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今日の高砂部屋
平成26年7月25日
昨日12日目が最後の割り返しで、幕下以下は13日目,14日目,千秋楽の3日間のうちいずれか一日が最後の相撲になる。3勝3敗の力士は千秋楽になることはなく、今日13日目かあす14日目に必ず割りが組まれる。お相撲さん的には、できれば13日目で終われるとラッキーである。とくに4勝2敗もしくは5勝1敗と勝越して13日目に割りがあると、このうえなく嬉しい。最悪なのは、負越しが決まってからの千秋楽の割り。負越したうえに終わるまでは気が休まらないし、何かと忙しい千秋楽の日に体育館まで行かなければならない。高砂部屋一同の今場所は、ラッキーな今日13日目の割りが一人もなく、3勝3敗の3人が明日14日目。勝越し二人と、負越し組は全員千秋楽の割り。

平成26年7月24日
~山、今場所も横綱鶴竜の助っ人付人。井筒部屋の若い衆が少ないこともあり、しばらくは助っ人稼業がつづきそうである。純白のキャラコ(高級木綿)の横綱は、少しの汚れも許されない。手袋をつけ細心の注意を払って扱うが、それでも人が関ること、汚れや指の怪我で血がつく等、不慮の事態も起こるそう。そういう場合は、シッカロールか最終手段として修正ペンを使うこともあるという。そういう事態に対応できるのも~山がいてこそ、のこと。その分疲労困憊も激しく3連敗だったが、自分の修正も効いたようで、3連勝と持ち直し最後の一番に勝越しをかける。

平成26年7月23日
三段目19枚目の朝興貴、今日勝てば幕下昇進が濃厚となる一番。相手は最高位幕下4枚目の大きな力士。最盛期より衰えてきているとはいえ実力者であることには間違いない。捌く行司は木村悟志。立合いから得意の双手(もろて)突きの腕が良く伸び、突っ張って、突き切って、ほぼ電車道での完勝。木村悟志から「アサコウキ〜」と勝名乗りを受け、幕下昇進を決定的なものにした。あまり表情を変えないタイプだが、さすがに嬉しそうで、晩飯の時にもいつもより冗舌な朝興貴がいた。早く朝弁慶に追いつき、朝天舞も加わり、出世争いを激化させてもらいたい。

平成26年7月22日
幕下以下は7日間の勝負なので、2日に一回の取組。2日毎に取組が決まる。取組のことを「割り」といい、取組表のことを「割り紙」という。新しい割りは2日毎に出るから、偶数日(2日目、4日目、6日目、・・・)に次の対戦相手が初めてわかる。新たな取組が決まる日を「割り返し」ともいい、割り紙を手にして対戦相手の名前を見ると緊張感も一気に高まる。割り紙は、夕方に刷られて場所に遅くまで残っている付人か行司が持ってくる。もっとも最近はネットで確認する力士も多いが・・・。今場所第一号の勝越しを決めた朝興貴は、あす11日目新幕下昇進をかけて元幕下上位の翔傑との割り。

平成26年7月21日
いつも幟を立てに来てくれる稲沢の浅井さんは、昭和6年生まれだというから今年で83歳になる。今でも現役バリバリで、一緒に杭打ちを行ない、屋根の上に登っての作業も楽にこなしている。ある意味スーパーマンである。高砂部屋との付き合いは、かれこれ50年にも及ぶという。半世紀にわたって厳しい相撲界と接している浅井さんは頑張り屋が好きで、最近は特に朝天舞に力を入れて応援している。今朝も部屋の朝稽古に顔を出しチャンコの後、愛知県体育館へ。今場所不調な朝天舞だが、今日は前に出たところ土俵際すくわれ反転するも、居反りで館内を沸かせての初白星。取組後、館内の食堂で食事をご一緒したそうだが、普段から大きい浅井さんの声は、嬉しさと興奮のあまり食堂内に響きわたっていた、ことと思われる。苦戦を乗り越え、今日は5戦全勝

