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今日の高砂部屋
平成24年5月28日
大関魁皇引退浅香山襲名披露大相撲。平成の大相撲界を背負った名大関の引退相撲である。若松部屋の頃は、友綱部屋、宮城野部屋と合同で稽古をしていたので、17,8歳の頃から稽古場でよく見ていたが、幕下のころからスケールの大きさは際立つものがあった。優勝を5回しながらも横綱に上がれなかったが、その後の満身創痍の中でのひたむきな土俵態度や1047勝という通算最多勝利数などは、名大関でいたからこそであろう。先日国技館で挨拶を交わしたが、飾らない人柄と謙虚な態度は親方となった今も変わらない。若い頃の豪放な酒乱ぶりも魅力ではあったが。
平成24年5月22日
午前7時半網地島を出港して隣の田代島へ。田代島は猫島として有名な島で、人よりも猫のほうが多く住んでいるそう。もっとも全島民80名ほどだそうで、港からほどちかい開発センターでちゃんこをつくりマワシ姿の4力士が、四股や股割り、技を披露。島民の半数近くになる30名あまりの方が集まり、お相撲さんに挑戦したり質問や写真撮影などで楽しく過ごす。終了後モーターボートで石巻の鮎川港に渡り、老人ホームを二か所慰問。
「江戸の大関より、おらがくにの三段目」という通り、石巻出身の朝天舞には大きな拍手が送られ、5勝2敗で幕下復帰の活躍に元気な笑顔が咲きほこっていた。
平成24年5月21日
旭天鵬の劇的な優勝で幕を閉じた五月場所千秋楽。花道で待つ付人や関係者の涙でも感じられるように、今場所前に消滅した大島部屋のリーダーとして人望厚く、温厚な人柄は横綱朝青龍も兄のように慕っていた。関り合っている周りの人々が心から祝福する優勝であった。朝天舞、朝弁慶、朝乃丈、朝興貴の4力士、宮城県石巻の網地(あじ)島を訪問。ホームの慰問や、生活センターで地元の人たちと技の紹介、相撲甚句、チャンコなどで交流。
平成24年5月20日
墨田区は、本所区と向島区が合併して墨田区となった。昭和22年のことである。本所一帯は、もともと低湿地で人家も少なかったらしいが、江戸時代の振袖火事とよばれた明暦の大火(1657)の教訓で、新たに屋敷地をつくるために開削され土を盛り上げ街が造成された。死者10万人を超える明暦の大火の死者を埋葬するため回向院ができ、火事の4年後には両国橋が架かり、橋の両側に火除地として広小路ができて芝居小屋、見世物小屋で賑わい、回向院境内での大相撲興業につながった。両国は江戸文化の中心地であった。朝弁慶5勝目。幕下復帰の可能性が高まった。すでに幕下復帰を決めている朝天舞も5勝目。
平成24年5月19日
スカイツリーオープンまであと3日と迫り地元墨田区は祝賀モードで沸き立っている。墨田区本所3丁目の高砂部屋からも4階屋上に出ればその偉容が目に飛び込んでくるし、国技館からもよく見える。今日明日は、地元町会による神輿や出店、コンサートなど盛りだくさんの前祝いイベントで22日の開業を待つ。墨田区が、お江戸の、日本の、注目を集めている。朝龍峰5勝目。朝興貴5勝目ならず三段目復帰は アゴ。大子錦、朝乃土佐も勝越し。
平成24年5月17日
「十両格行司」「十両呼出し」と一般的に使われるが、「十両」は通称で、正式には「十枚目格行司」「十枚目呼出し」である。もちろん力士も「十枚目」が正式な地位名になる。幕末から明治にかけて幕下10枚目までを関取待遇として十両の給金を出したことによるという。序二段朝龍峰、朝奄美勝越し。三段目でも朝天舞、朝弁慶が勝越し。三段目3枚目の朝天舞は幕下復帰が確実。朝弁慶はあと一番勝てば幕下復帰の可能性も出てくる。
平成24年5月16日
裏方である行司、呼出し、床山にも、力士とおなじように階級がある。床山は見習いから始まり五等、四等、・・・一等、特等と昇格していくが、行司は、力士と同じように序ノ口格から始まり、序二段格、三段目格、幕下格と昇格していき十両格になると資格者となる。力士でいえば関取待遇である。呼出しも、同様に序ノ口から始まり十両呼出しになると資格者になる。資格者になると一日2番ずつ土俵に上がるが、今場所は、呼出し邦夫の呼び上げで力士が土俵に上がり、木村朝之助が相撲を捌く、高砂部屋コンビの姿が十両始まってすぐの取組で見られる。
平成24年5月15日
朝から雨の五月場所10日目。いつもは爽やかに旗めいている力士幟も雨をすいこみ水垂れて重たそう。幟を上げられるのは十両以上の関取のみだが、呼出しや行司も十両格以上になると幟を上げることが出来る。入門20年目を迎える呼出し邦夫、今場所両国駅から国技館へと向かう目立つ場所に
