第一章 訓読会に関するみ言

第一節 訓読会の意義と目的

 訓読会の「訓」は、「言偏」に「川」です。川の水が流れるのと同じです。水は動けば動くほど、それが水蒸気になり、万宇宙に緑地帯をつくり、すべての動物が生きていける栄養素を供給します。そのような事実を考えるとき、問題は、雨が降ったり雲がかかったりする、このような循環運動をしなくなれば、自然はすべて砂漠地帯になるということです。

 私たちの心霊世界も同じです。水蒸気や雲が地と海まで覆って青くすることを考えるとき、循環運動ができるように、これを繰り返すことによって、皆さんの息子、娘の家庭や地上に生きるすべての家庭が緑地帯のような家庭になり、天の相対的家庭になるのです。水も青く、平原も青く、空気も青くなければなりません。循環運動をするようになれば、青くなるのです。良く育つ木は、栄養素をしっかりと受けて、循環運動を速く、広くする木です。そのような木は、良く育ち、青くなるのです。

 訓読会の「訓」はそのような意味であり、「読」は「言偏」に「売る」という字です。売らなければなりません。もっていれば大変なことになります。売らずに品物を積んでおき、腐らせてしまえば罰が当たります。お金をもらって売らなければなりません。お金をもらうことができなければ、すべて分け与えるのです。み言を売れば、自分の息子、娘になります。商売の中で、そのような商売はありません。千年、万年、種となって自然に繁殖するので、み言が流れていくのです。そのようにして、どんどん拡張しなさいという意味があります。ですから、「み言を売りなさい」というのです。これが訓読会の本然の意味です。(二九六―二一七、一九九八・一一・一〇)(二八九―二九五、一九九八・二・一)

 訓読会とは何かというと、サタン世界と天の国の世界を分けて、別々のものにする剣です。皆さんの家庭でも訓読会をするとき、喜ぶ人と嫌がる人がいます。喜ばないので、これを喜ぶようにするために、どのようなことでもしなければなりません。(三〇三―一二三、一九九九・八・八)

 伝統を、どのように立てなければならないのでしょうか。先生の生きてきたすべての内容が、伝統です。ですから、伝統を伝授するために訓読会を始めているのです。

 訓読会のみ言は、過ぎ去っていく言葉ではありません。皆さんが地上に着地できる、あらゆる実践教材であることを知らなければなりません。

 伝統を相続しなければなりません。そして、伝統を知って実践しなければならないのです。その伝統は、昼も夜も受け継がなければなりません。その伝統を受け継がせるための教育が、訓読会です。伝統を教育する場所なので、それを知れば、先生と天が苦労したその道に拍子を合わせて行動し、自分自身の国と家庭を設定しなければなりません。これは非常に重要なことです。誰も干渉してくれません。皆さん自身が中心にならなければ、霊界が協助できる時代も過ぎ去っていくことを知らなければなりません。(三〇二―二七八、一九九九・六・二六)

 今、皆さんが地上で行っている訓読会は、絶対的に必要です。ここに合わせて、着地しなければなりません。霊界では、既にそれを行っています。霊界では、一週間以内ですべてのものが定着できます。ですから、地上ですべきことを果たすことが、どれほど急がれているかということを知らなければなりません。

 訓読会を通して、家庭が定着できる時代に入ってきたのです。ですから、訓読会が重要なのです。これは、霊界にいる自分の先祖の解放と、今後の自分の子孫を解放するためのプログラムです。過去、現在、未来は一つです。(二九一―二三七、一九九八・三・一五)

 最後の時が近づいてくるので、再創造をしなければならないのですが、それをどのようにするのでしょうか。再創造を完成するシステムが、正に訓読会です。堕落以降、天が今まで訓読会を願ってきたのです。成約時代のみ言を願ってきたのです。堕落して、すべてが滅びてしまうようになっているので、すべての人が再創造のみ言を待ち焦がれなければなりません。(二九二―二五七、一九九八・四・二六)

 家庭が永遠に定着するためには、訓読会をしなければならないのです。これは霊的な糧です。肉的な糧を慕い、おいしく食べて、初めて成長できるのと同じように、霊的な糧をおいしく食べてこそ成長します。このような家庭的定着をすることによって、地上に解放が展開します。(二〇〇〇・四・二)

 何のために訓読会をするのですか。眠っている世界人類を目覚めさせるためです。世界人類が天上に向かう高速道路から脱線してしまうので、私が架け橋になるためにするのです。そのように考えるのです。私の一族全員が罠にはまって地獄の祭物となり、めちゃくちゃになる危険な道を進んでいるので、それを防ぐために、サタンの願いとは反対の道をつくって、そのようにするのだということを知らなければなりません。(二〇〇〇・一〇・二七)