平成26年7月20日
今日も満員札止の中日8日目。相撲も中日を過ぎると、あっという間に千秋楽が近づいてくる。昨日まで苦戦続きだった高砂部屋も、中日にしてようやく5勝3敗と勝越し。今朝の中日新聞に大入袋の話が載っていたが、もともとは苦戦(9銭)を乗り越えるよう10銭がはいっていたそう。満員御礼が出ると関係者(関取、裏方資格者、報道関係など)に大入袋が配られる。現在の中身は10円。明日から後半戦、苦戦を乗り越える巻き返しを大いに期待したい。3連敗だった、~山と朝金井にめが出るものの、朝天舞が4連敗での負越し。

平成26年7月19日
取組開始の8時半過ぎには満員札止となった名古屋場所7日目だが、高砂部屋は昨日にひきつづき3連敗と調子が上がらない。一昨日武蔵丸親方の甥っ子相手にいい相撲で勝った朝乃丈、今日はは悪い癖の引きが出て3敗目。ここ数日の雷雨を伴う不順な空模様が言わせたのか、帰ってきて 「のこり3連勝して勝越すぞ!」と、珍しく前向きな発言。そういう心構えで毎日取ってくれれば幕下昇進もすぐに可能なのだろうが・・・ 7月27日(日)の高砂部屋千秋楽打上パーティーのご案内です。

平成26年7月18日
鹿児島県徳之島出身の朝ノ島。名古屋におばさんが住んでいて毎年訪ねてきてくれる。最近島に帰ったらしく、島から島バナナや冬瓜、赤瓜などをもってきてくれた。お母さんの妹なのだが、お母さん以上に朝ノ島に瓜二つで、初めて会った朝金井も「島さんにそっくりですね!」と驚いていた。よその部屋の相撲取りもすぐわかったそう。今場所1勝2敗と黒星先行だが、毎日の勝敗に一喜一憂しているおばさん家族のためにも残り4番踏ん張ってもらいたい。

平成26年7月17日
例年になく過ごしやすい日々がつづいていたが、ここ数日名古屋場所らしい猛暑日到来。平屋のプレハブには強烈な日差しが直接当たりクーラーの効きも悪いため、屋根に遮光ネットを浅井さん(7月10日参照)が張ってくれることになり、朝上野がお手伝い。屋根の上で作業する浅井さんに下から材料を渡すのだが、190cmと人並以上に目線が高いくせに、高所恐怖症ではしごを登れないという。役立たずかと思われたが、さすがに2m近い長身。はしごに登らなくても手を伸ばせば、屋根の上に楽に材料を運べ、事なきを得た。その朝上野、三段目での初白星。番付は、どんどん高所に登っていかなければならない。

平成26年7月16日
宿舎のある蟹江から愛知県体育館までは、JR蟹江から名古屋駅へ出て、地下鉄東山線に乗り、栄駅で名城線に乗り換え2つ目市役所前駅で降りる。お城の門のような市役所駅7番出口から徒歩5分ほどで名古屋場所が開催されている体育館につく。栄駅での地下鉄乗り換えがややこしく時折迷いそうになる。愛知県出身とはいえ、名古屋市内の地下鉄に一人で乗るのは初体験の朝金井、案の定初日は帰りに栄で迷子になってしまったようだが、2回目の今日は「すーっと乗れました」と無事時間通りに帰ってきた。相撲と同じで、失敗しながらいろいろなことを覚えていく。朝興貴2連勝。朝弁慶初日。

平成26年7月14日
今場所は3人が休場。ちゃんこ長大子錦は、5月場所最後の一番でアキレス腱を痛め、ようやくギプスから装具に移行したところ。いつもは先発隊長だが、さすがに今場所は後発組として名古屋入り。 稽古はお休みして本業(?)のちゃんこに専念。ちゃんこ作りは立ち仕事でアキレス腱に負担がと心配される向きもあろうが、イスに座って器用な包丁さばき。もっともアキレス腱を痛める前からイスに座ってのちゃんこ作りであったが・・・ 朝西村は大阪で手術後のリハビリ中。朝河西は自宅帰宅中。怪我や病気で診断書を提出する場合以外の休場は、協会の扱い(書類上)は、帰国中となる。

平成26年7月13日
先日、朝弁慶にお姫様抱っこをしてもらったという若奥さまと話す機会があった。やはり、ひょいと上げてもらい、まるでエスカレーターにでも乗っているかのようにスーッと下ろしてもらったと、その感動を語っていた。その後旦那さんにもお姫様抱っこをしてもらうことがあったそう。「弁慶さんと違って、手の位置は低いし、すごく重たそうに持つし・・・」と、半ば自嘲気味に嘆きつつ笑っていた。まあ、お姫様抱っこができるだけ立派なのだろうが、弁慶の後だけに旦那様には気の毒な比較であったろう。満員御礼の初日。幕下15枚目の朝弁慶、相手をひょいと土俵の外へ、とはいかず黒星スタート。

