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今日の高砂部屋
平成26年9月21日
今日勝って3勝目を上げた朝乃土佐は、高知県土佐市の出身。故郷の地名を背負っての四股名。故郷の山河を四股名に取り入れるのは昔からの正統的な命名。古くは角聖と呼ばれた常陸山。大正期の小さな大横綱栃木山。双葉山の69連勝を止めた安藝ノ海。同時代に笠置山、鹿島洋、相模川、射水川、などなど。少し前は、横綱三重ノ海、黒姫山、青葉城、青葉山、幡竜山、陸奥嵐。現役関取では、隠岐の海、土佐豊、北播磨の三人。昔より減っているのは時代の流れなのか。朝弁慶、勝越しならず。

平成26年9月20日
新大関豪栄道の四股名は、本名豪太郎の「豪」と出身高校の埼玉栄高校の「栄」の字を入れている。十両に大栄翔という力士もいる。さすがに名門強豪校だけあって、現役だけでも10人超、引退力士を含めると出身力士は20人近くにもなる。朝赤龍朝乃土佐が卒業した高知明徳義塾高校も、現役関取5人(琴奨菊、栃煌山、東龍、徳勝龍、朝赤龍)と多い。横綱朝青龍の下の名は、母校の校名そのままに明徳(あきのり)。他に鳥取城北高校、熊本文徳高校なども力士を多数輩出している。

平成26年9月19日
幕下41枚目朝興貴、新幕下の場所で2勝1敗と白星先行。しかも、先場所6勝1敗の成績で40枚近く番付を上げての白星先行だから立派なもの。今日も、学生相撲出身の実力者相手に、突っ張って押し込んでの叩きこみ。先手先手と攻める相撲が光っている。大阪の興國高校出身で、母校の校名と本名の祐貴から一文字ずつとっての朝興貴。四股名に母校の期待も背負っている。朝弁慶、豪快に押し倒して3連勝。

平成26年9月18日
呼出しさんは、四股名や行司名のように世襲する名はなく、ほとんどが本名を名乗っている。共に十両呼出しの邦夫利樹之丞。邦夫は、本名の邦朗の漢字を変えて邦夫。利樹之丞は、はじめ本名の利樹を名乗っていたが、平成17年1月場所から利樹之丞に改名。高砂部屋の先輩呼出し多賀之丞(1月12日〜14日)に因んでの改名。2勝4敗と今場所初めての負越し。高砂部屋千秋楽打上パーティーのご案内です。皆様のご参加お待ち致しております。

平成26年9月17日
三段目格行司木村悟志は、木村姓に本名の悟志( 本名は前田悟志)。行司さんの改名は、十両格昇進時が多いが、それ以前でもありで、現在の幕下以下にも木村勘九郎(かんくろう)とか式守錦太郎(きんたろう)の名もある。改名の話題になり、木村カエラにしたらとかも言われていたが、さすがにそういう訳にもいかず、悟志のまま。十両格昇進時に木村誠道という伝統ある名を復活させるのもいいかも。ただ十両格昇進は、まだ十数年先のことになりそうだが。朝金井朝乃丈朝弁慶、2連勝。4日目、久しぶりの前半戦平日での満員御礼。今日も4勝2敗と好成績で、高砂部屋も4日間勝越しつづき。

平成26年9月16日
木村朝之助は、高砂部屋に伝わる由緒ある行司名。初代は明治から大正にかけての方で、後の18代木村庄之助。2代目は終戦後に十両格となり朝之助を名乗るも、途中、木村誠道に改名している。その後再び木村朝之助に戻しているが、木村誠道も高砂部屋伝統の行司名。3代目が、平成19年3月場所を最後に引退した33代木村庄之助。十両格昇進時から28年間木村朝之助を名乗り、平成18年3月場所式守伊之助を襲名、翌5月場所から33代木村庄之助を襲名した。4代目が現在の木村朝之助。やはり、十両格に昇進した平成20年1月場所から襲名している。朝興貴朝ノ島、共に初幕下、初三段目の場所で初白星。

平成26年9月15日
幕下20枚目の朝弁慶、会心の相撲での初日。初土俵は、本名に朝をつけて朝酒井。3年目の初三段目の場所から朝弁慶と改名。命名者は十両格行司木村朝之助。紹介ページにも書いてあるように、はじめのうち実家の怒りをかった名前だったようだが、改名後の好成績もあり、朝弁慶の四股名でどんどん番付を上げてきて、お母さんも最近は納得しているよう。ただ、その弁慶というラーメン屋さんにはたまに、「息子さん頑張ってますねぇ」というお客さんがあるらしい。さすがに弁慶本人は、まだ行ったことはないそうだが。

平成26年9月14日
5人目の朝潮は現師匠。近畿大学で2年連続学生横綱、アマ横綱の両タイトルを獲り、鳴り物入りでの入門。本名の長岡の四股名で初土俵を踏み、幕下、十両をそれぞれ2場所で通過して5場所目には新入幕。入門1年後の昭和54年3月場所に朝汐太郎を襲名。昭和57年11月場所からは朝潮に改名。58年3月場所後に大関昇進。平成元年3月場所引退して平成2年3月場所から若松部屋を継承。平成14年2月から7代目高砂浦五郎を襲名している。秋晴れの九月場所初日。本所界隈の牛島神社祭礼とも重なり祭り囃子の中を場所入り。汗ばむほどの陽気で、初日早々満員札止め。