幟が上がっている。高校の同級生4人が連名で20周年記念にと上げてくれた幟だそう。
序二段30枚目の朝興貴、今場所第1号の勝越し。三段目復帰にはあと1勝しなければならない。
平成24年5月14日
宮城県石巻出身の朝天舞。今場所は三段目3枚目と勝ち越せば幕下復帰が確実な番付。今年の正月には久しぶりに帰省したが、家族も少しずつ日常を取り戻しつつあるものの復興への道程はまだまだ遥か遠いという。稽古に励み番付をどんどん上げていくことが、家族への、石巻への大きな支援になる。今日は快心の相撲で3勝目。場所後には、力士数名で石巻の猫島などへの慰問も予定されているので、あと一番、幕下復帰を決めて故郷に錦を飾りたいところである。
平成24年5月13日
五月晴れの中日8日目。新緑を吹き抜ける薫風が心地よい。お相撲さんにとっては五月、七月、九月が浴衣の季節だが、七月・九月は浴衣には暑過ぎ、着て歩くだけで汗だくになってしまう。五月場所こそが浴衣にふさわしい場所だといえる。稽古場でもさわやかないい汗をかくことができ、稽古にも一番いい季節である。入門8年目、初日から2連敗と弟弟子の後塵を拝していた朝奄美、2勝2敗と星を五分に戻す。朝奄美は季節に関係なく真冬でも四股を10回踏んだだけで汗をかくが。朝興貴、給金相撲(勝越しのかかった相撲)を落とし勝越しならず。
平成24年5月12日
朝興貴、朝龍峰の二人は入門3年を過ぎ4年目に突入している。少しずつ力をつけてきたとはいえ、稽古場で毎日見ている限りには兄弟子たちにはまだまだ歯が立たず、成長度がわかりにくい。3年ぶりに新弟子が入ってきて胸を出す立場になってみると、新弟子に思い切り当たられてもしっかり受け止め、突き放しと力の違いを見せられるようになった。下ができると傍目に見ても力がついたのがわかるし、本人の自信にもなるのであろう。共に3連勝と勝越しに王手をかけていたが、朝龍峰今場所初黒星で第1号の勝越しならず。
平成24年5月11日
今場所初めて番付に名前が載った朝剣、中学時代は剣道部で活躍していた。ただ体が大きかったので、時折川口市(埼玉県)の相撲大会にも出場したことがある。入門すると通う相撲教習所は、入門者を強い順からABCと分けて稽古させているが、朝剣は中級者とでもいうべきB班で稽古しているという。運動神経もそこそこあり、頭からもしっかり当たれて稽古場ではそれなりの力をみせているが、本場所ではまだ緊張感が強いらしく、一番弱いC班の同期生にも負けてしまっていた。今日ようやく序ノ口での記念すべき初白星。この1勝で少しは緊張感もほぐれ力を発揮してくれることであろう。これから何年間、いくつの白星を積み重ねていけるか。
平成24年5月10日
今日勝って3勝目の幕内朝赤龍、初日から連日懸賞がかかっている。東大阪を拠点とする大阪バスという会社で、全国にグループ会社を展開する社長が師匠と昔から懇意にしているご縁で、今場所15日間朝赤龍の取組に懸賞をかけて下さることになった。今日で3本目の懸賞獲得。応援してくれる社長のためにも最低10本は懸賞金を獲得したいところである。また今場所は「平成中村座 五月大歌舞伎」(1月19日)からも15日間懸賞がかかっている。
平成24年5月8日
脇が開いてしまってしまって相手にすぐ差されてしまうことを脇が甘いという。脇が甘くて相手に双差しに(両腕とも差されてしまう)なられると、重心が上がり残せない(踏ん張れない)。逆に相手の方は中に入って腰を落とせるから楽に攻めることができる。入門4年目の朝龍峰、馬力はそこそこついてきたものの脇が甘く腰が引けてしまう欠点があり番付を上げられずにいるが、だんだん足が前にでるようになってきた。足が前に出れば腰も前に入り、たとえ差されてもおっつけて前に攻められるようになる。今日も前に出る相撲で2連勝。朝天舞、朝乃土佐も2連勝。
平成24年5月7日
始まったばかりで気が早いのですが、5月20日(日)午後6時半より行なわれます高砂部屋千秋楽打上パーティーのご案内です。大子錦特製のちゃんこもあります。高砂部屋グッズなどが当たる抽選会もあります。
平成24年5月6日
新緑に風薫る五月場所初日。午前8時20分より序ノ口の取組が始まる。昨日の土俵祭りで清められた土俵上で初めて相撲を取るのは序ノ口21枚目の朝雄大。五月場所は朝雄大に始まり白鵬で終わる。その朝雄大、場所前の稽古で頭がわき(ぶつかりで内出血して腫れ)血が目に下りてきて片目がふさがってしまった(新弟子にはよくあることだが)。今日の相撲でも片目(初白星)があかなかったが、初日6勝2敗と好調なスタートの五月場所高砂部屋。
平成24年5月5日
