博物館の旅、斎宮(三重県)
私は博物館めぐりが趣味である。1990年5月から記録を取っていて、訪問した数はこれを書いている2006年12月12日の時点でまもなく1500館になる。(海外も含むが、僅かに2館。誤差みたいなものである) 日本にある博物館、博物館協会などに加盟しているものだけで4000館以上といわれているが、協会などに加盟していない小さな資料館も多数ある。多分、合計すると一万館以上はあると思う。とすれば、1500館なんて言っても約1割にしかならないわけである。
さて、数を記録していると、数を増やすために行く、ということもやはりある。普通ならば見なくても良い所、あるいはあまり興味のない所にも行く。たとえば五箇山や白川村などの合掌造りの民家。数軒が公開されている。建物も価値があるし、養蚕関連などの農機具や、生活道具なども展示している。だから、資料館相当と考えても良い。しかし、展示はどこも似たようなもの。建物も違いはもちろんあるが、大きく違うものでもない。だから、普通なら1軒みればそれでよい。入館料、高くはないが、安くもない。多くの人は多分、1軒2軒見ておわりだろう。それで十分、合掌造りのことを知ることができる。だけど、私の場合はそうはいかない。違いがあるかどうかなんて関係はない。ここに資料館相当の施設があるから入るのである。しかし、公的な資料館を除けば似たようなもの。さすがに数軒まわっているとうんざりしてしまう。
だけど、数を増やすことは無意味ではない。たとえば陶芸。私は余り関心はなかったが、九谷焼などの資料館を回っているうちに関心を持つようになってきた。これは良い例だろう。そしてもう一つ。全然知らなかったことにめぐり合うこともある。博物館は学習の場であるから、新しく知識を得ることは少なくない。それでも、新しく知るのはその一部、という感じである。その分野を全く知らない、なんてことはまれである。だから、博物館に入ると、既に知っていることと新しく知ることが混じっている、という感じである。それでも、ほとんど知らないことに関する博物館これはとても新鮮である。一つ紹介してみよう。
”斎宮”あるいは”斎王”(さいおう)をご存知だろうか?
実は、私は全くしらなかった。斎王、これは天皇に代わって伊勢神宮に仕える女性で、天皇の代替りごとに皇族の中から選ばれて、都から伊勢に派遣された。制度上最初の斎王は670年頃に始まり、制度が廃絶する1330年頃まで約660年間続き、その間記録には60人余りの斎王の名が残されている。そして、斎宮はその斎王の住まいであり、役所の意味合いもある。三重県の明和町に置かれていた。神事に関する人や財政、警備、医療などの役目を担う人々は約500人。これだけでも地方の国府などより多い。更に、斎王の身の回りの世話をする女官などもいた。京を離れてこれだけの貴族を中心とした場所があったのである。その地位の高さから、並みの貴族以上の生活がここに営まれていたことだと思う。なお、斎王は「いつきのみや」とも呼ばれている。
斎王と斎宮に関する博物館は、斎宮のあった場所にある、斎宮歴史博物館である。私の場合、博物館訪問に行くときは、その付近にある博物館的施設を調べ、ルートを決める。なるべくその地にある博物館を逃さないようにする。ところどころに未訪問の博物館か残ると次に行きにくくなるからである。このときは、松阪などとあわせて6館、帰りに予備として津付近の3館を選んでいた。合計9館であるが、行ってみると知らなかった博物館があることは珍しくなく、この日も合計11館になった。多いようだが、15分程度で見られる小さなところもあるのでそう難しくはない。話が長くなったが、斎宮歴史博物館はその中の一つでしかなかったのである。話が前後してしまうが、行く先を決める際、ここは行きたい! と思う博物館ももちろんある。あらかじめWebその他で調べて規模が大きかったり、興味のある展示があると思う博物館である。そういう場合はあらかじめ時間を多くみておいたりする。もっとも、期待に反することも結構あるので、訪問の予備は欠かせない。しかし、今回はそのようには見ていなかった。斎宮歴史博物館、近くには、いつきのみや歴史体験館もあり、また町立の資料館もある。比較的まとまっていて数を増やすには都合が良い、としかみていなかったのである。
この日、斎宮歴史博物館を訪れたのは12時少し前だった。広い公園の中にあり、ゆったりとした感じのある建物である。薄い茶色を中心とした色で、曲面も生かした建物である。入り口への通路、石を敷いたり水を生かしたりして心地よい。しかし、ちょっと歩きにくくもある。その通路から見た館内、ガラスに花のような淡い模様が目に付いた。建物の雰囲気をあわせ、優雅さを感じる。
ロビーから展示室に向かう。展示室への途中には、建物の模型があり、ボタンを押すとその地下にある遺跡が浮かび上がる。ここは遺跡の上にあり、遺跡を傷つけないように立てられている、との解説がある。広い公園も遺跡を保護するため、と納得する。
