【10月読書会】


《本のデータ》

 今年は『八つ墓村』の年である。
 先に松竹で同作品が映画化された際に金田一役を演じた渥美清の死。そしてその再映画化(豊川悦史主演)。
 映画公開に併せて店頭には横溝の文庫が並び、否が応にもムードは高まりつつある。
 奇しくも今年の年頭には、同じく津山事件に材をとった島田荘司の『龍臥邸事件』が発表され、事件の今まではあまり知られていなかった真実(と思われるもの)が明らかになった。すべてが『八つ墓村』目掛けて動きつつあるような−−そんな今だからこそ、取り上げようと思う。

 この作品について、今さらくどい説明は不要でしょう。『悪魔の手毬唄』に続く、金田一耕助の、岡山を舞台にした推理冒険譚。落武者伝説に、猟奇的連続殺人事件−−過去の事件を絡めながら、緊迫感をもって語られる如何にも横溝らしいこの優れた物語、皆さんにも、是非、楽しんでいただきたいと思います。
 なお、HCでも同タイトルが発売になっているようですが、内容を確認していないので、今回は特に文庫版を対象にしたいと思います。




ネタバレありますので、未読の方は注意!!



《感想のコーナー》

評者:友野健司  評価:☆☆☆☆

 横溝といえば、中短編のほうが遥かに私の好みです。美しいものね。
 その彼の独特の美意識は、やはり長編でも存分に活かされているのだけれど、現れ方が些か違う。寧ろそうした部分は後ろに下がり、代わって表に出てきているのは、横溝の、ストーリーテラーとしての天性−−なんじゃないかな。と思いました。
 最近の本格(寄り)作品は横溝の換骨奪胎−−とはよく言ったもので、雰囲気を似せたり、道具立てにこだわってみせたりしているけど、実に横溝長編の魅力は決してそこだけにあるわけではない。『八つ墓村』を読んで、あらためてそう感じました。
 何より文章が平易です。リズムも良い。ほとんど立ち止まることなく、一気に読み進めることができる。流して読んでも、意味は大抵掴めるし、置いてきぼりにされることもほとんどありません。娯楽読み物として、この域まで達したミステリって、最近、絶えて無いんじゃないでしょうか……。

 さて内容は、映画などでもお馴染みですが(松竹版は一部違っている)、一人称のせいでしょう、映画に較べて平坦な印象を受けました。場面転換が難しい、視野が限定される一人称は、内面描写には向いていますが、映像的な広がりを感じさせるのには不向きです。そのため、折角の鍾乳洞行?も、主人公の受ける圧迫感こそ共有できるものの、物語空間としての実在に欠けるといった印象を最後まで拭い去ることができませんでした。これはもしかしたら、連載小説ならではの制約かもしれませんので、もしそうだとしたら、残念なことではあります。書き下ろしだったら、もっと違った感想を持っていたでしょうね。
 あとは総じていい感じです。堪能させていただきました。

評者:めぐみ  評価:☆☆☆

 じつにほぼ30年ぶりに読み返してみて、拍子抜けをしました。
 横溝作品の世界は、たしか、なんとも血なまぐさくおどろおどろしい世界だというイメージが確固としてあったのですが、えっ、こんなものだっけ、という驚きです。この30年間の世界の変化は激しく、信じられない事が起こりすぎて、この「八つ墓村」くらいの惨事では、驚かなくなったという事らしい。
 作品は、事件の当事者が、後日書き記したという設定で、一人称で書かれているせいか、形容詞過剰であると感じられて、わずらわしい。「怪しくもまがまがしい謎」「血の凍るような恐怖の世界」「恐怖と戦慄の世界」と、くどいほど繰り返される事件への言及に、もう、前置きはいいからさっさと事実だけ言えと、思ってしまいました(^^;)
 こういうたぐいの形容詞類をいっさい取り払ったらと、そんな不遜な事を考えました。 私の想像力が貧困なせいか、今一つ緊迫感が感じられず、鍾乳洞の追跡もさっぱりでした。作品世界の雰囲気は楽しめました。
 横溝という名前で期待した分、評価は辛くなりました。

