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今日の高砂部屋
平成27年4月22日
三河島事件も新橋倶楽部事件同様、関脇以下の力士が協会に待遇改善を訴えた。前回同様横綱大錦と栃木山そして大関陣、立行司ら7人組が間に入り調停に努めたが、両方から拒絶される。最終的に当時の警視総監が調停者となりようやく10日目の午前0時に和解。深夜、総監の招きで日比谷平野家で、協会代表4人、力士会代表3人、横綱大関らの7人組とが手打ちの祝宴。和やかな雰囲気の中、中座した横綱大錦は自ら髷を切り落とした。「この度の粉擾でわれわれの努力が功を奏せず、閣下のお手にゆだねましたことは、不徳不明の致したところと、深くお詫び申し上げます。(中略)横綱の面目をつぶした以上、私は土俵の自信もなくしました。ここに髷を切って今日限り引退を決意した次第でございます」 力士会代表の司天竜が号泣する中自宅に戻り、以後相撲界から身を引いた。

平成27年4月21日
新橋倶楽部事件の中心になったのは浪ノ音(高砂部屋)や緑島(雷部屋のちの立浪親方)等関脇以下の力士達。常陸山等横綱・大関が間に入って協会との仲裁にあたったが、もつれにもつれ24日間に亘っての争議となり、力士団が養老金1500円(当時は年寄名跡が買える金額)という退職金制度をかち取った。その後、大正6年の失火による国技館全焼という惨事や時代的不況の影響を受け協会の台所も苦しくなっていく。再び力士の不満がたまり、大正12年1月、初日の前日に待遇改善を訴えた三河島事件勃発。

平成27年4月19日
徳之島の久志哲哉さんは、相撲をこよなく愛していた。自ら相撲を取り、子供たちを教え、審判として土俵に立ち、相撲グッズを集め、大相撲の力士の面倒もみた。場所が始まると、自宅前に力士幟を何本も立てた。優勝祝賀パーティー、断髪式、結婚式、・・・徳之島からはるばる足を運んでくれた。2年ほど前から体調を崩し入退院を繰り返していたようだが、夏場所応援にいくから、稽古場だけでもいくから、とつい先日電話で話したのに叶わなかった。久志さんの相撲を愛する気持ちは、奄美出身力士に、わんぱく力士に、アマ力士にこれからも引き継がれていくことであろう。享年67歳。心よりご冥福を祈ります。

平成27年4月18日
相馬基著『相撲五十年』(昭和30年時事通信社)によると、明治44年の幕内給金(本場所開催時のみの支給)は上位で45円ほど、最高が65円どまりであった。さらに、部屋住みの関取は4分を師匠に渡し、自分の取り分は6分。所帯持ちの関取は、8分を取り、2分を師匠に納めていたという。当時の公務員(役所)の初任給が55円だったようだから、かなり少ない。大部分の力士は給金など当てにしないで、後援者の世話になって体面を維持しているのが現状であった、とある。

平成27年4月17日
中村楼事件の直後、70条におよぶ「東京大角觝協会申合規約」が出来、元横綱初代梅ケ谷の雷親方を取締として更なる民主化がすすんだ。折から常陸山、2代目梅ケ谷の台頭で相撲人気も空前の好況をみせる。明治36年横綱に同時昇進して梅・常陸時代を築き、明治42年の両国国技館建設が実現。晴雨にかかわらずの大幅な観客増につながった。しかしながら、多額の借金での建設だったため、力士の給金は変わらず。明治44年1月、待遇改善を求めて新橋倶楽部事件が起きた。

平成27年4月15日
改革を迫るも除名され独立した初代高砂は、明治11年に復帰し徐々に発言力を強め明治16年には取締に就任。力士への収益配分を決め「力士が相撲で食える」システムをつくっていった。他にも年寄名跡の制限や記者席の設置、選挙制度など数々の改革を行い大相撲の民主化に努めた。ところが権勢を強めるにつれ専横ぶりがひどくなり、明治29年1月「われわれは不正なる取締の配下にあるを潔しとせず」との檄告書を力士30余名の連名で出され本場所をボイコットされる事件が勃発。さすがの初代高砂も最後には折れ辞任。両国中村楼で手打ち式が行なわれたため中村楼事件といわれている。

