Last modified 2014,4,15


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今日の高砂部屋
平成26年4月15日
まるいボールは、いくら転がっても壊れないが、角があると転がるたびに衝撃を受け、そのうち壊れてしまう。大根やニンジンの面取りと同じことである。角をなくすように体をまるめて転ぶ。本来バラバラな骨と筋肉のつなぎ合わせである人間の体をボールのようにまるくするのが受け身であり、バラバラな骨や筋肉をひとつにまとめるのが四股や腰割りなのであろう。今週も浅香山親方が弟子二人と共に出稽古に。

平成26年4月13日
転がるときには、必ず相手の右胸にぶつかり、右足と右腕を前に出し、右肩から転がっていく。前に出す右腕は腕(かいな)を返す。そうすると、右拳の小指側から前腕外側、肘、上腕外側、右肩、肩甲骨、背中、左腰と順についていき、まるく転がることができる。きれいに転がれると、砂は右肩から左腰にかけて斜めにつく。まるく転がれると気持ちよいが、少しでも力みがあると、角がどこかぶつかってしまい痛くもあるし気持ちよさもない。ベテランになると、ぶつかり稽古でも転ばなくなるが、そうすると怪我をしやすくなってくる。

平成26年4月12日
相撲の受け身は、ぶつかり稽古のときにくり返し行なう。胸を出してもらう相手の右胸にぶつかって、右肩から柔道の前回り受け身のごとく転がる。柔道は畳を左腕で叩いて衝撃を和らげるが、相撲は拳を握ったまま転び起き上がる。柔道出身者は、はじめのうち土俵を手の平で叩いてしまうクセがなかなか抜けない。また手の平を広げると手の平に砂がつき、胸を出す力士の胸にも砂がついてしまうので、「手を握ろ」とくり返し指導する。起き上がる受け身は、合気道の受け身に近いといえるのかもしれない。

平成26年4月11日
教習所では、四股やテッポウ、スリ足、股割りなどの基本と共に、受け身の稽古も行なわれる。相撲、柔道の経験者にとっては楽にこなせることだが、経験のないものにとっては、裸で固い土俵の上で転がることは恐怖感を伴う。怖がると、腰が引けたり横向きに肩から突っ込んでしまいがちで、よけいに痛めてしまう。まーるく転がれるようになると、どんなに固い所でも平気になる。教習所を半年前に卒業した朝上野、まだまだ転ぶのが苦手で稽古終了後に受け身の特訓。

平成26年4月10日
教習所の現役指導員には、生徒のいる部屋の幕下、三段目の兄弟子があたる。高砂部屋からは、最近ずっと~山が指導員として出向いている。胸を出すのがうまいので、親方衆からも重宝がられているそう。あまり朝が強くない~山だが、毎朝自転車での教習所通い。指導員は、自転車通勤が許されている。~山の前は、朝乃土佐が指導員を務めていた。モンゴル出身の新弟子が増えた時期があり、幕下だった朝赤龍が指導員を務めたこともある。

平成26年4月9日
相撲教習所には、場所後の休み明けの月曜日から番付発表まで通う。それを3期つづけて卒業となる。昭和58年11月場所後に1期生として入学した時には、その年の7月場所初土俵の3期生と、9月場所初土俵の2期生が在校生でいて一緒に授業を受けた。3期生には新出羽ノ海親方となった小城ノ花がいて、こっちが3期生になった昭和59年3月場所の1期生には、元琴錦の秀ノ山親方や大至らがいた。教習所で一緒だった力士同士は、1期、2期違っても同期生的な親しみがある。

平成26年4月8日
当時(つい最近までだが)は、竹刀片手にの指導が当たり前だった。国技館周りのランニングのときにも、自転車にまたがって竹刀を振り回しながら追いたててくる。ときに二日酔いの赤ら顔のまま奇声を発しながら最後尾の力士を追いたてる様は、かなりの狂乱ぶりで迫力があった。その親方に妙に気に入られたのかどうか、親方の車の掃除やクリーニング等、部屋が違うのに付人のような教習所生活だった。今となれば懐かしい思い出だが、当時はけっこうトホホな毎日であった。

