを泣きながら見ている母さんや
姉さんの姿。私が生まれる前や、ずっと小さいときの出来事。
幾つか夢を見て、私達、家族の秘密も何だか判った。あの、鬼の様な姿に
変身して、ものすごい力を出せるということ。そして、それと引き替えにしなけらば
ならない悲しい運命・・・・・・・・・。」
そこまで言って、楓は伏せていた顔を上げ、まっすぐに私を見つめた。深い、
純粋な紺色の瞳。その瞳に、私が映っている。
私は、何も言えなかった。すべて、楓は真実を知っていたから。おそらく、
「鬼」の力が楓には戦闘力とは別の形で受け継がれていたのだろう。
私達の中に流れる血には、お互いを呼び合う力もあると昔、父に聞いたことが有った。
その力を、楓は最も強く受け継いだに違いない。
「楓・・・」
全てを知っていながら、それをずっと耐えて接していた妹。
耕一さんに接するのも、きっと辛かったに違いない。耕一さんに伝えてしまえば、
あの人の記憶が、鬼の力が目覚めて暴走してしまう可能性がある。
そのことをずっと悩みながら、耕一さんのことが大好きなだけに、きっと身を
切るように辛かったに違いない。
私は楓を抱きしめたくて、楓に歩み寄ろうとした。しかし・・・
「来ないで!」
楓が叫んだ。
私はその足を踏み出した体勢で凍ってしまった。楓が私を拒んだ事よりも、
その楓が叫んだ台詞が、耕一さんに私が叫んだ台詞と同じ事に気付いて。
「楓・・・どうして・・・?」
「私と・・・闘って下さい・・・」
「!!」
一瞬、楓が何を言ったのか理解できなかった。けれど、楓が力を解放したのを
感じ取ることは辛うじて出来た。
「楓、何を考えているの? どうしたのよ?」
私は訳が分からずに2,3歩後ろに下がった。
楓は、戦闘の態勢に入る。それは、同じ血を持っているからこそよく判る。
しかし、それだけに楓の力も大体判る。
常人を遥かに越える能力を有するとはいえ、私と楓の戦闘での能力差は明らかだった。
もちろん、それは楓にだって判っているはずだ。
私と闘っても、勝てる可能性は非常に低いことなど。
「楓! どうして私達が闘わなければいけないの!?」
「・・・姉さんが・・・耕一さんを・・・殺したから・・・」
体勢を崩すことなく、楓は答えた。
私はその言葉に、何も言えなくなった。
耕一さんを殺してしまったのは、紛れもない、この私なのだから。それも、
何も罪など犯してはいないのに。
「姉さんは、間違って耕一さんを殺してしまった。
ただ、私は、たとえ間違いでなく、耕一さんが本当に犯人だったとしても、あの人を
殺した人をきっと許すことはできないでしょう。」
淡々と、けれど一言一言に力をこめて私に語りかけた。
「たとえ耕一さんが、世界中の人達から人殺しと非難を受けたとしても、
私だけは、私だけは耕一さんの味方をします・・・
この私の命に代えても。」
その時には、すでに楓は戦闘準備を終えていた。体中の組織が、遥か昔から
受け継いだエルクゥのものに変換されていた。
おそらく楓は、もし耕一さんが警察に姿を見られ、追われることになったとしても
躊躇うことなく警察官達を・・・殺すだろう。
楓の表情が、構えが、全てを物語っている。
「楓・・・・・」
悲しかった。言い様のない悲しさが、怒りがこみ上げてくる。
望んだ訳でもないのに柏木家に生まれ、その忌まわしい鬼の力に一生を振り回される
私達は、一体何なんだろう。
そして、お父様や叔父様、そして誰よりも愛した耕一さん。彼らは皆、その鬼の血を
受けて生まれてきたが故に、そのあまりにも辛い最期を迎えてしまった。
そして、その忌まわしい血を受けた男性を愛してしまった私達。
「・・・・・・・ねぇ楓・・・。私達って、一体何なのかしらね。
男性と違って、その忌まわしい力を制御できる私達は、運が良いのかしら?
それとも・・・不幸なのかしら?」
私は、楓に対してというより、自分に対して呟く。
「でも、でも、ね。この世界で生きていく為には、守らなければならないことが
あるはずなの。」
私は、大きく息をつき、鬼の、エルクゥの力を解放した。
自分の体の組織が組み替えられる、何とも言い様のない不思議な感覚に包まれる。
質量は増している筈なのに、体は空を軽く飛べるように軽く感じられる。
その間、楓はただじっと私を見つめていた。
「姉さん・・・」
もはや言葉は必要なかった。ただ、エルクゥの力を解放した鬼同士の戦いが始まる。
おそらく勝負は一瞬で決まる。それはお互いに判っていた。
さっきまで賑やかだった虫の音が、いまは全く聞こえなかった。完全に無音の世界が
辺りに広がっている。
そして、同時に私と楓は動いた。
一気に、普通の人間では目で追うことは出来ないほどの速度で、地面を蹴り、走る。
楓は、長く伸ばした爪を私の体めがけて振り下ろす。
そして、私は・・・・・
「!!」
楓の顔に驚きの表情が浮かんだ。
そう、私は、何も攻撃をしようとはしなかった。ただ、楓めがけて走っただけだった。
私は、楓に殺されるつもりだった。
(私は、誤って耕一さんを殺してしまった。その罪は、償わなけれいけない。)
耕一さんだと思っていたあの「鬼」も、私が倒した。おそらく、今、力を持った
鬼はこの世界には私達以外いないだろう。
そう思うと、この世の中に未練はなかった。妹たちも、私が両親を失った年齢を
とうに越えている。もう、親代わりの必要もないだろう。
(耕一さんの所に、行きたい。そして、謝りたい。)
楓の腕が、どんどん近付いてくる。
「・・・・・耕一さん・・・・・」
私は目を閉じて、その時を待った。
ヒュウウウウウ・・・
楓の腕が風を切って迫ってくるのがはっきりと聞こえることが出来た。
そして・・・
ガシィッ!
