d HYPER 高砂部屋 Last modified 2017,7,22


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6600000番目のお客様はメールを下さい。高砂部屋チャンコご招待&粗品を進呈致します。
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今日の高砂部屋
平成29年7月19日
全勝だった三段目朝天舞と序二段~山に土。その~山より番付が三枚上の序二段93枚目朝塩本5勝目。来場所は自己最高位を大きく更新する見込み。朝塩本、一敗は中日8日目。大阪から両親が見に来た日だったが勝越しを決められず。ただ翌日9日目勝越しを決め、満員札止めで入場できなく玄関外で待つ両親にその場で勝越しを報告できたという。小学校3年生の頃から部屋に来ている朝塩本、3年生か4年生の頃、この蟹江の部屋にも泊まりに来たことがあり、わんぱく小僧だったことを思い出すと、今場所の5勝の好成績には感慨深いものがある。朝乃山9勝目。

平成29年7月16日
西十両5枚目の朝乃山、8連勝での勝越し。十両の優勝争いのトップであるのはもちろんだが、新入幕の期待も大きく膨らんできた。「攻める相撲を」と毎朝のように師匠からいわれ、その通りの相撲が取れていることが自信につながっているであろう。幕下朝弁慶、村田が勝越しまであと一つの3勝目。昨日は、朝天舞、~山の両ベテランが4連勝での勝越し。

平成29年7月13日
7月23日(日)午後6時半より行なわれます名古屋場所高砂部屋千秋楽打上げパーティーのご案内です。昨年と同じく栄・中日パレス会場(中日ビル5階)です。皆さまの参加お待ち致しております。豪華景品や高砂部屋グッズが当たる抽選会があります。勝越し力士のカラオケもあります。

平成29年7月8日
触れ太鼓が来て明日の取組の呼び上げ。東京だと国技館に近いので、午前10時からの土俵祭りを終えてすぐ来るが、名古屋場所宿舎は遠いので午後3時半過ぎの触れ太鼓。太鼓が土俵を一周して、まず呼び上げるのが「♪ユターカヤマーには アサーノヤーマ じゃんぞーえ♪」 呼び終えるのと同時くらいにみんなで拍手するのが慣わし。農大と近大の同級生で学生時代からしのぎを削り、同じく三段目附出しの場所初日に対戦した二人。先に出世した小柳こと豊山に石橋こと朝乃山がようやく追いついた。これから関取同士で何度も対戦するであろう取組の初戦。

平成29年7月7日
昨日6日(木)が、名古屋場所前恒例の高砂部屋激励会。大勢のお客様にお越しいただくが、一年に一度このパーティーのみでお会いできるお客さまも数多く、一年前はザンバラ髪で三段目だった石橋が朝乃山関になり、関取だった朝赤龍が錦島親方になりと、一年の時の流れを感じてしまう。今晩は、蟹江地元での激励の焼き肉会。あさってからの初日に向け英気をやしなう。

平成29年6月30日
名古屋場所宿舎蟹江龍照院土俵は鉄骨建で屋根はあるものの風通しをよくするため壁はなく南側に巻き上げ式のテントを垂らしているだけの構造。大雨になると土俵の縁に雨が降り込んでくる。夜半からの雨が降り続き、稽古途中豪雨となり、縁には所々水たまりも。水を掃き出して、昨年ホームセンターで購入した砂袋があるのを思い出し倉庫へ。入り口に30kの袋がきれいに4袋積んである。「おーこれだ!」と喜び勇んで稽古場へ運ぶ。力士とともに茶色の紙袋をハサミで切り広げると、中からでてきたのは玄米。「どひゃ〜」 横で見ていた錦島親方も大笑い。慌てて下から袋を引っ張り出すと、今度は間違いなく砂であった。午後雨が上がって、排水溝や雨どいのメンテナンス。この稽古場も築30年を迎える。

平成29年6月26日
7月名古屋場所番付発表。十両朝乃山は西5枚目。幕下は3人で、朝弁慶が10枚目、村田が27枚目、玉木が30枚目。三段目は、3枚目に朝山端、9枚目に朝興貴、2人とも勝越せば幕下に上がれる番付。朝山端は初幕下昇進をかける。朝大門が、大きく番付を上げて三段目66枚目の自己最高位。三段目2場所目なので、今日から堂々と雪駄を履いて外出できる。序二段では朝森本が自己最高位の12枚目、朝横道は18枚目。2人とも勝越せば新三段目昇進の番付。6308000番目と6309000番目のお客様、送り先を書いてメール下さい。7月場所新番付と高砂部屋便り72号をプレゼントいたします。

平成29年6月22日
名古屋場所前恒例の高砂部屋激励会、今年は7月6日(木)午後6時半よりウエスティンナゴヤキャッスルホテルにての開催です。皆様のお越しお待ちしております。

平成29年6月18日
先発隊8人名古屋場所準備のため蟹江町龍照院入り。今年も、名古屋駅新幹線口に名古屋場所の風物詩ともいえる鈴木さんがワゴン車で出迎えに。五月からみんなの名古屋入りを楽しみに待っていたという鈴木さんのテンションは高く、蟹江までの車中大騒ぎ。宿舎のプレハブに畳を敷きバルサン焚いて大掃除。お寺さんやご近所の方々とも一年ぶりの再会を喜び合う。

平成29年6月16日
TV朝日で、7月31日(月)19時〜21時48分に「現役力士&親方&ファン1万人が本気で選んだ!夢の相撲総選挙2017」(仮題)という番組が放送されるようで、高砂部屋でも師匠と朝乃山に取材。アンケートは、「現在・過去に関わらず、貴方が印象に残っている大相撲の名勝負を挙げてください!」「現在・過去に関わらず、貴方が印象に残っている力士を3名挙げてください!」という質問。ちなみに師匠は、北の富士VS貴ノ花のかばい手の一番。朝乃山は、朝青龍VS白鵬の一番でした。みなさんにとっての印象に残る一番はなんでしょうか?

平成29年6月10日
今日から茨城県下妻市大宝八幡宮での合宿。午前中は、第7回目となるわんぱく相撲下妻場所。小学校1年生から6年生までの子どもたち70人ほどが集まり、学年毎の個人戦と学校対抗の団体戦で熱戦をくり広げる。今年から初の試みとして女子も参加。8名の女子生徒が低学年の部と高学年の部に分かれてハッケヨイ!横綱、大関が相次いで誕生している茨城県。子どもたちの相撲熱も年々高まってきている。あす、あさって2日間、高砂部屋合宿稽古。

平成29年6月7日
毎年6月恒例の近畿大学校友会高砂部屋ちゃんこ会で、これまたここ数年恒例の高砂寄席。近畿大学出身の落語家鈴々舎八ゑ馬による一席。演目は相撲ネタで『大安売り』。江戸相撲にに出て田舎に戻ってきた力士が成績を聞かれて「勝ったり、負けたり。」 詳しく聞くと、初日から千秋楽まで全部負け。「勝ったり負けたり言うたやないの」と言うと、「相手が勝ったり、こっちが負けたり。」 そんなこんなで改名することになったそうで、新しい四股名は“大安売り”。そのこころは・・・ 。

