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現在親方3名・力士20名・行司2名・呼出し2名・床山1名・若者頭1名・マネージャー2名

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今日の高砂部屋
令和元年10月13日
“江戸の大関より地元の三段目”という言葉がある通り、高知に帰ってくると高知出身力士に期待が高まる。今日の地元紙高知新聞のスポーツ欄を開くと、大きなカラー写真で朝乃丈が仕切る姿。「33歳朝乃丈(安芸市出身)幕下昇進へ」の見出しで、今年の春場所から4場所連続で勝ち越しを決め、史上2位の年長記録での新幕下昇進を濃厚にした記事がたっぷり。22日の安芸巡業にも参加予定と紹介され、その後に小結遠藤結婚の記事が僅かばかり。夕方市内のホテルにて師匠のお父さんの米寿祝い。

令和元年10月11日
高知合宿稽古初日。地元のTV局や新聞各社が取材に来て、稽古終了後に高知市の歓迎セレモニー。市長からカツオと新高梨が贈呈され、師匠が謝辞を述べ、セレモニー終了後にインタビュー。高知合宿は平成24年から再開されたから、今年で8年目にもなる(一昨年はイベントと重なり来れなかったが)。夕方5時から恒例の相撲健康体操。1歳から参加している子が今年から小学1年生になったそうで、こちらも歴史を感じる。いつの日か参加者の中から力士が誕生してくれる日も来るかもしれない。

令和元年10月10日
高知合宿へ出発。例年より遅い便しか空きがなく、午後6時20分着で辺りは真っ暗。毎年のことながら室戸から師匠のお父さんとご近所の方々が魚やお米を差し入れしつつのお出迎え。お父さんは今年米寿を迎えるが、まだまだお元気な様子。差し入れの魚やお米を、これまた毎年お世話になる明徳義塾のバスに積み替え市営相撲場の合宿所へ。一年ぶりに来ると、餃子の王将がラーメン屋に変わり、近くのコンビニがすき家になっている。明日11日から14日までの稽古。あす夕方5時から小中学生対象の相撲健康体操教室。ご近所のお子様、お相撲さんと一緒に体操しましょう!

令和元年10月9日
新弟子の稽古は、元十両の栃ノ峯という30過ぎの兄弟子が指導してくれた。四股、テッポウを徹底的にやらされ、しばらくするとぶつかって押す稽古。ただひたすら当たって押させる。存分に押させて、右に左に巻き落とす。押していって土俵際の足の運び、重心の移動が悪いと巻かれてしまう。それをひたすら繰り返す。苦しくなって四つになると、“この野郎、四つになりやがった”と、一本のっけられる(腰投げ)か、足で蹴飛ばされた。「いま勝ってもしょうがない。五年後の稽古をやれ!五年後に勝つのが本当の稽古だ」と怒られた。

令和元年10月7日
栃錦が入門したのは昭和13年9月、13歳のとき。『栃錦一代』には当時の相撲界の様子が細かく語られている。体重が規定の19貫(71,3kg)に足りず水を飲んで新弟子検査に受かった。初土俵は14年1月双葉山70連勝ならざるの場所。当時の前相撲は午前2時から行われ、2連勝して白星一つ。白星を三つとってはじめて“本中”に出世。本中でも白星三つとって初めて“新序”、翌場所から序ノ口として番付に名前を載せることができる。当時双葉山人気で前相撲に100人ほどいて7連敗してしまうが、千秋楽にようやく三つ目の白星をとって本中に出世できた。

令和元年10月6日
昭和36年3月中央公論社刊行の『栃錦一代』は、内容もさることながら装幀も素晴らしい。外箱と扉に、「栃錦一代 春日野清隆」の文字と画が棟方志功の板画によって躍っている。年表をみると、昭和35、6年は、棟方志功の名が世界的になっている頃で、志功は栃錦の相撲人生に感ずるものがあり栃錦ファンとして装幀を引き受けたのではないかと想像したくなってしまう。巻末には、「人間栃錦」と題した和歌森太郎のあとがき。12ページに及ぶ長文で栃錦の人となりや出版に至る経緯等も紹介され興味深い。

令和元年10月5日
晩酌をしながら語る話は、すべて相撲の話だった。歩き方から寝方、洗面所で顔を洗う時の足のかまえまで、行住坐臥すべてに及んだ。「歩くときはつま先立ちですり足で歩かなければならない」「下駄は前歯がガクンとへるようでなければだめだ」「脇の甘さをなおすためにはいつも肘をからだにくっつけて歩け」「夏はいくら暑くても寝巻を着て寝ろ」「寝るときは小さくなって寝ろ、飯を食うときは大きくなって食え。相撲をとるときもいっしょだ」「自分のからだにあった相撲をあみ出せ、人真似ばかりではだめ、自分のからだと力に相応した相撲をつくりだせ」・・・。

令和元年10月4日
栃木山の春日野親方は無類の酒好きで、毎晩ビール半ダースと酒一升を晩酌にしたという。昭和36年中央公論社刊の『栃錦一代』によると、付人に給仕させながら時計を前において、ゆっくり時間をかけて必ず10時半まで飲んだという。そして飲みながら、今日の稽古はここがよかった、あそこを直さなければいけないと、技術や日々の生活、心構え等細かく教えてくれたという。その毎晩の相撲講座が技能派力士栃錦を生み、名人横綱として栃若時代を築き、春日野理事長として人望を集めた。今日から巡業組出発。明日は石川県七尾市。

令和元年10月1日
栃木山は、大正13年1月、5月と連続優勝し、14年1月も10勝1分けの成績で3連覇を果たしていた。突然の引退発表は不可解だと騒がれたが、「別にわけがあってのことではありませんが、ただ、この頃、頭の毛が薄くなって、お客から禿、禿といわれるのがいやなのです」と笑って答えたという。おそらくこれは自虐ネタで、横綱としての引き際の美学を貫いたものであろう。その証拠に、弟子の栃錦が横綱に昇進した時にまず、「横綱というものは、引くべきときに引かなければならないんだよ」と諭したという。

令和元年9月30日
28日(土)里山引退佐ノ山襲名披露、29日(日)稀勢の里引退荒磯襲名披露、今日30日(月)は全日本力士選士権大会と花相撲つづき。本場所や巡業以外の相撲を花相撲というが、今日の花相撲は正式には「天皇陛下御即位 明治神宮例祭奉祝 奉納第78回全日本力士選士権大会」という名称。第1回大会は大正14年に開催され優勝者は引退したばかりの横綱栃木山。今の稀勢の里がトーナメント大会に出て優勝するようなもの。驚くべきことに栃木山は、引退6年後の大会でも年寄春日野として現役の玉錦や天竜を破り優勝している。

令和元年9月23日
昨日9月場所千秋楽。前頭2枚目の朝乃山、最後の一番を飾れず10勝5敗。新聞の予想番付によると新三役昇進は難しそう。もともと番付運は悪くないほうだが、三役に向けては壁が厚い。力をつけているのは間違いないから、さらに上へと駆け上がる準備期間なのであろう。朝玉勢は5勝10敗に終わり、幕下からの出直し。勝越し組も最後の一番を白星で締めることができず、70勝86敗と久しぶりの勝率4割台前半。今週いっぱい場所休みで、来週から稽古再開。10月恒例の高知合宿は、10日(木)高知入りして11日(金)〜14日(月)まで高知市総合運動場相撲場にての稽古。11日(金)夕方は相撲健康体操教室行います。