 悔い改めるために訓読会をするのです。それは、遊び事ではありません。訓読会を誰よりも一生懸命にする人は、先生です。皆さんは、先生の何十倍も一生懸命にしなければなりません。それは、先生がすべて成した上で宣布したみ言です。今日、自分がしたいと思うとおりにしながら、み言をどれほど冷遇し、先生の行動に対してどれほど不注意でしょうか。(二〇〇一・一・一)

 訓読会をするのは、きょう自分は何をしようという、各自が残すものを見つけるためです。聞くためにするのではありません。生きるためにするのです。自分が主体になって、再創造の環境を拡張するためにするのです。ですから、毎日毎日しなければならないようになっています。(三〇八―九四、一九九八・一一・二一)

 私たち統一教会は、霊界を知らなければならないのです。そして、天使長たちが暮らす本然のアダム理想世界のことを、すべて知らなければなりません。それを知れば、すべてを知ったことになるので、あとは実践だけが残っているのです。霊界を知らない人たちには、成約時代の祝福家庭の王権を受け継いでいく道がないので、これをすべて学ばなければなりません。

 憲法なら、憲法のすべての条項を覚えなければならないのと同じように、国家政府の要員になれば、文教部なら文教部に該当する法があり、商工部なら商工部に該当する法があるのです。ですから、その部署の法を知らない人は、その部署の要員になることはできません。

 それと同じように、天の国の要員になるためには、この法を知らなければなりません。その法を教えてあげるためのものが訓読会です。(二〇〇一・一・一〇)

第二節 訓読会の恵み

 今、訓読会を一番熱心にしている人は誰でしょうか。それは神様です。その次がお父様であり、次がお母様です。先生は、み言をすべて知っているのに、なぜそれを熱心にするのでしょうか。それは、皆さんと和合するためです。皆さんが先生と和合するようにするためなのです。完全な主体の前に対象をつくってあげ、父母様がしたことを皆さんにもできるようにしてあげるためにするのです。

 ですから、いつも神様と共に訓読会をするのです。皆さんが父母と共に訓読し、兄弟と共に訓読会をすることが、どれほど幸福か分かりません。それが、神様に侍って生きるということなのです。

 お父様と皆さんが主体と対象となり、同じことを聞いて感じ、経験することによって一つになるのです。そのようになってこそ幸福と完成があります。そのような基盤がなければ、理想というものはあり得ません。皆さんも、霊界を知らなければなりません。それが最も重要なことです。ですから、主体の目的観と同じ水準に上がらなければならないのです。神様の目的観と一つになることができてこそ、神様が喜ばれる時に一緒に喜ぶことができるのです。

 皆さんが主体ではありません。先生も主体ではありません。神様に絶対信仰、絶対愛、絶対服従することによって、家庭から世界へと、次第に対象圏が発展していくのです。(二九五―二六八、一九九八・九・八)

 先生のみ言を訓読すれば、すべて恩恵を受けるのです。訓読するみ言は、昔と同じように作用するので、今の堕落した人間も、み言を読めば恩恵を受けることができるのです。千年たっても作用します。(二九三―二二八、一九九八・五・二六)

 訓読会をすれば、その時のお父様の心情に通じるので、思わず涙を流し、思わずむせび泣くのです。訓読会には、そのような力があります。電気で言えば、蓄電されるのです。誰の話でもそのようになるのではありません。先生が生きるか死ぬかの生死の境で語った言葉なので、そのようになるのです。(三〇一―八七、一九九九・四・一六)

 み言を語る時、先生が勝手に語ったのではありません。説教をする時、題目を一週間前くらいに決めておき、本を見て語ったのではありません。説教の壇上に出ていく五分前まで題目はありません。多くの生命に責任をもった者として、そのような場に出て、壇上で祈祷しながら、どのような心をもったのかを考えてみてください。ですから、そのみ言で訓読会をしてみれば、皆さんの言葉とは違って、共鳴圏がついてくるのです。(二〇〇三・八・二〇)

 訓読会をすれば、天地が共鳴します。常に天と共にいる立場に立てるのです。これは福の中の福です。皆さんが先生の説教集を読んでいけば、生涯離れることができません。それはなぜかというと、生命の根源がそこにあるので、離れることができないのです。家庭ならば家庭の宝物であり、妻ならば妻の宝物であり、子女ならば子女の宝物であり、父ならば父の宝物であり、それが大きくなって国全体の宝物、人類全体の宝物となることによって、み言を中心として統一を成すことができるのです。これが核心です。