平成29年6月6日
昨日6月5日から稽古再開。6月18日(日)から先発隊が名古屋へ出発するので、東京で稽古を行なうのも2週間のみ。その間、来週11日(日)と12日(月)は6月恒例の茨城県下妻市大宝八幡宮での合宿稽古。名古屋場所番付発表は6月26日(月)。

平成29年5月24日
三段目39枚目村田、6連勝。来場所の幕下昇進が濃厚。もう一番勝って番付を大きく上げたいところ。序二段30枚目の朝大門うれしい5勝目。三段目復帰が濃厚で、ようやく雪駄が履けるようになる。朝森本は全勝を逃す。もう一番勝てば初三段目昇進がみえてくる。ご案内が遅くなりましたが、高砂部屋千秋楽打上げパーティーいつもの第一ホテル両国ビル3階のKFCホールアネックスです。

平成29年5月23日
“黄金の左”で一世を風靡したのが横綱輪島。左四つで、右から相手をしぼり上げ浮かせての左下手投げが強烈だった。共に一時代を築いた横綱北の湖も左四つだが、左下手を引いてがっぷりの左四つになりたい北の湖の左手と、右から強烈に絞る輪島の右手との攻防が思い起こされる。突き押し相撲の幕下玉木、突いて起こしてからの引き落としでの3勝目。朝天舞も3勝目。

平成29年5月20日
右四つ左上手投げで知られたのが横綱双葉山。当時も現在と同じ4横綱時代であったが、双葉山以外の3横綱(羽黒山、照国、安芸ノ海)は左四つ。対戦の多かった大関前田山も左四つ。当時は左四つが多かったのだろうか。相手に双差しになられることが多いが、どちらかというと左四つの朝森本、4連勝での勝越し。今日も右四つで攻めた朝乃山、3連勝で勝ち星先行。

平成29年5月18日
現在の横綱陣のなかでは、稀勢の里だけ左四つで、白鵬、日馬富士、鶴竜の3人は右四つ。大関陣も豪栄道、照ノ富士両者とも右四つ。幕内全体を見渡しても右四つの方が多いよう。朝乃山、稽古場で師匠に「立合い相手にもっと圧力をかけて右を差せ」と指導を受け、今日は右四つから前に攻めて2勝目。突き押し相撲だが、右四つ寄りも得意としている村田3連勝。

平成29年5月16日
朝赤龍の錦島親方は左を差してのしぶとい相撲が持ち味で左四つ得意だが、相撲協会HPや相撲雑誌では右四つと紹介されていた。確かにはじめの頃は右四つだった記憶があり、部屋のHPでも右四つと記している。本人に確認してみると、右で前みつを取りにいっていたので右四つになることが多かったという。朝青龍が左四つだったから稽古を重ねているうちに左四つでも十分取れるようになったのかもしれない。朝乃山、今日は得意の右四つになれずに2敗目。朝天舞、2連勝。

平成29年5月15日
午後1時半より国技館内記者クラブにて朝赤龍引退記者会見。師匠と共に報道陣の前に立ち「支えてくれたたくさんの人に感謝したい」と笑顔での会見。あとを託した朝乃山、今日は右相四つの相手で、立合いすぐに右四つとなり、相手を引きつけ腰を寄せ、万全に寄りきる。同じ右四つ同士だと相四つといい、右四つと左四つの対戦だとケンカ四つという。

平成29年5月14日
四つになったときにお互い右腕が下になって組み合うのを右四つ、左腕が下になる場合を左四つという。自分の得意の四つになるかならないかで、力の出方がずいぶん違う。右四つ得意の朝乃山、右を差しこみかけるが相手に前みついい所を引かれ力を出せずに黒星スタート。学生時代から何度も対戦している相手で、得意の右差しを逆手に取られた形。それでも右差しにこだわり、右差しをより磨いていくしかない。久しぶりの台覧相撲初日。

平成29年5月13日
朝赤龍が引退発表。朝赤龍は、本名バダルチ・ダシニャム。モンゴル国ウランバートルに生まれ1歳上の朝青龍とは幼なじみ。平成9年16才の時に朝青龍と共に来日し明徳義塾に入学、相撲を始める。インターハイベスト8の実績を上げ、平成12年に若松部屋入門。史上最速で駆け上がった朝青龍には及ばないが、2年半での新十両昇進は当時史上10位の超スピード出世。関脇2場所、小結3場所を務め、技能賞2回、殊勲・敢闘賞1回ずつ。高砂部屋の伝統を長年一人で支えてきた。年寄錦島を襲名して高砂部屋付きの親方として力士の指導にあたっていく。引退相撲は来年1月場所後の予定。

平成29年5月12日
その某関取、部屋でちゃんこを食べていると、呉服屋か何屋かの若い衆が来た。「すみません、○○関、お願いします」 溜ったツケを回収にきたのだが、当の関取の顔は知らないらしい。「関取今いないよ」 「え、この時間ならいると聞いてきたんですけど」 「いや出かけたよ」 「いえ、確かにいるって聞いたんですけど」 「いないよ」 取り立ての若い衆も言い含められているらしく、しつこく食い下がってくる。何度かやり取りがつづき、その某関取が声を荒げた。 「本人がいないって言ってんだからいないんだよ!」 床山さんの盛り話だったのかもしれないが・・・。朝乃山関、稽古後初めてちょん髷を結う。同期生の朝横道、朝塩本も揃って初ちょん髷。コンパチ(8月26日参照)貧乏になりそう・・・。

平成29年5月11日
これも前記床山さんに聞いた話。某部屋の某関取は、バクチ好きだったのかどうか誰彼となくハガミを入れまくっていたという。ベテラン力士で,、巡業中など若い関取に「おう、ちょっと今手持ちが足りない5,6万ほど貸してくれ」とハガミを入れる。しばらくして催促に行くと「おうそうだったな。今ないからキリのいいところであと4万借りて10万にしておこう。今度まとめて返すから」 兄弟子だから無下にも断れず、10万が20万になり、20万が30万になりと、どんどん増えていく。そのうち、その兄弟子の姿が遠くに見えると、金を貸している方が隠れたという。

平成29年5月9日
借金することを相撲用語では、ハガミを入れるという。端紙と書くようで、もとは半紙を八つ折りにした借用証書を残したことからきている。金の貸し借りは原則禁止だが、男だけの団体生活ということや緊急の入用があったりして、時にはないこともない。その場合、「お金貸して下さい」と言うよりも「ハガミごっつぁんです」と言ったほうがスムーズにいくような気がする。そうえいば、九州場所の切符代の借用書は、現在も茶色い半紙の端紙になっている。

平成29年5月7日
入門した頃(1983年)、当時の若松部屋の床山さんに聞いた話によると、昭和40年代頃は関取に上がっても化粧回しをすぐには作れなく、兄弟子の化粧回しを借りて、名前のところだけ刺繍を変えて土俵入りを行なっていた関取衆もいたという。また金に困ると、化粧回しを質に入れることも実際にあったという。甚句の囃しにもある。♪ハァ 近頃世のなか不景気で 土俵の上の関取衆 立てば借金 座れば家賃 歩く姿は 質屋へ お使い お使い ハァードスコイドスコイ♪