午前10時より土俵祭り。最近は三役以上の力士も羽織袴で土俵下に控え、木村庄之助祭主の土俵祭りを見守る。一般公開もされているので、桝席には一般の大相撲ファンの姿も。土俵祭り終了後触れ太鼓が土俵の周りをまわり街へと繰り出す。また国技館玄関横では初場所優勝の大関把瑠都と春場所優勝の横綱白鵬に優勝額の贈呈式が行なわれる。優勝額は高さ3mあまり横2mあまりの大きさで白黒写真を実物の1,5倍ほどに引き伸ばして上から油絵具で彩色する。昭和26年の照國以来60年余り、佐藤寿々江さんが一人で描きつづけている。
平成24年5月4日
突っ張りを覚えるのは難しい。現役時代何度か覚えようと試みたが、つい押してしまい、ものにはならなかった。突き押し相撲というが、「突き」と「押し」は相手との間合いが全然違う。「突っ張る」には、立合いで相手を突き放して間合いを開けなければならない。肘が伸びて相手との距離がある程度できないと突っ張れない。逆に押し相撲は、相手とくっつかないと押せない。どちらかというと、四つ相撲の間合いに近いくらいである。最近まったく突っ張れなかった朝興貴、ようやく立合いの突き放しが出て、久しぶりに何番か突っ張りで相手を土俵の外に出すことができた。初日まであと2日。
平成24年5月3日
逆に朝興貴のほうは最近精彩を欠いている。もともと草食系で、新弟子への指導的なことも苦手なタイプで、「ちゃんと教えてやらんか」と怒られることも多くなった。怪我のせいもあるのだが、今まで圧倒していた朝龍峰や朝奄美にも分が悪くなり、その分ぶつかり稽古でドロドロになっている。肉体的にはいいものをもっているだけに今は我慢の時期である。飯の時にはみせる積極性が稽古の時にも表面に出てくればいいのだが。強くなっていき方も、人によっていろいろな波がある。
平成24年5月2日
朝龍峰と朝興貴は三年前に入門したが、その後新弟子が入らず、三年間一番下で下働きを余儀なくされてきた。今年ようやく2人の新弟子が入門して多々の雑用からも少しは解放され、時には指導的な立場にも立つようになった。今まで稽古場であまり めが出なかった朝龍峰だが、胸を出せる新弟子がはいってきたことで自信もついてきたようで、今まで分の悪かった朝興貴とも五分以上の相撲を取るようになってきた。これも、心の持ちようが強さをつくっていく一例である。
平成24年5月1日
強くなっていくことは難しい。もちろん稽古しなければ強くならないが、稽古量と強さが比例するわけではない。強くなっていくときも、階段を一段一段登るように強くなるときもあるが、ある日突然強くなるときもある。これを「化ける」という。しかしながら大半は、稽古をやってもやっても変わらず、一進一退をくり返し、そのうち年齢と共に衰えていく。心技体というように、強さは、意識や気持ち、技術、肉体的強さが絡み合って成り立っている。肉体的な強さは徐々にしか変わらないが、大勢の観客の前での一番が、心を大きく変えることがある。
平成24年4月30
一昨日の連合稽古や巡業の稽古などでは、2,30人が一同に土俵を囲むから、やる気がないと一番も稽古できなくなってしまう。やる気があって積極的に声を出して揉みに行っても、勝負が決まった場所の近くにいないと買ってもらえない。目の前で勝負が決まっても、声の出し方、足の出し方がワンテンポ遅れると横から割り込まれてしまう。土俵内の力士の相撲っぷりや強弱などを予想し、感を研ぎ澄ませ、一歩目を早くして、勝ち力士の顔の前に自分の顔を持っていくことが必要になる。買ってもらって勝ち続けさえすれば何十番でも稽古ができる。
平成24年4月29日
申し合い稽古は、勝った力士に次の相手の指名権がある。そこで、勝負が決まると勝った力士に周りで見ていた力士達がいっせいに群がる。「ごっつぁんです!」「ごっちゃんし!」「ごっつぁん!」自分を買ってもらおうと(指名してもらうこと)必死で自分の存在を売り込む。初めて稽古を見る人にとっては大声で叫びながら力士たちが群がっていく光景が面白いらしく、「あれ何しているんだろう?」と妙に受けながら不思議がっている人が多い。勝負の決まりどころを見極め、素早く移動して、他人を押しのけ積極的にいくことが、心身の鍛錬にもつながる。これを「揉みにいく」という。
平成24年4月28日
両国にぎわい祭り。国技館会場は、「高砂一門感謝の集い」で高砂一門の連合稽古。高砂、九重、八角、中村、錦戸、東関部屋の力士が100人近く本土俵の周りを囲み、序ノ口・序二段、三段目・幕下、関取衆と申し合い稽古を行なっていく。10時から稽古開始して10時半前にお客さんを入場させると、用意された正面と西側の桝席はあっという間にほぼ満席となった。12時からは子供たちとの稽古で沸き、親方5人(九重、八角、高砂、錦戸、佐ノ山)によるトークショーも元NHKアナウンサー石橋さんの司会のもと、稽古の話や今だから言える話などお客さんを大いに楽しませた。あすは横綱審議委員会総見稽古。開場7時で無料一般公開されます。