平成26年9月13日
4人目は、わが故郷(徳之島)の英雄第46代横綱朝潮。入門の経緯については以前(11月16日)に紹介したが、入門時から元横綱前田山の4代目師匠が「将来は横綱になる」と公言していたという。その分、厳しい稽古を課せられたろうが、それに耐え負越し知らずで7場所目(当時は年3場所)には入幕。入門4年目の昭和25年5月場所、本名の米川文敏から朝潮太郎に改名した。昭和31年1月場所から朝汐に改名、翌場所初優勝を果たすが大関昇進は32年5月場所。34年5月場所から横綱。この年創刊の少年マガジンの表紙を飾った。35年7月場所から再び朝潮に戻して37年1月場所で引退。優勝5回のうち4回が大阪場所で、大阪太郎とも呼ばれた。明日から初日。初日、2日目の取組です。大子錦、朝西村は休場。

平成26年9月12日
3人目に朝潮を名乗ったのは横綱男女ノ川。昭和4年5月場所から昭和7年1月場所まで朝潮として番付に名を載せる。高砂部屋幕内阿久津川の内弟子としての入門で、男女ノ川の名で番付を上げていくが、昭和4年3月前頭4枚目で9勝2敗と好成績の翌場所朝潮に改名。すでに阿久津川の佐渡ヶ嶽部屋所属だが高砂部屋預かりという形で、3代目高砂親方の独断での命名に、高砂、佐渡ヶ嶽の間で一悶着あったという。春秋園事件で脱退して、3代目高砂の怒りを買い朝潮の名を剥奪され、元の男女ノ川に戻った。その後、佐渡ヶ嶽部屋男女ノ川として、大関、横綱と上っていく。もちろん高砂一門の佐渡ヶ嶽部屋で、稽古は高砂部屋で行なっていたはずである。男女ノ川のみ名前が「太郎」ではなく、本名のままで「朝潮供次郎」。

平成26年9月11日
2代目朝汐も愛媛県の出身。本名坪井長吉。明治12年愛媛県新居郡玉津村(現西条市)の生まれ。力自慢を見込まれて初代朝汐に紹介され、明治34年22歳での入門。朝嵐の四股名で小結に上がり、関脇で2代目朝汐太郎を名乗る。その後朝潮太郎に改名して大正4年大関昇進。176cm113kgという筋肉質の体で、右を差すと無類の強さを発揮し、「右差し五万石」とも「十万石」ともいわれたという。引退後三代目高砂浦五郎を襲名して、横綱前田山、男女ノ川らを育てた。長命で昭和36年82歳での没。

平成26年9月10日
高砂部屋力士の頭についている「朝 」は、師匠の朝潮の「朝 」。「朝潮」は高砂部屋伝統の由緒ある四股名だが、何度か紹介しているように、今年が生誕150年の愛媛県八幡浜出身の初代朝汐太郎から始まる。故郷八幡浜に因んだ四股名だったようで、明治23年大阪相撲の押尾川部屋から東京相撲の高砂部屋に移籍したとき、「そんな素人くさい名前は改名したらどうだ」といわれたが、「自分が出世すれば立派な四股名になる」と言ったという。事実、その後朝汐ならびに朝潮を名乗った力士は全員横綱大関になっている。

平成26年9月8日
現在の番付にもユニークな四股名がいくつか見られる。テレビでも話題になっている「育盛」(そだちざかり)。同じ式秀部屋で「宇瑠虎」(うるとら)。ちなみに宇瑠虎の下の名前は「太郎」。さらに式秀部屋には「桃智桜」(ももちざくら)もいる。少し前に話題になったのは「右肩上」(みぎかたあがり)。流行りのキラキラネームともいえるのか、「天空海」は(あくあ)と読ませる。共にロシア出身の「阿夢露」(あむうる)や「大露羅」(おおろら)なども、相撲を知らない人にとっては驚きの四股名になるのであろう。

平成26年9月7日
四股名には、部屋の歴史や郷里の山河を背負うものがあれば、恩師や肉親の名に因むもの、ダジャレ、言葉遊び的な珍名、さまざまな命名がある。朝轟で思いだしたが、昭和30年代後半から40年代にかけて轟亘(とどろきわたる)という力士が登場した。さらに遡れば、明治大正時代には、不了簡綾丸(ふりょうけんあやまる)、文明開化(ぶんめいかいか)、自働車早太郎(じどうしゃはやたろう)、自転車早吉(じてんしゃはやきち)、突撃進(とつげきすすむ)、貫キ透(つらぬきとおる)、などという四股名も実在した。

平成26年9月2日
改名は、三段目に上がったときにという場合は割りと多い。また、怪我がつづいいたり伸び悩んだりしているときに、心機一転と改名することもある。師匠が変えるときもあれば、自分で考えたり、郷里や知人からの提案だったりのときもある。最終的には師匠の許可をもらって場所後の番付編成までに提出する。朝轟は、周りからの勧めもあって先場所師匠に願い出ての改名。「朝上野大介」改め「朝轟繁」。「繁」は7月に亡くなったお祖父さんの名前。力士になったことを一番喜んでくれたお祖父さんのためにも朝轟の四股名を轟かせなければならない。

