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今日の高砂部屋
平成31年2月11日
他の競技から大相撲への転向というと、初代大関貴ノ花や大関増位山の水泳が有名だった。また元放駒理事長の大関魁傑は、日大柔道部からの転向。現理事長の横綱北勝海や横綱大乃国も中学時代柔道部で活躍してからの角界入り。稀勢の里や高安は野球部からの入門。現役にも元野球部という力士はたまにいるか、昭和47年7月場所新十両の佐賀ノ海(のちに土師)は佐賀工業卒業後2年間投手として近鉄バッファーローズに所属(一軍登板はなし)した変わり種。退団後井筒部屋に入門。10年間土俵に上がり、十両を通算2場所務めた。

平成31年2月9日
毎年2月に恒例となっているJFAアカデミー福島(サッカー選手を中高6年間のエリート教育で育てるシステム)の中学生3人が体験入門。昨日の夕方に部屋に来て、ちゃんこ作りや掃除、後片付け等、新弟子と同様の生活をする2泊3日の体験入門。協会が用意してくれたマワシを締め、四股やすり足、ぶつかり稽古にも汗を流す。これから世界で戦える選手に育ってくれれば嬉しい。サッカーは、脚をよく使う競技で、接触プレーも多いので、相撲との共通性も少なからずあるように思うが、サッカー出身の力士は、まだあまり聞いたことがない。

平成31年2月8日
相撲も落語も江戸時代からつづく文化だけに、落語の中には相撲を題材にした噺も多い。「佐野山」の他にも、「半分垢」、「阿武松」、「千両幟」、「相撲場風景」、「相撲狂」、「大安売り」、「鍬潟」、「提灯屋相撲」ともいわれる「花筏」などなど。落語の花筏は大関の四股名だが、実際「花筏」の四股名を名乗った力士が十両にいた。山形県鶴岡市出身の立浪部屋の力士で、昭和41年3月場所花筏の名で新十両。相撲雑誌には、「落語好きには定評があり、仲の良い柳家小団治という、小さん門下の新進落語家がすすめたに違いない」とある。引退後、地元鶴岡でちゃんこ『花筏』を開店、1階は相撲資料館になっているそう。『相撲甚句物語』『こぼればな史』という著書もある。

平成31年2月7日
尾上部屋里山が襲名した佐ノ山は、江戸時代からつづく名跡で、ウィキペディアによると今回の里山で22代目になるという。入門したころ(昭和58年)は高砂部屋の年寄名で、元小結國登が長らく名乗っていた。その佐ノ山親方は、審判を務めていたときに序二段取組で物言いがついたのにもかかわらず泥酔状態で土俵に上がれなかったという豪快なエピソードを残している。その後も、小錦、朝乃翔、闘牙、千代大海と高砂一門の力士達が継いでいた。落語の「佐野山」は、寛政の大力士谷風の人情相撲話。

平成31年2月6日
同郷(奄美)の尾上部屋元前頭里山引退佐ノ山襲名披露大相撲が9月28日(土)に行われることになった。里山は中学相撲の名門赤木名中学から鹿児島商業、日大と相撲部で活躍し平成16年3月場所入門。奄美特有の潜る相撲で、一本背負いや伝え反り等の手取り力士として奮戦し、最高位は前頭12枚目。横綱、大関との対戦も見たかったが、首や足のケガで叶わなかった。今後は年寄佐ノ山として後進の指導にあたる。奥さんも日大相撲部出身でアジアチャンピオン。

平成31年2月5日
昨日の健康診断、高砂部屋最重量は朝弁慶の199kg。本人曰く、関取のときは205〜6Kgあったそう。自己最高値をぐんぐん更新していた朝虎牙は意外と増えてなく166kg。成長期もようやく落ち着いてきたよう。ある部屋の某元関取、すこし小さくなったような気がしたので聞いてみたら40kgやせたというそう。で、何キロになったのと尋ねると、180kgだという。200kgを超えると40kgやせても、さほど変化がない。おそらく一般人の2〜3kgほどの違いではなかろうか。げに恐ろしき200kg超の世界。

平成31年2月4日
年2回の健康診断。夏は身長の計測があるが、今回は体重のみで、血液検査やレントゲン、血圧、検尿に心電図検査等。今日から3日間かけて全力士と35歳未満の行司、呼出し、床山の健康診断が行われる。35歳以上の裏方さんは6月に検査。午後2時からは全協会員が集まっての研修会。研修会は、明日からも関取や裏方、親方衆とそれぞれにも個別に行われる。2月は巡業はないが、何かと忙しい。

平成31年1月25日
朝弁慶、三段目優勝。痛めた膝の具合は、まだまだ十分とはいえないが、元十両力士としての意地と貫禄をみせての7戦全勝優勝。入門以来初めての優勝で、関取り復帰へ向け気持ちも上向いたことであろう。朝興貴、元幕内の北播磨を破っての勝越し。朝天舞は平成27年1月場所以来4年ぶりの幕下での勝越し。立派の一言。朝乃土佐、~山、5勝目。全体でも5割を上回ってきた。

平成31年1月24日
ご案内が遅くなりました。1月27日(日)開催の高砂部屋千秋楽打上げパーティーのご案内です。朝乃土佐、~山のベテラン勢勝越し。朝乃山、よく残しよく足を出して6勝目で五分の星。

平成31年1月23日
朝弁慶、6連勝。三段目15枚目だから幕下復帰はもちろん確実で、各段優勝の可能性も大きくなってきた。27年9月、新十両を決めた場所で、6勝1敗8人での幕下優勝決定戦に出たことがあるが優勝した千代翔馬に敗れたそう(貴景勝も出場)。初の優勝を飾り幕下へ戻り、さらに関取復帰へと弾みをつけたい。朝阪神、3人目の勝越し。朝乃山、5勝目。あと一つで五分の星。

平成31年1月16日
平成31年初場所4日目。ちょうど80年前、昭和14年1月場所(当時は春場所)4日目は、横綱双葉山70連勝成ならざるの日。前述の笠置山は控え力士として土俵下でこの一番を見て、のちに観戦記を残している。−無敵を誇る双葉関が七十連勝ついに空しく、わが門の新鋭安芸ノ海のために破られてしまったのだ。激しい衝動と興奮が鉄傘下いっぱいに充満して、ほうはいたる喚声の潮が果てしなく昇降して、夢のような情景である。静かに、あの世紀の驚異とまで言われた安芸ノ海殊勲の土俵を想起すると、同門の人々が“双葉山の堅塁”を抜かんとして、血と汗ではげんだ臥薪嘗胆が胸に迫って感慨ひとしお深きものがあるー 朝乃山4連敗。横綱稀勢の里引退を発表。

平成31年1月15日
幕下以下の取組は、初日と2日目は基本的に東西の同じ番付同士で当てて、3日目以降は番付の近い相星(1勝同士、1敗同士)との対戦となる。ただ、休場者が出ると前後にずれ、力士数が奇数となると、幕下上位か序ノ口で数合わせをする。序ノ口最下位の大子錦、数合わせのため初日、2日目と休み、今日3日目からの出場。休場続きで1年ぶりの土俵は、今日が尾上親方の息子との対戦で、明日は服部桜との対戦と、相変わらず話題を提供してくれる。前相撲寺沢が、昨年5月場所以来の白星。

平成31年1月13日
平成31年初場所初日。お客さんにとってもそうであろうが、力士にとっても、初場所初日は特別な「ハレの日」感がある。早朝は雲におおわれていた空も、お昼前から青空が広がり、お正月らしい澄み切った空気が心地よい。午前8時35分取組開始。序二段朝阪神が白星スタートで幸先よいかと思われたが、一進一退の星で、最後朝乃山が黒星となり、4勝5敗と曇天の初日。朝乃山、明日2日目は遠藤戦。仕切り直しといきたいところ。

平成31年1月12日
笠置山は現役時代から相撲評論、随筆等を執筆し、のちに小説も書いている。双葉山69連勝中は、出羽海部屋の打倒双葉の作戦参謀として、当時谷崎潤一郎や志賀直哉も連載していた雑誌『改造』(昭和13年6月号)に「横綱双葉山論」という論文を寄稿したこともある。引退後は秀の山理事として時津風理事長(双葉山)を支え、『相撲のとり方』『相撲範典』『名人栃錦 絶妙の技』等の著書も数多い。触れ太鼓が稽古場に鳴り響き、明日の取組の呼び上げ。高砂部屋幕下以下の取組です。村田は休場、前相撲寺沢は3日目から、序ノ口大子錦も3日目から。

平成31年1月11日
学生相撲出身力士の第一号は戦前の関脇笠置山(中退も含めると昭和初期の関西大学関脇山錦がいるが)。もっとも笠置山は、奈良県郡山中学時代にスカウトされて出羽海部屋へ入門。部屋から早稲田中学、早稲田大学へと通い、早大相撲部全国優勝の原動力となり、卒業後にプロ転向の予定だったが、昭和7年1月の春秋園事件で急きょ幕下付出しで初土俵となった。取組編成会議。朝乃山は魁聖、貴景勝に正代、白鵬は妙義龍、結びは稀勢の里に御嶽海。

