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今日の高砂部屋
令和2年4月6日
電話やSNSはもちろんテレビもラジオもない時代、「相撲が始まります。明日が祖日です」というのを知らせる手段は、触れ太鼓しかなかった。初日の前日、触れ太鼓を廻し、晴天つづきだと太鼓はこの一回だけで済んだ。雨で中止になると、翌日の朝、雨が上がっていたら再び明日から(今日ではなく)再開しますと太鼓を廻した。そにため、雨が一日でも中休みは2日間になった。ただ雨上がりが日曜日になると即開場することもあった(風見明『相撲、国技となる』より)。東京に戻っての稽古2週目。先が見えないだけに1週間が長く感じる。

令和2年4月5日
現在本場所は、基本的に奇数月の第2日曜日が初日で第4日曜日が千秋楽と定まっているが、明治42年6月の国技館開館以前は、屋外での開催であったため、雨で初日が延期になることもあり、10日間が1か月近くに及ぶことも度々であった。明治以降に限っても、休みなしで10日間の場所を終えたのは3場所しかなかったそう。当時の番付表の中央「蒙御免」の下には、必ず「晴天十日之間」という文字が入っていた。それが、明治42年6月からは「晴雨二不関十日間」に変わった。現在は、開催日(令和二年三月八日)より十五日間、とのみ記されている。

令和2年4月3日
緊急理事会が開催され、初日を2週間延期して5月24日(日)からの開催を目指すことが決定。ただし、今後の状況次第で規模縮小や3月場所同様の無観客、更なる悪化では中止の可能性も。協会関係者全員の朝晩の体温測定も本日より再開。7月場所も2週間延期の7月19日(日)初日での開催を目指す。長い辛抱の一年となりそうである。

令和2年4月1日
今日から4月。通常なら桜の下での化粧マワシ姿の関取衆が絵になる春巡業やカランコロンと下駄を鳴らして相撲教習所に通う新弟子達が風物詩となる春の訪れだが、春巡業も相撲教習所も中止の為、全員部屋での稽古はじめ。新大関ということで取材も多いが、3月場所同様に代表取材のみの厳戒態勢での稽古がつづく。4月27日(月)が5月場所番付発表の予定だが、日々の感染者拡大のニュースを見るにつけ、状況は厳しさを増すばかり・・・。

令和2年3月25日
朝乃山の大関昇進が正式に決まり、大阪場所宿舎久成寺(くじょうじ)において大関昇進伝達式。師匠である元大関朝潮が大関昇進の使者迎えたのも全く同じ部屋でのこと。37年の時を経ての再現で、「大関の名に恥じぬよう、相撲を愛し、力士として正義を全うし、一生懸命努力します」と力強く落ち着いて口上を述べた。床の間に飾られた掛け軸は、元横綱朝潮の5代目高砂親方が先代の住職に贈呈した、鏡里、栃錦、若乃花から千代の富士、隆の里、双羽黒まで当時存命していた17名の横綱の貴重な手形。偉大なる先輩横綱達が、「はやくここまで来い」と呼びかけてくれているように思える場面でもあった。

令和2年3月20日
今場所最大の見せ場であり最も注目を集めた一番は、横綱白鵬の気迫が上回ったようで3敗目を喫し大関獲りと優勝に向け一休み。これで白鵬戦3連敗だが、かの双葉山が昇進していくときに壁となったのが横綱玉錦で、年2場所時代、初顔から4年間6連敗と全く勝てなかった。それでも正攻法を貫き、7度目の挑戦で初めて玉錦を破り、覇者交代の一番と相撲史に刻まれた。以後は4連勝と一度も負けることなく、玉錦の急死で対戦が終わった。来場所以降も正攻法の挑戦を続け覇者交代を遂げてほしい。

令和2年3月19日
朝乃山、2桁10勝目。大関昇進への第一関門突破で、明日からの横綱・大関戦で文句なしの昇進決定といきたいところ。明日が横綱白鵬戦。優勝の可能性も高まってきたので、両方のお祝いの準備をすすめなければならない。異例の無観客場所もいよいよ大詰めで、関取は残り3日間、幕下以下は残り1番。出場20名中、勝越し7名、負越し7名、3勝3敗6名。

令和2年3月18日
今日から後半戦で残り5日間、ようやくここまで来たという感じ。3月2日以来、朝夕の体温測定が義務付けられ毎日Faxする。報告書は1週間分が1枚になっているから、ようやく最後の3枚目に入り、ゴール間近というところ。体温は起床時と就寝前の一日2回。起床時は稽古場で稽古前に測るから問題ないが、就寝時間はバラバラなので、9時過ぎには既に夢の中の力士も。ただ、そういう力士も上半身裸で寝ているので脇の下に体温計を差し込むと、一瞬びくっとするも相変わらず夢の中。裸族もこういうときには有り難い。朝乃山9勝目。朝弁慶、村田、朝大門5勝目。

令和2年3月16日
前相撲の朝勝令朝大洞、二番出世披露。三段目取組途中に土俵上で披露されるから、通常はお客さんもそこそこ入っている中で拍手や「がんばれよ〜」という声援に包まれるが、異例の出世披露。もっとも当人達は通常を知らないからよくわからないだろうが・・・。これで来場所から番付に四股名を載せることになる。朝ノ島3人目の勝越しを決めるが、朝乃丈、朝興貴、寺沢と敗れて負越し4人。朝乃山7勝目。