令和元年9月20日
膝のケガから復帰の村田、7戦全勝で序ノ口優勝。これで、今年に入って1月三段目で朝弁慶、3月序ノ口寺沢、5月幕内朝乃山、7月三段目寺沢につづき、5場所連続での各段優勝。来場所も大いに可能性があるので1年を通じての優勝力士も夢ではない。朝乃山9勝目。朝玉勢は残念な負け越し。あと2番、勝っておきたい。

令和元年9月18日
三段目16枚目の朝乃丈、5勝目を上げて来場所での新幕下昇進を濃厚にした。33歳での昇進は快挙であり記録かと思ったら、36歳での昇進記録があろらしい(朝乃丈談)。幕下に上がると、博多帯が締められ(高砂部屋では2場所目から)、外套を着ることができる。番傘やマフラーが許されるのも幕下から。何より場所毎の手当てが11万円から16万5千円へとアップする。ボーナスもアップする。朝乃山優勝争いから一歩後退の3敗目。村田6勝目。大子錦所初日。

令和元年9月16日
”太刀山は 四十五日で 今日も勝ち”とは、横綱太刀山の強豪ぶりを表した川柳。一突き半で相手を土俵の外に吹っ飛ばすから四十五日(ひと月半)。序ノ口で勝ちっぱなしの村田、同じく4連勝の相手を一突きで土俵下まで吹っ飛ばし5勝目。上の川柳になぞらえば、“序ノ口は 三十日で 村田勝ち” ・・・ 幕下朝興貴、得意の回転のいい突きで勝ち越し。朝乃丈、5勝目ならず。朝乃山、驚異的な粘りと反応の良さで阿炎の猛攻をしのいで7勝目。

令和元年9月15日
三段目16枚目の朝乃丈、4連勝での勝越し。過去2連敗と合口の悪い相手だったそうだが、引かず頭を上げず我慢して押し出しての白星。普段は「もう勝てないっす」「だめっす」とネガティブな発言が多いが、今日はまんざらでもなさそう。あと1勝すると、33歳にして初の幕下昇進の可能性も高まってくる。朝玉勢、3連敗から脱出の白星で3勝目。朝乃山も今日も前に出る相撲で勝って6勝目。今場所初めて両関取揃っての白星。明日から後半戦。

令和元年9月14日
報奨金は、月給と別に場所毎に支給される。別名“持ち給金”といい、入門すると3円の給金がつき、勝越し1点(4勝3敗が1点勝ち越し、5勝2敗は3点勝越し)につき50銭加算されていく。 そのため勝ち越した時に「おかげさんで給金直しました」と挨拶する。支払われるのは関取のみで、地位によって、十両40円、幕内60円、大関100円、横綱150円と最低支給標準額が決まっている。今場所新十両の朝玉勢は、40円に届いていなかったはずだが、引き上げられて支給(4000倍だから16万円)される。ちなみに横綱白鵬は2055円だから4000倍すると822万円。序ノ口村田4連勝で勝ち越し第1号。

令和元年9月13日
朝乃山、昨日の横綱鶴竜に勝っての金星につづき、今日は大関豪栄道を上手投げで下して4勝2敗の成績。“金星”は平幕が横綱を破ることで、場所ごとに貰う報奨金が10円加算される。実際の支給額は4000倍なので、4万円。報奨金は関取でいる間は引退するまで毎場所支給されるので、金星は名誉であるとともに収入にも大きくかかわってくる。大関を倒した場合は、金星にちなんで銀星というが、こちらは加算金は一切ない。また、三役が横綱を倒しても金星はつかない。

令和元年9月11日
部屋に稽古見学に来たお客さんが、「あのお相撲さんはよく稽古するね」と口にするのが朝心誠。 熱心な稽古で入門2年で三段目中位まで番付を上げたが、なかなか三段目に定着できずに、今場所三回目となる三段目昇進。今日は元幕内力士に勝っての2連勝。この勝ち星を自信にして三段目に定着したい。朝玉勢、2勝2敗と星を五分にして、中入りの時間にNHKで新十両紹介インタビュー。9月22日(日)に行われます、,高砂部屋千秋楽打ち上げパーティーのご案内です。

令和元年9月10日
朝玉勢の幟を出してくれたのは浅草橋の手帳屋さん。朝乃山に幟を出してくれた蔵前のお寿司屋さんの常連さんで2年ほど前から玉木を熱烈に応援してくれている。東京場所の時には必ず1日か2日観戦にいくそうだが、今まで玉木の相撲にあたったことがなかったという(幕下以下は2日に1回の取組)。関取昇進の暁には幟を出すと言い出して2年、ようやく念願が叶った初日の観戦日。台風で幟が下ろされ生で見ることはできなかった。初生観戦となった取組みも黒星。しかし今日3日目、十両土俵での初白星。国技館前に掲げられた“吉澤晃文堂”の幟も、喜びいっぱいはためいているであろう。

令和元年9月9日
台風上陸で深夜から早朝にかけて暴風雨となり、開始時間を30分遅らせ9時10分開始。 昨夕協会から電話やメールで、開始時間と取組みに遅れそうな場合は若者頭に連絡するよう通達が来る。序二段64枚目の朝東、出番が近づいて花道を土俵下に入ろうとしたら、若者頭に止められた。相手が電車が遅れてまだ来ていないという。支度部屋に戻り待機すること一時間余り。対戦相手が到着して土俵に上がったのは三段目の取組みに入った後。待ちくたびれたのか、実力通りだったのか、黒星スタート。朝乃山、今日も会心の相撲で2連勝。

令和元年9月8日
蒸し風呂のような暑さとなった9月場所初日。台風接近とあって力士幟や北門と両国駅の間の相撲グッズ売店のテントが仕舞われ、少し寂しい国技館前。3日目から復活とのこと。名古屋場所は暑いものだという心構えがあるが、秋場所と名がつくだけに9月場所の暑さはより不快に感じてしまう。朝乃山、会心の相撲で御嶽海に初白星。明日は栃ノ心戦。新十両朝玉勢、初日を飾れず。幕下7枚目朝弁慶、豪快に極め出して白星スタート。

令和元年9月6日
初日まであと二日。朝乃山、朝玉勢の二人は四股やすり足でしっかり汗をかき初日に向けて調整。朝玉勢の白マワシ姿もだいぶ板についてきた。新品の締め込みを締めて四股を踏み体に馴染ませ、なかなかインパクトのある絵柄の化粧まわしも試着してと、初めての15日間に向け準備万端。付人はベテラン朝ノ島と朝東が務める。今場所序ノ口から再起をかける村田は、三段目力士相手に稽古。膝の回復は順調なようで、地力の違いをみせ、昨年7月場所以来の本場所に臨む。今場所は休場者なし。訂正、村田は3月場所途中休場でしたので、今年の3月場所以来の出場です。訂正の訂正、先場所最後の一番を取っているので、初日からの出場が3月場所以来です。

令和元年9月3日
震災による火災で、国技館も部屋もすべて焼けてしまったが、力士たちは巡業中だったのが幸いして難を逃れた。読売新聞社『大相撲』に連載されていた「二十二代庄之助一代記」に当時の様子が記されている「巡業で満州から内地に戻り、長野に入ったところでグラグラっと揺れた。東京へたどりつくと、辺り一面焼け野原。部屋(出羽海)は全焼し、国技館は鉄傘だけの無残な姿。部屋の蔵だけが焼け残っていて、親方と持参した米と塩サケを食べ三日間蔵で過ごすと、他の親方衆や行司も集まってきて蔵の中の荷物をトラックで稲毛海岸の常陸山の別荘へ運び、すぐ巡業にでた。その後二年ほどはバラックを建てて生活した」 朝玉勢、九重部屋への出稽古。体調を崩していた朝乃山、今日から再始動。

