生きている象形文字

著者:西田 龍雄
出版社:五月書房
出版年:2001
ISBN:4772703314

 最近ブームになっているらしい「トンパ文字」と関係のある本。ブームになったから出てきたのではなく、どちらかというと、仕掛けた側のようである。1966年に中公新書として出たものに、新たに書き加えてハードカバーとしたもの。

 「東巴(トンバ)」と呼ばれるモソ族のシャーマンが、経典を記すのに使っている文字の概要の説明が主な内容となっている。本文では、この文字は「モソ象形文字」と呼ばれている。現在では「ナシ文字」あるいは「トンバ(トンパ)文字」と呼ばれるようだ。(実際にどんな文字かは、What's TOMPAなどで見ることができる。)

 モソ象形文字のなりたちは、漢字と同じように、象形、指示、会意、形声などの原理で説明できる。しかし、漢字で中国語を書く場合と違うのは、文字が厳密に単語と対応せず、また、文字にいろいろなものを書き加えることで、関連する意味を表わすようになっていることらしい。そのため、経典の「本当の読み方」は、シャーマンに解説してもらわない限りわからないという。
 といっても、その場の思いつきで作った判じ物などとは全く違い、ちゃんと体系化された「文字」であることは間違いない。ただ、シャーマンだけが使う文字ということで、曲線で構成されたユーモラスとも言える字形が保存されてきたのかもしれない。日常生活の多くの場面で使う文字ならば、やはり効率優先で、形が変化してしまうだろう。

 その文字で記された経典の主な内容は、説話であって、そのうちの一つ、『洪水物語』が、かなりのページをさいて紹介されている。世界のいろいろな伝説に出てくる要素を寄せ集めたような話であって、前半はよくある洪水の物語で、後半は『古事記』のオオクニヌシとスセリビメの話にもちょっと似ている。洪水の前に、神様が心がけのいい人間にいろいろ指図をして、助かるようにするのは、ノアの話と同じだが、洪水のあと、人間が神様に出会って話しかけようとすると、なぜか神様は用を足している最中で、用がすむと、「すたすたと行って」しまうのだった。この辺の雰囲気は、文字自体の持ち味と通じるような気がしないでもない。

 「ナシ文字」については、前にもいろいろな本で紹介されているのを見たことはあるが、実際にどんな文字かは、よくわからなかったし、ここに至って大ブレーク(?)するなどとは、もちろん想像もしなかった。自然に流行したというよりは、新たに商品として提案されたと見るべきか。


京都狛犬巡り

著者:小寺慶昭
出版社:ナカニシヤ出版
出版年:1999
ISBN:4-88848-483-X

◆前置き -- "Foo Dog"とは何か

 F&SF誌97年3月号の表紙は、狛犬だった。目が光り、全身が青白い燐光を放っている「バスカヴィル家の狛犬」とでも呼びたいようなものだが、ともかく狛犬である。外国雑誌に狛犬とは、と中を読んでみると、これは Albert E. Cowdrey の短編 "Familiar" のためのイラストであって、狛犬と思われたものは北京の紫禁城から辛亥革命(?)のどさくさにまぎれて持ち出されてきた怪しい石像、という設定なのだった。(この石像、飼い主以外の闖入者をみると、台座からおりて踏みつぶし、ばりばり食うという頼もしい番犬なのだ。)

 この小説の中ではじめて"Foo Dog"という単語に出あった。この絵のような中国の石像や置物をさすらしいが、英和辞典をひくと「こま犬」と出ていたりする。そもそもこの "Foo" とは一体何であろうか?
 "Foo Dog"で検索してみると、骨董品・美術品関係のサイトがひっかかってきて、 Foo Dog についての簡単な解説もいくつかあった。「本当はライオン」「本来仏教建築を守護するもの」あたりが共通するところ。すると"Foo"は「仏」あるいは「浮屠」(buddhaの音訳)からきているのだろうか。
 (なお、 Foo Dog の「繁殖」とか「子犬の販売」のサイトもある。置物が繁殖するわけではなく、飼犬にも Foo Dog と呼ばれる種類があるらしい。)

 こうしてみると、日本では「唐獅子」と呼ばれている仏教守護の神獣が Foo Dog にあたると思われる。一方、狛犬は、本当は獅子とは別ものであって、神社にいる一対のうち、左側の口を閉じたのが狛犬、右の口を開いたのは獅子であるなどといわれている。しかし実際には両方まとめて「狛犬」と呼ばれているし、日中辞典で「こまいぬ」をひくと「石獅子」と書いてある。両者の区別をあまり厳密に考えても仕方がないようだ。