平成26年7月12日
遠藤といえばお姫様抱っこが大人気で、5月場所からはお姫様抱っこパネルまで登場している。やはり女性にとって憧れが大きいようで、先日老人ホームを慰問した時にも入居者や職員のお姫様抱っこが一番盛り上がった。とくに190cmある朝弁慶のお姫様抱っこは高さがすごいらしく、みなさん興奮状態になる。しかも軽々と上げ、すーっと下ろすから女性にとってはこの上ない至福感を味わえるそう。その朝弁慶、あす十両土俵入りの3番前に初日の取組。お姫様抱っこパワー(?)で幕下上位のカベを一気に突き破りたい。

平成26年7月11日
取組編成会議。中日新聞夕刊では、見開き2面を使って、「ご当地力士はっけよい」と地元中部出身力士特集。一番大きな写真は、石川県穴水町出身の遠藤。さらに愛知県春日井市出身明瀬山、三重県松阪市出身徳真鵬、名古屋市熱田区出身玉飛鳥、静岡県三島市出身栃飛龍、三重県伊賀市出身千代の国の6力士。そしてもう一人、“若松親方(元幕内朝乃若)が直言”「地元で個性を磨け」と、懐かしいカエル仕切りの写真。さらにグラフ面では半面つかってカラー写真5枚での遠藤特集。日増しに期待は高まり、初日横綱白鵬は安美錦、注目の遠藤は照ノ富士との対戦。あす午前10時から愛知県体育館土俵での土俵祭り(一般公開)。午後4時半からCBCテレビで前夜祭放送(収録は木曜日)。台風一過で早朝から強い日差し。幟を立て直す。高砂部屋への触れ太鼓は午後2時頃の予定。

平成26年7月10日
台風接近で風雨強く幟旗がギシギシと音をたて揺れている。幟は7m近い竹で立ててあり、強風で倒れると危険なので雨のなか撤収作業。杭にくくりつけたバン線を切って竹を倒し幟を抜きとっていく。 幟の作業には稲沢市の浅井造園浅井さんが自らきてくれる。台風迫るなかでの激励会だったにもかかわらず多くのお客様に集まっていただき名古屋場所での活躍を祝す。明日が取組編成会議で、あさって午前10時より土俵祭り。13日の初日を迎える。

平成26年7月9日
13日(日)初日の名古屋場所。前売り状況は好調で、部屋の切符も早々と売り切れ久方ぶりの嬉しい悲鳴。相撲協会のチケットも売れ行きが昨年の3割5分増しとのことで満員御礼の日も多くなりそう。名古屋場所も初日は「ゆかたデー」。和装(浴衣、着物)でお越しの先着500名様に3点セットプレゼントの豪華版。あす10日(木)は名古屋城近くのウエスティンナゴヤキャッスルに於いて、高砂部屋激励会が開催されます。

平成26年7月8日
今日の中日新聞夕刊一面トップは、 『明治の大関 絵馬あった ー稲沢出身?“イケメン”綾瀬川ー 』 の見出し。稲沢市は、蟹江の北側一宮市の手前の町。稲沢市出身と伝わる明治初期の大関綾瀬川が、生誕地稲沢の塩江神社に奉納した絵馬(30年前にすでに行方不明になっていた)が見つかったという記事。当時は、昇進記念に肖像画や番付を奉納することが多かったようで、昇進直後、村役場隣に土俵を構え3日間興行して空前絶後のにぎわいだったことが稲沢市史に記されているそう。一と月ほど前にも紹介した(6月5日日記)ように、大関綾瀬川は初代高砂とも縁ある力士で、「相撲じゃ陣幕、男じゃ綾瀬、ほどのよいのは朝日嶽」と俗謡にも歌われたイケメンだったそう。

