道教と仙学 第1章

 

 

4、道教の特徴

 

 

 道教は、南北朝の時代に成熟し、唐代には国教となり、宗教としての質をどんどん向上させた。宗教人類 学・宗教歴史学・宗教心理学・宗教社会学の観点から分析すると、道教は宗教の基本要素を全て備えている。キリスト教・イスラム教・仏 教の三大世界宗教と比べると、道教は一般の宗教としての特徴だけでなく独特の民族文化の特色も備えている。道教の一般的な宗教として の特徴を次に示す。

 1、宗教の神学は、人々に現実世界に存在しない神やその偶像を信仰・崇拝することを要求する。この崇 拝や信仰の対象は、現実社会で支配・圧迫されている人々が天国にある自分とは異なる力として空想したものである。道教の神学も同じで ある。道教で信仰・崇拝されている神仙や最高神なども、自然や社会の力から人々が空想したものである。

 2、宗教の神学は、現実の世俗生活を超えた彼岸の世界を作り出そうとする。この理想の世界では、超人 的な力を持つ自分とは別な人間がいて、自然や人間を超越した神聖さを備えている。道教では、逍遥自在・長生不死の神仙の世界が明らか に神聖な彼岸の世界である。この世界の中では、神仙は何でもできる強力な神通力を備え、人間を超越した神秘的な力を持っている。

 3、宗教の神学には、国家の社会政治と人々の現実生活の関係が間接的に反映される。天国の幻想は、苦 難の中にある人々に「慰め」を与え麻酔を施し、統治者に束縛・圧迫される人々にさまざまな虚飾を施す。中国の家長制の封建宗法社会 は、世界で最も野蛮で専制的な社会である。このような社会制度は、紛れもなく現実の世界で最も苦痛を感じる不条理な力である。道教の 神仙は、生老病死などの自然の力に打ち勝つだけでなく、専制君主や官僚制度という社会的な束縛からも容易に逃げ出してしまう。道教 は、逍遥自在の神仙の生活を空想させることによって人々の現実生活の欲望を満たし、中国社会の欠陥の埋め合わせをした。また同時に、 道教は中国の統治階級の意志も信仰の世界に持ち込んだ。家長制の社会秩序を維持するために封建宗法の観念や倫理道徳を神学の教条に変 え、苦難に耐える人々を束縛し麻痺させた。

 4、宗教の神学には、それぞれに特有の宗教観念と思想体系があり、それがもとになって教義や経典が形 成されている。道教は、中国の伝統文化の土壌の中で、三大世界宗教とは異なる独特の神霊観・神性観・霊魂観・生死観を育み、宗教観念 と宗教思想の体系を形成した。この基礎の上に道教の教義が形成され、多くの経典が蓄積された。道教には、豊富な宗教理論がある。

 5、世界の宗教には、教徒の宗教感情と宗教体験を育成するために宗教経験を獲得する修行方法がある。 道教でも同じように、神仙に対する依頼感や畏怖感、神聖な力に対する驚異感、神仙に保護されているという安心感、教えに背き神を軽ん じる罪悪感、神と交わり一つになった神秘体験などを道士に持たせようとする。また、道士に宗教体験を獲得させるための修養方法もあ る。道教の修練方術では天人合一・返樸帰真・人と道の一体化を追及する。後世の全真道士は、内丹仙学を道と合して仙人に成るための路 としている。内丹仙学はある意味では世界の宗教の中で最も系統だって完備した修養方法あるいは行動様式である。

 6、すべての宗教は、法術・禁忌、神に対する祭祀や祈祷、それに由来する宗教礼儀を含んでいる。これ らは、教徒が実際に行う宗教行為や宗教活動の基本内容である。道教の道士も盛んに宗教行為を行い宗教活動に参加する。道教は法術に長 じた宗教である。それは中国の古くからの方技術数を余すことなく含んでいるばかりか、宗教礼儀や斎醮の様式も作り上げた。

 7、宗教は、団体で活動し社会化していく現象であり、宗教組織と宗教制度は不可欠の要素である。すべ ての宗教には宗教を職業とする人々がいて、それ相応の宗教の機構と階層を形成している。教徒は教えの規律に従って自己の行為を制限 し、宗教の規範に従う。道教も徐々に宗教組織や制度を形成し、道士は厳格な規律と戒律を制定した。南北朝以後の道士はすでに宮観で修 行していた。金・元の時代の全真道にはさらに完全な叢林制度があった。道士たちは、特別な服を身につけ規律と戒律に従う宗教職業者と なった。