令和2年3月15日
師匠にとって大阪は第二の故郷と言える地で、大学生活4年間を過ごし、入門も大関昇進も初優勝も引退も全て大阪場所であった。学生時代から近大相撲部長岡の応援団であった後輩連は、40数年経った今でも学生時代の先輩後輩の関係のまま師匠を部屋を応援してくれている。先発隊や後発隊の新大阪までの車での出迎え、体育館までの送迎、ときに買い出し、食事、・・・師匠はもちろん、力士や裏方まで様々なサポートをしてくれ感謝この上ない。今場所はコロナ騒動でちゃんこの振る舞いも出来ないが、無事15日間務め上げ好成績で応えるしかない。村田、朝鬼神、朝心誠勝、越しまであと一つの3勝目。朝乃山2敗目。

令和2年3月14日
幕下東3枚目の朝弁慶が4連勝での勝越し。これからの成績次第ではあるが、5枚目以内で勝越し1番乗りで2年ぶりの十両復帰が大いに近づいてきた。体調万全とはいえないが、大きな体を生かした思いきりよく攻める相撲が怪我の予防にもつながっている。三段目附出しの深井、今日も前に出る相撲で4連勝勝越し。朝玉勢も初日以来の白星で2勝目。残り8日間。

令和2年3月13日
江戸後期から明治にかけてコレラが大流行して何万人規模での死者を何度か出している。ただし当時は交通網や人の移動が限られていたため、被害はある地域に限定的で、およそ半年くらいで収まりをみせた。そのため、興行差し止めの期間もあったが、年2場所ということもあり、初日をひと月ほど遅らせて開催にこぎつけられた。年6場所且つネットワークが世界的な現代は、より困難な状況になっている。朝乃山に土。三段目朝大門と深井が3連勝。そろって明日給金相撲。前相撲の15歳コンビ朝勝令と朝大洞2勝目を上げ、9日目の2番出世披露が決定。

令和2年3月12日
“相撲の殿様”として知られる横審初代会長酒井忠正氏の『相撲随筆』には江戸勧進相撲の盛衰について詳しい。江戸で春秋の年2場所が恒例となった宝暦末年頃(1763〜4)から慶応4年までの100余年の間、本場所が中止になったのは僅か8回にしかすぎなかった。天明の大飢饉の頃に3回、安政2年の大地震、安政5年の江戸大火の為などの理由による。政情やお上の都合よりも庶民の支持あっての興行だったのであろう。朝乃山、不戦勝での5連勝。あす5連勝同士御嶽海戦。幕下3枚目朝弁慶3連勝。

令和2年3月11日
大相撲が興行として行われたのは江戸中期からだから、およそ300年近くにもなる。その間、時代の波に翻弄されるように盛衰を繰り返してきたが、最大の危機だったのが、先の大戦の終戦前後と明治維新の前後だった。時代変革の荒波の中、慶応4年3月勝・西郷による江戸城開城後5月に上野の戦争があったが、6月に回向院で10日間開催。9月8日に明治と改元され榎本武揚が函館五稜郭を占領して政情不安がつづく11月にも回向院で10日間開催している。朝乃山、貫録の4連勝。前相撲の15歳二人に初白星。

令和2年3月10日
新型コロナウイルス感染症対策として全協会員(力士、親方衆、行司、呼出し等裏方)に起床時と就寝前の体温測定が義務付けられている。3月2日から計測が始まったから今日で9日目だが、意外なのが、思ったより若い力士の体温が低い事である。夏場、近くにいると暑いことこの上ないから平熱が37度を超える力士が多いのではと思っていたが、逆に朝は35度台の力士もいるくらい。行司、呼出しのおじさん連中の方が朝の体温が高めである。最近若い力士に病気やケガが多いのにも関連することかもしれない。無観客3日目。力士達も少5し慣れてきていい相撲が多かったように思える。朝乃山3連勝。

令和2年3月9日
無観客場所2日目。大阪場所が開催されるエディオンアリーナ大阪(大阪府立体育館)は、他の開催場所よりも狭いのだが、TV画面を通してみてもやけに広く感じられる。初日に比べ館内の静寂と広さに少し慣れた気もするが、寂しさがより増したような気もする。大相撲の面白さは、観客と一体となってつくり出されるのだと改めて痛感する。朝乃山、今日も落ち着いた相撲で2連勝の滑り出し。粛々と自分の相撲をとりきるしかない。三段目附出し深井、初土俵を白星で飾り、前相撲の二人は初白星ならず。
15日間無事に終えることが前提ですが、千秋楽打ち上げパーティーは規模を縮小して開催する方向で準備をすすめています。

令和2年3月8日
史上初の無観客場所初日。午前8時40分に取り組み開始で序ノ口7番目の取組だった大子錦は普段から観客のほとんどいない土俵で取り慣れているが、「いつもと全然ちがいます」。三段目最後の取組に登場の朝天舞、200kg超の相手を電車道で寄り切り、雄叫びを上げんばかりに体を反らせての気合。こちらは無観客でもいつもと変わらない。取組前は、あまりに「シーン」として違和感があったというが、勝った後は喜びで自分の世界に入り込めるから関係ないとのこと。十両取組途中に行われる初日恒例の協会御挨拶。今回は全幕内力士と審判の親方衆と共に「・・・相撲の持つ力が大地を鎮め、邪悪なものを押さえ込み、人々に感動を与え平安が戻るよう15日間努力する所存・・・」という理事長ご挨拶。まことに千秋楽までの無事を祈るばかり。朝乃山、朝玉勢白星発進。