平成26年4月6日
入門当時の若松部屋は両国2丁目にあったから、隅田川沿いを上り蔵前橋を渡っての教習所通いであった。教習所に着くと2階で着替え、マワシを締めて1階の稽古場に下りる。点呼のあと国技館の周りを走らされる。稽古場に戻って、腰割りや四股の実技。四股を踏んでいると、指導教官の親方が怒鳴るように何か言ってきた。早口で何と言っているのかさっぱりわからない。「えっ?」 二度ほど聞き直すと、「いい四股ふむなぁって言っているんだよ!」と、竹刀が思い切り飛んできた。

平成26年4月5日
入門したのは昭和58年11月場所で、場所後の12月から相撲教習所に通った。教習所は、蔵前国技館を入って右側に、別棟で建っていた。1階が稽古場と風呂場で、2階が教室と教官室。「のたり松太郎」には、蔵前国技館の相撲教習所が当時のまま描かれていて、30年も前の情景が鮮やかによみがえってくる。そういえば明日4月6日午前6時半よりアニメ『暴れん坊力士!!松太郎』がTV朝日系列で放映されるそう。錦戸部屋、東関部屋、浅香山部屋からも出稽古に来て賑やかな稽古場。

平成26年4月3日
相撲教習所が出来たのは昭和32年10月から。蔵前国技館の頃である。もともとは、昭和30年6月国技館内に“相撲道場”がつくられ、双葉山の時津風親方が指導普及部長として道場の責任者に就任したことに始まるのだそう。昭和32年に時津風理事長が誕生して、相撲道場は“相撲研修所”を経て“相撲教習所”となった。初代所長は、元栃木山の先代春日野親方が就任したという(もりたなるお『相撲百科』瓶俊文庫より)。

平成26年3月31日
今日から稽古再開。新弟子二人は相撲教習所が始まり、早朝5時50分に部屋を出てカランコロンと慣れない下駄で国技館通い。4月24日(木)の番付発表の前日まで教習所通いがつづく(土日は休み)。番付発表後は部屋での稽古(番付前も土曜日は部屋での稽古だが)。5月場所前恒例の横綱審議員稽古総見の一般公開は、4月29日(火)午前7時から。その前、26日(土)と27日(日)に大相撲超会議場所が幕張メッセにて開催されます。

平成26年3月29日
初代西ノ海の7代目井筒と8代目井筒(2代目西ノ海)までは高砂一門の色が濃かったのであろうが、9代目(元幕内星甲)は双葉山との縁が深かったようで、戦時中の昭和19年42歳の若さで亡くなると、弟子は双葉山道場に預けられた。その弟子の中から種子島出身元幕内鶴ケ嶺が昭和22年に井筒部屋を再興、10代目井筒となった。10代目井筒親方の息子さんがベースボール・マガジン社『相撲』元編集長の下家義久氏。その後、一時部屋が消滅したり、現解説者の北の富士さんが12代目井筒を名乗ったりもしたが元関脇鶴ケ嶺が13代目井筒を襲名して現在の14代目に引き継がれている。ゴザをはが掃除機をかけて1ヵ月半お世話になった久成寺を後にして帰京。朝赤龍と朝興貴、利樹之丞、木村悟志は巡業地伊勢へ出発。

平成26年3月28日
第71代横綱鶴竜は、井筒部屋としては91年ぶりの横綱だという。91年前の横綱は、3代目西ノ海嘉治郎。西ノ海嘉治郎は、初代から3代までみんな横綱で、初代西ノ海は、高砂部屋から独立して井筒部屋を興した。3代とも鹿児島県出身で、途中部屋が途絶えたこともあったが、元関脇鶴ケ嶺の先代(13代目井筒)までは鹿児島県出身力士が多かった。強引に歴史をたどれば、高砂部屋~山が雲龍型綱締めの手伝いに出向くのも、初代西ノ海(7代目井筒)からのご縁といえるのかもしれない。荷物を東京へ送り、あすお昼過ぎに帰京。