平成29年5月6日
化粧回しは博多織や西陣織などの絹製で、前垂れの部分は金糸などを使った刺繍を施すのでかなり高額になる。後援会や母校などから提供してもらうことになるが額が額だけに簡単にはいかない。幸い朝乃山は、地元富山の北日本新聞社、師匠の後援者である東京バスバスグループ、高校の恩師の仲間たち、そして今回の東京富山県人会連合会と4本も出来上がった。さらに近畿大学からの化粧回しも現在製作中とのことで、いきなり5本と人気の高さがうかがえる。5月場所は東京富山県人会連合会の立山連峰の化粧回しで初日の土俵入りを行なう予定だそう。

平成29年5月5日
化粧回しも、締め込みや稽古回しと同様、はじめは一枚の帯状の布になっている。朝乃山のブリの化粧回しを贈呈してくれた北日本新聞社では、出来上がって受け取ったとき一枚の帯状の状態だったので、これをどうやって締めるのか全く見当がつかなかったと言っていたが、さもありなん。一枚の帯状の前垂れの部分にデザインが施されていて腹の前に垂らし、股にあたる部分から後ろを六つ折りに折って回しと同じように締めていく。化粧回しを折るのも付人の仕事。

平成29年5月4日
大安吉日の昨5月3日、東京富山県人会連合会(桑山征洋会長)から朝乃山に化粧回しが贈呈された。桑山会長によると、深さ1000mの富山湾から3000m級の立山連峰を見たものということで、深い青地に白雪を冠した立山連峰が連なるシンプルだが雄大なデザイン。関取も故郷の絶景を思い出し上機嫌で夏場所への決意を新たにした。番付発表の日からBBT富山テレビ放送や富山の読売新聞折込「minto6月号」の取材と、相変わらずの富山デーがつづいている。以前実業之日本社から刊行されました『腰割り本』が文庫化されました。ご案内まで。

平成29年5月1日
5月場所番付発表。先場所東十両12枚目で10勝5敗の朝乃山、順当に10−5=5で5枚上げて東7枚目。幕下では朝弁慶が6枚目、玉木は20枚目。三段目、朝山端が自己最高位の13枚目。幕下昇進には5勝以上が必要。三段目100枚目格で6勝1敗だった村田は39枚目。先場所三段目68枚目で2勝5敗でギリギリ残留かと思われた朝乃丈、序二段東筆頭。周りの力士との兼ね合いで場所毎の運不運は必ずある。序二段朝塩本も自己最高位。高砂部屋全力士の新番付です。6167000番目と6168000番円のお客様、送り先を書いてメール下さい。5月場所新番付と高砂部屋便り70号をプレゼントいたします。

平成29年4月26日
番付発表は初日の2週間前の月曜日だから、通常は本場所開催月の前月の偶数月(12月、2月、4月、6月、8月、10月)にある。ところが今度の5月場所は初日が5月14日と、もっとも遅い開始なので番付発表も5月1日(月)になり、その分4月がやたら長く感じてしまう。巡業に出ていた朝乃山と朝乃丈も久しぶりの稽古場。移動が疲れましたと、初巡業の朝乃山。土日にもう一度幕張メッセで超会議場所がある。春巡業も長い。

平成29年4月15日
3月場所三段目附出しデビューの村田、相撲教習所通いの毎日。教習所は、月曜日〜金曜日までで、土日は休みになるため今日は部屋での稽古。錦戸部屋からも先場所新弟子検査を受けて5月場所幕下15枚目格附出しデビュー予定の元全日本アマ横綱トゥルボルドと3月場所前相撲のアームレスリング高校チャンピオンという新弟子君も兄弟子彩翁とともに参加。稽古場も活気づく。巡業組は、今日が群馬県高崎市で明日茨城県常陸大宮市。終了後、一旦部屋へ戻り明後日が靖国神社奉納大相撲

平成29年4月3日
昨日4月2日(日)から春巡業。春巡業のスタートは毎年恒例の伊勢神宮奉納相撲。一行全員が神宮会館に泊まる。三役以上は個室、他の関取衆は3人部屋、若い衆は大部屋とふりわけられる。今日3日は愛知県小牧市。あすは兵庫県加東市にもどり、宝塚市、姫路市と行ない、一日おいて8日(土)が神奈川県藤沢市。藤沢から静岡、三島、横須賀、川崎と東京近辺をまわり、長野県松本市、群馬県高崎市、茨城県常陸大宮市のあと4月17日(月)が靖国神社。さらに4月20日(木)から千葉県柏市、茨城県水戸市、東京にもどって八王子市、町田市とつづき24日(月)が埼玉県深谷市。そして番付発表前の土日29,30日に幕張メッセでの超会議場所。

平成29年4月1日
ちょうど一ヵ月半前、新大阪まで迎えに来ていただいた師匠の後輩の嶋川さん一行(車3台)に、今日は宿舎久成寺から新大阪駅まで送ってもらう。「はじまってしまったらあっという間やなぁ」 無事にすんだ安堵感と寂しさと感じながら、30年近く似たような会話をくりかえしている。その間、一行の顔触れは年々少しずつ変化があるが、嶋川さんは変わらず。車中、懐かしい人の名前が出たり、消息を聞いたり、独身だった人が孫ができたりと、人の移ろいに歳月の流れを感じる。「また来年!」と握手を交わして新大阪駅へ。

平成29年3月31日
大阪最終日。小雨そぼ降るなか、荷物を東京へ送り、寝床のゴザを外し、大掃除。先発隊で来たときの部屋の設置にもどす。先発隊で来た力士にとっては、大阪場所一ヵ月半前の時を思い出させる懐かしい風景。そういう思いが何年も積み重なって、だんだんとちゃんこの味がしみてくる。あすから朝乃山関と付人朝乃丈は、春巡業のスタート伊勢神宮へ出発。朝乃山は初巡業。呼出し邦夫と行司朝之助、悟志も巡業へ。残りの力士は明日お昼過ぎの相撲列車(新幹線)にて帰京。宿舎下の高津神社の桜も咲きはじめた。

平成29年3月28日
涙と感動の千秋楽を終え、27日の月曜日から力士にとっては一番しあわせな一週間の稽古休み。地方場所は、稽古が休みとはいえ、若い衆は宿舎のお寺の後片付けや荷物整理などもあって完全にオフになるわけでもないが、それでも精神的な解放感がこのうえない。勝越した力士は、2泊3日で実家に帰省もできる。地元大阪は泉大津出身の朝塩本と今場所デビューの三重県志摩市出身の村田が帰省。

平成29年3月23日
ちゃんこ長序二段83枚目の大子錦、今場所ようやく2人目の勝越し。残すところ3日間となって負越しがすでに11人。残り1番に勝越しをかける力士が関取を含めて5人。ひじょうに厳しい大阪場所となってしまった。7日目に第1号の勝越しを決めた村田、5番相撲では全国学生相撲選手権で団体優勝を果たした同じ東洋大相撲部のチームメイトとの対戦。この一番を制し、これで三段目優勝間違いなしと思ったのも束の間、昨日の取組で土がついてしまった。今日は大学の卒業式でいったん帰京。千秋楽に6勝目をかける。十両朝乃山は、あす大奄美との取組に勝越しをかける。

