Last modified 2015,5,24


 ○部屋案内  ○親方紹介  ○力士紹介  ○裏方紹介  ○新弟子募集  ○チャンコ  ○相撲豆知識  ○今場所の星取表(UP5.24)
 ○行事・イベント(UP5.15)  ○後援会ご案内  ○高砂部屋応援掲示板  ○高砂部屋写真掲示板 ○高砂部屋iモード版
現在親方2名・力士12名・行司2名・呼出し2名・床山1名・若者頭1名・世話人1名・マネージャー2名

いらっしゃいませ、 番目のお客様。
ご意見・ご質問のメールは、こちらまでお送りください。
6000000番目のお客様はメールを下さい。高砂部屋チャンコご招待&粗品を進呈致します。
takasago@kub.biglobe.ne.jp
件名(タイトル)がないとメールがとどきません。必ず件名を入れて下さい。

今日の高砂部屋
平成27年5月21日
朝弁慶、勝越し。今日もぶちかまして前に出る重戦車相撲に徹し、自己最高位での嬉しい勝越し。何枚上がるかは周りの成績との兼ね合いだが、もう一番積み重ねると、より上がることは間違いない。5勝目をかけた一番はあさって14日目.。元十両旭大星との対戦。朝森本、うれしい勝越し。「ホッとしました」と安堵の笑顔。朝山端5勝目。こちらも日に日に気合いの入った表情。朝興貴、~山は3勝目で勝越しへ望みをつないだ。幕下以下は残り一番。今日まで勝越し、負越し共に3人ずつ。5人が3勝3敗で、あすからの最後の一番に勝越しをかける。

平成27年5月19日
朝弁慶、3勝目。2連敗スタートで心配されたが3連勝で勝越しまであと一番。だんだん相撲内容も良くなってきて、今日も頭からぶちかまして相手を押し込み、腕もよく伸びての押し出しと、得意の重戦車相撲で気をよくする3勝目。8月末には恒例の平塚合宿が今年も行なわれる。まずは勝ち越しを決めて番付を上げ、合宿直前の名古屋場所に臨みたい。朝金井、大子錦、負越し。朝山端、宇良相手に攻め込むも肩透かしでの初黒星。

平成27年5月18日
序ノ口の朝達家朝森本ともに3勝目。相撲経験が全くなく体にも恵まれない朝達家、部屋の稽古では同期生の2人はもちろん、今場所初土俵の朝大門にも全く歯が立たないが、「場所相撲か?」と、皆を驚かす大奮闘の3勝目。今日も低く当たって左差して前に出ていき、土俵際上手投げで振り回されたたものの、わんぱく相撲のようにクルッと土俵内に戻り寄り切りでの勝ち。朝森本も双差しから土俵際残る相手を寄り倒し。こちらは小学生の頃の相撲経験を生かしたうまい攻めをみせての3勝目。同期生3人揃っての勝越しも見えてきた。

平成27年5月16日
朝山端、4連勝で勝越し。今場所の勝越し第1号。3月場所前相撲の土俵に上がってから未だ負け知らず。もっとも前相撲は蜂窩識下炎で休み、最後の一番取っただけで、その後も首を痛めたり風邪を引いたりと体調面で苦労をしているが、本場所で見事に結果を出してきた。おそらく5連勝目は話題の木瀬部屋宇良との対戦になりそうで、持ち前のパワー全開でぶつかっていってもらいたい。朝大門、今日で前相撲を取り終わり、あす出世披露。

平成27年5月15日
幕下上位五番は、十両土俵入りの後に行なわ、控えの共用座布団も上位五番から用意される。昨年名古屋場所で初めて上位五番に登場した朝弁慶、そのときは初口だったので控えに座ることなく土俵に上がったそうだが、今場所は3日間とも控えに座っての土俵。「ふかふかして気持いいっす」とのこと。今日は、是より十枚目の一番前に登場。得意の重戦車相撲で初白星。朝興貴、~山にも初日。
5月24日(日)に行なわれます恒例の高砂部屋千秋楽打上パーティーのご案内です。

平成27年5月14日
「夏場所や ひかへぶとんの 水あさぎ」は久保田万太郎の句。水あさぎとは、水色がかった浅葱色で、緑みのある淡い青色とのこと。座布団の色は自分で決められる。朝赤龍の控え布団はエンジ色。3,4年前に名古屋の後援者の方と付人で関取の誕生祝いにプレゼントしたものだそう。その朝赤龍連敗スタートからの3連勝。早く幕内へ復帰してお蔵入りとなっているマイ座布団を再び使いたいところ。朝山端は無傷の3連勝。

平成27年5月13日
双葉山も新弟子の頃、座布団運びで失敗したことがあるそう。当時の立浪部屋幕内吉野山の付人として花道で待っていて、相手が横綱常ノ花なので、「うちの関取はとても勝てっこない」と半分諦めて見ていたら、あにはからんや打っ棄りで横綱を破った。「わたくしはまったくの無我夢中で、蒲団をあげることも忘れてしまって、部屋に飛び込んでゆき、吉関が勝った!吉関が勝った!と連呼したものです。あとで叱られたことを覚えています。」と、『相撲求道録』で述べている。昨日から始まった前相撲、朝大門(あさおおかど)嬉しい初白星。朝山端2勝目。