平成27年4月14日
江戸時代の力士は大名お抱えであった。平均して五人扶持(年間およそ25俵)をもらっていたという。ただし、お抱えとなり扶持米をもらえるのは一部有力力士のみで、大多数は部屋毎の小相撲と呼ばれる巡業で何とか食いつないでいた。江戸から明治に変わり、大名のお抱えが解かれ、後援者も相撲どころではない。関取衆といえども日々の生活にさえ困窮している。それにもかかわらず会所(協会)の筆頭(理事長)と筆脇(副理事長)が利益を独占し、力士の犠牲の上に大あぐらをかいている。これを許してよいものか、と初代高砂浦五郎が改革を迫った。

平成27年4月13日
もらえるべき金がもらえないと不満がたまり、やがて爆発する。大相撲が組織だった形になった江戸中期から現在に至るまで何度か大きな事件が起こったが、ほとんどが待遇改善を訴えたものであった。明治6年秋の騒動は、初代高砂浦五郎が中心となった。会所に改革を迫るも除名となり、名古屋で改正高砂組を立ち上げ独立した(明治11年復帰)。その後も明治44年1月新橋倶楽部事件、大正12年1月の三河島事件、そして昭和7年1月の春秋園事件とつづいた。

平成27年4月12日
昭和32年5月以前は歩合制による分配であった。本場所開催時は協会から興業収入が分配されるが、普段は一門毎の「組合」で巡業に出て、組合からの分配金での生活。いわば、自分たちの食いぶちは自分たちで稼げ、という形で、人気力士のいる一門とそうではない所では集客力に差があり、また時代による波もあり、不安定であり不明瞭でもあった。月給制にするにあたって、巡業を一門別から大合併にし、本場所も昭和32年に年5場所、翌33年に年6場所と増やしていった。

平成27年4月11日
時津風新理事長のもと相撲協会の民主化改革は急速に進み、早速5月から月給制が実施された。『相撲昭和史激動の五十年』によると、初の月給は、横綱15万円、大関11万円、関脇・小結7万円、平幕4万5千円、十両3万円。立行司・副立行司が7万円、三役格4万5千円、幕内格3万円、十両格1万8千円。年寄りは取締15万円、理事・監事9万円、検査役7万5千円、主任4万5千円、常勤年寄3万5千円となっている。ちなみに昭和32年の教員の初任給は8千円だったそう。

平成27年4月10日
国会での質疑は、とくに茶屋問題に集中したという。公聴会のあとの4月11日、文教委員会理事会は文部大臣に「相撲協会は公益法人たる本来の事業である相撲専修学校を設立し、相撲の普及や指導に努めること。茶屋制度を廃止し、キップの販売については大衆が容易に入手できるようにすること。蔵前国技館は保健衛生や防災の見地から観覧席を改良すること。力士や年寄たちの給与を改善し、健康保険制度を確立すること」という申し入れをした。当時の理事長は、元横綱常ノ花の出羽海親方。夫人はお茶屋の経営者であった。5月4日、国技館で出羽海理事長の割腹自殺未遂事件がおこり、理事長を辞任。5月6日、元双葉山の時津風親方が理事長に就任した。

平成27年4月9日
同じく参考人として呼ばれた永井高一郎氏は、阿久津川の四股名で大正から昭和にかけて活躍した高砂部屋の力士。昭和4年に引退して佐渡ヶ嶽親方となり横綱男女ノ川を育てた。理論家で相撲の科学的研究に熱心で、昭和36年『大相撲』誌によると、親方になってから名古屋大学熊谷博士のもとで2年、体育研究所の吉田博士のもとで4年、生理学および運動生理学を勉強したとある。昭和8年、現在の相撲健康体操のもとになる“相撲基本体操”を考案した。

