Last modified 2014,10,21


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現在親方2名・力士12名・行司2名・呼出し2名・床山1名・若者頭1名・世話人1名・マネージャー2名

いらっしゃいませ、 番目のお客様。
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6000000番目のお客様はメールを下さい。高砂部屋チャンコご招待&粗品を進呈致します。
takasago@kub.biglobe.ne.jp
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今日の高砂部屋
平成26年10月21日
九州場所前恒例の高砂部屋全力士激励パーティー、今年は11月5日(水)にホテルニューオータニ博多にて行なわれます。高砂部屋特製ちゃんこや高砂部屋グッズ他が当たる抽選会もあります。皆様のお越しをお待ちしております。

平成26年10月19日
今日も秋晴れの福岡。午前8時半に唐人町の宿舎成道寺を出発して、九州場所中の家財道具一式を預けてある大牟田の倉庫まで。ちゃんこ道具や冷凍庫冷蔵庫7台、自転車12台、衣装ケースなどなど、4トンと2トンのントラックに山のように積み上げ方道1時間余りの道程。10月から福岡勤務になったゴーヤーマン(11月2日)も早速登場して、運転や荷物の上げ下ろし作業に加わる。1ヵ月半にわたるゴーヤーマンの九州場所も今日からはじまる。

平成26年10月18日
先発隊6人(大子錦、朝弁慶、朝興貴、朝轟、朝金井、松田マネージャー)福岡唐人町成道寺入り。今日の福岡は雲ひとつない秋空が広がり、快適に作業がすすむ。本堂にゴザを敷き、カーテンを張り、ふき掃除。洗濯機をセッティングしてシャワーを浴びて、晩飯は一年ぶりの藁巣坊。初すぼ(12月1日)の朝金井、藁巣坊ギョーザやニラ玉、豚骨ラーメンに、「うめぇー!!」と大感激。今日から一月半の九州福岡博多三昧。

平成26年10月14日
台風19号の影響で飛行機が危ぶまれたが、台風一過の青空が広がり定刻通り午前11時45分に高知龍馬空港を出発。荷物を預けて2階の搭乗階に上がったところに係員が飛んできて力士の体重を知りたいとのこと。それぞれの体重を教えたが、アンコ型力士は適当に座席がばらけていたようで、とくに座席の変更はなかったもよう。お土産を買い込んで、ご飯お代り自由のカツオのタタキ定食で丼3杯をお代りして無事搭乗。週末18日土曜日から先発隊が福岡へ出発。

平成26年10月12日
以前から何度か紹介しているように、今年は初代朝汐生誕150年、横綱前田山生誕100年で、2人の故郷愛媛県八幡浜市で展示会が開催されている。その記念行事の一環として前田山の母校喜須来小学校で生誕百年記念相撲大会ならびに高砂部屋による相撲教室が行なわれた。全校生徒130人くらいで、まずは相撲健康体操を行ない、朝弁慶、朝乃丈へのぶつかり稽古。さすがに横綱前田山の後輩の子どもたちだけあって元気はつらつ大盛り上がり。相撲大会団体戦の決勝戦も最後までもつれ、お相撲さんも身を乗り出すほど。夕方市民ホールで師匠による講演が行なわれ、終了後台風接近中の四国路を高知へもどる。八幡浜市民図書館での展示会は11月9日(日)まで。貴重な資料や写真が満載で、利樹之丞作・唄の記念甚句も流れています。

平成26年10月11日
土曜日とあって明徳義塾の高校生や県内の中学生も稽古に参加して賑やかな稽古場。明徳の1年生に、昨年の全国中学選手権3位の子がいて、朝金井とは同級生になる。本格的に相撲をはじめて半年の朝金井、まだ全中3位の子にほとんどかなわなかったようだが、一番はいい相撲でめを出したそう。来年高知に来た時には逆にならなければならない。アマチュアに負けた悔しさをこれからの稽古に生かしていければ、合宿に来た成果は大きい。

