がんばれ難病患者日本一周マラソン1999

わかやま 第37ステージ

第37ステージドキュメント(T)

 11年11月10日午後1時30分、大阪難病連から引き継ぐ。

澤本さん始めスタッフはとても元気そうに見える。それとともに和難連の責任の重さを痛感する。伊藤さんより伴走者に対して若干の説明が行われ、大阪難連とともに記念撮影の後、県庁アスレチィッククラブ3人、和歌山マスターズ3人、和歌浦走友会6人、NTT職員の井戸端潜さんら伴走者13名とともにスタートする。

 大阪からの引継ポイントに設定した、みさき公園前ファミリーマートでは伴走車やランナーなどで駐車場を占拠してしまったため、”商売にならない”と店長から叱られる。

 大阪と和歌山の県境の孝子峠も予定通り通過し、午後4時、41県目の和歌山県庁に到着する。県庁前では県庁職員、患者会・支援者、マスコミ関係者など200人を越える人が出迎え大歓迎を受ける。

 澤本さんと伊藤さんと森田会長は健康対策課長の誘導で3階の副知事室に案内され高瀬芳彦副知事に面会し、要望書の提出と寄せ書きにサインをいただく。高瀬副知事は「難病対策に今後とも努力するとともに、マラソンの完走を心からお祈りする」という言葉があり、澤本さんを囲んで高瀬副知事、小西福祉保健部長とともに記念撮影に収まる。

この間、正面玄関では県庁前集会に参加した全員が第37ステージ用の寄せ書きにサインした。(署名数180人)

 退室後、正面玄関に現れた澤本さんと伊藤さんと森田会長は寄せ書きを集会者に示し盛大な拍手を受ける。澤本さんは「私も皆さんに励まされ走ることができます、どうか皆さんも 病気に負けずがんばって下さい」と集会に参加した患者さん一人ひとりを握手で励ました。

この後全員で記念写真に収まる。

 午後4時20分に県庁でのセレモニー終了後、澤本さんはテレビ和歌山の取材を受ける。続いて4時25分から和歌山放送ラジオのニュース番組に生出演。

 午後5時宿舎に着いたマラソン隊は身の回りの整理や小休憩の後、紀伊半島最南端の串本町からマッサージのボランティアに来ていただいたベーチェット病の西口作蔵さんの奉仕を受ける。

(伊藤さんを重点的に)

             

第37ステージドキュメント(U)

 11月11日午前7時30分 県庁前スタートする。

午前7時には前日伴走していただいた国部薬務課長が新聞記事のコピーを持って見送りのため待ってくれていて感激する。この日は県庁アスレチィッククラブの岡澤利彦さん、和歌山マスターズから2人、NTT職員の井戸端潜さんの4人が伴走してくれる。新宮から集会に参加した惣坊恵夫妻と吉田桂三夫妻も乗用車で伴走する。惣坊さんはゼッケンにハチマキの出で立ちで「闘う患者」そのものだ。

 澤本さんは常にマイペースをくずさず黙々、淡々と走る。そろそろ出勤の人が勤め先に急ぐなか、屋形の交差点を左折。ぶらくり丁手前の橋のたもとでこの日1回目の休憩をとる。まだ澤本さんと伴走者は補食も給水もしない。2分程度の休憩で再び走り出す。県庁前から15キロ地点の紀ノ川堤防一本松に9時40分到着。ここで市内六十谷から参加した和歌山マスターズの一人が貴志川町からの会員と交代する。

11日お昼12時、那賀町役場前到着(不二家駐車場)

名手保育所児童160人の手作りの手旗による大応援に澤本さんも思わず和やかな表情になり、手を振って応える。県庁前から車で伴走したパーキンソン病の惣坊恵さん夫妻は大声を上げながら色とりどりの手旗を力一杯に振る子どもたちを見るなり感激のあまり顔をくしゃくしゃにして泣き出した。三角の色紙に思い思いの絵を描いた子どもたちの手旗に込められた「さわもとさん!がんばれ!みんながんばれ!」の気持ちとかわいい大応援はここに集まったみんなの胸を熱くせずにはおかなかった。私が勤務する那賀町役場の職員約30人も目頭を熱くして応援している。