 以上のことから、中国の道教が宗教の普遍的な特徴と基本要素を備えていることがわかる。道教は自然発 生した自然宗教と人為的な倫理宗教の結合体である。それには絶対唯一の神の信仰はない(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教のような一 神教とは異なる)が、至上神の信仰はある。道教は人格化した主神(元始天尊・太上老君など)に対する信仰だけだけでなく、自然界の本 質である汎神論の「道」の信仰(ヒンズー教の「ブラーフマン」、大乗仏教の「仏性」と類似している)もある。道教では近世になってか ら著しい宗教革命が起こっていないので、その宗教体系には中国の封建宗法社会の色彩を多分に残し、現代的な宗教にはなっていない。し かし、道教は現代宗教としての性質には欠けているが、その基本的な修養方法(内丹仙学)には科学的なものが含まれている。道教は中国 だけでなく、朝鮮・日本・東南アジアにも伝わっている。このことは道教が世界宗教としてのなにがしかの品格を備えていることを物語っ ている。

 道教は中国の伝統文化の一部分である。それは儒教・仏教と対立しまた補い合いながら、共に家長制の封 建政権を維持するという役割を果たしてきた。かって学者たちは、中国が宗教の薄弱な国家であると考えていたが、これは誤解である。統 治者が西洋の各国の教会よりさらに強大な宗教の力に頼らなければ、人口が多く国土の広大なこの大国で奴隷制の政治が数千年に及ぶほど 長い間維持されたはずがない。中国の長い封建社会の中で、儒家の礼教は専制制度を論証し社会教化する行為規範であり、仏教は人々を脅 し、誘惑し、麻痺させて奴隷を安心させる精神的な麻薬だった。道教は一方では儒教をおうむ返しに繰り返していたが、一方では統治者と 協調しない知識人に精神的な糧を提供した。また、苦しい生活を強いられた人々の苦痛をやわらげ、彼らにしばらくの間この暗黒の世界を 忘れさせた。中国の伝統文化の中で、儒家の礼教の経世型の文化は「三綱五常」の神聖化がその核心であり、それが専制君主と官僚体系の 精神的な柱だった。超世型の道家と道教文化が出現した根本的な原因は、知識人の現実社会に対する不満と失望だった。しかし結果的には それは人々に現実社会を容認させたりそれから逃避させたりすることになった。その意味では、道家哲学は隠者の哲学であり、道教は遁世 の宗教である。彼らは社会から逃避することによって社会に抗議しようとしたが、それは積極的な反抗の力を消極的な傍観者や隠者に変え てしまい、結果的には統治階級が秩序を維持することを有利にした。唐・宋の時代以後、君主は意識的に道教を利用し、道教は彼らの政治 的な道具となった。

