【12月読書会】


《本のデータ》

 ヘレンがその若い夫婦と出会ったのは、故郷サンフランシスコに向かう列車の中だった。二人は−−ヒューとパトリスは、見るだに仲睦まじい夫婦であった、幸せそうな夫婦であった。他人にも優しい気持ちを向けられるほどに−−それは、片時、ヘレンのみじめな気持ちさえ癒やすものであった。しかし−−。
 身重な二人の女性。ヘレンとパトリス。二人の境遇にはあまりにも差がありすぎた。それは二人の、生まれてくる子供たちにとってもそうであったに違いない……はずだった。
 一瞬の暗転。列車の転覆を機に、運命は二人の立場を入れ替えた。幸福を身にまとった女は死に、不幸のただ中にあった女は生き残った。そして生き残った女は、死んだ女の持っていた幸せを手に入れた。ヘレンはパトリスとして第二の人生を生きることになったのだ。

 アイリッシュ(ウールリッチ)が駆使する言葉の魔法は、ここでも読者を夢の世界に誘う、これは小説を愛するすべての人に必読の書であると言えるでしょう。
 映画化されたこともあり、現在、手に取りやすくなっています。これを読まずに死んではいけない。本当に素晴らしい小説です。是非とも読んでみてください。




ネタバレありますので、未読の方は注意!!



《感想のコーナー》


スタッフはこの色  ゲストはこの色


評者:友野健司  評価:☆☆☆☆★

 素晴らしいのひとことに尽きます。
 小説の命は文章にあります。よって当然、ミステリの命も文章にあるわけです。たとえ話自体が面白くても、前代未聞の独創的トリックを用いていようとも、文章が下手だったりしたらそれは小説のかたちをとったミステリとしては失格です。言うまでもないことです。
 映画や漫画による代替のきかない、小説だからこそ、小説であるがゆえにこれだけの感動が生まれる。アイリッシュ(ウールリッチ)の魅力は、まずそこにあると言っていいでしょう。
 しかしながら……いや、相変わらずでしょうね……、プロットについては、あまり誉められたものじゃありません。アイリッシュだからこそ評価できる、他の作家だったら長編を保たせられないでしょう、そういう作品です。でも、いいんです。素晴らしいのです。
 ラスト3Pがなければ、もっと良かったかもしれない。効果は変わらないのに。冒頭部分と対置させるためなんでしょうが、こういう余計なものを付けてしまうのが、アイリッシュの欠点ですかね。逆に、それが彼の文章力の、狙っているわけでない、生来巧みである証明かもしれませんね。全部、筆の向くまま?

評者:山上智香子  評価:☆☆☆☆☆

 アイリッシュ(ウールリッチ)作品の特徴の一つは、冒頭の数行だろう。年々記憶力が減退している私の脳細胞も、十数年前に読んだ『幻の女』『喪服のランデヴー』の冒頭をしっかり記憶しているが、それは私だけじゃないかもしれない。『死者との結婚』の冒頭も、忘れる事はないだろう。

本作は、タイトルと登場人物紹介、そして冒頭の数ページを読んだだけで誰もが物語の展開を、容易に想像できるだろう。物語の大半を想像した後でさえ、私は1ページ毎に、また1行毎に胸を高鳴らせた。一人の若い女性の行き先を、車中から病室内に、そして大邸宅へと場所を移しながら、夢中で追いかけた。アイリッシュの美文に酔いながら追いかけた。

ミステリとは主題をどのように料理するか、どのように魅せるかにかかっている、と言ってもそう間違いではないと思う。その意味でミステリを書いたのは、アイリッシュただ一人だけ、なのかもしれない。

評者:めぐみ  評価:☆☆☆☆★

 これぞまさしく小説、どうしてこういう作品が日本では書かれえないのだろうと思うと悔しい。
 物語そのものを素直に楽しんだ、どういう展開になるのか、おおよそは予測がつきながら、しかし抵抗しようという気力すら持たないまま、1ページ1ページと甘美に酔いしれて、気がつけば、からめとられてしまっていた。そして、そのまま溺れている。
 往々にして、物語の不必要な細部が全体を殺す、あるいは、必要であるはずの細部の欠如が全体を殺していたりするものが多い中で、まさに過不足無く描き尽くされている。

 読み終えて、余韻にひたっていて、しかし徐々に恐ろしくなった。
 犯人探しのミステリィではないのだから、犯人の追及はおいておいて、と思うものの、やはり真の犯人は誰だったろうかと気になるところ。よもやそんな事はないはず、さまざまな事実はそのような読みを否定していると思いながら‥‥
 母親は必ずや子どもの幸福を願うもの、しかし、自分をだまし、さらに、残された息子をも奪った憎い女、その女を愛した息子への恨み、という心理もあながち否定できないかと‥‥まさか、そんなはずは、ない‥‥ない‥‥。
 タイトルの「死者」とは、誰をさすのだろうか?  考え出すと、奥行きの深い小説である(^^;)

評者:南 銀次郎  評価:☆☆☆☆

 好きな作家のうち、常に上位5名の中に君臨し続けている作家の作品を、今更ながら真面目に語るのは何とも面映ゆい。アイリッシュという作家は・・・・・・のあとが続かない。
 運命に翻弄されるか弱き乙女をこよなく愛し、あるときは善良な、そしてまたあるときは悪役で短編・長編を問わず作中にしばしば登場させ、流麗な文体で華奢な彼女を容赦なく痛めつけるのが得意な屈折した爺様だった。そのあまりの弄ばれ方に、読者は歯噛みし、酔いしれ、元から見え見えの結末がさらに確固たる確信に変わっても読むのをやめることができない。

 しかし、私は敢えて言おう。ヘレンの状況を察知して強請るスティーヴと、美人妻パトリス(ヘレン)のやりとりはあまりに安直に過ぎる。余韻を残してフェードアウトにもっていくのも、この作家の常套手段だが、この作品に関しては失敗であると思う。有耶無耶にしてはいけないことをぼかしすぎている。
 結局、スティーヴを殺したのはどこの誰か、真面目に読み進んできた読者を煙に巻き込みきれずに強引にラストに繋げている。これはまずい。
 スティーヴが登場するまで、つまり自責の念に駆られて告白しようかどうしようかと思い悩む、ヘレンの苦悩の姿が生き生きと描かれている160ページくらいまでで評価するなら、この作品は間違いなく五つ星だが、後半でかなりの減点をせざるを得ない。しかも後半になればなるほど、ヘレンの魅力は半減する。赤ん坊のために告白を思いとどまった彼女の意志の強さ、善良さは影を潜め、ただおろおろとするだけで、ワンパターンだ。

 これを最初に読んだ人は、「アイリッシュってたいしたことないね」と言うだろう。それは困る。彼の筆はこんなものではないのだから。
 私のおすすめは『黒衣の花嫁』『喪服のランデヴー』『暗闇へのワルツ』。是非続けてお読み下さい。


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