平成26年7月7日
ちゃんこの語源には諸説ある。長崎で大きな中華鍋のことをチャンクォということから来ているという説。料理番の古参力士を親しみを込めて父公(ちゃんこう)と呼んだからという説。他にも様々あるが、一番わかりやすいのが、「ちゃん」は「お父ちゃん」のちゃんで「親方」、「こ」は「子供」のこで「弟子」、親方と弟子が一緒に食べるから「ちゃんこ」という説。相撲界一般には食事のことを指し、「今日のちゃんこはカレー」とか「今日のちゃんこは、うどんにトンカツ」などと使う。あくまでも部屋での食事のことを「ちゃんこ」といい、外食するときには、「今日のお昼は・・・」「今日の晩飯は・・・」という。先日一宮で、お母さんが子供をすわらせるときに、「ちゃんこ!」と言っていたのには驚いた。地域差はあるようだが、けっこう使う人はいるよう。

平成26年7月6日
昭和63年はじめて龍照院に来たときには、まだ幼稚園の園舎が残っていた。元園舎の建物も宿舎として使っていたが、お寺さんが改築することになり、新たに北側空地にプレハブを建てた。元朝乃若の若松親方が入門した年のはずだから平成4年なのであろう。数年はクーラーがなく、猛暑日の昼寝は地獄だった。扇風機を回すと熱風がくるのでよけいに熱い。水浴びして体を冷まし寝た。慣れると寝つけるものだが、目が覚めると汗びっしょり。また水浴びしなければならなかった。龍照院境内でチャンコと餅つき会。毎年の恒例行事となりボランティアのお手伝いの方々とも一年ぶりの再会。合い言葉は、“チャンコで会いましょ!”

平成26年7月5日
須成出身の新撰組隊士は佐野七五三之助(しめのすけ)という。何となくおめでたい名前だが、壮絶な死に様からは檄情が伝わってくる。七五三之助の妹の子(甥)が第24代内閣総理大臣加藤高明であるという。加藤高明は東大法学部を首席で卒業して三菱入社。妻は三菱の創始者岩崎弥太郎の長女。岩崎弥太郎と親交の深かった大隈重信の秘書官として外交官デビューし政界での階段をのぼっていく。また、明治大正と活躍し、金融界の風雲児と呼ばれた神田らい蔵も須成の出身(角界の風雲児は初代高砂浦五郎)。そういえば、以前新宿2丁目のお店にも須成出身者がいた。幼稚園は龍照院に通ったという話にびっくりした。長い髪のチョイあん(ポッチャリ)系で、しばらくして蟹江駅で見かけたこともあった。

平成26年7月3日
龍照院のすぐ脇を蟹江川が流れている。大小の河川や用水路が全町域の4分の1を占めるほどの水郷の町で、作家吉川英治が「東海の潮来」と絶賛したという。昔はもっと海が近く、幾度かの川の氾濫をくり返しつつ町が形成された。龍照院のある地は蟹江町須成(すなり)という地区で、もとは砂成、洲成から、いつしか須成になったと、町の掲示板に出ている。蟹江の中でも歴史と文化を誇るのが須成で、その中心に龍照院がある。幕末には新撰組隊士も須成村から出ている。

平成26年7月2日
境内に隣接してというか、境内内ともいえる所に神社がある。冨吉建速神社と八劒社だが、室町時代の建築で、本殿と棟札が国の重要文化財に指定されている。両社合わせて須成神社と呼ぶが、その祭礼が須成祭りで、400年を超える歴史があり平成24年3月には国の重要無形文化財に指定された。また、現在稽古場のある場所は、大正時代の第24代総理大臣加藤高明氏が生まれた(育った?)所だそうで、有形無形の重要文化財に囲まれ,験のいい土地に宿舎が建っている。高砂部屋に出稽古に来ると験のいい前神風(高田川部屋)、今日から稽古に参加。

平成26年7月1日
龍照院は、奈良時代の天平5年(733)行基菩薩の草創とされ、寿永元年(1182)木曽義仲により再興されたと伝わる。境内には、巴御前が木曽義仲の菩提を弔うため供養したとされる大日如来像もある。最盛期には七堂伽藍及び18坊が建立され、境内の広さは7万2千坪にも及んだという。 信長没の2年後、信雄・家康連合軍と秀吉が争った小牧長久手の戦いからつづく蟹江合戦の兵火で焼かれ、現在の龍照院一坊を残すのみとなった。秀吉手植えと伝わる樹齢400年余りの大銀杏が境内にあり、お寺のすぐ脇には、信長が清洲から駆けていたという信長街道もある。