平成26年9月1日
9月場所新番付発表。何といっても嬉しいのは新幕下の朝興貴と新三段目の朝ノ島。幕下41枚目と三段目99枚目に昇進。番付が一段上がると字が一回り大きくなり、インクの匂いも真新しい新番付に自分の名前を見つける喜びはひとしおである。もっとも午前中は番付の発送作業に忙しくて喜びに浸る間はないが。先場所幕下15枚目で3勝4敗だった朝弁慶は20枚目。7月場所新三段目で勝越して自己最高位更新の朝上野、今場所から改名して朝轟。高砂部屋全力士の新番付です。5558000番目と5559000番目のお客様、送り先を書いてメールください。9月場所新番付と高砂部屋便り38号をプレゼントいたします。

平成26年8月31日
金曜土曜で土俵作り。金曜の朝、四股を踏んで土俵を掘り起こし水を撒き、もう一度ひっくり返して更に水を撒く。翌日土曜日に、まっすぐに均した土をタコで突き固め、削り、また突き、タタキで叩いて仕上げていく。高砂部屋の東京の土俵は、俵を入れない伝統の皿土俵。円の内側を4,5cm掘り下げて土俵の外と段差をつける。角はビール瓶で叩き、転がし、崩れぬようなだらかに固める。いつの頃からであろう。横綱前田山が入門した昭和初期には皿土俵だったようだが。今日は稽古休みで、あす9月場所番付発表。明後日から稽古再開、千秋楽まで休みなし。

平成26年8月24日
昨日の平塚駅前のまちかど広場での「力士と夕涼み会」。お母さんと幼児の親子連れで賑わったが、カップルで来ていた女性から「今日は大子錦さんは?」と尋ねられた。聞けば、1年前の平塚合宿の折、汗だくになりながら大鍋でちゃんこを作っている大子錦の姿を見てファンになったとのこと。藤沢在住だそうだが、国技館や節分の鎌倉長谷寺の豆まきまで追っかけしているといい、豆まきで撮った写真まで持参、見せてくれた。紛れもない大子錦の下ぶくれの写真に、取り囲む力士達から「ウオーすごい」という歓声。大子錦ファンを名乗ったばかりの思わぬ大歓待に戸惑いつつも合宿所まできて大子錦と記念撮影。こういう出会いも合宿ならではのこと。午後1時半過ぎ、お世話になった湘南高砂部屋後援会会員の皆様に見送られ帰京。

平成26年8月23日
平塚合宿稽古2日目。稽古の後、わんぱく相撲。呼出し邦夫と行司木村朝之助も参加して大会を大いに盛り上げる。終了後、平塚市民へのちゃんこの振舞い。大鍋2つに豚味噌ちゃんこ400食。豚肉20kgに箱単位の野菜。会員のご婦人連のお手伝いでまたたく間に材料切りも進み、あいにくの雨の中みなさん軒下に入ってのちゃんこ。夕方、駅前広場でふれあい交流会。スイカ配って、目隠し風船割りやヨーヨーで子どもたちと楽しく遊ぶ。夜は、研修所の中庭でバーベキュー。最後は、朝弁慶による老若男女お姫様抱っこ撮影会。実際やってもらうと目線の高いことにビックリ!

平成26年8月21日
往田先生の手紙は次のように締められている。『前田山関、小生はいやしくも天下の大関に向かって誠に悪辣極まる言葉を吐いてきましたが、他意あってのことに非らず、十数年来一貫してきた関取に対する愛情から真実を吐露したまでのこと、願わくは大関という格式を引込め、昔の佐田岬の心を以て小生の意のある處(ところ)を酌取られんことを祈ります。』 今日から湘南高砂部屋後援会主催の平塚合宿。夜、歓迎会。落合克宏平塚市長や河野太郎衆議院議員もお越し頂き21年目となる平塚合宿を祝う。明日から3日間、平塚市総合運動公園内土俵にて稽古。

平成26年8月20日
恩師は往田(旧性安藤)進先生という。昭和15年1月発行の相撲雑誌(当時は雑誌『野球界』増刊相撲号)に往田先生から前田山への手紙が掲載されている。大関に昇進して3場所目昭和14年5月場所後に書かれた手紙。今場所も打倒双葉山が成らなかった無念と横綱を目指すための心構えを綴り、叱咤激励している。『 (前略) 関取は甚だ多趣味です。野球、ダンス、写真、撞球(ビリヤード)、囲碁、麻雀、・・・ 小生は関取の此の多趣味がいけないと思います。いつかも話したように、関取の場合は趣味が多いから肉が附かぬというのが小生の持論です。 (中略) 関取は元来生活力旺盛な体質である関係からか、小学生の頃から、じっとして居られぬ性分でしたが、関取の多趣味もここから来るものと思っています。 (中略) 即ち平常の生活に於てより一層節制に心がけて体力、心身の消耗を避け、心身共に円満な発達を遂げてくる時が、関取が力士として完成に近づく時であり、やがては日の下開山となって相撲史上に大なる足跡を印する時だと思います。』

