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今日の高砂部屋
令和2年7月8日
午後、久しぶりの梅雨の晴れ間。梅雨時の晴れ間はマワシが干せるので本当にありがたい。例年だと名古屋場所真っ盛りの頃だが、7月場所初日まで10日余り。7月場所は大体成績が良く、過去を振り合えってみても各段優勝や勝越し力士が多い場所。昨年も三段目で朝天舞対寺沢の同部屋優勝決定戦があり、寺沢が優勝。朝玉勢も新十両昇進を決めた。朝乃山は7勝8敗と負け越したものの初の上位挑戦で自信をつけた場所。その大関、今週に入り連日の電話取材やリモート取材がつづく。

令和2年7月7日
土俵祭り。土俵祭りは柝の音ではじまり、柝の音で終わる。高く響く柝の音は、同じことの繰り返しだった日々から心身を覚醒させてくれる。祭主木村朝之助も久しぶりの祝詞と方屋開口で、いささか緊張気味ではあったが、「天地(あめつち)開け始めてより陰陽に分かれ ・・・ 清く潔きところに土を盛り 俵をもって形をなすは 五穀成就の祭りごとなり ・・・ 」と、江戸時代から綿々と受け継がれてきた口上が朗々と述べられると、いよいよ本場所が始まるという気が湧きあがってくる。

令和2年7月6日
本来ならば番付発表の月曜日ということで、新大関としての記者会見を、お昼過ぎからリモートにて。画面の向こうには21名の各社記者。これまでの稽古の状態、これから初日へ向けての意気込み、体調や体重の変化、出稽古ができないことについて、関取同士での稽古ができない不安はないか、どのように日常を過ごしているか、最近観た映画は、・・・。記者会見の後は、協会用の写真や動画撮影。土俵の乾きが足りなかったため、明日から稽古始めで8時30分より土俵祭り。

令和2年7月5日
通常なら名古屋場所初日の日曜日。名古屋場所といえば、地下鉄市役所前駅を地上に出た途端聞こえてくるセミの大合唱と肌を焼き焦がすような強い日差しを思い出すが、そのどえらぁ〜暑い名古屋の夏を今年は味わえない。代わりに両国国技館の7月を初めて肌で感じることになる。東京暮らしも4か月目に入り、東京2か月半、地方1か月半という何十年も繰り返してきた生活パターンが崩れ、何となく落ち着かない。家族も同様で、「ご飯作るのにも飽きてきた。そろそろどこかいかないかなぁ」という声が聞こえてきそう。

令和2年7月4日
土俵築。土俵は、毎場所番付発表前につくり直すが、5月場所前には行えなかったので、1月場所前の昨年12月末以来半年ぶり。昨日クワで掘り起し、スコップで細かくした土を呼び出しさんが水平に均し、水を撒き、今日は早朝からタコで突き固め、タタキでさらに締めツヤを出す。重いタコを4人がかりで突くのはお相撲さんの仕事、タタキを叩くのは呼び出しさんの職人技。土俵が清らかにつくり直されると、気持ちも清らかに改まる。初日まであと2週間。

令和2年7月3日
朝弁慶の付人を務める朝興貴も柔道出身。兵庫県高砂市出身ながら、片道2時間余りの電車通学で大阪の興國高まで通い、柔道部で活躍し、大阪私学大会準優勝の実績もある。卒業時に兵庫県警の試験を受けたが不採用になり途方にくれていたところ大阪高砂部屋後援会関係者からスカウトされ、入門に至った。柔道出身者は押し相撲に徹すると成功するという言葉の通り、突っ張りを武器に関取昇進まであと一息だが、相変わらずのマイペース興貴を貫いている。

令和2年7月2日
朝弁慶は高校から柔道を始めた。大きな体は目立ち、大学の柔道部からも誘われていたそうだが、山下泰裕氏の講演を聴きに行ったときに、湘南高砂部屋後援会関係者に発見され、高砂部屋へスカウトされた。熱心に口説かれても断り続けていたが、師匠が実家の中華料理店に何度か足を運び、「柔道では飯が食えないぞ、相撲で出世すれば親孝行ができるぞ」という言葉で入門を決意した。あと4,5年は関取として稼いで親孝行したい。

令和2年7月1日
合宿は、力士にとっては環境を変えて稽古を行なえることで気分転換になるし、地元の方にとっては稽古を間近で見られ、力士と親しく触れ合える等、利点が多い。さらに新弟子勧誘の機会にもなる。現に、朝弁慶は平塚合宿が縁で入門に至ったし、弁慶以前にも2人いた。朝東は、高知合宿で朝阪神や朝童子と一緒に稽古して自信をつけたのか(?)高砂部屋入りを決心した。力士と間近に接することが、入門への垣根を取り払ってくれる利点もある。

令和2年6月30日
明日7月1日(水)朝の番組TBSテレビ「あさチャン!」に大関朝乃山がリモート出演します(録画)。7月場所へかける思いや現状などについて、日比アナウンサーのインタビューを受けてのやりとりと、過去のドキュメント番組の放送等もあるようです。スポーツコーナーは午前6時13分頃からです。その前に「はやドキ!」(4:25〜)でも放送されるのかもしれません。

令和2年6月29日
年内の合宿は中止とするよう相撲協会から通達が出された。高砂部屋でも8月から10月にかけて平塚、富山、高知と合宿予定があったが、残念ながら致し方ない。7月場所初日まで、あと3週間。出稽古はまだNGだが、今週末には久しぶりに土俵築が行われ、来週月曜日には土俵祭りも予定されている。3月場所が終わって3ヶ月、ようやく少し進みだしてきた。

令和2年6月28日
稽古ダオルは毎日のように洗濯するので、1,2年するとボロボロになり、そのうち足ふき等に担当が変わり、役目を終えていく。最近寺沢が使用しているタオルは「一ノ矢タオル」。13年前の引退の時に福岡の知人がパーティーを開いてくれ、その時の記念品につくったもの。部屋関係者が、ヤフオクで見つけたらしく持ってきた。似顔絵と一ノ矢の文字が入っている。50kgの砂袋ですり足をするとき上がり座敷の板の間を汚さぬようタオルを敷くが、寺沢はタオルの似顔絵の上に砂袋を落としながら、ニッと、ほくそ笑んでくる。

令和2年6月27日
稽古ダオルは、まとめて洗濯するから、色や柄が違っている方が望ましい。少し前に寺沢が使っていたものは「くまのプーさん」柄。何度か紹介している札幌月下相撲同好会から大量に送られてきた中にあったもので、気に入って使っていた。月下さんは、会員のみなさんから集めたタオルを送ってくれたのだが、部屋へ訪ねてきた会員さんが、くまのプーさんを見てびっくり!「子供が赤ん坊の頃くるんでいたタオルだ!」と。端に名前も書いてある。何枚も提供してくれたので特に意識していなかったようだが、腰に巻いているのを見て思い出したそう。十数年ぶりの再会に興奮気味で、寺沢ファンになった。

