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今日の高砂部屋

平成24年2月9日
朝興貴は大阪興國高校柔道部の出身。母校の興國から一文字、本名久保田祐貴から一文字とっての朝興貴。母校関係者で考えていただいての命名。スポーツが盛んな学校で、プロボクシングの井岡一翔、プロ野球阪神湯船投手などプロスポーツ選手を多数輩出しているが、大相撲界には戦前の元関脇豊島のみである。双葉山から2度の金星を勝ち取りながら戦災で還らぬ人となった偉大な先輩につづくよう,母校の期待も大きい。ご当所3月大阪場所で三段目復帰をかける。

平成24年2月8日
朝乃丈は高知県安芸市の出身。中学での相撲経験がありながらも入門7年目にしてようやく三段目昇進と伸び悩んでいたこともあって改名することになった。若松親方がいろいろ案を出してくれ、高知ゆかりの竜馬とかジョン万次郎の名も挙がったが、明日のジョーのごとく燃えてほしいとの願いを込めたのかどうか、朝乃丈になった。はじめはあまり気に入らない様子もあったものの改名以来三段目定着を果たし、四度ならなかった三段目での勝越しも決め、徐々にではあるが番付を上げてきて来場所は自己最高位更新。朝乃丈の四股名にもだいぶ板についてきた。年2回行なわれる健康診断。

平成24年2月7日
笹川が来場所から再び名乗る~山(しんざん)は、新字体の「神」ではなく「~」になる。同じ字なのだが偏が「示」か「ネ」かで画数が違ってくる。「示」はもともと祭壇を表わし「申」は雷を表わすそう。「~」の字は四股名には重すぎるという話もあって辞書などで調べたりもして「シン」の字でいろいろ悩んだようだが、結局元の「~山」に落ち着いた。改名も、出世を願うのはもちろんだが、怪我や病気が続いた場合のゲン直し、心機一転という意味合いも大いにある。久しぶりに錦戸部屋との合同稽古。

平成24年2月6日
筑波山は男体山と女体山の2つの山頂からなり、それぞれの峰から流れ出てくる川がやがていっしょになるから男女川(みなのがわ)だという。いにしえの世、つくばね(筑波山)は男女が集い歌垣を交わす場でもあったようで、男女の里という四股名から万葉の艶やかさが香ってこなくもない。英語の「Ladys&Gentlman」に対比させると「みな」というよみもわかりやすい。笹川は本名で、以前は~山(しんざん)と名乗っていた。本名に戻して4年近くになるが、来場所から再び~山に戻す。

平成24年2月5日
朝ノ土佐は、朝赤龍と明徳義塾相撲部での同級生になり二人同時に入門した。出身地の高知県土佐市から取って師匠が命名。ここ一年近く体調を崩していることもあり、来場所からはノの字を乃に改名の予定。幕下復帰を目指す。男女ノ里は前記のように故郷つくばの先輩横綱男女ノ川に因んでの四股名。男女ノ川もそうだったようだが、知らない人には男女の訓みが難しい。「だんじょのさと」「おめのさと」 発音をためらう人 ・・・  なかなか「みなのさと」と訓んでもらえない。ただ弓取式で名が売れて、かなりお馴染みにはなった。

平成24年2月4日
朝天舞は宮城県石巻出身で本名花田晴多。朝花田の四股名で初土俵。8年目から朝道龍(あさどうりゅう)と改名。ずっと横綱朝青龍の付人を務めていて朝青龍が命名。改名を機に初めて幕下に上がった。しかしその後また三段目に下がり低迷がつづいたので朝青龍が「おれと同じ龍は顔じゃないな」と朝縄に改名。これも朝青龍の命名。朝縄と名付けてみたら、大阪の芋縄会長(おかみさんのお父さん)にも通じるとか、石巻の実家の近くに朝縄神社があるとかいう話にもなったがたまたま偶然のことのよう。その頃から、朝天舞という四股名を父母が地元の神主さんにお願いしてあたためていたそうだが横綱の命名でもあり、そのままになっていた。その後横綱が引退したこともあり、朝天舞と改名。改名後幕下復帰を果たして定着もしていたが来場所はまた三段目からの出直しとなる。

平成24年2月3日
以前(11月17日)紹介したように朝青龍は高知明徳義塾の校長先生の命名だが、一年後に入門した朝赤龍は師匠の命名である。もちろん青に対しての赤で青と赤で共に昇ってもらいたいという命名。,朝弁慶木村朝之介の命名。弁慶のように強い力士になってもらいたいとの気持ちを込めて名付けたが、平塚で中華料理店を開いている実家の店の斜め向かいに弁慶というラーメン屋があるそうで、実家は「なんで他人の店の名前をつけるの」と怒っているらしい。ただ改名後順調に番付を上げていて語呂もいいので朝弁慶で通している。強くなれば逆に話題になるかもしれない。朝天舞は地元石巻の神主さんの命名だそう。

