醒睡笑

著者:安楽庵 策伝 (鈴木棠三 訳)
出版社:平凡社(東洋文庫31)
出版年:1986
ISBN:4-582-80031-9

 昔持っていた子供向けの文学全集に『今昔物語』などと一緒に入っていたので、これはメジャーな古典文学なのだと、ずっと思っていたのだが、最近、それほどでもないと気づいた。いざ、ちゃんと読んでみようとすると、簡単に手に入る版は少ない。この東洋文庫版は現代語訳で七百余話を収めるが、それでも抄訳である。

 17世紀はじめにまとめられた笑話集で、しばしば「落語の元祖」などと形容される。落語に比べたら、それぞれの話はずっと短く、簡単なものだが、読んでいると、落語でおなじみのご隠居や与太郎、粗忽者などの人物が見え隠れしているように感じられる。現代の人にもわかりやすく人気のある噺「平林」は、その要点がすでにここに書かれている。一説に、編者の安楽庵策伝が平林姓だったともいうらしく、それも面白いが、あまり根拠は確かでない。

 昔リライトで読んだような記憶のある話は結構多くて数十話あり、主に「間抜けな失敗」を描いた笑い話から採られていたことがわかった。「うちの庭でとれた蜜柑です」というのに客が感心するのをわきで見ていた男、「うちの庭でとれた麩です」とやってしまう。ナンセンスな話と思っていたのだが、実は「庭前の蜜柑」と聞いて、「テイゼン」とは何かよくわからないまま真似をして失敗する話なのだった。

 今読むと、言葉に関する勘違いや語呂あわせの話が、当時の話言葉をうかがわせて面白い。
 東坡(蘇軾)と山谷(黄庭堅)をひきあいに出して詩作を自慢する男に、「坡谷斎(はこくさい)」という号をつけてやる話がある。「はこ」は「おまる」のことで転じて大便のこと。よく見かける「雲谷斎」のルーツはここにあったのだ。


中国怪談奇談集

著者:多久 弘一
出版社:里文出版
出版年:2002
ISBN:4-89806-181-8

 『捜神記』をはじめとする、中国の各時代の怪異譚から、独自に数十編を選んで紹介する。読者に向かって語りかけるような文体なので、一見、再話かと思うが、実際には、原文ときれいに対応がとれる翻訳である。ただし、たまに訳者のコメントが、地の文と区別なく挿入されている。

 『捜神記』や『聊斎志異』など、中国怪談のファンにはおなじみのものとともに、『資治通鑑』など、べつに怪談集というわけではない書物から奇妙な話を抜き出して紹介するものもある。

 各エピソードについて、原文の一部を掲載し、書き下し文を添える。また、日本の落語や芝居などの原話となったものには、その解説を加えている。『今古奇観』は、原文がいわゆる「漢文」ではないが、うまいこと書き下してある。

 狼の群れの軍師役をしていた、見たこともない不思議な獣をとらえる話がある。どうするかと思うと、皆で煮て食べてしまう。南伸坊の『仙人の壺』のエッセイを思い出した。中国の怪談には、奇怪なものを、とにかく火をつけて焼いてしまいましたとかいう、「乱暴な結末」がしばしば見られるという論だったが、この話なども実に乱暴である。

 怪談・奇談のファン向けというよりは、「漢文ってわからない、つまらない」と思っている学生さんに、「こんな面白い話もあるよ」と紹介している趣きがある。といっても、これ自体は試験には出そうもないけれど……、と思ったら、今回のセンター試験に、『閲微草堂筆記』から出題されていた。

 以下はあまり関係のない話だが、昔、某予備校に通っていた時、ある教室の天井に穴があいており、あれは漢文のT先生が何かでお怒りになった時に、スリッパを蹴り上げてあけた穴だという噂が流れていた。今となっては真偽を確認するすべもない。T先生の授業はとても面白いという評判だったが、私はとっていなかった。今になって、私もT先生の漢文をとればよかったかな、と思うのである。


現代思想の遭難者たち

著者:いしいひさいち
出版社:講談社
出版年:2002
ISBN:4-06-209003-1

 「現代思想の冒険者たち」という、難しそうな、31巻もある全集の月報に掲載された漫画をもとにつくられた本。「冒険者たち」のほうは幸い、というべきか、まだ実物を見ていない。図書館には入っているらしいのだが、多分私が寄りつかない方の棚にあるのだろう。ハイデガー、ウィトゲンシュタインからラカン、フーコー、メルロ=ポンティとか、私としてはできるかぎり敬遠、それも完全に立ち上がって敬遠してしまいたい方面である。

 そういうとっつきにくさの極致というべきものを漫画にしてしまうとは、いったいどんな本なのかと、この「遭難者たち」の方には、好奇心をかきたてられた。

 漫画としては、相当に字が多い。吹き出しの中にたくさん字があるほか、各コマに編集部の注がぎっしり。カバーの絵にまで注がついている。なので、普通の漫画よりは読むのに時間がかかるが、その結果、「元ネタ」を知らなくても充分面白いものになっている。「元ネタ」を知っていたらさらに面白いのかどうか。多少聞きかじった分野の話がとくに面白いとも限らず、名前を見た事があるようなないような、という思想家のほうがゲラゲラ笑えたりする。フロイトとユングのところは妙にギャグがこなれていたような気もする。
 「デリダ」で「パローレパローレ」、「Il y a」で「ナポレオン・ソロ」など、普段、ほっておくと連想してしまって困っているものをギャグにしないでほしい。思考回路が一致しているのだろうか……。


