数の民族誌

著者:内林政夫
出版社:八坂書房
出版年:1999
ISBN:4-89694-433-X

 ■英語で分数をいうとき、 one third などと序数を使うのはなぜか?

 ■フランス語では 90 を quatre-vingt-dix つまり「四つの 20 と 10」のような変な言い方をするのはなぜか?(地域によっては nonante と普通な(?)言い方をするところもあるらしいが)

 ■イタリア語などで tredici(13)、quattordici(14)、quindici(15)、sedici(16)、diciassette(17)、diciotto(18) のように、「10」を意味する語根の位置が途中で逆転するのはなぜか?

 ■アングロサクソン語(古英語)で 70 を hundseofontig、80 を hundeahtatig、90 を hundnigontig などと、いちいち頭に hund- をつけるのは何のまじないか?

 外国語を学ぶとき、こうした「数に関する疑問」が頭をかすめる機会は少なくないと思うが、「習うより慣れろ」で慣れてしまうと気にならなくなって、深く追究することなく終わってしまうのではないだろうか。
 それぞれの言語について書いた本や、辞書を見れば何らかの答えが出ていることもあるが、この本のように多くの言語について、さまざまな分野の資料をあたり、一冊にまとめあげた本はあまりないのではないかと思う。いろいろな例を見ていくと、「十進法に落ち着くまでの紆余曲折のあと」が言語のなかに残っていることがわかって面白い。大雑把にまとめればそうだが、ひとつひとつの例のなかには、まだ興味深い謎がいくつも残されているようだ。

 ただ話が非常に多くの分野にわたっているため、細かいところで気になる部分もある。たとえば、中国で「位取り」やゼロの概念が知られたのがいつごろか、という話題では、漢字による数の表記を考えるだけでは十分でないかもしれない(数学者たちは別の表記法ももっていたはず)。
 また、古代日本の数詞について、古事記、日本書紀にあらわれる例があげられているが、原文において表音表記された数詞(比較的少ない)と、原文の漢数字に対する伝統的な訓読法とを区別する必要はないのだろうか?
 「十月十日(とつきとおか)」の「か」は「中国音である」としたり、古事記における「五百八十」の訓読例「いほちまりやそ」を東国方言の「ちまり」(泊り)と関連づけるなど、一般の古語辞典等のそれと違った説をあげるには、それなりの解説があった方がよいのではないだろうか。

 「あとがき」まで読んできたら、中国の数学に関しては、「インドで零が発見されたというのはヨーロッパ人の偏見である。……」という、さる数学の大家の指摘があったと記されていた。この数学の先生は、この本の内容を評して「一貫した主題、仮説がないところが弱い」としている。たしかにあまりにもいろいろなことを扱いすぎている、という感じもするが、そこが面白いところ、とも言える。この本の扱っている話題は、ひとつひとつがなかなか深い問題なので、なにか「結論」を出そうとするなら、かなり丁寧な議論が必要になりそうだ。そうしたらきっと、肩の凝らない本ではなくなってしまうだろう。「浅薄ではない」が「深入りしない」という技術も貴重なものだし、日本では結構不足しているような気もする。

<おまけ>
 二十進法的な数のとなえ方に関する部分で、

 聖書の有名な言葉に人生 70 年 threescore and ten というのがある。 Threescore は 60(才)を指す(旧約聖書・詩編 90:10)
とあったところから思いつき(あまり関係ないが)、欽定訳聖書を threescore and ten と seventy で検索してみたところ、どちらも多数ヒットした。どうもヘブライ語原文では同じ言葉であるのに、英訳では二種類の表現が使われているらしい。


ノストラダムス予言集

著者:P. ブランダムール(校訂) 高田勇・伊藤進(編訳)
出版社:岩波書店
出版年:1999
ISBN:4-00-001808-6

 あれほど数多く出ていたノストラダムス本も7月に入ると、書店では片隅のテーブルにまとめられたり、片付けられたりしはじめたが、その頃になって岩波から満を持して(?)登場した「ノストラダムス予言集」。
 これぞ決定版、というものかと予想していたが、実際に手にとってみると、中身は結構ややこしい構成になっている。まず、95年にカナダのブランダムールという人が出した「校訂本」があり、この本は非常にいい本であるらしい。この原文の四行詩の中からおよそ半分にあたる197篇を抜き出して独自に翻訳し、さらに校訂者による解釈(現代語訳)の翻訳と、編訳者による註解を加えたものが岩波版の内容ということになる。