 感動はこれだけではなかった。この三日前、がんばれ難病患者日本一周マラソンのイベントとその主旨を知った那賀町立麻生津小学校の先生が福祉を学びはじめた5・6年生の子どもたちをぜひ走らせたいと申し出てくれたのだ。そして生徒全員21人が3.1キロ先のかつらぎ町道の駅まで伴走してくれた。みんな3キロ程度のマラソンには自信があった。この小学校の子どもたちは毎日朝7時から過疎地の田舎道を朝練で走っているのだ。

 12時30分、道の駅からランナーの一行が見えた頃から、四郷千両太鼓の歓迎の演奏が始まった。直径1m筒長2mを超える大きな太鼓が3丁、他に大小さまざまな太鼓が12丁。腹の底まで浸み渡るような勇壮な響きに迎えられて澤本さんが姿を現した。澤本さんと一緒にかつらぎ町道の駅に着いた子どもたちは「しんどくなかったで、まだまだ走れるよ」と笑顔いっぱいに話す。

道の駅の駐車場には約50人の患者や支援者が「お疲れさま!澤本さん」の横断幕や手旗で出迎えた。休憩に立ち寄った一般の人たちやドライバーも思わず大きな声で応援に加わった。千両太鼓の若者12人と子どもたちと記念写真を撮った後、澤本さんはここで、仕事のため引き返す県庁アスレチッククラブの岡沢さんと、麻生津小学校の生徒たちを握手で見送って別れた。

小学生を引率した児玉仁校長先生は「子どもたちにほんとうに良い経験をさせてもらってありがとうございました」と、こちらが恐縮するほどの感謝の言葉を頂いた。

「いぇいぇ、こちらこそありがとうございました」

「岡沢さん、二日間ありがとうございました」

午後1時20分まで、万葉集に歌われた「妹背山」にはさまれた船岡山を望む食堂「いろは」でスタッフ全員昼食をとった。澤本さんはうどんを食べたが、中には紀ノ川名物「鮎寿司」を頬ばっていたスタッフもいる。

午後1時30分、今度は行く先の無事を祈る千両太鼓12人の「送り太鼓」に力づけられ五條市に向け出発する。

第37ステージドキュメント(V)

 11月11日午後1時30分道の駅を出て10分後、1回目の給水ポイント手前でけたたましいサイレンが鳴り響く。すわっ、何事が起こったのか。2分もたたないうちにランナーの目の前をサイレンを鳴らしながら次々と10台ほどの消防車が行く。

国道から50メートルほど北側の空を見ると真っ黒な煙が黙々と上がっているのだ。火事だっ!誰となく叫ぶと、ガードレールの上にまたがった安部カメラマンは必死でランナーと消防車をフレームに収めようとしていた。突然のハプニングにサポート隊は給水の準備を忘れてしまっていた。翌日の新聞にはアパートが全焼と報じていた。

 和歌山県橋本市から奈良県五條市にかけてかなり長い距離の急坂な峠がある。この峠を越えたところで休憩ポイントを設けた。すごい汗に息を切らせながらポイントに到着する伴走者を後目に沢本さんは呼吸一つ乱れることなく静かに補水する。伴走者の中にはサロマ湖100キロマラソンにも参加した経験をもつ人もいるが、唯々沢本さんに付いていくのが精一杯だと感心しきりだ。坂道でペースが落ちない、むしろハイペースになる。ここまで5400キロ近く毎日毎日走ってきた沢本さんのどこにそんな力が秘められているのだろうか。

 休憩している時、和歌山のサポート隊や伴走者たちの間でこういう会話が交わされた。

「このマラソンを100日も続けているなんて考えられないなあ!」

「沢本さんは人間じゃない、スーパーマンだ」

「いや、機械と違うか?」

「やっぱり心やで、難病患者や障害者を思う心や!」

「そうや、それしか考えられへん。沢本さんの温かいハートが走らせているに違いない」

 誰かがそういったとき、感動とともに全員が大きくうなずいていたが沢本さんはクールだった。

この日の伴走者はNTT職員の井戸端さんだけになった。井戸端さんはこれで三日連続の伴走となる。

 奈良県五條市から三重へのコースは吉野川沿いに東へ田舎道と山道の連続だ。和難連のサポート隊は三日目のこのコースは沢本さんにはあまり気を使わずに走ってもらいたかった。この辺のところは伴走の井戸端さんも充分心がけていただいてありがたかった。

