新橋(尾張町)

枯木橋のすぐ近く、浅野川寄りにある橋である。枯木橋同様、東内惣構堀に架かる。新橋は、犀川にもあるので、タイトルは新橋(尾張町)としたが、以下は単に”新橋”と書くことにする。

名前からすれば新しい橋なのだが、実際はかなり古く見える。橋の欄干には、彫も浅くなっていて判別しにくいのだが、どうやら明治廿年、と彫られているようだ。とすれば、今の枯木橋より更に古いことになる。但し、枯木橋自体は今より古い橋が架かっていたのだから、それよりは新しい橋、といえる。

新橋、私見も入るが、枯木橋より新しい橋、の意味で付けられたのだと思う。枯木橋や新橋の架かる東内惣構堀は、金沢を守る重要な堀であった。このため、橋は数箇所程度に抑えられていた。新橋は、すぐ近くに枯木橋があるため、藩政時代には橋はなかったことと思う。明治になり、惣構堀の意味が薄れ、町の発展と共に橋が必要になったと考えられる。新橋の浅野川寄りは主計町。茶屋街である。そのために人の行き来もそれなりにあったのだろうか?

新橋は、橋自体は小さく、目だったところのない橋である。ここを通る人も、橋を特に意識することなく通り過ぎてしまうだろう。惣構堀も堀の上に覆いかぶさるように家が建っていたりして目立たない。しかし、金沢の城内への入口的な枯木橋よりは気楽な橋だったのでは? と思ってしまう。とはいえ、橋の欄干や石碑には100年を越える風格がある。
何かの機会にちょっと見て欲しい橋である。

橋の欄干に彫られた文字。
うっすらと”明治廿年”の文字と、”新道”の文字が見える。

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