令和2年6月26日
稽古ダオルと普段使用のタオルの大きさを教えてくださいとの質問をいただきました。特に大きさに決まりはなく、腰に巻ければ大丈夫な大きさです。何枚か測ってみましたが、長さは120cm〜180cmくらいまで、幅は70cm〜90cmまでと様々です。140cmの長さがあれば、だいたいの力士は巻けるようですが、アンコ型(大子錦、朝虎牙等)は、180cm近くないと苦しいようです。ただ、大子錦、朝虎牙クラスのアンコになると、タオルを腹の下にはさむと落ちないので、長さが足りなくても使えないことはないという特技(?)があります。普段使用のタオルも同じで、稽古場で使うか風呂上りに使うか用途が分かれるだけです。場所タオルは一般のフェイスタオルを使用します。

令和2年6月25日
本場所で使うタオルは、「場所タオル」といい、ふつうのフェイスタオルの大きさ。若い衆は、タオル一本持っていくだけだが、関取になると、通常、顔用、背中用が2本ずつ、足ふき用に一本の合計5本使う。土俵上で、時間いっぱいになって呼出しから渡されるのが、顔用の場所タオル。ちなみに朝乃山は、通常の顔用に加え、マワシを濡らす為のタオルと帰り専用のタオルもあるらしく、顔用だけで4本使うそう。それぞれ色分けされている。

令和2年6月24日
稽古が終わるとマワシを外し、風呂に入るまでの間、稽古ダオルを腰に巻く。それゆえ、大判のバスタオルでないとまわらない(朝童子は普通サイズで大丈夫だが)。夏場は特に大汗をかくので、幕下以下の力士も稽古タオルを2枚使う。稽古が終わると全員の分を集めて洗濯機で回すが、2〜3回に分けないと回し切れない。梅雨時は干せないので、洗濯した山ほどの稽古タオルをコインランドリーで乾かすのは新弟子にとっての一仕事。

令和2年6月23日
関取が稽古するときには、付人がタオル持ちを行う。タオルといっても、ふつうのバスタオルかそれ以上の大きさで稽古場専用なので「稽古ダオル」という。付人は2本の稽古タオルを持ち、一本は関取の顔や胸用で、もう一本は背中用。一本を関取に渡し、もう一本で背中の汗を拭く。拭き方にも手順がある。転んで砂がついた時には、背中用を丸め、丸めた端で砂を払い、タオルに着いた砂をパンパンと手に叩きつけて払い落とし、また関取の砂を払い、パンパンと払い落すことを繰り返す。素早くリズムよくやらねばならない。現在、大関のタオル持ちは朝鬼神が担当。

令和2年6月22日
夏場の稽古は大汗がしたたり落ちる。そんなときはバスタオルで拭くよりも、竹べらで汗をしごき落とした方が早く気持ちよかった。1cm幅くらいのうすく削いだ竹の両端を持ち、丸まった部分を膚にあてて汗をこそぎ落とす。膚が赤みを帯び、皮膚の奥の汗までしぼり出してくれるようだった。ここ14,5年(20年くらいか?)稽古場から姿を消してしまったが、今でも使っている部屋はあるのだろうか?

令和2年6月21日
正月場所前の厳寒の日の稽古場でのこと。「窓あけい!」 若乃花は入ってくるなり窓を全開にさせる。お客さんがいる上がり座敷にも寒風が吹き込んでくる。なぜか?若乃花が稽古場に入ってくると酒のにおいが充満するからである。稽古を始めて、20番、30番、だんだん酒のにおいも消えてきて、さらに40番、50番とつづく。さすがの若乃花も汗をかいてきて、竹べらで汗をしごき取る。途中、小坂氏の元へ来て、「まだにおうかね?」と訊く。「まだにおう」と答えると、「よし!」と応じて、さらに40番、50番とやる。最後の一滴までしぼり出して稽古を終えたという。

令和2年6月20日
その激しい稽古で、若ノ海も若秩父も若三杉も幕内力士となったが、幕内に上がっても稽古は変わらなかった。まず若ノ海相手に20番から30番、若ノ海がヘトヘトになるとこんどは若秩父。若秩父が疲れ切ると若三杉。その間に若ノ海が回復してくるからまたひっぱり出すという具合で毎日100番を下ることはなかった。ある時は、土俵の俵に足をのせて若い衆に土俵のまん中から勢いをつけてぶつからせた。土俵を割らせたらごほうびが出るが、受け止めて土俵を割らない。そんな稽古も何番もやった。最盛期の花籠部屋は、7人の幕内力士を擁し“七若”と呼ばれた。

令和2年6月19日
花籠部屋は日大相撲部の稽古場のとなりにあった。いつも学生が稽古にくるのだが、序二段や三段目では学生に勝てない。学生に負けると若乃花は、容赦なく激しいけいこをつける。若秩父も三段目のころ、どうしても学生に勝てなかった。ところが、一巡業して帰ってきたら、逆に学生は一人として若秩父に勝てなくなっていたという。巡業中に若乃花が鍛え上げ、若い衆相手の稽古で若乃花自身も強くなっていった。7月場所初日まで、あと1か月。

令和2年6月18日
以下、小坂秀二『栃若時代』(光人社)より。若乃花は、昭和21年二所ノ関部屋入門し、27年夏場所後大ノ海が独立したことに伴い花籠部屋へ。本家とはケンカ別れだったため、出稽古も一門での連合稽古もなかった。巡業も同様で、花籠部屋単独での小相撲と呼ばれる巡業で、大部屋が行かない田舎町を回るしかなかった。巡業を見に来るお客さんのお目当ては、三役経験のある若乃花一人。土俵を下りるわけにいかず、入れ替わり立ち替わり向かってくる若い衆を相手に稽古をつづけた。そういう環境の中で関脇、大関へと上がっていった。

令和2年6月17日
現在発売中のベースボール・マガジン社・月刊『相撲』誌6月号は、「7月場所開催祈念号」という特別号。巻頭カラーのP6〜P8にかけて「朝乃山を支えるチーム高砂」と題して、大関朝乃山と高砂部屋の特集。入門時から温かく見守ってきた師匠の言葉や現在の高砂部屋に至る歴史等、若松部屋時代から部屋に深く関わってきた“どす恋花子”こと佐藤祥子氏による高砂部屋愛溢れる3ページにわたる特集です。

令和2年6月16日
幕下相手の稽古では大関には物足りないのではと思われるかもしれないが、傍から見ている分にはいい稽古になっている。三人とも学生時代からしのぎを削ってきた仲だけに、お互い弱点もわかっており、大関も上手を取るのに苦労したり、双差しになられたりと、苦戦する場面もあり、目が離せない。元TBSアナウンサーで相撲評論家の小坂秀二氏は、初代若乃花が三役から大関、横綱へと上がっていく頃の稽古をよく見た人で、「若乃花は、自分より下の者、弱い者ばかりを相手にして強くなった。上に鍛えてくれる者がいなくては強くなれないというのはウソである」と語っている。

令和2年6月15日
大関朝乃山は、連日幕下勢(朝玉勢、村田、寺沢)との稽古。まだ番数はさほど多くないものの、一番一番確かめるように集中して稽古している。何より、幕下勢にとっては最高の稽古相手。最近は、巡業と出稽古で胸を借りる機会がほとんどなかったので、久しぶりに大関の胸に思い切りぶつかり、力を出し切る稽古をつづけている。大関の圧力を毎日受け、負けないよう踏み込むことが、本場所での取組に大いに役立つことであろう。