令和2年3月7日
あす初日を迎える3月大阪場所、無観客開催となりましたが高砂部屋から3人の新弟子が初土俵を踏みます。村田、寺沢につづき東洋大学相撲部から3人目となる深井。石川県羽咋(はくい)市出身で2日目に三段目附出しデビューとなります。前相撲には愛知県一宮市出身の野田改め朝勝令(あさしょうれい)と朝大洞(あさおおぼら)の15歳中学3年生コンビが登場します。

令和2年3月6日
昭和20年夏場所は、5月23日から明治神宮外苑相撲場で開催予定だったが、空襲で明治神宮も被災し使えなくなった。両国国技館は19年2月に接収され風船爆弾工場になっていたが、3月の大空襲で焼け落ち放置されていたので、幸いにも使えることになり、6月7日国技館で初日となった。とはいっても屋根は穴だらけで晴天7日間、非公開で傷痍軍人のみが招待され、十両以上の取組だけが行われた。幕下以下の取組は役員立合いの元、春日野部屋で行われた。横綱双葉山は初日に出て小結相模川を破り白星。2日目から休場するから、これが現役最後の取組になった。取組編成会議が行われ、初日朝乃山に隠岐の海、貴景勝に高安、大栄翔に鶴竜、白鵬に遠藤。

令和2年3月5日
無観客開催場所が決定して5日。力士並びに関係者一同、戸惑いはあるが、決められたことにしたがい本場所を務めあげなければならない。2日に行われた師匠会で細かな注意事項が各部屋に伝達され、毎日の体温測定や熱が出た場合の連絡先等が告知されている。土俵祭りは無観客での開催予定、触れ太鼓や本場所中の寄せ太鼓、跳ね太鼓はなし、NHKとAbemaTVの相撲中継はあり、協会ご挨拶、物言いの説明は行い、懸賞もあり。もろもろ明日6日に開催予定の年寄総会と理事会で再確認される。

令和2年3月1日
本日の理事会で3月場所の無観客開催が決定いたしました。それに伴いまして、部屋稽古場への報道陣の入場、部屋関係者の稽古見学もご遠慮いただくことになりました(一般の方の稽古見学はもともとご遠慮いただいております)。ご理解とご協力下さります様お願い申し上げます。

令和2年2月27日
2月29日(土)開催予定の高砂部屋激励会は、新型コロナウイルス拡大予防のため中止することとなりました。ご参加予定だった皆様には誠に申し訳ありませんが、ご理解とご了承いただけますようお願い申し上げます。

令和2年2月24日
3月大阪場所番付発表。東の関脇2場所目朝乃山への期待は大きく、午後1時からの記者会見には大勢の報道陣。師匠同席で大阪場所へ向けての決意を語る。朝玉勢、東から西への半枚だけ落ちて西十両2枚目。幕下朝弁慶東3枚目、朝興貴17枚目、寺沢32枚目、1年半ぶり幕下復帰の村田は57枚目。序二段朝童子が自己最高位更新の23枚目。7081000番目と7082000番目のお客様送り先を書いてメールください。3月場所新番付と高砂部屋便り104号をプレゼントいたします。
大阪場所前恒例のl高砂部屋激励会、予定通り開催の方向ですすめています。ホテルとも相談の上、感染症拡大予防対策には十分注意を払いますが、体調の優れない方は、無理をなさらずご来場をお控え下さいますようお願い申し上げます。

令和2年2月21日
例年より暖かな日がつづき、土俵築やちゃんこ場、部屋のセッティング等も順調にすすみ、先発隊の仕事も一段落。村田、寺沢につづいての入門が決まっていた東洋大学相撲部の深井拓斗(たくと)君が大阪場所宿舎に合流。石川県羽咋(はくい)市出身で昨年の全国学生相撲選手権大会ベスト8の実績があるため三段目附出しデビューとなる。180cm、140kgで突き押し相撲が得意とのこと。

令和2年2月16日
雲州松江藩松平不昧公は好角家として知られ、雷電為右衛門や稲妻雷五郎はじめ多くの力士を抱えたが、播州姫路藩の酒井公も相撲好きで知られ、初代高砂浦五郎をお抱えになったお殿様であった。初代高砂は、江戸末期から明治にかけて活躍した千葉県出身の高見山という四股名の力士だったが、ある事件をきっかけに酒井のお殿様から姫路の名所である高砂の浦にあやかった高砂浦五郎という名前を授かった。先発隊大阪入り。

令和2年2月14日
小林一茶は信州生まれだが、文化元年(1804)から4年間ほど両国近くの本所相生町(現墨田区緑1丁目)に居を構えていた。あの雷電為右衛門が活躍していた頃(引退が1811年)で、くにもん(同郷)の雷電の取組も目にしたかもしれない。年齢は一茶が4歳上になるのだが交流はなかったのであろうか。その頃に詠んだであろう句が、〜うす闇(ぐら)き角力太鼓や角田川〜 草相撲や宮相撲もよく見たようで、〜草花をよけて居(すわ)るや勝角力〜勝角力虫も踏まずにもどりけり〜負角力むりにげたげた笑けり〜 等と、詠んでいる。

