出典: 『道教事典』
野口鐵郎・坂出祥伸・福井文雅・山田利明 編
(平河出版社)
文始真経
書名。周の尹喜の撰。『関尹子』の異称。『漢書』芸文志道家者流に、『関尹子九篇』と著録されており、『抱朴 子』遐覧に『文始先生経』の名が見えるが、『隋書』経籍志及び新・旧『唐書』芸文志には見えない。宋代になり、陳振孫の『直斎書録解題』に、 南宋時、徐蔵が孫定から手に入れた『関尹子』9巻に、向校定序と葛洪の序が付されていたといいながら、陳氏の所見では、伝授の経路が不明なた め、仮託書であり、向の序文も、偽作か、と疑う。宋代の刊本としては『道蔵』所収の陳顕微の『文始真経』言外旨及び杜道堅の『関尹子闡玄』が 存するが陳振孫の言う孫定が所有し』ていた書がどれに該当するか不明。『史記』老子伝に、関令尹喜が老子と出会い『老子』五千言を授かり、自 ら『関尹子』9篇を著わしたという話が漢代に既にあったところから、唐末あるいは宋代に劉向序及び葛洪序を仮託し、道教の経典として著作され たという見解が、陳振孫・胡応鄰・姚際恒・『四庫提要』著者の見方である。『関尹子』と『文始真経』の2種の書名が存し、『漠書』芸文志では 『関尹子』となっており、『抱朴子』に初めて『文始先生経』(洪序では『尹真人文始経』)の名が出てくる。『玄元十子図』『玄品録』等、元代 の記述に、老子が西遊していた際、関令尹喜が瑞兆の紫気がただよっているのを見て老子に会い、『関尹子』を自著し、その後西方の大散関を出て 成都の青羊肆で老子から文始先生の名を賜わったことになっているが、この話は『史記』老子伝・『抱朴子』遐覧の記事にもとづいて、老君説話が 盛んになるとともに付会されたのであろう。版本については上掲の『関尹子闡玄』と『文始真経言外旨』の他、『道蔵』所収には『無上妙道文始真 経』(無註本)と元の牛道淳の『文始真経』とがあり、さらに湖北崇文書局刊本『関尹子』、明の万暦年間の『子彙本』がある。1934年(民国 23)には、張元済が鉄琴銅棲蔵明刊本と上記の6種の版本とを校勘したものを出した。
執筆者:柿市里子