平成26年6月30日
7月名古屋場所番付発表。幕下15枚目以内は、全勝すると関取昇進の可能性があるから幕下上位とよび、特別な地位である。(16枚目以下は全勝しても上がれない)その幕下上位15枚目についに朝弁慶が番付を上げてきた。全勝とはいかなくても、何とか勝越して今年中にはと期待がかかる。三段目朝乃丈が自己最高位を大きく更新して三段目東11枚目。4勝すれば幕下昇進も可能な位置。朝上野、初の三段目昇進。5529000番目と5530000番目のお客様、送り先を書いてメールください。7月場所新番付と、高砂部屋便り36号をプレゼントしたします。

平成26年6月25日
宿舎の龍照院(りゅうしょういん)は海部郡蟹江町にあり、名古屋市の西隣に位置する。蟹江にはJRと近鉄の駅があるが、宿舎に近いのはJRで、名古屋駅から関西線普通で3駅目、12,3分の距離である。宿舎龍照院は、JR蟹江駅から徒歩15分。真言宗智山派のお寺で、正式には蟹江山常楽寺龍照院という。ご本尊の木造十一面観音菩薩像は国の重文で(戦前は国宝)、得も言われぬ微笑みをたたえ、拝観するたびに心洗われる。名古屋場所の成績がいいのはご加護あるのであろう。昭和63年元房錦の先代若松部屋時代からお世話になり、今年で27年目を迎えている。

平成26年6月24日
名古屋場所は日本相撲協会と中日新聞社共催なので、中日新聞紙上での相撲特集も盛ん。今年の特集は、“相撲女子(スモジョ)” 今日から連載がはじまり、第1話は、ご当所熱田区出身の玉飛鳥夫人。熱田区の中学校の1年後輩(夫人が)だそうで、出会いから結婚、相撲への思いなどが語られている。ちなみに玉飛鳥関は、名古屋場所へ乗り込む前の五月場所は17年間勝越しているそうで、これもすごい記録。明日からどんな物語が展開されるのか。2年前に力士志願してきたものの年齢オーバーでダメだった若者(6月22日)も、すっかり力士とお友達になり、1年ぶりに登場。

平成26年6月23日
朝からお日様が出て、冷蔵庫やら鍋やら食器やら外に出しての洗い物。地元の方からお米やジュースの差入れもあり、一年ぶりの再会を喜び合う。昨年朝興貴ファンになったという近所の小学校1年生の女の子もお母さんと一緒に訪ねてきて、普段会話が苦手な朝興貴がハニカミつつ嬉しそう。ひと月半におよぶ蟹江での生活がはじまった。場所前恒例の激励会は7月10日(木)にウエスティンナゴヤキャスルホテルに於いて、千秋楽祝賀会は中部健康センター七宝に於いて開催。

平成26年6月22日
先発隊6人(朝天舞、朝乃丈、朝弁慶、朝興貴、朝上野、松田マネージャー)名古屋入り。名古屋場所と言えば“鈴木さん”の昌(まさる)さんに迎えに来てもらって蟹江龍照院入り。掃除して畳敷いてバルサン炊いて昼食と、例年通りの流れで晩飯は鈴木さん家族と焼き肉喰い放題。一年前にはまだお腹の中にいた孫も10カ月になったが、お腹の中にいた頃からお相撲さんの声を聞いていたからなのか、すぐなじんでいる。しかもお相撲さんなみにえびすこも強い。単におかあさん似なのだけかもしれないが・・・ お相撲さんが名古屋に来ると、鈴木さん一家にとっての夏がはじまる。

平成26年6月21日
鈴々舎八ゑ馬さんから聞いたところによると、『大安売り』という相撲ネタもあるという。町内から出たお相撲さんが帰ってきた。「成績はどうでしたか?」と聞くと、「勝ったり、負けたり」 「それならまずまずの成績で」と、初日からの相撲っぷりを語ってもらうと、全部負け。「勝ったり、負けたりって言ったじゃないの」 「はい。相手が勝ったり、自分が負けたり」 「こんど四股名が変わって “大安売り” になりました」  そのココロは、・・・ 。ほかに、『鍬潟』 『稽古場風景』 なども相撲が題材になっている。

