【11月読書会】


《本のデータ》

 ミステリにおいては、物語は犯罪の露見から始まるのが常である。その犯罪が殺人であったとして、しかし殺人は終局である、そもそもそれは物語の結末ではないか。
 物語は−−犯罪は、ずっと前から始まっているのである。ある時、ある場所から……。やがて、あらゆるものがある一点に向けて集約されていく。即ちゼロ時間へ。
 一人の男と二人の妻、彼らを取り巻く人々が、それぞれ胸に思惑を秘めて一同に会する、汀の避暑地ソルトクリークを舞台に、来るべき終局に向けて、おそるべき犯罪計画が進行していく……。

 この作品は、ミステリの女王クリスティの面目躍如たる傑作として、多くのファンを獲得しています。知名度では映画化されたポアロものの諸作に劣りますが、その出来だけをとれば、彼女の数多の著作の中でもベスト5に入るとも言われています。未読の方には、この機会に是非どうぞ。




ネタバレありますので、未読の方は注意!!



《感想のコーナー》


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評者:友野健司  評価:☆☆☆☆

 典型的とはいえないかもしれないけど、解りやすいフーダニットでした。ゼロ時間へ向けて計画を進めているのは誰か−−それが物語の中心となっています。
 ネヴィルという人間をどこまでフェアに描ききれるかが、この綱渡りの最も肝心な部分なんですが、迷彩とするべきオードリーを−−甚だ矛盾した言い様になりますが−−こちらは描かずに描かなければならないという制約があるために、作者の筆はたいそう緊張したことと思います。構成面から考えると、最後に狙われる人間が必ず犯人の目指す被害者であるはず−−そうでないと、タイトルが無意味になる−−、そうした意味合いからも、オードリーに対する疑惑を読者に植え付け、なおそれを持続する必要が出てくるわけで、このあたりの仕掛けはクリスティならではの技巧に富んだものになっています。
 伏線もバリバリで、この繊細さこそ、クリスティが未だ読み続けられている最大の理由なのでしょう。感服しました。
 ひとつ残念だったのは、私がクリスティを読んでいたのは随分前のことなので、探偵役のバトル警視がどんな人物だったかほとんど覚えてないこと。他の作品での彼の活躍?を踏まえていれば、もう少し、別の意味で楽しめたのになぁ、と今更ですが思う次第です。

評者:ささき かずこ

 クリスティは時々変わった手法を使いますよね?「アクロイド殺し」や「そして誰もいなくなった」などがよく知られた例ですが、この「ゼロ時間へ」も変則的な表現の作品になっています。ただ残念なのは、それが今ひとつ成功してるとは言えない点でしょう。初めに読んだ時は、導入部であちこちに話が飛ぶのでなかなか焦点が合いませんでした。
 クリスティの良さは誰にでもわかりやすい伏線の張り方、人物描写の巧みさ、大きな破綻のない話運びなどだと思います。この作品でも、誰もが納得できる公正なヒントの出し方、そして解決になっていて読後感がいいです。それに、読み終えた後に、ミステリでなくラブストーリーのような気になったのは物語性もあるという事でしょうね。個人的にはポアロが話の中に出てくるところが気に入っています。これだけの描写で、ポアロがどんな人なのかわかってしまうあたりはさすがです(^-^)v

評者:めぐみ  評価:☆☆☆★

 じつは、クリスティが大好きです。そして私は、ミステリィではなく小説として読んでいるような気がします。昨今はやりの、健気にがんばる主人公や、これでもかというほどに内面を描き尽くす小説は、妙に感性が苛立っている時にはとても読む気になれません。しかし、新しいものを読む気にはなれないが、何か活字を読みたい、小説を読みたいと思う時、安心して読めて気持ちが落ち着くのはクリスティです。(E・ピーターズも然り。フランシスは、さあ仕事にかかろうと張り切っている時に、つい手にとってしまうが)。
 英国小説の伝統にしたがって、生活の情景が生き生きと細かく描かれ、作品世界が生きていると感じます。よく書けている小説の面白さがあります。もちろん多作であるからして、作品の出来不出来はありますが。
 そういう意味では、この「ゼロ時間へ」は、着想の妙にすぐれていて、かえって小説としての面白さを削いでいるような気がします。登場人物がごたついていると感じてます。
 私たちが、自分以外の人を理解するのは何によるのだろうか? 勝手な思い込みで理解していると思っているだけにすぎない。それでも、実態とかけ離れているかもしれない誤解の上に、何事も無く人生は過ぎてゆく、はず、なのですが。
 ネヴィル・ストレンジの、こう見て欲しいと思っている表面の裏の姿と、オードリイの捉え難い真の姿の、それぞれの落差が巧妙に隠されていて、さすがクリスティ。
 私の好きな大団円のロマンスつきですが、こういうのは不満です。おいおい、オードリィ、ほんとに彼でいいのかいと、思いましたねえ。