令和2年2月13日
江戸文政から天保年間に活躍した第7代横綱稲妻雷五郎は人格者として知られ風流も解し佳句を残している。〜青柳の風に倒れぬちからかな〜あらそわぬ風に柳の相撲かな〜 筋骨逞しく力も強かったそうだが、力に頼らぬ相撲の境地を極めていたことがうかがえる句。雷電と同じ雲州藩お抱えで、〜雷電と稲妻雲の抱えなり〜という川柳も生まれた。引退後は藩の相撲頭取をつとめ明治10年76歳で没。辞世の句は、〜稲妻の去り行く空や秋の風〜

令和2年2月12日
出羽錦忠雄さんは、引退後NHKの解説者として独特な味のあるユーモア溢れる解説で人気を博したが、現役時代から”いいとこ売り”で有名だった。おなじく“いいとこ売り”の元若松部屋床山のよっさん(6月16日日記)から、いろいろ,“いいとこ話”(12月17日、18日日記)を聞かせてもらった。解説中に即興で俳句や川柳も詠んでいたのが懐かしい。〜勇退の伯父にはなむけ初賜杯〜曙が朝日に変わる九月場所〜   毎年2月恒例の力士献血デー。

令和2年2月11日
訃報。元高稲沢の斉藤悟氏が亡くなりました。愛知県稲沢市の出身で平成9年に入門、平成18年1月場所で引退。引退後は故郷に戻り、介護関係の仕事に従事していた。10年ほど前から体調を崩し透析をつづけながらの生活であったが、名古屋場所の折には時々部屋にも顔を出し、力士を体育館まで送迎してくれたりもしていた。まだ39歳の若さ。心よりご冥福をお祈り申し上げます。本日午後6時より稲沢愛昇殿(稲沢市駅前3丁目1−5 0587−33−0004)にてお通夜、明日午前10時告別式。

令和2年2月10日
関脇笠置山は、引退後年寄秀ノ山として協会の要職に就き、双葉山の時津風理事長の右腕として活躍。決まり手70手の制定や公認相撲規則の条文化も行った。相撲に関する著書も多く、旺文社スポーツ・シリーズ『相撲』、『相撲範典』、『相撲のとり方』、『日本の相撲』等多数ある。以前、大阪高砂部屋宿舎の久成寺のお彼岸法要に来られていた高僧は、奈良郡山中学の後輩だったそうで、中学生の頃から優秀で後輩からも随分慕われていたという話を伺ったこともある。〜勝角力両国橋や風かほる〜笠置山

令和2年2月9日
フジテレビの日本大相撲トーナメント。1977(昭和52)年から開催されている大会で、今年が44回目。第一回目の優勝者は横綱北の湖で、昨年は大関高安が初優勝。大会の模様は16時5分からフジテレビ系列で全国放送(CS放送は14時30分〜16時5分)。大会は両国国技館にて行われるが、両国駅西口隣の「江戸NOREN 土俵前エリア」にて富山観光物産展が午前11時から午後7時まで開催されている。富山特産品の販売と併せて『朝乃山コーナー』も設けられているそうです。

令和2年2月8日
笠置山断髪式が行われた大隈講堂壇上には土俵がつくられ、栃錦と出羽錦による“初っ切り”も行われた。栃錦が十両筆頭、出羽錦が十両7枚目と幕内を目前にした頃であったが、二人の初っ切りは絶妙のコンビだったらしく、尊敬する兄弟子の為に一肌脱いだ。「二人の最後の初っ切りでした」と出羽錦が語っている。通常ハサミを載せる三方を持つ介添えは行司さんの役目だが、出羽錦は介添えも務めた。断髪式で切り落とされた大銀杏を笠置山は、「マゲはいらない、講堂の窓から散らしてくれ」といい、一句詠んだ。〜もとどりの切られる窓に落葉かな〜

令和2年2月7日
双葉山引退相撲の翌日昭和21年11月20日、関脇笠置山の断髪式は早稲田大学大隈講堂で行われた。笠置山は、奈良郡山中学で柔道で鳴らし、スカウトされて昭和3年に出羽海部屋入門。部屋から早稲田中学、早大第一高校と通い、早稲田大学でも相撲部で活躍。、卒業後にプロ入りの予定であったが、春秋園事件で7年2月に幕下附出しでデビュー。8年3月大学卒業時には十両力士として大銀杏姿で卒業式に臨んだという。日刊スポーツのちゃんこ鍋特集で富山の食材を使ったちゃんこやおかず。朝乃山の名前が入った大きな蒲鉾や富山の銘酒数々が贈呈される。2月25日の東京版にて掲載予定とのこと。

令和2年2月6日
小島貞二著『本日晴天興行なり』によると、国技館の土俵で引退相撲と断髪式を同時に行ったのは双葉山がはじめてだという。明治の角聖常陸山は引退相撲を4日間国技館で行いマゲは出羽海部屋で切り、同じく梅ヶ谷も3日間の引退相撲のあと雷部屋でマゲを切った。引退相撲はファンに対する感謝のイベントで、断髪式は儀式、両立させるべきではないというしきたりがあったという。国技館以外(後楽園球場や靖国神社相撲場)で引退相撲をする場合に限り、土俵上での断髪式が行われたという。豆まきや健康診断があり、今日から稽古始め。取材記者多数。

令和2年2月5日
昭和21年秋場所は、「メモリアルホール」と改称された国技館で開催された。千秋楽の翌日11月19日双葉山の引退相撲が行われ、本場所以上の超満員の観客が双葉山最後の土俵入りに涙した。その後紋付きに着替え、師匠立浪と並んで土俵上で挨拶したあと、土俵上にゴザが敷かれ正座して断髪式がおこなわれた。東の土俵下からそれを見上げていた万太郎は、色紙と筆を取り、独特の小さな字で一気に書き上げたという。〜一生に二度と来ぬ日の小春けふ〜