拉致 知られざる金大中事件

著者:中薗 英助
出版社:新潮社(新潮文庫)
出版年:2002
ISBN:4-10-122131-6

 映画館のスケジュールを勘違いしていて、「KT」を見逃してしまった。残念。この本は原作だが、映画の解説などを見た限りでは、映画と原作はだいぶ違うのではないかという印象を受けた。

 映画の方では、日本人の「元自衛官」が、かなり重要なキャラクターであるように紹介されていたが、本の方では、事件にかかわることになる日本人の役はそれほど大きくなく、なりゆきをあっけにとられて眺めているという点では、当時の一般の日本人の代表というか、日本人読者の感情移入のために配置されているような感じもする。
 この本の主人公は金大中氏を守ろうとした五人の在日韓国人である。結局は力及ばないが、そこに至るまでの、アマチュアのボディガードとしての精一杯の努力に焦点を絞って、読みごたえのある物語としている。

 個人的には、「JFK」はともかく、「KT」は同時代の、リアルタイムに見た事件だと考えていたのだが、当時どのように報道されたかなど、思ったより記憶がいいかげんであることに気づいた。同時代に生きていることと、歴史を目撃するのとは別のことである。

 この本はいろいろな出版社の版があるようだが、固有名詞の韓国語読みのルビは、この新潮文庫版で新たにつけたものなのだろうか、何となく機械的な感じがした。当時の NHK ニュースでアナウンサーが読み上げる「朴正煕」に「パクチョンヒ」、船名の「金竜」号に「キムヨン」(「クム-」では?)など。

 【追記】映画はDVDで見ることができた。やはり話の重点が異なり、ボディガードチームは脇役にしりぞいている。いろいろ映画らしい演出が加えられ面白かったが、70年代前半の小物や車に気をとられてなかなか話に集中できなかった。


三星堆・中国古代文明の謎

著者:徐 朝龍
出版社:大修館書店(あじあブックス 003)
出版年:1998
ISBN:4469231436

 中国古代文明のイメージを塗り替える異様なデザインで知られる三星堆遺跡の出土品の謎を、古代の空想的な地理書『山海経』の神話で読み解く試み。

 しばしば「神話をもたない」と言われる中国だが、いろいろな書物の中に断片的に語られているものをまとめれば相当な量になる。『山海経』はそうした神話的な記述をもつ書物の中でも重要なものとされ、いろいろと想像力を刺激する部分も少なくないのだが、なかなか全体を通して読むことは困難である。どういう困難かというと、本編が放送されていないアニメの設定資料だけをえんえんと読まされているのと似ている。キャラクターやモンスター、或いはメカの名称や特徴が、文字だけで何枚も何枚も書いてあるのだが、それが全体としてどういうストーリーなのか、まったくわからない。背景設定やネーミングだけがいやに凝っていて、ストーリーの方はお粗末だと悲しいが、わからないので何とも言えない。
 さて、そこへ今度は画像やフィギュアがいくつか手に入ったとする。しかし、こちらの方にはいっさい文字が書かれていない。しかも、本当にその作品のものなのかも、実はよくわからない。設定資料と見比べながら、「これがこれかな?」などと想像をめぐらすのは、楽しいような不満がたまるような作業であろう。この本を読んでいる気持ちというのは、かなりそれに近い。

 『山海経』の各編の年代については、いろいろな意見があるようだが、この本では、より荒唐無稽な後半部分のほうが古い伝承を含むと考えている。
 出土品の中の青銅製の樹木が、文献にある「扶桑」の特徴をそなえ、馬王堆出土の帛画に描かれた樹木ともよく似ているように思われること、三星堆文明の指導者は女性シャーマンであり、それが西王母伝説の源となった可能性など、興味深い点が多いが、やはり、ここに示されたものだけでは、資料が少ない感じがする。
 しかし、中原のものとは違った不思議な造形の像や仮面をのこした三星堆文明の担い手たちは、きっと豊かな物語を持っていたことだろう。できることなら、仮面にきいてみたいものである。


テレビゲームの神々

著者:多摩 豊
出版社:光栄
出版年:1994
ISBN:4-87719-146-1

 94年の発売時、興味はあったのだが、店頭でも図書館でも実物を見ることができず、そのうち忘れていた本。最近、思い出して図書館の目録を検索したら、いつのまにか入っていた。

 任天堂の宮本茂、「ドラクエ」の堀井雄二、チュンソフトの中村光一、「桃太郎伝説」のさくまあきらといった、ゲームファンなら誰でも知っている人々の、家庭用ゲーム創世時代における活躍を、「英雄列伝」のような感じでまとめたもの。今ではとても考えられないようなことが起こり、一方では、今は常識となっていることが、とんでもない思いつきとして登場する、というような、「創世時代」特有の高揚感をあますところなく描いている。