平成27年5月12日
控えですわる座布団を運ぶのも付人の仕事。これは新弟子の付人が行なう。2番前の力士が土俵に上がると花道を土俵下まですすみ呼出しに渡し交換してもらい、前の力士の座布団を受け取って帰る。ただし、控えでマイ座布団に座れるのは幕内のみ。十両は備え付けの座布団で、幕下以下は座布団はなし(畳のみ)。幕下朝天舞いい相撲で2連勝。そういえば、朝天舞も朝花田の四股名の頃、初めて幕内朝青龍の座布団運び(平成13年9月11日)をやったことがあった。朝達家も2連勝。

平成27年5月11日
付人は、支度部屋でもこまごま々と身の回りの世話をする。着物を畳み、化粧回しを締め、土俵入りが終わると素早く化粧回しをあげ、取組に集中できるよう様々とサポートする。狭い中、他の部屋の関取衆や兄弟子も多いから何かと気を使いながらの仕事。ふつう、一番下の付人が水とタオルを持ち準備運動をする関取の横に立つ。立合いの稽古で胸を出すのはある程度兄弟子の付人で、花道に付いていくのも兄弟子。風呂入れは下の方と、それぞれに役割分担がある。きのうの朝山端につづき、朝達家朝森本も初白星。十両土俵入り後、幕下上位五番に登場の朝弁慶、攻め込むも白星ならず。今日2日目も満員御礼の夏場所。

平成27年5月10日
初夏の陽気の夏場所初日。早々の満員御礼。8時20分開始で初口から二番目の土俵に上がった朝山端、立合い少々迷ったそうだがパワーを発揮して序ノ口初白星。今場所から朝赤龍の付人を務めることになり十両取組前の支度部屋にもデビュー。関取衆の取り組み前の準備運動や雰囲気を肌で感じいろんなことを大いに吸収してもらいたい。朝乃丈も久しぶりの支度部屋。3勝4敗の高砂部屋初日。

平成27年5月9日
双葉山の話は『相撲求道録』(昭和31年時津風定次著・黎明書房)から。口授筆録による書。歩き方の話から次のような話に繋がって興味深い。「戦時中の勤労動員のさい、実はわたしどもも、靴をはいた経験があるのです。これは力士としては大変なことでした。いままで靴をはいていなかったものが、にわかに靴をはくことによって、それは自然に親指の「ふんばり」に影響してきました。そのため土俵での「さぐり」がにぶくなってきたことは事実です。日常生活のちょっとしたことが、この一事によっても疑えないところです。」 明日が初日の触れ太鼓。朝ノ島は休場(網膜はく離のため)。

平成27年5月8日
その他にも洗濯や掃除、買い物などなど、付人稼業は何かと忙しい。その分おいしいこともある。出かけるときも付いていくから、自分たちではとてもいけない高級店や各界の有名人等と席を共にする機会も出てくる。何より四六時中一緒にいて、立ち居振る舞い、相撲に対する姿勢、強くなる気 ・・・ 肌身を通していろんなことを学べる。その気になれば得られるものはいくらでもある。横綱栃錦は師匠(元横綱栃木山)の付人として名人横綱としての心技体を磨いたし、横綱双葉山も17,8歳の頃元関脇玉椿の白玉親方に付いて、稽古や本場所に対する心構え、力士としての歩き方等学んだという。

平成27年5月7日
関取が風呂から上がり髷を結い直すときにはサッと肩にタオルをかける。結い終わるとちゃんこのお給仕。関取になると、ご飯は丼ではなく、ほとんどが普通のお茶碗を使う。しかもお茶碗に6,7分目と軽めによそうのが作法になる。関取の後ろに立っておかわりしたり、冷茶を注いだりする。ちゃんこが終わると用意していた着替えを着せ個室へもどるまでついていく。時にはマッサージをすることもある。そういうことを全部済ませてようやく風呂に入れる。

平成27年5月6日
付人は、文字通り関取に付いて身の回りの世話いっさいを行なう。朝、関取が部屋に来るとマワシを引っ張る。マワシを引っ張るのは、ゆるめず引っ張りすぎず適度な力加減が必要で、ある程度兄弟子にならないとうまくできない。関取によっては、稽古でテーピングや包帯用のサラシを使う場合もあるので、買い忘れなどないよう事前に用意しておかなければならない。関取が稽古をするときには、稽古ダオル(バスタオル)を2本持ち、一番取り終えるたびに、駆け寄り、砂を落としたり、汗を拭いたりする。目配り気配り素早い動きが常に求められる。

