北長門橋/養智院新橋、養智院橋、長門橋

北長門橋/養智院新橋大野庄用水に架かる橋である。しかし、非常に不思議な橋である。
まず形状である。養智院の対岸から見ると、橋の先がないように見える。この橋の上流には養智院橋があるのだが、そこから見ると橋の先がないように見える。では大野庄用水はどこに行ったかというと、北側70mほど先にいきなり現れてくる。これを図にするとこのようになる。

おそらく、流れは点線のようになっているのだろう。この部分は暗渠になっている。この形状だけなら他にもありそうだが、これがひとつの橋のように名前がついている。図のAとB、どちらも流れに面した部分は欄干があって橋の形状をしている。そして、どちらにも”北長門橋”の名称が刻まれている。
長門(ながと)の名称は、この地が元長門町であったことによるものだろう。長門町は、ここに加賀藩士の山崎長門の邸地があったことからつけられたという。

この形になったのは、おそらく道路が拡張した時になったものだろう。元はどんな形だったのだろうか? 道路を基準にすると無理に捻じ曲げたように見えてしまうが、藩政時代は別の道路があったはずだからそう不自然でもないのかもしれない。

ところで養智院新橋である。図のCの位置に、親柱(欄干の端)らしい石柱がひとつだけあり、それに書かれている。大野庄用水は、この位置で一度道路の端まで出ているようだ。とすると、北長門橋を2つに分けて南側に養智院新橋の名前がついているようにも見える。橋の構造と名称、実に不思議な橋である。

図のAにある親柱。北長門橋の文字が見える。
図のBにある親柱。こちらにも北長門橋の文字が見える。
図のCにある石柱。”養智院新橋”文字がある。
写真の奥にあるのが養智院。
図Cの位置からB方向を見る。
大野庄用水は青の点線のように流れているようだ。
北長門橋の隣にある養智院橋。
これはさらに上流にある長門橋。


写真撮影: 2014年7月

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