平成26年10月10日
高知の子どもたちは今日も元気いっぱい。相撲健康体操がはじまる5時15分前には来て、土俵を走り回っている。それでも、5時になると整列して蹲踞の気鎮めの型から体操がはじまる。3日間皆勤賞の子が3人半(1人は1才児くらい)いて、蹲踞や四股の恰好もずいぶん様になってきた。面白いもので、初日は参加者4人だけだったので体操の途中からふざけだしてお相撲さんと遊ぼうコーナーになってしまったが、昨日今日は15人余りの子どもたちなので、意識も違ってくるのか、2回通して最後までやりきる。最後はお相撲さんにみんなでぶつかり稽古。記念撮影をして3日間の相撲健康体操終了。

平成26年10月9日
高知合宿2日目。平日にもかかわらず多くの見学者がつめかけ、上がり座敷は満席状態。夕方の相撲健康体操教室にも昨日の3倍増の子どもたちが集まり、蹲踞や四股、伸脚といった体操と、朝弁慶と朝興貴へのぶつかり稽古。みんな元気よく、お相撲さんもタジタジなほど。終わった後、お風呂場で足を洗い、上がり座敷までの5mくらいの距離を、お相撲さんに“高い高い”で運んでもらい、またまた大喜び。「楽しかった!楽しかった!」と、目を輝かしている。明日まで開催。

平成26年10月8日
高知合宿稽古初日。午前8時から開始して10時半過ぎまで。稽古終了後、毎年恒例になってきた高知市からの歓迎セレモニー。市役所と高知県観光コンベンション協会からカツオと清酒が贈呈され、新聞各社やテレビ局の取材も多数。夕方5時から相撲健康体操教室。朝弁慶と朝興貴が先生になって、子どもたちに相撲健康体操の指導。ただ、集まった子供たちが幼すぎ、体操の途中からお相撲さんにぶつかりだして大はしゃぎ。体操を中断して、お相撲さんと遊ぼうコーナー状態。相撲健康体操の方は、子どもを連れてきて上がり座敷で見学していたお母様方に一緒にやってもらい、みなさん結構いい汗かいた模様。あす明後日まで行ないます。

平成26年10月7日
今日から高知合宿へ出発。合宿所は、市内大原町の高知市総合運動場相撲場。1階の稽古土俵において8日(水)〜13日(月)まで。見学の方は午前9時過ぎにお越しいただければ見学できます。今年は、8日(水)〜10日(金)の夕方5時〜6時まで、小中学生を対象にした相撲健康体操教室を開催します。ご近所の小中学生の皆さん、お相撲さんと一緒に蹲踞(そんきょ)や四股など体験してみましょう!

平成26年9月26日
改名の場所は本当に勝越しが多いのか調べてみた。朝弁慶は、2度目の三段目昇進の場所、朝酒井から朝弁慶に改名して6勝1敗。朝天舞は、入門時の朝花田から朝道龍に改名した場所、5勝2敗。2年後、朝縄に改名して4勝3敗。そのまた2年後現在の朝天舞に改名した場所も5勝2敗。朝ノ島は、朝奄美から改名の場所、4勝3敗。~山も、合併したとき~山だった四股名を笹川の本名に戻した場所、5勝2敗。そして再び~山に改名の場所も4勝3敗。やはり、朝乃丈、朝轟の2人以外は全員勝越していた。大子錦、5月場所以来の本土俵。白星で飾る。

平成26年9月25日
高知県は安芸市出身の朝乃丈、初土俵から6年半は朝久保の四股名で相撲を取っていた。7年目となる平成22年7月場所から朝乃丈と改名。ふつう改名した場所は勝ち越すのだが、1勝6敗と大負けだったのはクボユウらしい。朝乃丈の四股名がなじんでくるにしたがって、ジワジワと番付を上げてきた。今日勝って3勝3敗。朝ノ島も土俵際粘って3勝3敗と踏みとどまる。朝轟、今場所高砂部屋初の負け越し(こちらも改名場所だったのだが・・・)。朝赤龍、不戦勝で6勝目。

平成26年9月24日
朝金井、今場所3人目の勝越し。本名に「朝」をつけて「朝金井健真」。四股名に下の名前がつくのは、序ノ口に上がり番付に名前が載るようになってから。前相撲のときには、姓名でいえば姓のみで土俵に上がる。前相撲のときは、父親とも相談のうえ「朝健真」と名乗った。ところが出世して下の名前をどうするかという話になり、朝健真健真ではおかしいし、他の名前も考えたのだが、結局「朝金井健真」に落ち着いた。番付を上げていくと、また改名の話も出てくるであろう。朝乃土佐、5勝目。