 ですから、皆さんは、訓読会を重要視しなければなりません。毎朝一時間ずつみ言を読めば、その日のすべての事柄や考え方がとても明確になるのです。精神的な姿勢が明るくなります。先生が四十年も五十年も前に話した言葉ですが、時間的な隔たりがありません。そこには、その時の真剣さがそのまま存在し、み言に対する感情が常に生きているのです。

 そのようなみ言を語る時、聴衆と先生、そして霊界が和動(注:和して動ずること)して天に飛翔できるという結果が、今後、世界を満たしていくことでしょう。それは、どれほど興奮し、どれほど痛快さを感じるか分かりません。先生自身も、そのようなことを感じるのです。そのような気分を、時間性を超えて、空間性を超えていつでも共に感じられるということは、驚くべきことです。

 ですから、真理のみ言は偉大なのです。神様が何千年にわたって成してこられたことが、み言と連結されるのです。それゆえに、み言を読んで読んで、百回読んでも千回読んでも、みなついていくのです。毎年読んでも同じではなく、発展的な内容を感じることができるのが真理です。同じではありません。発展するのです。ですから、真理で愛するようになれば、永遠の発展を約束して定めることになります。(三〇九―一九二、一九九九・五・八)

 訓読会を通して、霊界まで知ることができるようにしました。先生をはっきりと知り、神様をはっきりと知り、地上天国をはっきりと知り、天上世界をはっきりと知ることによって、創造することができるのです。知らなければ創造できません。(二九三―一〇五、一九九八・五・二四)

 泣きながら訓読会をするのです。先生の心情をいつも感じなければなりません。一ページ一ページ、その雰囲気の中で先生と一つになれるのです。主体と対象が、骨と肉が一つになることができる場です。霊界と肉界が一つになり得る場です。普通の言葉とは違います。小説とは違うのです。ですから、訓読会を一生懸命にすれば、天がよく分かるようになるのです。(三二一―三五、二〇〇〇・二・一四)

 訓読会は、何がすごいのでしょうか。先生がそのみ言を宣布したのが五十年前、生死の境の絶頂で話したものです。このみ言を中心として天下が爆発する、そのような心情で語った内容なので、これには天の心情が生きていて、霊界が協助するのを生き生きと感じるのです。永遠に時間圏を超越します。きのうであると同時に、きょうなのです。生きているので、私たちが訓読会で訓読するその言葉を聞けば、それが自分の言葉ではありません。その境地に引き込まれていくのです。その境地に入るというのです。それが必要です。(二九六―三二九、一九九八・一一・一八)

 訓読会で学ぶ思想と一致しなければならない、という事実を知らなければなりません。先生がサタン世界と闘って勝利した戦勝的記録の発表が、訓読会で朗読する文章であることを知らなければならないのです。そこには、四十年間がすべて生きているのです。

 ですから、訓読会とともに、訓読会を通して教えられる、そのみ言を覚えなければなりません。先生は、そのみ言と実践が一つになっているので、み言が先生の生涯における勝利の記録と同じなのです。

 そのみ言と絶対的に一つになることによって先生の代身となる資格をもち、その比率によって自分が天上世界で永遠に生きる位置が決定するのです。これは、三位一体の概念と同じであることを知らなければなりません。(三〇一―二五六、一九九九・五・二)

 訓読会を息子、娘が一生懸命にして、父母が一生懸命にして、祖父母が一生懸命にするようになれば、霊界の先祖たちが自動的に降りてきて教育を受け、天の国に行ける(家庭)教会を完成できるのです。(二〇〇二・七・四)

 永遠の価値が、この訓読会の裏に隠されているのです。そこには味わいがあり、おもしろく、趣があります。趣味のようなものが訓読会です。

 皆さん、「先生に代わって、先生以上にしよう」と思う人は、「アーメン!」と答えてください。(アーメン!)。そのようにすれば、天国は「私」のものになるのです。天国に行くことを心配してはいけません。

 死ぬ日までに訓読会を千回できなければ、夜を忘れてでも一生懸命にやってみてください。それに比例して霊界の基盤が築かれるのです。自分が訓読会を十回すれば、十回天の前に悔い改めて涙したという事実になるのです。そのようにすることによって、霊界の巨大な王国が連結される「私」という存在は、どれほど驚くべき存在でしょうか。(二九三―一〇八、一九九八・五・二四)

