まことに残念ですが……

著者:アンドレ・バーナード(編著)
出版社:徳間書店
出版年:1994
ISBN:4-19-860112-7

 この本の存在は、あちこちで紹介されているので、だいぶ前から知っていた。ベストセラーや不朽の名作を、あっさり「お断り」してしまった編集者の「不明」を眺めてにやにやしましょう、という本であるような印象を持っていたのだが、実際に読んでみると、もっと、ずっと複雑な本である。
 紹介されている作品の大半を読んでいないせいもあるが、どうも全体として、お断りしている編集者の方に同情する気持ちになってしまうのだ。

 傑作とベストセラーは別のものであり、「売れる本」を逃してしまうことは、それは痛恨事ではあろうけれど、やはり、その出版社としては出さない方が良かったと、歴史が(財布の足しにはならない)答を出してくれることもあろう。

 『大地の子エイラ』(ジーン・アウル)を断った編集者のほうが、このシリーズをいまだに買い続けている読者よりは、どう考えてもまともな人間であるように思われる。その「読者」のなかには、私も含まれるわけだが。

 ウエルズ『タイム・マシン』に対する、「一般読者にはおもしろくなく、科学的知識のある者にはもの足りない」は、現在でも、SFというジャンル全体に対する「断り状」としてつきつけられそうな文句である。

 断り状のなかにはかなり古いものも多く含まれており、宗教や性に関するタブーが今よりもはっきりしていた時代のことがよくわかるが、これも編集者が愚かであるというよりは、そういう時代だったのだと思うだけである。

 もちろん、バカな編集者を嗤うための本ではないかというのは、私の勝手な先入観であって、日本語版監修者のあとがきを読めば、この本の意図はもっと高尚なものであることがわかる。

 断られた経験のまったくない人などいないだろう。肝心なことは、自分の価値を信頼することである。(中略)絶望的な気分になりそうなときこの本を開けば、きっと希望と勇気と自信が湧いてくるはずである。
 たしかにこういう考え方はとても大切だ。しかし、別の角度から考えてみると、ここに紹介されている大作家たちは、ちょっと断られたくらいであきらめることなんか「できない」。それほどの何かを持った人たちだったのであり、凡人が彼らをむやみに真似するのは危険であるとも言えよう。

 断られた作家側の記憶にもとづいたものが含まれている、と序文にある。「お断り状」に豊富な語彙と想像力にいろどられた名文が見受けられるのは、そのせいもあるかもしれない。

 2004年1月に徳間文庫版が発売されている(ISBN: 4198920109)。


金曜日のアンナ

著者:ヘレーネ・ウーリ
出版社:大修館書店
出版年:1999
ISBN:4-469-21246-6

 ファンタジー仕立ての言語学入門。『ソフィーの世界』を意識し、その言語学版として意図されているようだ。
 オスカル少年の妹のためのベビーシッターとして、新しくやってきたアルバイト学生のアンナは、どうやら魔法が使えるらしく、千年前のバイキングが現われたり、いろいろと不思議なことが起こる。オスカル少年はアンナのもとで、さまざまな言語学の基礎知識を「実体験」で理解していくことになる。

 といっても、バイキングなどは、あくまでも説明のための仮想的なものという感じで、「ファンタジーらしくする」ことには、いまひとつ真剣に取り組んでいないところが難点。
 実際に千年前のバイキングと五分間でも話すことができたら、その間に定説がいくつもひっくりかえるのではないかと思うし、しかもその後、あの人物はインフォーマントとして適切だったか、などと、学者の間で百年も議論が続くような気がする。そういうドタバタ仕立ての言語学入門(というか中級編?)があったら個人的には面白いと思うが、書き手に相当の力量が要求されそうだ。

 実例としてあげられている言葉がほとんどノルウェー語なので、日本の読者にはいまひとつピンとこないと思われるのも残念だが、北欧語を学んでいたり、関心を持ったりしている人には、くわしい注釈もあることだし、文句なしに面白いだろうと思う。
 やさしいお話の形で書くことの効果を十分に発揮するためには、日本人に対しては、やはり日本語を土台にしたものを書きおろす必要があるように思う。たとえば、平安時代の学者の亡霊が現代の少年にとりついて、立派な言語学者に仕立てあげるとか……、(……つまらないですね……石を投げないで)。

 言語学とは直接関係ないが、「七番目の父親」についての注釈で紹介されていた説話は、ラファティの小説『九百人のお祖母さん』の元ネタのようだ。


祝詞作文事典 縮刷版

著者:金子 善光
出版社:戎光祥出版
出版年:2003
ISBN:4900901318

 前に一度読んだ本だが、縮刷版が出ていたので再読。タイトルのごとく、祝詞の作文のための本なので、神主さん以外の一般の人には関係なさそうだが、意外と面白い点・ためになる点が多い。前の版は七千円台と、ちょっと人にすすめにくい価格だったが、今回のは3,800円。縮刷版といっても、むやみに字がこまかいわけではなく、普及版といった体裁。