平成26年8月19日
組織だった後援会がない時代、新十両の化粧回しは自分で作らなければならなかった。ふつうは故郷で盛り上がってとなるのだが、悪童の限りを尽くした地元からはそういう話は起きてこない。困り果て、小学校の担任の先生に手紙を書いた。先生は教え子からの手紙に涙して、知人に頭を下げまわり化粧回しをつくってくれた。先生の奔走のおかげで出来た化粧回しも骨髄炎の手術で披露することができなかったが、先生からは励ましの手紙が絶えなかった。前田山英五郎と改名してようやく返事を書いた。
『拝啓、お手紙有難く拝見いたしました。実に永々とご無沙汰致しまして申し訳ございません。 (中略) 昨年5月巡査と争い親方より破門され同僚には信用を失い、全く一人ぼっちになり私としては全く残念至極。このことが国士、頭山満先生の耳に入り手紙がきました。私はすぐ先生のお宅へ行き、心の奥底まで充分話しました。先生は喜んで私を引受けて下さいました。その時から私も考えました。 (中略) 郷土の人が悪口を言っていることは、前から知っています。先生にお手紙を出さなかったのは悲観されてはと思いご無沙汰しました。父母の方へ手紙を出しましたが何の便りもありません。親からも見放され残念です。人はもううらみません。自分を責めています。来る本場所十一日からです。神かけて勝ち越します。勝ち越して郷土の面目を立てます。信用して下さい。 (後略) 』

平成26年8月18日
一度あきらめかけた相撲を再び取れる喜び。以前にも増しての闘志あふれる相撲で、復帰の昭和10年1月場所5勝1敗の成績。つづく5月夏場所では10勝1敗で幕下優勝、十両復帰を果たした。11年1月再十両の場所でも8勝3敗、5月は10勝1敗で十両優勝、12年1月場所の新入幕を決めた。新入幕の場所7勝4敗、つづく5月も9勝4敗の好成績で小結に昇進。新小結の13年1月場所横綱玉錦を破り11勝2敗の成績で、関脇を飛び越え大関昇進。場所後、半ば厄介者扱いだった故郷八幡山へ凱旋巡業。熱烈な歓迎を受け、さらに松山、今治でも巡業。一躍伊予のヒーローとなった。

平成26年8月17日
抗生物質がない時代。手術は腕を切り開き骨髄の膿を拭い取り、木槌とノミで腐った骨をコンコンと削っていく方法だった。昭和9年1月新十両の場所を全休、幕下に落ちた5月場所も全休。焦りと不安から盛り場で大酒を飲んで暴れ、止めにきた警官まで張り飛ばしてしまい、またまた破門。今度こそは無理かとガックリ肩を落としていたところ、孫文や蒋介石とも親交のあった好角家頭山満が師匠にとりなしてくれ復帰が叶う。禁酒を誓い、以後3回の手術、10年1月場所から再起することになった。それまで佐田岬だった四股名を、前田博士にお願いして前田山と改め、下の名前は、頭山の命名で英五郎。前田山英五郎が誕生した。

平成26年8月16日
手術を行ったのは前田和三郎博士。前田博士は慶応大学医学部教授で整形外科主任。京大卒で文部省在外研究員として外国を回り、熊大整形外科医長を経て慶応へ。39歳ながら日本の整形外科医の中で三本の指に入るといわれた名医。当時の医学では腕を切り落とすしか方法がなかったのだが、前田山(当時は佐田岬)が泣きながら叫ぶ「もう一度相撲が取れるようになりたい!」という悲痛な訴えに、前田博士も「やれるだけやってみましょう」と、約一年、5度に亘ることになる手術を決意。

平成26年8月15日
横綱前田山英五郎の波乱の人生について、1995年に刊行された『どかんかい』(今田柔全著BAB出版局)から紹介している。破門され故郷八幡浜へ一旦へ帰るも、再び部屋へ戻って出直し。それでも酒癖は改まらず度々問題を起こし、3代目高砂の師匠を悩ませる。そんな荒くれ生活ながらも激しい気性で稽古には励み、昭和8年5月夏場所幕下3枚目で7勝4敗の好成績で19歳での十両昇進を決める。新十両の場所前、博打場の帰り浅草でヤクザ20人に囲まれ返り討ちにするも、右上腕に刀傷を受け、その傷がもとで骨髄炎に。新十両の場所を休場、慶応病院で手術を受けることになる。

平成26年8月14日
昭和3年11月、後の横綱前田山こと萩森金松少年15歳のとき、故郷八幡浜に高砂一門の巡業がきた。金松少年の腕白ぶりを聞いた初代朝汐ゆかりの人が、元射水川の初代若松親方に紹介。若松親方が3代目高砂親方(元大関2代目朝汐)の元へ連れていった。昭和4年1月、故郷の村からとった喜木山の四股名で初土俵。入門してからも暴れん坊ぶりは健在で、入門一年半佐田岬と改名した17歳の頃大酒を浴びて破門されかかり、そのまた1年半後まだ18歳の頃、酔って火事場に乱入し消防士からホースをもぎとり大暴れ、ついに破門となってしまった。

平成26年8月13日
初代朝汐太郎が生まれたのは150年前の江戸末期1864年(元治元年)。池田屋騒動の年で、吉田稔麿、久坂玄瑞、佐久間象山が亡くなった年。『野菊の墓』の伊藤左千夫、津田塾大創設の津田梅子等が同年生まれ。横綱前田山生誕の100年前は、1914年(大正3年)。角聖横綱常陸山が引退した年で、第一次世界大戦が勃発した年。安芸ノ海、羽黒山、名寄岩も同年生まれで、水泳の前畑秀子、金丸信、宇野重吉、丸山眞男、笠置シヅ子等も。現八幡浜市である愛媛県西宇和郡喜須来(きすき)村喜木(きき)で12人兄弟の五男として生まれた。子どもの頃からの腕白ぶりは近隣に鳴り響いていたという。