平成29年3月17日
怪我することを「やまいく」という。やまい(病)いくからきているよう。最近やまいきっぱなしの朝弁慶、今日は元幕内明瀬山を押し倒して「片目があいた」(初白星)。その朝弁慶、昨晩は毎年お世話になっている方々と東住吉区の蒙々亭(もうもうてい)という焼き肉屋で「えびすこ決めた」(大食い)。知人からは、もうもうパワーだ!と喜びのメール。白星がみんなに幸せをあたえてくれる。朝赤龍にも初白星。NHKで新十両紹介された朝乃山4勝目。

平成29年3月15日
「金なのかこんにゃくなのか・・・」という言葉が話題になっているようだが、相撲用語でお金のことは、「お米」という。もっとも最近は、ふつうにご祝儀とか車銭とかを使う場合のほうが多いが。お米(お金)をたくさんもたらすことから、有望力士のことを「米びつ」という。高砂部屋の「米びつ」たらんとする朝乃山、玉木、村田、そろっての白星。ゆくゆくは相撲協会の「米びつ」となっていかなければならない。朝乃土佐も2連勝。

平成29年3月14日
「しゃみをこく」というのは相撲用語だったのかどうか。いろいろ検索してみたけどよくわからない。ちょっと前までは、「○○部屋の誰々は、いいしゃみをこく」とか「いいしゃみ飛ばす」とかよく聞いた気がするが、最近はあまり耳にしない。もともと「三味線をひく」という言葉には、ごまかすとか調子を合わせるというような意味があるようだが、相撲界での「しゃみをこく」は「軽口をたたく」に近い感じ。今場所三段目附出しデビューの村田が、「いいしゃみこく」ので「しゃみ」という言葉を思いだした。

平成29年3月13日
朝乃山応援団が故郷富山から団体60名で観戦にくるも、惜しくもの黒星。勝ちたいときに勝てなくて、あまり意識しないときに(勝ちたいのに変わりはないが、知り合いが来ているときと相対的に)いい相撲で勝てたりするのはよくあること。そういう経験を積み重ねながら精神的にも成長していく。要は、ひきずらない、居着かないこと。というか、今日は出場力士9人全員が黒星という何年かに一度の珍しい日。3月26日(日)千秋楽打上げパーティーのご案内です。

平成29年3月10日
取組編成会議。あさって初日は午前8時35分取組開始で十枚目(十両)土俵入りが2時5分、幕内土俵入りが3時30分。新十両朝乃山は、十両取組の4番目で北播磨との対戦。呼出しは邦夫。三段目附出しの村田は漣との対戦。新横綱稀勢の里は豪風、日馬富士に琴奨菊、鶴竜に御嶽海、白鵬に正代と好取組がつづく。ご当所新入幕の宇良は佐田の海との対戦。

平成29年3月8日
北日本新聞社社長が来阪して、朝乃山関に化粧回しの贈呈式。化粧回しには、富山湾をイメージしたという青地に、波間を飛び跳ねるブリが朝乃山の四股名と共に刺繍されている。富山では成長にしたがい、コズクラ→フクラギ→ガンド→ブリと名前が変わる出世魚として、お歳暮で嫁の嫁ぎ先に1本丸ごと贈る風習が今でも残るそう。中でも“氷見の寒ぶり”は全国ブランド。朝乃山にも、これから幕内、三役、そして横綱へと出世してもらうようにとの富山県民からの願いが込められた化粧回し。朝乃山の名前は変わっていかないだろうが。

平成29年3月6日
またまた昨日の話で恐縮ですが、昨日10年目となる関西奄美相撲連盟主催の奄美出身力士を励ます会が尼崎にて開催。奄美出身力士は現在、前頭15枚目の九重部屋千代皇を筆頭に十両の追手風部屋大奄美、尾上部屋里山、幕下に元十両の明生、若乃島、慶天海、さらに勝誠、魁禅といて、序ノ口まで入れると総勢17名。奄美部屋としてあったとしても立派な陣容を誇る勢力。もともと奄美出身者が多い尼崎の人等を中心に250名近くが集い、出身力士を祝う。

平成29年3月5日
昨日3月4日(土)が場所前恒例の大阪高砂部屋激励会。例年通り上六(上本町6丁目)の都ホテル(ウエスティン都ホテル大阪)にて開催。こういうパーティーを30年近く支えてきたのが師匠の近大時代の同級生や後輩たち。いわば、“朝潮の愉快な仲間たち”が、土産つくりや受付、進行まで裏方で動いて運営している。パーティー終了後、愉快な仲間たちの元締めともいうべき勝田氏の呼び掛けで集合写真撮影会。はじめは部屋一同で撮ったが、見守る愉快な仲間たちから歓声やらツッコミやら、大阪ならではの大賑わい。あまりの賑やかさに、師匠から「やかまし!」の大喝声。すかさず、♪「やかまし、かどまし、ねやがわし」♪、の返し。笑顔はじける集合写真となった。

平成29年3月3日
大相撲人気沸騰で、TVや雑誌、新聞等にも記事が増えている.毎日新聞紙上でも「月刊相撲」という紙面一面記事が組まれていて、2月の記事の「土俵を支える」コーナーで、“入門29年目 声の花形に”と題して呼出し利樹之丞の特集記事。呼出し稼業29年目、先輩に「呼出しは裏方だと思うなよ」と言われたことを肝に銘じ、呼び上げのときには「花形にならなければ」という気概で臨んでいると語っている。さらに「完成だと終わりだと諭された」ともいい、あるゆる所作を自然形にしたく、まだまだ修行中の身だと語る。まことに“呼出し道”も奥が深い。毎日新聞では第一火曜日の特集らしいので、次回は3月7日(火)か。

平成29年3月2日
昨日から錦戸部屋が出稽古に。この一年で力士数が減って寂しい状況の錦戸部屋だったが、日大相撲部主将で一昨年のアマ横綱と昨年の学生横綱の実績を持つモンゴル出身トゥルボルドが入門。一昨日から部屋に合流したそうで、今朝の稽古場には一緒に顔を見せた。逸ノ城を彷彿させる体格とパワーは目を見張るものがあり、TV画面で活躍を見られる日も近いことであろう。五月場所からのデビューになるもよう。大阪場所恒例となっている関西大学アメフト部も体験入門に来て、賑やかな稽古場。

平成29年2月28日
3月場所稽古はじめ。昨日の番付発表を境に、石橋は正式に朝乃山となり十両(正式には十枚目)となり、関取と呼ばれる資格者待遇になる。稽古回しが、いままでの黒から白色になり、付人(朝乃丈、朝達家、朝横道)がつく。稽古後の風呂を真っ先に入る。ちゃんこもお膳と座布団が用意され一番先に食べる。食事のときに付人や若い衆が給仕でまわりに立つ。朝乃山関と、「ゼキ」をつけて呼ばれるようになる。今朝の稽古場にも富山からのTVカメラが3台。

平成29年2月27日
3月場所番付発表。石橋改め朝乃山は東十両12枚目。朝弁慶が幕下西4枚目で、朝赤龍が西9枚目。先場所初めての負越しだった玉木は東15枚目と全勝すれば昇進できる地位にギリギリ残った。朝山端三段目29枚目、朝横道序二段12枚目、朝森本序二段23枚目の3力士が自己最高位。3月4日に新弟子検査を受ける村田は、三段目100枚目格附出しの予定。6130500番目と6131000番目のお客様、送り先を書いてメールください。3月場所新番付と高砂部屋便り68号をプレゼントいたします。