令和元年9月1日
防災の日。大正12年(1923)9月1日午前11時58分に地震が発生。ちょうどお昼時で、ガス、かまど、七輪からの出火で火事が起こり、折からの強風にあおられ瞬く間に東京市中を焼き尽くす大火災となった。特に本所(現墨田区)・深川方面は火災が多く、本所区横網町の陸軍被服廠跡地(現墨田区横網町公園や日大一中高、両国中)には3万数千人の避難民が押し寄せた。午後4時過ぎ、火が広場の周囲にも広がり、猛烈な火災旋風が起こり、避難民が運び込んだ家財道具に燃え移り、荷車も家財も人も火の塊となって宙に舞い飛ぶ地獄と化した。広場での焼死者3万2千人余り、生存者はわずか200人ばかりであったという。関東大震災全体での死者は10万5千人を超える。

令和元年8月31日
十両に上がるとすべてが一変する。横綱・大関に上がった力士でも新十両の時が一番うれしかったと語る。付人がついて身の回りの世話をしてくれるようになるし、本場所では締め込みを締め、化粧まわしでの土俵入りもある。服装も正装は紋付袴となり、着物も夏冬用何着も仕立てなければならない。それぞれ高価な品なので、後援会や贔屓筋のご支援ご協力を仰がなければならない。玉木改め朝玉勢、本日地元伊勢での新十両昇進祝賀会。

令和元年8月27日
稽古始め。7時稽古開始だが、7時15分過ぎには玉木改め朝玉勢が稽古場に上がってきて(地下でマワシを締める)、白マワシ姿を初披露。おととい日曜日の平塚合宿の稽古では黒マワシ姿で、急に大きくなるわけもないのだが、白マワシになると、不思議と大きく輝いて見える。稽古後、力士会に初参加。新十両力士は歌わされることもたまにあるそうで心配していたが、今日は自己紹介のみで終わったようで胸をなでおろしていた。昨日は大部屋で昼寝していたが、今日は自分の個室で昼寝したもよう。日一日と関取らしさが身についてくる。

令和元年8月26日
9月場所番付発表。朝乃山は、1枚半落ちて西前頭2枚目。新十両の玉木改め朝玉勢(あさぎょくせい)は東十両14枚目。今日から正式に関取となる訳で、4階に個室も出来たが、相変わらず2階の大部屋で朝乃丈と口ゲンカしている。幕下は、朝弁慶が7枚目、先場所全勝の二人朝天舞が14枚目、寺沢が30枚目、朝興貴35枚目、朝鬼神48枚目。関取2人と幕下5人という陣容は久しぶりに番付の重みを感じさせる。朝翔初序二段。6851500番目と6852000番目のお客様、送り先を書いてメールください。9月場所新番付と高砂部屋便り98号をプレゼントいたします。

令和元年8月22日
今日から平塚合宿。若松部屋時代から数えると今年で26年目を迎えるようで、四半世紀を過ぎつづいていて、更にまた歴史を積み重ねていく。26年前からお世話になっている方、最近親しくなった方、時代を超え世代を超え、この平塚合宿を支えてくれている。まことにありがたい限り。稽古は、市の総合運動公園内土俵にて午前7時半〜10時頃まで。愛知県の中学生3人も体験入門として合宿に参加している。

令和元年8月20日
許可が下り、本場所開催へ向け準備にとりかかる。焼け焦げて穴だらけになった国技館を直さなければならないが金がない。残っている理事長以下4人で手分けして金策に走り回り、ようやく応急工事を始めることができた。220本分の稽古マワシ用帆布を商工省に申請し、番付の準備もはじめる。和紙がないのでザラ紙に印刷、戦時下で新弟子がいなく番付に序ノ口がない。序二段、三段目もスカスカ。11月5日番付発表で、11月16日から10日間の開催。西張出横綱に双葉山の名があるが初日から休場して千秋楽に引退発表。翌21年11月19日に国技館で断髪式。

令和元年8月18日
協会を代表しての訪問だから、正装でいかなければならない。笠置山は疎開先から紋付袴を取り寄せ、久しぶりに着てみたら驚いた。食糧難で30kg近く痩せ、袖が落ち、身幅が余り後ろまで回りそう。タオルを幾重にも巻き、何とか体裁を整えた。安芸ノ海もさかんに腕をまくり扇子で煽ぐので聞くと、やはり巻いてきたという。終戦間もない9月10日のこと、汗だくになりながら、相撲の歴史や美学、体験を語り、プロボクシングやプロレス同様、大衆が熱狂する観賞用格闘技だと説いた。2人の熱弁が功を奏したのか、9月23日に「マッカーサー司令官も観戦を希望している」という添書と共に本場所開催の許可が警視庁から下りた。

令和元年8月17日
終戦を迎え連合国軍の占領下となり、軍事色を一掃するため武道は全面禁止となった。大相撲の存亡も、GHQ次第である。協会に残る藤島理事長(元横綱常ノ花)、春日野取締(元横綱栃木山)、楯山(元幡瀬川)、武蔵川(元出羽の花)の中でも思案がつづく。「しばらく様子を見たほうがいいのでは・・・」「こういう時だからこそ、一日も早く本場所を開催しなければ・・・」。文部省に訊いてもGHQの意向ははっきりしない。そんな折、ある会に親日家の米人牧師が招待されるという。相撲が平和的スポーツであることをマッカーサーに伝えてもらうべく、横綱安芸ノ海と関脇笠置山が協会を代表して訪問することになった。

令和元年8月15日
終戦記念日。74年前の昭和20年8月15日正午、ラジオから流れる昭和天皇の玉音放送で終戦が知らされた。元出羽海部屋の力士で作家の小島貞二氏は南方のセレベス島で玉音放送を聞いたと著書『本日晴天興行なり』で記している。力士たちはほとんど疎開していて出羽海一門だけが30名ほど両国に残っていたという。力士たちは、部屋と路地を隔てた前の家のラジオで聞いた。当時の出羽海部屋は両国橋のたもとにあった。「道で相撲取りたちが、直立不動できいた。何とも空しい絶望感が流れたのを覚えているね」と小島氏の同期生だった小高が証言してくれた、とある。

令和元年8月14日
来る9月場所での新十両昇進が決まった玉木改め朝玉勢(あさぎょくせい)は、三重県伊勢市の出身。父親も近畿大学相撲部出身で、物心ついたときには、すでにマワシを締めていたという。幼少のころから三重県志摩市にある志友館相撲道場で相撲を習い、中学生のときには親元を離れ、道場の近くに下宿して稽古に励んだ。下宿先には年の近い兄弟もいて、3兄弟のようにして育てられたそうで、朝玉勢の四股名は、その下宿先の育ての親が考えてくれた。8月26日の番付発表の日から関取となるので、まだ大部屋暮らし。枕を並べる朝乃丈と仲良く毎日のように口げんかをしている。

令和元年8月12日
パソコンの不具合で長らく更新ができませんでしたが、ようやく再開できそうです。猛暑がつづくなか、巡業組は、今日12日が後山形県村山市での巡業。この後、青森市、板柳町(青森)から北海道へ渡り、16日は函館、17日18日と札幌で行い、19日に釧路を最後に帰京。毎夏恒例の平塚合宿は22日(木)乗り込みで稽古は23日(金)〜25日(日)までだから、今年は巡業組も前半参加できる。25日(日)は最近恒例となっている東京駅丸の内のKITTE場所。翌26日(月)が9月場所番付発表。