平成26年3月27日
あすが新横綱鶴竜の明治神宮土俵入りの為、今日井筒部屋にて綱打ち。雲龍型の綱締めを唯一体験している現役力士である~山、場所休みの月曜日の麻もみから連日の井筒部屋通いで、今日がいよいよ綱打ち本番。糠で揉んで柔らかくした麻を10mほどの長さのキャラコ(上質綿)のまん中にたっぷりと入れ、両端へ麻を巻いたバン線を伸ばし、キャラコで包み、三本よりあわせていく。初めての綱打ちは、紅白のねじり鉢巻きを締め、太鼓の音頭で「ひーふのみ、イチ二ノサン」と、一門の力士、親方衆総出で威勢よく行なう。綱打ちがお祝いであり、お祭りである。

平成26年3月26日
巡業は慣れてしまえば何ともなくけっこう楽しくもあるが、初巡業のときは勝手がわからず緊張の連続である。巡業会場ではもちろん、移動の列車やバス、宿でも、他の部屋の兄弟子や関取衆、親方衆と一緒で、まずそのことに緊張する。バスの座る位置、宿での風呂や食事の順番、洗濯(コインランドリー)、会場までのバス、明荷の積み下ろし、・・・ しきたりや流れを覚えるまでは緊張の毎日で、失敗を重ねながら日々成長してゆく。

平成26年3月25日
春巡業は3月30日(日)の伊勢神宮奉納大相撲から始まる。31日(月)は門真市、4月1日(火)に京都で行ない、一旦帰京。4日(金)が靖国神社。以後、藤沢、富士、前橋と週末毎に関東近郊をまわる。巡業に参加するのは十両朝赤龍と付人一人のみ。いつも朝ノ島が出ていたのだが、今回の春巡業は朝興貴が出ることになった。巡業に出ること自体初めてのことなので、ホッとする場所休みに入ったとはいえ、ドキドキハラハラ、緊張と不安の場所休みを過ごしている。

平成26年3月24日
10日間の満員御礼が出た春場所、鶴竜の初優勝と横綱昇進で千秋楽となった。土俵入りは、時津風一門の祖横綱双葉山にならい雲龍型となるもよう。さっそく雲龍型だった朝青龍の付人を務めた~山に連絡が入り、春巡業の数日間は綱締めの助っ人に参じることになった。大兄弟子は、こういうときに役に立つ。

平成26年3月19日
春場所も後半戦に入りようやく春到来。高砂部屋一同は、大子錦と朝乃丈の二人が負越し。勝越し未だなしと、春まだ来たらず。網膜はく離で休場中の朝天舞、手術後の経過は順調なようで、来場所での捲土重来を期して基礎トレーニングに余念がない。場所後に膝の手術を行う予定の朝西村、こちらは半年、一年後を見据えた復帰への道のりとなる。3月23日(日)に行なわれます高砂部屋千秋楽打上パーティーのご案内です。

平成26年3月17日
新序二番出世披露。三段目取組途中午後一時頃に、朝健真朝河西の二人も朝赤龍関の化粧回しを借りて土俵上で晴れ姿を披露。二番出世の30人が土俵上に蹲踞し、「愛知県出身 高砂部屋 朝健真」「愛知県出身 高砂部屋 朝河西」と、ひとりひとり紹介され、立ち上がって礼をする。全員の紹介が終わったところで行司さんが、「ここに控えおります力士儀にござります、ただ今までは番付外にとらせおきましたるところ、当場所日々成績優秀につき、本日より番付面に差し加えおきまするあいだ、以後、相変わらず御引き立てのほど、ひとえに願い上げ奉ります。」と口上を述べ、行司さんの「起立」「礼」「右」「礼」・・・、と四方に礼をして土俵を下りる。

平成26年3月16日
十両格行司の木村朝之助。昨日の取組中、力士との接触を避けようとして無理な体勢で踏ん張ったところ、ふくらはぎから「ブチッ」という音。つづく一番を何とか捌ききったものの(一日2番の捌き)、自慢のふくらはぎが更に太さを増し今日から無念の休場。行司さんにとっても土俵の上は、ある意味危険と隣り合わせの戦いの場である。三段目15枚目の朝興貴。今日の相手は、おやつにミカンを1箱食べるという体重270kg超の大露羅(おおろら)。真っ向勝負の突き合い押し合いで、1分余りの熱戦を制した。地力がついたことを証明する価値ある2勝目。