平成26年9月23日
今場所初めて三段目の土俵で相撲を取っている朝ノ島、1勝3敗と後がなくなったが、今日は頭で当たって一気の押し相撲、電車道での2勝目。鹿児島県徳之島の生まれで、はじめは朝奄美の四股名であったが、昨年3月場所から朝ノ島に改名。ふだん「シマジロウ」と呼ばれていて、下の名も合わせて改名して「朝ノ島次郎」。あと2勝すれば、晴れて雪駄を履けるようになる。朝天舞、270kgの大露羅を真向から押し出して3勝目。

平成26年9月22日
今場所休場中の大子錦は茨城県久慈郡大子町の出身で大子錦。先代師匠(元富士錦)のときの命名なので、「朝」はついていない。以前(9月14日)紹介したように、はじめは「太子錦」と「太」の字だったのを「大子錦」に改名。地元の大子第一高校(現在は大子清流高校)の出身で、錦戸部屋には高校の後輩である大子富士(出身は水府村)がいる。似たようなアンコ型だが、似ていると言われるのをお互い嫌がっている。痛めたアキレス腱もだいぶ回復し、毎日ちゃんこの腕を奮いながら復帰の時期を見計らっている。朝弁慶朝乃土佐、勝越し。

平成26年9月21日
今日勝って3勝目を上げた朝乃土佐は、高知県土佐市の出身。故郷の地名を背負っての四股名。故郷の山河を四股名に取り入れるのは昔からの正統的な命名。古くは角聖と呼ばれた常陸山。大正期の小さな大横綱栃木山。双葉山の69連勝を止めた安藝ノ海。同時代に笠置山、鹿島洋、相模川、射水川、などなど。少し前は、横綱三重ノ海、黒姫山、青葉城、青葉山、幡竜山、陸奥嵐。現役関取では、隠岐の海、土佐豊、北播磨の三人。昔より減っているのは時代の流れなのか。朝弁慶、勝越しならず。

平成26年9月20日
新大関豪栄道の四股名は、本名豪太郎の「豪」と出身高校の埼玉栄高校の「栄」の字を入れている。十両に大栄翔という力士もいる。さすがに名門強豪校だけあって、現役だけでも10人超、引退力士を含めると出身力士は20人近くにもなる。朝赤龍朝乃土佐が卒業した高知明徳義塾高校も、現役関取5人(琴奨菊、栃煌山、東龍、徳勝龍、朝赤龍)と多い。横綱朝青龍の下の名は、母校の校名そのままに明徳(あきのり)。他に鳥取城北高校、熊本文徳高校なども力士を多数輩出している。

平成26年9月19日
幕下41枚目朝興貴、新幕下の場所で2勝1敗と白星先行。しかも、先場所6勝1敗の成績で40枚近く番付を上げての白星先行だから立派なもの。今日も、学生相撲出身の実力者相手に、突っ張って押し込んでの叩きこみ。先手先手と攻める相撲が光っている。大阪の興國高校出身で、母校の校名と本名の祐貴から一文字ずつとっての朝興貴。四股名に母校の期待も背負っている。朝弁慶、豪快に押し倒して3連勝。

平成26年9月18日
呼出しさんは、四股名や行司名のように世襲する名はなく、ほとんどが本名を名乗っている。共に十両呼出しの邦夫利樹之丞。邦夫は、本名の邦朗の漢字を変えて邦夫。利樹之丞は、はじめ本名の利樹を名乗っていたが、平成17年1月場所から利樹之丞に改名。高砂部屋の先輩呼出し多賀之丞(1月12日〜14日)に因んでの改名。2勝4敗と今場所初めての負越し。高砂部屋千秋楽打上パーティーのご案内です。皆様のご参加お待ち致しております。

平成26年9月17日
三段目格行司木村悟志は、木村姓に本名の悟志( 本名は前田悟志)。行司さんの改名は、十両格昇進時が多いが、それ以前でもありで、現在の幕下以下にも木村勘九郎(かんくろう)とか式守錦太郎(きんたろう)の名もある。改名の話題になり、木村カエラにしたらとかも言われていたが、さすがにそういう訳にもいかず、悟志のまま。十両格昇進時に木村誠道という伝統ある名を復活させるのもいいかも。ただ十両格昇進は、まだ十数年先のことになりそうだが。朝金井朝乃丈朝弁慶、2連勝。4日目、久しぶりの前半戦平日での満員御礼。今日も4勝2敗と好成績で、高砂部屋も4日間勝越しつづき。