平成27年4月8日
武蔵川理事は、元前頭筆頭出羽ノ花。昭和7年1月の春秋園事件で幕下から抜擢されて新入幕。15年5月場所に引退。現役時代から頭脳明晰で知られ、引退後すぐに執行部入り。親方になってから簿記の専門学校に通い経理を学び、戦前から戦後にかけての混乱期の相撲界を支えた。相撲協会の大蔵大臣といわれたという。国会での鮮やかで堂々とした態度の答弁は代議士連中を驚かせ、「相撲協会に置いておくのはもったいない、ぜひ立候補させたい」という声が上がったが、「代議士などになるより、代議士を働かせるほうがおもしろいよ」と言ったという。

平成27年4月7日
3月2日は大阪場所の初日が迫る頃。高永武敏著『相撲昭和史 激動の五十年』(恒文社)によると、「仰天した協会では、監督官庁の文部省と接渉しながら、協会民主化改革案の作製にとりかかった。大阪の春場所中に一応の成果を得て、武蔵川理事(元出羽ノ花)が辻原委員たちに説明。4月3日、衆議院文教委員会は公聴会を開き、協会の武蔵川理事と若瀬川泰二、永井高一郎(元佐渡ヶ嶽理事)、和久田三郎(元天竜)、御手洗辰雄(評論家)、岩原祐(保健体育審議会委員)の6人を参考人としてよんだ」とある。

平成27年4月5日
相撲教習所ができたのは昭和32年10月から。この年の3月2日、衆議院予算委員会で社会党辻原委員が質問に立ち、「相撲協会は、公益法人である財団法人として、寄付行為に定められた本来の事業を実施せず、プロ野球やプロレス以上にもうけ仕事だけの興業団体化している」と、相撲協会のあり方が国会で指摘され、世論も巻き込んでの大問題となった。この問題に対応する形で、運営審議会の設置、月給制の導入、2階の桟敷席をイス席に改良、などの改革が行なわれ、10月から相撲教習所が開校された。

平成27年4月4日
花冷えの東京。大阪場所で初土俵を踏んだ朝森本朝山端朝達家の3人は相撲教習所通いの毎日だが、土日は教習所が休みのため部屋での稽古。大阪の稽古場ではふらついていた四股も大分様になってきた。相撲教習所は番付発表前の週までつづく。4月27日(月)の番付発表で初めて番付に四股名が載り、番付発表後は部屋での稽古をつづけて5月夏場所で序ノ口の土俵に上がる。

平成27年3月30日
28日土曜日に帰京。十両朝赤龍と付人朝興貴は春巡業へ出発。きのうが伊勢神宮奉納大相撲で、今日は南あわじ市。あす姫路に行って、4月2日は高野山で開創1200年記念大法会開白の横綱奉納土俵入り。3日は東京に戻って靖国神社奉納大相撲。4日以降は週末を利用して藤沢、静岡、三郷、市川、常陸大宮、高崎、水戸とつづき19日(日)帰京。昨年好評だった幕張メッセでの大相撲超会議場所が今年も4月25(土)26日(日)と開催されるよう。4月27日(月)に番付発表。

平成27年3月22日
14年ぶりの15日間満員御礼となった大阪場所も千秋楽。今日の一番に勝越しをかける朝赤龍、土俵際粘りの相撲で勝越し。今場所絶好調の朝弁慶、今日は快心の押し相撲で6勝目。来場所はおそらく幕下10枚目以内の予想で、番付発表が楽しみ。朝乃丈も5勝目。先場所が悪かったとはいえ、期待の力士が期待以上の成績を上げ、千秋楽祝賀会も祝勝ムード満載。あすからは稽古が休みになり、宿舎の片付けをしながらも気分的には安らげる1週間。28日(土)に帰京と巡業出発。