平成31年1月10日
1月7日の東京新聞で、「平成を伝える」と題して、平成30年間の大相撲の変遷が取り上げられている。平成元年初場所幕内力士38人のうち外国出身は大関小錦一人だったのに対し、平成31年初場所では42人中横綱2人を含む9人。学生出身は、平成元年が4人だったのに対し、今年31年は14人。紙面では尾車親方の「学生とプロの差がなくなった」「学生出身には負けられないという意識がなくなった」という談話や10代の力士を育てる難しさも語られている。高砂部屋は現在、19名中4人が学生出身力士。

平成31年1月8日
今場所から力士の給与ならびに場所手当てが増額となるようで、力士にとっては嬉しいニュース。 新しい給与(月額)は、横綱が300万円(現在は282)、大関250(234,7)、三役180(169,3)、幕内140(130,9)、十両110(103,6)万円となり、幕下以下の場所手当て(場所毎2か月に1回)は10%増で、幕下16,5万円(現在15)、三段目11(10)、序二段8,8(8)、序ノ口・前相撲7,7万円(7)となる。平成13年以来18年ぶりの改定。

平成31年1月7日
平成元年初場所は、東の正横綱が千代の富士で西が大乃国、張出に北勝海。大関は旭富士、北天佑、小錦、朝潮と、3横綱4大関の豪華版。横綱北勝海と大関2場所目の旭富士が共に14勝1敗の成績で優勝決定戦。北勝海が勝って4度目の幕内最高優勝。幕内で一番若いのが21歳の安芸乃島。十両に琴錦や益荒雄の四股名がある。現師匠の大関朝潮は、この場所8勝7敗の成績で、翌3月場所で引退し年寄山響を襲名。翌2年の3月から若松部屋師匠となった。一般非公開での横審総見稽古。朝乃山と玉木が参加。

平成31年1月6日
昭和最後の大横綱千代の富士は平成3年5月場所で引退。現理事長の横綱北勝海も翌4年3月場所引退。二人の後を引き継ぐように5年3月場所で曙が横綱昇進。7年1月貴乃花が横綱昇進。兄若乃花の横綱は10年7月と、若貴時代が始まっていった。その若貴から時代を引き継いだのが朝青龍、白鵬等のモンゴル勢。日本の流れと時を同じくするように大相撲界にもグローバル化がすすんでいった。さらに、その反動であり世界的潮流ともいえる自国ファーストのなか、平成最後の横綱としての稀勢の里の存在があるのかも。

平成31年1月4日
“平成最後の”という形容詞は使われ過ぎた感もあるが、初場所は平成最後の両国国技館での本場所。振り返れば、昭和の最後は63年9月、11月と横綱千代の富士が制し、平成元年初場所は横綱北勝海が優勝。11月場所で貴花田が新十両に昇進し、翌2年3月場所で曙、若花田が新十両と平成のスターが次々と登場して世代交代がすすんでいった。平成最後の国技館を制するのは、新しい時代のヒーローはいつ出てくるのか、興味は尽きない。今日から本格的な稽古はじめ。朝乃山、玉木は九重部屋への出稽古。

平成31年1月3日
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
平成31年稽古はじめ。今日は、新年の挨拶を交わし、四股とぶつかり稽古のみで上り、先々代と先代のお墓参りへ。先々代5代目(元横綱朝潮)は現師匠と頭(元伊予櫻)、床弓さんにとっての師匠であり、先代6代目(元富士錦)は、呼出し利樹之丞と大子錦、~山の入門時の師匠であるが、関取はじめ他の若い力士にとっては、直接には知らない存在。それでも毎年お墓に詣でることによって、綿々と続く高砂部屋の歴史と伝統の重みを肌で感じることになるであろう。

平成30年12月31日
平成最後の年の大晦日。この一年、高砂部屋にとってもいろいろな出来事がありました。2月4日が朝赤龍引退相撲。大勢の皆様にご協力いただき盛大に錦島襲名披露を飾ることができました。現在、部屋の力士の指導と相撲教習所担当として新弟子の指導にも務めています。朝乃山は幕内として定着、7月場所では11勝と優勝争いに絡む好成績で自己最高位を5枚目まで更新、三役近しと期待されましたが、後半失速して、新三役は新年に持ち越しです。朝弁慶、十両復帰は嬉しいニュースでしたが、膝のケガでの陥落、再々起目指します。村田、寺沢も新年からの再起を目指し、幕下玉木は新年こそ猪突猛進といきたいところ。

平成30年12月29日
平成30年の稽古納め。稽古終了後、力士、親方、裏方全員が土俵周りに集まり、師匠からの訓示のあと三本締め。その後、おかみさんにお年玉をもらい、風呂、ちゃんこ、後片付け、掃除と、どんどん済ませ解散。高知組は羽田へ、関西・東海組は東京駅へ。北陸、北関東組は上野駅へと各々向かう。一人減り、二人減りしていくと、いつも何かしら物音のする部屋が、だんだん静けさに包まれてくる。帰らず部屋に残る力士も2名ほどいるが。

平成30年12月27日
番付発表の翌日(昨日26日)は、必ず力士会が開催される。力士会は、十両以上の関取による親睦組織で、このときに新十両力士の紹介や引退力士の挨拶等も行われる。そして東京場所の力士会では身長・体重の測定があるが、きのうの測定で166、2kgと、最高記録を1,9kg更新したそう。これまでの記録は昨年9月場所だったそうで、増加に歯止めがかからない。相撲界では、大きいことはいいことだが、ほどがあろう。ちなみに40年前の昭和51年秋場所の幕内平均体重は129,2kgだったそう。

平成30年12月26日
稽古はじめ。九州場所後も稽古は続けて行っているが、巡業組はいないので全員そろっての稽古は久しぶり。また、今日は土俵祭りを行うので、行司、呼出し、若者頭等スタッフ一同も勢ぞろいの稽古場。やはり、全員そろうと気分も高まり引き締まってくる。年末は29日まで稽古を行い、その後解散。2日に集合して新年は3日より稽古はじめ。師走は何かと忙しく、押し迫ってもちつきと番付発表がつづき大変だが、疲れた表情の中にも、あと4日で家に帰れるという希望が垣間見えてくる。

平成30年12月25日
新年初場所番付発表。朝乃山は、ちょうど3枚下がり西前頭8枚目。幕下は、玉木が19枚目、朝興貴が28枚目、復帰の朝天舞が58枚目。三段目は、朝弁慶が15枚目、朝鬼神が21枚目、以下朝大門59、朝心誠70、村田73、朝乃土佐76、朝乃丈78とつづく。朝虎牙が序二段に陥落して4枚目、朝ノ島37、朝童子64、朝東74、朝阪神90、~山93とつづく。番付表は東正横綱が最上段右上で、最下段左下の西序ノ口27枚目まで658名の四股名が連なるが、そのしんがりに控えるのが大子錦大伍郎。23年前の新序以来だそう。6658000番目と6659000番目のお客様、送り先をメール下さい。初場所新番付と高砂部屋便り90号をプレゼント致します。

平成30年12月14日
映画『土俵物語』は、22歳の房錦が花道から控えに入る場面から始まる。見上げる土俵上には父錦太夫の姿。父が捌く姿を眺めながら、少年時代の回想シーンへと場面は移る。医者を目指しながらも親に内緒で友達と蔵前国技館に通い相撲に見入る櫻井(房錦の本名)少年。やがて元鯱の里の若松親方に入門志願するも、相撲界の厳しさを身近に知る母親は大反対。息子の決意の固さに父錦太夫は「わしも好きな酒をやめるから5年がんばってみろ」と入門決定。本日21時よりBS−TBSにて、御嶽海と朝乃山&高砂部屋の特番です。

平成30年12月11日
昭和31年の経済白書序文に、「もはや戦後ではない」という言葉が書かれ流行語にもなったそうだが、相撲界でも昭和30年代に入り栃若時代が幕を開け、大鵬・柏戸の台頭と横綱同時昇進(昭和36年11月場所)に沸き、大相撲人気も高度成長期に入った。そんな時代の中、相撲映画もつくられ人気を博した。昭和33年大映製作の『土俵物語』は、新入幕(昭和32年5月)力士房錦が優勝争いに絡む快進撃で、父である三役格行司式守錦太夫の軍配で勝名乗りを受け話題となった話が映画化されたもの。今年7月に衛星劇場で放送されたそうで、初見できた。22歳の“褐色の弾丸房錦”が輝いている。