平成26年8月12日
一昨年からはじまり恒例化しつつある高知合宿。今年は、10月7日から14日まで行なわれることに。7日夕方に高知市営相撲場に入り、稽古は8日から13日まで。今年は合宿期間中に愛媛県八幡浜市市民ギャラリーで、初代朝汐生誕150年・横綱前田山生誕100年を記念して、『郷土が生んだ力士たち 大関朝汐、横綱前田山展』が開催される(10月4日〜11月9日)。会期中の10月12日日曜日に4代目朝潮(横綱(男女ノ川を含めると5代目)である現師匠の講演と、高砂部屋力士による相撲教室も行なわれます。

平成26年8月10日
8月7日に、朝赤龍と付人朝興貴が夏巡業に出発。7日、福島県いわき市で復興祈願イベントを行い、8日は茨城県石岡・小美玉場所。9日新潟で、今日は山形県長井市。あすは宮城県加美町で明後日が秋田市。お盆に北海道へ渡り、15日は千歳。つづいて16日札幌、17日釧路とまわって帰京する。ただし、北海道へ渡るのは幕内のみで十両は秋田から帰京となる。毎夏恒例の高砂部屋平塚合宿は、8月21日に乗り込み、稽古は22日(金)から24日(日)まで。9月場所番付発表は、9月1日(月)。

平成26年8月6日
インターハイのお手伝いに来ている近畿大学相撲部の学生13人が部屋で四股やぶつかり稽古に汗を流す。近畿大学相撲部の監督は、伊東勝人氏。青森県五所川原商業出身で、小兵ながら平成3年にはアマチュア横綱の栄冠にも輝いている。昔の巡業の話になり、小さい頃から相撲が好きで青森に大相撲巡業が来たときはサインをもらいによく行ったという。相撲少年憧れの横綱大関のサインが欲しいのだが、付人がガードしていてなかなか近づけない。それでも「サインお願いしまーす!」と大きな声でお願いすると、制止する付人の向こうから横綱北の湖が、「いいよ、おいで」と声をかけてもらったと懐かしげに話す。明日からは青森合宿、富山合宿と遠征続きで、大学相撲部監督も大相撲と変わらぬ旅芸人生活。

平成26年8月4日
昨日3日、名古屋から全員帰京。きょう4日から稽古始め。暑い名古屋から帰ってきても猛暑つづきの東京だが、今週一週間は毎夏恒例の部屋開放。師匠と共に朝弁慶と朝乃丈が指導員となり、昨年にひきつづき千葉県市原市のチーム金星の子供たちを指導。昨日はわんぱく相撲全国大会。明日からは国技館で相撲の全国高校総合体育大会(インターハイ)も行なわれる。週末は、全国都道府県中学生相撲選手権。大相撲はお休みでも、アマチュア相撲真っ盛りの盛夏8月。

平成26年7月26日
雪駄が履けるのは三段目からだが、高砂部屋では「上がったことに満足せぬよう」との師匠の方針で、2場所目(三段目に残ると確定した時)から履くことが許される。今場所、初三段目だった朝上野、下駄履きでの体育館通いだったが今日勝越せば晴れて念願の雪駄履き。~山に買ってもらった雪駄を持参して場所入り。見事勝越して、帰りは雪駄履きで帰って来た(下駄を抱えて)。幕下15枚目朝弁慶、惜しくも負越し。朝赤龍は、我慢の相撲で7勝7敗、千秋楽に勝越しをかける。明日は、蟹江のお隣、あま市七宝の中部健康センターにて千秋楽打上パーティー

平成26年7月25日
昨日12日目が最後の割り返しで、幕下以下は13日目,14日目,千秋楽の3日間のうちいずれか一日が最後の相撲になる。3勝3敗の力士は千秋楽になることはなく、今日13日目かあす14日目に必ず割りが組まれる。お相撲さん的には、できれば13日目で終われるとラッキーである。とくに4勝2敗もしくは5勝1敗と勝越して13日目に割りがあると、このうえなく嬉しい。最悪なのは、負越しが決まってからの千秋楽の割り。負越したうえに終わるまでは気が休まらないし、何かと忙しい千秋楽の日に体育館まで行かなければならない。高砂部屋一同の今場所は、ラッキーな今日13日目の割りが一人もなく、3勝3敗の3人が明日14日目。勝越し二人と、負越し組は全員千秋楽の割り。

平成26年7月24日
~山、今場所も横綱鶴竜の助っ人付人。井筒部屋の若い衆が少ないこともあり、しばらくは助っ人稼業がつづきそうである。純白のキャラコ(高級木綿)の横綱は、少しの汚れも許されない。手袋をつけ細心の注意を払って扱うが、それでも人が関ること、汚れや指の怪我で血がつく等、不慮の事態も起こるそう。そういう場合は、シッカロールか最終手段として修正ペンを使うこともあるという。そういう事態に対応できるのも~山がいてこそ、のこと。その分疲労困憊も激しく3連敗だったが、自分の修正も効いたようで、3連勝と持ち直し最後の一番に勝越しをかける。