 祝詞はそのつど作文されるもので、七五三・地鎮祭などのよくある行事であっても、神職が新たに書きおろすのが原則であるという。しかもその文章は古文であり、宣命書という独特の表記法が用いられる。

 現代では、古文を読むほうはともかく、書くことに慣れている人は少ないと思われる。書くことができなければ、本当に理解したことにならないかもしれない。しかし、古文を書くというのは、実際にはどんなことなのか。趣味やお遊びではなく、仕事として古文を書く必要がある人々のための、実践的なマニュアルであるこの本からは、その一端をかいまみることができる。

 内容をみると、実にさまざまな角度から「古文の作文」をサポートする体勢になっている。

・一般的な行事における祝詞の文例・添削例
・「精霊流し」などの現代文の訳例
・古語辞典の活用法
この本がすすめている三省堂『古語類語辞典』は「現代語から古語が引ける」ユニークな発想の辞典で、いい辞書と思う。
・よく使われる語彙集
・助数詞一覧
数十ページにわたる詳しいもの。
・万葉集の慣用表現
・漢語和訓一覧
確固(ゆるぎなし)、貫禄(ゆたけし)、濃縮(つづめ)、予定表(さきはかりのふみ)など多数の語彙がある。
・「神徳から検索できる神名事典」
すなわち担当分野別の神名事典。「MD・CD」(天鈿女命)、「女性の生き方」(須勢理毘売神)、「コンピュータ」(天照大神ほか)などもある。

 そのつど作文するといっても、毎度くりかえされる行事では、それほどのオリジナリティーは要求されないのでは、とも思うが、祝詞のなかには、「宇宙開発事業団衛星V型ロケット打ち上げ成功祈願」「NHK、CCDカメラ導入安全祈願」などというものもあるのだ。これらは、東京・芝大神宮における実際の文例で、「祝詞の将来を考えるための参考資料」として収録されている。「磁力線」「太陽風」などの語彙も登場する「生きた古文」のインパクトはなかなかのものである。

 一緒にするのはどうかと思うが、かの傑作「呉爾羅乃完成汚壽岐併弖大當利悪願布祝詞」を思い出した。


ステンカ・ラージン

著者:土肥 恒之
出版社:山川出版社
出版年:2002
ISBN:4-634-49120-6

 17世紀ロシアのコサックの首領、ステンカ・ラージンが率いた反乱の概略と、その歴史的背景の解説。ステンカはステパンの愛称であり、本名はステパン・ラージンであること、ステパンは多くの言語に堪能だったことなどがわかり、その他にも、「ロシアのジャンヌ・ダルク」などいろいろ興味深い話があった。
 しかし、実はこの本を読もうと思ったそもそもの動機は、そういうことではなく……。

 歌曲『ステンカ・ラージン』のメロディーは有名で、おそらく多くの人が一度は聴いたことがあるのではないかと思うが、私の持っている古い歌本に書いてある歌詞(與田準一訳)は、何やら思わせぶりでよく意味がわからない。「ペルシャの姫」とは何者なのか。「燃えたる唇(くち)」だとか「宴」があったかと思うと、「覚めしやステンカ・ラージン、眉根ぞかなし」で終わってしまう。何か悲劇があったと推測されるが、いったい何があったのだろうか。

 答は書いてあった。この歌のロシア語原詩は十九世紀の詩人ドミートリー・サドーヴニコフによるもので、ひとつの物語になっている。簡単に言うと、「ステンカ・ラージンがペルシャの姫を寵愛していたところ、部下たちが批判した。それを聞いたラージンは、酔った勢いで姫をヴォルガ河に放りこんでしまう」というもの。悲劇ではあるが、思わせぶりな歌詞から想像したほどロマンチックなものではなかった。

 ラージンがペルシャの姫を捕虜にしたという伝説について、この本では、史実ならペルシャ側の情報も記録されているはず、などの理由から、フィクションであろう、としている。しかし、気になるのは、「首領は女にあってとろけてしまった」などとうしろで囁かれたからといって、いきなり美女を川に投げ込む、という事件が本当にあったかどうかであって、彼女が本物の王女だったかどうかは、二の次のような気がするのだが。その点については、美女の素姓や、投げ込んだ理由について、一致するような矛盾するような、いろいろな話が伝わっていて、真相は不明なのだった。
 ペルシャ遠征での多数の捕虜の運命について考えれば、史実は歌になるどころではない悲惨なものだった可能性もある。あまり追究しない方がいいのかもしれない。

