兼六園の煉瓦塀



注意; 本内容は、文献による確認が出来ていません。あらかじめご了承願います。

兼六園、一番南の小立野口から入ると左に伝統産業工芸館が見える。その先、伝統工芸館への入り口の先に煉瓦塀が見える。この塀の奥は成巽閣の庭になる。煉瓦塀の裏には白い漆喰と板の土塀が見える。

兼六園、言うまでもなく和風の庭園である。そんな中に洋風の、煉瓦というと違和感を感じてしまう。実際には、煉瓦塀はかなり古く、木々の下になるからかやや暗くて落ち着いているし、短いのでそんなに目立つわけでもない。しかし、煉瓦塀は異質である。

この煉瓦塀、解説も何もない。近くにいた伝統産業工芸館の人に聞いてみると、”この塀は天皇の警護のために作られたもので、最初は300m位伸びていたけど、取り壊されてここだけが残った”とのことである。
早速インターネットで調べてみたけど、煉瓦塀について書かれたものはほとんど見つからなかった。また、ならば文献でと思ったけれどこれまたない。図書館で調べたのだけど、調べ方が悪かったのか、みつからなかった。兼六園のいろんな写真はあるけれどこの塀に関してはようやく1枚見つかったものの何の解説もない。
ということで確証はなにもないのだが、この塀、煉瓦をきちんと積んだものでしっかりとしたものである。高さも2m以上。天皇の警護というなら十分である。

金沢、いろいろと細かく解説したりしているのに、都合の悪いものは一部無視したり隠したりしている。金沢城の石垣に旧陸軍が開けたアーチ状のトンネル、これまた解説はないし、木を植えて隠している。トンネルがあるのは事実だし、城のなかにある旧陸軍の建物には解説もある。こういうものこそ解説をするべきだと思う。とても重要なことなのだから。

それにしても・・・この煉瓦塀、もともと人通りが少ないところであまり目立たない。反対側にばかり目が行くだろう。気がついた人はどのくらいなのだろうか?


写真撮影: 2011年8月

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