平成26年9月16日
木村朝之助は、高砂部屋に伝わる由緒ある行司名。初代は明治から大正にかけての方で、後の18代木村庄之助。2代目は終戦後に十両格となり朝之助を名乗るも、途中、木村誠道に改名している。その後再び木村朝之助に戻しているが、木村誠道も高砂部屋伝統の行司名。3代目が、平成19年3月場所を最後に引退した33代木村庄之助。十両格昇進時から28年間木村朝之助を名乗り、平成18年3月場所式守伊之助を襲名、翌5月場所から33代木村庄之助を襲名した。4代目が現在の木村朝之助。やはり、十両格に昇進した平成20年1月場所から襲名している。朝興貴朝ノ島、共に初幕下、初三段目の場所で初白星。

平成26年9月15日
幕下20枚目の朝弁慶、会心の相撲での初日。初土俵は、本名に朝をつけて朝酒井。3年目の初三段目の場所から朝弁慶と改名。命名者は十両格行司木村朝之助。紹介ページにも書いてあるように、はじめのうち実家の怒りをかった名前だったようだが、改名後の好成績もあり、朝弁慶の四股名でどんどん番付を上げてきて、お母さんも最近は納得しているよう。ただ、その弁慶というラーメン屋さんにはたまに、「息子さん頑張ってますねぇ」というお客さんがあるらしい。さすがに弁慶本人は、まだ行ったことはないそうだが。

平成26年9月14日
5人目の朝潮は現師匠。近畿大学で2年連続学生横綱、アマ横綱の両タイトルを獲り、鳴り物入りでの入門。本名の長岡の四股名で初土俵を踏み、幕下、十両をそれぞれ2場所で通過して5場所目には新入幕。入門1年後の昭和54年3月場所に朝汐太郎を襲名。昭和57年11月場所からは朝潮に改名。58年3月場所後に大関昇進。平成元年3月場所引退して平成2年3月場所から若松部屋を継承。平成14年2月から7代目高砂浦五郎を襲名している。秋晴れの九月場所初日。本所界隈の牛島神社祭礼とも重なり祭り囃子の中を場所入り。汗ばむほどの陽気で、初日早々満員札止め。

平成26年9月13日
4人目は、わが故郷(徳之島)の英雄第46代横綱朝潮。入門の経緯については以前(11月16日)に紹介したが、入門時から元横綱前田山の4代目師匠が「将来は横綱になる」と公言していたという。その分、厳しい稽古を課せられたろうが、それに耐え負越し知らずで7場所目(当時は年3場所)には入幕。入門4年目の昭和25年5月場所、本名の米川文敏から朝潮太郎に改名した。昭和31年1月場所から朝汐に改名、翌場所初優勝を果たすが大関昇進は32年5月場所。34年5月場所から横綱。この年創刊の少年マガジンの表紙を飾った。35年7月場所から再び朝潮に戻して37年1月場所で引退。優勝5回のうち4回が大阪場所で、大阪太郎とも呼ばれた。明日から初日。初日、2日目の取組です。大子錦、朝西村は休場。

平成26年9月12日
3人目に朝潮を名乗ったのは横綱男女ノ川。昭和4年5月場所から昭和7年1月場所まで朝潮として番付に名を載せる。高砂部屋幕内阿久津川の内弟子としての入門で、男女ノ川の名で番付を上げていくが、昭和4年3月前頭4枚目で9勝2敗と好成績の翌場所朝潮に改名。すでに阿久津川の佐渡ヶ嶽部屋所属だが高砂部屋預かりという形で、3代目高砂親方の独断での命名に、高砂、佐渡ヶ嶽の間で一悶着あったという。春秋園事件で脱退して、3代目高砂の怒りを買い朝潮の名を剥奪され、元の男女ノ川に戻った。その後、佐渡ヶ嶽部屋男女ノ川として、大関、横綱と上っていく。もちろん高砂一門の佐渡ヶ嶽部屋で、稽古は高砂部屋で行なっていたはずである。男女ノ川のみ名前が「太郎」ではなく、本名のままで「朝潮供次郎」。

