【3月読書会】


《本のデータ》

 牧文四郎は、海坂藩の下級藩士の家に養子入りした、まだ元服前の十五才。学問に、剣に打ち込む毎日を送っていた。
 そこに降って沸いた突然の危難−−藩政に仇為すお家騒動は、彼から尊敬する父を容赦なく奪い去り、牧の家もまた役目を追われ蟄居を余儀なくされる。
 人々の好奇の目、敵対勢力の監視もなくなるわけではない……屈辱の日々の中にも芽生える淡い恋、それもまた儚く潰え去る、それでも文四郎は、友に支えられ、若々しい情熱をもって前向きに生きていくのだった。

 今年一月に逝った藤沢周平は、市政の人に視線を据えた数多の作品群によって知られる時代小説の雄でした。派手さはありませんが佳作の多い安定した筆致が魅力のこの作家の歴史を知りたい方には、未だ継続中に違いない大手書店の追悼フェア、あるいは雑誌の特集をまずは参考にしていただくとして、ここでは彼の著作中、傑作との呼び声高い『蝉しぐれ』を取り上げ、今月の課題とさせていただきます。




ネタバレありますので、未読の方は注意!!



《感想のコーナー》


スタッフはこの色  ゲストはこの色


評者:友野健司  評価:☆☆☆☆

 当時の十代は、今と比べて遥かに大人びていたのだなあ。
 話は単純である。試練を試練と思わせぬような才長けた少年の物語。努力がそのまま成果に結びつくことなんてそうはありはしないのに、そのありもしないことを書いて読ませる。
 才能というのは酷いものであり、主人公がその絶対の才能を身にまとってなお葛藤する姿を描きたいとなったら、作者の立場としたら、それはもう身近な者との辛い別れを用意するよりない。
 義父との死別、実らぬ初恋もまた、物語の要請だとしたら、娯楽小説の主人公というのも辛い立場である。

評者:南 銀次郎  評価:☆☆☆☆

 動静の書き分けが素晴らしい。さらに動の中の静、静の中の動、音楽で言うとフォルティシモからピアニシモまで鮮やかにこなしている。いかにも人間を、特に中流で凡庸な人間の日々の営みをこよなく愛しているのがよくわかる。そして四季のある日本という国と、日本人の美意識を重んじていることが、ひしひしと伝わる。
 時代小説独特の重厚さにはやや欠けるところがあるが、それは逆に、現代との垣根を低くする効果を上げている。
 長編の連載は、後からの書き直しができないから苦労が多いと聞いたことがある。しかしこの作品における細やかな伏線の張り方はどうだろう。すべてが主人公の成長と共に美しく収束していく。
 平易で明快な文体が醸し出す説得力や緊張感には迫力がある。オヤジのような喩えになるが、この人の長編を読んだ後には、ベテラン演歌歌手のステージを見た後のような充足感がある。
 日々刻々と無くなりつつある慎みや恥じらい、言葉に出さない思いやりの心、それらをさりげなく袂から取り出したようなそんな作品であった。

評者:めぐみ  評価:☆☆☆☆

 素直に読んで、まっすぐに心にしみ通り、さわやかに感動できる作品である。素直に感動できる自分がうれしい。初期の頃の何とも持って回ったくどさとは違って、さわやかな青春小説になっている。
 ただ、たんなる青春小説と思って読むと、最後のエピソードは余計である。こんなものはなくてもいい。文四郎が、その後遠くからおふくさまを見かけたでも、殿の死後落飾されたことを聞いたでもなく、このような終わり方をしているのは何なのか?
 蝉時雨は暑い夏のさなか、聞くほどに苦しい。しかし、夏が終わり、秋が来て、冬の訪れを間近に感じるとき、人生の行く先を見極めたと思うとき、あの夏の蝉時雨の記憶は、なんとも哀しいほどにまぶしく輝いて見える。その時に、蝉時雨のひとときを、ふっと懐かしみ、もしかしたらその時に立ち返ることができるかもしれないと、不可能とは知りながらはかない夢を思い描いたとしても、責めることはできないだろう。
 最後のエピソードに導かれてくるすべてが、ぜひとも会いたいではなく、会ってもいいし会えなくてもいいと思うおふくさまと、その思いを受けとめる文四郎に、藤沢修平氏の透徹した明るいまなざしを感じる。
 そこにこの作品の深みがあるとおもう。様々な人たちの、様々な思いの積み重ねをしみじみと感じる。


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