平成29年2月26日
「これを思えば、仕切りにおいて、自己の作戦によって初めより全然気を入れない、あるいは、ただ単に時間の引き延ばしを図るために、漫然と仕切り直しを繰り返すということは、私一個の信念においては、明らかに相撲道の邪道と解しているのである」 小坂秀二氏は次のようにつづけている。 平常、己を語ることの少ない、また感情を面に表さない双葉山としては珍しく激しく語っている言葉である。東京残り番だった力士も全員大坂乗り込み。ちゃんこ朝潮徳庵店にて大阪後援会特別会員とのちゃんこ会。みなさんとも一年ぶりの再会。あすが番付発表。

平成29年2月25日
つづき。「したがって、仕切りの本道というものは、文字通り真剣必死の気迫をもってすべきであり、ただただ自らの気迫の完全な充実、いわば気力の最高潮を待つという意味においてのみ仕切り直しは許されるのである。すなわち仕切り直しとは、相互の気迫が一瞬に合し、最善最高の気分充実の状態をもって相うつという、最高精神を表すためのみに許される制度だと思うのである。これを極端に言えば、仕切りにおいて、あらゆる術策をろうする、相手の虚をつくことのみに専念するということは、決して称揚さるべきものではない。ここにこそ、仕切り直しに際して、自らの気迫不充実を許す意味において、相手に会釈する型が残されているのではないか」(つづく)

平成29年2月24日
再び立合いについて。前述『わが回想の双葉山』に双葉山が立合いについて語っている文が紹介されている。当時の相撲雑誌に掲載された文であろう。「私は、数年来の信念として一回目からいつでも立つという気組みで仕切る。つまり一回、一回の仕切りに全精力を打ち込むのが、相撲道の正しい精神だと考えているのである。このことを逆に言えば、仕切りに作戦なしということになる。力士が土俵に上がって、いったん仕切りに入った以上、それはもはや絶対の境地であり、いやしくも作戦的に時間の引き延ばしを図り、あるいは故意に相手の心理を焦躁に導くというような、駆け引きは許されないものと信じている」(つづく)。石橋、玉木と共に東洋大学村田も宿舎入り。

平成29年2月23日
土俵築き。土俵つくりは先発隊の大きな仕事のひとつで、力士は呼出しさんの補佐として土俵つくりを手伝う。一門各部屋の土俵つくりをこの一週間で行なうため、呼出しさんも先発隊と同じく19日(日)から大阪入りして八角部屋、錦戸部屋とつくり終え、今日が高砂部屋の土俵。土俵が出来上がると、力士の顔つきも先発隊モードから稽古場モードに微妙に変化してくる(ような気がする)。本場所へ向けてのいろいろな行事が、力士のモチベーションを少しずつ高めていく。

平成29年2月20日
寒さは和らいだものの小雨そぼ降る大阪先発隊2日目。洗い物等、外の仕事ができないため若い衆が寝る本堂のゴザ貼りや天幕張り。稽古場にしまってある荷物を出して、明日からの土俵造りの準備。場所前恒例の高砂部屋激励会、例年通り初日一週間前の土曜日3月4日午後6時半上六シェラトン都ホテル大阪です。

平成29年2月19日
大阪場所先発隊(大子錦、朝乃丈、朝山端、朝達家、朝大門、玉木、朝塩本、松田マネージャー)大阪入り。今年も師匠の後輩の嶋川さん一行に新大阪まで迎えに来ていただき谷町9丁目の宿舎久成寺(くじょうじ)に入る。風呂場からゴザを引っ張り出して部屋に貼り、今晩からの寝る場所を確保。晩飯は大阪先発隊恒例のちゃんこ朝潮鴫野店。4月1日までの大阪場所の生活が今日から始まる。

平成29年2月18日
もっとも大相撲の世界でも“阿吽の呼吸”が常に守られているわけではなく、立合いの問題は歴史的にも根が深い。たびたび立合いの乱れが指摘され、ときに相撲協会あげて講習会を行ない、待ったへの制裁金制度をとったこともあった。お互いに委ねられているだけにより難しい。功利的に作戦的にしようと思えばいくらでもそうなってしまう。双葉山の仕切り、立合いが立派だったことは同時代の力士達からも讃えられているが、かの双葉山でさえ相手の虚をつく作戦の立合いに敗れたことがあった。

平成29年2月17日
“阿吽の呼吸”が外国人には絶対に理解できないのかというとそうではない。外国人でも、相撲部屋に入門して24時間生活を共にすると、やっているうちに体で覚えてしまう。要は文化としての相撲を受け入れていることになるのであろう。逆に日本人でも小さい頃から大学卒業までスポーツとして相撲を行なってきた力士の方が、“阿吽の呼吸”を理解し難いかもしれない。スポーツとしての相撲では、立合い相手を焦らしたりタイミングをずらしたりして自分優位の立合いをすることが、ふつうに作戦であり技術になる。

平成29年2月16日
相手との気合が合ってはじめて成立する大相撲の立合いは“阿吽の呼吸”といわれる。競技者当人同士がスターターであるという他には類をみない方式であろう。かつてはアマチュア相撲の立合いも同様であった。世界選手権を行なうようになり、外国人の参加選手には“阿吽の呼吸”がどうしても理解できなく、不公平だということで現在のような「ヨーイドン」式の立合いに改めた。相撲をスポーツとして世界に広めていくためには当然の措置だったであろう。

平成29年2月15日
幕下・三段目の5力士(石橋、玉木、朝天舞、朝山端、朝大門)、昨日から東洋大学へ出稽古。近大相撲部出身の石橋、玉木やベテラン朝天舞は別として、朝山端と朝大門の二人はアマチュア相撲力士との稽古は初めて。立ち合いの違いに戸惑うという。アマチュア相撲では、両者が両手を土俵に着き静止した状態から、主審の「ハッケヨイ」の掛声で立ち合う。いわば、陸上競技などの「ヨーイドン」と同じ。大相撲の場合は、両者の気が合った立合いが成立したときにはじめて行司が「ハッケヨイ」の声を掛ける。

平成29年2月12日
同じく『わが回想の双葉山』より〜 照国は、自身、柔らかみのある、腰の重い、難点のない横綱だったが 「双葉関だけは別ものです。あの人は、前傾してもよし、後ろへ反ってもよしという人で、前にも後ろにも強い腰でした。私や大鵬などは、前には強いのですが、反ったらダメという腰で、たいがいの力士が、いい腰を持っているといっても、前か後ろか、どちらか一方なのです。あの人だけは、どちらにもいい。まあ類のない腰を持っていたと言えます」