平成26年9月11日
2代目朝汐も愛媛県の出身。本名坪井長吉。明治12年愛媛県新居郡玉津村(現西条市)の生まれ。力自慢を見込まれて初代朝汐に紹介され、明治34年22歳での入門。朝嵐の四股名で小結に上がり、関脇で2代目朝汐太郎を名乗る。その後朝潮太郎に改名して大正4年大関昇進。176cm113kgという筋肉質の体で、右を差すと無類の強さを発揮し、「右差し五万石」とも「十万石」ともいわれたという。引退後三代目高砂浦五郎を襲名して、横綱前田山、男女ノ川らを育てた。長命で昭和36年82歳での没。

平成26年9月10日
高砂部屋力士の頭についている「朝 」は、師匠の朝潮の「朝 」。「朝潮」は高砂部屋伝統の由緒ある四股名だが、何度か紹介しているように、今年が生誕150年の愛媛県八幡浜出身の初代朝汐太郎から始まる。故郷八幡浜に因んだ四股名だったようで、明治23年大阪相撲の押尾川部屋から東京相撲の高砂部屋に移籍したとき、「そんな素人くさい名前は改名したらどうだ」といわれたが、「自分が出世すれば立派な四股名になる」と言ったという。事実、その後朝汐ならびに朝潮を名乗った力士は全員横綱大関になっている。

平成26年9月8日
現在の番付にもユニークな四股名がいくつか見られる。テレビでも話題になっている「育盛」(そだちざかり)。同じ式秀部屋で「宇瑠虎」(うるとら)。ちなみに宇瑠虎の下の名前は「太郎」。さらに式秀部屋には「桃智桜」(ももちざくら)もいる。少し前に話題になったのは「右肩上」(みぎかたあがり)。流行りのキラキラネームともいえるのか、「天空海」は(あくあ)と読ませる。共にロシア出身の「阿夢露」(あむうる)や「大露羅」(おおろら)なども、相撲を知らない人にとっては驚きの四股名になるのであろう。

平成26年9月7日
四股名には、部屋の歴史や郷里の山河を背負うものがあれば、恩師や肉親の名に因むもの、ダジャレ、言葉遊び的な珍名、さまざまな命名がある。朝轟で思いだしたが、昭和30年代後半から40年代にかけて轟亘(とどろきわたる)という力士が登場した。さらに遡れば、明治大正時代には、不了簡綾丸(ふりょうけんあやまる)、文明開化(ぶんめいかいか)、自働車早太郎(じどうしゃはやたろう)、自転車早吉(じてんしゃはやきち)、突撃進(とつげきすすむ)、貫キ透(つらぬきとおる)、などという四股名も実在した。

平成26年9月2日
改名は、三段目に上がったときにという場合は割りと多い。また、怪我がつづいいたり伸び悩んだりしているときに、心機一転と改名することもある。師匠が変えるときもあれば、自分で考えたり、郷里や知人からの提案だったりのときもある。最終的には師匠の許可をもらって場所後の番付編成までに提出する。朝轟は、周りからの勧めもあって先場所師匠に願い出ての改名。「朝上野大介」改め「朝轟繁」。「繁」は7月に亡くなったお祖父さんの名前。力士になったことを一番喜んでくれたお祖父さんのためにも朝轟の四股名を轟かせなければならない。

平成26年9月1日
9月場所新番付発表。何といっても嬉しいのは新幕下の朝興貴と新三段目の朝ノ島。幕下41枚目と三段目99枚目に昇進。番付が一段上がると字が一回り大きくなり、インクの匂いも真新しい新番付に自分の名前を見つける喜びはひとしおである。もっとも午前中は番付の発送作業に忙しくて喜びに浸る間はないが。先場所幕下15枚目で3勝4敗だった朝弁慶は20枚目。7月場所新三段目で勝越して自己最高位更新の朝上野、今場所から改名して朝轟。高砂部屋全力士の新番付です。5558000番目と5559000番目のお客様、送り先を書いてメールください。9月場所新番付と高砂部屋便り38号をプレゼントいたします。