そして展示室に入る。12:15から映像展示が始まる、と聞いていたのでつい手早く、と思ってしまう。映像、時間がかかるけど有意義なことが多く、なるべくなら見たいものである。展示室1は、入り口に葱華輦(そうかれん、輿の一種)や貴族風の衣装の人形が見える。壁には半透明の紗幕が垂らしてあり、貴族風の優雅さを感じるな、と思いながら展示をみる。小さなケースの展示の解説を読む。
斎王の旅立ち? 占いで選ばれて世俗から切り離される? 天皇の代わりに伊勢神宮に? なんだか思いがけない言葉が一気に飛び込んできてしまい、理解も何も出来ないままあふれてしまった。まてまて、そもそも斎王とはなに? 最初に戻って、説明を細かく読み直して理解できた。”天皇に代わって伊勢神宮に仕える姫”とある。皇族の未婚の女性の中から占いで選ばれた。当時の斎王、重要な役割であったようだ。葱華輦に乗ることができるのは、皇后と皇太子、そして斎王であった。(天皇も略儀には使用) しかし・・・全然知らなかった。歴史の教科書には載っていたのだろうか? 記憶がない。
気をとりなおして展示を見る。展示室1は、斎王が斎宮に行くまでと斎宮での暮らし、そしてその後に関する展示がある。斎宮での斎王の暮らし、これは優雅なものだったようだ。伊勢神宮などでの行事は必要であるが、年中あるわけでもない。それ以外は、貴族としての暮らしがあった。もともと皇族女性の中から選ばれているのだから、貴族としても高い暮らしができたのだろうけど、食事や衣装を見ているとやはり格別のもの、と思えてくる。食事の展示もあるが、鯛の刺身にスズキの刺身、コイのなます、あわびのスープ、鯛やサザエの焼き物、蒸しあわび、そして菓子類に果物。山のように盛られている。もっとも、これらを全て食べるのではなく、食べ切れなかったものは斎宮の人々に回ったらしいけれど、貴族の中でも最上級の食事であったことだろう。そして、普段の生活としては、上級の貴族と同様、優雅な生活だったらしい。しかし、斎王でいる間は世俗を切り離された生活となる。当然未婚のままだし、任期も決まってはいない。ある意味では非常に不自由な生活を強いられるわけである。任を解かれたあとも多くの斎王は未婚のままだったそうだ。斎王に選ばれること。そして、優雅な生活があるとはいえ、都を離れての暮らし。どんな気持ちで赴任したのだろうか?
大いに考えされた。それと同時に、斎王という存在に惹かれてしまった。どこか悲劇の主人公、見たいなイメージもあるからだろう。
ところで、斎王は伊勢物語や源氏物語などにも書かれている。それに関しての展示もあった。
続いて映像を見る。この回は、斎宮跡の様子や、いつきのみや歴史体験館などを紹介していた。映像の内容、時間によって違うようだ。この映像展示の周囲には、小袿(こうちぎ)や鏡なども転じ咲いてあった。小袿は貴族の女性の普段着である。普段着といっても貴族のもの。地模様の上に金や銀の糸で刺繍のような模様がある。このあたり、能の衣装を簡単にしたような雰囲気もある。美しい。ますます斎王に惹かれてしまった。
展示室2、これは発掘の様子などが中心となる、斎宮の模型などもあるのだが、どこか普通の博物館に思えてしまう。展示室1や映像展示室が貴族の暮らしで優雅であったからかも知れない。だけど、発掘品の年代を順に並べたり、発掘品の破片を組み立てる、といったクイズ的な展示もあって面白い。また、斎宮の模型もよくあるような展示ではあるが、CGでの仮想的な散歩も楽しめる。現代風の展示になっている。
さて、斎宮跡にはもう一つの博物館的施設がある。いつきのみや歴史体験館である。ここは、貴族の遊びなど、さまざまな体験が出来るのだが、実は建物も平安時代の貴族の住まいであった寝殿造をモデルにして木で造られている。
一番の体験、やはり十二単の試着だと思う。これは予約が必要であるが、人気があるそうだ。有料だけど、写真も撮影してくれるので手ごろだと思う。(と書きながら値段は忘れた・・・) 張り紙には”男性もどうぞ”と書いてあったのだが、私にはとてもそんな勇気はない。でも、別の博物館で似たような衣装の試着があり、十二単を着てみたい、といった男性もいるそうだけど、そこでは断っているそうだから、希望者もいるのかもしれない。そこでは、女性の男装は認めていたのだが、まあ、中年男性の十二単姿なんてとても見られたものではないと思う。
このほかに貴族の遊びである、貝覆いや盤双六、蹴鞠などが体験できる。貝覆い、これは貝の模様を見て選んでもなかなか合わなかった。なかなか面白いと思う。
この近くには、斎宮の1/10の模型もあるし、斎王の森、歴史の道などが整備されている。テーマミュージアム、ともいえる。また、少し離れた所には隆子女王の墓もある。ゆっくり時間を掛けて散策したい場所である。
交通案内:
斎宮跡は、近鉄斎宮駅すぐ近く。斎宮歴史博物館は駅から徒歩15分。
駐車場あり。