 今のこの時は、訓読会を通して霊界が皆さんにつながるのです。お父様を助けてくれた霊界が、皆さんにもつながって助けてくれるのです。怨讐がきれいに清算されます。迫害がなくなり、全世界だけでなく霊界まで解放されるのです。どれほど驚くべき時が、自分に訪れてきているのかを知らなければなりません。(二九三―一〇六、一九九八・五・二四)

第三節 み言訓読と霊界動員

 皆さんになぜ「訓読会をしなさい」と言うのでしょうか。このみ言を伝えながら、「死」を考えていたのです。「私が死ぬ前にみ言を残さなければならない。み旨を成し遂げることができなければ、み言だけでも残してから死ななければならない」と考えながら、深刻な立場でみ言を語ったのです。その時、霊界ではどれほど深刻に見つめていたでしょうか。ですから、皆さんが訓読会をすれば、皆さんに代わってその霊界が、先生がみ旨を成し遂げていくように協助できる再創造の恩賜圏内に追い込む、ということを知らなければなりません。

 これは、人類を救い、神様の摂理を完成するためです。そうではないですか。今、この時の訓読会を通して、霊界が皆さんに連結されるのです。お父様を協助していた霊界が、皆さんにも連結されて協助するというのです。(二九三―一〇五・一〇六、一九九八・五・二四)

 三回以上み言を読んで準備し、それから訓読する人は、霊界が協助して感動を受けるようになります。霊界の心情圏と相対圏ができるので、神様が降臨してすべてのものを主管されるようになるのです。蘇生・長成・完成、旧約・新約・成約時代を越えれば霊界が協助します。

 完全な主体は完全な対象を造成し、何千万人がいても相対圏が設定され、神様が臨在されるという恩恵を受けるようになるのです。それは、不思議な力です。(二九六―二三七、一九九八・一一・一〇)

 世の中のほかの言葉では、霊界が動員されないのです。このような先生のみ言は、すべて最前線で語ったみ言です。サタンと闘って決闘するとき、条件に引っ掛けようとするサタンを分立させてきた実戦史なのです。ですから、その実戦史を経て実戦史の伝統を受け継ぐことができるので、霊界に行ったすべての人たちは深刻になるのです。興奮して地上に来ようとします。

 先生の訓読会のみ言を聞けば、何か普通の言葉と違うのです。困難な迫害をはねのけたそのみ言なので、霊界がそのような基準を中心として、地上を早く蕩減しようとするのです。(二九一―三二三、一九九八・三・一九)

 先生のみ言は、五十年の歴史を経てきながら、霊界との一体的動静を連結させてきたので、み言が現れれば、過去の時代に霊界全体が協助し、その時に先生と切実に祈祷した心情圏が、そのみ言と共に世界を覆うのです。

 そこで訓読する人が涙を流せば、すべての人が涙を流し、感動を受ければ、すべての人が感動を受けます。どのような大衆が集まったとしても、そのようなことが起きるのです。なぜでしょうか。霊界が直接、再臨するからです。そのみ言を語った時に感動を受けていた霊人たちが、地上に来て協助するのです。

 ですから、皆さんの力で教育しても、天国に入っていく人は一人もいません。真の父母のみ言に従ってこそ、天国に直行できるのであって、いくら博士になって教えてあげても、その言葉には霊界が協助できないというのです。(二九六―二二一、一九九八・一一・一〇)

 一歩踏み間違えば死ぬ、そのような中でみ言を残さなければならないという徹底した生死の岐路に立ち、悲痛な心情で語ったみ言なので、訓読しながらそのみ言が出てくれば、神様と霊界との関係が結ばれ、すぐに霊界が連結されるのです。

 時間性を超越した、始めと終わりに連結することができ、天の協助的基盤が感動する皆さんの心に直接訪れることによって、先生が備えたこの世界の勝利圏まで、明かりをともし、ひもを結んで通じ得る基盤ができるので、訓読会が絶対に必要であることを知らなければなりません。(二九六―二一二、一九九八・一一・九)

 堕落後に、天使長世界とアダム世界を失ってしまったのです。しかし、この時代に、真の父母が現れて天使長とアダムを復帰するのです。堕落によってアダム世界と天使長世界が分かれ、人類と神様が分かれたのですが、真の父母が現れてアダム世界と天使長世界を一つに結んで戻っていくので、神様の位置に連結されるのです。