令和元年7月24日
7月場所の成績を基に9月場所の番付を決める番付編成会議が審判部で行われ、幕下東3枚目の玉木の新十両昇進が決定。十両昇進に伴い、四股名を朝玉勢(あさぎょくせい)と改名することも発表。午後12時半から宿舎龍照院の客殿をお借りして、師匠と並んでの記者会見。会見後、かわいい小学生の兄弟から花束贈呈。2,3年前から家族ぐるみで応援してくれている地元の後援会のご家族で、喜びもひとしお。花束贈呈のとき、フラッシュを焚かれちょっと緊張気味だったが、宿題の「夏休みの思い出」で出せる!と大喜び。友達や先生にうらやましがられることであろう。

令和元年7月19日
三段目の朝天舞と寺沢、ともに勝って7戦全勝。千秋楽の土俵で、三段目優勝決定戦同部屋対決が実現する。若松部屋時代から合併後の高砂部屋を通じて記憶にないが、いつ以来の高砂部屋同部屋対決になるのであろうか?どちらにせよ今場所の三段目優勝は高砂部屋に決定で、これで今年に入り、1月三段目朝弁慶、3月序ノ口寺沢、5月幕内朝乃山につづき、7月場所も高砂部屋からの優勝力士輩出となる。幕下3枚目で3勝3敗の玉木、明日14日目に豊昇龍との対戦。勝った方が関取昇進の可能性大。朝乃山8敗目。

令和元年7月17日
もともと朝型ではあるが、齢60も近くなると朝型が加速し5時半前には目が覚める。場所中の稽古は8時開始なので、時間がたっぷりあり、6時前から稽古場横で朝刊に目を通していると、すでに土俵横の椅子の前にスリッパが残されている。しばらくすると、短パンに運動靴を履いた朝天舞が早朝ランニングから戻ってくる。入門して丸20年、好調の時も不調の時も朝夕のトレーニングを欠かさず、ひたむきにつづけてきた朝天舞が、6連勝。マワシを締めて土俵に下りてくるのが一番早い寺沢も6連勝で、朝一番を競い合う二人の三段目優勝決定戦がいよいよ現実味を帯びてきた。朝乃丈も勝越し。

令和元年7月16日
三段目4枚目の朝鬼神、勝越して幕下復帰を確実なものとした。入門5年目の朝鬼神、入門前は大阪のジムでインストラクターをやりながらボディビルの世界でもそこそこ名が売れた選手であった。現在朝乃山の付人を務め、時々朝乃山のトレーニングパートナーとして相談にのることもある。名古屋入りしてからも、二人で市内のジムに行ったそうで、そのジムに後日行った若松親方にメンバーの方が声をかけてきたという。「何日か前、朝鬼神関が若いお相撲さんと二人で来ましたよ」 おかしいなと思いつつ朝鬼神に確認してみると、朝乃山としか行ってないという。ボディビル界では、優勝力士朝乃山より朝鬼神の方がまだ有名なよう・・・。
令和元年7月15日
東洋大学相撲部時全国大会で2度個人優勝経験がある寺沢、押して引いて寄って投げてとスピード感あふれる相撲が身上だが、その超高速が自分の体を痛めてしまい、1年間稽古を出来ない憂き目を味わった。今場所前、ようやく三段目申し合いに加われるようになり、まだまだ全開とはいかないだろうが、身上のスピード相撲も垣間見えるようになってきた。4連勝同士で迎えた今日の相手は、先場所序二段優勝がかかる一番で敗れた高校相撲出身力士。先場所の鬱憤を晴らすかのような2本差しからの寄りで完勝。同じ三段目の朝天舞も5連勝で二人の優勝決定戦が期待できそう。朝心誠が勝越しを決め、三段目復帰濃厚。4連勝だった朝童子、朝興貴に土。

令和元年7月13日
序ノ口5枚目朝童子、4連勝での勝越し。令和元年7月場所高砂部屋勝越し力士第1号となった。四股名の通り顔はまだ童子だが、入門5年目中堅力士に足を踏み入れつつある。 そうはいっても誕生日が3月31日と早生まれなので、入門時はまだ14歳で、いまだ未成年。20歳を迎えるまでにはもう少し番付を上げたい。朝鬼神、寺沢と共に朝乃山の付人を務めている。幕下38枚目朝興貴も4連勝で、4度目の各段優勝へ向け突っ張っている。

令和元年7月11日
宿舎龍照院の横には蟹江川が流れ、境内を出てすぐ右の天王橋を渡ると、左に黒壁のモダンな2階建の建物がある。“祭人”(さいと)という蟹江町観光交流センターで、2階がユネスコ文化遺産に登録された「須成祭」ミュージアムで1階がカフェや蟹江町特産品の物販スペースになっている。その“祭人”が、朝乃山応援ボードをつくり、中央の朝乃山のサインと足型の周りに書き込まれたお客様からの応援メッセージを届けてくれた。蟹江の方はもちろん、富山からの応援メッセージもある。そんな応援を背に朝乃山2勝目。朝興貴、朝天舞、寺沢、朝童子と3連勝。

令和元年7月9日
三重県伊勢市出身の玉木、名古屋場所は準ご当所といえる場所。飾らぬ人柄だけに全国的にファンは多いが、自己最高位タイの幕下3枚目まで番付を上げての名古屋場所に地元の期待は尚更大きい。関取に昇進したら幟を上げたいという予約も各場所で入っているが、その期待に応えるべく2連勝でのスタート。残り5日間、目が離せない。朝天舞、寺沢、朝心誠も2連勝。朝乃山、今場所の横綱戦を終え、金星獲得ならず。3日目を終え、まだ7敗しかしていない。勝数は21勝にも上るので、勝率8割6分にもなる。

令和元年7月7日
令和元年名古屋場所初日。注目の朝乃山、会心の内容で大関を破っての初日。今場所も大いに期待できそう。幕下3枚目玉木も白星スタート。名古屋場所のまっさらな土俵で相撲を取ったご当所一宮出身の朝翔も白星発進。部屋に帰ってきて、「突っ張りました!」と破顔の報告。稽古場では突っ張りを見せたこともないが、本番に強いタイプかもしれない。7月21日(日)に行われます高砂部屋千秋楽打上げパーティーのご案内です。今年から会場が変更になります。

令和元年7月6日
場所前、宮城野、尾車、時津風と出稽古に通った朝乃山、昨日から部屋で調整。今日は、朝虎牙相手に立合いの踏み込みと右差し左上手で前に出る相撲を確認するよう十数番。稽古終了後、宿舎龍照院の御本尊十一面観音菩薩(重要文化財)をご開帳頂き、今場所の無事と必勝祈願。多少の疲れはあるものの気負いなく初日を迎えられそう。初日は大関豪栄道,2日目に横綱白鵬との対戦。明日の取組開始は8時30分。初口の土俵に朝翔が上がり、結び3番前に朝乃山・豪栄道戦、次が白鵬・阿炎で、結びが鶴竜・竜電。

令和元年7月4日
場所前恒例の高砂部屋激励会。朝乃山優勝効果であろう、例年より多くのお客様にお越しいただき、会場溢れんばかりの熱気。激励会の会場は、名古屋場所開催の愛知県体育館に程近いナゴヤキャッスルホテル。おそらく現師匠が若松親方となった平成2年の7月場所から激励会を行っているはずだから、若松部屋時代も含めると30年にもなる。そのナゴヤキャッスルホテルも築50有余年となり、来年の9月で閉館(改築のため)になるそうで、来年が最後の名古屋場所となる師匠(来年12月で定年)とちょうど歩調を合わせるような不思議な縁を感じる。