平成24年2月2日
男女ノ川は34代横綱である。「みなのがわ」と訓む。茨城県つくばの出身で、大正13年1月場所高砂部屋から初土俵を踏んだ。しこ名は百人一首「筑波嶺の 峰より落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる」からの名で、入幕してからは朝潮を名乗り将来を大いに嘱望された。昭和7年1月の春秋園事件で協会を脱退し師匠3代目高砂(元2代目朝潮)の怒りを買って男女ノ川に戻り部屋も佐渡ヶ嶽部屋へ移籍となった。昭和8年1月に復帰し平幕優勝を飾り、翌9年1月にも関脇で優勝して大関へ昇進した。その後横綱にも上がったものの膝の怪我もあり大関昇進後の優勝はなく双葉山の引き立て役に終わった。男女ノ里のしこ名はもちろん同郷の男女ノ川に因んでの名である。

平成24年2月1日
司馬遼太郎『街道をゆく』(朝日文芸文庫1995年)36巻は「本所深川散歩」で隅田川を船でゆく。隅田川や隅田川に架かる橋を案内するのは深川生まれで土木工学の先生である宮村忠教授である。隅田川をくだりながら「ちかごろのおすもうさんに、川の名のしこ名をもつ人がいませんね。かろうじて若瀬川という人がいますが、あれは現実の川の名じゃありませんね」とこぼす。川が好きで、隅田川を母のようにおもっている宮村先生だからの言葉であるし、相撲やしこ名に対する先生の思い入れを感じられるような気もする。

平成24年1月31日
実際に幡瀬川の取組の映像も残っているが、伸びあがるように突っ張ったりもしている。全身を使った伸びやかな突っ張りである。突っ張って中に入り投げを打ってくる相手に、スッと体を寄せていくのが印象的である。肘や手首が異常に柔らかく、差した手の親指を相手の背中につけるだけで腕(かいな)を返したという(ふつうは肘を上げ腕全体を内側に捻る)。さらに足の裏は赤ん坊のように柔らかかったともいう。どこかに偏ることなく踏ん張ることなく全身で相撲を取っていたからこそであろう。幡瀬川以前には大ノ里が「相撲の神様」と呼ばれたが、幡瀬川以降、相撲の技のうまさで相撲の神様」と呼ばれた力士はいない(双葉山は人格や偉業も含めて相撲の神様と呼ばれることがあるが)

平成24年1月30日
「相撲の神様」幡瀬川は、実際のところ168cm78kgしかなかったという。その体で横綱大関を何度も倒した。昭和44年に大相撲誌で小坂秀二氏のインタビューに答えている。「投げを食って負けたことは一度もない」「投げなんてものは、小さい者が大きい者に打つもので、小さい者は投げをくっちゃいけません」という。「相手が投げを打ってきたら、差したかいなを返せばいいんです。ただ返すんじゃなく、返したほうへ体を寄せるんです」頭で考えてから動くのでなく「くるなと感じた時はもう体が動いていなくてはいけない」と語る。「技は2度続けて打つものだ」「小さい力士は、立ち腰でなければ動けない」とも話している。理事選挙が行なわれ10人の理事が選出される。新理事による互選で北の湖理事長が再選。

平成24年1月29日
長身体躯の横綱男女ノ川は別格として、川のつく力士には技能派、技の切れる力士が多い。幡瀬川の相撲を引き継いだ旧伊勢ヶ浜部屋系に多いのであろう。幡瀬川は昭和初期に173cm86kg(実際は80kgなかったらしい)の小兵ながら「相撲の神様」と呼ばれ関脇を5場所も務め横綱大関を何度も破った。年寄楯山となってからも横綱照國を育て協会の理事としても終戦直後の相撲興にも尽力した。その流れが、若瀬川、黒瀬川、徳瀬川とつづいていたが、旧伊勢ヶ浜部屋が部屋を閉じ、わずかにつながれていた桐山部屋の閉鎖で川の流れもとまってしまった。

平成24年1月28日
子供の名前から○子が少なくなったのと同様、四股名からも○○山という昔ながらの命名は減ってきた。そして、山や海以上に最近めっきり見られなくなったのが○○川である。昭和初期の番付を眺めると清水川、幡瀬川、浅瀬川、若瀬川、男女ノ川 ・・・ 名を成した力士も数多い。川は白星が流れるのを連想させるとかダムで堰き止められてしまうとかで嫌われるようになってきたという話がよく言われるが、どうであろう。実際、現在の幕内・十両の関取衆の四股名には川がつく力士は一人もいない。幕下にまで目を拡げて、ようやく「安芸ノ川」という川を見つけられるのみである。