 神様が天使長世界とアダム世界に降りてこられるというのです。今がそのような転換時期です。ですから、先生のみ言を伝播しなければなりません。これは、完成家庭を再創造できるみ言です。これを読んで理解することにより、すぐに霊界がそこに協助するのです。霊界に革命が起きるというのです。(二七五―一七七、一九九五・一二・八)

 私は、何度も読みます。何度も読めば霊界が協助するのです。自分が書き、自分ですべて知っている原稿を何度も読むのです。なぜかというと、読めば読むほど、霊界があとからついて読むからです。「先生は何のみ言を、あのように何度も読んでいるのか」と、霊界がついてきます。たくさん読むほど、霊界が世界的な舞台に連結されていくというのです。そのようになって初めて波及していくのです。(二八五―二三八、一九九七・六・五)

 霊界が深刻な立場で先生のみ言を聞いて同調していた、その霊的基準があります。み言の対象的な立場に入っていくようになれば、数十年前に語った時のその霊的な世界が、皆さんを中心として協助できる因縁が連結される、ということを知らなければなりません。

 先生に同情して、先生の後ろについてきて内外を保護されていたその神様が、このみ言とともに相対的な実体を要求されるようになるのです。その時、皆さんを補助し、一日でも早く相対目的を完成して主体と一つになれる道を開拓してくださるのです。(二九二―一二二、一九九八・三・二八)

 何をもってサタンに勝つことができるのでしょうか。皆さんは、み言をもってサタンに勝たなければなりません。皆さんが原理を知っていると思っても、それを現実の基盤で確定し、蕩減復帰という事実を中心として、サタンが自分に攻撃戦を仕掛けていることを実感できなくなれば、信仰生活とは何の関係もありません。いくらみ言を語り、いくら努力したとしても霊界が協助しないのです。

 霊界にいるすべての霊人たちは、天使世界に相当します。ですから、皆さんが再創造の役事をするにおいては、神様が創造されたのと同じように、天使長の協助圏、善の霊界が協助できる内容を提示しなければならないのです。そのためには、原理原則のアダムの位置を守っていかなければなりません。

 原理原則の基盤においてサタンを分別して余りある、サタンが侵犯しない本然の原理原則的な基盤に立脚しなければ、サタンに勝つことはできません。サタンを除去できる基盤に自分が立つまでは、神様が干渉できないのです。問題はそこにあるのです。いつもそれを考えなければなりません。(一九八―七、一九九〇・一・二〇)

 どのようにすればそれぞれの家庭が確立するのか、ということが問題です。それは、み言を中心とした訓読会を通してするのです。家庭訓読会、教会訓読会、社会訓読会、国家訓読会、世界訓読会、霊界訓読会をすべてしなければなりません。霊界もそうです。今までは放送できませんでした。

 しかし、霊界も、今や放送時代に入ってくるのです。それは、霊人体の活動する人たちが、随時、霊界と連絡可能な連絡機関ができているということです。ですから、霊界は、地上よりも一片丹心、真心のこもった心がそのまま花咲く時代なのです。そこには、妨害する雑多なものが一つもありません。

 そのような意味で、私たちは、霊界に後れをとってはいけない立場にあるので、今後、責任を果たして私たちが先頭に立たなければ、様々な支障があるというのです。国を取り戻して世界に向かっていくにおいて、霊界よりも先んじなければならないのです。そのような責任を考えながら、今まで暮らしてきた習慣的信仰生活を一掃してしまい、新しい時代へと越えていかなければならない、そのような緊迫した事情にあることを、しっかりと体験してください。(二九七―二一八、一九九八・一一・二〇)

 霊界も、訓読大会をしていることを知らなければなりません。同じです。今、霊界も大変革です。霊界も革命が起きているのです。それよりも地上が先んじなければなりません。霊界は、眠りもせず、食べもせずに働くことができる所ですが、彼らが私たちのあとについてこなければなりません。先に行ってはいけないのです。先に行けば、皆さんの子孫たちが蕩減を受けるのです。蕩減しなければならないのです。行く道が広がるのではありません。蕩減しなければ復帰されません。(二九七―一七六、一九九八・一一・二〇)

 今、日本で行っている訓読教会をモデルとして、全世界がそれを相続しなければなりません。(二〇〇二・八・一五)

 訓読教会定着が家庭教会の完成です。祝福家庭王が定着する時代が、今なのです。祝福家庭が世の中よりも立派であることを見せてあげなければならない時代です。そのようにしながら、カイン世界を力ずくでも引っ張ってきて祝福してあげ、神様の血統と連結させ、サタンの血統を清算しなければなりません。そのようにしてこそ、入籍できるのです。(二〇〇四・四・八)