令和2年6月14日
朝方は小糠雨ふる6月14日日曜日。日中も雨。本来ならば、今日から名古屋先発の日。入門したのが1983(昭和58)年だから、かれこれ40年近く、この時期から7月末までは名古屋に行っていたのに、今年初めて7月を東京で過ごすことになった。宿舎の蟹江のお寺さんも30年以上になり、ご住職やご近所の方々、世話人の方々、いつも迎えにきてくれる鈴木さん家族、年一度の再会が叶わず寂しい限り。国技館開催の7月場所初日まで1か月余り。番付は5月場所のものをスライド、番付発表も行われない。

令和2年6月13日
本場所の取組のときは仕切り直しの度に塩をまく。これから闘いをくり広げる土俵を浄めるためで、稽古場でも同様に塩をまく。塩は稽古場の隅の塩籠に入っているから、籠から塩を取ってまき土俵に入る。若い衆は、通常稽古の始めに1回まくだけだが、誰かが怪我をしそうになったりしたときにも清めるためにまく。関取が稽古を始めるときには、新弟子が塩籠を持って土俵の縁に立つ。本場所同様、一番取って仕切り直しをする度にまく。塩籠を持つ新弟子は、脇を締め胸の前でしっかり持たなければならない。時につま先立ちを課せられることもある。関取がいる部屋だけの光景。

令和2年6月12日
大関(関取すべて)が土俵に入るときには、箒が入る。周りに出た砂を土俵内へ掃き入れ、土俵にこびりついた砂をはがすため小さな円を描くように箒を回し、最後に大きく半円形に均す。本場所の土俵で箒を入れるのは呼び出しさんの仕事だが、稽古場では若い力士が竹ぼうきで行う。竹ぼうきで行う分ムラができやすく、ある程度兄弟子になって回数をこなさないと、うまく均せない。きれいに掃き清められた土俵へ、大関が塩をまいて入る。稽古場にピンとした厳粛な空気が張りつめる。

令和2年6月11日
稽古は、番付が下の者から順番に行われていく。初めに朝勝令が朝ノ島の胸を借りて何回もぶつかり突き放され転がされたあと、そのままぶつかり稽古で仕上げ。次に、朝翔、朝東、朝童子、朝阪神、朝心誠による序二段申し合いとぶつかり稽古。そして朝大門、朝鬼神、朝天舞による三段目申し合いとぶつかり稽古。土俵の砂を均して寺沢、村田、朝興貴、朝玉勢による幕下申し合い。幕下力士がある程度番数をこなしたところへ、大関登場。大関が幕下相手に汗を流したあとぶつかり稽古で仕上げ。ぶつかりが終わった後、四股と腕立て伏せで稽古終了となる。

令和2年6月10日
若松部屋と高砂部屋が合併してすぐの平成14年5月場所は、茨城県出身力士が8人もいた(34人中)。その後減っていき、現在残っているのは大子町出身の大子錦のみ。茨城県勢最後の砦大子錦は、入門25年目を迎える最長老42歳。得意技は、土俵際で力を抜き、あきらめたと思わせておいたところを逆転する「死んだふり」(決まり手にはない俗称)だったが、大病を患い本当に死にそうになったので、得意技欄から削除した。ちゃんこの腕前は右に出るものがいないが、残した伝説(相撲以外の秘話)も数知れない。

令和2年6月9日
CSフジテレビ『大相撲いぶし銀列伝』は、やくみつる司会のコアな相撲ファンに人気の番組。2015年4月から放送され、6周年記念スペシャル!第31話は「朝潮篇」で本日夕方高砂部屋にて収録。心に残るベスト10番を見ながら、やくみつるさんとはリモートでのやりとり。その後、ゲストに大関朝乃山が登場して話に加わる展開。放送は、6月18日(木)21:00〜22:00.再放送は6月21日(日)11:00〜12:00とのことです。乞うご期待。

令和2年6月8日
本来ならば、昨日今日と茨城県下妻市大宝八幡宮合宿の予定であったが、今年は大宝の皆さまにお会いできず寂しい限り。大宝八幡宮での合宿は、若松部屋時代の平成13年から始まったから今年で20年目。初めは若松部屋・東関部屋との合同合宿で、合併後は高砂部屋単独、その後力士数が減った頃は錦戸部屋との合同、28年からは再び高砂部屋単独と、東日本大震災の年以外は続けられてきた。昨年は朝乃山初優勝後の凱旋合宿。今年は、新大関としての凱旋合宿となるはずだったのだが、来年まで持ち越しとなった。

令和2年6月7日
稽古休みの日曜日。部屋のすぐ近くに大横川親水公園という公園があり、休日は家族連れでにぎわっている。もともとは大横川という運河であった。江戸時代低湿地だった本所一帯を縦横に開削した運河の一つで、すべて人の手による大土木工事であり、水はけを良くし、土地をかさ上げ、物資の運搬にも役立った。その運河が埋め立てられ水の流れを木々の緑が囲む2km足らずの細長い公園になっている。散歩していると、周りの人よりも明らかに背が高いお相撲さんを遠目に発見。何となく見覚えのある後姿だと思い近づくと、一本下駄を履き1m90cm近くにになった朝天舞(実際は172cm)であった。

令和2年6月6日
現役力士を出身高校別に分けると、一大勢力となるのが大関貴景勝を筆頭とする埼玉栄高校。関取以上に限っても10人いて、幕下以下も含めると33人にも上る。次に多いのが、鳥取城北高校と明徳義塾高校。明徳出身の現役力士は、琴奨菊や栃煌山、志摩ノ海等がいるが、一番先輩なのが朝乃土佐。そして一番後輩が朝東。朝東が生まれて半年後には初土俵を踏んでいて力士生活も21年目となる。大相撲界も昔ほど上下関係が厳しくなくなってきたが、部屋でも本場所の支度部屋でもにらみを利かせられる貴重な存在。

令和2年6月5日
都道府県別で出身力士の一番多いのは東京都の51人(2年3月場所時点)、以下大阪37人、愛知35人とつづく。その後は、兵庫、福岡、神奈川までが30人台、鹿児島、千葉、埼玉と20人台でつづく。高砂部屋で一番多いのが愛知県の4人。以下高知と兵庫が3人、大阪、三重、神奈川が2人。最多を誇る愛知県の長男が朝心誠、次男が朝翔、三男コンビに朝勝令と朝大洞。ここ4年ほどで一大勢力県となった。長男朝心誠、稽古熱心で評判だったが、ケガもあって最近稽古場で影が薄い。研究熱心で、四股を踏みながら仕切ってみたりするが、四股のときは四股に没頭する集中力がほしい。

令和2年6月4日
注射というと、何年か前の病院での出来事を思い出す。15歳の新弟子の付き添いで病院に行ったときのこと。診察室に入り、点滴することになり、廊下で待っていたのだが、1時間過ぎても出てこない。「おかしいな?もう終わてもいいころだが・・・」と思っていると、看護師さんが出てきて、「注射を嫌がってまだできないんですよ」と困り果てた表情。中に入り、「こらぁ!お前はお相撲さんなんだぞ!子供じゃなんだぞ!やってもらわんか!」と語気を荒げると、先生から「まだ子供ですから」とたしなめられた。観念して終わったのは2時間後。その新弟子君も大人になり、昨日は悲痛な表情ながらも抗うことなく腕を出していた。