平成27年3月18日
“給金を直す”の給金は、月給ではなく褒賞金のこと。勝越し1点につき50銭の昇給だから(現在の支給額は4000倍)、かなり昔にできた制度だろうが、能力給と年功給をミックスさせたような実によくできた給与システムだと思う。場所毎(年6回)の支給で、入門すると全力士につくのだが、支給されるのは関取(十両以上)のみ。元幕内力士でも、幕下に落ちてしまうと褒賞金の支給はなくなる。幕下以下は支給はないのだが、帳面上は給金が上がっているので、「お蔭さんで給金直しました」と挨拶する。今日も大子錦、朝乃丈、朝興貴の3人が給金を直す。

平成27年3月17日
勝越しがかかる一番を給金相撲という。本場所の一番はいつでも緊張感があるが、給金相撲のときには、より一層緊張感が高まる。きのう、三段目朝乃丈が今場所初の給金相撲に挑んだが敗れ、今日は序二段で~山、朝ノ島、幕下の朝弁慶と、3人が給金相撲。~山が今場所第一号の勝越しを決め、朝ノ島は給金直せず。幕下朝弁慶、相手に何度か残られるも、湘南の重戦車ぶりを発揮して寄り切りでの給金。いつもに増して緊張感が高い分喜びも大きい。部屋へ戻り、「お蔭さんで給金直しました」と挨拶する大きな体からは、安堵と喜びがいっぱいに溢れ出ている。

平成27年3月16日
こちらも古本屋でみつけた読売新聞社『大相撲』誌昭和40年4月号から。春場所総決算號で「若いもんには負けられない」というタイトルで、花籠部屋大豪、時津風部屋若杉山、伊勢ケ浜部屋開隆山と、活躍したベテラン3力士とNHK北出アナとの座談会。時津風部屋若杉山が、最近の好調ぶりを振られて、「実は理事長(元双葉山)が昨年、部屋で皆を集めて約一時間半ばかり相撲の理論というものを説いてくれたことがあった。それを聞いて、これはいいことを聞かしてくれたな、とほんとうにそう思ったですね。 (中略) けいこのしかたについても、昔からいいろいろよく研究されてきている。それを守っていれば間違いない。相撲は長い伝統があり、ムダなことは全部はぶいてこんにちの相撲が伝わってきているので、ムダなことは少しも伝わっていないのだ。からだを整えるには、シコと鉄砲をやればよい。ほかのことはやらなくても、シコと鉄砲だ。相撲は奥深いものだということをかみくだいて説いてくれました」、とある。まさに、シンプルなだけに奥深い。朝山端朝達家、朝赤龍関の化粧回しを締めて二番出世披露。

平成27年3月15日
足の怪我で前相撲を休場中だった朝山端、今日初めて土俵に上がる。「思ったより緊張しなかった」とのことで、パワーを生かした相撲で初土俵初白星。もう一人朝達家の方は、4連敗となったものの、「今日は当たれました」と少しは慣れてきた模様。あす二人共お昼過ぎ三段目取組途中、本土俵の上で二番出世披露される。

平成27年3月14日
日本相撲協会公式サイトでは、その日の全取組の録画も見ることが出来る。三段目朝乃丈 、部屋へ戻ってくるなり、「一ノ矢さん、自分の相撲見れますか!」と勢い込んできた。そんなことを言うのは初めてなので早速サイトを開いてみるも、まだ序二段の取組までしか録画がない。夕方もう一度来て再生。大きな相手に、いい当たりから、しつこくおっつけ、最後は豪快な上手投げと勢い込んできたのも頷けるいい内容。前向きに相撲を取っている時は本当にいい相撲を取る。「いつもこんな相撲をとればすぐ幕下上がれるよ」と言うと、「6番かちたいっすね!」「いや、まずは勝越したいっすね!」とごきげん。この勢いで残り3番も取ってもらいたい。来週日曜日梅田ヒルトンホテルにて行なわれます高砂部屋千秋楽打上パーティーのご案内です。朝乃丈、めでたく6番勝っているかどうか・・・現場でわかります。