 とくに、高校一年生の中村光一が、「NECのPC-8001をなんとか自分で買おう」と考えるくだりなどは、遠い昔のことであるのも忘れて、わくわくしてしまった。

 物語は、「ドラクエ3」の完成でひとつの頂点に達する。このあたりも、当時の感覚をよく表わしていると言える。

 この本における「現在」も今では遠い過去のこととなり、著者も若くして世を去ってしまった。
 「コンピュータにプログラムを入れる」というのは「I/O」誌に載っていたプログラムリストを手でポチポチと入力することだった時代を、懐かしく思い出す人はもちろん、ゲームファン、とくにドラクエファンなら楽しく読める本だろうと思うが、残念ながら現在では入手が難しいかもしれない。


仙人の壺

著者:南 伸坊
出版社:新潮社(新潮文庫)
出版年:2001
ISBN:4-10-141034-8

 宮部みゆきの『R.P.G.』を買おうと本屋へ行ったら、入り口に積んであるだろうとの予想を裏切ってどこにもなく、かわりにこの本が目についてしまったので購入。実は、以前に単行本サイズで出た時も、気になってはいた。文庫になった今回、手にとってしまったのには、『風来のシレンGB2』の影響で、「壺を発見したら確保すべし」との意識が働いたことも否定できない。(いねむり仙人は、とじこめの壺にすいこまれた!)

 中国の神仙譚・志怪小説16編を漫画化し、それぞれに短いエッセイをそえたもの。漫画は、新しい解釈を持ち込むわけではなく、ひたすら元ネタの怪しさを増幅する方向。10倍ぐらいに増幅していると思う。エッセイも面白いが、どちらかというと漫画の方が面白い。(エッセイの方には「蛇足」と書いてあるが)
 日本で「仙人」というと、ひげも髪も真っ白で、鶴のように痩せていて、枯れてポキポキ音がしそうなイメージだが、中国の仙人はちょっと違って、でっぷり太って色つやがよく、ビタミンEが豊富な感じらしい。この本の仙人は、本場中国の仙人のようだ。
 「仙人の壺」といえば、『神仙伝』などにある「壺公」の話が連想されるが、それが収録されていないのも、仙人らしい肩すかしである。(あとがきでは言及している)

   (なお、宮部みゆきの『R.P.G.』は、別の書店に積んでありました。大変面白かったです)


大漢和辞典と我が九十年

著者:鎌田 正
出版社:大修館書店
出版年:2001
ISBN:4469232149

 前半は著者の生家の先祖から説き起こした自伝。「今日なら到底考えられない」が随所に出てきて、なんとなく縁側でお茶でも飲みながら、親戚のお爺さんの昔話をきかされているような錯覚におちいる。いろいろなことがあるのだが、非常に昔のことであるせいか、著者の性格によるものか、全体がのんびりした話であるように感じる。
 漢学者としてではなく、戦争のため軍人として中国大陸に赴き、九死に一生を得るような体験をするというのも、考えようによっては皮肉な話だが、それよりも、中国人の捕虜を見張っていて中国語で話したりしているうちに、うまくごまかされて逃げられてしまった、という話などが印象に残ってしまう。「さて彼の青年は今日でも健在であろうか」。
 中学教師時代、生徒に今村昌平と星新一がいたそうで、それに関する話もちょっと面白い。

 そういうことはともかく、大漢和の話が読みたい、という人は176ページから。
 音韻論・字源論的に見た『大漢和辞典』の特徴、中辞典として編纂された広漢和との質的な違い、編纂・修訂作業中の出来事などが書かれている。修訂作業中、大修館書店では『オックスフォード英語辞典』(OED)の研究所を訪問調査してアドバイスを受けたそうだ。なるほど出典・用例の豊富さでは大漢和はOEDに比べられる。OEDの用例の中には、料理のレシピが丸ごと書いてあったりするが、大漢和で漢字を調べているうちに、出典のところで面白そうな「お話」を見つけて読みはじめ、ついに書き写してきたこともあった。

 『補巻』で追加した803字のうち国字は122字で、「更に多くを集めることが可能」ではあるが、実用面を考慮して収録しなかったとのこと。「更に多く」というのは、やり方によってはとんでもない数になるはずだが、それらは地域・個人のアイデンティティーからみれば重要なものであっても、文献を読むための辞典が収録しないのは仕方のないことだろう。ただ、漢字の多様な役割を考えた上で、漢和辞典ではない「漢字情報集」もこれからは必要となってくるのではないか。『今昔文字鏡』がある程度その役割を果たしているわけだが。

 ところで本筋とはまったく関係ないが、「菊池小兵は死んでも口から喇叭を離しませんでした」とあり、あれ、あの喇叭兵はそういう名前だっけ? と、調べてみた。百科事典などによると「木口小平」のようである。もっとも、私も親から話をきかされたまま、かなり長い間、「キグチコウヘイ」だと思っていた。唱歌では白神源次郎となっているなど、いろいろややこしい。