令和元年7月2日
昨年5月場所で、一年と4場所ぶりの十両復帰を果たした朝弁慶、取組で膝を痛め三段目まで番付を落とし再復帰を目指しての苦しい土俵がつづく。先場所は、本場所中ふくらはぎの肉離れを起こし歩くのもままならないなか強行出場し、1勝3敗から3連勝して勝越した。大阪場所で通った治療院が最近の体質に合うようで、大阪通いをつづけ、状態もかなり良くなってきたよう。ここ2,3日玉木と三番稽古を行い、重戦車相撲を見せている。弁慶の三番稽古が見られるのは久しぶりのこと。

令和元年7月1日
朝乃山、豊田市に宿舎を構える横綱白鵬の宮城野部屋へ出稽古。豊田市までは蟹江からだと1時間近くかかるようだが、初めての横綱との三番稽古に臨む。臆することなく右四つ前に出る相撲を挑み、転がされ、あしらわれながらも、最初と最後の一番前の相撲では自分の相撲を取りきり、横綱を一気に土俵の外へ。これが横綱に火をつけたのか、最後は強烈な張り差しから上手投げで豪快に転がされ、しばらく意識朦朧としたとのこと。これからもどんどん胸を借り、横綱の強さを肌で感じ、全身に沁み込ませていってもらいたい。横綱も感じるものがあったのではなかろうか。

令和元年6月30日
昨日は近鉄駅前の蟹江小学校で800人分のちゃんこの振舞い。今日は、毎年恒例龍照院境内でのちゃんこ会。境内にテントを張り、切った食材を運び込み、炊き出し用の大鍋2つでちゃんこをつくる。どんどん具を入れていき、シメジを入れようとしたら段ボールに入っていたシメジが見当たらない。「確かにこのテーブルの上に置いてあった」目撃証言は多数出るものの、どこを探しても見当たらない。「シメジどろぼう?」「買ってこようか?」「部屋にも少しあったはず」「何故???」みんなが訝るなか、横の神社から声が・・・「あった〜!」 ちゃんこ鍋のとなりで搗いていたお餅と間違えて神社に奉納されていたらしい。奉納シメジを入れ、最後にキャベツとニラを入れて完成。時折激しく雨が降る悪天候にもかかわらず用意した500食のちゃんこが完食。

令和元年6月29日
三段目51枚目の寺沢は、東洋大学相撲部出身で村田の一年後輩。二人でレギュラーとして全国学生相撲選手権の団体優勝を勝ち取った。体格にはさほど恵まれない寺沢、琴錦や鷲羽山を彷彿させるようなスピード相撲が身上で学生時代全国大会での個人優勝も2度ある。あまりのスピードに身体組織がついていけなかったのか、入門前に椎間板ヘルニアが発覚して昨年6月に手術、丸一年を棒に振った。手術後のリハビリと四股一日千回が効を奏し、ようやく復活。まだ半分恐る恐るだが申し合い稽古もできるようになってきた。

令和元年6月28日
ちょうど1年前の名古屋場所で幕下筆頭だった村田、5日目の三番相撲で膝を怪我して休場。その後、9月、11月、1月と全休して3月場所序二段で復帰したものの、再び膝を痛め休場。2年前の3月場所、三段目附出しでのデビューだっただけに初序二段だった。そして先場所5月の全休により序ノ口まで番付を下げ、もちろん今場所が初序ノ口。名古屋入りしてようやく土俵の中での申し合いにも参加できるよになってきた。ただ、まだ日によっては不安定なときもあるようで、これからの膝の具合と相談しながらの出場なるか、というところ。

令和元年6月25日
名古屋場所に向けての稽古はじめ。午前8時半、土俵中央に砂を集め御幣を立て、四方から塩を撒き、十両格行司木村朝之助による土俵祭り。朝之助が朗々と口上する故実言上である方屋開口を聞くと、相撲の神様を感じ、天地自然の理を感じ、心身ともに清められる。9月場所初日にお披露目となる朝乃山優勝額のミニ額販売予約受付開始しているようです。

令和元年6月24日
本日6月24日(月)毎日新聞朝刊「悼む」で先日亡くなられた床寿さんの記事が掲載されています。7月場所番付発表。朝乃山は新三役ならず東前頭筆頭。今朝、龍照院客殿をお借りしての記者会見。「今場所は厳しいと思うが、前に出る自分の相撲を取り切りたい」と力強く決意。幕下玉木は東3枚目。ご当所で夢を叶えたい。三段目朝虎牙、自己最高位の西25枚目。半枚上東25枚目に朝大門。「絶対抜かれると思っていたげど俺の方が上だった」と喜んでいる。序二段朝東、自己再高位大きく更新する23枚目。寺沢初三段目、村田初序ノ口。6797000番目と6798000番目のお客様、送り先を書いてメール下さい。7月場所新番付と高砂部屋便り96号をプレゼント致します。場所前恒例の激励会は、7月4日(木)です。

令和元年6月18日
16日(日)に先発隊が名古屋場所宿舎となる蟹江龍照院入り。毎年のことながら、鈴木まさる氏の出迎えの車でワイワイギャーギャー叫びつつの一年ぶりの名古屋。この日から、まさる氏とお相撲さんとの一ヶ月半に亘る濃密な日々がはじまる。朝乃山は16日に富山で、本日18日は大阪近畿大学での優勝パレード。まだまだ幕内最高優勝のイベントはつづく。

令和元年6月13日
富山合宿稽古2日目。2日間の合宿だから最終日でもある。今日も早朝から長蛇の列で、開場と同時に観覧席が埋まり満員御礼のだいもん相撲場。8時前、朝乃山登場に今日も大きな拍手と歓声の嵐。「朝乃山〜こっち向いて〜」「一周回って〜」・・・四方から大きな声援が響く。「稽古中ですのでお静かに応援してくだい」という場内アナウンスにも場内がどっと沸く。稽古終了後、昨日に引き続き、後援会長、師匠、朝乃山とマイクでご挨拶。その後、ちゃんこ400人分が振舞われ、2日間の合宿稽古終了。富山の方々には“朝乃山祭り“となった2日間であった。午後2時10分新高岡発のじはくたかにて帰京。

令和元年6月12日
富山合宿稽古初日。稽古開始は午前7時半からだが、5時半に外に出てみると入り口付近に長蛇の列。6時過ぎ、新聞を買いに近くのコンビニに自転車で行くと、車や人が相撲場にぞくぞくと向かってくる。入り口で溢れ出したので6時半には入場してもらうと、相撲場は7割方埋まってしまった。7時前、土俵に朝天舞が入っていくと大きな拍手が巻き起こり、力士入場の度に拍手喝采。8時前、朝乃山登場に2000人余りの観客席から大歓声と拍手の嵐。かくして朝乃山フィーバーの一日がはじまった。

令和元年6月11日
今日から富山合宿へ出発。上野駅12:30分発のはくたか563号で、師匠と朝乃山はじめ相撲教習所通いの朝翔以外の全力士等、総勢23名が新高岡で下り、合宿先の射水市グリーンパークだいもん相撲場内の射水相撲場入り。射水相撲場は、地元のアイシン軽金属相撲部が、選手強化とわんぱく相撲等の地域貢献を目指し、昨年3月末落成した真新しい相撲道場で、土俵開きには朝乃山も参加している。隣接する観覧席付きのだいもん相撲場での合宿稽古が、明日から2日間行われる。

