暗黒時代の中程のことである。誇り高き騎士ポメロイのジャスパー卿は、従者ピプキンと共に諸国遍歴の旅を続けていた。
日本では『赤毛のレドメイン家』の作者として有名なフィルポッツですが、寧ろ彼の持ち味は、このようなファンタジーでこそ生きるような気がします。ケレンもない、淡々とした夢物語ですが、そこにある思想は、正しいかどうかはともかくとして、それなりに心打つものであるような気がします。それはつまり、幸福へ至る道のりの確かにあることを読者に気づかせるくらいには魅力的だということですか。
さしたる試練もなく旅を続ける彼らの前に、突如もたらされた冒険の予感。それが騎士の習いか、人間を食らうという邪悪なラベンダー・ドラゴンに悩まされるポングリイ村を救わんと奮い立つジャスパー卿だったが、彼の前に現れたドラゴンは、邪悪どころか誠実な、騎士に匹敵する誇りと公平の精神を持った、さらには凡百の人も及ばぬ優れた知性の持ち主だった。
さて、戦いの場から、一転、ジャスパー卿の連れてこられたその場所こそ、ラベンダー・ドラゴンの理想を体現した、かつて人の手によっては実現できなかったユートピアであった。
ラベンダー・ドラゴンの主張は、やはり時代と民族を考慮に入れずに素直に受け止めることはできません。作者フィルポッツと、彼の祖国と、彼の生きた時代を考えるとき、やはり根本的な差別意識のあることは否めません。宗教に対する批判さえ、それを身近に置いてこそ成立するものであり、そういった意味では新たな考え方を提示するまでには至らなかったというのが正解でしょう。
それでいて、ラベンダー・ドラゴンのユートピアを魅力的と感じるのは、それが将来に渡っても実現できない世界であるからなのでしょうね。
欺瞞を見過ごしたとき、その瞬間から、全てが理想からは遠くかけ離れていくことは必定、それゆえにユートピアは限定された小さな社会であり続けなければならない。外に開いたとき、理想は必ずや人を傷つけることになる、それを知っているがゆえに、ラベンダー・ドラゴンは死ななければならなかった。彼の死が、理想社会の終焉−−夢の終わり−−を即ちもたらしたのだとしたら、同時にそれは全ての作家が直面する物語の限界をいみじくも証明していると言えるのかもしれません。
評者:めぐみ 評価:☆☆☆
読み終えて、私はもう、このような物語を受けつけなくなったのだろうか? と一抹の不安を感じた。作者の意図が、なんともわからない、と感じた。逆説的なユートピアが描かれていると見るべきだろうか。
たとえどのような崇高な目的を持ってしても、あるひとりの突出した支配者によってでは、決して持続するユートピアは作られ得ないということか?
人間の幸福とは何なのか、ということを考えさせられる物語ではある。
ドラゴンの、「わたしは、完全に物語を聞き手にゆだねる。教訓を拾いあげるか、無視するかは、その人次第だ」のとおり、この物語から、何を受け取るかは、その人次第なのだろう。
最近同じような物語を読んだことを思い出した。ハンス・ベンマンの「石と笛」のなかで、遍歴の笛吹きが、理想郷としてのバルロの国が、バルロの死後やはり崩れてしまうのを見届けている。
偉大な指導者が理想を掲げて、彼を崇める人間を導いているのは同じだ。そして、遍歴の笛吹きはその世界を、自分には受け入れがたいものとみなした。
ラベンダー・ドラゴンにおいては、導き手が形態においても全く異なっていることで、導くものと導かれるものとの差異が際立っているが。
自発的な意志、自由な理解なくして真の理想郷はありえないのだ、というふうに、読み解けば、よきファンタジーといえるかもしれない。
L.Dの提唱するユートピア観に、最後まで納得がいかないままに読了した。
結局は、自分のお眼鏡に適った人間だけを自分の周りに配し、気持ちよく過ごしたかっただけなのじゃないかとまで考えてしまった。ファンタジーの形式をとり、ラベンダー色をしたドラゴンという非常に魅力的なキャラクターに語らせてはいるが、オブラートとして機能おらず、所詮は歪な考えであることは否めない。
私はどうもこの手のコミューンの話は苦手である。彼の言うユートピアが実現したとして、そこで生まれ育った人間は果たして本当の幸せの意味を悟ることができるのだろうか。つかの間であれ、L.Dを取り巻く世界が活気づいたのは、苦労人ばかりをかっさらって構築したからではないか。
しかし逆説的に、「こうでもしないと理想郷なんて存在できないのだ」と主張したかったのであれば納得がいく。いずれにしろ、深く読み解きたいと思うほどの読後感は持たなかった。独善に陥ったドラゴンほど辛気くさいものはない。