黄良は、親思いの少年だった。世を拗ねた母の我が儘にも、嫌な顔ひとつせず諾と従う。
第3回松本清張賞を受賞した表題作に雑誌発表の短編を加え、さらに二編を書き下ろしています。中国−−大唐帝国を舞台とした作品集は、それぞれ小粒なようで独特の味があります。著者の森福都は、既にプロ作家として活躍中ですが、おそらくこの作品でまた一皮むけることでしょう。今後に大いに期待するものです。
今日もまた、季節はずれの桃を食べたいと言い出す母にさすがに良も戸惑うが、そんな様子は意に介さない、母は天子の離宮で育てられた早生の桃を購ってこいと言う。ただでさえ生活の楽でないところに、いかにもそれは無理な注文だったが、母の願いに首を振ることはできない。良はそこで一計を案じる。
良が偶然から生み出した富貴花−−暗闇に輝く夜行牡丹を金に換え、その金で桃を手に入れればいい。勇んで路に店を出す良、しかし商売の不得手なところに今は陽光きらめく下である、見窄らしい鉢がひとつきりでは到底人の目を惹くことはできない。それでもいくらか経った頃、一人の、逞しい、異国風の面をした男が良に声をかけてきた。(表題作)
単純明快さがいい。毎度ハッピーエンドなのがいい。
表題作『長安牡丹花異聞』は、主人公コンビが育てた夜行牡丹が、花賞翫で一席になるわけがないという読者側の予測をどのように越えうるかにすべてがかかっていると言っていい。野望潰え、なお爽やかな読後感を残すためには、この手しかない、というようなオチである。こういった気持ちよさを提供できれば、その作品は成功である。
『累卵』『チーティング』は、ミステリっぽい手法が楽しいどちらも佳作である。前者はご都合主義の極みという気がするが、単純な面白さが文句をつける隙を与えない。後者はそれには一段劣るものの、まあ、及第点を与えられる出来である。主人公の暢気な正義感が心地好い。
『殿』の記述者=駱駝は新機軸である(と思う)。ぬーぼーとしたイメージのある駱駝が、"らしい"視点で人間たちの様子を窺う。追撃してくる敵軍を退かせる件は、なかなか読ませる。感心した。
『虞良仁膏奇譚』は印象が薄い。この長さでは、作者の良さが出ないのではないか?
トリをつとめる『梨花雪』は、オチのつけかたが他とは一線を画している。ヒロイン金鈴は、いったい何を思って手紙を出したのだろう。すべてが収まるべき所におさまったと見える一方で、読者に考えさせる部分が残されている。この短編集ではやや異色だが、森福都の今後の可能性ということを考えると、なかなか効果的な締めの一編であった。
一冊通して読んで、駄作と呼べるものは一編もない。発想も、語りも構成も、作者のスタンスも安定していて、今後への期待が大いに持てる。まだまだ突き抜けた実力はないが、いずれこのまま育っていったとしたら、傑作をものすこともあるかもしれない。
勢いに乗って、つい言葉が流れたというところのない、隅々にまで心配りがされ、丁寧に誠実に書かれている佳品。好感が持てる。
表題作もなかなかだが、私のお勧めは「梨花雪」。心理の綾が納得のできる形で解きほぐされていって、金鈴皇女の行動の不可解さを残したところに、作品の深みがあると思う。楽しく読めた。
しかし、これは点訳しにくい本だと思う。漢字の音だけではとうてい意味が理解できないだろう。
ときたま、作者は、自分の使っている言葉を、本当に読んで(音声化)いるのかと疑う作品がある。並べられた漢字で、意味は分かるのだが、何と読むのだろうと頭をひねることがある。単純な漢字であっても、読めないときがあるのだ。こむずかしい言葉、創作語を使わなければ個性的な表現ができないものではあるまいに、と興ざめだ。
この作品は、中国を舞台にしているので、あるていどはしようがないのだろうが、「ぶらんこ」をルビを振ってまで漢字にすることもないだろうに。だが、みごとにカタカナを排している。「紅牡丹」「紫牡丹」はそのまま読むとして、「橙色牡丹」は「とうしょくぼたん」とよむのだろうか。と、細かいところにチェックを入れてみた。