大野郁子婦長は、病室にいて、起坐呼吸の足降ろして靴を履かせ車イスの押し方教えてくれていたのに。。
この病院は都会病院で、そんなに広い病院ではなく、廊下は見渡せます。イライラして大急ぎだったとされる私は婦長には、そんな態度ではなかったのか?
答弁書では、『亡き淑子は転院の際、自力でトイレに行き服装を着替えたのであって意識は明瞭であった』これを見た時、意識は明瞭でなかったハズなのに、と思ったら。
一年後の主張は娘である私がイライラした状態になり、石川看護婦は詰所に戻り病棟の田上主任に報告したらしい。
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田上主任は私を説得したが、振りきるように大急ぎで退院していったと石川看護婦に説明したらしい。
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婦長とは廊下で出会ったらしい。その時は、石川看護婦と一緒だったらしい。
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イライラ、振りきるように大急ぎで退院していった私は、大野婦長に廊下で会い、「I先生です」と紹介したらしい。
そして、一緒にエレベーターを降りて病院玄関を出、一同がタクシーに乗るまで同伴。石川看護婦と共にお見送りをしたらしい。
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後に、ナースステーションへ行き、病棟主任の田上看護婦の
話しに話を聞いたら、新幹線の時間もあるのでと言って振り切るように大急ぎで退院して行かれたということを聞いたらしい。
しかし、看護記録の記載は、清水という人の記載。
田上さんはタクシーのところまで心配で見に行かなかったのか??その時の様子を証人席で戴きたいものです。