評者:直江信綱  評価:☆☆☆

 他の作品がどうであるのかはわからないが、この作品の主人公は金田一ではなく事件の中心人物龍弥くん?である。
 手記の形なので、あたかも自分が事件のただ中に置かれているような錯覚さえ覚え、事件の異様さ残忍さ、鍾乳洞の形さえも目の前にひろがっていくのである。ああ、横溝という人はあの当時ここまでビジュアルな書き方ができたのかと感心するばかりで、それをあのような映像にしていく映像作家のすごさにもまた、驚かされるのである。(あー、トヨエツ主演の八つ墓村はどれくらいこわいであろうか?)
 さて、ミステリーとしてはどうかというと、金田一も別に推理したという訳でもなく、早いうちに犯人がほぼわかっていたのだとしたら、あそこまで人を死なす必要がどこにあったのか?うすうすわかっていたなら犯人に見張りをつけるくらいしたら?って思わずにはいられませんでしたね。まあ、人が多く死んだほうが小説としては面白いのだろうがなんとなく、金田一が間抜けに見えてしまうところからも、手放しではほめられない。(じっちゃんの名にかけてと、言ってるはじめちゃんがかわいそうだぞ!)
 ミステリーとしてみるならば、私は「悪魔の手毬歌」とか「犬神家の一族」の方がずーっと金田一が活躍してよろしいと思っています。

評者:にこにこ  評価:☆☆☆★

 この小説を読んだのは、確か中学生の時です。物語にのめり込みながら読んだ記憶があります。そして、私にとって横溝正史は特別な作家の一人になりました。
 どうした訳か、この小説をそれから一度も再読していません。途中何度か映像化されたせいかもしれませんね。
 さて、今回ひさしぶりに再読してみて、感じたことは、「確かにおもしろいけど、この程度だったっけ?」という一種の戸惑いでした。
 なによりも違和感を抱いたのは文章です。私の好みの文章タイプとは、かなりの隔たりがあります。昔の小説だから仕方がないと思ってみたものの、最後までなぜか馴染めませんでした。昔、読んだ時は文句なしに堪能したのに・・・(^^;)

 私にとって、横溝正史はもはや特別な作家ではなくなったのかもしれません。そう思うと少し淋しいです。
 このままでは納得できないので、そのうち『獄門島』か『本陣殺人事件』を再読してみるつもりです。

評者:南 銀次郎  評価:☆☆☆☆

 初めて読んだのが十五の時だったろうか。本棚から引っぱり出して埃を払うと、帯には背広姿の渥美清の写真が印刷されている(古いなぁ)。挟んであった栞には映画「犬神家の一族」の優待割引券の文字が・・・。
 一時期、憑かれたように横溝作品ばかりを読んでいたが、いつからか物足りなくなり、疎遠になった。二度三度読み返した作品は殆どないため、思い出そうとしても曖昧模糊とした記憶の断片がちらつくばかりである。

 さて、再読は一気であった。いや、読みやすい。この独特のケレン味と読者へのサービス精神の旺盛さはどうだろう。テンポもよく、古さを感じさせない。
 厳めしい表現がなく、生きのいい日本語を用いた平易な文章で書かれているので、時代を経ても色褪せないのだろう。擬音語、擬態語が多く、エンタテイメント向きの文体である。
 ギャッ、ゾーッ、ニタリ、ギラギラ、テラテラ、ガクガク、ゾロリ、ガァーッ。
 およそ文学的とは言い難いこれらの言葉たちのオンパレードが、陰気で血生臭い主題が多いにも関わらず、どこか乾いた読後感を与えてくれるのだ。
 勿論、横溝作品の魅力の最たる部分は、金田一探偵そのものであるにしても、読んだ瞬時に音となり、目からではなく耳から入ってくるようなこの小気味よい文体こそが、次々と手に取ってしまう秘密であろう。
 再読の機会を与えて下さったこの企画に感謝したい。


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