RENE LALIQUE

ラリック (1860年生まれ)
1925年のアール・デコ博の噴水
代表作 / シュザンヌ




アール・ヌーヴォーからアール・デコへ (その足跡を追って)

第1期 1910年頃までの宝飾作家としての期間
第2期 香水商フランソワ・コティーと出会う1907年から1925年のパリ・アールデコ博の前後あたりまでの期間
第3期 アール・デコ博以降から1930年頃までのガラス工芸作家としての黄金期
第4期 1930年以降最晩年の1940年までの期間
といふうに、私なりの区分をさせていただきました。


<第1期 宝飾家としてのラリック 1885年〜1910年頃ルネ・ラリック(25〜50才)>

1876年パリの宝飾作家ルイ・オーコックに弟子入りした後1878年から2年間ロンドンのシデンハム・カレッジに留学し、アーツ・アンドクラフトの装飾様式に触発されたラリックは、1885年宝飾デザイナーとして独立する。
1890年テレーズ街にアトリエ兼店舗を持ちアール・ヌーヴォースタイルの革新的な宝飾品を数多く発表していく。
そのデザインはこれまでの宝石自体の大きさやカットの美しさを強調したものではなく、安価なものとされていたシトリンやアクアマリン等のいわゆる半貴石をも多用し、さらにそれにエナメル細工や透胎七宝(プリカジュール)等を加えたイギリスのアーツ・アンドクラフト運動様式の影響を受けた当時としては非常に前衛的な新しい芸術(アール・ヌーヴォー)様式のものであった。
その是非は大きく分かれたが、1900年のパリ万国博覧会に出品された彼の宝飾品は非常に高い評価を受けて、世界中の多くの美術館等が競い合って買い上げた。その後も角などの素材を用いた日本趣味(ジャポニズム)的な櫛なども作成しそのスタイルを確立していった。
また金属製の枠の中にガラスを吹き込んで作成された杯などのように一部にガラスを使用した試作品等も作成している。


<第2期 ガラス工芸作家として出発 1907年〜1923年頃 ルネ・ラリック(47〜63才)>


宝飾界の鬼才として一般の関心を集め、その追従者が多く出始めていた頃フランスの香水王フランソワ・コティーが彼に香水ビンのラベルのデザインを依頼してきた(1907年)。
彼はその時ラベルばかりでなく香水ビンもデザインした。これが一つの契機となってラリックはガラス工芸へと転身していく事になる。翌年の1908年に小さなガラス工場を賃借して本格的にガラスに取り組んでいった。
そして1911年に宝飾を入れないでガラス作品だけによる個展を開き、1912年を最後に宝飾家としての活動を止めた。
ラリックは当初より品格の高い量産品を作る事を目的として新製品の開発を考えた。
1919年には香水ビン作成のため、数種類の新しいテクニックの特許を申請し、更なるガラス作成の拡大を考えて同年、アルザス地方ヴィンゲル・シュール・モデーヌに大きなガラス工場を建設する。
この時期のラリックのガラス作品には、宝飾品をデザインしていた頃のアール・ヌーヴォースタイルの影響が色濃く残っている。
モチーフとしても昆虫や写実的な女性像等が多用された。さらに金魚などの東洋的なもの、インコ等の南の島のイメージのエキゾチックなものも好んで用いている。



<第3期 ガラス工芸作家としての最盛期 1923年〜1931年頃 ルネ・ラリック(63〜70才)>


1925年のパリ・アールデコ博ではラリックは‘フランスの水源‘というガラスの噴水を作成し、ルネ・ラリック館も設置する。
そのパビリオンの壁や天井、床のタイル等にもガラスを用い建築材料としてのガラスの可能性も色々と提案した。
この博覧会を前後してラリックのガラス作品にも大きな変化があらわれる。これまでのアール・ヌーヴォー的なデザインは姿を消し、よりダイナミックで簡潔なデザインが多くあらわれるようになる。
厚い把手のつけられた、いわゆるラリックスタイルと呼ばれる花瓶、黒エナメルで彩色された幾何学的なモチーフ、写実的というよりは様式化された女性像等がその好例である。素材としても今日でも最も人気の高いオパルセントガラスを使用した作品が数多く作成された。
また、カーマスコットと呼ばれる自動車のラジエーターキャップに取り付けたガラスの彫刻が多く作られたのもこの時期である。自動車という工業製品とガラスで作られた芸術作品との融合というこの時期独特の作品群であろう。
ラリックはこの時期にはすでに65〜70才という高齢を迎えているが、作り出される作品の若々しさ、ダイナミックさには驚くばかりである。



<第4期 さらなる様式化を求めて 1931年〜1945年ルネ・ラリック(71〜85才)>85才没

この時期になると1925年のパリ万博で提案した建築材としてのガラスを多く実用化している。
1931年にはフランス、カルヴァトスのラ・デリヴァランド聖母教会、1932年にはニュージャージー島の聖マタイ教会の祭壇をガラスで作成し、同年東京の朝香宮邸のために正面玄関の扉とシャンデリアを制作する。
1935年には大西洋横断客船「ノルマンディー号」の一等客船用食卓の内装を手掛けた。この時期の作品には、よりすすんだ様式加が見られる。デフォルメされた動物の連続模様、今までよりも鉛を多く含むガラスを用いる事ができるようになったために、透明感を強調したデザイン等にその特徴がよくあらわれている。





<My Collection>




<ラリックを鑑賞できる主な美術館>

膨大な量のラリックを鑑賞できます

諏訪湖のほとり

常設ですのでいつでも見れます。
一度お伺いしたいと考えています
掲示板でお馴染みの大村氏
ラリックについて膨大な知識をお持ちです。

一度お伺いしたいと考えています
カーマスコットならココ!

トヨタ博物館内
成田美術館 MUSEE NARITA 成田光子館長が、約40年かけて収集した作品を収蔵

滋賀県
伊豆ガラスと工芸美術館 ガレ、ドーム、ティファニー、ラリックなどのガラス美術館

伊豆