平成24年4月27日
朝雄大は180cm、100kgと15歳にしては立派な体格だが、小・中学校と運動経験はまったくない。昨年夏、初めて夏合宿に参加したときには稽古中まっすぐ立っていられなくて、しばしば壁にもたれかかっていた。半分お客さん扱いだった3月場所を終え、相撲教習所に通い、部屋での稽古でも何度か悲鳴を上げたり涙をみせたりしながらも2ヶ月間休まずつづけてきた。ようやく稽古中も壁にもたれずに立っていられるようになり、挨拶もできるようになってきた。まだまだ力士への道程は長いが。それも大相撲ならではのことである。
平成24年4月26日
宮城県石巻の石巻市立牡鹿中学校の3年生20名が稽古見学。生徒に修学旅行のとき東京で行きたいところとアンケートをとったら、相撲部屋の朝稽古という声が多かったらしく地元石巻出身の朝天舞の母親を通じて話があり、今朝の見学となった。泥まみれ汗まみれで何度もぶつかっていく力士の姿を見て感じるものは大きかったようで、真剣なまなざしで稽古に見入っていた。稽古後ちゃんこを食べ、地元の先輩朝天舞と記念撮影。先輩の頑張りを胸に、これからそれぞれの道で地元の復興の力になってもらいたい。
平成24年4月24日
5月場所に向けての稽古始め。7時に稽古開始で8時半より土俵祭り。今場所は従来通り木村朝之助祭主で安心して見られる。相撲教習所の授業は番付発表前までなので、今日から朝剣、朝雄大の新弟子二人も部屋での稽古に加わる。三月場所の稽古場ではまだ半分お客さん扱いであったが、そろそろ本格的な稽古が始まってゆく。三月は、休み休みしか踏めなかった四股もようやくつづけて踏めるようにはなってきた。二人増えただけだが、稽古場がずいぶん賑わいで見える。
平成24年4月23日
5月場所新番付発表。朝赤龍は東前頭14枚目。朝弁慶の負越しで幕下が一人もいなくなってしまったが、3月場所初土俵を踏んだ踏んだ二人の四股名が初めて番付に載っている。朝剣は西序ノ口15枚目、朝雄大は西序ノ口の一番ケツ21枚目。相談役武蔵川親方と放駒親方の名前のすぐ横にある。高砂部屋全力士の新番付です。5184000番目と5185000番目のお客様、送り先を書いてメールください。5月場所新番付と高砂部屋便り10号をプレゼントいたします。
平成24年4月21日
4月28日(土)両国にぎわい祭りの高砂一門連合稽古、他の催しの詳細も決まりました。『高砂一門 感謝の集い』と銘うって、午前10時半から12時まで稽古の後「関取と子供の稽古」つづいて九重・八角・高砂・錦戸・佐ノ山親方による「親片トークショー」(以上は土俵で)。その後エントランスホールにて元北勝力の谷川親方の「大銀杏髪結い実演」 中村親方・元高見山・KONISIKIによる「対談」 呼出し利樹之丞による「櫓太鼓実演」。KONISIKIさんの歌とトークショー。その他屋外テントなどにてサイン入りポスターの配布や握手、写真会、髪結い(ちょん髷)の公開なども行なっています。
平成24年4月19日
呼出し永男さんには平成6年マガジンハウスから出版した『相撲甚句・有情』という著作がある。人情味溢れる朴訥な永男さんの語り口そのままの文章で、入門してから48年間の呼出し人生の泣き笑い裏話や甚句の話が、相撲甚句の歌詞を挟みながらつづられている。しんみりホロリとした人情と
ユーモアが織り重なる相撲甚句の世界そのものと永男さんの人生が重なっている。
平成24年4月18日
昔ある宴席で永男さんと同席させてもらったことがあり、そのとき相撲錬成歌の話を聞かせていただいた。元横綱栃錦の春日野理事長から直々に作成を依頼されたという。作詞して理事長のところに持っていくと、ざっと目を通しだけで机の中にしまわれるらしい。「うん、まだあるだろう?もっと考えてこいよ」 そんなことが何度か続き、これしかないという自信作をもっていったが、「うん」 とうなづいただけで、机の中にしまわれてしまう。最終的にこの詩に曲をつけてもらいテープに吹き込んで持っていったら、ようやく「おお、なかなかいいじゃないか」とゴーサインが出たという。この苦心の相撲錬成歌は今も毎日相撲教習所で授業の終わりに歌われている。晴れ晴れと心に響く名作である。
平成24年4月17日