平成24年1月27日
四股名にも時代による流行りや部屋によるパターンがある。江戸期には雷、稲妻、雷電、谷風、荒馬などいかにも勇ましい四股名が多いが、だんだんと常陸山、栃木山、出羽ヶ嶽、能代潟、津軽海、九州山など故郷の地名や山河を背負った名前も増えてくる。もちろん両方とも現代にもつづくもっともポピュラーな命名である。師匠から四股名を引き継ぐ例や、師匠の四股名から一文字もらっての命名も多い。朝潮太郎は世襲名(5代目)であるし、朝青龍、朝赤龍は師匠の朝の字をもらっての命名。他にも佐渡ヶ嶽部屋は先先代琴錦からの琴、春日野部屋は元横綱栃木山から栃錦、栃ノ海、栃乃和歌とつづいている。

平成24年1月25日
四股名を名乗るようになったのは江戸時代からのことだそうだが、長い歴史の中には珍名奇名も多い。おそらく明治の頃であろうが「電気燈光之介」(でんきとうこうのすけ)「自動車早太郎」(じどうしゃはやたろう)「自転車早吉」(じてんしゃはやきち)などと時代を反映したもの。現役でも、共に大嶽部屋の「右肩上」(みぎかたあがり)「森麗」(もりうらら、競馬のハルウララにあやかった四股名)や千賀ノ浦部屋の「鰤の里」(ぶりのさと)などは珍名の部類に入るか。高砂部屋朝乃丈も名前まで入れると「朝乃丈段平」(あさのじょうだんぺい)となり大子錦も「大子錦大伍郎」と、ちょいとだけユニークではある。

平成24年1月24日
歌舞伎「め組の喧嘩」に「四つ車大八」という四股名の力士が登場するが、現在幕下にも「四ツ車大八」という力士が実在する。伊勢ノ海部屋の所属で何度か十両を務めたこともある。江戸時代の実際の事件の時は師匠は柏戸の「四ツ車大八」である。柏戸も伊勢ノ海部屋から分家した親方で後には伊勢ノ海を名乗っている。め組の喧嘩で有名な四ツ車は2代目か3代目かで、現在の四ツ車は8代目になるそう。伊勢ノ海部屋は、他にも「猫又」「六文銭」「荒馬強」と江戸時代からつづく四股名を名乗っている力士が多い。前師匠の「藤ノ川」や現甲山親方の「大碇」という四股名も昔からつづく伝統ある四股名である。

平成24年1月23日
初場所は昨日千秋楽を迎えた。場所前は、琴奨菊に次ぐ新大関稀勢の里の誕生が話題となり、中盤戦以降は把瑠都の快進撃で5日間の満員御礼も出た。高砂部屋では、何といっても後がなくなった幕内朝赤龍の7場所ぶりの勝越し。幕下二人の負越しは残念だったが、三段目で朝乃丈が千秋楽に勝って5勝とし来場所の自己最高位更新を確実なものとした。朝龍峰は蜂窩織炎のため休場不戦敗となる。今日から1週間の場所休み。

平成24年1月20日
「め組の喧嘩」は、江戸時代実際に起きた力士と鳶職の喧嘩を題材にした世話物(町人の事件などを扱った話)で明治23年新富座初演。実際の事件は、九竜山、藤の戸、四つ車という3力士と火消し人足(鳶)め組が大乱闘となり、鳶側が火の見櫓の早鐘を打ち鳴らして仲間を呼び集め、双方36名の逮捕者を出す騒ぎだったという。朝ノ土佐、昨年7月場所から4場所連続での勝越し。朝赤龍、投げを食ったかと思われたが、投げられながらの渡し込みが効いて9勝目。

平成24年1月19日
歌舞伎の片岡亀蔵さんは大の大相撲ファンである。先日も中村七之助さんらと共に国技館に観戦に訪れ熱い声援を送っていた。ファンとしての目も厳しく、内容のいい相撲には惜しみない喝采をおくり注文相撲(立合変化)には心底嘆く。5月の平成中村座の演目は相撲が題材の「め組の喧嘩」だそうで、亀蔵さんの提案で5月場所で平成中村座「め組の喧嘩」で懸賞をという話も持ち上がっている。七之助さんも、鶴竜が白鵬を破った日、南門で出待ちして「鶴竜関おめでとうございます」とツーショットの写真も撮ってもらったほどの熱の入れ様。ちなみに一番の贔屓は隠岐の海だそう。朝赤龍7場所ぶりの勝越し。

平成24年1月18日
力士が国技館に入るときは、両国駅に近い南門から入場する。車で地下駐車場に乗り入れが許されているのは横綱大関のみであるから、関脇以下の力士はすべて南門から国技館に入る。通のファンはその辺の事情をよくわかっていて、南門付近には内外とも多くのコアなファンが贔屓の力士の入り待ち、出待ちに列を成している。力士を一番近距離で見られる場所でもあり、そういう楽しみ方をしている相撲ファンも多い。そういえば今場所は横綱白鵬もファンサービスのため南門から歩いて場所入りし話題になった。朝興貴、2人目の勝越し。三段目復帰には、あと一番勝って確実なものとしたいところ。