平成26年8月31日
金曜土曜で土俵作り。金曜の朝、四股を踏んで土俵を掘り起こし水を撒き、もう一度ひっくり返して更に水を撒く。翌日土曜日に、まっすぐに均した土をタコで突き固め、削り、また突き、タタキで叩いて仕上げていく。高砂部屋の東京の土俵は、俵を入れない伝統の皿土俵。円の内側を4,5cm掘り下げて土俵の外と段差をつける。角はビール瓶で叩き、転がし、崩れぬようなだらかに固める。いつの頃からであろう。横綱前田山が入門した昭和初期には皿土俵だったようだが。今日は稽古休みで、あす9月場所番付発表。明後日から稽古再開、千秋楽まで休みなし。

平成26年8月24日
昨日の平塚駅前のまちかど広場での「力士と夕涼み会」。お母さんと幼児の親子連れで賑わったが、カップルで来ていた女性から「今日は大子錦さんは?」と尋ねられた。聞けば、1年前の平塚合宿の折、汗だくになりながら大鍋でちゃんこを作っている大子錦の姿を見てファンになったとのこと。藤沢在住だそうだが、国技館や節分の鎌倉長谷寺の豆まきまで追っかけしているといい、豆まきで撮った写真まで持参、見せてくれた。紛れもない大子錦の下ぶくれの写真に、取り囲む力士達から「ウオーすごい」という歓声。大子錦ファンを名乗ったばかりの思わぬ大歓待に戸惑いつつも合宿所まできて大子錦と記念撮影。こういう出会いも合宿ならではのこと。午後1時半過ぎ、お世話になった湘南高砂部屋後援会会員の皆様に見送られ帰京。

平成26年8月23日
平塚合宿稽古2日目。稽古の後、わんぱく相撲。呼出し邦夫と行司木村朝之助も参加して大会を大いに盛り上げる。終了後、平塚市民へのちゃんこの振舞い。大鍋2つに豚味噌ちゃんこ400食。豚肉20kgに箱単位の野菜。会員のご婦人連のお手伝いでまたたく間に材料切りも進み、あいにくの雨の中みなさん軒下に入ってのちゃんこ。夕方、駅前広場でふれあい交流会。スイカ配って、目隠し風船割りやヨーヨーで子どもたちと楽しく遊ぶ。夜は、研修所の中庭でバーベキュー。最後は、朝弁慶による老若男女お姫様抱っこ撮影会。実際やってもらうと目線の高いことにビックリ!

平成26年8月21日
往田先生の手紙は次のように締められている。『前田山関、小生はいやしくも天下の大関に向かって誠に悪辣極まる言葉を吐いてきましたが、他意あってのことに非らず、十数年来一貫してきた関取に対する愛情から真実を吐露したまでのこと、願わくは大関という格式を引込め、昔の佐田岬の心を以て小生の意のある處(ところ)を酌取られんことを祈ります。』 今日から湘南高砂部屋後援会主催の平塚合宿。夜、歓迎会。落合克宏平塚市長や河野太郎衆議院議員もお越し頂き21年目となる平塚合宿を祝う。明日から3日間、平塚市総合運動公園内土俵にて稽古。

平成26年8月20日
恩師は往田(旧性安藤)進先生という。昭和15年1月発行の相撲雑誌(当時は雑誌『野球界』増刊相撲号)に往田先生から前田山への手紙が掲載されている。大関に昇進して3場所目昭和14年5月場所後に書かれた手紙。今場所も打倒双葉山が成らなかった無念と横綱を目指すための心構えを綴り、叱咤激励している。『 (前略) 関取は甚だ多趣味です。野球、ダンス、写真、撞球(ビリヤード)、囲碁、麻雀、・・・ 小生は関取の此の多趣味がいけないと思います。いつかも話したように、関取の場合は趣味が多いから肉が附かぬというのが小生の持論です。 (中略) 関取は元来生活力旺盛な体質である関係からか、小学生の頃から、じっとして居られぬ性分でしたが、関取の多趣味もここから来るものと思っています。 (中略) 即ち平常の生活に於てより一層節制に心がけて体力、心身の消耗を避け、心身共に円満な発達を遂げてくる時が、関取が力士として完成に近づく時であり、やがては日の下開山となって相撲史上に大なる足跡を印する時だと思います。』