令和元年6月8日
大宝八幡宮合宿初日。心配された雨には降られずに観客席の内外には例年を上回る人垣。朝乃山が白マワシ姿で登場すると盛大な拍手喝采。昨年も白マワシの関取ではあったが、お客さんの眼差し、熱気、歓喜、昨年までとは明らかに違った雰囲気に土俵周りが包まれる。今まで知っていた力士が幕内最高優勝を飾って凱旋してくることは、人々の喜びも格別なものがある。幕内最高優勝は、本人はもちろんだが、関わりのあった全ての人々に幸せをもたらしてくれる。

令和元年6月7日
日本盛からの優勝祝いの樽酒が千秋楽午前中に届き、ビールケース2箱にシーツをかけ台座をつくり樽酒をバールと金槌で開け、優勝パレードを部屋で迎える準備。担当は大子錦。両国国技館正面玄関から出発したオープンカーによる優勝パレードは回向院のある京葉道路までだから、その後の部屋、そして祝賀会会場までの車の手配は~山が担当。他の力士達も優勝賞品を運ぶために国技館へ。パーティー会場の受付は朝弁慶が担当。みなそれぞれ役割分担しての優勝祝賀会。今日から茨城県下妻市大宝八幡宮での合宿。夜はゑびすやにて朝乃山優勝祝賀会。

令和元年6月5日
14日目の優勝決定で報道陣が部屋に押しかけ溢れんばかり。朝乃山が部屋に戻ってきて鯛を前に座り、師匠と女将さんが隣に、関係者が周りを囲み、「優勝おめでとう!」で乾杯。「優勝って簡単にできるもんだなぁ。俺なんか何回失敗したことか」という師匠の言葉に報道陣がドッと沸く。明日の一番を残しているので、万歳やインタビューは無しで記念撮影のみ。万歳は千秋楽表彰式後の支度部屋にて天皇賜杯を抱いた朝乃山を囲んで行う。通常なら優勝力士の関係者は結びの一番の後支度部屋に入れるが、トランプ大統領警備で、6時前まで両国駅に近い南門外で足止め。SPや警備関係者が全員出た後6時過ぎになってようやく国技館内へ。

令和元年6月4日
14日目に優勝決定の可能性もあるので、関係者に「優勝が決まると部屋で鯛をもってお祝いの記念撮影を行いますのでお越し下さい」と連絡。優勝すると、千秋楽は一旦部屋にもどり師匠から樽酒で出迎えてもらうので、交通整理を本所警察に依頼。9年前までは年に何回も通った本所警察だが、現在は場所も職員も変わり、「今回もいつも通りに」という訳にはいかない。しかもトランプ大統領の警備に忙しく人数はあまり割けないという。午後4時過ぎ、稽古場上り座敷にテーブルを出しシーツをかけ記念撮影の設営開始。5時半過ぎ、後援会の方も何人か来て朝乃山の一番を見守った。

令和元年6月3日
優勝決定が千秋楽の前、13日目や14日目だと鯛を用意しなければならない。11日目単独トップに立った時はまだ半信半疑だった。12日目に敗れたものの、2敗で並んでいた栃ノ心が敗れ横綱鶴竜との争い。ひょっとするとと思い、お昼ごろから鯛の手配をして、千秋楽部屋の前で使う樽酒を千秋楽の朝には届けてもらうよう日本盛にお願いする。13日目栃ノ心戦を物言いのつく一番でものにして、横綱が高安に敗れたことで再び単独トップ。いよいよ初優勝への気運が高まってきた。

令和元年6月1日
未だ夢のような感じさえする朝乃山初優勝。ちょうど1週間前の5月25日(土)14日目が優勝決定の日となった。優勝すると、様々な関連行事が行われる。前もって準備しておかなければならないことや当日の流れに従ってのもの等、さまざま。高砂部屋としての優勝は、平成22年1月場所の朝青龍以来。9年前のことだけに、当時横綱の付人だった~山や朝天舞、舞台裏の準備を行っていた大子錦や朝乃土佐等が、まだ現役でいるのである程度の流れはわかっている。そんな優勝の舞台裏を振り返ってみたい。

令和元年5月17日
午前8時過ぎ、稽古場に新聞記者が一人来訪。部屋に記者が取材に来るのは久しぶりだなと思っていたら、それから次々と各社の記者が勢ぞろいして上り座敷は相撲記者でいっぱい。稽古後、囲みのインタビューを受け、朝乃山への注目度と期待度の高さが一気に高まっていることを実感。本人もいきなりの取材の多さを意識したのか、攻めの相撲が出せずに今場所初黒星。これから番付が上がっていくにつれ、こういうことにも慣れていかなければならない。日々のリズムを崩さず淡々と鍛錬していく。四股、テッポウは、そのためであるのだろう。寺沢、朝鬼神、三連勝。

令和元年5月16日
序二段102枚目朝東3連勝。今日も双差しになって、どんどん前に攻めての3勝目.。もともと双差しになるのは得意だが、その後の攻めが遅く白星につながらなかったが、今場所は一味違う。入門1年半、昨年は2回勝越したものの、今年はまだ勝ち越しなし。令和初の本場所で勝越して、そろそろ番付を上げていきたい。朝乃山、苦手だった輝に前に出る相撲で5連勝。玉木、朝天舞にも初日。あすから中盤戦。

令和元年5月14日
朝乃山、今日もいい内容での3連勝。序二段朝東、三段目朝大門、朝鬼神は2連勝。全体でも5割超えの成績。令和元年5月場所高砂部屋千秋楽打上げパーティーのご案内です。

令和元年5月13日
朝乃山、今日2日目の対戦は尾車部屋友風。同じ学生相撲出身で、一年後輩。大相撲の世界では、先場所13日目に初めて対戦して上手投げで敗れてしまった。絶対負けたくない相手だっただけにショックが大きく、その日の支度部屋では報道陣に背を向けてしまったほどであったという。その友風に、リベンジの豪快な上手投げでの2連勝。場所後6月12日,13日と北日本新聞社創刊135周年記念事業として射水市グリ−ンパークだいもん相撲場での富山合宿が行われることになっており、地元富山での凱旋合宿に向け、好調な滑り出し。

令和元年5月12日
爽やかな風が力士幟をはためかせ満員札止めの令和元年五月場所初日。前売り券は15日間全席売り切れで、毎朝当日券が300〜400枚発売される。朝、部屋に来たお客さんによると、5時40分に両国駅に着いて国技館に向かうとすでに200人余りの行列。切符の販売は8時前からだが、前もって整理券が配られ6時過ぎには予定枚数が終了したとのこと。熱心なお客さんに負けない熱い相撲をみせなければいけない。先場所序ノ口優勝の寺沢が序二段でも白星スタート、朝弁慶、朝乃山もいい内容での白星。

令和元年5月11日
令和元年五月場所の無事安全と繁栄を祈願しての土俵祭り。土俵祭りには理事長はじめ審判部親方、三役以上の力士並びに相撲教習所生徒も参加して行司が祭主となり執り行われる。教習所生徒は夏の正装である浴衣だが、関取衆は夏用の着物に羽織を着用。一月場所と三月場所の優勝力士は、土俵祭り終了後に優勝額贈呈式があるため、黒紋付袴に大銀杏を結って出席することになっている。一月玉鷲、三月白鵬だが、白鵬は今場所休場のため玉鷲のみか。初夏の日差しの元、触れ太鼓が五月の青空に響きわたる。あすから初日。