平成26年7月23日
三段目19枚目の朝興貴、今日勝てば幕下昇進が濃厚となる一番。相手は最高位幕下4枚目の大きな力士。最盛期より衰えてきているとはいえ実力者であることには間違いない。捌く行司は木村悟志。立合いから得意の双手(もろて)突きの腕が良く伸び、突っ張って、突き切って、ほぼ電車道での完勝。木村悟志から「アサコウキ〜」と勝名乗りを受け、幕下昇進を決定的なものにした。あまり表情を変えないタイプだが、さすがに嬉しそうで、晩飯の時にもいつもより冗舌な朝興貴がいた。早く朝弁慶に追いつき、朝天舞も加わり、出世争いを激化させてもらいたい。

平成26年7月22日
幕下以下は7日間の勝負なので、2日に一回の取組。2日毎に取組が決まる。取組のことを「割り」といい、取組表のことを「割り紙」という。新しい割りは2日毎に出るから、偶数日(2日目、4日目、6日目、・・・)に次の対戦相手が初めてわかる。新たな取組が決まる日を「割り返し」ともいい、割り紙を手にして対戦相手の名前を見ると緊張感も一気に高まる。割り紙は、夕方に刷られて場所に遅くまで残っている付人か行司が持ってくる。もっとも最近はネットで確認する力士も多いが・・・。今場所第一号の勝越しを決めた朝興貴は、あす11日目新幕下昇進をかけて元幕下上位の翔傑との割り。

平成26年7月21日
いつも幟を立てに来てくれる稲沢の浅井さんは、昭和6年生まれだというから今年で83歳になる。今でも現役バリバリで、一緒に杭打ちを行ない、屋根の上に登っての作業も楽にこなしている。ある意味スーパーマンである。高砂部屋との付き合いは、かれこれ50年にも及ぶという。半世紀にわたって厳しい相撲界と接している浅井さんは頑張り屋が好きで、最近は特に朝天舞に力を入れて応援している。今朝も部屋の朝稽古に顔を出しチャンコの後、愛知県体育館へ。今場所不調な朝天舞だが、今日は前に出たところ土俵際すくわれ反転するも、居反りで館内を沸かせての初白星。取組後、館内の食堂で食事をご一緒したそうだが、普段から大きい浅井さんの声は、嬉しさと興奮のあまり食堂内に響きわたっていた、ことと思われる。苦戦を乗り越え、今日は5戦全勝

平成26年7月20日
今日も満員札止の中日8日目。相撲も中日を過ぎると、あっという間に千秋楽が近づいてくる。昨日まで苦戦続きだった高砂部屋も、中日にしてようやく5勝3敗と勝越し。今朝の中日新聞に大入袋の話が載っていたが、もともとは苦戦(9銭)を乗り越えるよう10銭がはいっていたそう。満員御礼が出ると関係者(関取、裏方資格者、報道関係など)に大入袋が配られる。現在の中身は10円。明日から後半戦、苦戦を乗り越える巻き返しを大いに期待したい。3連敗だった、~山と朝金井にめが出るものの、朝天舞が4連敗での負越し。

平成26年7月19日
取組開始の8時半過ぎには満員札止となった名古屋場所7日目だが、高砂部屋は昨日にひきつづき3連敗と調子が上がらない。一昨日武蔵丸親方の甥っ子相手にいい相撲で勝った朝乃丈、今日はは悪い癖の引きが出て3敗目。ここ数日の雷雨を伴う不順な空模様が言わせたのか、帰ってきて 「のこり3連勝して勝越すぞ!」と、珍しく前向きな発言。そういう心構えで毎日取ってくれれば幕下昇進もすぐに可能なのだろうが・・・ 7月27日(日)の高砂部屋千秋楽打上パーティーのご案内です。

平成26年7月18日
鹿児島県徳之島出身の朝ノ島。名古屋におばさんが住んでいて毎年訪ねてきてくれる。最近島に帰ったらしく、島から島バナナや冬瓜、赤瓜などをもってきてくれた。お母さんの妹なのだが、お母さん以上に朝ノ島に瓜二つで、初めて会った朝金井も「島さんにそっくりですね!」と驚いていた。よその部屋の相撲取りもすぐわかったそう。今場所1勝2敗と黒星先行だが、毎日の勝敗に一喜一憂しているおばさん家族のためにも残り4番踏ん張ってもらいたい。

平成26年7月17日
例年になく過ごしやすい日々がつづいていたが、ここ数日名古屋場所らしい猛暑日到来。平屋のプレハブには強烈な日差しが直接当たりクーラーの効きも悪いため、屋根に遮光ネットを浅井さん(7月10日参照)が張ってくれることになり、朝上野がお手伝い。屋根の上で作業する浅井さんに下から材料を渡すのだが、190cmと人並以上に目線が高いくせに、高所恐怖症ではしごを登れないという。役立たずかと思われたが、さすがに2m近い長身。はしごに登らなくても手を伸ばせば、屋根の上に楽に材料を運べ、事なきを得た。その朝上野、三段目での初白星。番付は、どんどん高所に登っていかなければならない。

平成26年7月16日
宿舎のある蟹江から愛知県体育館までは、JR蟹江から名古屋駅へ出て、地下鉄東山線に乗り、栄駅で名城線に乗り換え2つ目市役所前駅で降りる。お城の門のような市役所駅7番出口から徒歩5分ほどで名古屋場所が開催されている体育館につく。栄駅での地下鉄乗り換えがややこしく時折迷いそうになる。愛知県出身とはいえ、名古屋市内の地下鉄に一人で乗るのは初体験の朝金井、案の定初日は帰りに栄で迷子になってしまったようだが、2回目の今日は「すーっと乗れました」と無事時間通りに帰ってきた。相撲と同じで、失敗しながらいろいろなことを覚えていく。朝興貴2連勝。朝弁慶初日。