令和2年2月4日
酒はよく飲んだものの意外と無趣味だったという万太郎は、相撲見物にはよく足を運んだ。昭和28年は、まだ鎌倉材木座に住んでいた頃だが、東京場所には初場所、夏場所、秋場所と通い、夏場所NHKの大相撲中継がはじまったときにはゲストとして招かれたそう。そのとき詠んだのが、〜夏場所や土俵いのちの名寄岩〜夏場所やもとよりわざのすくひ投げ〜夏場所やけふも溜りに半四郎〜夏場所の土俵灯れりすでにして〜夏場所とより五月場所風薫る〜

令和2年2月3日
19代伊之助(現伊之助は41代)は謹直ながら愛嬌があり、“ひげの伊之助”と人気があった。その名を一躍有名にしたのが、昭和33年9月場所初日の北の洋と横綱栃錦の一番。北の洋が出足よく寄るのを土俵際で栃錦が突き落とし、伊之助の軍配は栃錦に。すぐに物言いがつき行司差し違えの判定。これに対し伊之助は、「北の洋の肘が早かった」と自慢の白ひげを震わせ、激昂して猛抗議。審判長が「いい加減にしろ」と諌めるものの抗議は13分にも及び、伊之助は翌日から出場停止処分。ところが、翌日の新聞写真では確かに北の洋の肘が早く、「伊之助涙の抗議」と同情を集めたという。そのとき万太郎が詠んだのが、〜正直にものいひて秋深きかな〜
節分会。師匠と朝乃山、朝玉勢は鎌倉長谷寺へ。その後師匠は、下妻大宝八幡宮へも。

令和2年2月2日
久保田万太郎は、明治22年浅草田原町の生まれで、小説や戯曲、俳人としても高名である。生まれ育った浅草下町の義理と人情を愛し、相撲も好んだ。相撲は秋の季語だが、昭和28年、それまで秋に行われていた大阪場所を3月に春場所として行うことになったため、東京の一月場所を初場所と呼ぶようになり、以来「初場所」は新年・新春を表す季語となった。万太郎がさっそく「ことしより“初場所”というものはじまる 二句」として詠んだのが、〜初場所にとゞきし梅のたよりかな〜  〜初場所やかの伊之助の白き髭〜

令和2年2月1日
今日から2月。「一月往(い)ぬる 二月逃げる 三月去る」というそうだが、まことに早い。2月は、今日が豪風引退相撲で9日(日)大相撲トーナメント(パンフレットは朝乃山特集)、11日(火・祝)は福祉大相撲と花相撲がつづき、豆まきや健康診断、献血等もあり、またたく間に過ぎてしまう。さらに今年は研修会(4日〜7日)もあり、何かと追われるような日々がつづく。という間に、16日(日)には大阪先発隊が出発。ほんとうに逃げるように過ぎてしまいそう。すぐに3月春場所を迎えることになる。

令和2年1月24日
関脇朝乃山、勝越し。あと2日ともに白星を重ねれば2ケタ10勝に届く。十両12枚目朝玉勢は7敗目と剣ヶ峰、残り2日間に勝負をかける。13日目を終えて、勝越し4人、負け越し11人、勝越し可能性ありの力士5人。

令和2年1月21日
関取復帰を目指す幕下6枚目の朝弁慶、中日の相撲で勝ったものの足を痛め休場。あすから再出場して勝越し目指す。朝乃山の付人頭を務める幕下49枚目の朝鬼神、高熱のため本日休場不戦敗。3連敗中だった十両朝玉勢はしぶとく粘り、最後は思い切りよくとったりで決め、星を五分に戻す。朝乃山、不覚をとって4敗目。優勝争いから後退。10日目を終え勝越し未だ出ず、負け越し6力士。明日から後半戦、残り5日間。

令和2年1月18日
近畿大学相撲部の伊東監督が亡くなられた。朝乃山と朝玉勢の恩師であり、師匠の後輩であり若松親方の先輩にあたり部屋とも付き合いが深く長い監督で、驚きと無念極まりない。監督として大相撲の世界に教え子を大勢送り込んだ指導力はもちろん、小さな体ながらアマチュア横綱を勝ち取った居反りの大技は今でも強烈に印象に残っている。まだ55歳という若さで、これからの朝乃山や朝玉勢の出世を楽しみにしていたであろうに。ご冥福をお祈りいたします。

令和2年1月17日
1月場所が初場所と呼ばれるようになったのは昭和28年からで、それ以前は春場所と呼ばれていた。それまで10月頃秋場所として行われていた大阪場所を三月に開催することにして春場所としたため、1月場所が初場所になった。江戸勧進相撲の頃は、1月春場所と10月秋場所が晴天10日間で興行されていたので有名な川柳が生まれた。〜一年を二十日で暮らすいい男〜  朝乃山、朝玉勢共に勝って4勝目。三段目村田3連勝。