平成27年3月13日
『相撲』昭和38年3月号には、初場所の星取り表が載っている。昭和38年初場所の高砂部屋幕下は13人。うち奄美出身力士が2人いる。宇検村出身の大島洋と徳之島出身の左文字。左文字は、以前中村部屋にいた闘進力の父親にあたる。三段目にも13人。三段目力士の中には、白田山、前ノ山という名前がある。白田山は入門4年目19歳。前ノ山は入門丸一年18歳になったばかり。二人共75kg、80kgといわゆるソップ型。序二段には8人。序二段77枚目に若松部屋伊藤の名前がある。のちの大鷲さんである。入門半年の17歳。初場所は惜しくも3勝4敗と負け越してしまった。序二段にも徳之島伊仙村出身力士が一人。本名藤正作、紫電の四股名。現在の高砂部屋は総勢13名。幕下以下力士を引っ張る朝弁慶、2勝1敗と白星先行。

平成27年3月12日
5代目高砂親方の横綱朝潮は徳之島の出身。昭和31年から33年まで大阪場所で3連覇を果たし、翌34年も大関で13勝2敗の成績で横綱昇進を決めた。最後の優勝となる5回目の優勝も昭和36年の大阪場所で、「大阪太郎」と呼ばれたことは古い相撲ファンにとっては懐かしい響きであろう。横綱朝潮と同じ徳之島出身の朝ノ島、3連勝。2年前に四股名を朝ノ島次郎に改名してから大阪場所2年連続で勝越して今年も勝越しまであとひとつ。今場所5勝くらい上げると、「大阪次郎」と呼んでいいのかもしれない。前相撲の朝森本、朝赤龍関の化粧回しを借りて新序一番出世披露。

平成27年3月11日
横綱朝潮が引退したのが昭和37年1月場所。38年3月場所の高砂部屋は、前頭筆頭の富士錦(6代目高砂親方)が部屋頭。他幕内に前田川、若前田といて、十両に朝ノ海、東錦、大緑、響矢、高錦と関取8人の部屋。それでも永らく横綱がつづいた部屋だからか、『相撲』誌では、ここ数場所不振つづきの高砂部屋という記事が出ている。「相撲部屋聞き書き帖」では、若松部屋房錦の1歳半になる娘への子ぼんのうぶりが紹介されている。前相撲朝森本、2勝目を上げて明日5日目に一番出世披露。

平成27年3月10日
部屋の近くの古本屋で、ベースボール・マガジン社『相撲』昭和38年3月春場所展望號を見つけた。昭和38年大阪場所での各部屋の宿舎一覧が載っている。ほとんどの部屋が谷町筋界隈にある。北から順にいくと、谷町8丁目の角の本政寺に横綱大鵬の二所ノ関部屋。谷町筋の向かい久本寺に宮城野部屋。南向かいの願生寺に錦島部屋。さらに南へ下って現在と同じ久成寺に高砂部屋、その隣の本経寺に若松部屋。谷町9丁目の交差点を越えて生国魂神社の隣の齢延寺に三保ケ関部屋。その隣銀山寺に花籠部屋。その隣大宝寺に立浪部屋。その横、大善寺に高島部屋、圓通寺に伊勢ケ浜部屋、隆専寺に出羽海部屋、菩提寺に春日野部屋、一乗寺に小野川部屋と密集している。当時はお風呂も銭湯だったろうから、谷町界隈はお相撲さんで溢れかえっていたことであろう。

平成27年3月9日
今日から前相撲。小学生のとき相撲経験のある朝森本は、押し込んで投げの打ち合いに勝っての初白星。相撲初体験の朝達家は、押し込まれて少し粘るも押し出しでの負け(本人談)。山端は、足の傷から化膿して熱を出し無念の休場。回復次第出場予定。前相撲は一日おきに取り、2勝すると出世となるから、朝森本は4日目の次の相撲に勝つと5日目に一番出世披露となる。二番出世は9日目に披露される。

平成27年3月8日
「浪速の春は春場所から」というように、きのうの雨が上がり、春場所らしい穏やかな初日。一番手に登場は、今場所勝越して三段目昇進目指す朝金井。仕事柄大阪へ出てくることも多いという父親も応援に来ていたそうだが英姿を飾れず。その後も3連敗と先場所に引き続きの曇天スタート。あすから仕切り直し。新弟子たちは、マワシを真新しい風呂敷に包み、着物を用意して、あす2日目からの前相撲の用意。前相撲は非公開だが、親族に限り観戦できる。