 ところで、ノストラダムスの予言を「翻訳」するとはどういうことだろうか。普通、外国語を日本語に翻訳する場合、原文を読んで意味を理解し、その理解したことを日本語で表現するという手順になるはずだが、ノストラダムスの場合、そもそも何のことを言っているのかわからない部分が多く、そこをとりあえず「解釈」しないことにはまったく作業が進まないだろう。で、その「解釈」が正しいかどうかは、語学的な問題ではないので、「それは違う、本当はこれのことを言っているのだ」という人が出てきたら、結局は「ああそうですか」とでも言うしかないのかもしれない。
 この本の「解釈」はオーソドックスなものだろうと思うが、ほかにどんな独創的な解釈があるのか等についてはこちらは素人なのでよくわからない。どのくらい素人かというと、二十年以上前に新書版の「ノストラダムスの大予言」を古本屋で60円で買い、学校の古本市で70円で売って以来すっかりごぶさたしていたが、1999年の正月になって、ふとインターネットで検索しようと思い立ち、ヤフーフランスに "SIECLE" などとトンデモな入力(註)をしてしまったというくらいだ。

註:大予言の通称 CENTURIES は「百個のもの」という意味だが、これを英語のように「世紀」と解したあまり適切でない訳が行われている。フランス語の「世紀」は SIECLE だが、それで検索しても出てくるわけがない。(それにしても、平凡社の百科事典でも「諸世紀」になっていた)
 ノストラダムスの予言はまず信頼のおける原文が存在するかどうかが問題らしい。ブランダムールの校訂本の原文は掲載されていないが、たしかにインターネットで入手した素性の不明なテクストとはいろいろと違いがあるようだ。たとえば、
Cent, main, faim quand courra la comete.(2-62) (百、手、飢え(を見るだろう)、彗星が駆けるとき)
 というところの cent, main (百、手)は sans main (手なし)の誤りであるという。他の部分にも Enfant sans mains (手のない子供)などの語が出てくると言われれば、なるほどそのほうが少しつじつまが合うように思える。しかし全体としてはやはり何だかわからず、読めば読むほど「?」が増殖していくのがノストラダムスなのであった。
 実は意味などはどうでもいいのであって、ノストラダムスが次々と繰り出してくる怪しい固有名詞と奔放なイメージを楽しむのが正しい読み方なのかもしれないのだが。

 インターネットで入手した原文には、千篇近い四行詩が含まれていたが、初版本に含まれているのは数百篇らしい。そして、かの有名な「恐怖の大王」はこの中には入っておらず、従ってブランダムールの校訂本にもない。そこで岩波版では、初版本に含まれない有名な詩節を別の本から翻訳して付録としている。ブランダムールの校訂本を完訳しようと思ったが、「紙幅の都合で今回は」部分訳となってしまったというあたりとともに、堅い本かと思うとそうでもないような、多少のどっちつかず感が漂っていることは否めない。


シュリーマン旅行記 清国・日本

著者:ハインリッヒ・シュリーマン 石井和子 訳
出版社:講談社 (学術文庫1325)
出版年:1998
ISBN:4-06-159325-0

 トロイの遺跡発掘の数年前に、中国と、明治維新直前の日本を訪れた時の旅行記。幕末・明治初期に日本を訪れた外国人の旅行記は結構多いが、あのシュリーマンの旅行記があるとは知らなかった。
 三ヶ月の日本滞在にしては非常に内容の濃い旅行記である。まじめで勤勉で整理整頓好き(でもちょっと変)という日本人像は他の旅行記に描かれたものと大差ないように思えるが、著者の個性なのか、描写はやたらと細かい。ただ見聞したことを書くだけでなく、ものの材質や製法、ある習慣が存在することについての合理的な説明など、背景に突っ込んだレポートになっている。「広間は路面から六十六センチほど高く」など具体的な数字をあげているところが多い(まちがった数字もあるようだが)。また文字や言語への強い関心も特徴のひとつとなっている。
 印象ではなく、具体的な物について描写しており、銭湯の内部構造や呉服屋の在庫のありか(三階の紙の箱に入っている)まで書かれている。中国では纏足した女性の素足を見たとも主張している。異常に強い知的好奇心の産物というべきか、それとも忍耐強い説明者の存在を想像すべきなのだろうか。

 ベッドもテーブルも使わず、食器の種類も少ないという日本人の生活のシンプルさを、シュリーマンは高く評価している。理屈でいえば、その後100年の技術の進歩・家電製品の普及は家事労働を増やすよりは減らしたはずなのだが。そういえば最近の香港の新聞のコラムに「家が狭いのは香港も日本も共通だが、違うのは、日本人はモノが豊かにあることを好み、香港人はシンプルな環境でリラックスすることを好むこと」などとあった。シンプルこそ日本人の専売特許だったはずだが、やはり何か変?
 玩具製造の技術の高さと値段の安さも記されている。「仕掛けで動く亀が3スー」など。(最近では、「お手をする犬が25万円」)

 シュリーマンについては、その業績への高い評価の一方で、詐欺師・山師という評判も絶えないが、この旅行記はとにかく面白く読めることはたしかである。何より八王子まで来ていた(雨でほとんど観光できなかったようだが)というだけで、何だか他人とは思えなくなってきた。