こけた茶屋料理集 その9
老人モンダイを考える2000.5.28


 いきなり私事なうえ、重たい話で恐縮ですが、うちのおじいさんが、3月28日に他界しました。 92歳。まあ一般的には大往生といったところでしょうか。 晩年は痴呆が進み、また昨年肺炎を患ってからは寝たきりになっていましたが、入院はせず、 自宅での療養が続いていました。昨年12月には要介護5の認定を受け、 4月からの介護保険スタートでどうなることやらと思っていた矢先でした。 それでも最期は家族に見とられ、文字通り「息を引き取る」という感じでした。
 まあ、寝たきりになってからは、「おじいさんがこんな状況でなければ」などと悪態はつきましたが、 基本的に私らは「おじいちゃんっ子」でしたし、それこそ小さい時分はいろいろなところに 連れていってもらったものですから、悲しみはかなりなものと推測していただきたい。 入棺や火葬の時には涙が止まりませんでした。

 で、ここからが本題になるのですが、なぜだか急に『老人Z』という作品を思い出しました。 見たのはもう4〜5年前になるので、詳しい内容は覚えていないのですが、だいたいの感じは 以下のようになると思います。
 ……超高性能の老人介護マシンが完成した。食事・入浴・排泄などの世話をすべてオートメーションで 行うこのキカイのお披露目ということで、実際に男性の老人(今でいうところのそれこそ要介護5)を 乗せてデモンストレーションを行っていた。そんな中、マシンが老人を乗せたまま暴走、 街へ繰り出す。あわてる開発者、おののく街の人々……
 で、ラストはあまり記憶がないのでいい加減ですが、確か軍隊まで出動してなんとかおさえた、 だったと思います。

 作品自体はそう最近のものではありません。介護保険がスタートした今だからこそ、 話題になりそうなアニメではありましょう。 老人介護マシンは人間味がない、必要なのは人間に手厚い看護である。 そんな反面教師的な訴えが、あるとすれば(仮定)、なかなか考えたものです。称賛に値します。
 が、私がモンダイにしたいのは、老人の描かれ方です。要介護5、ですから、まあ、 「老人力」のあるハッスル(死語?)じいちゃんのような感じではありません。 言ってしまうなら、醜い描かれ方です。そして、今思えば、それは晩年のうちのおじいさん そのまんまなのです。
 私がこんなことで憤るのは身内に介護を必要とする人間がいたからでしょう。 作品の性格上仕方ない部分ではあるし、単なるアニメとしてとらえれば、ささいなことかも知れません。 しかし、そんな描かれ方が、少なくとも私の中で評価を下げているのは確かです。 ましてや、暴走マシンにのっかっている時の、恐怖からなのかそれとも意味不明なのか 分からない叫びというのも、「手をつけられない」ものというイメージを持たせる 描写であり、たとえ反面教師でも、嫌悪感を抱かずにいられません。
 そして更に、もし、こういった描写が、アニメの最もおいしいところ、 つまり「動き」=ロボットとしてのマシンの動き、破壊という活動などを 引き立たせるという考えで使われたなら、 私が破壊活動をしたいくらいの強い怒りを覚えざるを得ません。

 ということで、実際のところは分かりませんが、なんか意味もなく思い出しては 怒りを覚えていた4月でしたが、そんな中始まった『ラブひな』にも、 なんだか変な老人の描写がありました。
 主人公・景太郎に毎回のように「人生とは……」というようなことを語る、 温泉客なのか近所の人なのかよく分からない、なかばよぼよぼ(?)なじいさん3人組。 ちなみに、原作には出てきません。
 今のところ、必要性が分かりません。人生の先達ということなのでしょうが、 言うことはイヤミたらしく、なんかおどろおどろしい描かれ方です。 老人って、そんなに暗くてイヤな感じのものなのでしょうか。

 『ラブひな』の例はかなり小さなことですが、『老人Z』はモンダイそのものです。 再び言いますが、アニメを引き立たせるという理由で、モンダイを深く考えずに作ったのであれば、 アニメーターとしてでなく人間として、制作者を疑ってしまいます。 このような社会的モンダイを扱うときに、一時のノリで作らないでください。 自分に同じモンダイが降りかかったとき、作った経験が解決策にも何にもなりません。 何の役にも立ちません。

 かくいう私も自主制作アニメ『動物デカメロン』であやうくそのようになりかけたものですから……


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