平成30年12月3日
昨日12月2日(日)に宿舎後片付けの残り番も福岡から帰京。巡業は土曜日に出発して、昨日が長崎で今日が福岡県直方市の直方もち吉場所。その後久留米や行橋、大分、宮崎、熊本、鹿児島とまわって15日(土),16日(日)と沖縄。沖縄から戻り20日からまた関東での巡業もある。新年初場所番付発表は12月25日(火)。年末恒例の高砂部屋激励会は12月17日(月)、例年通りホテルニューオータニにての開催です。

平成30年11月27日
一年納めで平成最後の九州場所も一昨日無事千秋楽を迎え、昨日から宿舎の後片付けをしながらの1週間の場所休み。負越し力士の方が多く、残念な結果だったのにもかかわらず千秋楽打上げには、例年以上のお客様が集い、誠にありがたい限り。負越したもののいい相撲で千秋楽を締めた朝乃山、来場所へつながる白星。三段目朝天舞、千秋楽にも勝って6勝1敗の好成績。来場所の幕下復帰を濃厚なものにした。14日目に8番相撲を取った玉木、2勝6敗に星を上げての番付編成。前回、“勝ち得”(2勝5敗と同じ下がり方)が反映されなかっただけに今度こそ期待したい。

平成30年11月21日
三段目25枚目の朝弁慶、今年3月場所以来の勝越し。5月場所で痛めた膝のケガが治りきらず、ある意味強行出場だっただけに、番付を大きく落とした三段目とはいえ嬉しさは格別。昔から「白星が一番の薬」というように、勝つことで気分が晴れ気持ちも前向きになりケガを乗り越える気力も湧いてくる。もうひと踏ん張り。もうひと花咲かせたい。朝東も入門以来2度目の嬉しい勝越し。朝阪神、朝乃丈と負越して、11日目現在勝越し4人、負越し5人。あと1番で勝越し1人、あと一番で負越し5人、3勝3敗1人。

平成30年11月20日
朝童子、今場所の勝越し第一号。入門4年目で、それなりに肉もついてきたが、四股名の通り顔にはまだ幼さが残る18歳(平成12年3月31日生まれ)。勝越しを決め部屋に戻ってきて「お蔭さんで給金直しました」と挨拶するも、居合わせたお客さんから「あの子、お相撲さん?落語家の若い子みたい」との声。初めて勝越しを決めたのが入門2年目一昨年の九州場所で、3年目は7月場所一場所だけの勝越し。4年目となる今年は、1月、5月に続いて3回目の勝越しで、確かに成長している。朝乃山の付人を務めている。朝天舞、2人目の勝越し決定。

平成30年11月19日
勝負師には息抜きも必要で、昭和の相撲界では「飲む・打つ・買う」が当たり前だった。そこに数々の武勇伝も生まれたが、平成も終わりを迎え、趣味嗜好も様変わりしている。「打つ」はももちろん全面的に禁止され、「飲む」力士も格段に減った。「買う」はどうであろう?・・・・。その分、部屋でゴロゴロしてスマホでゲームの力士が増えたが、九州場所に来ると「釣る」が入る。高砂部屋宿舎から少し行くとすぐ海で、わらすぼさんが釣り竿や餌、ポイントを詳しく教えてくれ結構成果が上がる。獲れたてのスズキの刺身や、小アジの素揚げ等、ちゃんこを賑わしてくれ皆の実益を兼ねた趣味となっている。朝乃山、明日は結びで豪栄道戦。初の大関戦で「大物釣り」を果たしたい。

平成30年11月18日
横綱双葉山は自他ともに認める非力で、腕相撲も弱い方であったという。横綱に上がる前後の頃、引きつけの弱さを評論家によく指摘されてもいた。おそらくウエイトトレーニングの類は一切行っていなかったはずである(当時の力士全般にいえることだが)。それでも相撲を取ると相手をゴミでも放り投げるように投げ捨てた。本人はそれを「相撲力」といい、下腹と腰から出す力、要するに体ぜんたいから出てくる力だと語っている。「相撲力」のなかでは、筋力の占める割合はかなり低くなるのであろう。朝乃山、星を五分に戻す4勝目だが、玉木が残念な負越し。朝童子勝越し王手の3勝目。

平成30年11月17日
前半戦が終わり明日中日だが、未だ勝越し力士がおらず苦戦の九州場所。と、思っていたら結果のわからなかった朝天舞が帰ってきて「お蔭さんで」の挨拶で勝越し王手の3勝目。朝大門に初日。こちらは3連敗していたから、ようやく片目が開いたと言ってもいい。連敗のあとの白星は気分も乗ってくるので、3連敗4連勝もたまにある。後半戦の巻き返しを願うばかり。朝乃山、気迫の一番で連敗脱出。11月25日(日)に行われます高砂部屋千秋楽打上げパーティーのご案内です。こちらは、例年通り博多駅東の八仙閣です。

平成30年11月16日
自分自身若い頃(20代の頃)は、四股は軸足を鍛えるための筋トレの一環として踏んでいた。軸足の膝に体重をかけて、いかに苦しく踏むかということを課していた。「四股十両、テッポウ三役」という言葉は、基本の大切さを戒めるためだという認識しかなかった。「四股をよく踏む力士は長持ちする」という言葉も、準備運動をしっかりするからだという認識でしかなかった。40年以上毎日のように四股を踏み続け、探求を深めると、上記の言葉が真摯に感じられるようになってきた。「相撲は四股に始まり四股に終わる」というように、四股に相撲の真理がある、と、感じられてきた。朝興貴、朝ノ島に初日。

平成30年11月15日
村田に限らず、若い時は一般的に四股を踏みたがらない。四股は単純で地味な動作のくり返しで、踏んでいても強くなっていく実感が得られない。四股に比べると、ベンチプレスやスクワットは努力した結果がすぐ数字として現れる。筋肉が太くなっていく実感もある。筋力が強くなると、相撲を取っていても強くなった気がする。確かに筋力や瞬発力は相撲の強さの一要因でもある。四股には、そういう実感は伴わない。屈伸や伸脚と同じような準備運動の相撲版としか思えないかもしれない。朝虎牙、~山に初日。

平成30年11月14日
7月場所の5日目三番目の相撲で膝を痛め、その場所0勝4敗。場所後に手術して9月場所は幕下32枚目で全休した村田、今場所は三段目12枚目の番付。ようやく四股など基礎運動はできるようになり毎朝マワシを締めて稽古場で復帰に向け体を動かしている。関取はもちろん、幕下だとちゃんこ番が免除されるが、三段目に落ちるとちゃんこ番も復活する。学生時代から料理は得意だったという村田、まめに嬉々として料理の腕をふるっているが、四股にもこのくらい嬉々として取り組んでくれるといいのに、と思う今日この頃・・・。朝弁慶、朝天舞2連勝。

平成30年11月13日
江戸勧進相撲は1月春場所と5月夏場所でのそれぞれ10日間興行で、「一年を二十日で暮らすいい男」という川柳も生まれた。体調不良で休場がつづき、四股名が番付から消えてしまった(番付外)大子錦、今年の1月場所以来となる前相撲の土俵で本日2番の取組。こちらは「一年を九日でくらすいい男」で、江戸の花形力士をも上回る。前相撲を取ると、来場所から番付に四股名が復活する。朝乃山に初黒星。朝鬼神、朝乃土佐、朝東2連勝。

平成30年11月12日
朝から冷たい雨がシトシトと成道寺境内の石畳を濡らし、福岡入りして一番の寒さを感じる九州場所2日目。こういう天候の日は、膝や腰の怪我をしている力士にはつらい。湿気や冷気が関節の動きを鈍らせ痛みを再発させる。膝の怪我で休場をつづけていた朝弁慶、今日から復帰の土俵。まだまだ完治には程遠い状態だが、いわば背水の陣での出場。怪我だけはしないでくれと見守る土俵で、今年5月場所11日目以来の白星。安堵。朝乃山2連勝。玉木白星発進。

平成30年11月11日
一年納めの九州場所であり平成最後の九州場所初日。九州場所が本場所となったのは昭和32年からだから、今年で62回目を迎える。第1回目の優勝は荒法師の異名をとった玉乃海。横綱千代の富士の8連覇や54連勝目を阻止された大乃国との一番。若貴兄弟対決。稀勢の里が白鵬の連勝を止めた一番。数々の名勝負を生んだ九州場所がはじまる。早朝の冷え込みは厳しかったものの、快晴で日中の日差しはポカポカで力士にとってはTシャツモード。満員札止めで熱気溢れる国際センターの土俵。朝乃山は右四つ会心の上手投げでの白星スタート。

平成30年11月10日
テレビ番組のお知らせです。BS−TBS『大相撲長期取材2018』( 仮)というタイトルの番組で、横綱鶴竜(休場になってしまいましたが・・・)と、大関獲りを目指す御嶽海と、新進気鋭の朝乃山所属の高砂部屋にスポットを当て、夏から九州場所までを取材。「大相撲の魅力」の再発見してもらい、大相撲をより身近に感じてもらおうという企画。今年の12月14日(金)21:00〜22:54までの大相撲特番です。