平成26年3月15日
前相撲は原則非公開で、体育館開場の前午前8時20分から行なわれる。ただし、力士の親族は見学できる。朝健真朝河西の二人は愛知県の出身。名古屋大阪間もずいぶん近くなったので、先日は朝河西の母親が、今日は朝健真の家族が観戦に名古屋から早朝来阪。残念ながら二人共、勝ち名乗りを親に届けることはできなかったが、親子にとって想いで深い一日となったことであろう。前相撲の二人は、9日目に二番出世披露をうけることになっている。

平成26年3月14日
勝越せば三段目昇進となる序二段11枚目の朝上野、2連勝のスタートだったが、今日は土俵際腰が浮いたところを吊られうっちゃられての負け。巨体力士にありがちなことだが、四股やスリ足で、ついつい腰高になってしまう。「負けて覚える相撲かな」というように、本人も、腰を割ることの大切さが少しは身にしみてわかったよう。明日からの稽古に期待したい。朝弁慶、自己最高位幕下20枚目で2勝1敗と順調な前半戦。

平成26年3月13日
昭和36年『相撲』からの記事を紹介。総勢200人余りの出羽一門のちゃんこ番は8班制。毎朝4時起床で、朝5時半には親方衆も稽古場に顔を出す、とある。谷町筋沿いの本政寺に宿舎を構える二所ノ関部屋は、大関大鵬人気で女性客が絶えなくチャンコ場までのぞきにくるとのこと。一門100人のチャンコは、米一俵、魚はおかみさんが陣頭指揮で買い出しに。部屋に売りに来た小魚を天津灘が一はんだい(?)買い、おかみさんに10円で売ったとの記事も。前相撲朝健真が初白星。

平成26年3月12日
3月23日(日)に行なわれます、恒例の高砂部屋千秋楽打上パーティーのご案内です。今年も、昨年にひきつづき梅田大阪ヒルトンにての開催です。みなさまのお越しをお待ち致しております。

平成26年3月11日
昭和36年4月号の雑誌『相撲』は、春場所総決算号で、大阪場所宿舎の様子が記されている。この頃は、一門ごとに稽古やちゃんこが行なわれていたようで、隆専寺、菩提寺というお寺に本家出羽海の他、春日野、小野川、三保ケ関の力士ら200人余りが寝起きする、とある。200人余りのちゃんこは、米が三俵、しょう油は一樽が三日に一本、味噌が五日に一本で、この日のちゃんこはスキヤキとの記事。前相撲の朝健真朝河西、今日が初土俵。

平成26年3月10日
宿舎久成寺へ北國新聞社がタニマチの取材に。相撲通には周知のタニマチの語源である谷町筋界隈は、寺町とも呼ばれ、かつては相撲部屋の大阪場所宿舎が軒を連ねていた。昭和36年の雑誌『相撲』によると、谷町筋谷8信号の角の本政寺に大関(当時)大鵬の二所ノ関部屋。谷九の交差点を越えた生国魂神社の先の隆専寺に出羽海部屋、隣の菩提寺に春日野部屋。通り一つ隔てた銀山寺には花籠部屋、その隣の大宝寺に立浪部屋と、お相撲さんであふれかえっていた。ただ現在は、久成寺高砂部屋を残すのみとなってしまっている。雪もちらつくほど冷え込んだ2日目。今日は6勝1敗の好成績

平成26年3月9日
風の冷たさは残るものの晴天の春場所初日。2時頃、会場の大阪ボディメーカーコロシアム大阪府立体育館に出向くと、正面玄関前は黒山の人だかり。玄関前の歩道も狭いため、関取衆の入り待ちの相撲ファンの人いきれで熱気むんむん。これも大阪場所ならではのこと。注目の遠藤の取組に満員御礼の館内の興奮も最高潮に達し上々の幕開け。高砂部屋では、ちゃんこ長大子錦が地味に白星を上げるも、朝乃丈、朝赤龍と負けて、1勝2敗のスタート。

平成26年3月6日
元朝乃翔の小塚氏の紹介で、関西学院大学出の宇良(うら)選手が出稽古に来る。宇良選手は171cm85kgと小兵ながら、足取りや反り技を得意として、選抜和歌山大会と西日本選手権で準優勝、世界コンバットゲームス軽量級優勝、全日本選手権ベスト16と、アマ相撲界にキラ星のごとく現われた新星である。小さくても全身を合理的に使った動きは、俊敏かつしなやかで柔らかく、幕下20枚目の朝弁慶とも五分以上の稽古内容。4月から4年生になるが、ぜひ高砂部屋で大相撲界の救世主となってもらいたい逸材である。