平成26年8月19日
組織だった後援会がない時代、新十両の化粧回しは自分で作らなければならなかった。ふつうは故郷で盛り上がってとなるのだが、悪童の限りを尽くした地元からはそういう話は起きてこない。困り果て、小学校の担任の先生に手紙を書いた。先生は教え子からの手紙に涙して、知人に頭を下げまわり化粧回しをつくってくれた。先生の奔走のおかげで出来た化粧回しも骨髄炎の手術で披露することができなかったが、先生からは励ましの手紙が絶えなかった。前田山英五郎と改名してようやく返事を書いた。
『拝啓、お手紙有難く拝見いたしました。実に永々とご無沙汰致しまして申し訳ございません。 (中略) 昨年5月巡査と争い親方より破門され同僚には信用を失い、全く一人ぼっちになり私としては全く残念至極。このことが国士、頭山満先生の耳に入り手紙がきました。私はすぐ先生のお宅へ行き、心の奥底まで充分話しました。先生は喜んで私を引受けて下さいました。その時から私も考えました。 (中略) 郷土の人が悪口を言っていることは、前から知っています。先生にお手紙を出さなかったのは悲観されてはと思いご無沙汰しました。父母の方へ手紙を出しましたが何の便りもありません。親からも見放され残念です。人はもううらみません。自分を責めています。来る本場所十一日からです。神かけて勝ち越します。勝ち越して郷土の面目を立てます。信用して下さい。 (後略) 』

平成26年8月18日
一度あきらめかけた相撲を再び取れる喜び。以前にも増しての闘志あふれる相撲で、復帰の昭和10年1月場所5勝1敗の成績。つづく5月夏場所では10勝1敗で幕下優勝、十両復帰を果たした。11年1月再十両の場所でも8勝3敗、5月は10勝1敗で十両優勝、12年1月場所の新入幕を決めた。新入幕の場所7勝4敗、つづく5月も9勝4敗の好成績で小結に昇進。新小結の13年1月場所横綱玉錦を破り11勝2敗の成績で、関脇を飛び越え大関昇進。場所後、半ば厄介者扱いだった故郷八幡山へ凱旋巡業。熱烈な歓迎を受け、さらに松山、今治でも巡業。一躍伊予のヒーローとなった。

平成26年8月17日
抗生物質がない時代。手術は腕を切り開き骨髄の膿を拭い取り、木槌とノミで腐った骨をコンコンと削っていく方法だった。昭和9年1月新十両の場所を全休、幕下に落ちた5月場所も全休。焦りと不安から盛り場で大酒を飲んで暴れ、止めにきた警官まで張り飛ばしてしまい、またまた破門。今度こそは無理かとガックリ肩を落としていたところ、孫文や蒋介石とも親交のあった好角家頭山満が師匠にとりなしてくれ復帰が叶う。禁酒を誓い、以後3回の手術、10年1月場所から再起することになった。それまで佐田岬だった四股名を、前田博士にお願いして前田山と改め、下の名前は、頭山の命名で英五郎。前田山英五郎が誕生した。

平成26年8月16日
手術を行ったのは前田和三郎博士。前田博士は慶応大学医学部教授で整形外科主任。京大卒で文部省在外研究員として外国を回り、熊大整形外科医長を経て慶応へ。39歳ながら日本の整形外科医の中で三本の指に入るといわれた名医。当時の医学では腕を切り落とすしか方法がなかったのだが、前田山(当時は佐田岬)が泣きながら叫ぶ「もう一度相撲が取れるようになりたい!」という悲痛な訴えに、前田博士も「やれるだけやってみましょう」と、約一年、5度に亘ることになる手術を決意。

平成26年8月15日
横綱前田山英五郎の波乱の人生について、1995年に刊行された『どかんかい』(今田柔全著BAB出版局)から紹介している。破門され故郷八幡浜へ一旦へ帰るも、再び部屋へ戻って出直し。それでも酒癖は改まらず度々問題を起こし、3代目高砂の師匠を悩ませる。そんな荒くれ生活ながらも激しい気性で稽古には励み、昭和8年5月夏場所幕下3枚目で7勝4敗の好成績で19歳での十両昇進を決める。新十両の場所前、博打場の帰り浅草でヤクザ20人に囲まれ返り討ちにするも、右上腕に刀傷を受け、その傷がもとで骨髄炎に。新十両の場所を休場、慶応病院で手術を受けることになる。