平成27年3月7日
山端(やまばな)克忠君は兵庫県加西市の生まれ。中高と剣道部に所属し、大学1年生まで剣道をつづけていたが、ボディビルの世界に飛び込み、3年で全日本新人大会5位という成績を残す実力をつけた。大阪市内のジムでインストラクターとして働きながらトレーニングに励んでいるところをコノミヤ芋縄社長に見い出され、口説かれ、大相撲界への転身を決意。相撲はまったくの未経験だが、3年でデッドリフト300kgの類いまれなる怪力と、とことん自分を追い込むトレーニング好きな精神は将来を大いに期待させる。触れ太鼓が初日の触れ。明日の取り組みはこちら。前相撲は2日目から。

平成27年3月6日
森本啓太君は大阪高砂部屋宿舎から程近い阿倍野区の出身。大阪産業大学付属高校のときにウエイトリフティングをはじめ、近畿大学でもウエイトリフティング部。コノミヤ芋縄社長の関係の大阪高砂部屋スカウト部長とでもいうべき方がおられて、その方の紹介での入門。小学生の頃、市内の道場で相撲をやっていて、わんぱく相撲の大阪府代表として国技館の土俵に上ったこともある。小学校以来相撲から遠ざかってはいたが、子供の頃の経験は体が覚えていて、立合いしっかりといい当たりができている。

平成27年3月3日
兵庫県三木市出身の達家(たつけ)君は、いまどき珍しい志願兵。去年の8月末に夏休みを利用してお父さんと二人で両国に来た。とくにあてはなく、いくつかの部屋を見学しようと思っていたそうで高砂部屋に電話をかけてきた。泊まっているホテルでお会いして話を聞くと、お父さんは大関朝潮のファンとのことで部屋で師匠と面会してもらい話がとんとん拍子に進んだ。面会の時もお父さんの隣で黙って座っていた達家君、相撲経験はまったくなくおとなしく心配していたが、腰割りや四股、すり足、ちゃんこ番の洗い物など、黙々とこなしていくタフさがある。

平成27年3月2日
先週土曜日2月28日に高砂部屋激励会。その日の午前中に3月場所新弟子検査が行なわれ高砂部屋から3人が受検。3人共無事合格して夜の激励会で早速紹介される。兵庫県三木市出身達家(たつけ)貴芳君14歳(平成12年3月31日生まれ)。大阪市阿倍野区出身森本啓太君22歳(近畿大学4回生ウエイトリフィング部)。兵庫県加西市出身山端(やまばな)克忠君22歳(デッドリフト300kgを引くボディビルダー)と楽しみな3人。

平成27年2月27日
高砂部屋が久成寺を宿舎にしたのは、昭和34,5年のことのよう。宿舎にしてすぐの昭和36年はお寺の事情が何かあったのか2軒隣りの江国寺を宿舎にしている。その間を差し引いてもおよそ55年ほどお世話になっていることになる。稽古場も50年くらいにはなるようで、羽目板には汗と泥が沁み込んで渋みのある光沢を醸し出している。『ぼっこ』と呼んでいる着物を吊るす角材(4cm角長さ2mほど)も、どうみても30〜40年はたつ年期ものを未だに使っている。昔ながらの木製ハンガーには、小錦や砂浜といった懐かしい名前も書いてある。宿舎久成寺の隅々に高砂部屋半世紀の歴史がしみ込んでいる。あす上六都ホテルにて激励会

平成27年2月24日
稽古始め。午前6時半稽古開始して8時半から土俵祭り。土俵祭りや宿舎の様子ならびにご住職にNHK大阪放送局が取材。50年以上にわたり谷町で宿舎を構える高砂部屋と、奈良県大和高田市に宿舎を構えて10年余りの錣山部屋を紹介する番組で、3月4日(水)午後6時台の関西地方向けニュース番組『ニューズテラス関西』で放送とのこと。春場所大相撲中継中入りの時間(9日目辺り?)でも放送予定だそうです。

