松風閣庭園
加賀百万石と言われるが、所領の最大は120万石で、大聖寺藩と富山藩を分家した後で本家が102万石であった。その中で加賀八家(家老相当)は全て1万石以上なので大名並みということになる。その中で最も大きな本多家は5万石である。本多家の邸宅は兼六園の近くにあり、その地は本多町として名前が残っている。
松風閣庭園は、本多家の庭園である。長い間個人所有の庭園であったため、一般公開されていなかった。その後に放送局の社屋敷地内となったが、やはり一般公開はされていなかった。特別に公開されるのみであった。
庭園は、江戸時代初までは「霞ヶ野」と呼ばれる沼や沢のある原野であり、その後本多家の屋敷地となり庭となった。沼は霞ヶ池となり蓬莱島を浮かべ、崖と自然林を生かして池泉回遊式庭園として作庭された。茶人、金森宗和好みの庭園に仕上がっているという。庭園の位置は下屋敷であるが、後に上屋敷から松風閣が移築されている。
庭園は、今までは放送会社のビルから少し見ることができるのみで特別な日に一部公開されていただけだったのだが、鈴木大拙館の開館に合わせて一部見学することができるようになった。
あらためて見た庭園、第一印象としては寂しくも思えた。しかし、写真撮影のために改めて庭園を眺めてみると魅力的であった。樹木や苔が非常にすばらしい。雨の日で苔の美しさが強調されたためかもしれない。兼六園に比べると木々は大きくそのために暗さも感じる。その一方で池は明るく、対照的でもある。
松風閣庭園は、金沢の武家の庭園として非常に貴重である。
この庭園、歩けるのは一部のみで飛び石の上のみとなる。これは注意してほしい。庭園の苔を痛めないために・・・。
松風閣です。 上屋敷から移築された建物です。 |
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写真撮影: 2011年10月