令和2年1月16日
双葉山70連勝ならずの報は、日本国中を大きく揺るがせ新聞の号外も出た。安芸ノ海の左外掛けが決まったのだが、どの新聞も決まり手を右外掛けと間違えた。双葉山は掛けられた右足を跳ね上げ右から下手投げを打ったため、安芸ノ海の体は大きく飛び、双葉山は左肩からどっと落ちた。落ちた体勢を見ると右外掛けで倒れたように見え、相撲観戦歴数十年のベテラン記者も全員間違えた。それほど驚天動地のことであった。当時はVTRもデジカメもない時代、現像して焼きあがってきた写真を見ると左の外掛けである。記者連中は言葉を失った。その中で相撲記者重鎮の彦山光三が言い放った。〜写真必ずしも真ならず〜
朝乃山3勝2敗となって明日から中盤戦。

令和2年1月15日
昭和14年1月場所は、今年と同じく15日が4日目。この日が相撲史に残る双葉山70連勝成らざるの日。国技館は大鉄傘を揺るがす大興奮に包まれたが、負けた双葉山の態度は平素と変わりなかった。勝ち続けているときも同様で、12年5月玉錦を破った晩に同席した『宮本武蔵』を執筆中の吉川英治は、熱気と喧騒に包まれる中静かに酒を嗜む双葉山の姿に感銘を受け一句したためた。〜江戸中で一人さみしき勝相撲〜
幕下以下13人も土俵に上がったのに勝ったのは朝ノ島と朝乃土佐の不戦勝の2勝のみ。こういう日もたまにはある。朝玉勢、動きよく3勝目。朝乃山に土。

令和2年1月14日
大正5年1月場所は14日が初日。前日13日に夏目漱石が推理作家物集芳子宛てに次のような手紙を書いている。「明日から国技館で相撲が始まります。私は友達の桟敷で十日間此春場所の相撲を見せてもらふ約束をしました。みんなが変な顔をしてそんなに好きか/\と訊きます。相撲ばかりぢやありません。私は大抵のものが好きなんです」 漱石が贔屓にしていたのは横綱太刀山だそうだが、この場所は休場で残念がっていたであろう。〜相撲取の屈託顔や午(ひる)の雨〜漱石
朝乃山、会心の相撲で3連勝。明日は阿炎戦。朝玉勢2勝目。村田2連勝。

令和2年1月13日
2日目成人の日。高砂部屋では、序二段朝童子と朝東が成人式を迎える年齢。力士の場合は本場所中であり式典に参加することはできないが、部屋で女将さんから成人祝いのプレゼントをいただく(三段目だと雪駄、序二段は下駄)。朝乃山2連勝、朝玉勢に初日。1月26日(日)に行われます高砂部屋千秋楽打ち上げパーティーのご案内です。〜初場所の力士二十歳となりにけり〜 岸本尚毅

令和2年1月12日
太鼓の高い音が響く冬空の初日。よく響く高い声の呼び上げで定評のある呼出し利樹之丞、今場所から幕内格行司に出世。4年ほど前新聞に68歳の方から次のような投稿があった。「あの“栃若時代”に無類の美声の持ち主“呼出し小鉄”がいた。館内に響き渡る透き通った声。観客はせきひとつしない。その緊張感の中で、両力士は土俵に上がるのだった。(中略)そして半世紀以上を経た今、“小鉄”のごとく透る声の呼び出しさんが現れた。“呼出し利樹之丞”である。(中略)よもや“小鉄”のような呼び声を、二度と聞くことなどないと諦めていたのだが、再来してくれた」〜呼び出しの高き聲音や小名月〜常盤優
朝乃山、御嶽海を破っての白星スタート。

令和2年1月11日
午前10時より国技館土俵にて土俵祭り。三役以上の力士は、羽織袴を着て出席することになっており、朝乃山も先場所に引き続き参加。国技館正面玄関には大きな門松が飾られ、初日の日は「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」と新年の挨拶があちららこちらで交わされ、お客さんも和装の方が多く、華やいだ雰囲気がいっぱいの初場所。一般的には7日までが松の内だが、国技館のお正月はあすからはじまる。〜初場所のすまねば松の取れぬ町〜石川星水女

令和2年1月10日
取組編成会議が行われ、初日と2日目の取組が決まる。新関脇朝乃山は、平幕に落ちた御嶽海との対戦。小結までは、前半戦に横綱大関との対戦が組まれるが、関脇になると前半戦は下位との対戦で、後半戦に上位との対戦となる。今朝は、締め込み(本場所用のマワシ)を締めての調整。白鵬に大栄翔、鶴竜に遠藤。明日朝10時から土俵祭り。触れ太鼓が初場所の始まりを告げ令和2年の大相撲がはじまる。〜初場所やひかへ力士のくみし腕〜久保田万太郎

令和2年1月9日
近年スポーツ界では科学的トレーニングが進化し、筋力はもちろん心肺能力、乳酸値、・・・さまざまな測定値がデータ化されパフォーマンスの向上に役立てている。そういう観点からすると、“相撲力”は、測定のしようがなく非科学的な代物になってしまう。測定できなく客観的なデータが示されないから非科学的になってしまうが、実は現代の科学水準で及ばないほど複雑で高度な概念だから測定できないのだと感じている。複雑なものを目に見えるように分析するのではなく、複雑なものを複雑なまま扱うのが“相撲力”という概念なのだと思う。朝乃山、今日から部屋で調整。