令和元年5月10日
取組編成会議が行われ、初日と2日目の割り(取組)が決定。朝乃山は、前半戦最後から一番前で魁聖との対戦。初日は8時30分取組開始で、4番目に朝翔が登場。幕下は朝弁慶と朝興貴が十両土俵入り前に続けて登場。2日目序二段で、朝ノ島、朝阪神、朝心誠と3人続けて西から登場。幕下上位五番の4番目で玉木が豊昇龍(朝青龍の甥)との対戦。お見逃しなく。村田は休場。初日と2日目の高砂部屋力士取組です。

令和元年5月9日
初日まであと3日。番付発表後、朝乃山は時津風部屋へ、幕下玉木は九重部屋へ出稽古に通っていたが、そろそろ調整に入り部屋で体をほぐす。部屋での稽古は、7時から四股やすり足等の基礎運動を1時間ほど行い、その後申し合い稽古。はじめに朝翔が朝乃丈に胸を借り、当たる稽古。つづいて朝童子と朝東の三番稽古。しばらくして朝阪神や朝心誠が加わり、朝童子と朝東がぶつかり稽古で上がった後、朝阪神、朝心誠に朝鬼神、朝大門が加わっての申し合い。朝翔が入ったことで、朝阪神、朝童子、朝東が力をつけた。

令和元年5月7日
日本相撲協会機関誌であるベースボール・マガジン社発行の月刊『相撲』誌元編集長である下家義久氏は、相撲甚句の作詞を数多く手がけ、以前相撲協会のHPで『柔剛適意』という相撲コラムも書いていた。実父が元幕内鶴ヶ嶺の10代井筒親方で、相撲部屋に生まれ、根っからの相撲人として相撲に対する深い愛情と造詣をもっておられる。甚句つながりで、床寿さんとも親交があり、旅立ちにあたって『“人生横綱”床寿一代』を手向けてくれた。井筒部屋は現在時津風一門だが、7代井筒は横綱初代西ノ海が高砂部屋から独立して興した部屋だから、元をたどれば高砂部屋とも縁がある。

令和元年5月6日
本日、床寿こと日向端隆寿さん告別式。床寿さんは相撲甚句の名人でもあった。もともと郷里の青森にいる頃から民謡を習い、のどには自信があったといい、床山として腕を磨きながら喉にも磨きをかけ相撲甚句のレコードやCDも出すプロであった。式場には本人の甚句が流れ、娘さんの挨拶では、番付に床山の名前を載せるために奔走し成し遂げた喜びを語ってくれた話も紹介された。相撲甚句会の先生として数多くの弟子も育て、出棺の際には、弟子たちによる「当地興行」で見送られ旅立った。

令和元年5月2日
元特等床山の床寿こと日向端隆寿さんが4月30日に亡くなられた。床寿さんは青森県出身で昭和34年に入門。横綱前田山の4代目から現師匠の7代目まで4人の師匠の元で床山として活躍。横綱千代の富士に大関小錦、横綱朝青龍と大銀杏を結い、その技術は名人と讃えられた。享年75歳。心よりご冥福をお祈り申し上げます。葬儀はセレモ江戸川ホール(江戸川区谷河内1-1-16 電話03-5666-4441)にて。通夜5月5日(日)18:00、告別式6日(月)13:00.供花の御用命は上記江戸川ホール迄お願いします。

平成31年4月30日
5月場所新番付発表。番付中央には、相撲字で令和元年と記されている。番付は、江戸中期から現在の形になったそうだが、いくつ元号を記してきたのであろうか。そして、これからも引き継いでいかなければならない。先場所負越しの朝乃山、半枚下がって西8枚目と番付運がいい。幕下は、玉木が5枚目、朝興貴17枚目、朝弁慶18枚目。三段目では、朝虎牙が自己最高位を更新しての40枚目。先場所序ノ口優勝の寺沢が序二段14枚目。朝翔、初めて四股名を令和初番付にのせる。6735000番目と6736000番目のお客様、送り先を書いてメールください。5月場所新番付と高砂部屋便り94号をプレゼントいたします。

平成31年4月29日
明治11年5月場所に始まった高砂部屋の歴史は、現在まで140年あまりつづく。その間、明治11年5月場所の幕内響矢(後に高見山ー2代目高砂)から平成28年11月場所の朝赤龍まで138年間常に関取を抱え、横綱6人、大関5人を輩出。1場所だけ関取不在となったものの、29年3月場所から朝乃山が伝統を引き継ぎ、新しい時代へとつなげていく。あす令和元年5月場所番付発表。あさって5月1日から稽古はじめ。

平成31年4月28日
平成15年1月場所で横綱貴乃花が引退。その場所で連続優勝を決めた朝青龍が横綱に昇進して大相撲人気を支えていった。その後19年7月場所に白鵬が横綱昇進。2人が優勝を交互にくり返し、2人とも不調だと琴欧洲、日馬富士、把瑠都といった面々が優勝を飾る。日本人力士の優勝は、18年1月の栃東以来、28年1月の琴奨菊まで10年を要した。そして29年3月場所で稀勢の里が待望の横綱昇進、日本国中が沸いた。高砂部屋は、合併以来20人を超えていた力士数が18年7月場所19人となり、以後年々減少。22年1月に朝青龍が引退すると、関取1人(朝赤龍)と若い衆10〜12人という寂しい状況が続くが、27年に4人入門、11月に朝弁慶新十両昇進。翌28年には現朝乃山等4人が入門して再び活気を取り戻してきた。

平成31年4月27日
力士の大型化は、平成の30年でさらに加速した。幕内力士の身長・体重の平均は、平成元年1月場所で184,1cm、147,4kgだったのが、31年1月場所では身長は184c台と殆ど変わりないのに、体重が166,2kgと20kg近くも増えている。ちなみに年6場所制が始まった昭和33年(栃若時代幕開けの頃)の幕内の平均は176,6cm、114,3kgだったそうで、この60年で50kg余りも増えたことになる。「大きいことはいいことだ」を掲げる大相撲だが、明らかに太り過ぎである。

平成31年4月25日
学生相撲出身力士が増えたのも平成時代の特徴といえるであろう。元年1月場所では幕内に4人だったのが、31年1月には14人に激増。高校相撲出身者も8人に上り、昭和で圧倒的に多かった中学卒の“たたき上げ”は少数派となった。一般社会での生活が長くなった分、意識や生活、服装も変わってきた。相撲用語を使う頻度が減り、花札やサイコロが消えゲームやSNSが当たり前になり、靴を履く力士が増えた。プロテインやサプリメントが常識になり、酒を飲む力士や大食い自慢の力士も減った。ちなみに現高砂部屋では大学相撲4人、大卒・社会人3人、高卒7人、中卒6人。酒は朝乃丈、大食いは朝弁慶に朝虎牙というところか。

平成31年4月24日
平成11年1月場所朝青龍が初土俵。翌12年1月には後を追うように朝赤龍が入門。出世の階段を駆け上り、15年1月場所後に横綱昇進。その後、白鵬、日馬富士、鶴竜、把瑠都、琴欧洲等が相次いで横綱、大関へと昇進し、グローバル化が進んだ。平成元年1月場所の外国出身力士は大関小錦一人だったのが、31年1月には2横綱を含め42人中9人を数えるまでに増加。若貴バブルが去った後の大相撲界を支えた。部屋は、14年2月に若松と高砂が合併、7代目高砂部屋として新たなスタート。合併時は関脇朝青龍を筆頭に関取4人、幕下以下29人合計33人となった。