平成30年11月9日
昨日8日(木)に場所前恒例の高砂部屋激励会。今年から会場をANAクラウンプラザホテルに移しての開催。集まった大勢のお客様は、朝乃山や若手力士や親方等との記念撮影、ホテルの料理と大子錦特製の鳥塩炊きちゃんこに舌鼓をうち、力士のカラオケや高砂部屋グッズがあたる抽選会、利樹之丞による相撲甚句などを楽しみ、九州場所での高砂部屋力士一同の活躍を期した。本日取組編成会議が行われ、初日と2日目の割り(取組)が決定。朝乃山、後半戦2番目の取組で貴ノ岩との対戦。玉木は、2日目幕下最後の一番で彩との対戦。横綱白鵬、鶴竜は休場。村田、寺沢も休場。高砂部屋全力士の取組です。

平成30年11月7日
九州高砂部屋後援会は九電産業株式会社が全面的にバックアップしてくれて運営されている。九州電力の関連会社であるから電気関連事業が主体だが、保険や旅行、さまざまな商品販売も行っており、お茶や塩、だし等、部屋での必需品も差入れ頂き助かっている。とくに自社製品の『天草の塩』は、味に深みがあるのにまろやかな絶品。塩だけで酒の肴にもなる。また、「こだわり九州 いいものめぐり」には九州各地の名産品が満載。九州高砂部屋後援会主催の高砂部屋激励会は、明日午後6時半より博多駅前3丁目ANAクラウンプラザホテルにて開催されます。

平成30年11月5日
朝乃山、今日から糟屋郡志免町にある時津風部屋へ出稽古。横綱鶴竜から声をかけられたようで、最近場所前恒例になってきた。昨日と一昨日は、九重部屋通い。こちらは中央区今川の鳥飼八幡宮で歩いても行ける距離。実際、歩いて行ったもよう。巡業中は、毎日のように大関栃ノ心の指名を受け三番稽古(同じ相手と何番も行う稽古)を重ねたそう。横綱、大関の胸を借り、連日砂にまみれることが、朝乃山の右四つ本格派の相撲をさらに大きくしていくことであろう。

平成30年11月4日
5月場所1年半ぶりに関取として十両の土俵に復帰した朝弁慶、膝の怪我で休場を余儀なくされ、今場所の番付は三段目25枚目。5月場所後に手術し、リハビリに励み、ようやく軽くなら四股を踏めるほどには回復してきた。しかしながら、まだ時に膝が外れるような痛みがあり、相撲を取るまでにはもう少し時間がかかりそう。それでも、白マワシへの復帰をあきらめず、毎朝、黒マワシて四股やテッポウに汗を流している。

平成30年11月3日
今年2回目のアラの差入れ。かなり立派なアラだが、今日はちゃんこ長大子錦不在の為、わらすぼさんに助っ人を頼んで朝大門がアラに挑戦。包丁でうろこを皮ごと削ぎ、削いだそばから素揚げして塩を振って食べる。パリパリサクサクで思わずビールを飲みたくなるほど・・・。内臓を出し、頭を落とし、三枚に切り分け、頭や骨を切り分けていく。骨は太く固いので、出刃で叩き割る音が響きわたる。入門前警備会社で働いていた朝大門。高校卒業後は調理師学校に通い調理師免許も取得したが、せっかく取った調理師免許を活かせない警備会社への就職を父親は嘆いていたそう。相撲界でアラを捌けるようになったと聞けば少しは喜んでくれるかも・・・。

平成30年11月2日
今年1月に入門してほぼ一年になる朝東、5月場所で5勝を上げ序二段66枚目まで番付を上げたものの、そこから2場所負越して序ノ口西筆頭。筆頭だと、「序ノ口で一番つよいのかぁ」とよく冷やかされる。2枚目(三段目)には、朝鬼神。2枚目だと、「二枚目というより三枚目の顔だけどなぁ」と言われ、3枚目だと「二枚目という顔じゃないもんなぁ」というのが慣例で、玉木が幕下3枚目。さすがに4枚目はいないだろうという話になったら、朝童子が「オレ4枚目(序ノ口)っす」とつづき、そして、その下の5枚目に朝乃山。今場所は東が一番上だと、話がおさまった。番付にはドラマがあるが、ネタにもなる。

平成30年11月1日
番付にはその場所毎のドラマがある。「番付は生きもの」という言葉もあるくらい、場所毎に運不運がつきまとい、力士生命を大きく左右することも多々ある。西幕下筆頭で4勝3敗と勝越しながら東の筆頭で止められ結局関取に昇進できなかった力士がいるかと思えば、幕下4〜5枚目の4勝で上がる場合もある。負越して西5枚目に据え置かれた朝乃山は、これまでも番付運がいい方。これも強くなるための条件の一つであろう。

平成30年10月31日
入門3年目の朝心誠、朝乃山の付人として秋巡業に参加していたが、わりと早い時期の稽古中に頭が割れる怪我をしたため稽古を行わずにの巡業で、昨日が久しぶりの稽古。昨年の九州場所で6勝を上げて三段目中位まで番付を上げたが、そこから負越しつづきで序二段に陥落し、今場所ようやく三段目復帰叶った。巡業中の稽古不足もあり、すぐスタミナ切れでバテてしまうが、息絶え絶え泥まみれになりながらの稽古再開。1年目5勝、2年目6勝とゲンのいい九州場所での勝越しを目指す。

平成30年10月30日
九州場所稽古はじめ。朝童子、朝阪神、朝東の3人による三番稽古が終わりぶつかった後、土俵を掃き清め、砂を中央に集め御幣を立て、塩をまき、土俵祭りの用意。今日は九州高砂部屋後援会の会長はじめ役員の方が見守る中、祭主を務める木村朝之助が祝詞をあげ、お祓いし、方屋開口を朗々と口上。築き直されツヤ光りする土俵に真新しい俵が映え、いかにも神々しい。初めて目にする役員の方々も感激しきり。今日から約一ヵ月間の九州場所が始まる

平成30年10月29日
九州場所番付発表。朝乃山、先場所7勝8敗と一点の負越しにもかかわらず先場所と同じ西前頭5枚目。幕下玉木は、1枚半上がって東の3枚目。先場所三段目3枚目で全勝して幕下一ケタであろうと予想された朝興貴、予想に反して11枚目。一応自己最高位更新ではあるが、やっぱり影が薄いのかなぁと、部屋の中では何となくみんなで納得。先場所幕下だった朝鬼神、村田、朝弁慶と3人が三段目に落ちて幕下は二人のみ。その代わり、三段目が9人と部屋の力士の約半数を占めるまでになった。九州場所高砂部屋力士の新番付です。6629000番目と6630000番目のお客様、送り先を書いてメールください。九州場所新番付と高砂部屋便り88号をプレゼント致します。

平成30年10月27日
先発隊の仕事はほぼ済み、明日乗り込みの巡業組と東京残り番を迎える準備も大方完了。月曜日が番付発表なので、高砂部屋便りや暮れの東京激励会の案内状を封筒に入れる作業等行う。ちゃんこ場も出来上がったので、ようやく弁当生活から抜け出し、ちゃんこを開始。今日はとりあえずカレーにラーメン、目玉焼きやウインナー炒め等の簡易なちゃんこ。昨日来の雨は上がったものの午前中は風が冷たく昔の九州場所らしい寒さ。おすもうさんもようやく長袖を着出した。

平成30年10月25日
昨日土俵が出来上がり、各部屋のセッティングもほぼ完了し、先発隊の仕事もひと山越す。これからちゃんこをつくる準備や番付発表、新聞作りを完了させ28日に全員が乗り込んでくるのを待つ。場所前恒例の激励会、今年は会場をANAクラウンプラザホテルに移しての開催。一般の方のご来場も大歓迎です。皆さまの参加お待ちしております。

平成30年10月23日
先発中は、まだ荷物のセッティングに追われ、ちゃんこをつくれる環境にないため、お昼は弁当、夜は外食になる。乗り込みの日は藁巣坊が定番なのだが、あとは風任せの日々。唐人町商店街も頑張っているとはいえ、年々寂しくなってゆく中、2,3年前からおいしいカレー屋さんが出来たと若い衆が鼻を利かせて開拓したお店があり、先発隊で出向く。若い衆はすっかり常連で一年ぶりの再会を温かく出迎えて頂き、本格的なビストロ料理と絶品のカレー、別腹のフレンチトーストが、がぶり寄ってくる。 お酒も各種充実していてこの上ない満喫感。唐人町駅4番出口徒歩30秒、Hono((ホノ)です(唐人町1-3-4)。一度お試しあれ。

