呂洞賓

唐代の仙人。呂巖・呂純陽・孚佑帝君・呂祖・純陽真人とも称する。山西省蒲坂県永楽鎮の人。一説に、東平の人。礼部侍郎呂渭の孫、海州刺史呂譲の子と伝えられている。幼少より聡明であったが、科挙に及第せず、長安の酒場で鍾離権に出会い、粟の飯を炊いているうちに寝てしまった。そして、夢で科挙に及第して出世し、大臣となって政治を執っていたが、ある時失脚して左遷された所で目が醒めた。しかし、その時粟の飯はまだ煮えていなかったという事件に遭い、大悟して鍾離権に従い得道した。一説に、42歳で科挙に及第し、廬山県の県令に任ぜられた。ある日廬山に遊びに行くと、たまたま鍾離権と出会い、大道天遁剣法・龍虎金丹秘文を授かり、純陽子と道号を賜った。その後、官を捨て市井に隠れ、徳功を積み、神仙となり、人間界に出没して各地に詩を書き記したという。神仙となった呂洞賓は、八仙人に一人に数えられ、元曲の流行に伴い民衆の絶大な尊敬を集め、現在も孚佑帝君として親しまれている。また、全真教においても、開祖王重陽が48歳の時、甘河鎮において神仙二人に遭い口訣を授けられたといういわゆる甘河の遇仙が鍾離権と呂洞賓であるとされたことから、全真教の五祖の一人に数えられ、極めて高い評価を与えられている。しかし、歴史的人物として呂洞賓を考えると、唐代に実在した道士とは考え難く、先行するさまざまな呂姓の神仙の伝説を集大成し、五代から北宋初期にかけて誕生した架空の神仙である可能性が大きい。