 大宇陀町の新野公民館前で「柿の葉寿司ヤマト」の看板を見つけた伊藤さんは本隊車を止め、「吉野に来て柿の葉寿司を食べなかったら心残りだ」といいながら店に入った。お店の女店員は伊藤さんからマラソンの話を聞くと、すかさず何種類ものお寿司を差し入れてくれたのだ。沢本さんも店内に入り早速差し入れの柿の葉寿司に舌鼓を打った。

マラソン隊やサポートスタッフにとってこのお寿司の味は、ただの寿司の味だけではなかった。吉野の人たちの温かい心の味も一緒に味わったような気がしたのは、私だけではなかっただろう。

まさに「吉(よ)き野(ところ)」だった。

 差し入れのお寿司と心づくしの温かいお茶を頂いて、お店を出ようと振り返ったとき、誰となく声を上げた。「桜満開や!」なんと新野公民館の庭の桜が満開なのである。本当に満開なのだ。柿の葉寿司ヤマトの店員さんは「あの桜は、二度咲き桜なんです」と教えてくれた。

沢本さんはその桜の木の下に静かに進むと、片手にほっこりと載るほどの花びらを拾い集め、大事そうに本隊車の物入れの中に収めた。私はその瞬間、沢本さんの自然に対する優しさに重なって、あの絵葉書の中のリンゴの花を思い出していた。

 沢本さんの優しさ、吉野の人たちの優しさ、多くの人たちの優しさがみんなを包んでいる実感をかみしめて、胸が熱くなった。肌寒い雨は降っていたけど、みんなの心の中は愛と桜で満開になった。

 吉野川沿いの八百萬神社の駐車場でちょうどお昼になる。この近辺にはお店などというものはない。ましてや気のきいたレストランや食堂はない。お昼のメニューは柿の葉寿司ヤマト差し入れのお寿司にサポート隊差し入れのカップ味噌汁を分け合って食べる。

第37ステージドキュメント(X)

 11月12日午後2時、東吉野村に入る。

ここから三重県境の高見トンネルまでは急坂とだらだら坂がかなり続く。沢本さんは変わることなく淡々として黙々と走る。その後ろを井戸端さんが伴走する。

高見峠付近を澤本さんと井戸端さんが走っているときの出来事だそうだ。高見トンネル手前当たりにさしかかったとき、井戸端さんの目の前で突然沢本さんがうずくまる。「何かアクシデントか?」と、井戸端さんが駆け寄ると、なんと沢本さんの左手に小さな沢ガ二がのっている。そして、そっとその沢ガ二を草むらの中に返してやっているというのだ。 

走りはじめて100日以上、5500キロを走り続けている人間のどこにそんな心の余裕があるのだろうか。ただ平々凡々と生きている私には考えられない優しさと、寛容さと豊かな感受性、そして量り知れない強さを相もっている人間。沢本和雄さん。

スーパーマンでも機械でもない、まさにハートがこの人をして沢本和雄ならしめているのだ。

 そしてこのハートを支え続けているのが伊藤さんであり、ライダー佐藤さんであり、安部カメラマンであることをマラソンが終わっても私は決して忘れない。

 午後3時50分、長い長い3キロに及ぶ高見トンネルを抜けるとそこはもう三重県だ。高見峠から眺める雨上がりの飯高町は言葉に言い現わすことのできないほどのすばらしい景色だ。

 ここには大勢の支援者や沢本さんが6年ぶりに再会を楽しみにしている陶芸の村「虹の泉」の東氏が待っている。

東先生のお弟子さんがワンちゃんを連れて澤本さんを出迎える

     (高見トンネル出口)

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