平成27年2月23日
3月場所番付発表。わりと番付運のいい朝赤龍、先場所5点の負越しであったが2枚目から3枚の降下ですみ十両5枚目。幕下は朝弁慶が4枚上がって21枚目。朝天舞、同じく4勝ながら10枚上がって41枚目。朝興貴は三段目陥落だが東の筆頭。三段目で一番強いおすもうさんと、やゆされることもある。朝金井が自己最高位の序二段24枚目。5630300と5631000のお客様、送り先を書いてメールください。3月場所新番付と高砂部屋便り44号をプレゼントいたします。あすから稽古開始。

平成27年2月22日
東京残り番も全員大阪乗り込み。午後6時よりちゃんこ朝潮徳庵店にて毎年恒例の大阪高砂部屋後援会特別会員チャンコ会。会員とその家族の方々と鍋を囲み一年ぶりの再会を祝す。3月場所で新弟子検査を受ける3人も合流。兵庫県三木市出身15歳陸上部と大阪阿倍野区出身の大学4年生22歳ウエイトリフティング部、兵庫県加西市出身の22歳ボディビルダーと、多彩な顔触れ。2月28日が新弟子検査。あす番付発表。

平成27年2月18日
後輩の一人は、近大の2年生から4年生までの3年間、大阪場所での運転手を務めたという。気の置けない仲間に支えられて昭和53年デビューの3月場所を幕下全勝優勝で飾り、昭和55年3月場所では初の金星と殊勲賞、昭和58年3月場所は12勝3敗の成績で大関昇進を決めた。そして昭和60年3月場所は、念願の初優勝に輝き優勝パレードに沸いた。引退したのも年号が平成に変わった3月場所。毎年中日8日目には、みんなを集めての食事会が恒例だった。中日の食事会はいまだにつづいている。

平成27年2月17日
毎年新大阪に迎えに来てくれる嶋川さんは近大OBで師匠の2年後輩。学生時代からの付き合いで、大阪場所中で仕事が休みのときは連日体育館に応援に行ったという。他にも学生時代からの仲間が十数人いて、まずは地下の食堂に集まり景気づけだそう。他の取り組みにはまったく興味がなく、朝潮の出番が近づくと2階席の四方に分かれて陣取る。近くの観客にも声をかけ、「アサシオ〜」と、大声援。取り組みが終わると、そそくさと帰ったという。

平成27年2月16日
場所前恒例の高砂部屋激励会、例年通り初日一週間前の土曜日(2月28日)に上六都ホテルにて開催されます。千秋楽打上げは、昨年と同じく梅田ヒルトンホテルにて3月22日(日)の開催です。みなさまのご参加お待ち致しております。

平成27年2月15日
先発隊7人(大子錦、朝乃土佐、朝天舞、朝乃丈、朝興貴、朝金井、松田マネージャー)大阪入り。新大阪駅改札には1年ぶりの嶋川さん(師匠の大学の後輩)の顔。毎年、車を手配して迎えに来てくれる。正午過ぎ、宿舎久成寺入り。大阪場所宿舎としてお世話になり55年目になる。さっそく琉球大学OB会からビールの差し入れがあり、夜はちゃんこ朝潮鴫野店にて晩飯。今日から1ヵ月半におよぶ大阪での生活が始まる。

平成27年2月12日
高砂部屋にも、年末の餅つきやちゃんこの取材に来たBSフジ『感動!大相撲がっぷり総見』 〜2015年初場所徹底解析!白鵬、孤高の高みへ〜は、2月15日(日)13:00〜14:25の放送だそうです。解説は元琴錦の中村親方。