平成30年10月21日
昨日20日、先発隊が九州場所宿舎となる福岡唐人町成道寺(じょうどうじ)入り。夜飯は一年ぶりの藁巣坊餃子を満喫。今日21日(日)は、トラック2台で大牟田の倉庫まで家財道具一式を宿舎まで運びこむ引っ越し作業。これが終わると、先発隊の仕事も一山超えた気がして楽になる。天気にも恵まれ作業も順調にすすむ。毎年のことながら、ゴーヤーマンと師匠が現役時代にファンだったJKのお友達のお父さんがトラックを出してくれ、高速使って往復で2時間半の引っ越し作業が無事完了。晩飯は、唐人町商店街中にある奄美料理の店で奄美料理。

平成30年10月14日
板垣は毎朝のように部屋(友綱部屋であろう?)の稽古にも顔を出したという。明治42年6月に開館された両国国技館の開館式では、開館委員長として式辞を述べた。相撲に関して『相撲論』・『相撲改革』・『相撲改善意見』・『太刀山の獨相撲』等、数々の談話や論文を残している。また、明治41年5月29日の土陽新聞には、「力士に対する保護法」と題して引退・廃業後の力士の処遇にまで気を配る談話もある。以前紹介したように、横綱太刀山入門(8月31日〜9月13日日記)も板垣の労にによる。朝乃山(太刀山と同じ町内)の活躍も板垣伯の相撲好きにさかのぼれるのかもしれない。

平成30年10月10日
テレビ、新聞等でも大きく報じられているように元横綱の輪島さんが亡くなられた。入門したころ若松部屋の師匠(房錦)と同じ審判部で、若松部屋にも時折顔を出して若い衆にも気さくに話しかけてくれていた。また現師匠とも現役時代から付き合いが深く、後援会等でずいぶんお世話になった。波乱万丈な人生を送ったにもかかわらず、天衣無縫な人柄はいつも変わらなかったように思う。享年70歳。元横綱としては長生きのほうであろう。心よりご冥福をお祈りいたします。昨日高知より帰京。しばらく東京で稽古して、10月20日から九州場所先発隊出発。

平成30年10月8日
板垣退助と言えば、「板垣死すとも自由は死せず」という自由民権運動があまりにも有名だが、戊辰戦争での武人としての活躍は目覚ましかったようで、司馬遼太郎や海音寺潮五郎は政治家よりも軍人に向いていたと評している。維新後は内務大臣等の要職を歴任するも明治33年に政界を引退。その一年前に記した『相撲漫談』では、「本場所は欠かさず見たいと思っているけれども、兎角議会の会期中に政治社会が忙しいから見られぬ。併し政界の方も後輩の人が段々遣りよるから、この頃は政治のことより相撲の方が本色(職)になった」と、記している。

平成30年10月7日
以前にも書いたと思うが、アマプロ共に幾多の名力士を輩出している高知の相撲熱は、板垣退助の相撲好きに端を発している。明治32年に板垣が記した『相撲漫談』には、7,8歳の頃から相撲好きで、家にも土俵があったこと。後藤象二郎とは竹馬の友で、二人して町人の相撲大会に参加して相撲を取ったこと。東京に出た後一度土佐に引っ込み稽古場を拵え、そのとき二所ノ関部屋開祖となる二代目海山太郎や国見山を育て、東京に送り込んだこと等が記されている。

平成30年10月6日
買い出しは合宿所から自転車で5,6分のスーパーへ毎日出向く。魚類は新鮮な品が並ぶが、野菜は東京よりも少し高い。地元では蒲鉾というのか、揚げもの、練り物の品数が豊富だが、キムチ鍋に入れるナルトは置いてない。鳥ガラはあまりなく、粉末の鳥ガラスープの素も置いてないので、ソップ炊きをつくるのには苦労する。お酒売り場は超充実している。高知合宿も平成24年に再開してから6回目となり、一日に2,3回は通うので、店内で流れるテーマソングは、知らず知らずに口ずさんでいるほど、体に沁み込んでいる。

平成30年10月5日
高知合宿稽古初日。稽古終了後、土俵横で高知市からの歓迎セレモニー。立派なカツオや梨を贈呈いただき、テレビ新聞等の取材も各社詰めかけ師匠へのインタビュー。稽古の様子等夕方のニュースで放送されたもよう。夕方は相撲健康体操教室。市内の小学生と園児ら20人近くが参加して、指導員役の朝阪神、朝東の動作に合わせて、蹲踞や腰割り、仕切りの型などで元気よく「ヤァー!!」の掛声。1歳のときから参加している子も来年から小学生とのこと。1歳の頃は体操中まとわりついていた,子が、成長していい腰割りやっている。うれしい限り。

平成30年10月4日
高知合宿へ出発。高知行き日本航空機は通路をはさんで左右に3席ずつと割合小型なので、一人ひとり体重を聞かれるが満席で動かしようもなく、大子錦と朝鬼神が隣同士になり、二人して窒息しそうになっている。見かねた一般客が席を替わってくれ無事高知龍馬空港へ到着。空港へ師匠のお父さんがお米や魚介、蒲鉾、野菜等差し入れを沢山持ってきてくれ迎えの明徳義塾のバスで合宿所へ。総合運動場の職員の方とも2年ぶりの再会。あすから4日間の合宿稽古。

平成30年10月1日
場所休みが終わり、今日から稽古再開。来年の大相撲カレンダーの申し込みの締め切り日で、朝から何かと慌ただしい。相撲界は何事につけ気が早く、カレンダーの申し込みが始まると、「今年も終わりだなぁ」という気分がでてくる。またたく間に九州場所となり、お歳暮を贈り、年末の準備をはじめと、月日の流れが早まっていく。その前に、10月4日出発9日帰京の予定で2年ぶりの高知合宿。稽古は5日(金)〜8日(月)の4日間、高知市総合運動場相撲場1階土俵にて。5日(金)午後5時からは小中学生対象の「相撲健康体操教室」も開催されます。

平成30年9月19日
幕下東4枚目の玉木、2勝3敗と後がなくなり今日の対戦は近畿大学の先輩誉富士。お互い、負けた方が負越しという厳しい戦いだったが、動きまわっての勝利。3勝3敗と生き残った。逆に、元関取の先輩は負越しが決まり心中複雑な想いはあるであろう。勝った玉木、最後の一番に勝越しをかける。朝乃山勝越しならず。朝興貴6連勝。2度目の三段目優勝が、かなり近づいてきた。朝虎牙、朝童子も勝って3勝3敗。

平成30年9月17日
兵庫県三木市出身の朝童子。入門4年目となり大学1年生と同学年になるが、平成12年3月31日生まれなので、まだ18歳。小さな体ながら徐々に筋肉量も増え体重は90kgを超え逞しさも出てきた。稽古場では力強い相撲もみせるようになってきたが3連敗と追い込まれた今場所、今日は取り直しの相撲を勝って2勝目。土俵際粘って今年3回目の勝越しを目指す。朝興貴5連勝。あと2番。

平成30年9月15日
突き押し相撲は波があるといわれるが、その分波に乗ったら手がつけられない。ばりばりの突き押し相撲の朝興貴4連勝。以前に序二段と三段目で優勝経験あるだけに、今場所も乗ってくると可能性は高い。稽古場では相変わらず存在感がないが、今場所前は珍しく玉木といい稽古をくり広げる場面もあった。密かに期するところがあるのかもしれない。平成2年生まれで12月に28歳を迎える。そろそろ大きな波に乗っていきたい。朝乃山2敗目。あすは千代の国戦。

平成30年9月14日
大阪出身の朝虎牙(あさこが)、2連敗だったが今場所の初日(初白星)。場所毎に体重を更新しつづけて170kgになった。どちらかというとボケキャラで、アンコの性質(10月1日〜9日)を十分に備えている。今年に入って3場所連続勝ち越しで最高位を更新し続けたが、先場所は負越し。ここから勝越して体重同様最高位を更新したい。朝乃山、スケールの大きな相撲で5勝目。明日は栃煌山。

平成30年9月13日
高知県四万十市出身で明徳義塾高卒の朝東、高知合宿が縁で高砂部屋に入門した。昨年はイベントと重なり高知合宿が行われなかったが、今年は10月5日〜8日まで合宿稽古の予定。先日初めてちょん髷を結いお相撲さんらしくなった朝東、今日勝って2勝目。今場所勝越して後輩たちに晴れ姿をみせたい。朝乃山、物言いつくも攻める相撲で4勝目。9月23日(日)に行なわれます高砂部屋千秋楽打上げパーティーのご案内です。

平成30年9月12日
巡業に行くのは、十両以上の関取と付人が一人。夏巡業には朝乃山の付き人として朝心誠(あさじんじょう)が付いていった。また、朝天舞が十両格行司木村朝之助の付人として出て、二人とも稽古に熱心に励んだそう。“三年先の稽古”という言葉があるように、今場所すぐに結果が出なくても、そのうち必ず血となり肉となるであろう(朝天舞は三年も待てないが・・・)。”稽古はうそをつかない”ともいう。朝乃山に土。明日は千代の国戦。国技館で販売中の高砂部屋ちゃんこ、初日2300杯超という過去最高記録だそうです。ありがとうございました。