◆京都の狛犬たち

 「狛犬」に関する疑問が頭の片隅にあったため、思わず手にとってしまったのがこの『京都狛犬巡り』の本。狛犬の研究は、分野でいうと民俗学なのか美術史なのか何なのかよくわからないが、この本は狛犬の由来や歴史ではなく、「生態」に焦点をあわせ京都府全域の神社を網羅的に調査した路上観察系の労作である。
 やや意外だが、神社の参道に狛犬を置く習慣はそれほど古くはなく、また石像だから長もちするかと思えば、結構早く摩滅してしまうそうで、古そうな狛犬でも江戸時代にまでさかのぼるものは少ないらしい。しかし「狛犬ほど、親しまれながらも無視され続けてきたものは珍しい。だからこそ、いろいろな楽しみ方がまだまだあると思われる」とあるように、知られていない事実が多く、奥の深い世界なのである。
 阿吽対面型・吽阿平行型など狛犬の設置のしかた、巻毛、尾、歯など同じ狛犬といっても大きな違いがある。京都は各地の狛犬が雑居する地だそうで、おかっぱ頭の「白山狛犬」や、頭を低くしてかまえる「出雲狛犬」などいろいろな種類がある。しかし、どこの世界も同じというべきか、最近は画一的なデザインの狛犬が全国に広まっているという。著者が「こまやん」と呼んでいるこのタイプの狛犬は、それなりに威厳もありバランスもいいが、地域差がなくなってしまうのはあまり面白くない。

 狛犬にいろいろな種類があるとわかってから、近くの神社をのぞいてみると、たしかにそれぞれ個性がある。「狛犬って、こんなのだっけ?」と思うようなものもある。レアな特徴をそなえたものもあるだろうし、カメラで「採集」しはじめると、「ポケモン」的な楽しさでやみつきになるかもしれない。
 しかしこうなると、上述の F&SF の表紙を見たときに、「狛犬だ」と思ったのがかえって不思議に思えてくる。実物をよく観察していないわりに「これこそ狛犬」というイメージがあったわけだが、それがつまり、「こまやん」だったのだろうか。

◆おまけ -- 逆立ち狛犬の謎

 『京都狛犬巡り』によると、狛犬の中にはたまにうしろ足を宙に浮かせて逆立ちをしているものもあるという。そんなのは珍しいに違いないが、世の中には狛犬がやたらと逆立ちをしている地域というものもあり、それがなんと金沢市だという。なぜ金沢なのか?
 このあたりの名物である九谷焼の唐獅子と何か関係があるのか、と一瞬思ったが、実際にショーウインドーに並んでいる獅子たちのなかには、そんな妙な芸当をしているものは見当たらない。
 「逆立ち」は歓迎の表現、サービス精神ではないかと著者は推測しているが、真の理由は今のところ謎である。

逆立ちする金沢の狛犬たち

大唐西域記(全3巻)

著者:玄奘 (水谷真成 訳注)
出版社:平凡社(東洋文庫653,655,657)
出版年:1999
ISBN:4-582-80653-8,4-582-80655-4,4-582-80657-0

 この書物について、私は最近まで大きな勘違いをしていた。決して孫悟空や金角・銀角が出てくると思っていたわけではないが、百科事典などにも「旅行記」と書いてあるので、なんらかの冒険記、つまり出国許可がおりないためやむなく国境線を突破したり、現地で雇ったガイドに裏切られたり、水を使いきってあわやというところでオアシスにたどりついたり……そんな話を想像していたのだ。実は多少ともそれに似た話が書いてあるのは『大唐大慈恩寺三蔵法師伝』のほうで、この『大唐西域記』は玄奘の個人的な体験をつづった旅行記というよりは、各地の地理・風俗・産業等をより高い視点から客観的・網羅的に記述した「ガイドブック」に近いものなのだった。これを片手に観光旅行に出かけるために書かれたものではないが、数多くの仏教遺跡の説明を読んでいると、あたかもそれらが今もそこに書かれた姿のまま、どこかで静かに旅人を待っているような気がしてくる。

 この東洋文庫版は、もと「中国古典文学大系22」(1971)として刊行されたもので、インドの人名・地名等の漢字表記にはひとつひとつ、サンスクリットやパーリ語の原語及び推定される当時の漢字音について、緻密な考証をおこなった注釈がつけられている。古い時代の漢字音にもとづく表記を玄奘はしばしば「訛なり」としてしりぞけ、現実に即した表記にしようと努力したようだ。これらの表記は当時の生きた中国語について証言する貴重な資料でもあるのだろう。

 ただ地形や風俗などの事実を羅列した本だったら、資料としては価値が高くても読み物としては退屈な本になってしまうが、この本には各地の仏教説話や、いろいろなものの起源伝説も同じく重要なものとして記録されている。説話の割合が大きいのは、当時の政治的事情で、軍事的に重要な情報が削除された疑いもあるというが、もともとの割合としても小さくはなかったようだ。
 どこかで聞いた話だと思うのは、『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』の話と関連があるものほとんどだが、別の意味でそう思ったのは、アショーカ王とクナーラ太子の物語。邪恋をしりぞけられた継母の王妃が、陰謀によって王子を追放させるという筋は、ギリシャのパイドラーとヒッポリュトスの話に似ているが、注釈によると、西北インドのギリシャ人の影響を考える説もあるという。一方で、この話は(私が知らないだけで)『今昔物語集』にも入っており、謡曲『弱法師』や説経節『信徳丸』とも関係があるらしい。パイドラーの話をもとにしたラシーヌの悲劇『フェードル』と、しんとく丸とではもはや全然違う話だが、玄奘が記録した物語はたしかに両方を思い出させる。