【9月読書会】


《本のデータ》

 今日の次にはまた今日がやってくる。記憶ばかりが積み重なり、取り巻く周囲のあらゆる事象は、時がくれば正しく一日分、巻き戻される。使ったお金は元に戻り、その日を生きた証の何ものも決して留めることはできない。ループする時間の檻に囚われた主人公が、現実に戻れる日は来るのだろうか?

 「時と人」シリーズの第二作は、前作『スキップ』以上に主人公を過酷な状況に立たせていますが、その筆致はあくまで淡々としています。前作以上の評価を得ることができるか、単なる中継ぎに止まるかは、皆さんの目で確かめてください。




ネタバレありますので、未読の方は注意!!



《感想のコーナー》


スタッフはこの色  ゲストはこの色


評者:友野健司  評価:☆☆☆★

 相変わらず北村薫、ではある。しかしお手軽なプロット、平凡な文章表現など、前作『スキップ』に較べるまでもなく、見るべきところに欠ける。
 実力がある作家なのは確かなのだから、小手先の技に走らず、変に読者に迎合せずにいてもらいたい。読者というものが本を読んで何かを得るとしたら、その何かが、別に作者が既定したものである必要はない、ということを北村薫は解っていない。いや、解っている−−にも関わらず、テーマの解体が安易におこなわれているため、読者の作品に向き合う姿勢を限定してしまっているのである。
 これだけの厚さ、価格、満腹とまではいかないまでも、ある程度お腹の膨れるのを期待するのが当然というものだが、空腹感だけが残る。胃酸過多をどうしてくれよう。
 割るほどのネタもない。かなり失望した。次が発売になっても、もうすぐに買うことはないような気がする。

評者:めぐみ  評価:☆☆☆★

 『スキップ』に続く作品ということで、待ちかねていて、おおいに期待して読んだ。
 作家が自分の力を過信して、構想だけが独り歩きしているような作品、と感じた。
 北村薫氏は講演会で(私が聞いた講演会では)「読書とは、読者が能動的に作り上げていくものであって、作品を素材とした<<読者の創作>>である。どういう読み方をしてもいい」と、述べられ、「いい読者というのは、作品のうちに込められているものを過不足なく挽き出してくれる読み方をする読者だ」とも語られました。
 だから、北村氏は、どのように読み解いてもいいと言われているわけですが、読者はやはり作者の意図に沿って読みたいと思うはずです。その作者の意図が過不足なく伝わってきていないと、私の感じ方は間違っているのではないかと思いながら読むとしたら、読書の楽しみはないに等しい。
 「君はこうだったろう」「君はああだったろう」と語られているせいか、『事件』としての緊迫感が薄く、<<真希>>の感じているはずの怖さ、憤り、哀しみが伝わってこない。<<真希>>の心理への踏み込みが半端で表面的であると感じて、共感しにくい。
 襲った男の消え方に、<<真希>>のもっと深い心理描写があってもよかったと思うし、あれば、予測された結末へ向けて、もっと盛り上がったのではないかとも思うのだが。
 全体に書き込みが足りないと感じ、中途半端に突き放されている気がして、何とも不満が残る作品だ。いつもの、なんとも鋭い感性に裏付けされて、きらきらとした輝くような言葉がちっとも見当たらない。淡々とドライに書きたかったというのとも違うようだし。
 翻訳もに偏っている私には珍しく好きな作家ですので、期待が大きすぎた反動の、がっかりした面もあるかもしれない。三部作の残りは一つ、でもやっぱり、期待して読むであろう。ファンとはそういうものだ。


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