 道教の特色は神霊観にも現れている。キリスト教・イスラム教などの一神教と違い道教の神霊に排他性は ない。道教は、道教の神々だけが協調し合っているのではなく、異教の神々さえも取り入れている。宮観の中に、太上老君と孔子・如来 仏・回教のマホメット・キリスト教のイエスがいっしょに祭られてきたことからも明らかである。道教には元始天尊・太上老君・玉皇大 帝・三清四御などの主神のほか、風伯・雨師・城隍・土地・人体の各部の身神および大小の実務を管理する職能神などもある。この膨大な 神霊の系譜は中国の国情と密接に関係している。分散した零細農業の経済は多くの神霊の観念を生み出し、入り込む隙間のない膨大な官僚 機構は神仙世界の職務も雑多にし、巨大な専制帝国を統一してきた政治伝統は必然的に至上神を出現させた。道教の主神の中では元始天 尊・太上老君・玉皇大帝の影響力が最も大きい。その中の元始天尊は道教が公認する至上神である。中国は古くからの農業大国であり、 人々は天を最も崇拝していた。これは明らかに先民の自然崇拝の延長である。元始天尊の出現は、氏族の原始宗教で神格化した天を信仰し ていたのを継承したものである。道教の中で、元始天尊は最高の天の神であるが、また同時に道の化身でもある。早期道教では老子を教主 として奉じ、《道徳経》を経典としていた。太上老君は教えを創始した教主として現れた神である。彼は道を人格化したものでもある。早 く南北朝の時代には、太上老君は元始天尊の下に置かれ、元始天尊の至上神としての地位は突出していた。玉皇大帝は道教の中では比較的 遅くに出現した。彼の地位は道教が政治的な倫理となっていく過程で次第に高まっていき、宋代になると皇帝を真似て道教の主神となっ た。玉皇大帝の出現は、「神道設教[鬼神迷信を利用して人民を愚弄すること]」の儒家の統治術が道教の中に反映されたもので、皇帝が 統治秩序を擁護するために君主の権威を神格化した結果である。中国の玉皇大帝と西洋のキリスト教の全知・全能・全善・全在の神は同じ ではない。玉皇大帝は無限の権力・財力・統治意志の化身であり、専制君主の権威と欲望を極限まで拡大したものである。玉皇大帝は実際 は道教の中だけで信仰される神ではない。彼の本質は中国社会の儒教・道教・仏教の三教をひとまとめにした国家宗教の帝王神である。玉 皇大帝の出現は、儒教・道教・仏教の三教の神の権威を融合し、帝王の権威を信仰の世界にまで拡大したのである。かくして、中国全土に 分布する城隍・土地神は国家の官僚機構に対応し、仏教の陰曹地府[あの世]の十八層地獄はこの世の衛門・監獄に対応し、天上の玉皇大 帝は地上の皇帝に対応する。中国では、天上と地下、冥土と陽世[この世]を問わず、すべてに儒家の「三綱五常」を当てはめようする。 皇帝が有形の世界を管理し玉帝が無形の世界を管理するという模式や、儒教・道教・仏教の三教の神の権威を結合して神霊体制を共有させ たことは、封建宗法の社会の中で皇帝の権威を変形させてできた宗教観念である。道教の神の権威に封建の倫理をあてはめることは、専制 君主にとっては家長制による統治を維持するのに重宝な道具となったが、民衆にとっては形のない精神的な枷となった。結局のところ道教 は、最も歴史的に長い封建制度の中で生まれたので、冷酷な封建宗法政治の色彩に染まらざるをえなかった。

 三大世界宗教と比べて、道教には民族文化としての特色がある。

 道教の教えの主旨を見ると、それは肉身成仙・長生久世を追及し、現世利益を重視している。これは、三 大世界宗教が霊魂の解脱を追及し、来世の利益を重視することとは大きく異なる。三大世界宗教は死後に天国という楽園で生活することを 考え、冷淡な態度で社会の現実生活に対処する。道教は死を直接否定せず、月日はすぐに過ぎ人身は面倒なことが多いが、早急に仙を修め れば神仙の永久的な幸福と快楽を享受できると考えている。張伯端は、「世の中の人は身体にとらわれていて、生を悦び死をにくむので、 黄老は生を修めることを道とするのであり、欲するところに従って導くのである(《悟真篇後序》)」と述べている。つまり、道教の長生 久世の道は、人々を道に誘い入れるための橋渡しにすぎないのである。道教の修仙の最高目的は、道と一体化し、生死を超えた真人の境地 に達することである。仙を修めた人の心の中には、一個の別の世界があり、これが天人合一・物我無分の人生で最高の芸術的境地であり、 道の境地である。荘子の言う「上は造物者とともに遊び、下は生死をわすれ終始なき者の友となる(荘子・天下篇)」、「天地の精神と往 来する(荘子・天下篇)」、「澹然として独り神明とともに居る(荘子・天下篇)」というのは、仙家がにせものの世俗の我から解脱し宇 宙の真我と与する最高の境地に達することである。世間の人は、寿命を延ばすことや不死の仙人に成るという枠だけにとらわれて道教や仙 学について論じ、盲目的にそれに賛成したり反対したりする。仙道の究極を見ることなく、「法に固執すること」や「我に固執すること」 を打破できなければ、どうして宇宙の自然の本性と合致し、天地物我の生命を相互に交流させることができるだろうか。前に道教の定義の 中で述べたように、世の中において人を救うこと、長生きして仙人に成ること、道と一つになることが道教の目標であり、仙学の目標は宇 宙精神と溶け合うということに帰納できる。だから、仙道に対して興味を感じながらまだ入門していない者は、仙学の習練が簡単で内容の 浅いものであると考えてはいけない。仙道に入門して学んだ者は、《老子》や《荘子》の奥深い意味を理解せず方術だけに専念していたり はしない。仙道の中では老荘の学に異なった解釈があり、決して老荘を理解せずに仙道を通ることはできない。以上が他の宗教と異なる道 教の特色である。