 私たち食口は、誰もが訓読教会をしなければならず、全国民を対象に、重生式、復活式、永生式の聖酒式を行い、祝福をしなければなりません。(二〇〇五・一・二二)

 皆さん、何よりもまず、皆さんの家族と氏族を祝福してあげ、彼らを中心とする氏族訓読教会を設立してください。家庭連合運動の勝敗はもちろん、大韓民国の統一、さらには人類大家族化の摂理的勝敗がここにかかっています。(二〇〇五・三・四)

 今後、村と村が競演大会をします。どれくらい訓読会をしたかという問題を中心として、そこに国家ならば国家的に表彰をしてあげ、家庭なら家庭に対する表彰をしてあげ、その次には、教会ならば教会、社会なら社会で表彰をしてあげ、その次にはすべての国で、その次には世界で表彰をする訓読会時代を開くのです。

 ですから、二十四時間、どこに行っても、このみ言を避けられない環境与件をつくっておかなければなりません。(二九六―二一七、一九九八・一一・一〇)

第四節 訓読会に臨む姿勢

 先生が場所を定めてさしあげながらこのような道を経てきたので、神様が安着できるのです。皆さんの家庭も、先生が安着できる家庭にならなければなりません。そのためには、『御旨の道』を読み、『原理(講論)』を読むのはもちろん、『祝福と理想家庭』や、今まで先生が語ったみ言の中で重要なみ言は、サタン世界と対峙して闘ってきた勝利の記録なので、すべて読まなければならないのです。(二八八―一六、一九九七・一〇・三一)

 訓読会を一度するよりも二度するのが良く、二度するよりも三度するのが良いのです。時間さえあれば訓読会をしなさいということです。(二〇〇〇・七・三〇)

 今まで、一番熱心に訓読会を行い、一言も、一文字も、一つの熟語も抜かさずに、一生懸命に訓読会をしたチャンピオンは誰でしょうか。お父様だということを知っていますか。

 それでは、お父様の息子、娘になろうとすれば、お父様よりも立派でなければなりませんか、立派ではいけませんか。父母の中で、子女が自分よりも立派でないことを願う父母はいません。いくら自分たちが立派でなくでも、自分たちよりも千倍、万倍も立派であることを願うのが父母なので、あなた方が敬い慕うお父様が本当のお父様ならば、そのお父様は、あなた方が自分よりも立派でないことを願うでしょうか、立派であることを願うでしょうか。自分の家庭よりも立派であることを願い、自分の願う国よりも立派であることを願うというのが原則です。(二〇〇一・一・一〇)

 今後、国民を中心として、訓読会の総時間がどのくらいかということを計算し、それが多い民族であるほど優秀な民族であり、それを条件として優劣を定める時がすぐに来るということを知らなければなりません。その時間が長ければ長いほど、訓読会の時間に精誠を尽くしたということなので、理解した基準が高くなるのであり、そのような人々の人脈が、天一国、神の祖国を守っていける主人公にならざるを得ないというのです。(二〇〇四・一・一)

 訓読会をするのに、「ああ、どうして五時なのか。六時、七時にして三十分やればよいではないか」と考えてはいけないというのです。五時間でも短いと思わなければなりません。

 一番訓読会を一生懸命にやる人は、お父様ですか、皆さんですか。(お父様です)。自分が話したことはすべて知っているのに、どうして訓読会が必要なのでしょうか。それは息子、娘に贈り物をしようと考えているからです。「私がこの期間に、より良いものを与えなければならない」と考えているので、疲れを感じません。その妙味が分かりますか。

 自分の愛する息子、娘たちを涙で教育し、「千里の道も遠くないと思って来てみると、今までこれ以上に価値のある時間はなかった」と言って感動する息子、娘の顔を見て喜び、また、父母の顔を見て喜ぼうとするならば、自分が誰よりも精誠を尽くさなければならないのです。ですから、一生懸命にやらざるを得ないという結論は、妥当な結論です。(二〇〇四・一・二八)

 皆さん父母は、どの家庭でも毎日訓読会をしなければなりません。そして、訓読会のみ言と一つになるために努力し、祈祷し、自分の生涯に不足なものを埋めてしまえば、この天一国の理想が、日増しに自分の解放圏に属し得る位置に立つので、天の喜びとなり、天の栄光となるのです。(二〇〇四・一〇・三)