平成30年9月11日
朝阪神虎吉、今年3月の大阪場所で本名に朝をつけた朝塩本から改名。地元だけに新聞等でも取り上げられ話題になった。しかしながら3勝4敗と残念な負越し。以後、5月も7月も3勝4敗と負け越してしまい、とうとう2年ぶりの序ノ口まで落ちてしまった。稽古場では大きな頭でぶちかまし一気に出るいい相撲も時折見せるものの本場所の成績に結び付かない。今日は得意の左おっつけから一気に出るいい相撲での白星。昨年九州場所以来の勝越しを目指す。朝乃山3連勝。あすは輝との一戦。

平成30年9月10日
2日目。朝乃山は会心の攻める相撲で2勝目。実力ある相手に対し、確実に地力をつけてきていることをみせた一番。あすは若手元気者同士の阿炎との対戦。休場中の4力士。朝弁慶、村田はリハビリをつづけ、寺沢はマワシを着けて四股やすり足ができるまでには回復してきた。大子錦は治療にあたりながらちゃんこ長として腕をふるっている。四力士とも、今場所は全休して治療に専念。

平成30年9月9日
9月場所初日。吹く風に秋の気配は感じるもののまだまだ残暑が厳しい日中。初めての幕内後半戦での土俵となった朝乃山、すこし立ち遅れ攻め込まれるも、土俵際柔らかさを発揮しての逆転勝ち。その朝乃山の幟は正面左側北門近くではためいているが、蔵前にあるお寿司屋さん『幸鮓』からの提供。ご縁があって時折寄らせてもらうが、創業60余年江戸前老舗の絶妙な味。多趣味で粋な大将は、お店で落語や講談の会もおこなう通人。朝乃山、あすは阿武咲。稀勢の里には貴景勝。

平成30年9月8日
午前10時より国技館土俵にて土俵祭り。最後に触れ太鼓が土俵を三周して、各部屋や街中へと繰り出し、あす初日の割り(取組)を呼び上げていく。朝乃山には妙義龍、稀勢の里には勢。 11時〜12時まで相撲教習所にて朝之助と二人での相撲塾。たくさんの方にお越しいただき、耳を傾けていただきました。ご清聴ありがとうございました。部屋へ戻ると、朝東の初ちょん髷姿。おでこがすでにコンパチ(デコピン)で腫れている。そこへ軽く一発入れて、お祝いを渡す。痛がりながらも嬉しそう。あす8時30分取組開始。

平成30年9月7日
毎場所中に地下大広間で提供される“国技館ちゃんこ”。今場所は高砂部屋ちゃんこで、前半戦がソップ炊き、後半戦は鳥塩炊きの予定です。正午から午後4時ころまで、1杯300円だそうです。そういう企画もあって、あす土俵祭り後に相撲教習所で行われる相撲講座(相撲塾?)を十両格行司木村朝之助と私(松田マネージャー)が担当することになりました。ちゃんこの話、高砂部屋の歴史、シコトレ、etc お話しする予定です。ご案内まで。

平成30年9月4日
再建は、葛西萬司工学博士の設計で竹中組が施行。火災の翌大正7年4月には地鎮祭を行い起工したが、大鉄傘を成す22本の鉄骨が組み上がった直後の8年3月20日、風速35mの強風にあおられ崩壊。現場で働いていた鍛治職の少年が下敷きになって即死、重軽症者数名という大惨事となった。協会の落胆は甚だ大きかったが、竹中組の昼夜にわたる突貫工事で同年11月には竣工。大正9年1月15日に開館式が行われ、横綱三段構えは栃木山に鳳、横綱土俵入りを、太刀持ち栃木山、露払い鳳の両横綱を従えた大錦が威風堂々務め、鉄傘下は万余の大観衆で立錐の余地もなかったと、相馬基『相撲五十年』に記されている。関東大震災による崩壊は、その栄華からわずか3年後でしかない。

平成30年9月3日
旧両国国技館は、大震災前にも全焼する惨事に見舞われている。大正6年11月29日、本場所の合間に行われていた菊人形大会の千秋楽、大成功を祝う打上げを行っていた1階売店から火が出て鉄骨までが溶けてねじ曲がるほどの全焼。隣の回向院までもが類焼をこうむったという。梅・常陸の人気で明治42年6月に開館されてからわずか9年目のことであった。本場所は靖国神社境内の相撲場で開催し、元横綱常陸山の出羽ノ海取締が中心となって国技館再建がすすめられた。

平成30年9月2日
きのう9月1日は防災の日。大正12年9月1日発生して10万5千人余もの死者を出した関東大震災にちなんだものだという。お昼時という時間帯と強風による火災が被害を大きくし、犠牲者の9割は火災によるものだったという。下町は軒並み火の海に包まれ、両国の国技館も炎上して屋根と柱だけを残して焼失。付近の相撲部屋も全滅。国技館の再建や宿舎の確保の問題等で、翌大正13年の春場所は名古屋市大池で晴天10日間の興行となった。名古屋場所のはしりといえるであろう。

平成30年8月30日
朝乃山、今日から時津風部屋へ出稽古に。出稽古から帰ってきた朝乃山に富山県警察本部からの感謝状贈呈式。富山で絶大な人気を誇る朝乃山が交通安全に一役買うことになったためで、高齢者に多い夜間の歩行者の交通事故防止のため、朝乃山のイラスト入りのリフレクター(反射材)が作成された。朝乃山の人気で反射材の普及を大いに推進したいという企画で、朝乃山リフレクターは、富山で行われる高齢者対象「交通安全いきいき教室」参加者に配布される。朝乃山からも、これで一人でも交通事故が減ってくれれば嬉しいとのコメント。時津風部屋出稽古は、横綱鶴竜ご指名のようで、しばらくつづく模様。

平成30年8月27日
9月場所番付発表。番付は、午前6時に国技館で配布されるので取りに行き部屋2階の大部屋で発送作業にとりかかる。番付を取りに行くのは先場所の勝越し力士3人。高砂部屋全員分の番付13020部(1000枚単位で梱包されている)を開き、師匠や関取のハンコを押して折り封筒に入れていく。朝乃山西前頭5枚目。玉木は幕下東4枚目。共に自己最高位。高砂部屋全力士の新番付です。6537000番目と6538000番目のお客様、送り先を書いてメールください。9月場所新番付と高砂部屋便り86号をプレゼントいたします。

平成30年8月23日
今日から平塚合宿。巡業組と怪我でリハビリ中の力士以外が、バスで平塚市総合運動公園内の合宿研修所入り。愛知県一宮市の中学3年生2人と、埼玉県の高校一年生1人も参加。平塚合宿は今年で25回目を迎え、夜の歓迎会では落合平塚市長も登壇してのご挨拶。平塚での夏の風物詩となっている。歓迎会の最後は、お客様には高砂部屋グッズの当たり、力士には金一封が当たるジャンケン大会。みんな目が真剣になっての熱い戦いだったが、朝東、朝興貴、朝虎牙が獲得。師匠から「今場所勝越し間違いなし!」と太鼓判を押されての笑顔。稽古は明日から26日(日)までの3日間、総合運動公園内の土俵にて午前7時半から。

平成30年8月20日
土俵はできたものの、砂がない。隅田川の底をあさろうか?浦安まで行っては?いろいろ意見はでるが、海砂は使えない。さぁ困ったと頭を抱えていると、呼出し松之助が「あったぜ!あったぜ!」と興奮して飛び込んできた。お隣回向院の大金庫の焼けた下に大量の砂をみつけた。大喜びで運び込んだ。砂が解決したと思ったら、今度は塩がない。塩は戦時下で厳しく制限されていたらしく、まず入手できない。そこで呼出し小鉄は、オガクズで代用してもらうことを藤島理事長に納得させ、昭和20年6月7日初日開催にこぎつけた。

平成30年8月17日
荻窪へ疎開していた呼出し小鉄が両国へ来てみると、多賀之丞(高砂部屋)等6人の呼出しが集まっていた。しばらくして小田原にいた太郎、厚木にいた寛吉とも連絡が取れ、土俵づくりがはじまった。幸い古い土俵は残っていたが、天井が穴だらけだから、雨を考慮して土俵を行司溜り側に移動した。土はあるが、俵がない。手分けして農村に出かけ、サツマイモを入れていた古俵と縄をもらい、焼けた土や小石、レンガ屑を包んで縛る。縄が足りないから、7か所縛るところを4か所か5か所にした。縄を着るナイフがないので、近所の焼けあとの台所からさびた包丁を掘り出して使った。

平成30年8月16日
軍部はもともと本場所開催を容認していたから、管轄の警視庁から許しを得て明神宮外苑相撲場で開催することになった。5月23日初日の予定が宮様の葬儀が入り25日に延期になったところへまた空襲。すべてが焼かれ相撲を取る場所を失った。さぁどうする?そこで、再び国技館案が浮上した。昭和19年2月から軍に接収され風船爆弾工場となっていた国技館だが、空襲で爆撃を受け穴だらけになり軍にも不要なものとなっていた。「6月7日から国技館で夏場所開催!」関係者へ通達が飛んだ(電報?)。まずは、土俵をつくらなければならない。各地に散らばっていた呼出しに召集がかかった。