平成26年3月5日
朝乃翔の小塚氏がお客さんを連れて部屋へ。小塚氏は、現在大阪の総合物流企業の営業マンとして第一線で活躍しながら会社の相撲部の監督も務めている。現役時代は、ちゃんこよりも喫茶店のランチ派であったが、よかたになった今、「うまい」「うまい」とおかわりまで。引退して、いろいろな経験を積み重ね、ちゃんこ(人生)の味がしみてきたからこその現在の活躍なのであろう。本人は「しがないサラリーマンですから」と謙遜するが、関取経験者としては稀な活躍例なのではなかろうか。

平成26年3月3日
今日から朝弁慶、朝興貴、朝乃丈の3人は近大へ出稽古に。本来毎年一緒に近大に通っていた朝天舞は、部屋残り。その朝天舞、大阪に入る前に網膜剥離になってしまい手術して昨日ようやく退院。残念ながら今場所休場となるが、今日から早速四股やスリ足に汗を流している。ご当所の朝西村も、膝の回復が思わしくなく手術することになり、今場所は休場となる。ぜひ、自分の相撲や身体や動きを見つめ直すいい機会ととらえて、復帰に向けて歩いていってもらいたい。

平成26年3月2日
昨日新弟子検査が行なわれ、高砂部屋から受検の金井健真君と河西優斗君の二人めでたく合格。二人共愛知県出身で、金井健真君は一宮北部中学3年生で柔道部だが、相撲の試合にも何度も出ている相撲経験者。河西優斗君も同じ愛知県で北名古屋市訓原(くんぱら)中学3年生。こちらは野球部で頑張ってきた。新弟子検査には着物を着ていくが、「着物を着ると、みんなの視線を感じますね!!」と、半分嬉しげで、半分恥ずかしげ。注目される存在であることを肝に銘じて、これからの相撲人生を全うしてもらいたい。昨日が場所前恒例の激励会。1200人近くのお客様に盛大に励ましていただく。

平成26年2月27日
春場所新弟子検査は3月1日(土)に行なわれるが、高砂部屋からは二人受検することになっている。共に愛知県の一宮市と北名古屋市の中学3年生で、卒業式を3月6日に控えているからまだ在学中ではあるが、23日の日曜日から大阪宿舎入りして見習い稼業の毎日が早速始まっている。 中3だから若いのは当たり前だが、生年月日を聞くと改めてビックリ!の平成10年生まれ。会話を交わす中で、「一ノ矢さんて、最近まで現役だったんですか?」と聞かれたので、「おう、6年ほど前までな」と答えると、「いまいくつなんですか?」の問いに「53歳」と言うと、「うちのおばあちゃんと変わらないんですね」と、きて、ガックリ!お母さんが33歳で、おばあちゃんが58歳とのこと・・・ さもありなん。

平成26年2月26日
毎年大阪場所前恒例の学生相撲出身力士を励ます会。以前は、東日本と西日本とが別々に開催していたが、現在は合同での励ます会。高砂部屋からも近畿大学出身の師匠と若松親方、琉球大学出身の松田マネージャー、東海学園大学出身の朝西村と4名が出席。学生相撲出身力士は現在、幕内に12名、十両に10名、幕下以下までを含めた総数は60名余り。関取の3分の一近くを占め、全力士のほぼ一割にものぼる。当初注目の遠藤も出席予定だったため、報道陣も多数詰めかけたが、結局欠席で肩透かし。

平成26年2月24日
3月場所番付発表。朝赤龍が西十両3枚目。先場所5勝の朝弁慶は自己最高位更新の幕下20枚目。序二段4枚目で7戦全勝の朝興貴は、思ったほど上がらず三段目15枚目。朝乃丈も自己最高位の三段目36枚目。高砂部屋全力士の新番付です。5477000番目と5478000番目のお客様、送り先を書いてメール下さい。春場所新番付と高砂部屋便り32号をプレゼント致します。