 歌については、さらに検索してみたところ(最初からwebで検索すればよかった)、與田準一の訳詞は別に思わせぶりなわけではなく、姫を投げ込むところもちゃんと訳してあるのだが、私の持っている本では、なぜかそこが飛ばしてあったことがわかった。文語体の優雅な訳文に、話の内容がそぐわない感じがするのは確かなのだが……。

 この歌はドイツでも愛唱されているらしく、いろいろな訳詞がある。與田訳がロシア語原詩に大筋では合っているものの、それほど忠実とは言えないのは、あるいはドイツ語訳にもとづいているのかとも思えるが、単に自由な訳というだけかもしれない。ロシア語詩は12節(数え方によっては6節)あるのが完全なものらしいが、詩節の順序や、字句に異同がある。「しかし、彼女は目を伏せて、生きているとも死んでいるともつかず……」というくだりがあちこち移動したり、英訳では、節の数は合っているのにもかかわらず、消えていたり、いろいろあるようだ。

 以下はステンカ・ラージンの歌についての情報のあるところ。
ロシア民謡の謎を追う!
Russische Volkslieder: Stenka Rasin(バラライカの運指つき)
Stenka Razin(原詩のほか七ヶ国語の訳詞と、midiファイルを掲載)


運転

著者:下野 康史
出版社:小学館
出版年:2003
ISBN:4-09-341081-X

 いろいろな乗り物についての、運転する人へのインタビューや、体験運転の記録などから構成されている。もとはクルマの雑誌に連載されたもの。

 電車や飛行機など、おなじみのもののほか、胃カメラや「馬」なども登場する。ひとつひとつの項目がそれほど長くはないので、乗り物によっては、「もっと詳しく!!」と思う人もいるかもしれないが、運転どころか、乗る機会、見る機会さえほとんどないような、珍しい乗り物についての情報もあるし、また、運転している人のいろいろな発言が、それぞれに重みがあったり、味わいがあったりする。やはり、乗り物を動かしているのは人間なのだ。

 踏み切りの中に直立不動で立っている人に激突寸前、「目が合いましたね」(電車)。
 休みの日に自家用車で「ついうっかり停留所につけそうになる」(都バス)。

 どんな乗り物にも、運転する楽しみ、「ファン・トゥ・ドライブ」がある、というのが、この本の底に流れているテーマのようだが、まあそれにしても、楽しそうな乗り物と、大変そうな乗り物があるようだ。

 ゲーム好きとして読むと、電車や飛行機のほか、グライダーと熱気球に、ゲーム的な面白さを感じた。グライダーは、上昇気流がありそうな所を捜して、高度をかせぐことによって、到達距離がのびる点、熱気球は、高度による微妙な風向きの違いを利用して、目的の場所へ持っていく点。

 本文中に、写真撮影の話が時々出てくる。カメラマンは、体験運転している著者のうしろに、何も手出しできない状態で乗っていたり、走行風景を撮るため、別働隊として追いかけたりしているらしく、これも大変そうだが、写真はあまり載っていないのが残念。雑誌連載の時にはもっと写真があったのだろうか。


ブッシュ妄言録

著者:FUGAFUGA Lab. (編)
出版社:ぺんぎん書房
出版年:2003
ISBN:4-901978-02-0

 名前を素早く覚えて相手の心をつかみ、キーワードや格言を効果的に使って頭の切れる人という印象を与え、そうして高いところへ登っていくタイプの人がいる。ともかく、ブッシュ氏は、そういうタイプとは全然違う人であることが大変よくわかった。

 コメディ映画の大統領のセリフとして、誰かが書いたのなら、その人は天才だと言いたいところだが、本物の大統領が真面目に言ったというところがなんとも。もしかしたら、本人もわざとウケようとして言ったのでは? という気がするものもあるが、それにしてもそういう場合だったのかどうか。
 英語の間違いもある。まあこれらは、日本人もよく間違えるものだが……あっ、日本人は日本語が喋れるので一緒にはならないか。
 前に日本の総理大臣だった人で、ずいぶん発言が話題になった人がいたが、それとくらべてどうだろう……。
 しかし、国際情勢を考えると、笑っている場合なのか?

 ……などと、いろいろな雑念があったのは途中までで、あとはひたすらゲラゲラ笑うだけだった。思いっきり笑ってすっかり心が洗われるというか、脳みそが……脳みそを洗ってはまずいか。

 ブッシュ大統領のおかしな発言を集めた本は、アメリカでもいくつも出ているそうだが、この本は、フガフガ・ラボ☆研究室で集めたものがもとになっているらしい。すべての発言に、オリジナルの英文が添えられている。日本語訳では、どうしてもそのものずばりのおかしさが伝わらないものもあるし、一方で、訳した結果面白さが増しているものもある。原文の方もじっくり味わいたい。