令和2年6月3日
7月場所開催に向けて、抗体検査が実施される。部屋住みでない裏方(行司、呼出し等)は自宅待機が続いているが、今日は裏方も全員集合で、久しぶりの家族との再会のような感じ。稽古場の上がり座敷に長机とイスを並べ、はじめにスライドで、コロナや検査、研究、個人情報等についてのガイダンスを受け、血圧、体温測定のあと、採血してという流れ。何人か採血がうまくいかず(血管が出てこず)、8か所も針を刺された可愛そうな力士もいたが、1時間半ほどで全員無事終了。データが有効活用され、平常がもどってくることを願うばかり。

令和2年6月2日
稽古は四股で始まり、腕立て伏せや縄跳び、すり足等の基礎運動を1時間ほど行ってから、土俵の中の稽古に入る。一番土俵に入るのは、新弟子の朝勝令。当たって押す力をつけるため、朝ノ島の胸に何度もぶつかり、転がされる。入門16年目の朝ノ島は、最近はもっぱら新弟子の胸出し担当。胸を出すのも、しっかり当たらせることと同時に、突き放してやったり、巻いてやったり、リズムやテンポも大切になってくるから、自分の稽古にもなる。30歳を過ぎたが、身長が低いこともあり、師匠からは未だに「ちびっ子」と呼ばれている。

令和2年6月1日
今日から6月。雨で紫陽花がもりもり色づいてきた。通常なら5月場所後の休みが終わり、名古屋場所へ向けての準備を始めるところ。今週末には茨城県下妻市の大宝八幡宮での合宿が予定されていたが、今年は行けなくなってしまった。朝乃山、今日から土俵の中に入っての稽古再開で、幕下相手に15,6番、大関としての初稽古。久しぶりの実戦で、息の上りが早く、歯車がかみ合わないところもあったようだが、次の本場所へ向けてのスタートを切ることができた。

令和2年5月31日
四股は大地の邪気を祓い、邪悪なものを鎮めるという。反閇(へんばい)からきているといい、さらにさかのぼると禹歩(うほ)からきているともいう。力足を踏むともいう。何れにせよ、本来足で地を踏む動作のことを指し、足を高く上げることではない。踏むことで、大地を揺らし、自分の体を揺らす。揺らすことで、邪気が祓われ、体が斉(ひと)しく均(なら)される。脚の筋肉を鍛えるために踏むのではなく、体を斉しく均すために踏む。双葉山の体は、斉しく均され、強く美しい。無邪気な赤ん坊のようでさえある。

令和2年5月30日
土曜日の稽古は四股だけだが、四股は、ほんとうにむずかしい。実際に踏むのはもちろんだが、四股の良さを実感すること、伝えることは尚更むずかしい。スポーツ科学的な筋力や筋持久力という数字には表れにくいから効果が見えない。しかし古来から踏み続けられ、双葉山も大鵬もその大切さを説いてきた。効果が見えないから飽きやすく、その分、四股の踏み方に、相撲に対する取り組み方が出やすい。3月場所が終わって2か月余り、次の場所まで2か月近く。自粛疲れも相まって四股も中だるみ気味。相撲の長い伝統を、先人の知恵を、双葉山・大鵬を、ひたすら信じて、踏み続けてほしい。

令和2年5月29日
一昔前のお相撲さんは、酒にまつわる話が多く実際酒豪も多かった。ところが最近は、今どきの若者と変わらず酒飲みの力士もめっきり減り、力士のアスリート化といえる反面、お相撲さんらしさがなくなった寂しさもある。そんな中、未だに昔のお相撲さん気質を残しているのが朝乃丈。飲んでやらかしたこと数知れず、お相撲さんらしいお相撲さんといえる稀種な存在。33歳にして上がった幕下から急降下中だが、そんなお相撲さん気質を愛する方々もいて、蔵前ビストロ「モンペリエ」のマスターを中心とした下町のおじさん連は、お店で幕下復帰祝をやろうと、その日を心待ちにしている。幕下に復帰すると博多帯も締められる。

令和2年5月28日
りんご型、バナナ型、いちご型等、体型を果物に例えた性格判断もある。典型的な洋ナシ体型なのが朝東。下半身、とくにお尻が大きく、比べて上半身はそれほどでもない(胸は垂れ気味だが)。 洋ナシ体型は、まじめでがんこで芯が強い性格だそうで、確かにそういうところもある。明徳の相撲部を卒業して3年目、1場所に1回くらい芯の強さを見せる稽古を行なうときがあり、それが週に2,3回出てくるようになれば三段目も近いのだが。得意は二本差しての寄り。2、3日前に足を痛め腕立て伏せを黙々とこなしている。

令和2年5月27日
心理学に体型による性格分類がある。肥満型、痩せ形、筋肉質型等に分類するが、お相撲さんも大きく分けてアンコ型とソップ型という区分があり、それぞれ性格に特徴がある。典型的なアンコ型タイプ(10月1日〜9日)の朝虎牙、大阪人特有のボケキャラでもある。朝大門とは1期違いで同期生のようなもので、ここ1年余りほぼ同じ番付(東西も2場所あり)で三段目内を上下していたが、今場所はずいぶん差がついた(朝大門2枚目、朝虎牙72枚目)。番付が下がると、大阪の武闘派の叔父さんから「お前は虎を名乗る資格がない!朝パンダに改名せい!」と電話でどやされる。

令和2年5月26日
この度東京高砂部屋後援会に入会いただきました「モモイミハル様」、入会申込書が届いていません。住所をご連絡ください。7170000番目と7171000番目のお客様、送り先を書いてメールください。高砂部屋便り107号(平成2年5月号)をプレゼントいたします。

令和2年5月25日
相撲年齢というものがある。相撲を始めてからの年数で、若くても小さいころから相撲を始めていると相撲年齢は高くなるし、逆もある。小さいころからやっている分、基本がしっかりできていたり技術的に幅広い面がある一方、長くやりすぎて相撲に飽きてしまう面もある。大阪は泉大津出身の朝阪神、いまだ未成年だが、小学校2年生から相撲を始め春休みにはお泊りセット持参で部屋に来ていて、朝青龍の現役時代を知る数少ない力士(泣かされたこともあった)。大きな頭を利したいいぶちかましがあるのに、あきらめが早く、なかなか序二段から抜け出せないでいる。来月にはハタチになるので、そろそろエンジンをかけ直さないと、雪駄を履いてヒタチを決められない。

令和2年5月24日
本日5月24日は、通常なら5月場所千秋楽、延期開催となっていたら今日から初日という日曜日。しかしながら、ふつうの稽古休みの日曜日。NHKでは「大相撲特別場所」と称して、九重部屋の両横綱千代の富士・北勝海が覇を競った昭和62年と、朝青龍時代といえる平成16年の「大相撲この1年」(花道で朝青龍の前を歩く若き日の~山が映っていた。ちなみに朝大洞、朝勝令は平成16年生まれ)を放送。大関朝乃山は今日もリモート出演。来週、再来週の日曜日もあるようです。午後3:05〜午後5:15の放送です。