平成26年7月14日
今場所は3人が休場。ちゃんこ長大子錦は、5月場所最後の一番でアキレス腱を痛め、ようやくギプスから装具に移行したところ。いつもは先発隊長だが、さすがに今場所は後発組として名古屋入り。 稽古はお休みして本業(?)のちゃんこに専念。ちゃんこ作りは立ち仕事でアキレス腱に負担がと心配される向きもあろうが、イスに座って器用な包丁さばき。もっともアキレス腱を痛める前からイスに座ってのちゃんこ作りであったが・・・ 朝西村は大阪で手術後のリハビリ中。朝河西は自宅帰宅中。怪我や病気で診断書を提出する場合以外の休場は、協会の扱い(書類上)は、帰国中となる。

平成26年7月13日
先日、朝弁慶にお姫様抱っこをしてもらったという若奥さまと話す機会があった。やはり、ひょいと上げてもらい、まるでエスカレーターにでも乗っているかのようにスーッと下ろしてもらったと、その感動を語っていた。その後旦那さんにもお姫様抱っこをしてもらうことがあったそう。「弁慶さんと違って、手の位置は低いし、すごく重たそうに持つし・・・」と、半ば自嘲気味に嘆きつつ笑っていた。まあ、お姫様抱っこができるだけ立派なのだろうが、弁慶の後だけに旦那様には気の毒な比較であったろう。満員御礼の初日。幕下15枚目の朝弁慶、相手をひょいと土俵の外へ、とはいかず黒星スタート。

平成26年7月12日
遠藤といえばお姫様抱っこが大人気で、5月場所からはお姫様抱っこパネルまで登場している。やはり女性にとって憧れが大きいようで、先日老人ホームを慰問した時にも入居者や職員のお姫様抱っこが一番盛り上がった。とくに190cmある朝弁慶のお姫様抱っこは高さがすごいらしく、みなさん興奮状態になる。しかも軽々と上げ、すーっと下ろすから女性にとってはこの上ない至福感を味わえるそう。その朝弁慶、あす十両土俵入りの3番前に初日の取組。お姫様抱っこパワー(?)で幕下上位のカベを一気に突き破りたい。

平成26年7月11日
取組編成会議。中日新聞夕刊では、見開き2面を使って、「ご当地力士はっけよい」と地元中部出身力士特集。一番大きな写真は、石川県穴水町出身の遠藤。さらに愛知県春日井市出身明瀬山、三重県松阪市出身徳真鵬、名古屋市熱田区出身玉飛鳥、静岡県三島市出身栃飛龍、三重県伊賀市出身千代の国の6力士。そしてもう一人、“若松親方(元幕内朝乃若)が直言”「地元で個性を磨け」と、懐かしいカエル仕切りの写真。さらにグラフ面では半面つかってカラー写真5枚での遠藤特集。日増しに期待は高まり、初日横綱白鵬は安美錦、注目の遠藤は照ノ富士との対戦。あす午前10時から愛知県体育館土俵での土俵祭り(一般公開)。午後4時半からCBCテレビで前夜祭放送(収録は木曜日)。台風一過で早朝から強い日差し。幟を立て直す。高砂部屋への触れ太鼓は午後2時頃の予定。

平成26年7月10日
台風接近で風雨強く幟旗がギシギシと音をたて揺れている。幟は7m近い竹で立ててあり、強風で倒れると危険なので雨のなか撤収作業。杭にくくりつけたバン線を切って竹を倒し幟を抜きとっていく。 幟の作業には稲沢市の浅井造園浅井さんが自らきてくれる。台風迫るなかでの激励会だったにもかかわらず多くのお客様に集まっていただき名古屋場所での活躍を祝す。明日が取組編成会議で、あさって午前10時より土俵祭り。13日の初日を迎える。

平成26年7月9日
13日(日)初日の名古屋場所。前売り状況は好調で、部屋の切符も早々と売り切れ久方ぶりの嬉しい悲鳴。相撲協会のチケットも売れ行きが昨年の3割5分増しとのことで満員御礼の日も多くなりそう。名古屋場所も初日は「ゆかたデー」。和装(浴衣、着物)でお越しの先着500名様に3点セットプレゼントの豪華版。あす10日(木)は名古屋城近くのウエスティンナゴヤキャッスルに於いて、高砂部屋激励会が開催されます。

平成26年7月8日
今日の中日新聞夕刊一面トップは、 『明治の大関 絵馬あった ー稲沢出身?“イケメン”綾瀬川ー 』 の見出し。稲沢市は、蟹江の北側一宮市の手前の町。稲沢市出身と伝わる明治初期の大関綾瀬川が、生誕地稲沢の塩江神社に奉納した絵馬(30年前にすでに行方不明になっていた)が見つかったという記事。当時は、昇進記念に肖像画や番付を奉納することが多かったようで、昇進直後、村役場隣に土俵を構え3日間興行して空前絶後のにぎわいだったことが稲沢市史に記されているそう。一と月ほど前にも紹介した(6月5日日記)ように、大関綾瀬川は初代高砂とも縁ある力士で、「相撲じゃ陣幕、男じゃ綾瀬、ほどのよいのは朝日嶽」と俗謡にも歌われたイケメンだったそう。

