第一章

私の釣りは小学校四年生に、始まりました。
隣のおじさんと一緒に フナ釣り
その後 すぐ友達と釣り始め
小6の頃は 投げ釣りを始めました。
ウグイを釣りまくっているうちに、
いくらでも簡単に釣れる魚は つまらなくなって
だんだんに、
渓流で イワナ、ヤマメ狙いやるようになりました。
イワナ ヤマメ クラスになると、ちょっとやそっとでは釣れません 
大岩に身を隠し 息を止めて狙います。
とぎすました感性と感性との戦いなのです。
岩手の雫石川の源流をさかのぼり 
釣りに夢中になって、バスの最終に乗り遅れて 
初めて ヒッチハイクで帰って来たのも そのころ、
丁度 中学生になった頃でした。
朝 3:00 4:00 は 当たり前 もう夢中でした。
世界一の釣り師は お れ だ!!
その時、でした「え?」 餌 つけないで魚釣るぅぅぅぅうう??






第二章

当時まだ あまりなじみのない
そう ルアーの登場でした。
まさに意識革命
「そんな 馬鹿な・・・
こ、こんな金属のきれっぱちで魚が釣れるわけねーべ!!」
が しかし、
次から次ぎへと「あすこで鱒があがっただよ、ルアーで」。
「あっちの淵じゃでっかい鯉があがったってよ」情報が・・・・・
「むむむむ、こりゃえらいことになってきたぞい、遅れてなるものぞ
オラも明日からルアーだぁ〜♪」

忘れもしない、その日、中学校はインフルエンザ大流行で休校、
一人元気なオラは、自転車コキコキいつもの釣り場へ向かったのでした。
「ウーン本当に釣れるのかなぁ」まだまだ半信半疑のオラでした。
慣れない手つきで ルアーを投げ 
クキクキアクションをつけながらゆっくり巻き上げてるその瞬間
ごつごつぅグン〜!! あたりだぁっぁあああ
一瞬全身の神経が感電したように緊張、 ドキドキ ドキドキ
なんと、 初ルアー釣りでりっぱな鱒をあげたのでした。
「うわぁぁぁ やったぁぁぁあ やったぁっぁあ!!」
人っ子一人いない河原に、
大きな声が何度も何度も、こだましました。
30数年前、 春まだ浅い雫石川の河原には
まだ冷たい風が吹いておりました。

が!! しかし そんな オラを
大きな落とし穴がパックリ口をあけて、・・・・






第三章

が!! しかし そんな オラを
大きな落とし穴がパックリ口をあけて、・・・・
そうです お金なのです。
貧乏な我が家のわづかな、オラのお小遣いは
月も中程で すべて買い食いに消えてしまうので、
根がかかり(水中の岩や杭などに ルアーが引っかる)でルアーを失っても
ルアーを買うお金がないのです。
一番 安い物でも250円 高い物は千円近くもします。
そこで始めたのが アルバイト。
近所の材木屋から風呂焚き用に、木片をもらって来て母親に売るのですが 
18リットル(一斗缶) 一杯で10円
650円のルアーを買うためには、材木屋と家を
重い一斗缶を持って65往復です。
労働は過酷をきわめフラフラになりながらも
もらった百円玉を握りしめルアーを買いに走る、
そんな毎日が つづきました。
しかし高校になるとクラブ活動、バンド、酒、女、・・・
いつしか釣り道具たちは、押入の奥で
長い長い眠りについたのでした。





1998年晩秋、福島県裏磐梯、奥只見湖付近、
山深い渓流の水面下約1.5m
大岩に潜む一匹のイワナをじっと見据える男がおりました。
そのするどい眼光は
二十数余年のブランクを微塵も感じさせない力強いものでした。
男は フライロッド、フライベスト、
ポケットには自分でタイイング(巻く)した、不格好なフライ(毛針)
彼は ふぅ〜と静かに息をはくと、ぼそりとつぶやきました。

「よし 勝負ぢゃ」

              完