平成27年5月5日
関取は連日時津風部屋への出稽古。部屋へ戻ってきて風呂へ入る前にシャンプー。一度シャンプーで泡立ててから風呂場へ行き流し再度洗う。シャンプーをするのも付人の仕事。腰かけた関取の後ろに立ちクリーム状の海藻シャンプーをつけて泡立てる。海藻シャンプーが油落としには一番効果的なようで多くの関取衆が愛用している。風呂場で2,3度シャンプーをくり返しびんつけ油や汚れを落とす。もちろん付人が背中を流し、風呂上がりには背中や足をきれいに拭き取る。タオルも、顔拭き用、背中拭き用、足拭き用など4,5本用意しておく。

平成27年5月4日
初日まであと一週間をきり、朝興貴朝乃丈が関取のさがり張り。関取のさがりは、糊で固めてあるのだが、取り組みで折れるのでお湯で溶かしてクシをかけ糊で張り直す。毎場所前の付人の仕事のひとつ。以前はフノリを炊いて使っていたが、現在は市販の糊をうすめて使うこともあるよう。長年朝青龍のさがり張りをやってきた朝乃丈、朝赤龍のさがりを張るのは初めてだが、微妙にやり方が違うらしく、「こっちの方がきれいだ」「いやこうするのが正しい」と罵りあいながら仲良くやっている。普通2本作り、中日に取り換える。

平成27年5月3日
きのう今日と両国にぎわい祭り。ゴールデンウイーク恒例となって今年で13回目。昨日国技館土俵で二所一門連合稽古が行なわれ、今日は各種相撲関連イベント。おなじみチャンコや、相撲教習所土俵にての「力士に挑戦コーナー」では子供たちに混じって大人もマワシ姿で力士に挑戦。昨年まで木村朝之助が担当していた「相撲字で記念うちわ」、今年は木村悟志が担当。地下大広間では呼出し利樹之丞と邦夫による「太鼓実演」。はね太鼓を連弾してピッタリ息の合った見事なバチさばきを魅せていた。

平成27年5月2日
新弟子検査の基準は現在、身長167cm体重67kg以上で年齢23歳未満の男子。但し、三月場所は中学卒業見込者に限り、身長165cm体重67kg以上となっている。この検査基準は平成24年5月場所から。それまでは、第1検査が173cm75kg以上、第2検査が167cm67kg以上で運動能力検査を実施となっていた。それ以前も何度か基準値の変更があり、身長体重や年齢制限のない時代もあった。

平成27年5月1日
5月場所新弟子検査が行なわれ、10人受検。高砂部屋からも埼玉県羽生市出身大門(おおかど)優典君が受検して身長体重の体格検査に合格。内臓検査の結果を待って5月10日初日の日に正式発表となる。高砂部屋OB元攻勢力の角田氏(現埼玉相撲クラブ師範)と同じ警備会社に勤務していて昨年末の高砂部屋もちつきに参加したところスカウトされ入門に至った。178cm115kgの体格。今まで相撲経験はないものの中学で柔道、高校では空手と武道路線を歩んできた20歳。内臓検査に問題がなければ3日目から前相撲で初土俵を踏む。

平成27年4月30日
横綱大関に上がった人間でも、十両昇進を決めたときが一番嬉しかったと語る。給料を貰える(幕下以下は場所手当てのみ)のも大きいが、日常生活での待遇がガラリと変わってくる。付人がつくようになるし、ちゃんこのとき座布団を敷き、お膳も用意される。稽古が終わったらすぐ風呂に入り、風呂では付人が背中を流し、お客さんと一緒にちゃんこを食べられる。(幕下以下はお客さんが終わった後)本場所の土俵で締めるマワシも絹の繻子織の高価な締込みになるし大銀杏を結うようになる。場所入りも羽織袴の正装になる。(幕下以下は、浴衣か着流し)

平成27年4月29日
平成12年9月場所番付発表の日(8月21日)から朝青龍は関取になった。同じ日に朝乃翔は、怪我で関取から幕下に陥落。番付発表の日を境に、大部屋にいた朝青龍が4階の個室に移り、4階の個室にいた朝乃翔が2階の大部屋に移動(8月20日)してきた。十両最下位と幕下筆頭は半枚しか番付に違いがないが、待遇に大きな違いが出てくるため、悲喜こもごも様々なドラマが生まれてくる。

平成27年4月28日
相撲は番付がすべて、という.。「番付一枚違えば家来も同然、一段違えば虫けら同然」という言葉もある。給与や人事、待遇すべてを決めるのが番付で、新十両、新幕下・・・すべて番付発表の日から正式にその地位に上がったことになる。付人の変更なども番付発表の日を境に行なう。十両朝赤龍には、先場所まで朝ノ島と朝興貴が付いていたが、今場所から朝興貴に代わり朝乃丈が付くことになった。朝興貴は、朝弁慶と一緒に師匠の付人になった。朝乃丈は、入門以来横綱の付人を務めていたが、横綱引退後はずっと師匠の付人で、朝赤龍の付人は初めての経験。