評者:南 銀次郎  評価:☆☆☆★

 推理小説の書き方には大きく分けて三つの方法があるのだと何かで読んだことがある。
 まずテーマありきの場合。そのテーマが最も消化できる話を考えて組み立てていく。次にトリックの場合。そのトリックを最も自然に表現するにはどうするか、から書き始める。三番目に、シュチュエーション。取り上げたい人間関係が根底にあり、人物(人間関係)重視で話を進めていく。
 この三通りのうちに当てはめるとするなら、クリスティは三番目を得意としていたようである。特に、愛と憎の設定がお気に入りだったのは一目瞭然。どの作品にも「愛だろ、愛」と書いてあるから(笑)。

 推理小説で愛を説くには、愛する者と愛される者とをできるだけ多く複雑に登場させれば話はいくらでも膨らむし、死人も増やせるのだが、読者が「この人誰だっけ?」と置いてきぼりを食らうと失敗である。  その点、(解説にも書いてあるが)、本当にクリスティという作家は、一つの場所に多数の人間を集めるのが巧いと思う。古い屋敷にガヤガヤと人間を呼び集めて、順々に人となりを読者に仄めかしていくその流れの自然さは他の追随を許さない。
 しかも、根底にあるのが「愛」であるから、読者は相関関係さえ把握すれば、あとは「実は○○は××のことが好きだったんだよ」と言われる謎解きまで、ああでもないこうでもないと気楽に推理を楽しめるわけである。このあたりがクリスティが女性に好まれるポイントかも知れない。
 この作品で言うなら、トーマス・ロイドやテッド・ラティマーあたりは、いかにもクリスティらしい動き方をするので、彼女の作品がお好きで読みこなしている方には、「こいつらぜ〜ったい犯人じゃないな」と、逆にバレてしまうのである(笑)。

 最後に、これは作者には責任のないことなのだが、少々訳に問題があるように感じた。情景描写が少ないこの作品では会話が命である。むしろ、会話だけで読者に背景を想像させるところこそに、クリスティらしい繊細さが存在するはずである。
 がしかし、惜しいことに、訳に難がある。訳し方が不味いのではなく、会話文が古く感じられ、読みやすい筈の作品の流れに逆行する負のリズムを生じさせているように思うのである。ようするに不自然なのだ。悩んだ末、評価は☆半分減じて三つ半とした。

評者:鴻池 賢  評価:☆☆☆☆

 クリスティ二作目という乏しい読書量から素直に楽しむことができました(^^)
 あからさまに怪しいネヴィルは当然、怪しく感じるわけがなく、怪しいと思えるオードリイが一番怪しいわけで、それをもう一度ネヴィルに振るあたりは見事と言えるでしょう。それに冒頭のバトル警視の娘シルヴィアのちょっとしたエピソードがうまく生かされています。ただシルヴィアとオードリイでは罪の重さが違うのでちょっと、と言う気がします。このあたりをバルト警視が読み切っていたとしたら出来過ぎなような気がします。
 これから起きる殺人のための殺人、つまり『ゼロ時間へ』ということになるわけなんですが、いささか技巧に走りすぎたような気もします。第一、トレシリアン夫人殺害が真相が明かされるにいたって殺人のための殺人ということもあって何かしっくりきません。こういう試みなのでそのあたりは多少割り引かなければならないのかもしれませんが。
 細かな点は気になるものの、全体的な評価は上々というところです。


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