令和2年1月8日
横綱双葉山は、当時の幕内力士のなかで自他ともに認める非力の代表格で、腕相撲をやらせたら双葉山より強い力士は数多くいたという。ところが相撲を取ると、みんな簡単に投げ捨てられてしまう。著書の中で双葉山は、「いわゆる『腕の力』と『相撲力』とは違ったものです。力士のなかには、腕力の非常に強いものもあるのですが、ただそれだけでは、自分だけいかに力んでみても、相手にはさほど応えない場合があるのです。『相撲力』というのは、下腹と腰から出てくる力ー要するに体ぜんたいから出てくる力で、訓練により、体力の充実にともなって、備わってくるものです」と、記している。朝乃山、昨日から時津風部屋への出稽古。

令和2年1月7日
最近では耳にする機会がめっきり減ったが、“相撲力”(すもうぢから)とは、文字通り、相撲を取るのに役に立つ力こと。単なる腕力や筋力と違い、技術やメンタル要素も含めた総合的な力で、まさに心技体三位(さんみ)一体の力というとますますわかりにくいが、『相撲大辞典』によると、相撲を取るときに全身の動作によって作り出される全体的、統一的な力のこと、とある。運動科学者の高岡英夫氏は、パワーに粗雑なラフパワーと精制度の高いレフパワーがあるとし、レフパワーの代表的なものとして“相撲力”や合気道の“呼吸力”を挙げている。

令和2年1月6日
新関脇朝乃山、昨日は元横綱稀勢の里の荒磯親方から声がかかり田子ノ浦部屋へ出稽古。 「20番近くやったすけど1番しか勝てなかったです」(ネットによると16勝1敗)と完敗だったもよう。現役時代に胸を借りたことがあったが、ケガから再起を図っていた頃で、「のびのび取っていて現役の時より強いかったす」と舌を巻いていた。稀勢の里の“相撲力”(すもうぢから)を膚で感じたことは、これからの相撲人生にとって大きなプラスとなることであろう。今後も機会あるたびに続けていってほしいもの。今日は、一般非公開での横綱審議委員会総見稽古。朝乃山、朝玉勢、寺沢が参加。

令和2年1月3日
令和2年度稽古始め。といっても今日は、5代目と6代目のお墓参りに行くので、四股とぶつかり稽古のみで上がり、頭を直して大型バスで出発。部屋にもどって全員で記念撮影。朝、おたがいに「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」という挨拶を交わし、明日からは初場所に向けての本格的な稽古始め。2020年度高砂部屋の一年がスタートする。

令和2年1月2日
年間最多勝3位は、ダークホース的存在だった朝乃丈。これまでの最高位は5年半前の三段目11枚目で、1勝しか上げられなく、それ以降三段目中位と下位をうろうろしつつ序二段に落ちたこともあった。1年前の初場所三段目下位で負越したものの3月場所から5勝、4勝、5勝、5勝と4場所連続の勝越しで新幕下昇進を33歳にして果たした。史上二位のスロー出世記録。ネガティブな発言は相変わらずだが、「どうでもいいっすよ」と言いながら本場所では緊張するタイプだったのが、緊張せず地力を発揮をできるようになり昇進につながった。今場所も5勝すれば幕下復帰の可能性があり、博多帯(高砂部屋では博多帯は幕下2場所目から)を締めてヒタチを決められる(格好をつけられる)。

令和2年1月1日
新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
令和になって初めて迎えるお正月。令和2年は庚子(かのえね)。ネットによると、庚は植物の成長が止まって新たな形に変化しようとする状態で、子も新しい生命が兆し始める状態とある。大相撲界での世代交代を予感させるが、まだ新たな芽が出てくるまでにはいかないのだろうか。何れにせよ、その変革の先頭に立つのが朝乃山になるであろう。部屋の稽古始は3日から。6日に横審総見稽古(一般公開なし)で、12日(日)が初日。

令和元年12月31日
幕下以下年間最多勝2位は27勝15敗の朝弁慶。昨年5月場所で1年半ぶりの再十両となったものの膝を怪我して二場所全休、三段目まで番付を落としていた。回復が長引き、歩くのもままならない状況だった昨年11月場所、強行出場して4勝3敗と勝越し。これで気分的に吹っ切れたようで膝が悪いなりの相撲を取り切って1月場所三段目優勝。その後も膝の状態は一進一退だが、幕下6枚目まで番付を戻してきた。年齢的にも30を超え、寺沢とは違った意味での勝負の年になる。大晦日。今年も一年お世話になりました。佳いお年をお迎えください。

令和元年12月30日
昨日29日が稽古収め。稽古終了後、手締めを行っておかみさんからお年玉を頂き、ちゃんこと掃除を終えて解散。解散の前に、幕下以下力士の年間最多勝の表彰が若者会からあり、上位3名の優秀力士に金一封が贈呈される。2019年の年間最多勝は寺沢で29勝6敗。前相撲はカウントしないから5場所での成績で、勝率8割3分の高率。序ノ口からの再起だから実績からすれば当然ともいえるが1年前前相撲で稽古も出来なかったのに、1年たって幕下15枚目まで番付を上げてきた。そして現在は、朝玉勢と共に朝乃山の稽古相手になり連日胸を借りるまでに回復している。2020年は勝負の年になるであろう。

令和元年12月28日
2019年は、1月玉鷲、3月白鵬、5月朝乃山、7月鶴竜、9月御嶽海と毎場所優勝力士が替わる一年であったが、納めの九州場所は白鵬が3月に続いて今年2度目の賜杯。新小結朝乃山は11勝を上げて初技能賞。朝玉勢が幕下2枚目で5勝2敗の成績を上げ、一場所での十両復帰決定。高砂部屋勢は1月三段目朝弁慶、3月序ノ口寺沢、5月幕内朝乃山、7月三段目寺沢、9月序ノ口村田と各段優勝が続き、11月も序二段村田が優勝決定戦に出場し年間グランドスラム達成かと期待されたが、敗れて成らず。