平成27年4月27日
5月夏場所番付発表。先場所幕下21枚目で6勝を上げた朝弁慶、幕下東7枚目。いよいよ関取の座が目前にせまってきた。もちろん自己最高位。朝興貴は一場所での幕下復帰で41枚目。朝天舞が幕下53枚目。先場所デビューの3力士も初めて番付に名前を載せた。一番出世の朝森本が13枚目、二番出世の朝山端25枚目、朝達家26枚目。あすから稽古再開。5663000番目と5664000番目のお客様、送り先を書いて メールください.。夏場所新番付と高砂部屋便り46号をプレゼントいたします。

平成27年4月22日
三河島事件も新橋倶楽部事件同様、関脇以下の力士が協会に待遇改善を訴えた。前回同様横綱大錦と栃木山そして大関陣、立行司ら7人組が間に入り調停に努めたが、両方から拒絶される。最終的に当時の警視総監が調停者となりようやく10日目の午前0時に和解。深夜、総監の招きで日比谷平野家で、協会代表4人、力士会代表3人、横綱大関らの7人組とが手打ちの祝宴。和やかな雰囲気の中、中座した横綱大錦は自ら髷を切り落とした。「この度の粉擾でわれわれの努力が功を奏せず、閣下のお手にゆだねましたことは、不徳不明の致したところと、深くお詫び申し上げます。(中略)横綱の面目をつぶした以上、私は土俵の自信もなくしました。ここに髷を切って今日限り引退を決意した次第でございます」 力士会代表の司天竜が号泣する中自宅に戻り、以後相撲界から身を引いた。

平成27年4月21日
新橋倶楽部事件の中心になったのは浪ノ音(高砂部屋)や緑島(雷部屋のちの立浪親方)等関脇以下の力士達。常陸山等横綱・大関が間に入って協会との仲裁にあたったが、もつれにもつれ24日間に亘っての争議となり、力士団が養老金1500円(当時は年寄名跡が買える金額)という退職金制度をかち取った。その後、大正6年の失火による国技館全焼という惨事や時代的不況の影響を受け協会の台所も苦しくなっていく。再び力士の不満がたまり、大正12年1月、初日の前日に待遇改善を訴えた三河島事件勃発。

平成27年4月19日
徳之島の久志哲哉さんは、相撲をこよなく愛していた。自ら相撲を取り、子供たちを教え、審判として土俵に立ち、相撲グッズを集め、大相撲の力士の面倒もみた。場所が始まると、自宅前に力士幟を何本も立てた。優勝祝賀パーティー、断髪式、結婚式、・・・徳之島からはるばる足を運んでくれた。2年ほど前から体調を崩し入退院を繰り返していたようだが、夏場所応援にいくから、稽古場だけでもいくから、とつい先日電話で話したのに叶わなかった。久志さんの相撲を愛する気持ちは、奄美出身力士に、わんぱく力士に、アマ力士にこれからも引き継がれていくことであろう。享年67歳。心よりご冥福を祈ります。

平成27年4月18日
相馬基著『相撲五十年』(昭和30年時事通信社)によると、明治44年の幕内給金(本場所開催時のみの支給)は上位で45円ほど、最高が65円どまりであった。さらに、部屋住みの関取は4分を師匠に渡し、自分の取り分は6分。所帯持ちの関取は、8分を取り、2分を師匠に納めていたという。当時の公務員(役所)の初任給が55円だったようだから、かなり少ない。大部分の力士は給金など当てにしないで、後援者の世話になって体面を維持しているのが現状であった、とある。

平成27年4月17日
中村楼事件の直後、70条におよぶ「東京大角觝協会申合規約」が出来、元横綱初代梅ケ谷の雷親方を取締として更なる民主化がすすんだ。折から常陸山、2代目梅ケ谷の台頭で相撲人気も空前の好況をみせる。明治36年横綱に同時昇進して梅・常陸時代を築き、明治42年の両国国技館建設が実現。晴雨にかかわらずの大幅な観客増につながった。しかしながら、多額の借金での建設だったため、力士の給金は変わらず。明治44年1月、待遇改善を求めて新橋倶楽部事件が起きた。

平成27年4月15日
改革を迫るも除名され独立した初代高砂は、明治11年に復帰し徐々に発言力を強め明治16年には取締に就任。力士への収益配分を決め「力士が相撲で食える」システムをつくっていった。他にも年寄名跡の制限や記者席の設置、選挙制度など数々の改革を行い大相撲の民主化に努めた。ところが権勢を強めるにつれ専横ぶりがひどくなり、明治29年1月「われわれは不正なる取締の配下にあるを潔しとせず」との檄告書を力士30余名の連名で出され本場所をボイコットされる事件が勃発。さすがの初代高砂も最後には折れ辞任。両国中村楼で手打ち式が行なわれたため中村楼事件といわれている。

平成27年4月14日
江戸時代の力士は大名お抱えであった。平均して五人扶持(年間およそ25俵)をもらっていたという。ただし、お抱えとなり扶持米をもらえるのは一部有力力士のみで、大多数は部屋毎の小相撲と呼ばれる巡業で何とか食いつないでいた。江戸から明治に変わり、大名のお抱えが解かれ、後援者も相撲どころではない。関取衆といえども日々の生活にさえ困窮している。それにもかかわらず会所(協会)の筆頭(理事長)と筆脇(副理事長)が利益を独占し、力士の犠牲の上に大あぐらをかいている。これを許してよいものか、と初代高砂浦五郎が改革を迫った。

