侍義と精誠の生涯

洪順愛

一九一四年陰暦二月二十二日生誕
一九八九年陰暦十月五日昇華

 今年の十一月四日(陰暦十月五日)は、洪順愛大母様が昇華されて八周年に当たります。そこで、一九七五年八月十日(日)、大母様がベルベディアでご自身の路程について証しされた内容を掲載します。(文責・編集部)

 きょう私は、アダム・エバが堕落することによって、神様は六千年間、復帰歴史をなさるのにどれほどご苦労されたかということをお話ししようと思います。

 今から五十三年前(一九二二年)、現在の北朝鮮で、金聖道老人を通して新しい役事が現れました。金聖道おばあさんは、キリスト教徒であったわけではありません。

 特別な信仰も持たず、結婚して五人の子供たちを抱えて暮らしを支えていく中、金聖道おばあさんは、突然病気にかかりました。そこで、イエス様を信じる勧士たちを連れてきて按手を受けると、病が癒されたのです。

 このおばあさんは、家庭生活をしていましたが、夫婦の愛情を知らないで暮らしていました。按手を受けてお祈りをしてもらうことによって病気が治ったので、イエス様を信じることが、どれほど素晴らしいかをおばあさんは感じたのです。

 イエス様を信じることのほうが、家庭生活よりももっと面白く、生命の糧となったのです。しかし、あまりにも主を信じることに熱心だったので、夫の迫害が始まりました。

 金聖道おばあさんが礼拝に行くと、夫は礼拝堂までおばあさんを捜しに行き、見つけ出すと、引きずり出して、たたいたり、刃物で刺したりと、おばあさんは言うに言えないほどの迫害を受けたのです。しかし、この金聖道おばあさんは、夫の迫害に屈することなく暮らしていました。

 日曜日になると、夫が「おばあさんはどこに行ったのか? 教会に行ったのか?」と、子供たちに聞きます。子供たちは、お母さんの味方なので「知りません」と答えると、「当然、イエスを信仰しに行ったんだろうに」と言うのです。

 そのおじいさんの家から教会までは、ベルベディアからイーストガーデンまでくらいの距離(注・車で五分ほど)にありました。そのおじいさんは教会まで走っていって、み言を聞いて恩恵を受けようと座っているおばあさんの髪をつかんで、犬を引きずるようにおばあさんを引っ張って家に帰ったことが、三度もあったそうです。

 しかしおばあさんは、そのようにされればされるほど、もっと力が出るようになり、屈することはありませんでした。

 「いくらこの老いぼれが私をたたき、犬のように引きずり回したり、刃物で刺したり、どんな迫害をしても、主が私の命を取り去ることはない」

 このような徹底した信仰を持って暮らしていたので、おばあさんはさらに信仰が深まり、勇気がわいてきたのです。おばあさんは、七日断食をしながら、すべての試練を乗り越えるのに七年間かかりました。

 そのおばあさんは、勉強をたくさんしたわけではありません。ハングルしか知らなかったのですが、気立てがとても優しくて善良なので、天がこのおばあさんを召命して摂理なさろうとされたのです。

 その後、天はおじいさんを打ったため、おじいさんは半身不随となりました。おばあさんは、おじいさんが半身不随になったので、思う存分教会に行っても、教会から引っ張り出されて、たたかれることはないと思い、神様の前に感謝の思いでいっぱいになりました。ですから、熱心に教会に通ったのです。

 日曜日には必ず精誠を尽くし、斎戒沐浴をし、白い服を着て礼拝に行くと、おじいさんは子供たちに聞くのです。「うちのお母さんは、どこに行ったんだ?」。子供たちが、「知りません」と答えると、「このあまが、また教会に行ったのか」とおじいさんは言うのです。

 教会から帰ってきて、おばあさんが、「教会に行ってきました」と言うと、動くほうの腕でおばあさんをたたいたそうです。半身不随となってからも、おばあさんをたたくのですから、おばあさんがイエス様を信じることが、おじいさんにとってどれほど憎いことだったでしょうか。ですから、おばあさんは三年間、わざと鞭で打たれてあげたそうです。