元呼出し永男(のりお)さんが亡くなられた。享年82歳。永男さんは相撲甚句作りの名人で、これまでに作詞した甚句は1000近くにもなるという。戦後すぐに二所ノ関部屋へ入門しておよそ半世紀の呼出し稼業。太鼓の名手でもあり、NHK大相撲中継で流れる太鼓の音は永男さんの太鼓であった。また現在の相撲教習所の校歌とでもいうべき相撲錬成歌も永男さんの作詞である。平成7年3月場所で定年の後も全国相撲甚句会をつくり甚句の普及に東奔西走していた。心よりご冥福をお祈りいたします。
平成24年4月16日
両国にぎわい祭りは国技館会場の他、江戸博、回向院、国技館通り(メイン会場)でも行なわれます。それぞれ、藍染体験や広重の名所歴史散歩(江戸博会場)、雅楽演奏や回向院民話と伝説(回向院会場)、北脇貴士大相撲メドレー(メイン会場)・・・などなど興味深いイベントが目白押しです。ちゃんこは「ちゃんこ巴潟」「ちゃんこ霧島」「相撲茶屋寺尾」「ちゃんこ江戸沢総本店」「ちゃんこダイニング安美」「ちゃんこ道場」「どすこい酒場玉海力」「大江戸八百八町花の舞」の各店が出店します。
平成24年4月14日
新弟子で入門すると半年間は相撲教習所に通う。相撲教習所は国技館の中にあり、毎朝6時過ぎに部屋を出て、着物に帯を締め、慣れない下駄でカランコロンおよそ30分の道程を通う。午前7時からマワシを締めて実技の授業があり、終わると机に座っての講義。掃除して食事をとり帰ってくる。授業は月曜から金曜まで。土曜日は教習所が休みなので部屋での稽古。教習所が始まって2週間、朝剣、朝雄大、ともに休みなく通っている。
平成24年4月13日
今年も両国にぎわい祭りが4月28日(土)29日(日)の二日間行なわれます。今年で第10回となる両国にぎわい祭り、28日(土)午前10時半からは国技館土俵にて高砂一門力士による公開稽古が行なわれます。そのあと関取と子供たちの稽古、親方衆(九重、八角、高砂、錦戸、佐ノ山)によるトークショー、利樹之丞の太鼓打分け実演、小錦さんトークショーなど盛り沢山の企画になっています。29日(日)は恒例の横綱審議委員会一般公開稽古も行なわれます。人気のちゃんこミュージアム(ちゃんこ屋各店の競演)もあります。
平成24年4月11日
歌舞伎の演目で有名な『め組の喧嘩』は文化2年(1805)に実際にあった町火消しと力士の喧嘩をもとにつくられた話で、幕末の千葉周作のときより少し前になる。この乱闘事件には部屋から力士10数人も参加したようで、1800年初頭には相撲部屋で一緒に生活していたことがわかる。いろいろ調べてみると三田村鳶魚『相撲の話』に出ていた。相撲部屋ができたのは、8代将軍吉宗の享保(1716〜1735)の頃のことだそうである。今週土曜日新宿朝日カルチャーセンターで
「相撲×能楽」の講座がおこなわれます。
平成24年4月10日
相撲部屋ができたのはいつ頃からのことなのだろう?江戸末期には稽古場をもった相撲部屋が存在した。以前にも紹介したように思うが、剣術の千葉周作が記している。司馬遼太郎『街道をゆく36』に出てくる。『千葉周作遺稿』によると、千葉周作は相撲が好きで稽古場もよくのぞいたという。相撲とりたちは、稽古前に食事をとるが、中程度の椀に薄い粥二杯より以上は食べないということを知った。「人目を忍びて多く食せしものは、相撲稽古にかかりて、息合ひ早く弱り、中々人並の稽古できかぬるものなり」 それを剣術の稽古にも活かした。
平成24年4月6日
相撲部屋の数の推移はこちらのホームページに詳しい。表によると、昭和24、5年が23部屋と一番少なくて、以後年々増えていく。戦前は今と変わらず多くて昭和17年は48部屋もある。この頃は、4,5人の家族的な小部屋も多かったはずで稽古場を持たずに、稽古は一門の本家でという部屋もあったよう。終戦直後の混乱期、そういう小部屋は食料の確保にも苦労したはずで、戦後2,3年での部屋数激減につながるのであろう。
平成24年4月5日
昭和58年に入門した時は部屋の数は37であった。それから年々増え続け平成16年には最多55部屋になった。その後、部屋持ちの師匠となる条件が厳しくなったこともあって独立が減り、消滅する部屋の数分だけ部屋数は減っていき現在は48部屋。今月大島部屋が消滅するが、木瀬部屋が復活するので数に変わりない。しかし今後も減少傾向はつづくであろう。あす6日(金)は靖国神社奉納相撲。先着6000名入場無料です。
平成24年4月4日
友綱部屋も東関部屋も近々合併を控えている。友綱部屋は今月末に大島部屋と、東関部屋は年末から来年にかけて中村部屋と合併する。それぞれ力士数や裏方の数が倍増することになる。合併で人数が増え活気が出るのは喜ばしいことなのだが、困るのは地方場所の宿舎である。とくに友綱部屋の場合は関取が三人増え、行司、呼出し、床山も資格者(十両格以上)が多いので、部屋の確保に頭を悩ませることであろう。部屋による習慣や作法の細かい違いもあり、現場が落ち着くまでにはかなり時間がかかる。