平成29年2月11日
小坂秀二『わが回想の双葉山』より双葉山の腰について。怪力をうたわれた初代玉ノ海「当時の私は、右で前まわしを取ったら、横綱でもそうはいかんぞくらいの気持ちを持っていましたが、双葉関だけは別でした。グイと押して出ると、双葉関の上体が反るので、手ごたえありと思ってさらに押すと、今度はもうビクとも動かない。見ると、動いたのは上体だけで、腰から下は少しも動いていない。本当に腰で相撲を取った人でしたね」 同門の力士は「腕力はむしろないほうでした。腕相撲なんかでは羽黒山、名寄岩にかなわないのですが、相撲取ると、幕の内の相撲取りをつかみ投げのよなことをやる。結局、腰なんでしょうね」 大関五ツ島「一生懸命組んでいると、途中で、どうしたんだろう、いなくなっちゃったんじゃないだろうかと思うことがある」

平成29年2月10日
「腰が重い」という言葉は、一般的にはあまりいい意味で使われないが、相撲界では褒め言葉になる。腰が重い力士は本当に押しにくい。体の重さ以上に押しにくさを感じる。アンコ型で体の柔らかい力士に多いが、イコールではない。肩の脱力や重心の置き方、腰の構え、足腰の柔軟性などが関わってくるであろう。腰の重い力士は、ぶつかり稽古でいい胸を出す。高砂部屋では朝乃土佐の腰の重さには定評がある。未来のJリーガーJFAアカデミー福島の中学3年生4名が今日から2泊3日の体験入門。

平成29年2月9日
「二枚腰」という言葉は、相撲界でも死語になった感があるが、双葉山の腰は二枚腰とよく形容された。一度残って、崩れそうになってももう一度残る腰のことをいい、「粘り腰」よりも柔らかみのある、もう一段深みのある腰とでも表現した方がいいのかどうか・・・。昭和17年夏場所千秋楽結びの一番、双葉山が安藝ノ海の万全の寄りをこらえ右にうっちゃる相撲は、まさに二枚腰と称される一番であろう。笠置山は「あれだけ腰を落としている安藝ノ海をよく腰に乗せるものだ」と感嘆の声をあげている。

平成29年2月8日
さて、朝乃山の“腰の良さ”について。朝乃山は189cm160kgと力士としても大柄なほうである。大柄な力士は概して腰を下ろすことが苦手であるが、腰を下ろすことを苦にしない。すり足の稽古のときにも小さな力士より低い腰でこなす。さらにいいのは腰が寄せられること。腰が入った押し方ができる。ぶつかり稽古のとき、土俵際までいくと相手の真下に入るくらい腰が入る。なかなかできないことである。先場所の豊ノ島戦や優勝決定戦の一番でも見事な腰の寄せを見せてくれた。相撲関係者は、ああいう相撲を見せられるとワクワクしてしまう(はずである)。

平成29年2月7日
安定した動きのためには腰を下ろすことが大切だから、「腰が高い」「もっと腰を下ろせ」と、稽古場でもよく言われる。腰を下ろすことはもちろんだが、高い低い以上に大切なことは腰の前後のポジショニングだと思う。“腰言葉”でも、「腰を入れる」「腰の入った動き」「逃げ腰」「へっぴり腰」と、腰の前後の位置関係が腰の構えの良し悪しを決める。相撲の一番の基本である「腰を割る」ということも、腰を下ろすことはもちろんだが、股関節を開いて腰を前で使うことがより大切なことになる。しっかり腰を割って腰の入った動きをするために股割りをおこない、羽目板の前で四股を踏む。

平成29年2月6日
逆に身体の中心としての腰が備わっていないことを、「逃げ腰」「へっぴリ腰」「および腰」「腰ぬけ」などと表現する。腰の構えや姿勢が精神状態にも関わってくることがわかる。心身の中心としての「腰」が、相撲にとって一番大事な所以である。相撲は重心を崩し合う競技だから、重心を安定させることが大切になってくる。人間の重心は、大体おへその下辺り云わば腰の中心辺りにある。そのため腰を下ろさなければならない。ただ必要以上に下ろし過ぎると動きが悪くなってしまう。人それぞれ、相撲の取口によっても、程良い高さがある。

平成29年2月5日
“腰の良さ”とはどのようなことですか?と質問をうけた。そもそも日本語には“腰”を使った言葉が多い。「腰を入れる」「腰を割る」「腰を据える」「腰で打つ」「本腰を入れる」「腰を落ち着ける」「腰を上げる」「腰で担ぐ」「粘り腰」「二枚腰」「腰が重い」「腰が低い」「話の腰を折る」・・・たんに腰痛のときに感じる腰部のことではなく、身体の中心としての存在、動かし方、心構えや意識のあり方まで含めた全身的なものである。まさに肉月(にくづき)に要と書く通り。強さはもちろんだが、しなやかさやバランスの良さも含まれる。

平成29年2月4日
先日国技館で元力士の漫画家琴剣さんに会ったら、「いいのが入ったねぇ」と興奮気味に石橋改め朝乃山の昇進を喜んでくれた。部屋近くですれ違った東関親方も、我が事のように喜びを伝えてくれた。稀勢の里の横綱昇進同様、相撲関係者がそろって喜びを大にしている。みんな、朝乃山の将来性を大きく買ってのことである。アマチュア相撲時代から関係者が口をそろえて言うのは、朝乃山の腰の良さである。朝乃山の腰の良さに大相撲の明るい未来を感じるからこその喜びである。

平成29年2月2日
富山の北日本新聞社が昨年末に創刊した富山のスポーツを応援する雑誌『T’SCENE(ティーズシーン)』が朝乃山を朝の稽古はじめからちゃんこまで密着取材。地元富山での期待度はもの凄く大きいようで新十両昇進が決まった1月25日(水)夕方には北日本新聞社からの号外も出て、JR富山駅前では多くの人が石橋改め朝乃山新十両昇進の紙面に見入っていたという。翌26日の朝刊も横綱稀勢の里誕生の記事より大きく一面トップに「石橋が十両昇進ーしこ名朝乃山」の記事。北日本新聞社からは出世魚ブリの絵柄の化粧回しも贈呈されることになっている。

平成29年2月1日
TV新聞等の報道でご存知のこととは思うが、元小結時天空の間垣親方が亡くなられた。まだ37歳という若さであった。朝青龍や朝赤龍とはモンゴルで小学生の頃から同じ道場で柔道をやった仲で朝赤龍関もショックが大きい。相撲は多彩な足技で技巧派であったが、相撲に対する取り組み方は正統派で、真摯な姿勢は指導者としてこれから大いに期待されただけに本当に残念でならない。心よりご冥福をお祈りいたします。両国回向院念仏堂にて2月6日午後5時通夜、7日午前11時半告別式。

平成29年1月30日
東洋大学相撲部主将村田亮選手の高砂部屋入門が決まり、本日東洋大学にて入門会見。三重県志摩市の出身で、玉木と同じ道場で相撲をはじめ、中学も一緒(一年後輩)。金沢市立工業高校から東洋大学へとすすみ、181cm160kgの体格で今年度の学生選手権3位、全日本選手権ベスト8の実績。3月場所三段目格附出しでのデビューとなる。

平成29年1月27日
3月大阪場所からの新十両昇進が決まった石橋改め朝乃山。23日の恩師の葬儀のときに四股名が決まった。亡くなられた浦山英樹監督の同級生ら富山商業相撲部OBの先輩方があつまり考えてくれたという。故郷富山の「山」、富山を代表する立山の「山」、富山出身の大横綱太刀山の「山」、育ててくれた浦山先生の「山」。いくつもの想いを「山」に込めての”朝乃山英樹”。いろいろな思いを支えに頑張っていくことが、「朝乃山」の四股名を高め、「山」を大きくしていく。