「・・・っ!!・・・・・・・・・・・・・・?」
目の前で激しい音がして、思わず閉じていた口から悲鳴が漏れたが、全く体に痛みは
走らなかった。そして、何が起こったか判らずに目を開いた。
少しづつ目を開くと、そこには大きな壁がそびえていた。
夕日を、そして楓を遮るようにして、何か大きなモノが私を隔てている。
それは、今まで幾度と目にしてきた姿、エルクゥの力を解放した男性の姿だった。
「そ、そんな・・・・・」
楓のかすれた声が聞こえてきた。
「やめるんだ・・・二人とも・・・」
その声が聞こえた瞬間、私の体の中を電気が走ったような感覚が襲ってきた。
もう、二度と聞くことは出来ない筈のあの人の声。
私が決して許される事の無い過ちを犯してしまったあの人の声。
「・・・こ・・・こういち・さん・・・?」
震えながらやっとの事で呼びかけることが出来た。
その声に反応してか、耕一さん(?)は元の姿へと変化した。
今まで体を覆っていた組織が変換され、元の人間の姿へと戻っていく。
ごく普通の人間の男性の、何も身に纏っていない後ろ姿が現れた。
ゆっくりと、その私よりも遥かに大きい後ろ姿が振り返る。
そして・・・
それは紛れもない、あの耕一さんの顔だった。
「・・あ・・・・」
夢の中で、幾度となく耕一さんには謝ってきた。けど、今は頭の中が真っ白になって
何をしていいのかわからなくなっていた。
あ、謝らないと、許されるとは思っていないけれど、とにかく謝ろう。
そう夢を見る度に繰り返していたのに、言葉に詰まってしまった。
「あ、あの・・・耕一さん・・・」
私がしどろもどろになりながらも言葉を紡ぎ出そうとすると、耕一さんは
私に優しく微笑みかけてくれた。
「いいんだよ、千鶴さん」
あの、もう二度とは見られないと思っていた温かい笑顔が、そこには在った。
「ずっと、ずっと聞こえていたから・・・千鶴さんの声が。
ごめんなさい、ごめんなさいって何度も」
そういいながら、呆然と立ち尽くしている私を両肩から抱きしめてくれた。
「耕一さん・・・」
私は目を閉じて、耕一さんにもたれ掛かった。温かい、私の凍っていた心を
溶かしてくれる温かさ。それが、肌を通して感じられる。
「あの時、湖に落ちてからやっとの事で岸にはいあがったんだけど、そこで
2,3日は動けないまま眠っていたんだ。けれど、その眠っている間、ずっと
みんなの声が、気持ちが伝わってきていた。
僕はこうして、無事だったんだし、千鶴さんが謝る必要なんて全く無いんだよ。
ね、楓ちゃん?」
「・・・・・はい」
楓も、流れ落ちてくる涙を拭こうともしないで耕一さんを見つめていた。
そこには、心から喜びが溢れていた。
「耕一さん・・・本当に良かった。また、一緒にいられるんですね?」
「もちろん。どこにもいかないよ・・・」
その答を聞いた瞬間、楓も耕一さんに抱きついてきた。
「いろいろと回り道をしていたかも知れないけど、これで、元に戻るんですよね?」
私は、耕一さんを見上げて尋ねる。
「うん。これからは、もう、過去に囚われる事のない、夢におびえることのない
生活が・・・きっと・・・」
「でも・・・」
楓が悪戯っぽく呟いた。
「え・・・何、楓?」
「この闘いは、これからだからね。」
そういって私にウィンクすると、耕一さんの腕を両腕で抱え込んでぐいっと引っ
張った。
「楓・・・私だって、負けないから☆」
私も逆の耕一さんの腕を引っ張った。
「おいおい・・・」
苦笑する耕一さん。そして笑いあう私達・・・・・・。
私の胸の奥に重くのしかかっていた重りは、もう影も無かった。最愛の人が、
帰ってきてくれたんだから。
すでに日もほとんど暮れてしまった。けれど、また朝日は昇る。希望の見える、
夢を照らすような朝日が・・・・・・・・
明日、誰よりも早く耕一さんを起こしに行こう、そんな事を考えながら、私は
水門を後にした。
温かい温もりを両腕に抱えて。
〜〜〜〜終わり〜〜〜〜
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