 しかし、おじいさんの迫害はやまないので、天はおじいさんを霊界に連れていきました。それによって、おばあさんはどれほど楽になったかしれません。そうして、イエス様に命をささげ、一心不乱に信ずることを決心しました。

 娘たちは、お父さんがお母さんに悪い試みをたくさんしたので、お父さんが死んでも、涙は一滴も流さなかったのですが、おばあさんはかえって泣いたそうです。

 「お母さん、どうして泣かれるのですか?」と、子供が尋ねると、「あのおじいさんが地獄に行ったかと思うと、かわいそうで泣いているのだ」と答えたそうです。

 おじいさんが亡くなることによって、財産問題で大変な争いが起こりました。おばあさんは、鐵山郡(注・平安北道定州郡の西方の位置)でもまずまずの金持ちだったのですが、腹違いの息子に財産を寛大に譲り渡し、ごく小さな土地に家を建て、熱心に主を信じて生きることを誓ったのです。

    * * *

 おばあさんは、毎日礼拝堂に行ってお祈りする中で、牧師を神様のように尊敬し、その牧師から神様のみ言を聞くようになりました。

 ところが、神様のみ言を語っていたその牧師が、男女問題で堕落してしまったのです。おばあさんは、以前にも増して切実に、「どうして、神様のように信じていた牧師が、このようなことをするのですか?」と天の前にお祈りをすると、神様は創世記三章を教えてくださいました。

 神様は、「今日まで全世界のキリスト教徒の中で、この根本問題についてこのように探り出そうとした人は一人もいなかった。しかし、おまえがこのように熱心に知ろうとするので、教えてあげよう」と言われたのです。

 エデンの園でアダムとエバは、性問題によって堕落したのであり、善悪の果とは、果物のことではないということをそのとき教えてくださいました。「全人類には原罪がある」と言われたのです。

 それでおばあさんは、「この原罪を脱ぐためにはどうしたらいいのですか?」と、またお祈りを始めました。お祈りの中で、「イエス様の血の功労によって原罪がなくなるのであり、イエス様の血の功労がなければ原罪はなくならない」という確答を得たのでした。

 全世界のキリスト教徒は、神様は全知全能であり、天の高い御座におられて、人間に福だけを与えておられ、悲しみなどは一つもないと思っているのですが、お祈りをする中で、そうではないということが分かったのです。

 また神様は、「二つの大きな悲しみがある」と言われました。一番目は、愛する息子と娘が堕落したことによる悲しみ、二番目は、死ぬはずではなかったイエス様が、十字架で殺害された悲しみです。

 それでおばあさんは、神様は復帰歴史の中で、悲しみの涙を流されながら役事しておられたということが分かったのです。

 このような話をすると、私も涙が出ます。皆さん、考えてみてください。愛する子女が自らの懐を離れ、親の言うことを聞かなかったために心を悩ませているとき、親はどれほど心が痛むでしょうか。

 私たちは、原理を通して良く知っています。神様が、アダム家庭からノア家庭、アブラハム家庭と経て復帰摂理をなしてこられたのをご存じでしょう。四千年の基台の上で、神様がユダヤ選民に、愛するひとり子のイエス様を人類の真の父として送ってくださったのです。

 しかし、イエス様は生まれたときから、どれほど悲惨な境遇におられたでしょうか。きょう、ここに座っている食口の皆さんは、イエス様のように、かわいそうな立場で生まれたのではありません。

 イエス様が、ベツレヘムという小さな町の馬の飼葉桶の中で誕生されたことを、もう一度思い出してみてください。イエス様の三十三年間の路程が、どれほど悲惨な路程だったでしょうか。

 ユダヤ選民は、メシヤが来られることを待ち焦がれていたのですが、メシヤが来られても無知で見分けることができず、蔑視し嘲弄したという事実をもう一度考えてみましょう。この責任はだれにあるのでしょうか?