平成27年4月13日
もらえるべき金がもらえないと不満がたまり、やがて爆発する。大相撲が組織だった形になった江戸中期から現在に至るまで何度か大きな事件が起こったが、ほとんどが待遇改善を訴えたものであった。明治6年秋の騒動は、初代高砂浦五郎が中心となった。会所に改革を迫るも除名となり、名古屋で改正高砂組を立ち上げ独立した(明治11年復帰)。その後も明治44年1月新橋倶楽部事件、大正12年1月の三河島事件、そして昭和7年1月の春秋園事件とつづいた。

平成27年4月12日
昭和32年5月以前は歩合制による分配であった。本場所開催時は協会から興業収入が分配されるが、普段は一門毎の「組合」で巡業に出て、組合からの分配金での生活。いわば、自分たちの食いぶちは自分たちで稼げ、という形で、人気力士のいる一門とそうではない所では集客力に差があり、また時代による波もあり、不安定であり不明瞭でもあった。月給制にするにあたって、巡業を一門別から大合併にし、本場所も昭和32年に年5場所、翌33年に年6場所と増やしていった。

平成27年4月11日
時津風新理事長のもと相撲協会の民主化改革は急速に進み、早速5月から月給制が実施された。『相撲昭和史激動の五十年』によると、初の月給は、横綱15万円、大関11万円、関脇・小結7万円、平幕4万5千円、十両3万円。立行司・副立行司が7万円、三役格4万5千円、幕内格3万円、十両格1万8千円。年寄りは取締15万円、理事・監事9万円、検査役7万5千円、主任4万5千円、常勤年寄3万5千円となっている。ちなみに昭和32年の教員の初任給は8千円だったそう。

平成27年4月10日
国会での質疑は、とくに茶屋問題に集中したという。公聴会のあとの4月11日、文教委員会理事会は文部大臣に「相撲協会は公益法人たる本来の事業である相撲専修学校を設立し、相撲の普及や指導に努めること。茶屋制度を廃止し、キップの販売については大衆が容易に入手できるようにすること。蔵前国技館は保健衛生や防災の見地から観覧席を改良すること。力士や年寄たちの給与を改善し、健康保険制度を確立すること」という申し入れをした。当時の理事長は、元横綱常ノ花の出羽海親方。夫人はお茶屋の経営者であった。5月4日、国技館で出羽海理事長の割腹自殺未遂事件がおこり、理事長を辞任。5月6日、元双葉山の時津風親方が理事長に就任した。

平成27年4月9日
同じく参考人として呼ばれた永井高一郎氏は、阿久津川の四股名で大正から昭和にかけて活躍した高砂部屋の力士。昭和4年に引退して佐渡ヶ嶽親方となり横綱男女ノ川を育てた。理論家で相撲の科学的研究に熱心で、昭和36年『大相撲』誌によると、親方になってから名古屋大学熊谷博士のもとで2年、体育研究所の吉田博士のもとで4年、生理学および運動生理学を勉強したとある。昭和8年、現在の相撲健康体操のもとになる“相撲基本体操”を考案した。

平成27年4月8日
武蔵川理事は、元前頭筆頭出羽ノ花。昭和7年1月の春秋園事件で幕下から抜擢されて新入幕。15年5月場所に引退。現役時代から頭脳明晰で知られ、引退後すぐに執行部入り。親方になってから簿記の専門学校に通い経理を学び、戦前から戦後にかけての混乱期の相撲界を支えた。相撲協会の大蔵大臣といわれたという。国会での鮮やかで堂々とした態度の答弁は代議士連中を驚かせ、「相撲協会に置いておくのはもったいない、ぜひ立候補させたい」という声が上がったが、「代議士などになるより、代議士を働かせるほうがおもしろいよ」と言ったという。

平成27年4月7日
3月2日は大阪場所の初日が迫る頃。高永武敏著『相撲昭和史 激動の五十年』(恒文社)によると、「仰天した協会では、監督官庁の文部省と接渉しながら、協会民主化改革案の作製にとりかかった。大阪の春場所中に一応の成果を得て、武蔵川理事(元出羽ノ花)が辻原委員たちに説明。4月3日、衆議院文教委員会は公聴会を開き、協会の武蔵川理事と若瀬川泰二、永井高一郎(元佐渡ヶ嶽理事)、和久田三郎(元天竜)、御手洗辰雄(評論家)、岩原祐(保健体育審議会委員)の6人を参考人としてよんだ」とある。

平成27年4月5日
相撲教習所ができたのは昭和32年10月から。この年の3月2日、衆議院予算委員会で社会党辻原委員が質問に立ち、「相撲協会は、公益法人である財団法人として、寄付行為に定められた本来の事業を実施せず、プロ野球やプロレス以上にもうけ仕事だけの興業団体化している」と、相撲協会のあり方が国会で指摘され、世論も巻き込んでの大問題となった。この問題に対応する形で、運営審議会の設置、月給制の導入、2階の桟敷席をイス席に改良、などの改革が行なわれ、10月から相撲教習所が開校された。