平成24年4月3日
東関部屋と友綱部屋が出稽古に来る。若松部屋時代にはよく三部屋合同稽古を行なっていて、それぞれの稽古場で順番に行なっていたが、合併して高砂部屋になってからは縁遠くなっていたので久しぶりの高砂部屋での稽古。引退相撲の準備で忙しそうな元魁皇の浅香山親方も顔を見せる。
三部屋合同といっても、それぞれ部屋の力士数が減り、巡業にも何人か出ていて、三部屋合わせてようやく土俵を囲めるほどの力士数。10年ほど前の芋を洗うような賑やかな稽古場を知る浅香山親方にとっては、いささか寂しい想いも感じる稽古場であろう。
平成24年4月2日
5月6日(日)初日の5月場所は、4月7日(土)が前売り券発売日です。5月場所限定企画として、スカイツリー開業記念の「634円チケット!!」が販売されます。本来4900円のイスB席の一部が平日10日間(2日目〜6日目、9日目〜13日目)のみ「634円チケット」となります。販売は4月9日(月)午前10時〜全国セブンイレブン店舗のみでの販売です。お一人様2枚まで、売り切れ次第終了とのことです。その他チケットは、国技館切符売り場のほか、インターネットチケット大相撲、チケットぴあ、ローソンチケット、CNプレイガイド、イープラス、JTBエンタメチケット等でも販売されます。
平成24年4月1日
現在発売中のPHP4月号は、『気くばり上手になろう! 相手の気持ちがわかる人』という特集です。三浦友和さんのインタビューの他に5人の方の文を掲載していますが、そのなかでおかみさんも「心のつながりとその重み」と題して、新弟子君との接し方や力士たちに伝えたい心など語っています。ぜひお読みください。昨日大阪から帰京。あすから稽古開始で、新弟子君二人は相撲教習所へ通う毎日が始まる。
平成24年3月30日
今年からもう一人小学生が稽古に参加している。部屋の近く、鶴橋の曹けんたくんで、塩本くんと同じく今春6年生になる。いままで卓球や水泳教室に通っていて相撲の経験はまったくなかったという。マワシを締めるのも初めての体験だが、マワシ姿がえらい板についている。それもそのはず115kgもある。お鍋は大好物だそうで稽古後のちゃんこは満面の笑みで箸を動かしている。お母さんの話では、いつも晩御飯を食べながら明日の朝御飯のメニューを想像してニコニコしているらしい。相撲を始めて、卓球や水泳よりも相撲がおもしろいと思ったらしく、明日から東大阪の相撲道場にも通うことになった。あと4年後が楽しみな二人である。
平成24年3月27日
塩本直輝くんは大阪の子で、この春から6年生になる。小学校低学年のころからわんぱく相撲を始め、いろんな部屋にもいったらしいが、高砂部屋の雰囲気を気にいって、以来春場所の度に土日と春休みはマワシ持参でお泊りにきている。寝るときはお相撲さんの布団にもぐりこみ、一緒にトランプをやったり、時には泣かされたり、それでも毎年マワシを持ってお泊りに来ている。いま夜の10時だが、お相撲さんと一緒にお風呂に入り楽しげな会話が続いている。
平成24年3月26日
千秋楽が明けて今日から1週間の場所休み。お相撲さんにとって待ちわびていた一週間である。朝乃丈と朝興貴の二人、奈良県橿原市の老人ホームを慰問。マワシ姿で四股や股割り、技を披露して拍手喝采。さらに職員との相撲対決に入所者は大喜び。そのあとちゃんこを振る舞うが、今年初めに入院して以来ずっと食欲がなくて担当の職員さんたちも心配していたおばあちゃんが、「ちゃんこおいしい」とおかわりまで。このおばあちゃんのおかわりには職員さんたちも驚き、涙ぐむ姿も。お年寄りにとっての相撲は、単なるスポーツ以上のものがある。
平成24年3月25日
天気晴朗なれど風強しの大阪場所千秋楽。最後の一番は、勝越した力士はもちろん負越した力士にとっても来場所へつなげる意味でも大事な一番になる。今場所自己最高位の朝乃丈、家賃が高く9日目に早々と負越したものの今日も勝って3勝4敗で終える。自己最高位での3勝目は大きな自信につながる。男女ノ里5勝目。2連敗のあとの5連勝で、来場所は三段目上位に番付を戻す。朝弁慶2勝目。今日は相手をしっかりつかまえてどんどん前に出る今場所一番の相撲。朝赤龍も幕内残留に望みを託す5勝目。あまり芳しくない春場所高砂部屋であったが、最後に少しは来場所に向けてのぞみがつながった。午後6時半より上六都ホテルにて千秋楽打上パーティー。
平成24年3月23日