令和2年5月23日
本日23:00〜23:25NHKBS1chにて、越中とまやスペシャル「祝!大関昇進 朝乃山 いざ頂点へ」が放送されます。NHK富山で放送された番組で、初土俵から4年で大関昇進を果たした栄光の軌跡を秘伝映像を交えて振り返り、舞の海とデーモン閣下による徹底解説で次なる目標「綱取り」へのカギや今後の道のり展望をするという番組です。乞うご期待。事後のお知らせですみません。今日は、お昼にフジテレビ、夕方AbemaTVでのリモート出演もありました。

令和2年5月22日
「一ノ矢さん、月下さんから自分宛に荷物が届きました」と、某力士。個人的に荷物を貰うのは初めてなので「何でしょう?」と不思議がっている。「あっ、この間の石鹸の代わりじゃないの」といって開けると、案の定北海道のクッキー。今度は、匂いといい手触りといい食感といい、まがいない。件の某アラフォー力士、瓢箪から駒ならぬ石鹸からクッキーを幸せそうにほお張っていた。誠にありがたい。朝翔、今日稽古後に初めて髷を結う。「おかげさんで、ちょん髷結えました」と挨拶して、コンパチ(デコピン)とお小遣いをもらうのがしきたり。

令和2年5月21日
高砂部屋の中で数少なくなった関東出身力士の朝大門(埼玉県羽生市)、小事にこだわらないタイプ(雑?)で、付人を務める朝弁慶関(神奈川県)と共にいびきの大きさでは1,2を争う。相撲は決して上手いとはいえないが、小力(こぢから)強く番付を三段目の2枚目まで上げてきた。勝ち越せば新幕下なので本場所開催が待ち遠しい。九州場所の引っ越しのときにトラックの荷台に自転車を積み込むのが上手く「チャリカドさん」と呼ばれ、その時ばかりは存在感を示す。時折、東八郎に似た動きになることがあるが、本人はもちろん若い衆は誰も知らない。

令和2年5月20日
愛知県一宮市出身の朝翔(あさはばたき)、入門して1年余り。元々太かった“ももた”(太もも)がさらに大きくなり、この一年ほどで20kg太り、140kgになった。ちゃんこ場では、歌ったり踊ったり明るくひょうきんな面があるが、稽古場でその明るさが出ずに、少し伸び悩んでいる。お父さんは、二代目キレンジャーで、「明日のジョー」マンモス西の声も務めた“だるま二郎”氏。一宮からの後輩も入ってきているので、そろそろお父さんにあやかって変身したい。変身のための突っ張りを磨く毎日。

令和2年5月19日
個性派ぞろいのチーム朝乃山の中心というか付人頭が、山ちゃんこと朝鬼神。朝童子とは同期生で、大関より一年兄弟子。兵庫県は加西市の出身で、入門時ボディービルダーとして話題になった。現在でも300kg近いバーベルを扱うトレーニングは迫力満点。大関が土俵に入る直前、花道の奥で背中に300kgパワーの気合を両手で注入する。控えに入ってもくっきり残る手形は相撲ファンから「天使の羽」と呼ばれているそう。こう見えて飲むとけっこうはじける。あんまり飲めないけど。

令和2年5月18日
チーム朝乃山の一員「朝童子」は、入門6年目となるが、今年ようやく成人式を迎えたばかり。3月31日生まれなので、入門したときはまだ14歳であった。色白で童顔だが、稽古場では乗ってくると人を食ったような大胆不敵な動きを見せることもある。兵庫県三木市の出身で、大阪場所の時は地元三木市のタニマチが来て、「これつまらないものですが」と毎年お土産を渡すことも覚えた。その度に「来年大阪来るときは幕内やで!」と励まされて3年、来年こそは三段目に上がって大阪入りしたい。札幌の月下相撲同好会には、5,6歳になる「嫁童子」という可愛いファンもいる。

令和2年5月17日
コロナ禍は全国的に長期戦だが、力士たちを気にかけていただき、各地からマスクや消毒液等部屋に送ってもらい誠にありがたい。何度か紹介している札幌の月下相撲同好会からも消毒スプレーと石鹸が届いた。両方、手作りで可愛らしく包装して一人一人にと巾着袋に入っている。ただ、ある力士には、その手作り石鹸がクッキーに見えたらしい。夕方小腹が減った頃で、「おっうまそう」とガブリ。今改めて石鹸の包装を見直すと、SWEETと可愛らしくプリントしてある。それでも開けると、匂い、手触り、どうみても石鹸そのものである。口に入れ、「新しいタイプのクッキーか?」と思ったといい、さらにガリガリ何度か試み、ようやく「おかしい?」と気付いた(早く気づけ〜!)。しばらくして、洗面所で必死に歯磨きをする30代後半某力士の姿が見られた。

令和2年5月16日
入門24年目となる大ベテラン~山は、横綱鶴竜の付人として顔が売れ、全国的にも知る人ぞ知る存在。本場所や巡業等にも帯同し、部屋にいることよりも横綱といるときの方が長いくらいだが、現在は休業中と寂しい状況が続いている。力士生活が長いだけに、ケガや病気の経験も豊富で老人並みに薬にも詳しい。鎖骨骨折の経験もあるようで、先日朝大洞の鎖骨骨折の時も、手術を勧めたり痛み止めの薬を飲ませたりと、顔に似ず優しいところもある。そういえば寺田寅彦に「鎖骨」という随筆があり、子どもが鎖骨を骨折したのをネタに、鎖骨は折れやすく、折れることにより本体を守る役目もあるとし、建築にも鎖骨のような工法が必要ではと展開している。

令和2年5月15日
幕下38枚目の寺沢は新潟県佐渡島の産。小学校を卒業後親元を離れ金沢市内の相撲強豪校鳴和中学へ入学し相撲部で活躍。金沢市立工業高校、東洋大学と相撲の道を歩んできた。四股やテッポウ、すり足等、地道な稽古も厭わず黙々と繰り返す精神力を持つ反面、ときに奇声を発したりトイレで大声で歌ったりする奇抜な面もある。子どもの頃からそういう子だったらしく、病気ではない。個性派ぞろいの朝乃山チーム(他に朝鬼神、朝童子)の一員。

令和2年5月14日
高田川部屋の勝武士が亡くなったニュースは力士たちにも衝撃を与えている。何年か前に高田川部屋の力士数人で出稽古に来たことがあり、本場所で対戦した力士も何人かいる。とくに朝弁慶は、同期生で一緒にトレーニングをしたこともある仲だそうでショックが大きい。弾丸という四股名を名乗ったこともあり、初っ切りも行っていて若い衆の中でも顔が売れた存在であった。まだ28歳という若さで無念であったろう。心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。