平成27年4月4日
花冷えの東京。大阪場所で初土俵を踏んだ朝森本朝山端朝達家の3人は相撲教習所通いの毎日だが、土日は教習所が休みのため部屋での稽古。大阪の稽古場ではふらついていた四股も大分様になってきた。相撲教習所は番付発表前の週までつづく。4月27日(月)の番付発表で初めて番付に四股名が載り、番付発表後は部屋での稽古をつづけて5月夏場所で序ノ口の土俵に上がる。

平成27年3月30日
28日土曜日に帰京。十両朝赤龍と付人朝興貴は春巡業へ出発。きのうが伊勢神宮奉納大相撲で、今日は南あわじ市。あす姫路に行って、4月2日は高野山で開創1200年記念大法会開白の横綱奉納土俵入り。3日は東京に戻って靖国神社奉納大相撲。4日以降は週末を利用して藤沢、静岡、三郷、市川、常陸大宮、高崎、水戸とつづき19日(日)帰京。昨年好評だった幕張メッセでの大相撲超会議場所が今年も4月25(土)26日(日)と開催されるよう。4月27日(月)に番付発表。

平成27年3月22日
14年ぶりの15日間満員御礼となった大阪場所も千秋楽。今日の一番に勝越しをかける朝赤龍、土俵際粘りの相撲で勝越し。今場所絶好調の朝弁慶、今日は快心の押し相撲で6勝目。来場所はおそらく幕下10枚目以内の予想で、番付発表が楽しみ。朝乃丈も5勝目。先場所が悪かったとはいえ、期待の力士が期待以上の成績を上げ、千秋楽祝賀会も祝勝ムード満載。あすからは稽古が休みになり、宿舎の片付けをしながらも気分的には安らげる1週間。28日(土)に帰京と巡業出発。

平成27年3月18日
“給金を直す”の給金は、月給ではなく褒賞金のこと。勝越し1点につき50銭の昇給だから(現在の支給額は4000倍)、かなり昔にできた制度だろうが、能力給と年功給をミックスさせたような実によくできた給与システムだと思う。場所毎(年6回)の支給で、入門すると全力士につくのだが、支給されるのは関取(十両以上)のみ。元幕内力士でも、幕下に落ちてしまうと褒賞金の支給はなくなる。幕下以下は支給はないのだが、帳面上は給金が上がっているので、「お蔭さんで給金直しました」と挨拶する。今日も大子錦、朝乃丈、朝興貴の3人が給金を直す。

平成27年3月17日
勝越しがかかる一番を給金相撲という。本場所の一番はいつでも緊張感があるが、給金相撲のときには、より一層緊張感が高まる。きのう、三段目朝乃丈が今場所初の給金相撲に挑んだが敗れ、今日は序二段で~山、朝ノ島、幕下の朝弁慶と、3人が給金相撲。~山が今場所第一号の勝越しを決め、朝ノ島は給金直せず。幕下朝弁慶、相手に何度か残られるも、湘南の重戦車ぶりを発揮して寄り切りでの給金。いつもに増して緊張感が高い分喜びも大きい。部屋へ戻り、「お蔭さんで給金直しました」と挨拶する大きな体からは、安堵と喜びがいっぱいに溢れ出ている。

平成27年3月16日
こちらも古本屋でみつけた読売新聞社『大相撲』誌昭和40年4月号から。春場所総決算號で「若いもんには負けられない」というタイトルで、花籠部屋大豪、時津風部屋若杉山、伊勢ケ浜部屋開隆山と、活躍したベテラン3力士とNHK北出アナとの座談会。時津風部屋若杉山が、最近の好調ぶりを振られて、「実は理事長(元双葉山)が昨年、部屋で皆を集めて約一時間半ばかり相撲の理論というものを説いてくれたことがあった。それを聞いて、これはいいことを聞かしてくれたな、とほんとうにそう思ったですね。 (中略) けいこのしかたについても、昔からいいろいろよく研究されてきている。それを守っていれば間違いない。相撲は長い伝統があり、ムダなことは全部はぶいてこんにちの相撲が伝わってきているので、ムダなことは少しも伝わっていないのだ。からだを整えるには、シコと鉄砲をやればよい。ほかのことはやらなくても、シコと鉄砲だ。相撲は奥深いものだということをかみくだいて説いてくれました」、とある。まさに、シンプルなだけに奥深い。朝山端朝達家、朝赤龍関の化粧回しを締めて二番出世披露。

平成27年3月15日
足の怪我で前相撲を休場中だった朝山端、今日初めて土俵に上がる。「思ったより緊張しなかった」とのことで、パワーを生かした相撲で初土俵初白星。もう一人朝達家の方は、4連敗となったものの、「今日は当たれました」と少しは慣れてきた模様。あす二人共お昼過ぎ三段目取組途中、本土俵の上で二番出世披露される。