 御飯を食べられなくても、朝食を食べられず、昼食を食べられなくても訓読会をしなければなりません。ですから、霊界をはっきりと知らなければならないのです。訓読会を始めてから一年八カ月がたちましたが、この期間で、皆さんは、霊界に対してどれくらいはっきりと知り、信仰基準の次元がどれくらい高まったかを知らなければなりません。

 どうして私に訓読会が必要ですか。すべて知っているのです。しかし、皆さんを教育するためには、いくら学者になったとしても繰り返さなければならないのです。伝統を残すために繰り返さなければなりません。

 皆さんも同じです。皆さんの一族に対して、繰り返して伝授しなければならないのです。そこでどれくらい精誠を尽くしたかによって、皆さんの子孫が正しい種となって歴史時代に必要な人になるか、そうならないかが決定するということを知らなければなりません。(三〇二―二九三、一九九九・六・二六)

 訓読会の重要性がどれほど途方もないか、ということを知らなければなりません。天上世界と地上世界の一族の首を一度に打つことができる内容をもつみ言です。そのことが皆さん自身にかかっていることを知らなければなりません。常に深刻です! 先生一人に、霊界にいる先祖から世界の子孫までのすべてがかかっているので、どれほど深刻でしょうか。一歩でも踏み間違えば、すべて覆されるのです。

 訓読会のこのみ言を取り除ける人はいません。このみ言をなくしてしまう知識はありません。このみ言をすべて無効にできる能力は、どこにもないのです。神様も除去できないことを知らなければなりません。サタンまでも除去できる時代を迎え、これがどれほど人類にとって希望的であり、神様にとってどれほど希望的な解放の時代であるかを知って、これを喜びで迎えなければならないのです。そこに喜びで歩調を合わせ、世界平和を成すことができる皆さんにならなければなりません。(二九六―二三七、一九九八・一一・一〇)

 成約時代がやって来たので、家庭が完全でなければなりません。家庭的カナン復帰完成時代である成約時代を迎えたので、訓読会を通してみ言に従い、皆さんの家庭が完成、定着すべき時代が来ました。

 ですから、そのみ言を聞くとき、流れていくみ言だと思って聞いてはいけないのです。そのみ言は、先生が生死の境で、死が目前に迫る中、「このみ言を残してから逝かなければならない」と思いながら、はっきりと教えてあげたみ言なのです。(二九二―一二二、一九九八・三・二八)

 訓読会をするそのみ言は、父母様が闘ってきた戦勝の記録です。勝利した伝統の記録なのです。天宙解放圏を成し遂げる時まで、この伝統的事実を自分の生活圏に適用させ、自分の生活を毎日のように批判しながら、自分自身が相対的実体圏を立てなければならないのです。(三〇一―八〇、一九九九・四・一六)

 訓読会をするときは、読んで、読んで、読んで、読んで、先生のその時の心情を越えなければならないのです。心情的に越えなければなりません。(二九二―三二二、一九九八・四・二七)

 今、このように訓読会をするのは、その時、霊界の深刻性をこの地に連結させ、皆さんに相続させてあげようとしているのです。皆さんがその時、その時代の先生の心情をもって、その時に同参できなかったことを残念に思い、その時に協助できなかったことを悔しく思う心で読めば、痛哭するのです。(二九二―二一五、一九九八・四・一七)

第五節 訓読会の方法

 皆さんは、夫婦だけでも毎日朝一時間ずつ訓読会をしなければなりません。もし朝にできなければ、夜寝る前、十二時でも、一時でもするのです。私はそのようにしています。今回、南米を巡回するときも、十二時を越えて疲れていたのですが、それをやりました。一日でも欠かすことはできないのです。(二八八―四一、一九九七・一〇・三一)

 全国的に祝福家庭は、朝五時から一時間の訓読会の時間をもつことによって、家庭が定着するようになるのです。自動的にそのようになります。

 先生は、はっきりと知っています。その内容を聞けば、涙を流さざるを得ません。誰かがいくら感動的な内容で話をしたとしても、そのようにはなりません。ですから、訓読会の時間に、いつも涙を流すようになれば、心霊状態がどれほど発展するかを考えてみてください。間違いないというのです。そのような心情が連結されることによって、先生が皆さんに歴史を相続させるのです。そのように深刻な時間を、適当に過ごさないよう各自が注意しなければなりません。(二八七―一八七、一九九七・一〇・三〇)