令和2年5月13日
「ボラ君」「ノダ君」と同期生の「深井君」は石川県羽咋(はくい)市の出身。相撲どころ石川で小学2年生から相撲を始め、金沢市立鳴和中学で中学生横綱、金沢市立工業高を経て東洋大学へと進み、1年生のときに全日本選手権で準優勝と輝かしいアマ相撲での実績を誇る。中学から大学まで(高砂部屋でも)寺沢の2年後輩。高校から大学まで(高砂部屋でも)村田の3年後輩というつながりがある。羽咋からは、幕末初代高砂と共に姫路藩お抱えだった兜山(後の大関雷電震右衛門→雷電為右衛門ではない)がいる。

令和2年5月12日
非常事態宣言は力士たちにとっても影響が大きい。地方場所から帰ってくると、行きつけの店やお客さんへの挨拶回り等で外食の機会も増え、それが活力になったりもするが、しばらくは叶いそうもない。そんな中、力士生活12年目となる朝興貴はマイペースを貫いている。もともとステイホームなので、非常事態宣言にも動じずいつもと変わらぬ日常を過ごしている。普段の生活とは裏腹な目の覚めるような突っ張りを武器に各段優勝が3回もあり幕下生活も長い。朝弁慶の付人稼業も長く、コンビのような存在でもある。みんながペースを乱す非常事態宣言が朝興貴にとっては吉となるかもしれない。

令和2年5月11日
3月場所入門の朝勝令(本名野田)は一宮市立南部中学柔道部で朝翔の一年後輩。同期入門の朝大洞とは学校は別だが、市の相撲大会で競い合った仲。体にはさほど恵まれないものの何事にも一生懸命取り組んで毎日いい汗を流している。一生懸命なあまり天然ボケも入り、一日に何度かは笑いの神様が舞い降りてくる。「ボラ君」「ノダ君」15歳の凸凹コンビが、平凡な毎日の清涼剤になっている。

令和2年5月10日
今日は風薫る5月場所初日のはずだったが、次の場所の初日まで二か月余りもある母の日の日曜日。稽古は休み。先場所負越して幕下陥落の朝玉勢、4月末から大部屋暮らしがつづいている。陥落したものの2枚目で止まったから勝ち越して早く関取復帰したいところだが、最速9月場所番付発表までお預け状態。長丁場を乗り切るためには地道なことを飽きずに繰り返し行える力が必要だろうが、稽古場でも50kgの砂袋を抱えてのすり足等、寺沢や朝乃丈と共に毎日取り組んでいる。しっかり力を蓄えその日に備えたい。朝乃丈とはトランプもいつも一緒。寝床は離れた。

令和2年5月9日
5月場所中止は残念なことではあるが、ケガをしている力士にとっては治療やリハビリにじっくり取り組めるまたとない機会でもある。3月場所入門の朝大洞、4月に入ってすぐ鎖骨を骨折してしまい手術した。先週あたりからようやく四股を踏めるようになったばかりだから通常通りの5月場所だと休場するしかないが、7月なら間に合いそう。入院して5kg痩せたが、部屋に帰ってくるとすぐ160kgに戻った。15歳のボラ君、布袋様のようなお腹はご利益ありそうで、挨拶代わりによく撫でられている。

令和2年5月8日
2年ぶりに十両復帰の朝弁慶、先場所6勝1敗の大勝ちだったので10枚目まで昇進した。膝の状態は相変わらずで、天気の悪い日は歩くのにも苦労するほどだが、今日はましだったようでいい汗をかいていた。5月場所が中止になり治療期間が延びたと前向きにとらえたい。大きなケガを抱えたまま本場所に上がり続けている分、前に攻めるしかないと開き直れると言い、最近あまり負ける気がしないとも言う。しっかり膝を直して重戦車の馬力を更に上げていきたい。最近太った?と聞かれることが多いが、変わらず199kgらしい。

令和2年5月7日
現在稽古開始は午前7時だが、大関が稽古場に下りてくるのは8時頃。ストレッチで体をほぐし、四股やすり足、テッポウなどで汗を流し、9時半から10時頃に稽古を終えると、稽古場で若い衆としばし談笑。今日は綱引き大会でえらく盛り上がっていた。その後風呂に入り髷を結い直し、ちゃんこ。昼寝して、地下での筋トレや、2階の大部屋でトランプなどと、規則正しくのんびりとした日々を過ごしている。本来なら、毎日大勢の報道陣が稽古場に詰めかけ取材に追われ、午後も挨拶回りや宴席に引っ張りだこと目の回る忙しさのはずだが、体調管理という点では恵まれた環境にある。

令和2年5月6日
非常事態宣言以来、稽古見学はもちろん報道陣の取材も一切NGとなり、何かあるときは代表の電話取材のみという状況。カメラマンもNGなので、新大関朝乃山の写真や協会用の動画撮影も部屋で行って送ることになる。担当は、村田。趣味が広く、アンコの割にフットワークが軽く、なんでも器用にこなせる。新大関が玄関前で番付を指さす村田撮影の写真が全国に何度も流れている。その感性の良さを、いつか(はやく!)苦手な四股にも向けてくれることを願いたい。

令和2年5月5日
初日を2週間延期して5月24日(日)からの開催を目指していた5月場所が中止決定。同様に、2週間スライドして7月19日(日)〜8月2日(日)開催予定の名古屋場所は、名古屋に行かずに両国国技館での無観客開催を目指すことになった。秋巡業の中止も決定。力士達にとっては、だいたい予想していたことだけに、さほど動揺はないが、終わりが見えないだけに気が重い。時間がたっぷり出来たと思い、自分の相撲や体を見つめ直すいい機会として日々過ごしてほしい。

令和2年5月4日
相撲部屋の食事は、1日2食。朝飯抜きで稽古を行ない、稽古後午前10時半〜12時頃に朝昼兼用の食事を摂り、夕食は午後6時半過ぎ頃。どちらかというと午前中の方がメインで必ず鍋をかけおかずの品数も多い。お昼に比べると夕食は少し軽めでうどんや味噌汁におかず、たまにはカレーやシチューということもある。その分、出かける力士も多かったりするのだが、今回は外食の力士がいないため、いつもより米の減り具合が早いもよう。30kgの袋が3〜4日でなくなってしまう。

令和2年5月3日
通常だと、番付発表後は千秋楽まで休みなしだが、非常事態宣言中で5月場所の開催もまだ未定のため、稽古休みとなった日曜日。休みの日は9時起きで掃除してあとは自由時間となるが、外出出来ないので、TVを見る者、スマホを見る者、地下でトレーニングをする者と、様々。それでもお昼過ぎ頃になると、ほとんどの力士が眠りについているのは稽古のある日と変わらぬ風景。3時半頃大部屋で歓声が聞こえるので何事かと思ったら天皇賞であった。

令和2年5月2日
5月に入り一足とびに夏がやって来た。通常なら初日を一週間後に控え稽古が熱を帯び、稽古見学のお客さんが連日上がり座敷にいっぱいになりと、力士にとっては稽古後も一番忙しいゴールデンウイーク期間だが、4月同様静かな稽古場。3月場所入門の新弟子3人も、相撲教習所が休みのため、ずっと部屋での四股やすり足の稽古とちゃんこ。例年だと教習所に通っている間は半分お客さん扱いだが、その分早く溶け込んでいるような気もする。