平成30年8月15日
戦時下の大相撲については、元力士で相撲・演芸評論家として著書も多い小島貞二氏の『本日晴天興行なり』(読売新聞社)に詳しい。昭和20年に入り空襲が激しさを増し、部屋は焼かれ力士達は勤労奉仕のため各部屋や一門毎に全国各地に散らばっていた。東京の協会には元横綱常ノ花の藤島理事長を筆頭に元阿久津川の佐渡ケ嶽理事、元出羽ノ花の武蔵川理事等、役員が少人数残るのみ。賛否両論あったものの、「東京が焼け野原になったこういう時期でも本場所が行われているという気概を内外に示さなければならない」と藤島理事長が主張して開催することとなった。

平成30年8月14日
あす8月15日は終戦記念日。73年前の今頃、日本中が焦土と化したが、相撲界も大きな危機的状況にあった。国技館が軍に接収され、東京大空襲で焼かれ、各部屋も焼かれ、すべてが灰塵となった。しかし、そんな状況下の昭和20年6月、天井に大きな穴がいくつも空いた国技館で非公開ながら7日間の本場所を開催していた。

平成30年8月9日
先場所膝の怪我で途中休場した村田、痛めた膝の靭帯を手術。先週無事に退院でき部屋にもどってきた。まだ装具をつけ松葉杖での歩行だが、復帰へ向け歩みだしている。同じ東洋大学卒の寺沢は椎間板ヘルニアの手術を無事終え、リハビリしながら相撲教習所通いの毎日。朝弁慶も膝の手術を終えリハビリ中。怪我はつらく苦しいが、普段意識しづらい自分の心身と向き合うチャンス。くさらず、あせらず、うけいれ、深く感じ、真摯に向き合えば、自分をより高めてくれる。

平成30年7月31日
29日(日)に残り番の力士全員帰京。巡業組(朝乃山、朝心誠、~山、朝天舞)は28日(土)に約一カ月の巡業に出発。今日31日は福井県勝山市で、あすの小松を経て、8月2日(木)は富山県魚津市での巡業。名古屋場所11勝4敗で敢闘賞の朝乃山にとっては凱旋巡業となる。その後、北陸、東北、北海道をまわって25日(土)埼玉県春日部市より帰京、26日(日)KITTE場所を行い8月27日(月)が9月場所番付発表。今年の平塚合宿は8月24日(木)〜26日(日)までです。

平成30年7月22日
異常な暑さと波乱と世代交代とが織り重なり動きだした名古屋場所の千秋楽。朝乃山は新入幕だった昨年9月場所に次ぐ敢闘賞受賞だが、有終の美を飾れず祝賀会会場に来ても今一つ晴れない表情。師匠の挨拶にもあったとおり、一番の重みが、これから先どんどん増してくる。朝乃山本人も痛感したからこそであろう。玉木5勝目、朝鬼神と朝虎牙、朝東が自己最高位で3勝目。負け越したものの来場所につながる一番。何はともあれ今晩から一週間が力士にとっての至福のとき。

平成30年7月19日
序二段24枚目朝心誠(あさしんじょう)、地元名古屋市名東区の出身。相撲経験はまったくなく体にもさほど恵まれないものの稽古熱心で2年足らずで三段目49枚目まで番付を上げた(今年1月場所)。さすがに家賃が高かったようで、一勝しか上げられず、その後も負越しつづきだったが、ご当所名古屋で半年ぶりの勝越し。2年前の場所中に亡くなったお父さんへもいい報告ができる。朝乃丈も勝越し。朝乃山3敗目を喫するも、御嶽海も敗れて2差変わらず。

平成30年7月16日
7月22日(日)栄の中日パレス(中日ビル5階会場)で行なわれます高砂部屋千秋楽祝賀会のご案内です。中日ビル建替えのため、同会場での開催は今年が最後になります。来年からは千種区覚王山通8丁目「ホテル ルブラ王山」(地下鉄東山線池下駅2番出口徒歩3分)での開催となります。朝乃山9日目での勝越し。朝の稽古場にも日に日に記者の数が増えてきた。稽古後の囲み取材も日に日に長くなっていく。

平成30年7月15日
東洋医学では、“気”を生命のエネルギーとか宇宙を満たしているものだという。空手道禅道会の西川道場主は、気はエネルギーだとし、心と体をつなぐのが“気”で、心が弱いからうまくいかないのではなく、気(エネルギー)が弱いから、心と体がつながらないのだという。四股・テッポウは、単なる準備運動や足腰を鍛えるためのトレーニングではなく、気(エネルギー)の流れを高め、心と体をより強くつなぐためのものなのであろう。だから、毎日、何百、何千とくり返さなければならない。気を入れて。朝乃山7勝目。朝大門、朝心誠3勝目。勝越しまであと一つ。

平成30年7月14日
相撲は「心技体」とよく言われるが、もともとは「心気体」とされていた。戦前に元阿久津川の佐渡ケ嶽理事が著した『相撲道教本』には、「正しい相撲道とは、修心・養気・齊体の三者を以て修練の要諦とし、相撲は心・気・體(体)一致の力によるもの」、とある。心気体が一致してこそいい技が生まれる。朝乃山、少し攻め込まれるも、左上手を引き反応よく右から突き落として6勝目。心気体そろった思い切りのいい技。

平成30年7月13日
元明徳義塾相撲部監督浜村敏之氏が、7月10日入院中だった地元高知の病院で亡くなられ、本日告別式が行なわれた。浜村氏は、現師匠と近畿大学相撲部の同級生で、明徳義塾相撲部の監督として、横綱朝青龍、大関琴奨菊、関脇朝赤龍、栃煌山等、数々の力士を育て相撲界に送り込んでくれた。ここ数年体調がすぐれないという話は聞いていたが、62歳でのご逝去はあまりにも早い。心よりご冥福をお祈りいたします。幕下西筆頭村田、昨日の取組で膝を怪我して今日から休場。

平成30年7月11日
中日新聞は名古屋場所共催だけに相撲の記事が連日満載。スポーツ面に『きょうの一番』と題したコラムがあるが、今日は呼出し邦夫特集! 呼び上げの美声はもちろん、呼び上げの長さが通常7秒ほどなのに12秒もある等、データに基づいた観察が細かくおもろい。呼出しの声にのせられて力士の気合や館内の雰囲気も高まっていく。ご当所玉木2連勝上げるも、朝乃山に土。

平成30年7月10日
邪気、無邪気、雰囲気、元気、気力、病は気から、・・・。気を使った言葉は日本語の中に無数にある。それだけ気を感じていたのだろうが、現代人にとっての気は非科学的な印象が否めないであろう。また、気遣いと心遣い、気配りと心配り等、似たような表現も多いから、心とも混同されやすい。ただ心は、誰もがその存在を認め、心理学や脳科学、神経科学等の科学的研究も盛んに行なわれている。メンタルトレーニングも一般的になっている。気と心は似て非なるもの。気合の入った相撲で朝乃山3連勝。朝天舞も2連勝。

平成30年7月9日
豪雨による被害が日に日に大きくなり誠に心痛ましい。亡くなられた方のご冥福をお祈りし、一日も早い復興を祈るばかりだが、相撲界としては真摯に相撲に取り組み、内容ある相撲をお見せすることが一番であろう。そのためにも、力士ひとり一人が、四股・テッポウを、力強く、丁寧に、くりかえしてほしい。四股はもともと大地の邪気を鎮めるためのものであり、土俵にまっすぐ立つテッポウ柱を突くことが天の気に通ずるように思う。満員御礼の2日目。玉木初日。朝乃山2連勝。

平成30年7月8日
久しぶりの青空がのぞいた名古屋場所初日。高砂部屋序二段全力士5人と、つづく三段目下位2人まで、番付下位力士全員が取組と珍しい割りだったが、朝阪神こけて4連敗、朝心誠が初白星を飾るも、その後もパッとせずに3勝7敗のスタート。あすの三段目、幕下連に期待したい。 朝弁慶と寺沢は、先場所後に手術を行ない現在リハビリ中で休場。大子錦も療養のため休場。本職のちゃんこに専念して力士達の食を支えている。

平成30年7月7日
茨城県潮来市の木村洋氏が7月1日に突然亡くなられ、本日潮来で告別式がおこなわれた。木村さんは、6代目のときから高砂部屋を応援してくれ、7代目になってからも変わらず部屋を物心両面から支えてくれた。膝に痛みを抱えているのに、いつも笑顔で、まるで隣町へ来るかのように肉や野菜やお米等を潮来からわざわざ部屋まで届けてくれた。先日の下妻大宝八幡の合宿にも元気に顔を出してくれたのに。潮来でも、ボランティアや地域の活動など、いつも人の世話をやきつづけていて、潮来市長はじめ多くの方が告別式に参列。享年74歳。心よりご冥福をお祈りいたします。