平成24年1月17日
三段目西100枚目の朝乃丈、今日の相手は友綱部屋の力士。友綱部屋とは部屋も近いので、ときに一緒に稽古を行なうこともあり、よく知っている相手である。稽古場ではまったく分が悪いという。きのうから「勝てないっす」「強いっす」「ダメっす」と、いつものことながら口を突いて出るのは弱気な発言ばかり。ところが土俵では思い切りの良さをみせ勝って今場所勝越し第1号。部屋に帰ってきて「6番勝ったら何枚目まで上がりますかね?」とコロリと強気の発言。すぐに調子に乗るのも「クボユウ」ならではのこと。朝興貴男女ノ里朝赤龍、勝越しまであと1番となる白星。

平成24年1月16日
正面エントランスホールから廊下づたいに左右に進むと東西にそれぞれ売店が並んでいる。バスタオルや湯のみ、灰皿といった相撲土産の定番が並ぶなか、何といっても一番人気は「やきとり」であろう。国技館の地下で、タレを6回染み込ませて焼き上げるという国技館名物「やきとり」。冷めてもうまい!と評判の逸品である。四連敗だった笹川、ようやく片目が開く。

平成24年1月15日
宮崎牛と書かれた牛のブロンズ像が台座にのったトロフィーもある。宮崎県知事賞で、牛肉1頭、サーロイン、リブロース、ネックなど霜降り肉が部位ごとに大きな箱で4,5箱届けられる。外国からの賞杯も多い。日仏友好杯、チェコ国友好杯、モンゴル国総理大臣賞、中日友好景泰藍杯、アラブ首長国連邦友好杯、メキシコ合衆国友好楯、・・・ それぞれ副賞もつきチェコビールやメキシココロナビールも玄関に山積みとなる。朝赤龍6勝目。ちゃんこ長大子錦、アンコ対決を制し今場所初白星。

 

平成24年1月14日
国技館に入りエントランスホールをまっすぐすすむと、つきあたりには優勝力士への賜杯ならびに各賞が飾られている。天皇賜杯や優勝旗、総理大臣杯などの歴史ある重厚な賞杯が輝きを放っているなか左手の方にはシイタケが満杯につまったトロフィーがあり多くの人の注目を集めている。大分県知事賞で、名産のどんこが1年分(実際部屋に届けられるのは90L以上の大きな袋に満杯)優勝力士に贈られる。朝弁慶朝乃丈、勝越しまであと一番となる3勝目。

平成24年1月13日
昭和63年に新築なった旧若松部屋のトイレは、国技館支度部屋のトイレと同じ大きさの便座であった。冬場寒くなってお尻が冷たいので便座カバーをつけることになったが、大きい便座に合うカバーがない。TOTOに相談してようやく特大のカバーを用意できたが、それでもかなり引き伸ばさないとつけられなかった。4日目に5勝2敗と勝越して五分の成績まで戻した高砂部屋全成績だが、昨日今日とまた負けが込んで大きく負越し。

平成24年1月12日
相撲協会のゆるキャラとして有名な(まだ知らない人の方が多い?)「ひよの山」の歌「ハッキヨイ!大相撲 ひよの山かぞえ歌」が今場所から登場しました。歌うは10名の親方衆による「おやかたオールスターズ」。メンバーの中には師匠利樹之丞も入って美声を聞かせています。CDは1枚1000円で国技館限定販売。正面エントランスから入場して突きあたり右の相撲錦絵売場横で販売しています。1月22日(日)高砂部屋千秋楽祝賀会のご案内です。

平成24年1月11日
支度部屋は上がり座敷がコの字型に奥に長くなっているが、入り口側には風呂場と洗面所とトイレがある。トイレは小便器が3つ並び洋式便座が2つ。その便座がものすごくでかい。小学生ならスッポリはまってしまうのではというくらい。空間も広く落ち着くのか出番前の緊張感も手伝っているのか、けっこういつでも混んでいる。幕下48枚目と若い衆で一番番付が上の朝弁慶、珍しく器用に巻き替えて双差しとなる相撲で元関取仲の国を破っての2連勝。

平成24年1月10日
入門したての若松部屋の頃、部屋に関取はいなかったから支度部屋に明け荷はなかった。奥の横綱大関の場所の角の空いたスペースや、本家高砂部屋の関取衆の明け荷の場所で着替えることになるが、どちらにせよ何となく肩身の狭い思いもあった(特に新弟子の頃は)。朝赤龍、大きな魁聖を下手投げで下して3連勝。朝乃丈も、2日間共に投げが冴えての2連勝。

平成24年1月9日
明け荷は、一番奥の横綱の明荷に近いほうから大関、関脇と大体番付順に置かれる。横綱はもちろん大関まではゴザを大きく広げて(3畳ほどか)場所を広くとれるが、関脇以下は明け荷の幅分、ゴザ一畳分の幅が準備運動できるスペースになる。関脇以下の明け荷の場所はある程度自由なので、混雑するまん中付近は避けられ、入り口側の比較的広くスペースのとれる場所が好まれる。早めに場所入りして関取の明け荷の場所を確保するのも付人の仕事である。若い衆は、自分の部屋の関取衆の明け荷の場所で着替える。2日目も3連敗スタートと案じられたが、朝乃丈以降持ち直して3勝3敗の高砂部屋2日目。

