「ノーモア関ヶ原?」


以前の長野上田城に続いてまたしても戦国ネタです。

混む時に出かけるのは本意ではないのですが。

5月の大型連休を利用して、近畿方面まで足を伸ばしてみました。
本当は世間一般が大きな休みでないときを狙って行くのが私の方針なのですが、
今回はどうしても日程的に調整が付かず、やむを得ずゴールデンウィークの
期間を利用して出かけることにしました。

それでもできるだけ混雑を回避しようと、連休の初日である29日を軸に、28日の
連休突入前夜に埼玉を出発し、夜間の内に一気に岐阜まで走り抜けました。
本当は定時で仕事を切り上げ、一休みしてからなどと予定していたのですが、
やはりそんな都合良く行く筈もなく、結局8時まで仕事で、帰宅後一休みしていざ
出発したのは10時頃でした。

埼玉から長野に入るまで(中央道経由)はノンストップで通過し、一息入れたのが午前3時前。
そこからはほぼパーキングを2つ分走っては30分仮眠、といったサイクルを繰り返し、最初の
目的地である関が原インターの手前に付いたのは結局明るくなった午前7時過ぎでした。

その頃になると、休日ということもあってパーキングもかなり混み合ってきていました。

関が原に降りたのは、歴史的に有名なその名前の通り古戦場があるのと、行きたかった
テーマパークと資料館があったからなのですが、まだテーマパークも資料館も開館前だったので
最初は古戦場から見て廻る事にしました。

関が原といえば、当然ながら西暦1600年に行われた「天下分け目の」合戦が行われた場所であり、
その時の陣跡とか資料などが数多く今もこの地に残っています。
市街地はともかく、国道を少し外れるとのどかな雰囲気の漂う町であり、ここで日本の運命を
大きく左右するような世紀の合戦が行われたとはなかなか思えませんでした。

最初に向かったのは石田三成の陣跡です。
小さい山なのですが、馬防柵が作られています。

  

半徹夜明けの体で息を切らせながら登ります。
・・・って、前の甘南備山のときも同じだったような。

ちなみに、祭日の朝8時とあってか周りに客は一人もいません。
途中で見晴台が作られていたのでそこからのんびりと一息つきます。
見晴台の脇に、解説が書かれた札が立っています。

  

この近くに徳川家康が首実検を実施した場所もあったのでそちらも見てきました。
こっちは住宅街の中にあるので普通の公園とそれほど雰囲気は変わりません。
時折ペットの散歩で公園を通る人を見かけたりするのはまさに普通の公園です。

  

そして、その公園と道路を挟んで向かいに立っているのが「関が原町歴史民族資料館」です。
入り口には記念撮影用の看板も立っていたりと、一般的な町の資料館ではあまりみかけない
ものもあり、観光スポットして結構人気もあるのではないかと思います。
(といっても歴史好きか学校の見学とかが殆どでしょうが)

  

中は2階建てのそこそこの大きさで、さすが関が原と思わせるくらいに凝っていました。
中でも、壁一面にセットされた関が原合戦の陣形図は、開始前から時間ごとの状況変化まで
非常によく作られていますので、これは戦国好き(?)の方にはお勧めです。
陣形的には有利だったと思われる西軍がどういう形で負けていったかなどはっきり判ります。

 また、その展示以外で特に面白かったのが、秀吉の政権を一つの株式会社として五奉行五大老を
現代風に解説したVTRがあって(誰々が取締役総務担当部長、とか言ったもの)、思わず
じっくりと見てしまいました。
 何かのテレビで特集でも組んだものをそのまま流したものかもしれないのですが、その辺までは
よく見ていませんでした(汗

 さて、いよいよ今回のメインイベントである怪しげテーマパークに突入します。
 資料館から車でほんの数分しか離れていない場所にあります。
 それが「関が原ウォーランド」です。
  

