賢坂辻通りとその周辺の坂
槌子坂、梅ヶ枝坂、剣坂



賢坂辻通りの坂

賢坂辻通りは、兼六園下から東に向かう道路で、今は国道159号線になっている。兼六園仕方から東に進むと急な坂道を下る。その坂を下りたところが賢坂辻である。通りの名前に賢坂が入るのだが、この坂が”賢坂”というわけではなさそうである。この坂を下りたところに石柱があり、”元は丘陵地の先端でもあることから昔は剣先が辻と呼んだ”と書かれているので、坂とは関係のない地名のだったかもしれない。(文献では”剣坂”の記述もあり、この坂の可能性もある。後述。)
坂は短いが結構急で、高低差もあるので東側から見ると壁のように見える。坂の途中に東外惣構堀が横切っている。片側は水の流れが見えるが反対側は店の下になっているようで全くみえない。

坂の下から見る。
坂は短いが高低差は大きい。
見方によっては、坂は壁のように見えてしまう。
坂の途中にある東外惣構堀。
建物の1階分以上の深さがある。
上の写真の反対側。
惣構堀はあるのだが建物の下で、道路からは全く見えない。

写真撮影日: 2012年1月

槌子坂


槌子坂は”、賢坂辻通中ほどより、味噌蔵町上中丁に下る坂”、と記載されている。味噌蔵町上中丁は、味噌蔵町小学校の兼六園側になる。現在の地図で該当するのは賢坂辻通りの”兼六元町”交差点から味噌蔵町小学校に向かって降りる坂となる。この坂は短く、すぐに学校に突き当たる。右に曲がり更に進むと下り続ける。

さて、槌子坂をWebで検索していると、槌子坂は小姓町の中ほどにあり、草が茂り水が流れて昼でも何か気味の悪い道とあり、この場で大きな横槌の妖怪が出る、との話しが見つかった。この場所は小将町とは異なるし、水が流れ、というのとも違いそうな気がする。むしろ小尻谷坂の隣にある坂が近そうな気もする。


坂の降り口のタバコ屋。昔ながらのタバコ屋の雰囲気がある。
味噌蔵町小学校から賢坂辻通りを見る。
角を曲がった先の坂。
緩やかに下り続ける。
坂を降りたところから。
坂は感じない程度である。


写真撮影日: 2012年1月


梅ヶ枝坂

梅ヶ枝坂は、”賢坂辻通りの坂頭より味噌蔵町の丁へ入るところを云う”とある。東外惣構堀の内側になる。
賢坂辻通りの坂を登りきったところにあり、ゆっくりと曲がりながら最初は急に下り、その後緩やかな坂となつ。その先は味噌蔵町小学校の角に至り、槌子坂からの道と交差する。
この坂で、片町の老舗の祖先が鬢附製法の書物をここで拾い、繁盛したという。その製品は”梅ヶ枝”だそうだ。書物は拾う、というのも不思議だし、しかも製法が書かれているものというのがとても不思議である。
ところで梅ヶ枝はなに? Webで検索を掛けたがはっきりしなかった。

急な坂を降りたところから見る。
かなり急である。
その先の緩い坂から見上げる。
狭い通りであり、古い家ものこる住宅街である。

写真撮影日: 2012年1月

剣坂

”賢坂辻通りより材木町三丁目へ下る坂”とある。材木町は東外惣構堀の外側にあるため、 賢坂辻から東外惣構堀の外側の道になる。ここが三丁目であった。この道は坂にはなっているが勾配はほとんどない。
一方、”田町から中口へ至る要路”ともある。田町は現在の賢坂辻の東側になる。”中口”が不明であり、対応が難しいが、賢坂辻には外総曲輪で左右に土居が迫り老樹が茂り・・・とある。ひょっとしたら、現在の賢坂辻の兼六園側にある坂? とも思えてくる。藩政時代の地図を確認すると、現在の坂のあたりに橋が書かれている。ここが惣構堀の門、としたら”要路”が納得できる。ひょっとしたら賢坂辻通りが剣坂? と思えてしまう。剣坂は”けんさか”とも読めるのでなおのことそう感じる。

坂の下から見る。
坂は緩い勾配である。”坂”と認識するほどではない
と思える程度である。
坂の勾配は緩い。
門の水平の部分を見ると勾配があるのが分かるが、
坂を意識することはそれほどないと思う。



写真撮影日: 2012年3月

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