 第一にマリヤの家庭に責任があり、第二に親族に責任がありました。それで、イエス様は家族から追われ、氏族から追われ、民族から追われるようになって、結局、逆賊として十字架で殺害されてしまったのです。

 そのような神様のひとり子、貴い天の皇太子を逆賊として追いやり殺しておきながらも、そのかたの血の功労で救援を得ようとするキリスト教徒を見詰めておられる神様は、どれほど悲しかったか、言葉では言い表すことができないのです。

 この金聖道おばあさんは、今日のキリスト教徒や全世界が知ることのなかった、このとてつもない真理を神様が教えてくださることによって、さらに命懸けで働き始めました。

 そのおばあさんは、神様と一問一答しながら新しいみ言を発見したのです。そのため、おばあさんに恩恵が満ちあふれ、顔は光り輝いていました。それが自然に噂となって、韓国にいるキリスト教徒たちの中で、信仰に渇きを覚える人たちがおばあさんの元に集まり始めたのです。

 そこに集まって新しい真理のみ言を受け、恩恵を受けるなかで、幼いときから二十年とか三十年の間に犯した罪を、ごく小さな罪まで一つ残らず天の前に悔い改めて、初めて心がすっきりして感謝するようになりました。

 そのことで、長老教会からは異端だと責め始められることになりました。しかし、いっそう力を出して神様と一問一答しながら、限りない恩恵を受けるようになったのです。

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 そのおばあさんに五人の子供たちがいましたが、その中に鄭錫天長老夫妻がいました。天はその夫婦を中心として役事を始められたのです。嫁は崔牧師の娘ですが、その嫁は  姑  の話によく従いました。

 ところが、息子の鄭長老は、数多くの人たちが恩恵を受けるためによく集まってくるので、少し金もうけをしようとしたのです。その人たちに食べさせるためには、お金を稼がなければならないと考えて、お母さんの言葉に従わず横道にそれ始めました。

 そのようにして、おばあさんを中心として、息子と嫁を立てて摂理なさろうとした天のみ旨から、だんだん離れていくようになったのです。

 韓国の津々浦々から、多くの人が集まって来て恩恵を受けましたが、そのなかで一番弟子が私でした。二番目は李一徳、許孝彬夫婦です。そのときは原理はありませんでしたが、直接み言を聞いて実行しました。

 ここではっきりしておくべきことは、金聖道おばあさんは迫害を受けながらも、絶対的な信仰と精誠で屈せずに歩んできたということです。復帰摂理を通じて見れば、エバの堕落のために女性が先に蕩減復帰しなければ、再び来られる主の足場となれないのです。このことをはっきり知っておいてください。

 神様は、「今から来られる再臨主は、二千年前のイエス様が来られたユダヤの地ではなく、東方の日が昇る国に来られる」と、言われました。

 おばあさんは、さらに天から再臨主が来られる国も教えていただき、また復帰摂理のみ旨も全部教えていただいたのです。しかし、息子と嫁がそれを実行できずに摂理が失敗していくとき、おばあさんはどれほど胸が詰まり、もどかしかったかしれません。

 それで、神様は平壌にいる李一徳、許孝彬夫婦に新しい役事を始められたのです。許孝彬集団ではどのような新しい役事を教えてくださったかといえば、「再臨主のために侍る準備をしなさい」ということです。侍る準備をする中で、金聖道おばあさんは亡くなられました(注・一九四四年四月一日、死去)。

 そのため、許孝彬氏が金聖道おばあさんのように、天の前に切実にお祈りしたのです。そのときの信者は、不信する者は一人もいませんでした。金聖道おばあさんをb新しい主aとして信じ、そのかたを通じて地上天国が成されるのを信じている純粋な信徒たちでした。

 許孝彬氏は、「私たちは中心を失ったので、何に向かって新しい役事をしますか?」と三か月間、必死にお祈りするなかで、お腹から陣痛がきたのです。

 体が動き、イエス様のみ言が出てきました。許孝彬氏は、イエス様が悲惨な境遇にあったことを知って、どれほど泣いたかしれません。それから、イエス様の恨みを晴らすために精誠を尽くされたのです。

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