35年を迎える『大阪高梅会』。昭和53年9月近畿大学OBの郵便局長さんらが関取になった長岡後援会をつくり、大学の校章である梅とかけて「郵梅会」として発会。以来現役時代はもちろん、引退して若松部屋を継承してからは「若梅会」、高砂部屋になってからも「高梅会」として毎年開催され、今年で35年目となる。発会当時からすると不帰の客となったかたも何人かおられ参加者は少なくなっていくものの、発起人で会長の梶田忠博さんは今年も元気にカラオケを熱唱。芋縄会長も参加して、年一度の家族会のような和やかな場。朝天舞3人目の勝越し。
平成24年3月22日
~山今場所第1号の勝越し。なんと、3月大阪場所では13年ぶりの勝越しだそう。ゲンのいい場所、悪い場所は人によって確かにあるが、ここまで極端な例も珍しい。男女ノ里も続き、勝越し第2号。こちらは平成19年から3月場所5回連続での勝越し。幕下以下は残り1番で、3勝3敗が3人。大子錦は平成14年以降勝越したのは2年だけと合口が悪い。朝天舞は勝越し4回、負越し7回。朝乃土佐は勝越し9回、負越し2回と圧倒的にゲンがいい大阪。朝天舞、朝乃土佐が明日13日目に、大子錦は14日目に勝越しをかける。
平成24年3月20日
大阪場所が行なわれている大阪府立体育館は中心街である難波(なんば)にある。なんば駅から徒歩5分、「キタ」とならぶ大阪の二大繁華街「ミナミ」に属するので周辺も賑やかである。入口は通行量の多い道路に面し、市内にあるとはいえ繁華街からは離れている名古屋の愛知県立体育館や福岡国際センターの正面玄関とは違った賑わいもある。今日で今場所5回目の満員御礼。朝弁慶、朝奄美負越し。
平成24年3月18日
前相撲最終日。朝剣今日も勝って2勝目を上げ明日9日目に二番出世披露。朝雄大3連敗ながら、今場所は二番出世までしかないのであす9日目に同じく二番出世披露。朝天舞あと一番で勝越しとなる3勝目。3月25日(日)に行なわれます高砂部屋千秋楽打上パーティーのご案内です。
平成24年3月16日
今場所初土俵の朝剣、きのうが母校埼玉県川口市立東中学校の卒業式だった。前相撲を一日休んで卒業式に出席してきたが、式のあと友達らと懇親会のようなものがあり号泣してきたという。本人いわく「一時間泣きっぱなしだったス」とのことだが、涙と共に未練も流してきたようで、新大阪駅にはすっきりした顔で戻ってきた。今日の前相撲で初白星をあげ、9日目の土俵で関取の化粧回しを借りての二番出世披露となる。
平成24年3月15日
おかみさんのお父さんである芋縄会長は、一代でスーパーマーケットコノミヤを築き上げた。もともと学生時代に相撲やボクシングの経験もあり、現師匠が若松部屋を継承以来熱心に部屋と力士を応援しつづけてきた。大阪はもちろん東京、名古屋、福岡にも毎場所エネルギッシュに応援にかけつけていたが、最近体調が思わしくなくそれも叶わなくなっていた。ところが2年ぶりの大阪場所、入院先から車椅子で府立体育館に連日通っている。相撲への熱き想いが元気の素になっている。会長の想いに応えるためにもいい成績を上げなければならない。5日目にしてようやく3勝1敗と勝越し。
平成24年3月13日
早朝から青空が広がるも今日も冷え込みの厳しい大阪。昨日2日目から前相撲が開始。就職場所といわれる3月場所としては過去最低の34名の新弟子検査合格者であるが、高砂部屋から受験の2人も無事合格。文字通り生まれて初めて土俵に上がる朝雄大、中学校で剣道部ながらも川口市の相撲大会には出場経験のある朝剣、ともに黒星での初土俵。
平成24年3月11日
「大阪の春は春場所から」という通りに午前中は小春日和ともいえそうな大阪の空だったが、午後から天気が崩れ、冷え込みも再来。“荒れる春場所”も予感させる大阪場所初日。待ちわびていた大阪の大相撲ファンにとっては嬉しさ満開の府立体育館で、さっそくの満員御礼。~山、朝天舞、朝赤龍と初日を飾るも3勝5敗スタートの春場所高砂部屋。
平成24年3月10日
もともと大阪には、江戸時代から大正末まで大阪相撲があり、京都にも京都相撲があった。奈良・平安時代の節会(せちえ)相撲は京の都で行なわれていたから全国から強豪力士が京に集まり、やがて職業相撲集団を形成していった。そういう経緯もあり、はじめは京都や大阪の方が相撲のレベルが高かった。江戸中期寛政のころ、谷風や雷電が出て江戸相撲が京都、大阪の相撲を凌駕するようになった。歴史ある大阪場所はあすから初日。朝赤龍には天鎧鵬、横綱白鵬には栃煌山。
平成24年3月8日
大阪場所は、昭和23年10月に戦後初めて大阪での本場所として開催された。ちょうど横綱朝潮こと米川青年が高砂部屋に入門したときである。その後何回か秋場所として大阪でおこなわれたが、昭和28年から年4場所制となり、大阪は3月場所として現在に至っている。栃錦VS若乃花の千秋楽全勝対決が行なわれたのは昭和35年大阪場所だし、貴ノ花(父)初優勝での座布団の狂喜乱舞は昭和50年、そして大関朝潮初優勝が昭和60年大阪場所と、数々のドラマを生んでいる。
