風環の世界へようこそ〜きままなエッセイ集〜

 ASLAN中村の気ままなエッセイ(その1/殆ど予告編)
 ♪僕は小学生の時、親の半ば強引な説得で日記を書いていた。ハッキリ言って面倒以外の何物でもなかったので、書くのは小学生の間だけと決めていた。最近までその切なる思いを忘れることは無かった。と言うより「日記を書く」というプログラムは、普段みんなから「考えるWINDOWS」と呼ばれている僕の頭脳の中ではゴミ箱に捨ててあったのだ。  
 僕の頭脳は本当におりこうさんである。うん。(画面の向こうで「なるほど、それで動作 がよくハングアップするのか」って納得しているのは誰だ?)    
 ところが、昨年末の離婚をキッカケに世間で言うところの「自分との対話」なるものがし たくなった。そしてその方法に、なんとあれほど嫌がっていた日記を選んじまったのだ。まあ「自分との対話」のつもりが「教祖とのありがたい談話」に豹変するケースも世間ではある事なので、素直に日記書いておけば形だけでも「自分との対話」になるだろうと思ったのだ。書いた期間は今年の1月から6月まで。「自分との対話」はいいのだが、日記にして残すやり方は飽きた。三つ子の魂なんとやらである。

 日記が面倒なだけで、「自分との対話」は好きな方だと思う。少なくとも嫌いでは無い。「自分との対話」をすると自分の人生観が浮き彫りになる。それはまるで見知らぬ自分、もう一人の中村に出会えるような楽しい感覚だ。  普段、特に会社では人間関係に支障が無いように、引きつりながらも笑顔を絶やさぬよう 心掛けている。が、断言しよう、そんなのは自分にとっては実に気持ちの悪い事なのだ。「自分との対話」にはその似合いもしない仮面をバッと脱ぎ捨てる気持ち良さがある。でも、時には仮面脱いだらもっと気持ち悪い自分がいたりして、「うん、やっぱり作り笑顔でも必要な物は必要だ!」なんて調子良く考える事もある。やれやれ。せっかくエッセイ書くだけのスペースをもらったのだから、最初の何回かは、離婚以降に 書いた日記を再構成してお届けしたいと思う。「自分との対話」から現れた、もう一人の 中村をご覧いただけるはずだ。
   では次回"ASLAN中村の気ままなエッセイその2"をお楽しみに。

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