犀川大橋


平野部にある長い橋、以前は鉄骨のトラスでできたものが少なくなかった。遠くからでもよく見え、渡るときは覆いかぶさるような、あるいは降りに囲まれたような圧迫感を感じたりしたものだ。その一方で、いかにも丈夫そうで安心感もあった。当然、橋を強く意識し、川もまた意識した。圧迫感がある一方で、どこかわくわくするようなところもあった。トラス構造の橋、以前は鉄道も道路も結構多かったが、最近は少なくなってきている。工法の変化はもちろんあるだろう。また、トラス構造の橋はたとえば車を運転する側から言えば圧迫感で実際以上に狭く見えて走りにくかったりする。そして、鉄道橋では騒音の問題もある。
こういう理由などで鉄骨トラス構造の橋は少なくなっているのだろうと思う。特に高速道路などでは、もともと高いところを走ったりする。橋を渡っていても気がつかなかったりする。これはある意味、地形を意識することなく、走りやすいともいえるのだが、私のような”巨大建造物好き”には物足りなく感じたりする。

犀川大橋は、数少なくなった鉄骨トラスの橋である。金沢の市街地では、他には天神橋、中島大橋などがある。現在架け替え中の御影大橋も完成予想図ではトラスになるらしい。犀川大橋の一番の特徴も、数少ない鉄骨トラスであることだろう。この付近の川幅は約60m。犀川大橋は、これを一気に渡る。この橋の完成は大正13年。その直前の橋はコンクリート製で大正8年に架けられた。丈夫なはずだったこの橋、わずか3年後に洪水で流出した。次に架けられた現在の犀川大橋は、当然のことながら待ったく別の構造で作られた。トラス橋で一気に渡るのは、橋脚を避ける意味もあったようだ。
トラス橋はさび止めの意味でも、ペンキ塗りは必須である。普通は1色に塗るが、犀川大橋は下は青で上は薄い空色。途中はその中間の色、と数色で塗り分けられている。同系色であり、また鉄骨上部の色が目立つので気がつきにくいが、見事なグラディエーションである。そして、鉄骨をよく見ると細かな部材をリベット止めしてくみ上げているのに気がつくことだろう。現在なら、たとえトラスにするとしても太いH型の鋼材を1本、使うことだろう。しかし、犀川大橋は1本の柱は数本の細い部材に、小さな部材をリベット止めして1本の柱にしている。隙間が多く、鳥籠みたいな感じともいえる。犀川大橋のこの柱、1本の太い鋼材よりも当然、軽く作ることができるだろう。しかし、作るのに手間がかかる。鋼材が高く、人件費の安かった時代ならではの構造である。それだけに、どこか工芸品を見るような思いがする。もちろん、今となっては貴重な構造である。

犀川大橋は、金沢の中心部を横断する国道157号線の橋である。古くは北国街道でもあった。この道、金沢の中心を抜ける、最も重要な道の一つである。それゆえ、交通量は非常に多い。朝夕はもちろん、昼間も渋滞がもしょっちゅう起きている。そして金沢の繁華街も近いため、歩行者も少なくない。更に、観光客もいる。金沢で一番交通量の多い橋かもしれない。以前は路面電車も走っていたため、橋の幅は広く、強度も十分あり、4車線が必要な現在でも架け替えることなく使われている。この橋が残ったこと、非常に幸いなことだと思う。

さて、現在の犀川大橋付近、川幅が狭くなっている。江戸時代以前、この近く、片町は犀川の河原であった。それが、町の発展に伴って埋め立てられ、町となったのである。現在では洪水防止のために川が掘り下げられている。犀川大橋直後の堰もあり、橋のあたりを見下ろすと非常に深い青緑色をしている。流れも緩やかである。橋からの風景も美しい。犀川にかかる橋とその先の山々。川沿いの町並み。一番金沢らしさを感じる風景の一つである。歩道広く、ベンチが置いてあったりして楽しめる。

さて、犀川大橋を訪ねたなら、すぐ近くの雨宝院に寄ることをお勧めしたい。
ここは室生犀星ゆかりの寺である。中には様々な品も展示されている。お寺からの川の景色も良い。犀星に興味をもたれたなら、更に室生犀星記念館もお勧めしたい。また、蛤坂からの景色もよいだろう。

橋の名前・・・。川で唯一、川の名のついた橋である。まさに犀川を代表する橋である。

片町方向から。

額のようになった橋の橋名板もあり、一層堂々としてみえる。
蛤坂方向から。
犀川の遊歩道より見上げる。
拡張した歩道が曲線を描いているのが見える。
トラスの鉄骨。
柱は1本の鋼材ではなく、複数の部品をリベット止めして仕上げてある。男性的で無骨な感じの橋ではあるが、近くでもりととても繊細である。
ここから見ると橋の塗りわけ、グラディエーションが分かりやすい。
犀川大橋は、有形文化財にも指定されている。

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