平成31年4月23日
喉元過ぎれば何とやらで、相撲人気がつづくと切符が売れなかった頃のことをつい忘れてしまう。若貴がいた頃はずっと好景気だったように思っていたが、平成9年にはすでに切符が売れ残るようになっていた。このホームページを開設したのも売れなくなった切符の販路を少しでも広げようとしたのが動機であった。バブルの反動は長くつづき、暴行死事件や八百長問題で更に客足は遠のいた。部屋の切符を売りさばくのに毎場所苦労した。その後、協会のSNSでの情報発信やファンサービス、遠藤人気やスー女、外国人客等新たなファン層が広がり現在の人気につながっている。

平成31年4月22日
若貴人気で満員御礼がつづき、新弟子希望者が増え、平成4年は223人、5年は211人もの入門者がいた。若松部屋にも毎年10人近くの入門者がいて総勢25人の大所帯となった。入場券にプレミアがつき相撲界全体がバブルであった。7年1月に貴乃花、10年7月若乃花が横綱に昇進、史上初の兄弟横綱誕生に沸いた。9年3月場所で朝乃翔が横綱曙を破る金星を上げ、朝乃若と共に幕内上位で活躍。ただ、10〜11年頃から若貴にも陰りが見えだし相撲人気も下降線をたどる。12年3月若乃花、13年1月曙が引退。入門者数も100人前後に落ち着いた。666日つづいた満員御礼は9年5月2日目に途切れた。

平成31年4月21日
平成3年5月場所初日、前頭筆頭に上がった18歳の貴花田が横綱千代の富士に初挑戦。視聴率44,4%に達したという新旧ヒーローの対決は寄り切りで貴花田が初金星を上げる。この場所3日目の相撲を最後に昭和の大横綱千代の富士が引退。貴花田は翌4年1月場所で初優勝。曙、若花田も三賞を受賞して日本中が若貴フィーバーに沸きたつ。元大関朝潮が師匠となった若松部屋では、5年1月場所に朝乃涛と朝乃若が十両昇進。翌3月場所朝相洋(後に朝乃翔)が十両昇進。

平成31年4月20日
平成も残すところあと10日。大相撲界にとって、部屋(若松〜高砂)にとって、平成はどういう時代だったのか振り返ってみたい。平成元年1月場所は、千代の富士、大乃国、北勝海の3横綱と小錦、旭富士、北天佑、朝潮の4大関の上位陣、前年(昭和63)3月場所入門の若花田が幕下、貴花田と曙は三段目に昇進したばかり。まだ世代交代の兆しが芽生えだしたところでしかない。若松部屋の師匠は元関脇房錦で、本家高砂部屋は元小結富士錦の6代目。元年3月場所で大関朝潮が引退して山響襲名、1年後の2年3月場所から若松部屋を継承することになる。

平成31年4月18日
,今年の春巡業は夏並みに長期で、15日の靖国神社を前に一度部屋に帰ってきたものの、再び旅立っている。今日が足立区の東京武道館、明日が埼玉県行田市、その後千葉県柏市、群馬県高崎市、栃木県佐野市とまわり22日に一旦帰京。その後、25日から再び埼玉県日高市、青梅市、横浜、町田市とつづき、最終29日(月)が茨城県水戸市。翌日30日が番付発表。間に一旦帰京があるのは巡業に出ている若い衆にとっては、あまり嬉しくないこと。巷で話題の10連休は、相撲界には全く無縁のこと。令和元年夏場所は12日が初日。

平成31年4月8日
第53代横綱琴櫻は、鳥取県倉吉市の出身。中高と柔道で鳴らしていたところを元琴錦の先々代佐渡ケ嶽にスカウトされ入門。「猛牛」と異名をとった激しいぶちかましからの押し相撲で、大関在位32場所の後、32歳という年齢での横綱昇進は「遅咲きの桜」と話題になった。優勝5回、引退後佐渡ケ嶽部屋を継承し、スカウトと指導の熱心さで、大関琴風、琴欧州、琴光喜、琴奨菊や現佐渡ケ嶽の関脇琴ノ若や琴錦等数多くの関取を育てた。倉吉市には横綱琴櫻記念館がある。

平成31年4月7日
昭和59年11月場所で,富士櫻関の付人を務めさせてもらったことがあった。当時は若松部屋所属だったが、付人の仕事を覚えるため、本家高砂部屋の関取に本場所のみ出向しての付人修業であった。入門丸一年の新弟子だったから、仕事は準備運動中の水持ちと風呂上がりの足ふきだったが、風呂の出口で待っていると、中で「チクショー!」と大声で叫びながら洗面器を壁にぶつける音が響き、緊張した。土俵にかける闘志は引退前でも少しも衰えていなかった。

平成31年4月3日
関脇富士櫻は山梨県甲府市の出身。昭和38年3月場所に15歳で初土俵を踏み、素質、体格共に恵まれなかったものの、猛稽古と丼飯7,8杯食べ体をつくり、徹底的な突き押し相撲で関脇まで昇進した。よく稽古し、よく飲み、まさに力士の鑑であった。昭和50年5月場所中日天覧相撲での麒麟児戦は、両者100発以上の突っ張り合いで館内を沸かせ、昭和天皇も身を乗り出すほどの大熱戦で今でも語り草になる名勝負。引退した昭和60年3月場所で、現師匠の大関朝潮が初優勝を飾り、優勝パレードの旗手を務めた。引退後中村部屋を創設。平成25年2月に定年。

平成31年4月1日
桜(櫻)の文字は、四股名にけっこう使われている印象があったが、現役関取の中には見当たらなくなった。幕下に鏡桜がいるくらいか。三段目以下には何人かいるもようだが。横綱では、第53代横綱琴櫻、関脇富士櫻、現式秀親方の北桜、弟の豊桜。若貴と同期生で後プロレスに転向した力櫻、現高砂部屋若者頭の伊予櫻、押尾川部屋恵那櫻、相撲甚句の栃桜、戦前だと双葉山から金星を挙げた櫻錦等の四股名が思い浮かぶ。近頃有名な服部桜もいる。

平成31年3月31日
昨30日(土)、巡業組は伊勢神宮へ、帰京組は相撲列車(新幹線)にて1ヶ月半ぶりの東京へ戻る。大阪から送られてきた大量の荷物を片づけ、土俵に水を撒き、あすから始まる稽古の準備。桜が咲き始めた大阪に比べると、満開を少し過ぎた東京の桜だが、十二分目を楽しませ春を感じさせてくれる。3月場所入門の前川改め朝翔(あさはばたき)は、明日から相撲教習所通い。早朝、下駄をカランコロン鳴らして国技館まで向かうと、江戸博沿いの桜並木が桜吹雪で出迎えてくれるであろう。

平成31年3月28日
大阪春場所が終わると春巡業。巡業組(朝乃山と朝鬼神、木村朝之助と朝大門、~山(横綱鶴竜の付人)は、明後日土曜日に近鉄上本町駅から伊勢神宮へ出発。3月31日(日)伊勢神宮奉納相撲を皮きりに、近畿、東海、関東近辺をまわって4月29日(月)の水戸場所まで、約一ヵ月間の長丁場。春巡業恒例の靖国神社奉納相撲は、4月15日(月)。巡業本体ではないが、呼出し利樹之丞と邦夫は巡業の先発として土俵つくりに巡業地を先乗りしてまわる。大阪の桜もようやく咲き始め。


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