平成29年1月25日
3月場所番付編成会議が開かれ、石橋改め朝乃山の新十両昇進が決まった。本日午後2時半より高砂部屋にて新十両昇進記者会見が行なわれる。石橋は富山市出身で富山商業から近畿大学相撲部へとすすみ昨年3月場所で入門。その富山商業の浦山英樹監督が21日の朝に急逝された。まだ40歳という若さであった。高校時代厳しく指導してくれたという浦山監督は、常々「教え子が関取になるのが夢」と語っていたという。その夢が叶えられた瞬間を見届けて旅立った。23日の葬儀に参列した石橋は四股名を朝乃山英樹と改名。恩師と共に、これからの相撲人生を歩んでいく。

平成29年1月20日
石橋、7戦全勝での幕下優勝。朝からかなり緊張気味だったが、土俵上ではしっかり踏み込み二本差して腰の寄せも完ぺきに危なげなく寄り切っての快勝。正式には場所後水曜日の番付編成会議を待たねばならないが、新十両昇進もほぼ確実なものとした。明治11年創立以来続いていた関取が今場所で途切れたが、一場所で復活することになった。石橋が先陣となってまた新たな高砂部屋の歴史がはじまる。3勝3敗だった朝横道、朝ノ島勝越し。

平成29年1月18日
幕下7枚目の石橋、今日も右差し一気の寄りで完勝。6連勝。幕下の全勝は朝日山部屋朝日龍と石橋の2人のみとなり、13日目に幕下優勝決定戦として対戦することになるはず。13日目の一番が、幕下優勝と新十両昇進をかけた一番になる。先場所序二段優勝して自己最高位に上がった朝山端、今場所も勝越し。序二段47枚目の朝森本、長い相撲を我慢して勝ち、勝越し決定。来場所自己最高位を更新できる。

平成29年1月16日
石橋、今日も動きよく落ち着いた相撲で5連勝。その石橋、昨晩は玉木と一緒に東京溜会中日恒例の食事会に招待され、激励を受ける。二人とも、高砂部屋のというより相撲協会の米びつ(有望力士)として期待が大きい存在になってきた。朝赤龍踏みとどまるも、朝弁慶負越し。朝山端勝越しまであと一つ。朝森本3連勝から2連敗で今日も勝越しならず。

平成29年1月15日
石橋、今日も元幕内力士を相手に快勝。4連勝での勝越し。あす4連勝同士で北播磨との対戦。玉木は2敗目。朝興貴負越し。日馬富士休場で横綱二人となったため、東張出横綱の白鵬が西にまわり、今日8日目の横綱土俵入りは西方白鵬から。あす9日目は、東方鶴竜からの土俵入りとなる。取組も明日は鶴竜が結びの一番。

平成29年1月14日
土俵入りは、奇数日が東方から偶数日は西方からおこなう。横綱土俵入りは、どういう順序で行うのか聞かれ、はて?と首をひねった。横綱付人歴が長い~山に聞くと、取組で土俵に上がる順番に関係があるという。初日は、最初に白鵬、2番目に日馬富士と登場して結びが東正横綱の鶴竜と番付順に土俵に上がる。2日目は鶴竜、白鵬、結びが日馬富士の順。3日目は日馬富士、鶴竜、結びが白鵬となり、4日目は初日に戻り、以下繰り返しになる。横綱土俵入りは、初日が日馬富士、鶴竜、白鵬の順番。2日目は白鵬、日馬富士、鶴竜の順で、2番手に土俵に上がる横綱から土俵入りを行うよう。その~山3勝目で勝越しまであと一番。朝乃丈負越し。

平成29年1月11日
幕下7枚目の石橋、スケールの大きな相撲で2勝目。その石橋、初日のNHKBS大相撲中継で“富山の人間山脈”と紹介される。命名者は、もちろん若松親方。一世を風靡した人間山脈アンドレ・ザ・ジャイアントもすっかり過去の人で、石橋本人は全く知らなかったそうだが、ネットで調べてみましたとのこと。そういえば、洗い髪のときの雰囲気は似てなくもない。えびすこ(大食)や酒量で人間離れした伝説を数々残している人間山脈アンドレ。富山の人間山脈の方は食も酒もふつうだが、将来性の大きさは関係者誰もが認めるところ。

平成29年1月9日
2日目成人の日。高砂部屋には今年成人式を迎える力士はいなく、朝横道が来年。朝達家、朝塩本は4年後のこと。酉年生まれの年男は多く、平成5年生まれが玉木、朝森本の二人。ひとまわり上の昭和56年生まれに朝赤龍、朝乃土佐、朝天舞の三人。石橋は平成5年生と、~山は昭和56年生と同学年だが早生まれの戌年で来年が年男になる。昨日の初日が2勝6敗、今日2日目は1勝8敗と天候と同じく荒れ模様のスタート。明日からの晴天に期待したい。

平成29年1月7日
午前10時から土俵祭りがおこなわれ、終了後触れ太鼓が市中へとくりだす。11時前、部屋の稽古場でも触れ太鼓の高い音が響き渡り、あすの割り(取組)が呼び上げられる。呼び上げられるのは関取のみなので高砂部屋力士の名が呼び上げられないのは寂しいが・・・。復帰を目指す朝赤龍は、あす幕下上位五番最後の取組で北播磨との対戦。石橋は、上位五番2番目に翔天狼と。2日目は上位五番最初に玉木が岩崎と、五番目で朝弁慶が海龍との対戦。膝の怪我で休場していた朝天舞も明日の三段目の土俵で復活を目指す。

平成29年1月5日
幕下以下に目を転じると、「白鷹山」「鳰の湖」「朱雀」「朱鷺の若」などの四股名がある。以前大鵬部屋に「大鷹」という関取がいた。最近引退した立浪部屋の「大鷹浪(だいおうなみ)」はモンゴル出身。「鳰の湖」は「におのうみ」と読み、琵琶湖の古称。「朱雀」は中国の伝説の神鳥。四神のひとつで南を守り土俵上では赤房であらわされている。「鳩岡」という力士がいるが、こちらは本名のよう。あす取組編成で明後日土俵祭り。

平成29年1月4日
酉は鶏をあらわすが、ひろく鳥として番付を眺めてみると東の正横綱鶴竜の「鶴」が目に入る。 その隣には横綱白鵬の「鵬」の字。「鵬」は、「おおとり」ともよみ「荘子」にでてくる伝説の大鳥。四股名として使われたのは横綱大鵬にはじまる。「松鳳山」や「千代鳳」の「鳳」も「鵬」と同じ意だが「鳳」は鵬の雄をあらわし、「凰」は鵬の雌をあらわすそう。関脇には玉鷲。前頭2枚目まで上がってきた荒鷲もいる。元若松部屋幕内の大鷲は長野県佐久市の出身。プロレスラー大鷲透は息子(力士名は朝鷲だった)。

