モンティ・パイソン大全

著者:須田泰成
出版社:洋泉社
出版年:1999
ISBN:4-89691-362-0

 「モンティ・パイソン」のことを友達も知っているにもかかわらず、それを話題に出すと空気が凍りついてしまう、といったような「取り扱いに困るもの」がモンティ・パイソンなのだそうだ(「まえがき」)。このあたりは実をいうと私にはよくわからない。「スペインの宗教裁判、面白かったよねえ」などと盛り上がってしまうような気がする。
 日本での本放送(吹き替え版)をキャーキャー言いながら見た世代と、あとからLDで追っかけた世代の差だろうか。こちらが面白いと思ったことを、相手が面白いと思っていなかったとわかると気まずい、ということなのかもしれない。

 実際、何がおかしいのかよくわからない部分もある。イギリスの社会や歴史への理解不足やセンスの違いのためか、それとも何か、「その時期、その場所」にいなかった人には絶対にわかりっこないたぐいのネタなのか、そのあたりは不明だが、深く考えずにそれらをあっさり飛ばしてしまっても、まだまだ面白い部分がたっぷり残っている。

 しかし、モンティ・パイソンは高尚なものであり、理解できないのは教養のなさゆえ、と考えているとか、あるいはとにかく全部理解できないと気がすまないという人々もいると思われ、そういう人々のためにTVで放送された全作品にわたって、何がオカシイのかをくわしく解説し、「わからない部分には、ただのローカルネタ、時事ネタも多い」という種明かしをしているのがこの本なのだ。
 これを快挙と考えるか、暴挙と考えるかは人によるだろうが、全作品が網羅されているというだけで、ファンとしては非常にありがたい。放送時期や映画、LDのデータもある。くわしい注釈もついている(メアリ・スチュアートと血まみれメアリを同一人物とするなど、多少変なところも)。
 ただ、言葉で説明されたスケッチを読んで「ああ、なつかしい」と思っても手もとにビデオがあるとは限らない。DVD で「全集」が出たりしたらうれしいのだが。


羊皮紙に眠る文字たち スラヴ言語文化入門

著者:黒田龍之助
出版社:現代書館
出版年:1998
ISBN:4-7684-6743-1

 「スラヴ語派」に属する言語(つまり、ロシア語とその親戚)の面白さを紹介する本。タイトルに「羊皮紙」とあるが、そういう古い話ばかりが書いてあるわけではない。

 「アラビア語、韓国語、ロシア語」は大学の第二外国語の三大不人気言語なのだそうで、その理由を、「見知らぬ文字を使っている」ことだと著者は分析する。それは「食わず嫌い」というものであって、「馴染みのある文字を使っていることと、その言語が日本人にとって易しいかということは、まったく別である」「ロシア語やアラビア語だけが特別に難しいように考えるのは正しくない」。
 たしかにその通りだ。韓国語は、文字の読み書きをおぼえるのは実は簡単だが、単語をおぼえない限り何が書いてあるのか全然わからない(当たり前か)。ロシア語も、難しいのは文字よりも文法だ。現代語のくせに名詞の格変化があり、それも四つぐらいならともかく、六つもあり、それを乗り越えてもまだ「体の用法」などという不可解なものが待ち構えている。それに文字もやっぱり難しい。「小文字」はほとんど大文字の背が低くなっただけのもので読みにくいし、「т」の筆記体などは活字体とは似ても似つかない。しかもアクセントの位置がわからないと、発音がわからない……。
 「食わず嫌い」? いや、かじってみたけどやっぱり。しかしそう言ってしまっては、せっかく「スラヴ語の面白さ」を伝えようとしているこの本に申しわけない。スラヴ語とは縁のない人も肩がこらないように面白く、しかし面白さだけをねらって正確さを犠牲にすることはできるだけしないようにという配慮のなかに、「本当の楽しさを伝えたい」気持ちが強く感じられる。

 ロシア語に使われる「キリル文字」はキリルという人が作ったのではなく、キリルが作ったのは現在は使われなくなった「グラゴール文字」だそうだ。しかしグラゴール文字がキリル文字と呼ばれていたこともあって……ううむ、今まで漠然と、「キリル文字のキリルは、たしか作った人の名前」などと思っていたような気がする。
 「ヴェレスの本」とかいう、キリル文字以前の謎の古代文字(と称するもの)の書いてある板切れの話も興味深い。真贋は論争中であり、発見の経緯があいまいで、書いてあるという文章にはいろいろな地域の言葉がごちゃまぜになっているという、どこかで聞いたようなパターンではあるが、ルーン文字とナーガリー文字をかけあわせたような怪しい文字の図版が想像力をかきたてる。

 全体を通じて、ロシア語、チェコ語などスラヴ語派に属する言語が互いによく似ている、という話が何度も出てくる。親戚だから似ているのは当然だが、それにしてもかなりよく似ている感じだ。そうだったのか。それならひとつマスターすれば便利かもしれない。ロシア語をもう少し真面目に勉強しておけばよかった、と、昔の教科書を開いてみる。「レーニンの町、レニングラードは、革命のゆりかご。労働者の町」……。アナクロなものとなっているのだった。


新聞報道と顔写真

著者:小林弘忠
出版社:中央公論社(中公新書1431)
出版年:1998
ISBN:4-12-101431-6

 報道と写真といえば、手のこんだニセ写真や、キャプションによって同じ写真の印象がどれほど変化するか、といった「報道写真のトリック」を連想する。この本にもたしかにそういった要素はあるが、それがテーマではなく、あくまで顔写真にはじまって顔写真に終わる本なのだった。

 「幼稚園ぐらいの子供の事件で、赤ん坊(だった時)の写真が使われていることがあるが、そこまでして顔写真を載せなければならないのだろうか」「証明写真などは、外国では笑顔の写真も使われるが、日本人はまじめな顔を好むようだ」といったことをぼんやり考えた記憶はあるが、顔写真についてここまで深く掘り下げることができるとは思わなかった。

 被害者の顔写真は丸型で、容疑者のほうは四角であるのはなぜか。大災害などの報道で、大量の顔写真はどうやって集めるのか。戦後のおもな事故と三大新聞の顔写真掲載枚数一覧。歴代内閣報道写真の笑顔の比率。
 全体として特に何かの結論を導き出すというわけではなく、縮刷版などから丹念に集めたデータとエピソードによって、「顔写真から見た日本の現代史」を描いている。

 人権への配慮から新聞の顔写真掲載が減ってゆく一方、プリクラがはやり、ホームページに載せる顔写真に凝る人もいる。日本人と顔写真との関係は、現在も大きな変化の途中であるらしい。