平成26年6月19日
落語の大関花筏は架空の力士のようだが、昭和に入って実際 “花筏” を名乗った力士がいた。山形県鶴岡市出身で昭和35年1月立浪部屋から初土俵。落語が好きで寄席へ通い、小さん門下の柳家小団治とも親交があり、昭和41年3月場所新十両のときに “花筏” と改名した(それまでは本名の三浦だが、幕下の時2場所『燕雀』(えんじゃく)と名乗ったこともある)。引退後、郷里鶴岡で相撲料理店を営み(現在は閉店)、相撲資料館や少年相撲教室を開いたり、 相撲研究家として著書も多数ある(『相撲甚句物語 』『こぼればな史』等)。

平成26年6月16日
下妻合宿最終日。朝弁慶が錦戸部屋風斧山との三番稽古。最近幕下相手でも一気にもっていく馬力がついてきた朝弁慶。思い切り当たっていくが、風斧山に受け止められ、なかなか前に出られない。転がされ砂まみれの朝弁慶に対し、風斧山は涼しい顔。終盤、何番かは朝弁慶の出足が優る相撲もあったが風斧山に力負けの朝弁慶、いい稽古になったであろう。終了後、保育園の園児たちが関取に胸を借り合宿稽古終了。午後2時過ぎ、その園児たちや奉納相撲保存会の皆様に見送られ帰京。

平成26年6月15日
下妻合宿2日目。9時で稽古を終え、第4回わんぱく相撲下妻場所。近隣の小学校1年生から6年生まで39人が個人戦と団体戦で熱戦をくり広げる。さばく行司は、装束に身をつつんだ木村悟志と木村金太郎。決勝戦はたっつけ袴姿の呼出し鶴太郎の呼び上げで土俵へ上がり、序ノ口優勝決定戦さながらの盛り上がり。初めて土俵に上がる1年生、土俵中央で「蹲踞して」「すわって」という声に、お互い正座し合うお行儀の良さも。4年生から6年生の優勝者は、県大会に出場して8月に行なわれる国技館での全国大会出場を目指す。

平成26年6月14日
快晴の下妻合宿初日。早朝から大鍋で鶏ガラを炊いて300人前のソップ炊きの用意。錦戸部屋ちゃんこ長水戸晃と共に、呼出し鶴太郎、行司金太郎も材料切りに参加。そこへ大宝のおばちゃん(6月9日)登場。 「おはよう〜」 と来るなり、「パンツ干しに、うちさけぇんなくちゃなんねぇ」 とはじまり、昔パンツ泥棒がはいったけど 「娘のパンツだけとられたんだぁ〜 ・・・ 」 と、朝から一人漫才炸裂で、鶴太郎も金太郎も笑いっぱなし。大宝おばちゃんトークも一年一度のお楽しみ。明日は豚味噌、あさっては鳥の塩炊き

平成26年6月13日
昨晩、毎年恒例の近畿大学校友会東京支部ちゃんこ会。ゲストとして近畿大学OBの落語家鈴々舎八ゑ馬が一席。演目は『花筏』。"提灯屋相撲”ともいわれる相撲ネタで、大関花筏が病気のため、容姿が似ている提灯屋七兵衛を替え玉にして巡業へ。江戸落語では舞台が銚子だそうだが、上方では播州高砂。相撲など生まれてこのかた取ったことのない提灯屋七兵衛。土俵入りだけという話だったのに千秋楽は、しろうと相撲で土つかず千鳥ヶ淵と対戦することに、・・・。明日から3日間茨城県下妻市大宝八幡宮で錦戸部屋との合同合宿。今日から下妻入り。

平成26年6月12日
相馬基『相撲五十年』に当時の稽古場の様子が描かれている。「本所緑町の高砂部屋では、百余名の力士たちが、稽古土俵を取りまいて、順番に朝汐にぶつかっていった。朝汐は下級力士に『たのんます』といわれるままに、数番の稽古をつけた。見守っていた年寄二十山(元小錦)は『親切だなア』とほめた。朝汐が汗まみれ砂まみれになっているところへ、源氏山、逆鉾、常陸山、稲川などがはいってきて『さア一丁来い!』と土俵を奪い合った・・・」 横綱小錦が引退して二十山となったのは明治34年だから明治35,6年頃の様子か。源氏山、逆鉾は高砂部屋から独立した井筒部屋所属、常陸山は出羽ノ海部屋だが、師匠出羽ノ海の内弟子として高砂部屋で稽古していた。稽古場をもっている部屋は、高砂、雷、友綱、尾車、伊勢ノ海の五部屋だけで、稽古場のない部屋の力士たちは、この五部屋へ通った。