平成24年1月8日
支度部屋は奥行きの長い部屋で、両側が上がり座敷になっていて関取衆の明け荷が置かれる。自分の明け荷の前でマワシを締めたり準備運動したりする。一番奥が横綱の定位置で横綱の明け荷が三つ並ぶ。現在横綱は東の白鵬だけだから、西の支度部屋の一番奥は空いたままである。今年こそは西の支度部屋の奥も明け荷が置かれるようになる年となるのか、平成24年初場所初日の幕開け。朝赤龍、朝弁慶は白星を飾るものの2勝4敗の高砂部屋初日。

平成24年1月7日
国技館に正面玄関から入場すると、1階フロアは桝席の最上段(15列目)の高さになる。最上段からだんだん下がっていき最下部に土俵と溜り席がある。いわば地下1階(かなり深めだが)にあたる。最下部のフロアが花道につながり、東西の花道にはさまれた空間に行司部屋、審判室、記者クラブなどが並んでいる。花道の突きあたりには、東西それぞれの支度部屋があり、東西の支度部屋の中間にNHKのインタビュールームがある。もちろんこの区域は、一般のお客様には立ち入り禁止区域となっている。あす初日、新大関稀勢の里は豪栄道との対戦。横綱白鵬は若荒雄、朝赤龍は旭秀鵬。高砂部屋力士の取組です。取組開始は午前8時35分。

平成24年1月6日
昨晩のNHK「ブラタモリ」、両国国技館スペシャルということで館内の行司部屋も紹介された。元栃東の玉ノ井親方の案内で向正面側地下の行司部屋にタモリと久保田アナウンサーが入っていったが、ちょうど若手行司が相撲字の稽古を行なっているところで、相撲字を稽古している木村悟志も映った。いつマイクを向けられるかとドキドキしていたそうだが、結局スル―。ただ、「タモリ・久保田」という顔触れは木村悟志が書いたものだったそう。場所の合間はほとんど毎日のように行司部屋で兄弟子の指導のもと相撲字の稽古に明け暮れている。撮影時ガランとした大広間だった行司部屋も、今日明け荷が運び込まれ本場所に向けての準備がいよいよ大詰めとなっている。

平成24年1月5日
紫はもともと高貴な色とされ、聖徳太子が定めたとされる冠位十二階でも最高位の大徳を表わす冠の色は紫になる(漢やローマ帝国など世界的にも紫は帝王の色だったよう)。大徳に次ぐ小徳の冠位は薄紫なので伊之助の紫白はこれにあたるのか。ちなみに化粧回しの下部の馬簾(バレン)に紫色を使えるのは横綱大関だけに許されることである。そして、国技館正面玄関前に立ち並ぶ力士幟の華やかな彩りも相撲情緒を盛り上げる景色であろう。国技館の緑青の屋根は歴史と伝統を感じさせる趣がある。そういえば今晩10時のNHK「ブラタモリ」は“両国国技館スペシャル”だそうで、国技館 の舞台裏を紹介とのこと。新たな発見もたくさんあると思いますので必見です。

平成24年1月4日
いよいよ初場所も間近に迫ってきたが、本場所は力士たちの熱戦もさることながら、土俵を取り巻く色とりどりの色彩も大きな魅力のひとつを成しているであろう。吊屋根から下げられる青・赤・白・黒、四色の房、房の上にぐるりと張り巡らされた紫色の水引幕。さらに土俵上でも、いろどりも多彩かつきらびやかな行司装束。装束自体の色は自由だが、軍配の房や装束につける菊綴(組紐を総にした丸い飾り)や飾り紐の色は階級によって決められている。木村庄之助が総紫、式守伊之助が紫白、 三役格行司は朱、幕内格行司は紅白、十両格行司は青白、幕下以下は青または黒となっている。そんな色彩に注目して土俵を見るのも大相撲をより深く楽しむことになるであろう。

平成24年1月3日
稽古始め。ただ今日は四股とぶつかりのみで切り上げ、5代目、6代目高砂親方のお墓参りへ。午前11時全員バスで出発。元横綱朝潮の5代目のお墓は西麻布2丁目永平寺別院長谷寺に、6代目のお墓は六本木長耀寺にある。午後1時から長耀寺で先代供養の法要。ちなみに元横綱前田山の4代目は横浜市鶴見区総持寺に、横綱双葉山は東日暮里善性寺に、横綱常陸山、横綱栃木山、横綱常ノ花は谷中霊園に眠る。あすから本格的な稽古再開。