令和元年12月27日
2019年の大相撲、9月秋場所は両横綱の相次ぐ休場と大関陣の不振で大混戦。御嶽海が決定戦で貴景勝を下して2回目の優勝。後半戦まで優勝争いに加わった前頭2枚目朝乃山は10勝5敗で2回目の殊勲賞受賞。横綱鶴竜から初金星獲得。怪我から復帰の村田が序ノ口優勝を決め、高砂部屋は今年に入って5場所連続での各段優勝。新十両朝玉勢は5勝10敗の成績で幕下陥落決定。三段目16枚目の朝乃丈が5勝を上げ翌11月場所で新幕下昇進。33歳での昇進は史上2位のスロー出世記録。

令和元年12月26日
師走は行事や雑務に追われ、しばらく日記に空白ができてしまいました。今さらですが、振り返ってみたいと思います。16日(月)はホテルニューオータニにて高砂部屋激励会&クリスマスパーティー、朝乃山人気で例年より大勢のお客様にお越しいただきました。18日(水)19日(木)と東関親方の葬儀が高砂一門葬として行われ部屋一同も参列とお手伝い。あまりにも若すぎる旅立ちでした。20日(金)は東京富山県人会連合会を母体とした東京朝乃山後援会の発会式。22日(日)には部屋でおもちつき。24日(火)が番付発表で、新関脇昇進の記者会見。今日は2月に行われますフジテレビ大相撲トーナメントのパンフレット用の写真撮影とインタビュー。29日に稽古収めで新年の稽古始は3日より。今年も残すところあと5日となりました。

令和元年12月25日
昨日、新年初場所の新番付発表。朝乃山、東の新関脇に昇進。午前10時より師匠同席で記者会見が行われ、稽古場上がり座敷溢れんばかりの報道陣。注目度の高さが伝わってくる。再十両朝玉勢は東12枚目。少し余裕を持って取れそう。幕下は、朝弁慶6枚目、寺沢15枚目と上位に二人。22枚目に朝興貴、25枚目朝天舞とつづき、朝鬼神は49枚目。三段目は、幕下から落ちた朝乃丈18枚目、序二段から戻った村田21枚目。序二段朝童子49枚目、朝翔73枚目と自己最高位を更新。7032000番目と7033000番目のお客様、送り先を書いてメールください。令和2年初場所新番付と高砂部屋便り102号をプレゼントいたします。

令和元年12月12日
7月名古屋場所、5月場所の優勝で三役昇進が期待された朝乃山だったが、東前頭筆頭止まり。場所前宮城野部屋に出向き横綱白鵬の胸を借り、大関2人を破る活躍をみせるものの7勝8敗と負け越し。幕下3枚目の玉木、最後の一番に勝って勝越し。新十両昇進を決め、朝玉勢に改名を場所後に発表。三段目で朝天舞と寺沢が7戦全勝同士で同部屋対決。寺沢が勝って三段目優勝を決めた。訃報。昨晩、元潮丸の東関親方が亡くなりました。41歳という若さでした。ご冥福をお祈りいたします。

令和元年12月7日
令和初の本場所かつトランプ米大統領観戦という異例の場所となった5月場所。西前頭8枚目朝乃山が12勝3敗で初優勝を飾る快挙達成。高砂部屋からの幕内最高優勝は、平成22年1月場所の朝青龍以来。朝青龍引退以来、複数の記者が部屋に来ることはなかったが、5月場所6日目以降恒例となった。千秋楽や場所後の会見等、久しぶりの忙しさを味わった。6月の茨城下妻や富山射水での合宿も朝乃山フィーバーがつづく。お米や宮崎牛、ビール、野菜、・・・、数々の副賞の恩恵もおよそ10年ぶりのことだった。

令和元年12月5日
平成最後の場所となった3月大阪場所は横綱白鵬が全勝優勝で復活。栃ノ心が大関から陥落して貴景勝が昇進と入れ替わり。東前頭8枚目の朝乃山は、10日目まで7勝3敗と好調だったのに生ガキにあたり、まさかの5連敗で負け越し。師匠に不養生を叱責される。椎間板ヘルニアの手術から復帰の寺沢が序ノ口優勝。愛知県一宮しから15歳の朝翔が入門。力士数が久しぶりに20人になった。

令和元年12月4日
2019年も大相撲界にとっては激動の一年でした。一月場所横綱稀勢の里が4日目に引退発表。横綱鶴竜、白鵬が途中休場して優勝を飾ったのは関脇玉鷲。西前頭8枚目の朝乃山は、初日から5連敗するも中盤以降立て直して8勝7敗の成績。膝の怪我のため番付を三段目まで落とした朝弁慶が三段目優勝を飾り、腰のケガで一年を棒に振った寺沢が前相撲から再起の新年初場所となりました。高砂部屋全体では67勝60敗と勝越し。

令和元年12月3日
平成から令和となった一年、朝乃山にとって飛躍の年となりました。新年さらに飛躍できますよう、他の力士も続きますよう願い年末恒例の高砂部屋激励会が開催されます。以前にもご案内した通り今年は12月16日(月)午後6時より紀尾井町ホテルニューオータニ鳳凰の間にて。師走を迎えてご多忙の折とは存じますが、皆様のお越しお待ちいたしております。


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