平成30年7月6日
本日の中日新聞夕刊、6〜7面の見開きでは、“突き進め 地元の星”と題して、中部(愛知、三重、静岡、長野、富山、石川)出身力士を写真入りで紹介。番付順に、御嶽海、輝、千代の国と大きく紹介され、その横に少し小さくなって遠藤と朝乃山、それに十両志摩ノ海と明瀬山、そして幕下上位として村田、玉木の写真も。その村田、名古屋場所からはマゲを結う予定と紹介されていた通り、昨日5日の高砂部屋激励会で、ちょん髷姿を初披露。

平成30年7月4日
今日の中日新聞夕刊の裏面中央は“呼出し利樹之丞特集”。TV番組欄の下、紙面中央の大相撲特集vol5〜大相撲仕事人インタビュー〜が今日は「呼出」で、利樹之丞へのインタビュー記事。多くの写真と共に、呼出しの仕事の紹介、小学校6年生の時に郷里の山形での巡業で呼出し寛吉さんの声と姿に衝撃を受け入門に至った話、ホームシックにかかり小錦さんに助けてもらった話、これからのこと、伝統継承のこと、・・・ 語っています。20歳の頃の写真も出てます。

平成30年7月1日
初日1週間前日曜日恒例の龍照院境内でのちゃんこと餅つきの会。以前は、町役場で「ちゃんこ教室」という形で地元の方々にちゃんこを振舞っていたが、平成19年から現在のように宿舎龍照院境内でおこなうようになった。炊き出し用の大鍋2つに、300人前以上のちゃんこをつくるので材料の野菜も箱単位。材料切りは地元の主婦連が手伝ってくれるが、かれこれ10年も泥ゴボウのささがき専門の方も。「ゴボウ専門で、60歳のときからやっとるわ〜」と、包丁さばきも鮮やかに年に一度のちゃんこ祭りを楽しんでいるよう。まことにありがたい。

平成30年6月29日
陸奥部屋霧馬山が3日前から出稽古に来ている。霧馬山(きりばやま)はモンゴル出身の22歳で、入門して3年と少し。先場所幕下で7戦全勝の優勝を飾り。今場所は幕下3枚目まで番付を上げてきたホープ中のホープ。その幕下優勝を決めた7戦目の相手が高砂部屋朝鬼神であった。決定戦を戦った朝鬼神はもちろん、朝興貴、玉木、村田r等の幕下勢との申し合いや朝乃山にも胸を借り、連日泥まみれになっている。

平成30年6月26日
名古屋場所稽古はじめ。新しくつくり直された土俵は、四股を踏んでいても実に気持ちがいい。土俵から、大地から、エネルギーを、気を、体に通してもらえる心地よさがある。7時からはじめた稽古の途中、土俵を上げ(砂を中央に集め御幣を立て)、午前8時半より木村朝之助による土俵祭り。土俵祭りの日は、稽古場の北側のお家の方が、お祝いにとお赤飯を届けてくれる。これも、何十年とつづいていることで、誠にありがたい。場所前恒例の7月5日(木)に行なわれます激励会のご案内です。

平成30年6月25日
名古屋場所番付発表。7勝8敗だった朝乃山は、一枚落ちて西前頭13枚目。十両朝弁慶は幕下4枚目で、村田が西の筆頭。玉木東9枚目、朝鬼神25枚目、朝興貴は51枚目。三段目では朝大門が4場所連続勝ち越しで東10枚目。4勝すれば幕下昇進が濃厚な位置。三場所連続勝越しの朝虎牙も46枚目まで上げてきた。高砂部屋全力士の新番付です。6504000番目と6505000番目のお客様、送り先を書いてメールください。7月名古屋場所新番付と高砂部屋便り84号をプレゼントいたします。

平成30年6月17日
先発隊名古屋入り。名古屋駅には例年のごとく鈴木さん(7月5日)が車で迎えに来てくれて、一年ぶり(いや3月大阪でも会ったが・・・)の賑やかな再会。蟹江龍照院の宿舎に着いて、苦労しながら古いプレハブのカギを開け、しまってある自転車を出し、荷物を出し、畳を敷いてバルサンを焚いてといつもの作業。1年ぶりの自転車はほとんど空気が抜けているので、お隣の寺西さんの倉庫のエアーコンプレッサーをお借りして空気入れ。これも30年近くつづいていること。

平成30年6月16日
翌日晴れるといいが、翌日も雨だと、その翌日にもう一度触れ太鼓を廻さなければならなかったという。開催は、3日間も延びてしまう。それゆえ、10日間の相撲が一カ月かかることもあった。時は明治となり近代化がすすみ、相撲も梅ヶ谷・常陸山という両豪の台頭で人気を博したが、あの小屋掛けではという声が大きく、国技館建設へと機運が高まっていった。あす名古屋へ先発隊出発のため、荷物出し。大きな段ボール40個余り、ちょっとした引っ越し並みの荷物がトラックで名古屋へ。先発隊は明日朝新幹線にて移動。

平成30年6月13日
屋根付きの相撲常設館が出来たのは、明治42年6月。それまでは回向院内相撲場での晴天10間興行だった。相馬基著『相撲五十年』にその情景が記されている。「相撲場の周囲は戸板で囲み、天井には丸太を組み。その上に天幕を張り渡した。場内は13尺の土俵を囲んで、いわゆる砂かぶりから、雛段が一段ずつ高く築かれ、・・・(中略)・・・途中で雨が降ると、天幕の間から雨だれが落ちてきた。そして見物人が雨よけに騒ぎだし、取組が不能になると、入れ掛け(中止)になって、お客に翌日通用する「丸札」を渡した、とある。

平成30年6月12日
巡業は、今でこそ体育館でしか行なわないが、昔は露天(野外)が多かった。露天興行で一番心配なのが雨。何とか持ちそうだと強行するが途中から雲行きが怪しくなり、ポツリ、ポツリ。 一応土俵の上は囲ってあるものの大雨が降ると、土俵も客席もたまったものではない。そういう場合、“逆どり”といって、通常結びの一番となる横綱から、大関、三役と逆順で取組を行ない、雨が激しくなったら打ち止め、ということもあった。実際新弟子の頃、夏巡業で茨城辺りだったか、一度経験したことがある。

平成30年6月10日
茨城県下妻市大宝八幡宮合宿稽古初日。あいにくの雨模様にもかかわらず土俵を取り囲む観客席は満席。ちゃんこ場で300人前のちゃんこをつくる大子錦の補佐として力を発揮してくれるのが、"大宝のきみまろ"こと清ちゃん(6月9日)。毎年仲間数人でお手伝いしてくれていたが、みなさん体調を崩されたりして年々減っていき、今年は清ちゃんひとり。と、思ったら若手主婦連がお手伝いに来てくれ材料切りも短時間で完了。みなさんの協力で、それほど手を動かさなくてよくなった清ちゃん、口の動きはますます滑らかになって、ちゃんこ場は以前にも増す賑わい。

平成30年6月9日
第8回わんぱく相撲下妻場所。近隣の小学1年生から6年生まで60名ほどが集まり、個人戦と学校対抗の団体戦を行なう。4年生以上の4位までの選手は県予選へ出場して、8月に国技館で行われる全国大会を目指す。土俵際でくるくるもつれ合う攻防や水入りの大相撲もあり、捌く行司木村悟志は「本場所よりつかれます」との談。朝ノ島、朝虎牙がわんぱく相撲助っ人で大子錦がちゃんこ作りで先発隊として参加。午後3時半全員のりこみ先代宮司のお墓参り。夜、えびすやにて歓迎会。あす明後日7時半より稽古。

平成30年6月6日
今日から関東地方も梅雨入り。アジサイはしとしととした雨に映えるが、お相撲さんにとってはつらい季節。汗がしみこんだマワシが乾かずに固くなりすぎて締め心地が最悪になる。稽古マワシは、雲斎木綿(帆布)と呼ばれる厚地の木綿製なので、湿気を含むとガチガチに硬くなってしまう。天日干しをすると元の柔らかさを取り戻すが、梅雨時は干せないのがつらい。雨の季節、高下駄に番傘を差したお相撲さんの姿はアジサイに負けず雨に映える。ただし番傘を差せるのは幕下以上だが。

平成30年6月3日
今日で1週間の場所休みも終わるので勝越して実家に帰っていた力士も戻り、ガランとしていた大部屋がいつものにぎわいに戻っている。明日から再開される稽古にそなえ、土俵に浮いた砂を掃き取り、水を撒いてと稽古場にも日常がもどってきた。6月は巡業がないのだが、来週10日(日)11日(月)と下妻大宝八幡宮合宿のため土曜日から茨城に出発し、翌週17日の日曜日には名古屋場所先発隊が出発と慌ただしい。


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