平成24年3月7日
奄美徳之島出身の46代横綱朝潮は「大阪太郎」と呼ばれた。大阪場所に強く、優勝5回のうち4回が大阪場所で、横綱昇進を決めたのも昭和34年の大阪場所であった。神戸・尼崎を中心として関西には奄美出身者が多く熱心な声援を受けてこその賜物であろう。現師匠も大阪場所とは縁が深く、入門したのはもちろん3月大阪場所だし、大関昇進を決めたのは昭和58年大阪場所。そして初優勝が昭和60年大阪場所、引退が平成元年大阪場所と、節目節目が学生生活を過ごした第2の故郷ともいえる大阪であった。
平成24年3月6日
何度か紹介しているが、奄美は人口比率に対する力士の輩出度が世界一の地域である。現在出身県別にみると力士数が多いのは、東京、大阪、名古屋、福岡と本場所開催地が最も多く、青森、鹿児島がそれにつづく。ただ、本場所開催地は大都市圏で人口も多いから比率からいうと20万人に一人くらいの割合である。ところが奄美群島(奄美大島、徳之島、沖永良部島、与論島、喜界島)全体で10数万人の中から現在13人もの力士を輩出している。モンゴルも現在30数人と多いが、人口300万からの30数人だから、各県やモンゴルという国単位と比較しても圧倒的に多いという意味での世界一の地域になる。
平成24年3月5日
5代目高砂浦五郎である46代横綱朝潮は昭和23年10月の入門で、神戸出身として初土俵を踏んだ。当時郷里徳之島が米軍統治下だったからで、朝潮こと米川少年(18歳だったから青年?)は徳之島から親戚のいる神戸まで漁船で密航して入門した。昭和28年12月に奄美が日本復帰になり出身地を鹿児島県徳之島と改めた。当時から関西に出る奄美出身者は多く、なかでも神戸・尼崎には特にあつまっていた。横綱朝潮にとっても大阪場所は準ご当所ともいえるほど親戚知人も多く後援会も盛大であった。その尼崎で昨日第5回奄美出身力士激励会が行なわれ、13人の奄美出身力士の春場所での活躍を祝した。
平成24年3月4日
昨日3月3日、3月場所新弟子検査が行なわれ高砂部屋からも2人受検。埼玉県川口市出身の芝塚剣君と大分県大分市出身の下川雄大君。2人共今春中学を卒業する15歳で体格検査には合格し11日の内臓検査の結果を待って正式入門となる。芝塚剣君は朝剣(あさつるぎ)、下川雄大君は朝雄大(あさゆうだい)の四股名で3月場所前相撲の土俵に上がる。昨晩は場所前恒例の高砂部屋激励会。上六都ホテルにて1000人を超える大勢のお客様で賑わい春場所での高砂部屋の活躍を期す。
平成24年3月2日
宿舎のある久成寺(くじょうじ)は地下鉄谷町九丁目駅からほど近い。谷町九丁目駅は、谷町筋と千日前通が交わる谷町九丁目交差点の地下にある。谷町筋は天王寺から天満橋まで南北に走る道筋で、南の天王寺に近いほうから谷町9丁目、8丁目、7丁目となる。タニマチという言葉はかなり一般的になっていると思うが、昔(明治初期?)谷町7丁目で開業していたお医者さんが相撲好きで、おすもうさんをタダで診療してくれたことからきているという。朝赤龍は時津風部屋へ出稽古。朝弁慶、朝天舞、朝乃丈は近大相撲部での稽古。
平成24年2月29日
稽古場を建てるのには狭かったが、久成寺のある場所はミナミの繁華街にもほど近い中心地で、他に近所に空地などない。隣との境界線ギリギリまで広げて何とか稽古場が建った。入門10年23歳の若き呼出し三平さんも工夫して少し土俵を狭目につくったりもしたそう。土俵と壁の羽目板(合板だが)は近く、勢いよく押し出されるとすぐにぶつかってしまう。この壁には何百人もの力士がぶつけられたことであろう。そんな想いを馳せらせてみると、壁の黒ずみや汚れも貴重なものにおもえてくる。
平成24年2月28日
今日から稽古始め。朝7時開始で8時半より土俵祭り。祭主を務めるのは十両格行司木村朝之助なのだが、朝之助インフルエンザり患で、急遽木村悟志が祭主を務めることになった。一昨日あたりから必死に練習した甲斐あり、緊張に声を上ずらせながらもやり終える。今までもぼんやり見ていたわけではないが「これから土俵祭りの見方が変わります」と初めての大役を無事務め、胸を撫で下ろしていた。昨27日春場所番付発表。高砂部屋新番付です。5158000番目と5159000番目のお客様、送り先を書いてメールください。春場所新番付と高砂部屋便り8号をプレゼント致します。
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