 かなり濃い部類に入る(と思われる)テーマパークなんでほとんど客なんていないかな(失礼)と
思っていたのですが、ゴールデンウィークとあってか数家族が見学していました。(おい
 のっけから城門を意識した入り口がそれらしさ(?)を感じさせます。

 入ると一応ルートがあるみたいで、まずはそれに従っていくと館内展示を見ることができます。
 パンフレットでは創設直後らしき感じなのですが、見学したときは展示してある鎧といい
ショーケースといいかなり劣化気味です。
 実際、予想以上の展示品で驚きました。
 種類と数の多さでは下手な博物館顔負けじゃないでしょうか。

 ただ、建物全体も古くなっているので、間違っても夜一人では歩きたくない場所です。
 もう1箇所館内展示があるのですが、こちらは資料としてはちょっと・・・といった
内容でした。(というかコレ書いている段階で既に記憶に残ってないので)

 そして、ようやくこのテーマパークの最大の見世物である屋外展示物を見る事ができます。
 どこの資料館でも当時の書物とか絵画を展示するとは思うのですが、屋外に等身大の
人形をこれでもかという位においてあるのは全国でもここだけではないかと思います。

  

 よくこれだけのものを作ったなぁというのが本音なんですが。
 中にはちゃんと三成とか家康もありました。
 (ただ、石田三成本陣のシーンは展示場の端にあって、ところどころ苔が生えてたんで
ちょっと可哀想だなぁとはおもったのですが)

 ほかにも可児才蔵とか島左近も出してくるあたりはいいのですが、どういうわけか
武田信玄までいます。
  

 (念の為:関が原の合戦時には既に亡くなっています)
 で、武田信玄の像の前に看板があったので読んでみると・・・

 「我こそは武田信玄の亡霊じゃ。もう争いはやめい。ノーモア関ヶ原合戦じゃ」
 (あ、亡霊と言うことだったんですね)
 合戦で決めないとなると、室町幕府時代にあったように籤引きで将軍を決めるかのように
するのでしょうか・・・って、そしたら武士なんて要らないか(汗
 う〜ん、どこから突っ込んで良いものやら。

 ただ、武田信玄に倒された武将達が見たら「あんたが言うな!」と突っ込むでしょうが

 私が入っているときに4組くらい家族連れを見かけましたが、子供はけっこう楽しそうに
走り回ってました。
 確かに子供向けには(ちと不気味ですが)人形もたくさんあって良いのかもしれません。

 しかし・・・採算が取れるかといわれると非常に怪しいんじゃないかと思いますが、この
テーマパークの脇には温泉やレストラン、土産物屋も揃っているので観光地としてはちゃんと
形成されているみたいでした。
 私と入れ違いに社員旅行みたいな団体もバスで乗り付けてきました。

 こういったテーマパークは無くならないで欲しいです。

 次に、岐阜県から滋賀県へと移動して、安土町にある安土町考古博物館と安土城天守閣を
模型で復元した「信長の館」も廻ってきました。

  

 考古博物館は、安土城(城自体は本能寺の変直後に焼失)に関する資料やCGで再現した
城下町などが見る事ができます。
 私はここで初めて知ったんですが、当時(16世紀)頃の地形では安土城のあった部分は
琵琶湖からすこし飛び出る形になっていたので、そこに城を作った事とかは勉強になりました。

 信長の館は、天守部分のみの再現なのでそれほど見る場所は少なかったような・・・

 あと、お約束といっては何なのですが、信長の館の隣にレストランがあったのでそこで
昼食をとった時のメニューは「戦国焼き定食」(要するに焼肉定食)でした。
 他にも「信長ハンバーグ」(実物は見なかったので詳細は不明)もありました。

 まぁ確かに観光でこういうところに来るとつい頼みたくなってしまいますね。
 結局1日でこれらを廻って、予約してあった琵琶湖の直ぐ向かいにある旅館でのんびり1泊して
私のゴールデンウィークは始まりました。


<戻る>