平成15年4月22日
土俵築。あす番付発表で、あさってから夏場所に向けての本格的な稽古再開である。横綱は、門前仲町の富岡八幡宮にて「横綱力士碑」への刻銘の 記念の土俵入り。富岡八幡宮よりお土産の文明堂カステラをもらってきた。箱で4箱。高さ約20cm、縦横1mはあろうかという巨大カステラ4箱である。カステラには目がない 大子錦でもちょっと食いきれないほどの大物である。

平成15年4月20日
第68代横綱朝青龍昇進披露パーティーがホテルニューオータニにて行なわれる。全国から、そしてモンゴルから1000人近いお客様が集まり横綱昇進を祝う。三揃えの化粧回し 三組、太刀2本も新たに贈呈され、同じ明徳の出身であるサッカーの三都主、新日本プロレスから藤波辰爾、中西学、永田裕志らの有名選手も多数かけつけ宴に華を添えた。

平成15年4月16日
横綱土俵入りについて窪寺紘一『日本相撲大鑑』からひきつづき紹介したい。谷風・小野川のころ一人で行なっていた土俵入りに、露払い・太刀持ちを従えるようになったのは天保年間 (1830〜44)からだそうである。一般には土俵入りの型が現在のようになったのは幕末の第10代横綱雲竜久吉と第11代横綱不知火光右衛門からで、そこから雲竜型と不知火型となった といわれているそうだが、異説もけっこうあるようである。

平成15年4月13日
巡業組帰京、あさってから稽古を再開。このあと20日にホテルニューオータニにて横綱昇進披露パーティー。21,22日で土俵をつくり直し、23日が番付発表。5月場所前恒例と なった一般公開の横綱審議委員会総見稽古は5月5日(月)国技館土俵にて。午前7時開場とのことである。また、22日には門前仲町の富岡八幡宮でも土俵入りを行い、場所前には新しい綱打ち もやることになっている。

平成15年4月12日
小坂秀二氏は著書も多数あるが、月刊読売『大相撲』で「相撲探求」という文を長い間連載していた。この文章の内容の深さ、面白さに感じ入って小坂秀二という名前を知った。本屋でも まっ先に、ここさえ読めばという感じで、よく立ち読みしたものである。

平成15年4月10日
茨城県の結城市で巡業。女の子が誕生したばかりの横綱も昨日モンゴルから帰国し参加。今回の結城巡業では久しぶりにちゃんこが復活したとのことである。まだまだいろいろと試行錯誤 しながらになると思うが、新体制の巡業のスタートである。明日は靖国神社奉納相撲。これは一般のお客さんも無料で見学できる巡業である。土曜日藤沢、日曜日横須賀とまわって春巡業を 終える。

平成15年4月9日
小坂秀二氏は大正7年東京本所の生まれで、現在の東京医科歯科大を卒業。歯医者から相撲アナウンサーとしてNHKに入局(のちに現TBSに移籍)という経歴をもつ。著書 『わが回想の双葉山定次』(1991年読売新聞社刊)にそのいきさつが書いてある。
「戦中の18年夏場所に中支から休暇をもらって双葉山を見に帰ってきた。このことが、のちに 歯医者をやめて相撲アナウンサーになることを決定的にした。(中略)以来現在まで相撲を専門の仕事にしてきているが、これは双葉山に魅せられたことによるとしかいいようがない。」 『わが回想の双葉山定次』は、双葉山を通して相撲の神髄を語った名著である。

平成15年4月8日
以前この日記でも何度か話題にしたことのある相撲評論家の小坂秀二氏が亡くなられた。ここ1年ほどは病気療養のため筆をおいていたが、相撲雑誌に乗っている小坂秀二氏の文を 読むのが好きであった。相撲の本質、神髄をかなり奥深くまでわかっていることは近世随一であったと思っている。読売大相撲の3月号の文が遺稿になってしまった。「70年、相撲を 見てきた。その中心にいるのはいつも双葉山であった。・・・」「大力士とは双葉山のことをいうのです」その双葉山が、ほかの力士と違うのは、志の高さ”ということになろう。・・ いつかお会いして色々とお話をお聞きしたかったが叶わぬ夢となってしまった。ご冥福をお祈りいたします。合掌。

平成15年4月7日
今回の春巡業では貴乃花の土俵入りが話題を呼んでいるが、そもそも横綱土俵入りは江戸寛政(1789)の谷風・小野川に始まったそうである。窪寺紘一「日本相撲大鑑」によると、谷風・小野川 の頃は一人で行なっていたそうだが、天保年間(1830〜44)以降、露払い・太刀持ちを従えるようになったそうである。

平成15年4月5日
巡業組、あすの大阪城ホールにて行なわれる勝抜戦に向け出発。こういう場合、若者は東京駅に集合して団体席での新幹線移動で、資格者(十両格以上)は、切符をもらっての各自乗り込み である。明日一日で再び帰京し、9日からまた関東近辺の巡業となっている。

平成15年4月3日
女性にとって便秘は悩みのタネである場合も多いようだが、およそ力士で便秘に悩んでいるということは殆ど聞いたことがない。そのかわり、食いすぎ飲みすぎによる下痢は日常茶飯事である。 さすがに土俵上で漏らしたという話は聞かないが、下痢気味の時の本場所の土俵のときほど、つらく冷や汗ものなのもない。また、巷では関取になると付人にトイレのあとお尻を拭いて もらうという噂がいまだに吹聴されているようだが、決してそんなことはないことを断言して、3日続いた臭い話の終わりにしたい。

平成15年4月2日
臭い話続きで恐縮だが、昔ある力士は、ある座敷だったかどうか酒も飲めなく芸もないので、「こんなことしか自慢になるものがありません」と新聞紙の上に出してハカリで量ったら 5kgあったという。大部屋でも朝起きる頃は、あちこちで目覚ましの音と共に「ブー」とか「ブリッ」という音も響いてくる。また、本来自然現象である屁を、話の合間合間に自由自在に 出せる力士もけっこういる。一般人にとって屁の臭さは恥ずかしいことだと思うが、相手が「臭い」と顔をしかめると、してやったりと快感に顔ほころばせる力士はけっこう多い。

平成15年4月1日
パソコンをやっている2階の事務所の隣がトイレになっている。2階の大部屋には約20人の力士が寝ているから、2つあるトイレにはいるのも頻繁である。力士は、ほぼ全員が菜食 よりも肉食を好むから、またその量も半端でないから、必然的に出てくる量も多くて、その臭いも強烈で重い。であるから、トイレに入って音がする度、「すぐ流せー」と叫ぶがそれでも 瞬間的に戸の隙間をくぐりぬけ事務所へと流れてくる。今日も臭いと闘いながらの高砂部屋日記である。

平成15年3月31日
食うことに関しては部屋で一番の大子錦、この2月からちゃんこ長として、その食いしん坊人生に磨きをかけている。ちゃんこ長としての、味見とつまみ食い は、ある意味微妙な所もあるが、両者をはっきり分けるのはその量であろう。きょう一緒にちゃんこ番をやった朝光に「味見にしては食いすぎちゃうの」 と突っ込まれた大子錦、動揺したのか思わず「あんたと俺はドウハンや」・・(本人は同罪と言いたかったらしい)・・160kgと155kgの同伴はあまり想像したくない。

平成15年3月30日
29日(土)に巡業組は伊勢神宮に乗り込み、残り番は帰京。帰ってきて大掃除をするが、地下にネズミが大発生。ネズミ捕りをしかけ早速3匹捕獲。しかけた 床若、「ネズミに勝った」とおおはしゃぎである。夜、巡業組も伊勢より帰京。


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