成瀬家の石垣
兼六園近く、八坂などを降りて街中を進んでいるとこの石垣が目に付く。角が窪んでいてそこにはお地蔵様がある。そして、その隣には小さな川と橋があり、川を挟んで大きな土蔵もある。周囲は住宅地。ちょっと異質に思える空間である。
この川、藩政時代は東外総構堀であった。金沢の町の守りの要である。街を囲む堀というと、小田原や京都などにあるが、金沢にもあった。小田原攻めの際に街を囲む堀や土塁の有用性を実感して急ぎ作ったといわれている。今は堀といっても水がわずかに流れているだけであるが、以前は広かったであろう。ここは、土地が一段低くなる場所である。堀などがあれば十分な守りになったことだろう。そして、要所に重臣の邸宅を置き、守りの要としたそうだ。ここは成瀬家の屋敷があったそうだ。その名前は旧町名として残っていた。成瀬家、8000石とも言われている。加賀藩では、加賀八家と呼ばれる家老は全て1万石以上であった。つまり石高から言えば大名に相当する。だから8000石は多いとはいえ驚くほどではないのだが、他国では家老といえどもこれだけの石高となることは少ない。
石垣、この場に立ってみると城の石垣を思わせるほどの高さがある。堀と石垣、おそらく十分な守りになったことだろう。
さて、金沢に街角には他にもお地蔵様などがある。撮影目的できていると、通りかかる地元の人と出会うことも少なくない。そして、多くの人がごく自然に手を合わせて前を通る。生活の中に生きているように感じる。きちんと管理されているところが多い。わたしも撮影させて頂く前にお参りをしている。
東外総構堀を挟んで土蔵がある。 時代は違うと思うが、似合っているような気もする。 |
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石垣の隣は東外総構堀になっていた。 細い川はその名残である。 |
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お地蔵さまにはいつも花が飾られている。 |
写真撮影: 2009年4月、5月