平成24年1月2日
平成24年度の大相撲界はどう展開していくのであろう。本場所の観客減がつづくなか、琴奨菊、稀勢の里と相次いで日本人大関が誕生したのは明るい兆しである。新年初場所から消える日本人の優勝額が一場所でも早く復活し、日本人横綱が誕生することは相撲ファンならずとも待ち望んでいることであり人気回復への一番の特効薬ともなることであろう。公益法人化へ向けたいろいろな変革も始まることであろう。土俵内外ともに大きな転機を迎える年になるのかもしれない。すべては土俵のために大相撲のためにある変革であってほしい。

平成24年1月1日
昨年の大震災や本場所の中止という事態は、高砂部屋にとっても、石巻出身朝天舞の実家の被災、何人かの力士の心身の不調という影響もありました。多くの力士にとっても「相撲とは何か?」を自他ともに問われる一年でもあったと思います。そのなかで、朝天舞は5月の幕下復帰以後幕下に定着し、心身の不調を訴えていた力士も回復に向かいつつあります。危機感を忘れずに、新しい年が、高砂部屋にとっても、相撲界にとっても、日本にとっても、皆様にとっても、明るい一年となりますようお祈り申し上げます。3日稽古始め。8日日曜日に初場所初日を迎えます。本年もよろしくお願い申し上げます。

平成23年12月28日
東日本大震災が日本中に大きな陰を落とした平成23年。大相撲界も、3月場所の中止、5月技量審査場所という未だかつてない激震の一年となった。ずっと年3回ずつの東京場所、地方場所というリズムで一年を暮らしてきた相撲界の人間にとっては、ずっと東京から動かない期間は一日が長く、ましてや外出もままならない時期もあり、おすもうさんにとっても精神的にもつらい一年となった。そういう影響もあったのかどうか朝赤龍にとっては一年間負越しという不本意な一年。もちろん入門以来初めてのことである。幕下以下は笹川が19勝16敗で年間最多勝。あす若者会から金一封が表彰される。5場所のうち4場所勝越した朝ノ土佐朝弁慶は、共に一場所の全休がたたり18勝止まり。

平成23年12月27日
おととい25日は年末恒例のもちつき大会。210kgあまりのもち米が今年も江戸川大ちゃんクラブのご尽力で準備され、当日は埼玉相撲クラブのメンバーも助っ人にきてペッタンペッタン。すべてのお餅をつき終わり片付けにはいったところで周りにはやし立てられ行司木村悟志と呼出し健人による相撲大会。負けず嫌いの両名、滑るシートの上で木村悟志が健人を寄り切るも、体を入れ替えた健人が体(たい)を預けるとツルッとすべって勢いよく重ね餅。幸い大事には至らなかったもののしばし脳震盪の木村悟志。多忙な年末行事も一通り終わり、大掃除をしてあさって29日が稽古納め。

平成23年12月23日
四股名の下の名は本名のままの力士が多いが、大伍郎のように新たにつける場合もたまにある。外国人力士は、本名のままというわけにもいかないから日本的な名前をつける。朝赤龍太郎、隆の山俊太郎、魁聖一郎、鶴竜力三郎、玉鷲一朗のように「太郎」「一郎」が多い。しかしながら把瑠都は凱斗(かいと)。本名が「カイド・ホーヴェルソン」だから本名から名づけられたのであろう。朝青龍は、校長先生の命名で出身校からとった明徳(あきのり)。横綱白鵬は翔(しょう)。こちらは四股名に合わせての命名であろう。ちなみに朝ノ土佐も翔(しょう)。こちらは本名。

平成23年12月22日
番付表には人生がありドラマがある。ときにサプライズもある。改名すると番付表で四股名の上に元の四股名改新しい四股名と書かれるから改名者はすぐわかる。例えば今場所新十両の九重部屋千代大龍は、明月院改千代大龍秀政と記されている。ところが、四股名の下の名前のみを改めた場合は特に表記されないから注意してみないとわからない。先場所、大子山の登場でその四股名が俄然話題になった(もちろん身内のみでの話)大子錦、今場所から「大子錦大伍郎」に改名。番付を折りながら、またまた大きな話題になった。「えーっ!!」と本人が一番ビックリ。先場所までは本名の佳信であったが字画も考えられて「ごろう」の「ご」は人偏つきの「伍」である。ちなみに錦戸部屋大子山は、「大子山太郎」である。

平成23年12月21日
昨12月20日(火)夜、ホテルニューオータニにて年末恒例の高砂部屋激励会&クリスマスパーティー。厳しい世相にもかかわらずたくさんのお客様にお越しいただき、新しい年が明るい一年となりますよう祝う。ゲストには日本舞踊の市川千代若、ものまねのノブ&フッキーが出演、艶やかで楽しみ満載の舞台で華を添える。今日が初場所番付発表。朝赤龍、東前頭15枚目に残留。幕下朝天舞、三段目朝乃丈もそれぞれギリギリ残留。高砂部屋力士の新番付です。
5127000番目と5128000番目のお客様、送り先を書いてメールください。24年初場所新番付と高砂部屋便り6号をプレゼントいたします。