 本をもってしなければなりません。訓読会をして、必ずいくつかの題目を質問させなければなりません。そうすべきであって、聞いただけで終わってしまってはいけないのです。必ず本を見て一緒に読みながら、赤線を引きながら研究していかなければなりません。ただ読んでいては、流れてしまいます。一緒に読み、十ページを読んでから、読んだ人が指名すれば、その指名された人がその次を読むようにしなければなりません。そのようなやり方でするのです。

 ですから、訓読会の良いやり方は、本を配って、読むときは本を持っている人が読んでから、「次は誰々が読んでください」と指名するやり方なのです。これを訓練しなければなりません。そして、訓読会に十人が来れば、必ず三人、つまり三分の一の人が関心のある所に質問できるようにするのです。時間が足りなければ、何人かだけに質問させて、その質問に対して解説してあげるのです。それが講義よりも重要であることを知らなければなりません。

 ですから、誰か一人だけが代表して読むのではなく、順番に読むようにするのです。一時間あれば、四十ページ近く読めます。速く読めば五十ページまで読めます。そうすれば、その中で十ページずつ五人が読むようにして、すべて訓練させなければなりません。それを読みながら、自分の声に感動しなければならないのです。(二九六―三二九、一九九八・一一・一八)

 訓読会は、先生のみ言でしなければならないのです。そこに自分たちの言葉を付け加えるのを嫌います。訓読会をするとき、自分を紹介してはいけません。神様を紹介し、先生を紹介しなければならないのです。そうでなければ汚れるのです。ですから、精誠を尽くして自分が天のみ言の前に主体となり、主体になれなければ対象となり、自分の口を通して天のみ言を伝えなさいというのです。(三三五―三一六、二〇〇〇・一〇・七)

 訓読会が重要です。先生が教えてあげたこと以外に、雑多なものを入れてはいけません。完璧な訓読会にならなければなりません。『御言選集』の中から、骨子を選び抜いて訓読会をするのです。先生がしてきたすべてのことを理解できなければなりません。先生が闘ってきた歴史が、どれほど悲惨な境地を越えて勝利圏を成したのかを知らなければなりません。それは、どのようなものよりも貴いのです。(三一五―一九二、二〇〇〇・二・一)

 訓読会で教育しなければなりません。教育が訓読会です。それで、「黒板に書きながら講義するな」と命令を下しました。「本でしなさい」と言いました。十回読み、百回読めば、自動的に骨子がすべて分かります。繰り返さなければならないのです。技術者たちも繰り返さなければなりません。有名な選手やチャンピオンも、繰り返して繰り返してなったのです。繰り返しの大王がチャンピオンです。(三一八―四五、二〇〇〇・三・一)

 訓読会も自分たちだけでしてはいけません。親戚や友人たちを集めてしなければなりません。「朝、来てください」と言って訓読会をして、一緒に朝食を食べるようにするのです。先生は、「自分たちだけでしなさい」とは言いませんでした。隣人を結ぶ運動をしなければなりません。自分たちの息子、娘だけでなく、いとことかおい、めいなどもいれば、すべて呼ぶのです。「来てみなさい、いいものがあるから!」と言って、呼んで一緒にしなければなりません。(三〇九―九〇、一九九九・四・一三)

 息子、娘に対しては、趣味的な内容を構成して、花火を打ち上げるような楽しい内容を計画してあげてこそ、その本をすべて教育できるのであって、訓読会をただそのまますることができるでしょうか。霊界の事実をはっきりと知らせて、関心をもてるようにしてこそ永遠に跳躍するのです。(二九八―三一、一九九八・一二・三一)

 女性たちが訓読大会をたくさんしなければなりません。男性の声よりも女性の声のほうが聞きやすいではないですか。なぜでしょうか。男性でも女性でも、二十代でも、四十になっても母親のことを考えるというのです。皆、そうです。ですから、女性の声は、男性も喜び、女性も喜ぶのです。訓読会の時には、女性を立てるのです。(二九一―三二一、一九九八・三・一九)

 それでは、誰が訓読会をしなければなりませんか。誰が堕落したのかといえば、アダムとエバです。青少年たちがしたので、青少年たちが訓読会をしなければならない時が来ました。高校に通う人たちが訓読会をしなければなりません。すべての国の青少年たちがそのようにすれば、青少年の淪落、堕落した家庭、アメリカの破壊された家庭が復活していくというのです。

 アダムとエバが堕落することによって、青少年が堕落することによって、アダム家庭と国と世界が破綻したので、これを皆さんが完成しなければなりません。若い人たちが、堕落したことに対して父母の前で涙を流しながら、このような訓読会をしてみなさいというのです。(二〇〇二・七・四)