平成27年3月14日
日本相撲協会公式サイトでは、その日の全取組の録画も見ることが出来る。三段目朝乃丈 、部屋へ戻ってくるなり、「一ノ矢さん、自分の相撲見れますか!」と勢い込んできた。そんなことを言うのは初めてなので早速サイトを開いてみるも、まだ序二段の取組までしか録画がない。夕方もう一度来て再生。大きな相手に、いい当たりから、しつこくおっつけ、最後は豪快な上手投げと勢い込んできたのも頷けるいい内容。前向きに相撲を取っている時は本当にいい相撲を取る。「いつもこんな相撲をとればすぐ幕下上がれるよ」と言うと、「6番かちたいっすね!」「いや、まずは勝越したいっすね!」とごきげん。この勢いで残り3番も取ってもらいたい。来週日曜日梅田ヒルトンホテルにて行なわれます高砂部屋千秋楽打上パーティーのご案内です。朝乃丈、めでたく6番勝っているかどうか・・・現場でわかります。

平成27年3月13日
『相撲』昭和38年3月号には、初場所の星取り表が載っている。昭和38年初場所の高砂部屋幕下は13人。うち奄美出身力士が2人いる。宇検村出身の大島洋と徳之島出身の左文字。左文字は、以前中村部屋にいた闘進力の父親にあたる。三段目にも13人。三段目力士の中には、白田山、前ノ山という名前がある。白田山は入門4年目19歳。前ノ山は入門丸一年18歳になったばかり。二人共75kg、80kgといわゆるソップ型。序二段には8人。序二段77枚目に若松部屋伊藤の名前がある。のちの大鷲さんである。入門半年の17歳。初場所は惜しくも3勝4敗と負け越してしまった。序二段にも徳之島伊仙村出身力士が一人。本名藤正作、紫電の四股名。現在の高砂部屋は総勢13名。幕下以下力士を引っ張る朝弁慶、2勝1敗と白星先行。

平成27年3月12日
5代目高砂親方の横綱朝潮は徳之島の出身。昭和31年から33年まで大阪場所で3連覇を果たし、翌34年も大関で13勝2敗の成績で横綱昇進を決めた。最後の優勝となる5回目の優勝も昭和36年の大阪場所で、「大阪太郎」と呼ばれたことは古い相撲ファンにとっては懐かしい響きであろう。横綱朝潮と同じ徳之島出身の朝ノ島、3連勝。2年前に四股名を朝ノ島次郎に改名してから大阪場所2年連続で勝越して今年も勝越しまであとひとつ。今場所5勝くらい上げると、「大阪次郎」と呼んでいいのかもしれない。前相撲の朝森本、朝赤龍関の化粧回しを借りて新序一番出世披露。

平成27年3月11日
横綱朝潮が引退したのが昭和37年1月場所。38年3月場所の高砂部屋は、前頭筆頭の富士錦(6代目高砂親方)が部屋頭。他幕内に前田川、若前田といて、十両に朝ノ海、東錦、大緑、響矢、高錦と関取8人の部屋。それでも永らく横綱がつづいた部屋だからか、『相撲』誌では、ここ数場所不振つづきの高砂部屋という記事が出ている。「相撲部屋聞き書き帖」では、若松部屋房錦の1歳半になる娘への子ぼんのうぶりが紹介されている。前相撲朝森本、2勝目を上げて明日5日目に一番出世披露。

平成27年3月10日
部屋の近くの古本屋で、ベースボール・マガジン社『相撲』昭和38年3月春場所展望號を見つけた。昭和38年大阪場所での各部屋の宿舎一覧が載っている。ほとんどの部屋が谷町筋界隈にある。北から順にいくと、谷町8丁目の角の本政寺に横綱大鵬の二所ノ関部屋。谷町筋の向かい久本寺に宮城野部屋。南向かいの願生寺に錦島部屋。さらに南へ下って現在と同じ久成寺に高砂部屋、その隣の本経寺に若松部屋。谷町9丁目の交差点を越えて生国魂神社の隣の齢延寺に三保ケ関部屋。その隣銀山寺に花籠部屋。その隣大宝寺に立浪部屋。その横、大善寺に高島部屋、圓通寺に伊勢ケ浜部屋、隆専寺に出羽海部屋、菩提寺に春日野部屋、一乗寺に小野川部屋と密集している。当時はお風呂も銭湯だったろうから、谷町界隈はお相撲さんで溢れかえっていたことであろう。

平成27年3月9日
今日から前相撲。小学生のとき相撲経験のある朝森本は、押し込んで投げの打ち合いに勝っての初白星。相撲初体験の朝達家は、押し込まれて少し粘るも押し出しでの負け(本人談)。山端は、足の傷から化膿して熱を出し無念の休場。回復次第出場予定。前相撲は一日おきに取り、2勝すると出世となるから、朝森本は4日目の次の相撲に勝つと5日目に一番出世披露となる。二番出世は9日目に披露される。

