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 事務局長 森田良恒の妻 敏子のこと  

              ■ 心肺停止からの蘇生と地蔵盆の旅立ち              
                                           事務局長 森田良恒
▼奇跡の生還
私の妻敏子(きほく会員)は平成29年6月16日、 訪問看護師に対応していただいているとき突然心肺停止して救急で入院しました。

 おかげさまですぐ訪問看護師の適切な対応で一命を取り留め、約10分後に心臓も呼吸も回復しましたが、以来入院生活は2ヶ月に及びました。

 本人はまったく記憶が無いため当初なぜ病院にいるのかが理解できないようすでしたが、入院当初はジスキネジア(不随意運動)が激しく、看護師も対応できないほどのため全日の付き添いがはじまりました。
 入院前は至って順調に過ごせていたため、心肺停止が原因かどうかは分かりませんが薬の効果が不安定になり、食べられない日が続いたため、とにかく「何も食べてない」のうわごとのような日が続きました。
 救急病院でははっきりした原因は示されませんでしたが、CTには喉に少し食べ物が写っているとのことで窒息状態ではないかと言われました。少し落ち着いた日に紀北病院に転院し、誤嚥が原因として嚥下リハビリを中心に療養がはじまりました。
おかげで関わっていただいた医療関係者のご尽力もさることながら、お不動さま、お大師さま、そして「病に苦しむ人に寄り添い、苦しみを取り除いて下さい」との心願で平成17年に建立したおたすけ地蔵さまのご加護のおかげと、心から観じた次第です。

 聞くところによれば心肺停止から蘇生する確率は1〜7%だそうです。しかも10分間心肺停止していたにも関わらず、まったく後遺症も残さなかったことは奇跡だそうです。
 さらには皆さまからいただいた心温まるご心配とお見舞いに励まされ、8月16日お盆が明けて無事退院することができました。
 敏子は2年前には8ヶ月の胃ろう生活を乗り越え、主治医をして「回復しての胃ろう抜去はあまり経験がない」と言わしめた胃ろうからの卒業を果たしました。
 そして今回は心肺停止からの蘇生、しかも後遺症なしという奇跡でした。
 そのたびに敏子は生命力の強さを教えてくれました。そのときは「命」のたくましさとありがたさに唯々感謝したのです。

▼地蔵盆の別れ
 8月16日に退院した敏子は次の日から普通常食をむせることなく食べ、薬のコントロールもうまくいき、21日(月)のデイサービスも22日(火)のリハビリも普通にこなせるようになっていました。
 家に帰れたことの喜びが薬になったのでしょう。
 23日(水)には紀北病院に薬処方のために敏子も連れて行くと、先生から「元気になってよかったね、2ヶ月先の予定入れとくからね」と言われ、満面の笑顔で答えていました。
 診察室を出るとリハビリでお世話になった先生と出会い、両手を振って「ありがとうございました」と言ってお別れしました。
 薬局での薬の処方には3時間ほどかかるため敏子に「何か食べに行く?」と言うと、「中華料理」と答えるので好みのお店に行きました。
 椅子席は満席だったので、敏子は座敷には座れないため店を出ようとすると若い男性客4人が席を譲ってくるというのでお礼を言って椅子席に座らせていただきました。
 敏子は好みのものを食べ、奥歯2本を抜いた私の分まで食べてくれました。
 帰り道、車の中で「一緒に病院に来られたこと、席を譲ってくれたやさしい人たちに会えたこと、お店で美味しいものを食べられたこと、そして自分の家に帰れること、こんな幸せはないなあ、ありがたいなあ、感謝しようよ」と話し、普通であることの幸せを感じながら、家に帰りました。

 翌24日(木)はデイサービスの日にその日はやってきました。
 朝からいそいそと洋服を着替え、唇の色が分からなくなるから口紅をつけないように言っても聞かず、しっかり化粧をして大好きな職員に迎えられ出かけました。
 一般浴にも入ることができ、いろんな行事や軽い運動を楽しくやり過ごせたことで喜んで帰ってきました。
 帰ってきた午後4時は薬の時間になります。薬を飲んだあと訪問看護を受けるのですが、そのときに突然2回目の心肺停止の状態に陥りました。
 前回と同じ看護師から「心臓マッサージをしますか?」と聞かれたのですが、私は「もう結構です」と答えました。
 それは、もし心臓マッサージを施して2ヶ月前のように蘇生したとしても、また救急車で病院に運ばれ点滴、絶食、長期入院という辛い状況を敏子に与えることは私には耐えがたいことだったのです。
 むしろ退院してからの8日間の穏やかな幸せの記憶のまま、しずかに逝かせたかったのです。
 私は敏子の手をにぎり顔を見つめながら、心の中では「これでいいのか?」「マッサージした方がいいのか?」という葛藤があったのも事実です。
 私は「敏子、許してくれよ」、「これでよかったんか?」と心の中で叫びました。
 敏子の最期は穏やかな顔をしていました。
 私を許してくれているように・・・

 この日は8月24日地蔵盆です。
 きっと自ら発願建立したおたすけ地蔵尊の懐に抱かれているのでしょう。
 通夜、葬儀にはお忙しいなかたくさんの方が参列してくださいました。なかには同病の仲間はもちろんのこと、敏子が関わった難病患者会の患者さんたちもたくさん、出にくいのにわざわざ参列し送ってくれました。
 皆さまのご厚情あふれるご会葬のお力をいただき、それをご利益として敏子は天国に旅立ちました。

 この稿をお借りし、生前中のご厚誼に深謝いたしますとともに心よりお礼申し上げます。
 みなさま本当にありがとうございました。
            
合掌


  
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