平成26年7月7日
ちゃんこの語源には諸説ある。長崎で大きな中華鍋のことをチャンクォということから来ているという説。料理番の古参力士を親しみを込めて父公(ちゃんこう)と呼んだからという説。他にも様々あるが、一番わかりやすいのが、「ちゃん」は「お父ちゃん」のちゃんで「親方」、「こ」は「子供」のこで「弟子」、親方と弟子が一緒に食べるから「ちゃんこ」という説。相撲界一般には食事のことを指し、「今日のちゃんこはカレー」とか「今日のちゃんこは、うどんにトンカツ」などと使う。あくまでも部屋での食事のことを「ちゃんこ」といい、外食するときには、「今日のお昼は・・・」「今日の晩飯は・・・」という。先日一宮で、お母さんが子供をすわらせるときに、「ちゃんこ!」と言っていたのには驚いた。地域差はあるようだが、けっこう使う人はいるよう。

平成26年7月6日
昭和63年はじめて龍照院に来たときには、まだ幼稚園の園舎が残っていた。元園舎の建物も宿舎として使っていたが、お寺さんが改築することになり、新たに北側空地にプレハブを建てた。元朝乃若の若松親方が入門した年のはずだから平成4年なのであろう。数年はクーラーがなく、猛暑日の昼寝は地獄だった。扇風機を回すと熱風がくるのでよけいに熱い。水浴びして体を冷まし寝た。慣れると寝つけるものだが、目が覚めると汗びっしょり。また水浴びしなければならなかった。龍照院境内でチャンコと餅つき会。毎年の恒例行事となりボランティアのお手伝いの方々とも一年ぶりの再会。合い言葉は、“チャンコで会いましょ!”

平成26年7月5日
須成出身の新撰組隊士は佐野七五三之助(しめのすけ)という。何となくおめでたい名前だが、壮絶な死に様からは檄情が伝わってくる。七五三之助の妹の子(甥)が第24代内閣総理大臣加藤高明であるという。加藤高明は東大法学部を首席で卒業して三菱入社。妻は三菱の創始者岩崎弥太郎の長女。岩崎弥太郎と親交の深かった大隈重信の秘書官として外交官デビューし政界での階段をのぼっていく。また、明治大正と活躍し、金融界の風雲児と呼ばれた神田らい蔵も須成の出身(角界の風雲児は初代高砂浦五郎)。そういえば、以前新宿2丁目のお店にも須成出身者がいた。幼稚園は龍照院に通ったという話にびっくりした。長い髪のチョイあん(ポッチャリ)系で、しばらくして蟹江駅で見かけたこともあった。

平成26年7月3日
龍照院のすぐ脇を蟹江川が流れている。大小の河川や用水路が全町域の4分の1を占めるほどの水郷の町で、作家吉川英治が「東海の潮来」と絶賛したという。昔はもっと海が近く、幾度かの川の氾濫をくり返しつつ町が形成された。龍照院のある地は蟹江町須成(すなり)という地区で、もとは砂成、洲成から、いつしか須成になったと、町の掲示板に出ている。蟹江の中でも歴史と文化を誇るのが須成で、その中心に龍照院がある。幕末には新撰組隊士も須成村から出ている。

平成26年7月2日
境内に隣接してというか、境内内ともいえる所に神社がある。冨吉建速神社と八劒社だが、室町時代の建築で、本殿と棟札が国の重要文化財に指定されている。両社合わせて須成神社と呼ぶが、その祭礼が須成祭りで、400年を超える歴史があり平成24年3月には国の重要無形文化財に指定された。また、現在稽古場のある場所は、大正時代の第24代総理大臣加藤高明氏が生まれた(育った?)所だそうで、有形無形の重要文化財に囲まれ,験のいい土地に宿舎が建っている。高砂部屋に出稽古に来ると験のいい前神風(高田川部屋)、今日から稽古に参加。

平成26年7月1日
龍照院は、奈良時代の天平5年(733)行基菩薩の草創とされ、寿永元年(1182)木曽義仲により再興されたと伝わる。境内には、巴御前が木曽義仲の菩提を弔うため供養したとされる大日如来像もある。最盛期には七堂伽藍及び18坊が建立され、境内の広さは7万2千坪にも及んだという。 信長没の2年後、信雄・家康連合軍と秀吉が争った小牧長久手の戦いからつづく蟹江合戦の兵火で焼かれ、現在の龍照院一坊を残すのみとなった。秀吉手植えと伝わる樹齢400年余りの大銀杏が境内にあり、お寺のすぐ脇には、信長が清洲から駆けていたという信長街道もある。

平成26年6月30日
7月名古屋場所番付発表。幕下15枚目以内は、全勝すると関取昇進の可能性があるから幕下上位とよび、特別な地位である。(16枚目以下は全勝しても上がれない)その幕下上位15枚目についに朝弁慶が番付を上げてきた。全勝とはいかなくても、何とか勝越して今年中にはと期待がかかる。三段目朝乃丈が自己最高位を大きく更新して三段目東11枚目。4勝すれば幕下昇進も可能な位置。朝上野、初の三段目昇進。5529000番目と5530000番目のお客様、送り先を書いてメールください。7月場所新番付と、高砂部屋便り36号をプレゼントしたします。

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