平成26年2月23日
全員大阪入り。三月場所で新弟子検査を受検する名古屋の中学3年生2人も来阪。全員そろって、毎年恒例のコノミヤちゃんこ朝潮徳庵店でのちゃんこ会。大阪後援会の方々とも一年ぶりの再会だけに話の花が咲く。おかみさんのお父さんのコノミヤ芋縄会長も元気な顔を見せ、力士にとっても何よりの激励になる。大阪も厳しい寒さが続く毎日だが、あすが番付発表で浪速の春は大阪場所からの季節到来。

平成26年2月21日
土俵築き。土俵を掘り起こして土をならし、水を撒いて力士がタコで突き固め、呼出しさんがクワの刃で円に切り掘って俵を埋め込み、もう一度タコで突き、タタキで仕上げる。明後日全員大阪入りして24日が番付発表。25日から新しい土俵で稽古がはじまる。毎年大阪場所前恒例の高砂部屋激励会のご案内です。ご出席いただきますと、大阪後援会一般会員となりまして、一年間番付表を送付いたします。

平成26年2月19日
中島教授によると、個人競技だと思われがちな大相撲界において、力士は完全な会社人間だという。序章で、大相撲の力士たちは実に年功的な賃金体系に守られ、定年65歳の終身雇用は日本的経営組織で、年寄株不足は日本の年金制度の将来を暗示しているようと、述べている。現在の相撲協会に近い組織になって250年余りも続いているのには、経済学的に見てもそれなりに合理的な理由があるのだという。

平成26年2月18日
慶応大学教授の中島隆信氏は、大相撲ファンとして知られ相撲協会のガバナンス委員会の副座長も務めた。専門の経済学の立場から大相撲を語った『大相撲の経済学』(東洋経済新報社)は、一見特異な世界に思われる大相撲のシステムが、実に伝統的な日本的経営システムで成り立っているということを示唆して非常に興味深い。グローバル化、年金問題、潜在失業、・・・ 現在の日本社会の問題を先取りしたような大相撲の問題点や、これからの在り方も浮かび上がってくる。呼出し利樹之丞と邦夫も大阪入り。明日から一門各部屋の土俵作り。

平成26年2月16日
先発隊5人(大子錦、朝弁慶、朝興貴、朝上野、松田マネージャー)大阪久成寺入り。そこへ地元大阪で膝の治療中の朝西村も合流して6人での先発。とりあえず今日は部屋にゴザを敷いて寝られる部屋作り。晩飯は、毎年恒例のちゃんこ朝潮鴫野店。地下鉄に乗ると、大阪のおっちゃんが、「お相撲さん大きいなぁ、生で初めてみたわぁ!ごっついなぁ!」と嬉しそうに話しかけてくる。それを座って見ている大阪のおばちゃんもニコニコ顔。こういう雰囲気も大阪場所ならではのこと。

平成26年2月13日
場所毎に協会から支給される場所手当は、現在幕下15万円、三段目10万円、序二段8万円、序ノ口7万円の金額。地方場所は全額支給だが、東京場所では上記金額から1万5千円〜3万円源泉された金額になる。さらに、その中から鬢付け油代、番付代、若者会費、強制貯金1万円等が差っ引かれた分が手元に残る。昔と違って最近は、携帯電話代の支払いなどもあり、ある程度兄弟子になっても厳しい状況のよう。

平成26年2月10日
公益財団法人となると税制面で優遇措置を受けられる。本場所や巡業が公益目的事業と見なされ非課税となる。しかしながら、相撲協会を構成する相撲部屋や親方、関取は、それぞれ個人事業主としての所得税、住民税は支払う。また給料はなく、場所毎の場所手当てのみの若い衆も源泉徴収(年末調整である程度戻ってはくるが)と住民税の支払いはあり、住民税の支払いには結構みんな苦労している。

平成26年2月3日
今朝の読売の社説でも取り上げられているが、相撲協会が公益財団法人の認定を受けた。新制度となり、今までの財団法人からの移行で、これまで通りに税の優遇措置を受けられることになった。財団法人としての歴史は、大正14年12月28日にさかのぼる。小さな大横綱栃木山が引退し、大正12年9月の関東大震災で全焼した国技館が再建され、大阪相撲と合併して大日本相撲協会として出発したときのことである。節分会。師匠は鎌倉長谷寺と茨城大法八幡宮、朝赤龍は静岡での豆まき。

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