令和2年4月30日
昭和天皇は学習院初等科の頃、熱心に相撲を取られたそうで、同級生の話によると、本格的な押し相撲であり、なかなかの手取り(業師)でもあったという。そのため技にも詳しく、天覧相撲の折、もつれた勝負に「今のは下手出し投げだね」と説明役の理事長に同意を求め、決まり手係りの行司さんが親方と相談する程難しい決まり手をいち早く言い当てることも度々であったという。天皇としての本場所観戦は昭和30年5月の蔵前国技館が初めてだが、皇孫殿下であった頃、出来たばかりの国技館で弟と一緒に2度台覧している。

令和2年4月29日
今日は昭和の日。昭和の人間にとっては天皇誕生日という方がわかりやすいであろうが、昭和天皇の相撲好きは語り草となっている。そもそも現在の天皇賜杯が出来たのは、昭和天皇が皇太子だった大正14年4月29日に東宮御所で行われた24歳の誕生日を祝しての台覧相撲による。この日の相撲に対して莫大な金一封が下賜され、そのお金で摂政賜杯を作り優勝力士に授与。天皇に即位後、天皇賜杯となった。賜杯は純銀製で高さ108cm、重さ約30kg。

令和2年4月28日
大阪から東京に戻り約1か月。長い1か月であった。例年だと、先週末に土俵を作り直し番付発表を終え、今日から2週間後の初日に向けて気持ちも新たに稽古始めの日だが、先週までと同様の稽古場。その中にあって朝弁慶の白マワシ姿が久しぶりに目に鮮やか。より大きく見える。ちゃんこの時も、朝乃山と並んで座布団に座り御膳を用意して付人(朝興貴、朝大門)がお給仕。状況は厳しそうだが、開催されるとなると初日まであと4週間。これまた長い。

令和2年4月27日
5月場所番付発表。通常なら朝6時に国技館に取りに行くのだが、今回は各部屋へ宅急便での 配達。午前9時半過ぎに届き、発送作業。西の大関に朝乃山英樹の名。大勢の記者が集まって記者会見とはならず、代表記者による電話取材のみ。写真と協会用のメッセージ動画は村田カメラマンが撮影。朝弁慶、西十両10枚目。朝玉勢、東幕下2枚目。三段目2枚目に朝大門、序ノ口2枚目に~山と二枚目揃いの
高砂部屋新番付。7151000番目と7152000番目のお客様、送り先を書いてメールください。5月場所新番付と高砂部屋便り106号をプレゼントいたします。

令和2年4月26日
行司の書には、「和」「心」「忍」「寿」等が多いが、「無心」こそ横綱にふさわしい言葉であろう。「無心」で相撲をとるためにひたすら四股を踏み、ひたすらテッポウ柱を叩く。5月場所開催はまだ不透明だが明日が番付発表。明日から朝弁慶が関取に復帰し、朝玉勢は若い衆にもどる。朝弁慶は4階の個室に戻り、朝玉勢は2階の大部屋暮らし。稽古マワシも、朝弁慶が白になり、朝玉勢は黒に戻る。

令和2年4月24日
「無心」の書の27代木村庄之助は。岩手県盛岡市出身で本名熊谷宗吉。昭和11年11歳で立浪部屋に入門し昭和52年51歳で27代庄之助を襲名。定年を迎える平成2年まで実に13年間も庄之助の地位にあった。昭和35年1月からの行司定年制実施以降では最長で今後も破られることはない記録であろう。しかも94歳となった現在もご存命であり、角界関係者の中でも最高齢であろう。

令和2年4月23日
伝達式会場の床の間には久成寺秘宝の掛け軸が飾られた。鏡里にはじまって、栃錦、若乃花、朝潮、柏戸、大鵬、栃ノ海、佐田の山、北の富士、琴桜、輪島、北の湖、若乃花(2代目)、三重ノ海、千代の富士、隆の里、双羽黒とつづく17人の横綱の手形。中央には27代庄之助による「無心」の書。まことに豪華で貴重な逸品である。

令和2年4月22日
記者会見の後、恒例の付人と新大関による騎馬写真。朝鬼神が「俺がセンター!」と張り切っていたのだが、やはりセンターは朝玉勢関にやってもらおうということになり、左右を朝鬼神と寺沢が担当。はじめ本堂の階段を利用して騎馬を試みるが170kg超の新大関は重く、なかなか上がらない。ようやく上がって「よーし!」と喜んだところで、カメラマンから「今のはリハーサルです」との声。「えー!やっと上がったのに・・・」と悲鳴を上げつつも気を取り直して本堂前の平地で組み直す。階段がない分余計に苦労してやっと上がり、3人は鬼の形相。見守る大学OBから「玉木わらえー!」と叱咤され、悲痛な笑顔。後ろの二人は強烈な変顔。かくして騒々しくも喜び溢れる騎馬写真が無事おわった。

令和2年4月21日
当日の朝、掃除して玄関に水をまき、若い衆はちょん髷を結い直して仕着せに着替え、8時過ぎには報道陣も来てカメラのセッティング。通常なら部屋溢れんばかりの混雑になるはずだが、コロナ予防のため代表取材のみで余裕がある。マイクを並べ座る位置を決め、朝乃山は大銀杏を結って紋付袴で使者を待つ。9時ちょっと過ぎ、そろそろ使者が府立体育館を出そうとの連絡が入り、緊張感が走る。若松親方と錦島親方が使者を出迎え、紋付袴姿の出羽海理事と千田川審判委員が入り伝達式が始まった。

令和2年4月20日
伝達式会場の設営を実際に行ったのは、呼出し利樹之丞と邦夫、行司の木村朝之助の3人。金屏風の位置や開き具合、赤毛氈の敷き詰め、床の間の花瓶の位置、乾杯のときのテーブルのセッティング、鯛の手配、後援会の方の控える場所、使者に持たす弁当の手配、・・・ それぞれに担当の力士を決め、さらに使者を迎えてからの導線、伝達式のあとの乾杯から記者会見、外での騎馬写真への流れ、何度もシミュレーションを繰り返し当日を迎えた。

令和2年4月19日
伝達式の前日に会場づくり。お祝いムードを高めるため紅白の幕も部屋の壁や廊下に垂らすべく、大阪市で中学校の先生をやっている先輩に聞くと、学校で貸してくれるとのこと。金屏風と赤毛氈はホテルで借りられることになり、ワゴン車でお寺に運び込みセッティングを始めた。準備を始めたところへお寺さんが秘宝の掛け軸を出してくれ、開けてみてビックリ!。17人の横綱の手形が並ぶ超豪華でレアなお宝。その掛け軸をメインにして金屏風を配置することとなった。

令和2年4月18日
37年前の現師匠の伝達式の写真を見ると、金屏風も赤毛氈もなく、床の間の前にマイクと座布団が置かれているだけである。いつ頃から金屏風や赤毛氈が定型になったのであろう。協会からの使者は元大関清国の伊勢ヶ浜理事と高砂一門から元房錦の若松審判委員。昭和58年3月若松部屋に転がり込んだときの事で、まだ居候の身であったが何となく記憶の片隅に残っている。久成寺の住所表記は、現在は大阪市中央区中寺2丁目だが、当時は大阪市南区中寺町となっている。住所表記にも37年の歳月が感じられる。