平成23年12月18日
以下は元房錦の若松親方が一杯飲んだときに面白おかしく語っていたことだから話半分に聞いてもらったほうがいいかもしれない。高砂一門の巡業を一稼業終えると、それぞれの担当の親方衆が勢ぞろいしたという。まん中にどっかり座って場を仕切るのは、もちろん一門の総帥4代目高砂親方(元横綱前田山)。それぞれの巡業地での売り上げをカバンからひっくり返すと、部屋のまん中には札も小銭も入り混じった山ができる。全部揃ったところで、高砂親方が現金の山の半分にトンボを差入れ手元に引き寄せる。「ん!あとは分けろ!」残った半分の山を大山部屋、若松部屋などいくつかの小部屋で分けたという。豪放で気風の良さも伝え聞く前田山なら有り得た話かもしれない。

平成23年12月16日
一門別巡業は、横綱大関など人気力士がいるかどうかによって集客が大きく左右されたという。人気横綱大関のいる一門の巡業は、勧進元との契約もしやすくお客さんも大入りとなったが、人気力士のいない一門は、巡業地を捜すのにも一苦労で、めったに巡業などない田舎の町を回った。初代若乃花が入幕したての頃の花籠部屋は、売りになる力士は若乃花一人しかいなく、若乃花が若い衆との稽古を延々と見せたという。来年も巡業に呼んでもらえるよう、お客さんを魅了するよう、工夫を凝らした激しい稽古をつづけ驚異的なスタミナと鋼の体をつくっていった。自分たちの生活がかかっているだけに「銭のとれる力士」にならなければという気持ちも強かったであろう。

平成23年12月15日
錦戸部屋の他に中村部屋、東関部屋、九重部屋、八角部屋が高砂一門になる。昔(昭和30年頃まで)は一門ごとに巡業に行って、親方や力士の収入もそれぞれの一門ごとの独立採算制であったから、共同体としての意識は強く、部屋が違っても一門内での対戦はなかった。その後、一門ごとの巡業はなくなり日本相撲協会としての巡業が始まり月給制となって一門ごとの共同体としての意識は薄れていっている。昭和40年から同じ一門内でも部屋別の対戦も組まれるようになった。一門は、高砂、出羽海、立浪、時津風、二所ノ関と、五つの一門に大きく分けられている。

平成23年12月14日
錦戸部屋が出稽古に来て合同での稽古。錦戸部屋は、元関脇水戸泉の錦戸親方が平成14年12月に高砂部屋から独立して創立した。一番兄弟子の龍神梅の川は半年余り高砂部屋で生活して移籍したから、昔同じ釜の飯を食った仲間でもある。両力士とも10年選手となり、「いい兄弟子」なのだが、高砂部屋へ来ると、もっと「大兄弟子」がまだまだ健在なので、いささか肩身も狭い。その龍神、先場所より四股名を大子山(だいごやま)と改名。大子錦にあやかってということではなく、大子錦と同じ出身校の大子一高から師匠が命名。番付発表まで本人も知らなかったようで、番付を見てひっくりかえったそう。大子兄弟は、共にいじられキャラで体重も180kg超と共通点は多い。お互い嫌がっているが・・・ 梅の川も水戸晃と改名してる。

平成23年12月13日
手押し車は、下になる方、腕立て伏せの状態で足首を持たれて腕で歩くほうがきついのはもちろんだが、脚をもつほうもけっこういい運動になる。130kg、150kgと重い力士は脚だけでも重いし、手押し車で歩くと左右に大きく体も振られるので、脚を持っている方も全身でしっかり持っていないと落としそうになってしまう。不安定ななかで全身をうまく調和させて力を発揮するのは、より実践的な力の出し方になる。

平成23年12月12日
今週も部屋での稽古。東京に戻ってから久しぶりに手押し車も復活している。二人一組になり腕立て伏せの姿勢で足首を持ってもらい土俵周りを1周ずつ交互に10周まわる。体重の重い力士には、より負担も大きい。腕の運動でもあるが、腹や腰、全身を使う運動である。面白いもので、三段目以上の力士は何とかこなすが、序二段の朝奄美、朝龍峰は5,6周目あたりから腰の位置が下がり(腹が地面につきそうになり)、ハーハーゼーゼーと息も上がる。そのへんが三段目と序二段の差なのであろう。

平成23年12月11日
制限をつくることで、身体の芯が中心が使えるようになってくる。インナーマッスルを使えるようになる。「四股」「すり足」「テッポウ」も同様であろう。上体を前傾させない、ぶらさない、カカトを浮かさない、膝を動かさない、反動を使わない、・・・ 無駄な動作を極力はぶき、制限のなかで、シンプルに身体を動かすことこそ「型」であり、身体の芯を使った合理的な動きにつながる。「四股」「すり足」「テッポウ」が目指さなければならない動きなのであろう。

