控訴人海野氏は被控訴人藤村医師と「(1)抗癌剤などの強い薬剤を用いると東京に連れて帰れなくなるとして抗癌剤使用を拒否。(2)健康状態の良いときに東京に連れて帰る」という2項目の契約を最初に行った。
(1)については、 患者は癌性胸水による呼吸困難により緊急的に胸水排出を行った。この時シスプラチン使用、後に、ピシバニール使用、熱発はあったが、やがておさまった。この時被控訴人藤村は「取り敢えず、胸水が貯留しないように抗癌剤を多少使用しました」と海野氏に報告して、今後の進み方、転院の時期などについて相談すべきであったのです。しかし、被控訴人にはそのような暖かい心は持っていなかったようです。
医師は学問などより、基本的には暖かい心を持つことが重要なのです。鬼手仏心は外科医の基礎であるが残念ながら被控訴人は鬼手のみは発達していたのだろうが、仏心は皆無ということです。
(2)については、、ピシバニール使用後は熱はあったが、発熱も治まった。この当時は患者は食欲もあり、転院間際までリハビリも行っていた。したがって、発熱も治まった、東京に連れ帰るには最適の時であると考えられた。
しかるに、被控訴人藤村は東京に連れ帰ることなど忘れたのか、無関心であったのか、鉄剤であるフェロミア投与やフィジオゾール3号輸液の漫然投与など荏苒日を過ごし、癌末期の最後のステージまで放置した。
このことは「契約違反」の最たるものです。
もし被控訴人藤村が転院のことが頭にあるなら、カルテに病状を記載、病状の移り変わりを観察、記録し、転院の最適期を選ぶべきであった。
(答弁書や調書を見たところ、海野氏の転院の希望については認めている)しかるに、被控訴人藤村は病状の変化をほぼ半年間わずか数行記載したのみで、なんとか状態を良くして転院させたいという人間的感情が少しも感じられない診療態度であった。
医師は患者と「契約」をし、その契約をいかに患者及び家族の希望に答えられるかと努力するのが医師の勤めであるはずです。
この点、被控訴人藤村医師は医師の風上にも置けぬ悪徳医師と称してはばからないと思われた。
被控訴人藤村は「末期医療の決定権は患者自身にある」と称した。
現在、癌末期患者の化学療法については、悪徳医師が「この薬は最近アメリカで発見され、まだ厚生省の許可はでていないが、非常によく効く薬であるから使ってみませんか」と誘い、高額の料金を取る者も現実に存在しています。これは癌患者の藁をも掴む心理を悪用する不届きものです。
被控訴人藤村医師はそんなみみっちい考えははないことは当然です。
ただ患者に医療の決定権があるとこのようなことに編されることがあると考えられた。
このようなことがあるから、末期患者の治療は患者本人の意識はしっかりしていても、必ず患者家族に相談することは重要であると思う。
しかるに、被控訴人藤村は、家族に何ら相談せず、勝手に未期治療を行った。被控訴人藤村は家族に相談するなどと言う繊細な心の待ち主でなかったことが残念だった。