令和2年4月17日
来月39歳となる花ちゃんこと朝天舞は、トレーニングが趣味といえるほど時間があれば体を動かしている。地下のトレーニングルームで筋トレを行い、近くの公園でランニングし、ストレッチにも熱心に取り組んでいる。ストレッチしながら音楽を聴いたり、歌を口ずさんでもいる(そこそこ熱唱)ので、「お、今日は乗っているね!」と声をかけると、「いや今日はイマイチ伸びと響きがありません」という。 翌日も同じように聞こえるので尋ねると「今日は最高です!」との答え。傍から聞く分には違いが分からないが、余人には計り知れない響きがあるのであろう。明日18日(土)NHKラジオ14:05〜いまスポーツができること「大相撲からのメッセージ」に大関朝乃山が出演します。

令和2年4月16日
入門した37年前(1983)は、若い衆の暇つぶしは、花札やチンチロリン(サイコロ)、トランプなどが主だった。テレビは大部屋に一台のみでチャンネル権は兄弟子にあった。その後、兄弟子は枕元にテレビを置くようになりテレビを見る時間が増えたが、現代の若い力士はテレビを見るよりもスマホを見る時間が長く、テレビには一切興味を示さない力士も。花札やサイコロは完全に消え、トランプは時々やっている(主に大富豪)。酒を飲みに行く力士は確実に減った。

令和2年4月15日
緊急事態宣言から1週間余り。力士も昔ほど出かけなくなっているから日常生活にさほど変化はないが、先の見えない不安にさいなまれる日々がつづく。稽古以外のときは何をしているのですか?とは、普段でもよく聞かれることだが、基本的にゴロゴロしている。ゴロゴロしながらスマホでゲームをしたりユーチューブを見たりするのは今どきの若者と変わらない。もちろん、新弟子の数年間は、ちゃんこのお手伝いや掃除洗濯と追われ、ゴロゴロする時間はあまりないが・・・。

令和2年4月14日
現在のような縦一枚の番付表が発行されたのは江戸中期の宝暦7年(1757)のことだが、ウィキペディアによると、その番付に載る大関を初代とすると、朝乃山がちょうど250代目になるそう。250人の中には看板大関の60数名も含むから、180数名の中から70名ほどが横綱昇進を果たしていることになる。高砂部屋は、これまでに横綱6人、大関5人を輩出しているから、高砂部屋としての大関昇進は平成14年(2002)の朝青龍以来12人目。富山からは、明治42年(1909)の太刀山以来111年ぶり4人目の大関昇進。

令和2年4月13日
関脇までは負け越すと即番付が落ちるが、大関は2場所連続の負け越しでないと番付は下がらない。月給は、関脇時代の180万円が250万円にアップする。国技館への場所入りのときに自家用車で地下駐車場に乗り入れができるのは横綱と大関のみの特権。また、化粧まわしの馬簾(最下部の房)に紫色を使えるのも横綱・大関のみに許されること。支度部屋でも明け荷の前のゴザを大きく広げられ準備運動のスペースも広々とれる。

令和2年4月12日
史上初の無観客場所となった令和2年3月場所だったが、番付上でも38年ぶりという珍しい出来事があった。番付は東西を左右に分けて、横綱から順番に記していくが、東は横綱白鵬、大関貴景勝となっているのに対し、西は横綱大関鶴竜と記され横綱鶴竜が大関も兼ねている形。これも大関が番付の最高位だった名残で、横綱は不在(空位)でも構わないが、大関は必ず東西に一人ずついなければならないため、大関が一人しかいない場合は横綱が大関を兼ねる。

令和2年4月11日
十両や三役は、番付発表を境に正式な昇進となるが、大関は場所後水曜日の伝達式以降正式に大関と認められるため、それまで「関取」とか「山関(やまぜき)」と呼びかけていたのが、「大関」と呼ぶようになる。江戸時代から明治中期までは、番付の最高位で、明治23年に高砂部屋の初代西ノ海が初めて番付に横綱と記されたが、横綱が大関の上の地位として明文化されたのは明治42年2月のこと。以後、横綱に次ぐ地位となったが、相撲協会の大看板であることには変わりない。

令和2年4月8日
三宅充『大相撲なんでも七傑辞典』には、長くかかった場所が紹介されている。嘉永10年(1798)春場所は芝神明社境内にて3月6日より晴天10日間の予定であったが、雨が続き、初日が3月26日、2日目が4月10日、3日目が5月15日、千秋楽は5月29日と3ヶ月近く要した。西大関雷電為右衛門が8勝1無勝負で優勝したとある。享和3年(1803)春場所は、3月20日より御蔵前八幡宮にての予定だったが、はしか流行で初日が4月6日になり、5日目まで取ったところで力士にもはしかが流行り、6月7日まで中断。8日に触れ太鼓を出し6日目、7日目と行ったが客も来なかったため7日目でしまいとなった。

令和2年4月6日
電話やSNSはもちろんテレビもラジオもない時代、「相撲が始まります。明日が祖日です」というのを知らせる手段は、触れ太鼓しかなかった。初日の前日、触れ太鼓を廻し、晴天つづきだと太鼓はこの一回だけで済んだ。雨で中止になると、翌日の朝、雨が上がっていたら再び明日から(今日ではなく)再開しますと太鼓を廻した。そにため、雨が一日でも中休みは2日間になった。ただ雨上がりが日曜日になると即開場することもあった(風見明『相撲、国技となる』より)。東京に戻っての稽古2週目。先が見えないだけに1週間が長く感じる。

令和2年4月5日
現在本場所は、基本的に奇数月の第2日曜日が初日で第4日曜日が千秋楽と定まっているが、明治42年6月の国技館開館以前は、屋外での開催であったため、雨で初日が延期になることもあり、10日間が1か月近くに及ぶことも度々であった。明治以降に限っても、休みなしで10日間の場所を終えたのは3場所しかなかったそう。当時の番付表の中央「蒙御免」の下には、必ず「晴天十日之間」という文字が入っていた。それが、明治42年6月からは「晴雨二不関十日間」に変わった。現在は、開催日(令和二年三月八日)より十五日間、とのみ記されている。

令和2年4月3日
緊急理事会が開催され、初日を2週間延期して5月24日(日)からの開催を目指すことが決定。ただし、今後の状況次第で規模縮小や3月場所同様の無観客、更なる悪化では中止の可能性も。協会関係者全員の朝晩の体温測定も本日より再開。7月場所も2週間延期の7月19日(日)初日での開催を目指す。長い辛抱の一年となりそうである。

令和2年4月1日
今日から4月。通常なら桜の下での化粧マワシ姿の関取衆が絵になる春巡業やカランコロンと下駄を鳴らして相撲教習所に通う新弟子達が風物詩となる春の訪れだが、春巡業も相撲教習所も中止の為、全員部屋での稽古はじめ。新大関ということで取材も多いが、3月場所同様に代表取材のみの厳戒態勢での稽古がつづく。4月27日(月)が5月場所番付発表の予定だが、日々の感染者拡大のニュースを見るにつけ、状況は厳しさを増すばかり・・・。


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