平成26年6月11日
明治33年1月谷の音戦は、負け相撲となったが朝汐の足腰のしぶとさを示す一番。「朝汐が左差しに寄って来るのを、谷の音は18番の河津がけで、一気に仕止めようと企てたが、ネバリの強い朝汐は、あたかも蛸のようにからみついた谷の音の足癖と、巻きついた首筋の手とを、懸命にコラエながらーそれでも行司溜の一角まで持って行かれた。処が堅仞(けんじん)な朝汐はこの形でこらえながら、また土俵のまんなかまで盛返した。これから十数秒の間、双方のもちこたえる呼吸で、物凄いほどのもつれ合いが始まった。朝汐が渾身の力を絞るようにして、やがて「ウーン」−とひとつ力味出すと、谷の足が外れたから、ここぞとばかり吊り上げた。谷は狼狽したものの、足の爪先で土俵を支え、敵の吊りをふせいだから、今度は朝が棄身(うっちゃ)らうとした。処が谷がウーンとこらえて、体をよせて、「浴びせかけた」。朝はとうとう惜しい処で腰が砕け、真額(まっこう)一文字に打倒された。こんな粘りのつよい取口は全く珍しいと、當時好角家の話題には花をさかせた」

平成26年6月10日
さらに、明治33年1月大関となって小手投げの名手海山(かいざん)との対戦。「両力士立上って激しく突張り合った。海山元気にまかせて叩く、それが残って左四つになると又小手投げを喰はせる。しかし朝汐の右足が用意を欠いていなかったので、海山の小手投げは利かなかった。そうしてそれを残した朝汐が、たちまち敵の虚に乗じて、右の上手をグイと引いた。右の上手が入ったら最後、鬼に金棒の朝汐である。ツツと寄って敵が土俵を廻ろうとするトタン、差手を抜いて、エイッとばかりに腰を入れ、上手から打った其技は、全く神工の妙を得たといはうか、流石の海山も残し得ずして、土俵際に打倒された」「朝汐の腰は、粘りが強く、全く土俵の中へ鳥もちを付けたやうであった」

平成26年6月9日
引き続き『角觝畫談』より。明治30年5月、関脇となって大関鳳凰との対戦。「鳳凰は体格の完備した、いはば豊満な肉付の力士であったが、朝汐は骨張った頑丈な性(たち)の人で、その対象が既に興味をそそっている。鳳凰の得意にするのは泉川の撓出し(極出し)であったが、果たして此立合に於いても、朝汐は忽ち左を 撓め上げられて仕舞った。その凄じい力といふものは、猛牛の角を撓めて向かって来るにも優っている。朝汐は耐えながら守勢一点張りで、土俵を逃げ廻ったが追付(おっつ)かない。そのうちに鳳凰は敵の差手をはねてグイと二本差してアヲリ付けて寄ろうとした。と、朝汐が右の上手褌が引けたのを幸いと、グウーンひとつ、腰を入れて打った「上手投げ」−これがまた馬鹿馬鹿しく極まった」

平成26年6月7日
『角觝畫談』より。上手投げの名手は明治の力士中で朝汐太郎を一番に推さねばなるまい。明治23年5月、當年27歳の人気力士として大関大鳴門灘右衛門を一挙に倒した。新入幕で前頭10枚目に据(す)わり2日目に大鳴門と顔が合った。立合い左を深く差し止めたが、老功大鳴門に寄り立てられ、たちまち土俵に詰まる。廻り込まうとすると、さらに激しくアヲリ立てて寄って来た。逃身にスウッと差手をぬくが早いか當てていた右の上手を敏捷に伸ばして褌を引き、敵の追い込む足を利用して、エイと上手投げをやけに打った。この時から朝汐は、右の上手の味を占めて、自家最上の武器に磨き上げた。