平成23年12月10日
ときどき行なっているシコトレ講座でもカカトを浮かさない「相撲式伸脚」をやってもらうと、夏場はいっぺんに汗がふきだす。寒い時でも身体の芯から温まる。いっぽう、カカトを浮かせ上体を前傾させて行なう伸脚では、膝裏のストレッチ感はあるものの身体の芯から温まる感覚はでてこない。股関節への働きかけも少ない。カカトを浮かさず上体を前傾させないという制限をつくることで、より身体の芯に(インナーマッスル)に働きかける運動になるのであろう。

平成23年12月9日
相撲で下半身をつくる基本は四股であり、すり足であるが、若松親方が母校近大の稽古からヒントを得てすり足と伸脚を組み合わせた運動も最近よく行なっている。土俵の端か端まで、すり足で2歩進んでは左右の伸脚を交互に2回ずつ計4回行う。また2歩進んで伸脚左右に4回、端までに3回繰り返す。伸脚というと、単に脚を伸ばすストレッチと思われている方も多いと思うが、相撲の伸脚は、曲げる足のカカトを浮かさずに足裏を全部つけ、股関節と膝を大きく開いてお尻が地面につくほど腰を下ろす。腰を入れ、上半身は起こさなければならない。股割りと腰割り両方を同時に行なうような姿勢になるからからけっこうきつい。さらに膝に手を置かずに左右大きく脚を曲げ伸ばしするのには体の芯の力と股関節の柔軟性が必要になる。

平成23年12月8日
「相撲を取ることよりも、四股やぶつかりで下半身をしっかりつくれ!」という師匠の指示で、通常より開始時間を30分早めて7時から9時頃までみっちり2時間の基礎。四股、腰割りに始まり、すり足、伸脚しながらのすり足、仕上げに二人一組になっての手押し車で土俵を10周。今朝も冷え込みがきびしかったが、ブラックジョークを交えながらの若松親方の厳しい指導に、いい汗かいて息も絶え絶え。基礎のあとの申し合い稽古のほうが、よほど楽に感じられるであろう。

平成23年12月7日
新年1月8日(日)初日の初場所、”会いマス!”と銘うって、マス席B,C席が一人でも購入できるようになります(通常マス席は4人一組での販売)。販売は12月10日(土)より、チケット大相撲、チケット大相撲予約専用ダイヤルにて引換券を購入して、観戦当日、女性席・60才以上席・フリー席を先着順で選択とのことです。国技館での前売りも12月10日(土)からだが、整理券配布が9日(金)午前7時より開始される。本日7日お昼過ぎ国技館前を通ったら、すでに寝袋やテント持参で並んでいるありがたいお客さんが5,6名もいた。「初場所や 控え力士の 組みし腕」(久保田万太郎)

平成23年12月6日
年末恒例の高砂部屋激励会&クリスマスパーティー、今年は12月20日(火)にホテルニューオータニにて行なわれます。みなさまのご参加お待ち致しております。稽古始め。しばらくは出稽古に行かず部屋での稽古の予定。21日(水)が初場所番付発表で25日(日)にもちつき。

平成23年12月5日
昨日12月4日(日)両国国技館にて第60回の全日本相撲選手権大会が開催されたが、予選と決勝の間に全日本小学生相撲優勝大会も行なわれた。4年生以下、5年生、6年生の部と3学年に分かれ、全国から予選を勝ち抜いてきた各学年33選手が競い合うが、故郷徳之島からも4人が出場。4年生以下の部で3位、5年生の部で2位、6年生の部も2位と、それぞれ大健闘した。いつかこの中から、徳之島ゆかりの四股名“朝潮”を継ぐ力士を誕生させたいと関係者の間では盛り上がっている。

平成23年12月3日
雲龍型と不知火型は、10代横綱雲龍久吉と11代横綱不知火光右衛門の土俵入りの型が美しく二人の型からとったといわれるが、本来は逆だったという説もあり、論争にもなった。雲龍久吉は、福岡県山門郡大和町出身で、大和町は現在柳川市になっているから琴奨菊の故郷の先輩にもあたる。大和町には雲龍の館があり立派な土俵も建っていて毎年相撲大会も行なわれている。不知火光右衛門も熊本県菊池郡の出身で、どちらも九州から出た横綱である。
部屋のチャンコ場のプレハブや家財道具一式、大牟田の倉庫まで引っ越し。あすお昼に全員帰京。

平成23年11月30日
12月4日(日)双葉山生誕100年記念イベントの一環として、横綱白鵬の奉納横綱土俵入りが宇佐神宮にて行なわれる。日頃から横綱双葉山を崇敬してやまない白鵬、普段は不知火型の土俵入りだが、今回は双葉山が行なっていた雲竜型にて横綱土俵入りを行なう。せり上がりのとき不知火型が両手を大きく広げるのに対し、雲竜型は左手を脇腹にそえるのが大きな違いだが、横綱の後ろの締め方も大きく違う。雲竜型は後ろで結ぶ輪がひとつなのに対し、不知火型は輪が二つになる。11時30分からの奉納土俵入りでは白鵬が初めて雲竜型を披露する。


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