平成27年3月8日
「浪速の春は春場所から」というように、きのうの雨が上がり、春場所らしい穏やかな初日。一番手に登場は、今場所勝越して三段目昇進目指す朝金井。仕事柄大阪へ出てくることも多いという父親も応援に来ていたそうだが英姿を飾れず。その後も3連敗と先場所に引き続きの曇天スタート。あすから仕切り直し。新弟子たちは、マワシを真新しい風呂敷に包み、着物を用意して、あす2日目からの前相撲の用意。前相撲は非公開だが、親族に限り観戦できる。

平成27年3月7日
山端(やまばな)克忠君は兵庫県加西市の生まれ。中高と剣道部に所属し、大学1年生まで剣道をつづけていたが、ボディビルの世界に飛び込み、3年で全日本新人大会5位という成績を残す実力をつけた。大阪市内のジムでインストラクターとして働きながらトレーニングに励んでいるところをコノミヤ芋縄社長に見い出され、口説かれ、大相撲界への転身を決意。相撲はまったくの未経験だが、3年でデッドリフト300kgの類いまれなる怪力と、とことん自分を追い込むトレーニング好きな精神は将来を大いに期待させる。触れ太鼓が初日の触れ。明日の取り組みはこちら。前相撲は2日目から。

平成27年3月6日
森本啓太君は大阪高砂部屋宿舎から程近い阿倍野区の出身。大阪産業大学付属高校のときにウエイトリフティングをはじめ、近畿大学でもウエイトリフティング部。コノミヤ芋縄社長の関係の大阪高砂部屋スカウト部長とでもいうべき方がおられて、その方の紹介での入門。小学生の頃、市内の道場で相撲をやっていて、わんぱく相撲の大阪府代表として国技館の土俵に上ったこともある。小学校以来相撲から遠ざかってはいたが、子供の頃の経験は体が覚えていて、立合いしっかりといい当たりができている。

平成27年3月3日
兵庫県三木市出身の達家(たつけ)君は、いまどき珍しい志願兵。去年の8月末に夏休みを利用してお父さんと二人で両国に来た。とくにあてはなく、いくつかの部屋を見学しようと思っていたそうで高砂部屋に電話をかけてきた。泊まっているホテルでお会いして話を聞くと、お父さんは大関朝潮のファンとのことで部屋で師匠と面会してもらい話がとんとん拍子に進んだ。面会の時もお父さんの隣で黙って座っていた達家君、相撲経験はまったくなくおとなしく心配していたが、腰割りや四股、すり足、ちゃんこ番の洗い物など、黙々とこなしていくタフさがある。

平成27年3月2日
先週土曜日2月28日に高砂部屋激励会。その日の午前中に3月場所新弟子検査が行なわれ高砂部屋から3人が受検。3人共無事合格して夜の激励会で早速紹介される。兵庫県三木市出身達家(たつけ)貴芳君14歳(平成12年3月31日生まれ)。大阪市阿倍野区出身森本啓太君22歳(近畿大学4回生ウエイトリフィング部)。兵庫県加西市出身山端(やまばな)克忠君22歳(デッドリフト300kgを引くボディビルダー)と楽しみな3人。

平成27年2月27日
高砂部屋が久成寺を宿舎にしたのは、昭和34,5年のことのよう。宿舎にしてすぐの昭和36年はお寺の事情が何かあったのか2軒隣りの江国寺を宿舎にしている。その間を差し引いてもおよそ55年ほどお世話になっていることになる。稽古場も50年くらいにはなるようで、羽目板には汗と泥が沁み込んで渋みのある光沢を醸し出している。『ぼっこ』と呼んでいる着物を吊るす角材(4cm角長さ2mほど)も、どうみても30〜40年はたつ年期ものを未だに使っている。昔ながらの木製ハンガーには、小錦や砂浜といった懐かしい名前も書いてある。宿舎久成寺の隅々に高砂部屋半世紀の歴史がしみ込んでいる。あす上六都ホテルにて激励会

平成27年2月24日
稽古始め。午前6時半稽古開始して8時半から土俵祭り。土俵祭りや宿舎の様子ならびにご住職にNHK大阪放送局が取材。50年以上にわたり谷町で宿舎を構える高砂部屋と、奈良県大和高田市に宿舎を構えて10年余りの錣山部屋を紹介する番組で、3月4日(水)午後6時台の関西地方向けニュース番組『ニューズテラス関西』で放送とのこと。春場所大相撲中継中入りの時間(9日目辺り?)でも放送予定だそうです。

平成27年2月23日
3月場所番付発表。わりと番付運のいい朝赤龍、先場所5点の負越しであったが2枚目から3枚の降下ですみ十両5枚目。幕下は朝弁慶が4枚上がって21枚目。朝天舞、同じく4勝ながら10枚上がって41枚目。朝興貴は三段目陥落だが東の筆頭。三段目で一番強いおすもうさんと、やゆされることもある。朝金井が自己最高位の序二段24枚目。5630300と5631000のお客様、送り先を書いてメールください。3月場所新番付と高砂部屋便り44号をプレゼントいたします。あすから稽古開始。


過去の高砂部屋
若松部屋日記
制作協力