平成26年6月6日
なぜ右四つという資料が出てきたのであろう。おそらく2代目朝汐太郎と混同してのことかと思われる。2代目朝汐は、同じく愛媛県は西条市の出身。初代朝汐に見出されて明治34年に入門。朝嵐、朝汐を経て朝潮の名で、大正4年に大関昇進。右四つを得意として「右差し五万石」とも「右差し十万石」ともいわれた。引退後は3代目高砂浦五郎となり、横綱前田山らを育てた。出身県も活躍年代も重なりがある初代と2代目だけに混同されたのであろう。相撲に関りのない人にとっては右でも左でもと思われるかもしれないが、王やイチローが右打席に立ち、長嶋が左打席に立つようなもの。初代朝汐は左四つ右上手、2代目朝汐は右四つである。

平成26年6月5日
鰭崎英朋氏は、明治大正期に活躍した挿絵画家で、『東京朝日新聞』の相撲記事の挿絵を23年間描きつづけた。写真が普及していない当時、打ち出し後に回向院鼠小僧のお墓のそばでランプを灯して新聞記者が取組みを再現し鰭崎英朋氏が写生して記事にしたという。栗島狭衣氏は、その時の新聞記者。しかも初代高砂浦五郎とゆかりの大関綾瀬川(3月5日〜8日)を父に持ち、娘は女優栗島すみ子。現場で見た二人が書き記した「左四つ、右上手投げ」が、正しいのであろう。『角觝畫談』では、上手投げの名手として初代朝汐が紹介されているが、詳細な取り口が解説されている三番ともに、右からの上手投げである。

平成26年6月4日
初代朝汐の得意技は、上手投げ。ところが資料では、得意は右四つ左上手投げと出ているものと、左四つ右上手投げのもの、両方ある。相馬基『相撲五十年』には、「相撲はうまく、得意の右四つになると、ニヤリと会心の笑みをうかべた」とあり、八幡浜市の資料でも「得意技は、右四つ寄り、上手投げ」となっている。ウィキペディアは、「左四つ、右上手を引いての投げが鮮やか」としている。昭和5年1月発行の栗島狭衣・鰭崎英朋共著『角觝畫談』には、左四つ右上手投げを決める鰭崎英朋氏の画が掲載されている。

平成26年6月3日
初代朝汐太郎は酒豪で知られ、三宅充『大相撲なんでも七傑事典』にも登場する。明治32年日本橋の料亭でのこととあるから、大関に昇進して間もない頃。ビール37本(27リットル弱)と酒6升(10,8リットル)を平らげて、料亭の人によってこの話が広まり、当時の新聞に報道され、東京中の評判となったとある。一斗酒(10升)の伝説もある。 武骨な顔は、「オコゼ」とか「シャコの天プラ」とアダ名されたというが、無頓着で子供好きの人柄は人気があったそう(『相撲五十年』より)。太鼓の名人呼出し太郎は、家が隣だった朝汐の口利きで呼出しになり、朝汐にあやかって「太郎」と名乗ったという。

平成26年6月2日
初代朝汐太郎については以前(23年1月31日)に紹介しているようだが、相馬基『相撲五十年』(時事通信社)にも出てくる。 「伊予に過ぎたるもの禾山和尚に朝汐」と、民謡にまでうたわれた人気力士で、五尺九寸、二十七貫の体の、どこからそんな力が出るのかと思われる怪力には、梅ノ谷も荒岩も苦しめられた、とある。禾山和尚とは山岡鉄舟とも交流のあった臨済宗の師家。明治の名人円朝も師事したという。梅ノ谷は、梅常陸時代をつくる横綱梅ケ谷の前名。荒岩亀之助は、小兵ながら「摩利支天の再来」とたたえられた名大関。今日から稽古再開。日常がもどる。

平成26年5月31日
今年は、大関初代朝汐生誕150年、横綱前田山生誕100年にあたるそうで、出身地である愛媛県八幡浜市で特別企画展が予定されている。八幡浜市の資料によると、初代朝汐太郎は明治14年大阪相撲押尾川部屋に17歳で入門。明治23年に東京相撲高砂部屋所属となり、明治31年大関に昇進。明治41年に引退して年寄佐野山を襲名。大正9年56歳で逝去とある。横綱前田山は、昭和3年14歳で高砂部屋入門。昭和13年大関昇進、昭和22年夏場所後に第39代横綱となる。昭和17年より二枚鑑札(現役のまま師匠を兼ねる)で4代目高砂浦五郎となり昭和46年57歳にて逝去。

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