えんしょう坂

犀川大通、涌波あたりから緩い坂を上ってゆくと小立野台の崖の下に出る。崖の下、ちょっと高いところを辰巳用水が横方向、崖に沿って流れている。えんしょう坂は、辰巳用水を渡ったところから始まる。階段状の細い坂道で、曲がりくねっている。もちろん車は通れない。坂道を登ったところは土清水のバス停あたり。車の交通量は少なくなく、道を歩くのもちょっと怖い。このあたり、家は多いが、坂はそんなに人の行き来があるようには見えない。もちろん、崖下の人がバスを使うには便利だろう。だから、朝晩には結構人が行き来するのかもしれない。

犀川と浅野川に挟まれた小立野台地は、このあたりで最も幅が狭くなる。ここから福光町へ抜ける道がここから分かれる。この、福光方面に向かう道。これは塩硝の道とも呼ばれていた。塩硝、すなわち煙硝。これは火薬である。富山県の奥、山に阻まれた五箇山。ここで作られた煙硝は、塩硝の道を通ってここに運ばれてきた。えんしょう坂は、塩硝の道の終点でもある。
ここに運ばれた煙硝は、辰巳用水の分水を使った水車により細かく砕かれ、火薬として仕上げられ、火薬庫に保存された。それがこの近く、涌波堤公園あたりであったといわれている。
そう思ってこのあたりの地形を見ると、片側は崖になったこのあたり、火薬の貯蔵には良い場所に思えてくる。もし事故があったとしても崖の下のこと。爆風も崖にさえぎられて抑えてくれそうに見える。また、辰巳用水があるのだから、水を引き込んで延焼防止もできるかもしれない。
もちろん、いまはそんな物騒な感じもなく、新しい家も増えてきている。かっての火薬庫も、今は公園となって子供の遊び場となっている

えんしょう坂近くで別れ、畑や水田の中を走る辰巳用水の分水。この水はこの近くの農地を潤していた。
今では宅地化が進んでいる。
涌波堤公園の裏手を滝のように流れ落ちる辰巳用水の分水。

かってはこの水で火薬製造の水車が動いていたのだろうか?

えんしょう坂の由来の看板。