平成26年8月14日
昭和3年11月、後の横綱前田山こと萩森金松少年15歳のとき、故郷八幡浜に高砂一門の巡業がきた。金松少年の腕白ぶりを聞いた初代朝汐ゆかりの人が、元射水川の初代若松親方に紹介。若松親方が3代目高砂親方(元大関2代目朝汐)の元へ連れていった。昭和4年1月、故郷の村からとった喜木山の四股名で初土俵。入門してからも暴れん坊ぶりは健在で、入門一年半佐田岬と改名した17歳の頃大酒を浴びて破門されかかり、そのまた1年半後まだ18歳の頃、酔って火事場に乱入し消防士からホースをもぎとり大暴れ、ついに破門となってしまった。

平成26年8月13日
初代朝汐太郎が生まれたのは150年前の江戸末期1864年(元治元年)。池田屋騒動の年で、吉田稔麿、久坂玄瑞、佐久間象山が亡くなった年。『野菊の墓』の伊藤左千夫、津田塾大創設の津田梅子等が同年生まれ。横綱前田山生誕の100年前は、1914年(大正3年)。角聖横綱常陸山が引退した年で、第一次世界大戦が勃発した年。安芸ノ海、羽黒山、名寄岩も同年生まれで、水泳の前畑秀子、金丸信、宇野重吉、丸山眞男、笠置シヅ子等も。現八幡浜市である愛媛県西宇和郡喜須来(きすき)村喜木(きき)で12人兄弟の五男として生まれた。子どもの頃からの腕白ぶりは近隣に鳴り響いていたという。

平成26年8月12日
一昨年からはじまり恒例化しつつある高知合宿。今年は、10月7日から14日まで行なわれることに。7日夕方に高知市営相撲場に入り、稽古は8日から13日まで。今年は合宿期間中に愛媛県八幡浜市市民ギャラリーで、初代朝汐生誕150年・横綱前田山生誕100年を記念して、『郷土が生んだ力士たち 大関朝汐、横綱前田山展』が開催される(10月4日〜11月9日)。会期中の10月12日日曜日に4代目朝潮(横綱(男女ノ川を含めると5代目)である現師匠の講演と、高砂部屋力士による相撲教室も行なわれます。

平成26年8月10日
8月7日に、朝赤龍と付人朝興貴が夏巡業に出発。7日、福島県いわき市で復興祈願イベントを行い、8日は茨城県石岡・小美玉場所。9日新潟で、今日は山形県長井市。あすは宮城県加美町で明後日が秋田市。お盆に北海道へ渡り、15日は千歳。つづいて16日札幌、17日釧路とまわって帰京する。ただし、北海道へ渡るのは幕内のみで十両は秋田から帰京となる。毎夏恒例の高砂部屋平塚合宿は、8月21日に乗り込み、稽古は22日(金)から24日(日)まで。9月場所番付発表は、9月1日(月)。

平成26年8月6日
インターハイのお手伝いに来ている近畿大学相撲部の学生13人が部屋で四股やぶつかり稽古に汗を流す。近畿大学相撲部の監督は、伊東勝人氏。青森県五所川原商業出身で、小兵ながら平成3年にはアマチュア横綱の栄冠にも輝いている。昔の巡業の話になり、小さい頃から相撲が好きで青森に大相撲巡業が来たときはサインをもらいによく行ったという。相撲少年憧れの横綱大関のサインが欲しいのだが、付人がガードしていてなかなか近づけない。それでも「サインお願いしまーす!」と大きな声でお願いすると、制止する付人の向こうから横綱北の湖が、「いいよ、おいで」と声をかけてもらったと懐かしげに話す。明日からは青森合宿、富山合宿と遠征続きで、大学相撲部監督も大相撲と変わらぬ旅芸人生活。

平成26年8月4日
昨日3日、名古屋から全員帰京。きょう4日から稽古始め。暑い名古屋から帰ってきても猛暑つづきの東京だが、今週一週間は毎夏恒例の部屋開放。師匠と共に朝弁慶と朝乃丈が指導員となり、昨年にひきつづき千葉県市原市のチーム金星の子供たちを指導。昨日はわんぱく相撲全国大会。明日からは国技館で相撲の全国高校総合体育大会(インターハイ)も行なわれる。週末は、全国都道府県中学生相撲選手権。大相撲はお休みでも、アマチュア相撲真っ盛りの盛夏8月。


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