平成27年2月11日
人間の重心は丹田(下腹部)にあるから、股関節は重心に一番近い関節だといえる。一番近い関節がガチガチに固まっていると、重心のコントロールがうまくいかない。逆にただ柔らかいだけでも、激しいぶつかり合いでは大怪我につながってしまうこともある。重心を最適な位置にコントロールするために、腰割りや四股や股割りがあるのだと思う。NHK福祉大相撲。太鼓打ち分けや相撲甚句、初っ切り、親方や関取り対女性歌手によるお楽しみ歌比べ、綱締め実演等、盛りだくさんのプログラム。2月21日(土)午後3時半より放送の予定。

平成27年2月10日
なぜ股関節をやわらかく保たなければいけないのであろう。相撲では、腰を割るためである。相撲は重心を崩し合う競技だから、腰を低く保った方が有利になる。股関節が固いと、腰を下ろそうとするとお尻が後に逃げてへっぴり腰になってしまう。安定が悪くなり、相手への力も伝わりにくくなってしまう。腰の入った動きができなくなってしまう。もちろんやわらかいだけではダメで、上半身と下半身をつなぎ、常に重心がベストのポジションにコントロールされるためのやわらかさが求められる。15日日曜日から先発隊大阪へ出発の為、今日から大掃除開始。

平成27年2月8日
朝稽古は休みのため、掃除のあと地下のトレーニングルームで基本のおさらい。腰割り、四股、伸脚、股割りと基本動作をくり返す。さすがにサッカーのエリート選手だけあって、一日で腰割りがかなりよくなっている。15歳という若さのおかげでもあろう。1週間もつづければ、かなりいい腰割りができそうである。股割りは今日も厳しいが、お尻の下に座布団を敷き、ぼんのくぼ(首の後ろ)のマッサージや耳を上に引っ張る秘技を伝授。股関節が少しづつゆるんでくる感覚が味わえれば毎日の習慣にできるはず。これを機に日々のトレーニングの中に取り入れていってほしい。

平成27年2月7日
JAFアカデミーの中学生3人マワシを締めて稽古に参加。さすがに運動神経がよく、四股も生まれて初めてにしては飲み込みが早い。200回の四股も休みなく踏みつづけられる。普段からしっかりトレーニングしているのがよくわかる。ただ股関節が固い。股割りはもちろんだが、四股の基本である腰割りの構えで腰が逃げてしまい、膝が中に入ってしまう。腰が割れない。でも赤ん坊の頃ははみんな腰が割れていた。元来日本人は大人になっても腰を割るのが得意な民族であった。外での遊び、和式トイレ、胡坐や正座での食事、・・・子供のころからの和の生活様式が股関節の柔軟性を保っていたのであろう。

平成27年2月6日
JAFアカデミー福島の中学3年生3名が今日から2泊3日の体験入門。世界で戦える選手、人材育成を目指して始まった中高一貫教育のサッカーアカデミー。東日本大震災の影響で、拠点を福島から御殿場に移しての寮生活だという。さっそく掃除やちゃんこ番、買い出しなどを一緒に手伝っている。明日はマワシを締めて稽古に参加。マワシを締めるのも、もちろん初めての体験。

平成27年2月4日
四国限定だそうですが、2月6日(金)夜8時より横綱前田山の生涯をたどる番組が放送されます。NHK松山放送局制作の番組で、好評なら全国放映もあり得るとのことです。今晩9時よりBS-TBSにて飛鳥U大相撲クルーズの模様が放送されます。高砂部屋も映るはずです。

平成27年1月30日
あす1月31日(土)午後2時より江戸川区総合文化センターで『第34代木村庄之助の相撲講座』が開催され、ゲストとして高砂部屋十両呼出し利樹之丞が出演予定。講座は3回講座で、明日が1回目「相撲を支える脇役、呼出しとは?」。2回目は2月21日(土)に「相撲の歴史と行司の役割」。3回目は元横綱武蔵丸の武蔵川親方をお迎えして下角陽子アナウンサーとともに「相撲放談」。講師の34代木村庄之助の伊藤勝治氏は、江戸川区出身で2008年に定年退職。退職後も講演活動などを行なっている。初場所同様大人気で、完売御礼!とのことです。


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