わには、「他人とは生活できない人間だ」と公言して生きて居る。
過ごす事は出来ても、生活は出来ない。
自分が無いから、すこぶる協調性はある。
でも、生活するとなると話しは別。
過ごす自分と生活する自分が違う物なのかも知れない。
例え血の繋がった親兄弟であろうと、自分以外は他人であると。
そう思って来たし、そう言って来た。
思考はハッキリして居たけれど、理由は判らなかった。
わには、自分は一人が好きなんだと思って居た。
けれど、他人に依存する。
これは矛盾であろうと思って居た。
自分が弱いのだと言う事には、気付いて居た。
弱いから、強がる。醜い事だと、そう思っていた。
ここに来て、わにが他人と生きられない理由が、なんとなく判った。
コワイのだ。
一人が好きなわけじゃない。コワイのだ。
何の確証もなく、存在意義さえ怪しくて・・・
そんな物求める事など馬鹿げて居ると言っておきながら・・・
自分はそれを求めて居るんだ。
独りになる。世界と切り離される。
そこは独りの世界で、そこには誰も居ない。
その世界は・・・存在して居るのか?
そこに居る・・・と思い込んで居る自分は、本当に存在して居るのか?
深みにはまる。
だからコワイのだ。
嫌われるのも、コワイのだ。
嫌われるくらいなら、好かれようと思わなければ良いのだ。
最初っから知り合わない方が楽なのだ。
イヤな物から遠ざかる。
独りになるなら、一人で居る方が良い。
人との距離感とか、付き合い方が判って居ないのだと思う。
わにの中には、なにに関しても白か黒しか無い。
距離がある時は、無関心としか取れないような距離を求める。
距離が無い時は、どこまでも相手を追いかけるし、
土足で踏み込むような事も・・・多分して居る。
相手の気持ちを察する。と言う事を、わには重んじて生きて居る。
気を察しなければ、生きていけない環境だったと言うのもあるけれど・・・
誰かが誰かの気を察する事無く生きて居るのを見ると、「察したれや」と思う。
けど、自分はどうだ。
今の自分は、どうだ。
察する事が出来なくなっている。
形が無いと、不安になっている。
確証が持てない。 距離感が無い。
・・・多分・・・今、目の前に確証を見せられても、わには素直に受け取れない。
裏読みをする。裏を読み過ぎて・・・また不安になる。深みにはまる・・・
独りになりたくないから・・・一人で居る。
仲を違えたとして・・・というのは、そう言う仲が成立していて言える事なのだけれど・・・
仲違いを起こしたとしても、「なんにもわかってないくせに」
なんて事はわには更々思わない。
わには自分の事が判らない。
他人の事なんて、更に判ってない。
そのわにが、人様にそんな事求められるわけがない。
自分が自分を伝えられない、その不甲斐なさに沈むのが・・・コワイのだ。
嫌われたくないから、出来もしないのによく見せようとする。
出来ないことなんだから失敗する。
また沈む・・・ 自信がないから、行動できない。
その不甲斐なさに、また沈む・・・
いつまでこうして生きて行くんだろうか・・・この莫迦は・・・
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