石引町の坂

石引町には坂が多い。
ここはかっては武家地や寺社地であったが、現在は住宅が多くなっている。小立野台地は、嫁坂より城側は急な崖となっている。このため、今でも崖のまま残り、木々が茂っているのだが、嫁坂より南側では崖もやや緩やかとなり、傾斜地に家が並んでいる。このため、家への行き来が必要となってか、他の場所に比べると坂が多くなっている。
石引の坂、現在の石引2丁目、4丁目には、嫁坂、新坂、二十人坂、白山坂、亀坂と、名前のついた坂だけでも5つある。
このほかに、名前のない坂がいくつもある。無名の坂には短いものや4車線の幹線道路もあるが、風情ある坂もある。ここでは、石引町の無名の坂を紹介する。無名ゆえ、たとえば”菅原神社横の坂”見たいな感じになってしまい、すっきりした書き方ではなくなってしまうが、勝手に命名もできない。ご容赦願いたい。なお、名前のついた坂は別に紹介しているので、そちらを参照のこと。



菅原神社横の坂


菅原神社の隣から降りる狭い階段である。
坂としては直線的であるが、小さな曲りが多く、先は見通せなかったりする。先がわからないことでどこかわくわくする。そんな雰囲気がある。このあたり、暗がり坂とどこか通じるものがある。しかし、坂としては長く、見通しも良い。

この階段、非常に歩きにくい。まっすぐではなくて曲がっていることもあるが、地下に排水の設備か何か埋めてあるのか、その点検口らしいものがあり、段を乱している。また、段そのものがちょっと乱れているようにも感じる。たいしたことではないのだが、そのわずかなことでちょっと歩きにくく感じる。

坂を降りたあたりは住宅街なのだが、道が入り乱れていて複雑である。この付近、勘太郎川も流れていて、地面の凸凹が激しい。それもあって、道路も入り組んでいるのだろう。行き止まりの道もあったりする。実際に歩いているとなかなか目的の方向に行けない。慣れないうちは方角を意識してあるかないととんでもない方向に行きそうな気もする。ま、狭い範囲なので迷うことはあまりないかと思うが・・・。


この坂であるが、藩政時代の地図にもそれらしき坂が書かれている。ただ、この坂は他の坂に比べて狭いので、地図にある坂が現在の坂と同じかどうかは断言できない。このあたり、藩政時代には武家の屋敷などが多数あったので、坂の上との行き来も多かったことだろう。

坂は曲がりくねっている。
段の幅は一定していなくて、歩きにくい。
だが、それでも魅力ある坂である。
坂の降り口にある菅原神社。
坂は、神社に向かって左隣から下に下りる



二十人坂隣の坂

欠原町の坂から降りてゆく坂である。菅原神社横の坂から二十人坂寄りになる。菅原神社横の坂は階段であるが、この坂は急ではあるが、自動車も通ることのできる坂となっている。欠原町の坂からはまっすぐに降りるが、その後枝分かれして行く。中には行き止まりになる道もあり、複雑である。分かれた道の中には、二十人坂に合流する道もある。

道が複雑であり、曲がりくねっていることもある、通るのは近くに住む人のみでは、と感じる。生活道路である。

坂は曲がりながら分かれ、降りてゆく。
非常に複雑で、見通りも利かない。



真行寺隣の坂

向欠原町の坂から上に登る。真行寺と慶恩寺の間を抜ける。短い階段であるが、両側が石垣になっている階段で、しっかりした造りと感じる道である。階段だから当然歩行者専用である。車は欠原町の坂を通って二十人坂や新坂に回ることになる。歩く場合、二十人坂と南北方向に交わる道が少ないので、ここを通ることになるかもしれない、と思う道で、その場合でも通るのは近くの人のみ、と感じる。ただ、坂を上ったところには保育園(幼稚園?) があるので、朝は園児が通ることだろう。

坂の上から写す。
欠原町の坂越しに寺町台が見える。

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