平成29年1月1日
あけましておめでとうございます
旧年中はたくさんのご支援ご声援いただきましてありがとうございました。平成29年は丁酉(ひのととり)。干支の説明によると、丁は陰の火を表し、植物が成長してきて安定した状態に達したことを意味し、酉は陰の金を示し、果実が成熟の極限に達したことを意味するそう。高砂部屋にとっても、幕下上位まで育ってきた力がいくつも実を結び、それぞれがさらに羽ばたける一年となりますよう願いたいものです。本年もよろしくお願い申し上げます。

平成28年12月31日
平成28年大晦日。年内の稽古は29日で締めて解散、それぞれ故郷で正月を迎える。帰省せずに部屋にのこる力士も2名ほどいるが。2日の夜には戻り、3日から稽古はじめ。3日は軽めに切り上げ、先々代と先代のお墓参りへ。4日からが本格的な始動となる。恒例の新年の行事で気持ちを新たに、8日初日の初場所に臨む。

平成28年12月26日
平成29年1月場所新番付発表。朝赤龍が西幕下筆頭、朝弁慶が東幕下2枚目。石橋は西7枚目で玉木が西10枚目、朝興貴が19枚目と幕下20枚目以内に5人。関取が途絶えてしまった寂しさはあるが、復活への兆しが新旧ともに大きくふくらんでいる。序二段優勝の朝山端はちょうど100枚上げて自己最高位の三段目42枚目。朝横道も自己最高位を大きく更新の序二段37枚目。初勝越しで初序二段の朝達家は序二段53枚目に上がり、~山、大子錦を抜いた。6080500番目と6081000番目のお客様、送り先を書いてメールください。新年初場所新番付と高砂部屋便り66号をプレゼントいたします。

平成28年12月17日
九州場所、入門以来初めての勝越しを5勝2敗で飾った朝達家。場所後、木村朝之助の付人として初めて巡業に出た。明け荷を担いだり、装束の着替えを手伝ったりというのが主な仕事だが、周りは資格者や兄弟子ばかりなので、初巡業はそういう気苦労の方が大きい。そんな中、他の部屋の行司さんなどにも可愛がってもらい「いっぱい食べて大きくなれよ」と食事に誘われることもあったとか。その甲斐あって飯が強くなった(たくさん食べられる)そうだが、体重はあまり変化なし。代わりに、朝之助がけっこう大きくなって帰ってきた・・・。

平成28年12月15日
部屋は緑町3丁目宿禰神社の東隣にあった。というか初代高砂部屋の隣に宿禰神社ができたのだが。宿禰神社は現在も規模を小さくして北斎通沿いの同じ場所に建っている。江戸博から錦糸町へつながる北斎通りは、昭和初期まで南割下水と呼ばれる掘だった。緑町の部屋から吉原へ向かうさまが次のように記されている。「自身が先頭に立ち、小錦、朝汐、源氏山、逆鉾関を始め役相撲は綱っ引、その他幕内十両の力士もズット俥を列ねて南割下水から吉原さして行きました、俥の上に乗っているのは髷を美しく結ひ上げた、繪に書いたような関取許りですからそれは実に壮観でした。」

平成28年12月14日
昭和16年野球界10月号で初代高砂浦五郎について書いているのは高木織右衛門氏。初代綾浪嗣子と紹介されている。綾浪は、青森県藤崎町の出身で明治13年高砂部屋入門。怪力で知られ最高位は関脇。引退後追手風を襲名している。高木氏本人は力士ではなかったが、始終初代高砂親方の近くにいて、初代が亡くなった時にも巡業中だった力士達に代わり死水を取ったとある。高木氏によると、初代高砂は厳格で癇癪持ちであったが、本場所が終わると関取衆を全員つれて吉原で大盤振る舞いするのが常だったという。

平成28年12月13日
年末恒例の高砂部屋激励会&クリスマスパーティー&忘年会、今年は来週19日の月曜日にホテルニューオータニにて行なわれます。豪華景品や高砂部屋グッズが当たる抽選会もあります。みなさまのご参加お待ちしております。

平成28年12月10日
墨田区亀沢2丁目に建つ野見宿禰神社は、明治17年初代高砂浦五郎により建立された。神社前の掲示板にあるように津軽藩上屋敷跡地で、この東隣に初代高砂部屋があった。明治11年の高砂部屋創立当初からそこだとおもっていたのだが違っていた。知人に頂いた昭和16年野球界別冊10月号掲載の記事によると、はじめは神田の東龍閑町にいて、しばらくして本所藤代町(両国橋のたもと当たり)に引っ越したものの弟子が増える一方で、緑町3丁目の宿禰神社隣に移ったとある。

平成28年12月9日
改正高砂組も順風満帆ではなかったよう。一時は100人近い力士を擁し、京都相撲や大阪相撲との合併相撲も盛況を呈したが、西南戦争による政情不安などから不入りがつづき、金銭面のトラブルによる分裂騒ぎもあり、質屋通いで力士達の食費を稼いだりもしたという。明治11年2月5日、警視庁から「相撲は東京府下に一組」という布達が出され、東京から締め出されそうになるが、その大ピンチを逆手にとり、男気で築いた人脈と政治力で強引にねじ込み、合併を成し遂げた。

平成28年12月8日
何度か記したと思うが、高砂部屋の歴史は初代高砂浦五郎に始まる。初代は、天保9年(1838)千葉県東金市生まれで本名山崎伊之助。21歳で阿武松部屋に入門(途中から千賀ノ浦部屋)。はじめ東海大之助の四股名で、後に松ヶ枝鶴之助。三段目の頃に姫路藩酒井侯のお抱えとなり高見山大五郎と改名。明治2年に入幕して最高位は前頭筆頭。明治4年に姫路藩から高砂浦五郎の名を頂戴し、明治6年に協会改革を訴えるも除名され脱退、改正高砂組を立ち上げる。明治11年に調停成って年寄高砂として復帰。明治11年5月場所から高砂部屋の歴史が始まった。

平成28年12月7日
午後からインフルエンザ予防接種。むかしCMで、♪すもうとり すっぽんぽんで 風邪引かん!♪というフレーズがあったが、おすもうさんも一般人並みに風邪を引くしインフルエンザにも罹る。団体生活ということもあるし、とくに体が疲れ切った頃や場所後にホットして気が抜けた時など罹りやすい。江戸寛政期の横綱谷風の死因は当時江戸で流行ったインフルエンザで、人々はこれを「タニカゼ」といったという風説もある。

平成28年12月3日
巡業組あすの巡業地大分へ出発。大分のあと中津、直方、佐世保、大牟田、天草、熊本、都城と一日興行がつづき、一日おいて13日(火)が佐賀。十両以下は佐賀から帰京するが、幕内以上は船で奄美へ渡り、沖縄宜野湾、宮古島と2日興行を行って22日(木)の帰京。残り番の力士で家財道具一式、チャンコ場プレハブ、自転車等をトラック2台で大牟田の倉庫まで引っ越し。お天気に恵まれ順調にすすむ。仕切りのカーテンやゴザを外し本堂もガランと広くなり、祭りのあとの寂しさが漂ってくる。一ヵ月半に及ぶ唐人町での暮らしも今日限り。残り晩も明日相撲列車(新幹線)にて帰京。


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若松部屋日記
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