 宗教としての型から見ると、道教はキリスト教などの純社会倫理型の宗教とは異なる。道教は原始社会で 自然発生した自然宗教と階級社会で作られた倫理宗教の結合体である。避けようのない死や災厄は、最初は自然の力によってもたらされた が、その後は封建社会の国家機関による社会の力によってもたらされた。だから、道教の神仙は死や災厄を克服し、逍遥自在であるが、そ れは自然を超えた力を神格化しているだけでなく社会を超えた力も神格化しているのである。道士は、自然の力や社会の力を超越し、理想 の現世利益を獲得するために修練するのである。

 道教の風格から見ると、それは方術に長じている。道教はその他の宗教のように神秘的な力や神聖な物に 対して屈服したり謙虚になったり祈ったりせず、なにがしかの方法でそれをコントロールし、自然を超えた力を利用する。道教は人間の生 老病死の法則に対抗し、熱力学の第2法則に挑戦しようとする。運命の神を屈服させるために、内丹仙学を修習して天地造化の技術を奪 い、「自分の運命は自分にあり天にはない」というスローガンを掲げている。だから、その他の宗教が社会人生に消極的な態度で対処する のとは反対に、道教では長生の道を修習することは世俗政治・功名利禄という大事業を行うことよりはるかに大変な事業であると道士に教 えている。葛洪は修仙について「思いを減らし欲をなくすことが『事』であり、身を全うし寿命を延ばすことが『業』である(《抱朴子内 篇・釈滞》)」と述べているが、これは仙道を人生の『事業』であると考えているからである。さらに張伯端は、大丹を修め完成させるこ とについて、「胎を脱し神と化し、名は仙籍に題し、位は真人を号する。これは間違いなく功成り名を遂げる時である(《悟真篇序》)」 と述べている。このように、強引に網で捕らえて道教に入れ、大丹を修め完成して神仙になることは、人生観の上で功を建て名を立てるこ と、事業心を有することであると古代の知識人が説いてきたことは非常に魅力的である。

 道教の内容を見ると、それは三大世界宗教より多くの民間信仰や古代の巫術を残している。また、儒家・ 墨家・道家・医家などの諸家や仏教の思想資料も取り入れている。内容的に性質の異なったものも吸収しているので、繁雑であり、構成の 上では明らかに多層構造になっている。中国の伝統文化の中でも、道教はまるで得体の知れない物である。それは正統な儒家文化が取り入 れなかった多くの文化要素を吸収し、道教の教義の下で統合している。馬端臨は《文献通考》に、「道家の術はというと、雑で項目が多 く、儒家はまずこれをつぶさに論じる。さて一つには清静を説くのである。一つには煉養を説くのである。また一つには服食を説くのであ る。また一つには符籙を説くのである。また一つには経典科教を説くのである」と述べられている。これは道教文化が雑多であるが、その 中では類別し系統だててあり、別に類別されたものの内容の間には有機的な連係が存在していることを説明している。道教文化は構成の上 でおおよそ3つの層に分けることができる。劉勰の《滅惑論》や道安の《二教論》に説かれているように、上は老子(老子の無為)を示 し、次は神仙(神仙餌服)を述べ、下は張陵(符籙禁厭)を踏襲している。つまり、道教は宗教化した道家学説・長生術・仙学および各種 の斎醮雑術の3つが相互に連係した多層構造になっているのである。道教は教団組織や布教活動から上層の神仙道教と下層の民間道教の2 つの層にも大別できる。知識水準の比較的高い神仙道士は老荘をよく読み、長生を修し、大丹を煉る。そして民間道士は郷村や世俗の家庭 で、人々のために病気を治療し、神を祭り鬼を駆逐し、符を画き術を施す。宋・元の時代以降、正一派の上層の道士も斎醮・符籙が主要な 宗教活動になった。

 道教文化は、中華民族の血縁・地縁・国情・民情と密接に関連している。道教は民衆文化の特徴を備えた 宗教なのである。

 

 

次のページへ

第1章のトップへ

道教と仙学の目次へ

 

仙学研究舎のホームページへ